2014/02/16 - 2014/02/16
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entetsuさん
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2月8日(土)は関東地方に大雪。
場所によっては30㌢を超える積雪で、翌日もウォークは無理。
満を持してと予定してた2月11日(祝)は、最高気温5℃と一生懸命歩くだけのウォーキングならいざしらず、ほとんど「entetsu散歩」のような様相の私のウォークにはちと寒い。
2月14日(金)、聖バレンタインデーの日も恋人達に寄り添えといわんばかりにもまた大雪~。
ということで、ウォーカーズハイになっていた私には悶々とした日々。
代わりに、黒海に面した某地での大会の「頑張れにっぽん」キャンペーン。
おかげで国内に居ながら、「ひとり時差ぼけ」状態。
夏季、冬季それぞれ4年に一度訪れる、「五輪時差ぼけ症候群」といって、全国に相当の潜在的罹患者がいるものと想定される、危険な病気を発症してしまった~(笑)。
そんな中、やっと日曜日ウォーク敢行です。
今日参考にしたウォーキングコースは、「川崎市川崎区役所保健福祉センター」推奨のコースをミックスして。
多摩川緑地コース
http://www.city.kawasaki.jp/kawasaki/cmsfiles/contents/0000024/24463/P22-23.pdf
大師ご利益めぐりコース
http://www.city.kawasaki.jp/kawasaki/cmsfiles/contents/0000024/24463/P16-17.pdf
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
今日のウォークのスタートは、京急本線「京急川崎駅」。
この駅は、1902(明治35)年9月1日、六郷橋〜川崎間を延長し開業しました。
当初の駅名は「川崎」でしたが、大正14年11月、「京浜川崎」と改称し、さらに昭和62年6月 1日、現在の「京急川崎」となりました。
元々、京急の前身である大師電気鉄道(株)は、明治32年1月、六郷橋〜大師間を開通させ、約3年半後に川崎まで延長したのが始まりです。
一方、1901(明治34)年には、大森停車場前(現・JR線大森駅) - 八幡(現・大森海岸) - 六郷橋間を開業させ、1904(明治37)年には、品川(現・北品川) - 八幡間開業。1905(明治38)年12月24日には、品川(現・北品川) - 神奈川間が開通しました。
川崎大師は当時も今も人気スポットだったことが、「京急」や京急川崎の歴史からも伺えます。京急川崎駅 駅
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「川崎DICE」。
2003年完成のショッピングセンター。
「TOHOシネマズ川崎」、「東急ハンズ」、「あおい書店」、「ユニクロ」、「ABCマート」、「TSUTAYA」、「パチンコ&スロット PIA」などのショップや遊興施設のほかレストラン街もあります。
私は、映画はほとんどここで観ています〜。川崎DICE ショッピングモール
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旧東海道です。
今日のルートは、旧東海道〜多摩川・六郷渡し跡〜多摩川堤防〜川崎大師というルートです。
旧東海道、幅が同じなんで、なんとも馴染みます。
金曜〜土曜に降った雪も少し残ってますね。 -
先日も、「旧東海道川崎宿」歩いたのですが、前回気付かないところもチラホラあったりして、それなりに面白い。
「六郷の渡し」を書いた浮世絵です。川崎宿 名所・史跡
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「東海道かわさき宿交流館」が見えてきました。
東海道かわさき宿交流館 名所・史跡
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前回入館しましたが、家内は初めてですので、ウォーキング始まったばかりですが、立寄ります。
なんという「色」なんでしょうか?
萌葱色(もえぎいろ)?? -
川崎宿について10分ぐらいでまとめたビデオ上映中でした。
この人形は、公認キャラクター「飛脚の六さん」。川崎宿 名所・史跡
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フィギュア。
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2Fの展示場では、貸衣装とカツラもありますが・・・。
誰も着けてる人いなくて、写真だけ。 -
3F展示場にある、旧川崎宿の縮尺模型。
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パネルでお勉強も出来ます。
ここは、休館日が月曜日。
開館時間は、9:00〜17:00。
入館料は無料です。
ちょこっと川崎宿のお勉強するのにもいいし、トイレも綺麗です。
一休みにはぴったり。 -
旧東海道を多摩川に向かい歩きます。
この日は、お天気はほぼ快晴ですが、風がいささか強い。
雪は粗方解けてはいますが、日陰の部分はしっかり固まって残っています。 -
多摩川まで来ました。
「六郷の渡し跡」です。
写真は、六郷橋の欄干にある、渡船のモニュメントです。
慶長5年徳川家康は、六郷川に六郷大橋を架けたとされ、以来修復やかけ直しが行われましたが、元禄元年7月の大洪水で六郷大橋は流され、幕府は架橋をやめ、明治に至るまで船渡しとなりました。
当初渡船は、江戸の町人が請け負っていましたが、宝永6年3月川崎宿が請け負うことになり、それによる渡船収入が宿の財政を大きく支えました。六郷の渡し跡 名所・史跡
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「長十郎梨のふるさとの碑」。
長十郎梨のふるさと 名所・史跡
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「大師灯籠」。
ここには、「明治天皇六郷渡御碑」「長十郎梨のふるさとの碑」「大師灯籠」が並ぶようにしてあります。
詳しくは、少し前にウォークした際の旅行記ご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10853185六郷の渡し跡 名所・史跡
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「六郷橋」。
国道15号線が多摩川を渡る橋ですね。六郷橋 名所・史跡
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さて多摩川の堤防・川崎側を、河口に向かって歩きます。
遮るもののない、堤防はさすがに強風で寒かったですが、歩いていると寒さも感じなくなってきます。
(強がり・・・?) -
河口から5?という標識。
へぇ、そうなんだ。 -
どんどん歩きます。
ご覧の通りの快晴です。
何やら見えてきましたが・・・。 -
これは、「川崎河港水門」。
近づいてみます。川崎河港水門 名所・史跡
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実は、これは国登録の有形文化財。
建造は、昭和3(1928)年という歴史的建造物。 -
大正時代末期、川崎市は、更なる発展を図ろうとの期待を込め、物資の輸送をより円滑にするため、古来より水運に利用されてきた多摩川の堤防の一角から内陸部に運河を開通させ、開鑿により生じる土砂で両岸を埋め立てて工場や住宅地にするという大規模な運河・港湾計画をたてました。
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「川崎河港水門」は、この運河計画の一環として、当時の多摩川改修事務所長であった内務省土木技師金森誠之(かなもり しげゆき)により設計され、大正15年(1926)11月に着工、当時の予算で54万円の費用と1年半の歳月をかけて昭和3年(1928)3月に完成したのです。
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イチオシ
この水門は、2つの塔と、それをつなぐ梁、そしてゲートによって構成されています。
多摩川を背に構えるヨーロピアンな建物は「川崎の凱旋門」とも呼ばれているそうです。 -
よく見ると、さすがに昭和3年建造ということを感じます。
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さて、その運河計画は、現在の川崎区を対角線に横切る3筋の大計画となり、昭和10年(1935)に運河幅員33〜40mの都市計画事業として内務省の認可を得ましたが、当時は運河に対する建築制限の認識が道路と異なり薄かったため、予定地に工場や住宅が次々と建設されていってしまいました。
満州事変、日中戦争の勃発による軍需産業を中心とした好景気のもと、工場増加の傾向はさらに顕著になるとともに、第2次世界大戦の開戦により、当時の社会状況・国益に合わなくなった運河計画は、9年後の昭和18年(1943)に廃止となりました。
結局、運河は水門から約220m開鑿されただけで中断してしまい、現在では埋め立てられて、水門に接続する部分約80mが舟溜まりとして残存するのみとなっています。
しかし、この河港水門は、現在でも主として千葉方面からの砂利の陸揚げ施設として、1日数隻の砂利運搬船の出入りに利用されていたりして、今でも現役です。
多摩川のほとりに、工場群を背にして堂々とそびえる川崎河港水門は、「幻の大運河計画」の存在を物語る希少な歴史的遺産として、また、その優れた意匠から、多摩川河畔の景観に欠かせないシンボルとして市民に親しまれているのです。 -
渦巻き模様と飾り窓のついた塔の上には、当時の川崎の名産品であった梨・桃・葡萄をモチーフとした巨大な彫刻(フルーツバスケット)が配されています。
梨については、有名な「長十郎」が生まれたのは、水門からほど近い出来野地区。
外国産の桃を栽培するようになったのは、大師河原が日本で最初。
また、近隣では葡萄の栽培も行われていた。
この様に地元の産品を意匠にし、土木建築には珍しい芸術的作品にもなっています。
家内は、最初は「ブロッコリー?」とか言っていた(笑)。
かつて運河を掘る大計画のあった地に、今は水門だけが残され、柱の上にはかつてこの地で採れた梨や桃などをモチーフにした装飾が、名産品を今に伝えます。 -
思わぬ歴史的建造物を見て感動し、ウォーキングを続けます。
多摩川の対岸です。
「六郷水門」が見えます。
ここに来た旅行記もご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10855362 -
「キンクロハジロ(金黒羽白)」も寒そう。
しかもこの波!
(2月21日追記;2/19付日本経済新聞夕刊「あすへの話題」に元宮内庁長官の羽毛田信吾さんがコラム欄を寄せていらっしゃいましたので原文のままご紹介いたします)
この時期、皇居のお濠(ほり)では北の国から渡ってきた様々な種類の鴨(かも)が泳ぎ回っている。馬場先濠などで多く見られるのはキンクロハジロである。小型の鴨の一種。何とも愛くるしい。雄は黒と白の二色、雌は黒褐色である。眼の虹彩の部分が黄色い。後頭部にひと房の冠羽が飛び出しているのがご愛嬌(あいきょう)である。「これは寝癖だと思う」とコメントしている写真家がいたが、なるほどそうとも見える。円(つぶ)らな瞳の腕白(わんぱく)小僧さながらに、人懐こく岸に寄ってきたり頭から水に潜ったりと、見ていて飽きない。
キンクロハジロが皇居のお濠の常連になったのは、比較的最近のことのようだ。最初にキンクロハジロが飛来した年には、昭和天皇が「見たい」と仰せになって、数羽が泳ぐ様(さま)をご覧になった由である。それが今やお濠の多数派になろうとしている。日本に飛来する鴨の種類も時とともに変化するという。鴨猟が行われる宮内庁の鴨場でも、近年、海棲息(せいそく)型の鴨が以前より多く渡ってくるようになったらしい。その結果、すぐ水に潜る習性の鴨が増えているとか。驚いて飛び立つところを叉手網(さであみ)で捕える鴨猟にとっては少しばかり頭が痛い。
皇居のお濠で屈託なさそうに遊泳するキンクロハジロだが、彼らも実のところ能天気に泳いでばかりはいられないのである。北に向かって長く厳しい旅に出る日も遠くはない。そう思って見ると、単純に無邪気で可愛(かわい)いというだけでなく、長いわらじをはく宿命を背負うが故の、そこはかとない悲壮感を漂わせていると言ったら、思いこみが過ぎようか。
「春霞立つを見捨てて行く雁(かり)は花無き里に住みやならへる」(伊勢。古今和歌集) -
多摩川の上流の方向をみます。
雪を被った山ですが、青梅とかあきる野方面でしょうか。 -
随分歩きました。
対岸の「六郷水門」も近くに見えてきた。 -
堤防内の河川敷には、雪解けの水溜り。
何やら小鳥が啄ばんでいます。
ミミズでもいるんでしょうか? -
こっちは、サギの仲間?
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少し見辛いですが、遠くに見えるのは「大師橋」。
産業道路(東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線)が多摩川にかかる橋です。
1997年(平成9年)のI期工事から、2006年(平成18年)11月12日、II期工事が完了して現在の姿になりました。多摩川渡し跡 (羽田の渡し) 名所・史跡
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結構歩きまして、多摩川と別れます。
写真は味の素パッケージング(株)。
「味の素(株)」の100%子会社で、味の素製品の包装を担う会社。
この近くには、味の素(株)川崎工場群があって、同社の工場の中でも最も古く、創業は大正3年。
敷地も広く、京急大師線の港町・鈴木町・川崎大師・東門前の4駅にまたがり、東京ドーム8個分の面積があるといいます。
川崎工場の敷地内には、「味の素」、「ほんだし」、「CookDo」、業務用調味料などの工場があり、見学コースも設けられています。味の素 川崎工場 名所・史跡
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国道409号に来ました。
この線のこの辺りは、通称「大師道」(川崎大師の通じる道)と呼ばれます。
この国道409号、起点は川崎市高津区溝口三丁目、終点は成田市並木町です。つまり、海上区間(川崎市川崎区-木更津市)を含み、その部分は有料道路の東京湾アクアラインであるという、変わった国道です。
何やら、飲食店を見つけました。 -
シーサーの置物。
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「琉球」。
沖縄料理の店。琉球 グルメ・レストラン
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実は、川崎大師近辺での食事処を色々調べてはいました。
フォートラのQ&Aでも質問したのですが、門前にあるお蕎麦屋さんはどうかという回答をいただいた方が多かった。
「うーん、蕎麦か・・・」と思っていました。
お寺の門前というと善光寺や深大寺など確かに蕎麦が有名ですが、正直それほど美味くはなく、いわゆる「観光蕎麦」が多いが・・・。
沖縄料理、あまり食べる機会もないし、ここに飛び込みましょう!
(せっかく回答くださった方々申し訳ありません。またの機会に行ってみます) -
雰囲気は、地元感と沖縄感たっぷりで、いい感じ。
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定食メニュー。
結局、私も家内も「ソーキそば」定食を注文。
870円也。 -
カウンター。
「海ぶどう」なんてのがあって・・・。
久しく食べてないなぁ。宮古島行って以来だけど・・・。
まだ、ウォーキングの途中なんで酒、つまみは止しときます。 -
奥には座敷がありました〜。
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「三線(さんしん)」。
ジャビセン(蛇皮線)ともいいますが、沖縄や奄美地方の伝統楽器。
カチャーシーやって、店中で凄いことになるんでしょうな。
実は、沖縄式のそういう宴会に出たことない。
結婚式には出たことあるけど、さすがに整然としてました。
ぐだぐだの宴会、出てみたい。というか、観てみたい(笑)。
なお、店内には常連の親子・おじいちゃんの組と、女の子2人組み、常連のおじさん(昼間ですが、結構酔っ払ってました)が一人で来てました。 -
イチオシ
「ソーキそば」。
豚のあばら肉を煮込んだ「ソーキ」が乗った沖縄そばです。 -
豚骨のスープに、鰹と昆布を合わせたスープは、大変あっさり味。
美味いです。
私はこれに、「コーレーグス」を結構たっぷりかけて食します。
「コーレーグス」は、島とうがらしを3週間程泡盛に漬けた、沖縄料理の万能調味料。
これがまた美味し! -
ということで、地元感たっぷりの店を出て、川崎大師ももうすぐですので、歩きます。
京急大師線の電車が来ました。
これは下り。 -
こっちは、上り線。
まだ雪が残ってますね。
京急大師線は、路線距離4.5?。
「京急川崎」駅1階の大師線ホームを発車し、多摩川の南側を大師道(国道409号)に沿って東西方向に走っています。
先にも書きましたが、大師線は京浜急行電鉄のルーツです。
当初は、川崎大師への参詣路線として建設され、1899(明治32)年に大師電気鉄道が川崎駅(後の六郷橋駅) - 大師駅(現・川崎大師駅)間 (2.0km) 開業。
のちに京浜電気鉄道に社名変更し、1902(明治35)年9月1日、本線の一部として川崎駅(現・京急川崎駅) - 六郷橋駅間を開業という古い歴史を有します。 -
川崎大師の表参道にやってきました。
饅頭屋さん。 -
もう右は、お大師さんの建物。
我々は、なんとここ川崎大師に来たのは35年ぶり。
まだ、結婚前に初詣で来たきりでした。
正月三ヶ日には、300万人を超える参拝客で賑わうといわれ、その混雑ぶりに敬遠していました。 -
道路の左側には、「住吉屋総本店」。
住吉屋総本店 グルメ・レストラン
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ご存知「久寿餅」のお店ですね。
ここのは、弾力が強いというか硬いというか・・・。
かつて小麦の産地だった川崎大師界隈で江戸時代から続く名物です。材料は小麦のデンプンのみだそうです。 -
川崎大師の塀です。
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「馬頭観音堂」。
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ここは、「縁結び」にご利益があるそうです。
その昔、川崎大師への参拝者がお堂の格子に手綱を結ぶと、どんな暴れ馬でもおとなしく待っていたそうです。
そしていつの間にか、結んだ縁が切れないということから、赤い布に好きな人の名前を書き、格子に結んで良縁を祈願するようになったとのことでした。
実際に、今も赤い布が結ばれていました。馬頭観音 寺・神社・教会
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右側にはまた久寿餅やさん。
手前「恵の本」、奥「住吉」。
久寿餅、名物ですがそれ程美味くは感じないんですが・・・。
きな粉と黒蜜でベタベタになるし・・・(笑)。
買いませんでした。 -
「日本料理 恵の本」。(えのもと)
料亭 恵の本 グルメ・レストラン
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寛文年間(1661〜1672)創業の料亭。
江戸時代には、大師の浜でとれた蛤を味噌仕立てにした「蛤鍋(はまなべ)」が名物で、門前町にはそれを出す料理店が軒を並べていたといいます。
日本橋を日の出とともに発ち、六郷を渡し船で渡り大師詣でを済ませた後、
蛤鍋で一杯やって日が暮れるころ急いで家路につくという日帰り旅が、当時流行りだったそうです。
今では、蛤鍋を出している店はこちらのみ。 -
他にも、江戸前料理として、あなごの煮こごり、穴子重、江戸前天ぷらなどがメニューにあります。
Q&Aでは、「ここに行っては?」と奨めてくださった方もいらっしゃいました。
ソーキそばを食べてしまった〜。
次回の機会にします。 -
川崎大師名物は、久寿餅、飴、饅頭、だるまなどです。
だるま屋さんの一大密集地でもあります。 -
参道左側にお寺を見つけました。
明長寺 寺・神社・教会
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「明長寺」。
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本堂です。
こちらは、天台宗の寺院で、創建年代は不詳ですが、静圓法印(永正16年1519年寂)が文明年間(1469―1487)に創建したと伝えられます。
所蔵の「葵梶葉文染分辻ヶ花染小袖」は、桃山時代に流行した絞り染めの技法といい、国重要文化財となっているそうです。 -
山門。
変わっています。象さんもいたりして。 -
参道を進み、右に折れると「川崎大師」というところまで来ました。
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イチオシ
ちょうどこの角の左側にあるのが「布間提灯店」。
家紋提灯で有名らしい。
ミニ提灯3号で、\2,000〜の様子。
ご主人が、提灯を作っている様子も、ガラス越しに見えました。布間提灯店 専門店
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「布間提灯店」の向かいには、川崎大師界隈で最古参といわれる「松月庵」さん 。
川崎大師の周辺には、門前の蕎麦屋が充実しています。
Q&Aで、「ここに行っては?」と奨めてくださった方がお2人いらっしゃいましたが、ごめんなさい。
どうしても、「観光そば」の危険を感じてしまいまして・・・。松月庵 グルメ・レストラン
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イチオシ
「川崎大師仲見世通商店街」。
「松月庵」を過ぎ、少し行くと右側にあります。川崎大師仲見世通商店街 市場・商店街
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「川崎大師仲見世通商店街」、こんな感じ。
正面には、「川崎大師」の大山門があります。川崎大師仲見世通商店街 市場・商店街
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イチオシ
「松屋総本店」。
「トントコ、とんとこ〜」。
川崎大師の参道に響く飴を切る軽快なリズム。
「環境省選定 残したい日本の音風景100選」にも選ばれているとか。
参道にある何店かある飴屋さんで、微妙にリズムが違うそう。
「松屋総本店」は、明治元年(1868)に東京の深川門前仲町に屋号を「松屋の飴」とし飴屋を開業し、川崎大師には昭和十一年(1936年)に出店したそうです。
飴の種類は、40数種類もあって、 中でも5種類の家傳(家に代々伝わる)のハーブを入れた「家傳せき止飴」は、明治から現在に至るまで人気の衰えないロングセラ−商品です。松屋総本店 専門店
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ただ、この日はもう十分飴も出来ているのか、切ってはおらず、まな板に包丁を叩くようにしてトントコの音だけ出していて、やや興ざめ・・・。
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こっちは、「松屋の飴総本舗」。
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金曜日に降った雪は、やはり強烈だったようで、商店街の人達は猛烈な勢いで雪掻きをしたんだと思います。
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ここは、だるま屋さん。
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やって来ました、「川崎大師」。
家内とまだ付き合い始めた頃以来、実に35年振り二回目の訪問です。
写真は、「大山門」。
開創850年の記念事業として昭和52年に建立されました。
堂塔伽藍を囲う浄域結界の総門で、四方に京都・東寺の国宝尊像を模刻造立した四天王像が奉安されているそうですが、現在平成の大修理中で、拝めませんでした。平間寺(川崎大師) 寺・神社・教会
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門前の「七味とうがらし」・小(500円)を買いました。
非常に香りの強い七味でした。平間寺(川崎大師) 寺・神社・教会
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「川崎大師」は通称で、正しくは「平間寺(へいけんじ)」。
真言宗智山派の大本山の寺で、高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつであります。
1813(文化10)年、徳川幕府第11代将軍、家斉が厄除に訪れた事から厄除け大師として広まっています。
毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなり、2013年初詣客は約298万人で、全国3位でした。
なお、1位明治神宮、2位成田山新勝寺、3位が川崎大師、4位浅草浅草寺、5位が伏見稲荷だそうです。 -
大山門にある、「大提灯」。
修復中で、ビジュアル的には残念。 -
「大山門」をくぐると、「大本堂」が見えます。
35年前の記憶で恐縮ですが、初詣では、とにかく凄い人出で、この辺りからは係員の号令で、40列ぐらいの行列で一歩ずつ進んだ気がします・・・。
あれで、興醒めして、もう来なくなったんですが、きっと今でも三が日は同様でしょう。 -
「大本堂」にお参りする前に、右手に向かいました。
「聖徳太子堂」です。
聖徳太子講並びに諸職人により、昭和41年に奉納された聖徳太子像が奉られたお堂です。 -
その隣には、「清瀧権現堂」。
清瀧権現(せいりゅうごんげん)は、京都市の真言宗醍醐派総本山、醍醐寺の守護女神。
醍醐寺より勧請した清瀧権現が奉られています。 -
大香炉。
-
煙もうもうです。
ところで、「川崎大師」は今も大人気ですが、これは江戸時代から続くものです。
江戸からの参拝客は、日の出とともに江戸を出て、六郷の渡しを渡って参拝したといいます。
また、幕末の「生麦事件」の際、薩摩藩士に切り付けられ、結局命を落とす事になった、イギリス人のリチャードソンは、上海から横浜に観光に来ていて、横浜から観光目的で川崎大師に向かっていたとの説もあります。
それぐらい人気スポットだったんですね。 -
「経蔵」。
平成16年、大開帳奉修記念事業として落慶されました。
中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7240巻が収蔵されています。 -
「大本堂」。
吉例大開帳奉修の記念すべき昭和39年5月落慶。 -
ちょうど、最後の雪下ろしの最中でした。
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お参りします。
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勅願寺として、大本堂大棟には菊花の紋章が許されているのも特徴です。
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堂内には、御本尊厄除弘法大師を中心に、不動明王・愛染明王などの諸仏が奉安されています。
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「中書院」。
昭和41年5月落成し、2つの茶室を備え庭園には古く伝わる「月の井」もあり、静かなたたずまいだとか。
客間である「光聚庵」は三笠宮妃殿下の命名により、「心月庵」は茶道裏千家家元千宗室宗匠の命名によるものであり、それぞれ異なった風情があります。 -
「不動堂」。
1890年(明治23年)創建。
現在の建物は1964年(昭和39年)に再建されたもので、本尊の不動明王は成田山新勝寺の本尊を勧請したそうです。 -
「大本坊」。
第二次世界大戦の戦禍で消失し、同時に大本堂も失ったため、一部改造・荘厳を施して昭和20年12月から仮本堂として活躍した建物です。
その後、大本堂再建の日まで仮本堂として使用され、昭和33年5月に御本尊様は現在の大本堂へ御遷座が行われました -
屋台も出ていました。
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イチオシ
「八角五重塔」。
昭和59年の当山吉例大開帳ならびに弘法大師1150年御遠忌を記念し落慶されました。
八角は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しています。 -
「遍路大師尊像」。
昭和48年(1973年)の弘法大師ご誕生1200年記念事業として造顕され、同年5月開眼法要が執行されました。
遍路大師尊像には健康、健脚を祈念して、献水されるご信徒の姿が多く見られるそうで、新四国八十八ヶ所霊場も創設され、第44世・中興第1世貫首(隆天大和上)が四国霊場巡拝の際にいただいてこられたお土砂が埋められ、お砂踏み霊場として、全国各地からのご信徒の参拝が続いています。
この日も何人かいらっしゃいました。 -
「鐘楼堂」。
この鐘楼堂は、不動門と共に有縁の地より譲り受けたものであり、このお寺の戦後の復興を記念する重要な建物であります。 -
「祈りと平和」の像。
像全体は金色で、中央は富士山の上に光臨した観音をモチーフとした女神、周囲は鹿野苑で楽器を奏でる天女。中央の女神が「祈り」、周囲の天女が「平和」を表しています。
文化勲章受章者の円鍔勝三の作品。 -
「不動門」。
第42世隆超大僧正が昭和23年有縁の地から譲り受け移築建立されました。
その山門(現在の不動門)は、昭和52年に現在の大山門が建立されたことに伴い、不動門として移築されました。 -
やっぱり、ご本尊が弘法大師というだけあって、わらじがありました。
四国八十八箇所を歩いた、ということに因み、 四国八十八箇所のお寺と同じようにありました。 -
はてこれは??
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昭和39年5月、現在の「大本堂」が落慶するまでの本堂の礎石跡です。
-
うーん、これにはがっくり・・・。
この道標はもと旧東海道川崎宿の万年屋の脇、東海道より大師道に別れる地点に建てられていて、道路改修のため、戦後こちらに移築されたとお勉強し、楽しみにしていたが・・・。
木枠でカバーされてしまっていました。 -
参拝記念に箸を買いました。
8角形で握り具合も大変いい。
男性用800円、女性用500円でした。 -
お護摩受付所前では、ストリートパフォーマンスをやってました。
ジャグリングは、風が強くて大変そうでした。 -
「薬師殿」。
ガンダーラ様式ですか。
築地本願寺にも、ちと似てる。 -
「薬師殿」は、「旧 自動車交通安全祈祷殿」で、1963年(昭和38年)12月創建。
祈祷殿の中央大塔には法輪が掲げられている。弘法大師、不動明王、般若守護十六善神が奉安されていた。
2006年4月29日、大師河原に新祈祷殿が完成移転し、2008年11月「薬師殿」として落慶。 -
薬師殿の中のトイレを借ります。
右が女子、左が男子ですが・・・。 -
「足元注意」ですが、男子の方はなんかハングルみたいになってる〜(笑)。
-
イチオシ
色彩が美しい。
-
御本尊は、薬師瑠璃光如来で、ご分身のなで薬師が奉祀され、撫でることにより身体健全、病気平癒が祈念できます。
堂内では参拝された折に、写経や彩色仏画(仏さまのぬりえ)に参加できるとか。 -
伽藍配置図です。
広大な寺院ですね。
しかも、結構儲かっている?? -
「信徒会館」。
一階ロビーは涅槃図、成道図などのステンドグラスと噴水が設置されていて、通称「ステンドホール」と呼ばれます。
地下には「大講堂」。300名収容のホール。大日如来像を奉安。
二階、三階は主に信徒接待等に利用される。また、3階には「吉祥殿」という結婚式場があるそうです。
35年前の初詣では大混雑で、とてもこんなにゆっくり参拝できなかった。
本堂で拝むだけ・・・。
でも、今日みたいな普通の日でも結構な人出には驚きでした。 -
「川崎大師」参拝を終え、また少し歩きます。
日向ぼっこしてる猫。
起こしちゃった? -
イチオシ
「大師公園」にやって来ました。
大師公園 公園・植物園
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川崎大師に隣接する公園で、野球場、テニスコート、プール、芝生広場などがあります。
広大です。 -
実は、この公園の一番の見所は、併設された「中国庭園 瀋秀園」だそうですが、今いるところからは公園の反対側で、ずっとウォーキングしてきた身にはちょっときつい。断念しました。
ここは、川崎市と中国・瀋陽市の友好都市提携により設立された国内屈指の中国式庭園とのこと。「アド街」情報では、コスプレイヤーに人気の撮影スポットとなっていて、しばし別世界にトリップできるとか。
今度の機会にしましょう・・・(残念)。瀋秀園 公園・植物園
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「川中島神明神社」にやって来ました。
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京急「川崎大師」駅から中央を通る道(通称:ごりやく通り)をまっすぐ進むと右手にあります。
創建が約670年前という古い神社です。
昭和10(1935)年の600年祭に奉納された鳥居です。川中島神明神社 寺・神社・教会
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創建は建武年間(1334〜1335年)と伝えられます。
日当たりが悪いのか、まだ雪が随分残っています。 -
参拝するのは、一人ずつ(笑)。
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イチオシ
境内にある道祖神には、「歳(さい)の神」と「白衣観音石像」が安置されています。
赤子を抱いた姿の「歳の神」は咳の神様として風邪や百日咳、インフルエンザなどにご利益があると信仰を集めてきました。
お堂に奉納されている麻を首に巻きつけて席の治癒を祈願するとか。 -
狛犬が睨みを効かせます。
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創建が約670年前という古い神社で、これは650年の時の記念碑。
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「境内で犬の散歩は禁止してください」・・・?
川中島商店会様が、誰に頼んでるんだ?
彼らでは手に負えないから?(笑)。
まぁ、こんなのに絡むのは悪趣味ですが、「川中島神社」を後にし、駅に向かいます。 -
喫茶「りんでん」。
ここにありましたか。
テレビ東京「出没!アド街ック天国」2012年1月14日(土)放送された「川崎大師」で取り上げられていたお店。
「参拝後に立ち寄りたいレトロなお店。王道の「ナポリタン」も健在。コーヒーもサイフォンで入れるこだわりようです。実はご主人・?澤五郎さんは川崎区唯一の漁師。釣り上げた魚がお店のメニューに追加されることもある。」と紹介されていました。 -
見えてきました。
京急「川崎大師」駅。 -
川崎大師駅を出ると、お大師さんへの参道があります。
参道には途中から入ったので、参道入口の写真だけ撮っておきます。
厄除け門とあります。 -
ホームです。
川崎大師駅 駅
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京急大師線の川崎行きの電車が来ました。
ここから「京急川崎」まではわずか3駅、5分程です。
でも、歩くと結構あるんですよね。 -
「アトレ川崎」。
何時いくの?
後で〜。
(失礼・・・)アトレ川崎 ショッピングモール
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「川崎駅前タワー リバーク」。
JR川崎駅前にある地上22階の複合ビルで、低層階は飲食店、中上層階はオフィスとなっています。
とはいえ、21Fには「甘太郎」が、22Fには「北海道」が入店していて、夕方ともなるとかなり強烈な客引き合戦を繰り広げています。
また、4階には「川崎市立川崎図書館」が入っています。
平日は、午後7時まで、土曜日・日曜日・祝日は午後5時まで利用できます。
休館日は、第3月曜日と、年末年始(12月29日〜1月4日)です。川崎駅前タワー リバーク 名所・史跡
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JR「川崎」駅の構内に着きました。
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ここは、何時来ても大混雑ですが、特に土日は凄いことになります。
開業1872(明治5)年で、旧国鉄東海道本線の駅からスタートしました。
現在は、「東海道線」「京浜東北線」「南武線」が乗り入れ、一日平均乗車人員は、JR東日本の駅の中で第12位、神奈川県内では横浜駅に次いで第2位だそうです。川崎駅 駅
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西口には「ラゾーナ川崎プラザ」があり、とにかく混みます。
なお、京急は昨年3月に、「京急川崎」駅再開発を発表済み。
「大師線ホーム上空に人工地盤を設置し,駅中央口改札直結の利便性を活かした商業施設を一体的に展開することで,駅を利用される皆様に“便利でちょっといい暮らし”の提供を目指すほか,上層階は,駅直結のビジネスホテル「京急EXイン京急川崎駅前(仮称)」を展開いたします。」とのことで、開業予定は2015年度です。
ますます便利になる川崎地区。楽しみです。 -
今日は、ここから南武線「尻手」駅まで行きます。
我家は、京急線だと「八丁畷」駅ですが、南武線だと「尻手」駅が最寄です。
今日のウォーキング、気が付けば結構歩いていました。トータル15,301歩、距離にして約11?でした。
35年ぶりに行った「川崎大師」はちょっとけばいけど、やっぱり大きいし立派。
「川崎河港水門」も有形文化財とは知らなかった〜。
お大師さん近くには、まだまだ見るところもありそうですので、また出掛けてみたいもんです。
ここまで、お付き合い下さり有難うございました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- キラキラcmさん 2014/02/18 17:26:41
- こんにちは。
- 青空の下、ウォーキング再開ですね。
川崎大師と生麦事件にそんな関係があったとは…。
川崎大師というとくずもちを思い出してしまう。
ソーキそばも美味しそうです。
いつもながらentetsuさんの健脚と詳しい旅行記、さすがです!
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