2014/01/26 - 2014/01/26
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entetsuさん
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週末、暖かくなるという天気予報を聞き、まず、土曜日に「旧東海道川崎宿」周辺をウォーキング。
日曜日の今日、家内は「ジャニーズ某漢字一文字グループ」活動の仲間たちと3人でお泊まりのオフ会中で、彼らが出たドラマのロケ地を回っているみたい。
ランナーズハイならぬ、ウォーカーズハイのような状態にもなって、「今日も歩きたい!」。
どうせやること無いし、連日の旧東海道ウォークやりますか。
コースは、神奈川宿の史跡めぐり。
京浜急行「神奈川新町」をスタートして、「仲木戸」→「神奈川」→「横浜」という約6?のウォーク敢行。
昨日の様子↓
http://4travel.jp/travelogue/10853185
なお、以前にもちょいちょい旧東海道を歩いています。
鶴見市場〜鶴見↓
http://4travel.jp/travelogue/10831490
生麦〜鶴見↓
http://4travel.jp/travelogue/10832388
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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京急本線「神奈川新町」駅からウォーキングをスタートさせてみます。
「神奈川新町」駅ができたのは大正4年で、京浜急行線の駅の中では、比較的古く、開業当時の駅名は新町で、今でも古い人は「新町」と呼びます。昭和2年4月に、現在の駅名となった。神奈川新町駅 駅
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イチオシ
旧東海道ウォーキングの前に立寄るところがありまして、この線路に架かる陸橋です。
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実は、2012年3月に公開され、そこそこヒットした「僕達急行 A列車で行こう」のロケ地の一つなんです。
我々も京急沿線に住んでいるということもあって、観に行きました。
ほのぼのとした、いい映画でした。 -
「僕達急行 A列車で行こう」。
松山ケンイチ、瑛太という二枚看板が主役の映画でした。
「のぞみ地所」の会社員「小町圭」(松山ケンイチ)と、「コダマ鉄工所」で働く「小玉健太」(瑛太)は、「鉄道が好き」という共通の趣味をもつ友人同士。
ふとしたきっかけで出会った二人は早速意気投合し、鉄道趣味に花を咲かせます。
趣味も仕事も順調な二人だが、恋愛となるとどうもうまくいかないという同じ悩みを抱えていた。
そんな折り、圭の元に九州支社への転勤辞令が下り・・・。
趣味、恋愛、友情などを「鉄道ファン」を切り口にほのぼの描かれていました。
共演には、貫地谷しほり、村川絵梨、ピエール瀧、笹野高史、西岡徳馬、伊武雅刀、星野知子、伊東ゆかり、松坂慶子といった実力派。
のぞみ、こまち、こだまなど、鉄道関連の名前連発で笑えました。 -
場所は、「神奈川新町」駅東口を出て、品川方面に少し戻ったところです。
赤いペイントの京急車両。
鉄道ファンでなくとも、いいですねぇ。
もう、ほとんどの会社の電車が、ステンレス剥き出しの車両に変わり、オールペイントは京急ぐらいですもんね。
映画の封切り直後は、多くの人がロケ地巡りしたと思われますが、さすがに2年経ち誰もいません。 -
小町圭(松山ケンイチ)と、小玉健太(瑛太)が語り合ったシーン。
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この手摺に触ってたんだ・・・。
松山ケンイチ、瑛太ファンになり代り、撫で撫でしてきました(笑)。 -
車両をシャンプーする機械も見えます。
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陸橋を元来た方に降りると、神奈川通東公園があります。
なんの変哲もない公園ですが・・・。 -
「オランダ領事館跡」。
ここが今日ウォークする「歴史の道」のスタート地点です。
昭和四十年(一九六五)に移転するまで、ここに長延寺が建っていて、この寺は、開港当時、オランダ領事館にあてられていました。神奈川通東公園 (オランダ領事館跡) 公園・植物園
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神奈川新町駅の東口に戻り、踏切を渡っています。
踏切上から駅ホームを見たところ。 -
「神奈川新町」駅の西口です。
建物は、学校みたい。神奈川新町駅 駅
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「新町検車区」。
もう一回踏切を渡り、左側の遠方を望むと見えます。
京浜急行電鉄の車両基地です。
路線をメンテナンスする黄色い車両も見えます。
京急の工場・車庫は、新町検車区(横浜市神奈川区)、金沢検車区(横浜市金沢区)、車両管理区(横須賀市久里浜)、京急ファインテック久里浜事業所(横須賀市久里浜)の4箇所だそうです。 -
イチオシ
検査は、列車検査と月検査。
また検車区では、車輪旋盤も行っているとか。
ファンにはたまらない光景なんでしょうね。神奈川新町駅 駅
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近くの、浦島公園では、ボーイスカウトのイベント開催中。
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団旗と隊旗。
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弟分のカブスカウト、食事中。
覗いていると、「良かったらパンフレットだけでも」と勧誘?されました。
私も、40年数年前、カブやってました。 -
「笠のぎ稲荷神社 」(かさのぎいなりじんじゃ、「禾」偏に「皇」))。
ボーイスカウトのいた公園を後にし、線路を横断し、旧東海道を横浜方面に進むと、静かな場所にありました。笠のぎ稲荷神社 寺・神社・教会
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天慶年間(938-947)に稲荷山の中腹に創祀、元寇に当たっては北條時宗より神宝を奉納されたという古社です。
元禄2年(1689)山麓に遷座、社前を通行する者の笠が自然に脱げ落ちるということから笠脱稲荷大明神と呼ばれたと伝えられます。 -
社殿です。
明治二年には旧社地が京浜間の鉄道敷設用地に接収されたため現在地に移りました。
大正十二年、大震災により社殿が半壊に及び、昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲には、社殿・神宝類の悉くを焼失する憂目を見たものの、終戦後いち早く仮社殿を再建しました。
昭和五十四年、新形式の社殿の完成を見、十二月一日、遷座祭が厳かに斎行され、平成元年、「御社殿造営十周年記念大祭」を奉仕するに到りました。 -
イチオシ
おきつねさま、睨みを効かせてます。
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正面の建物には、神輿が保管されております。
左は、境内社と板碑があります。 -
「板碑」。
横浜市指定有形文化財。
通称「稲荷山」と称した山の麓に位置していましたが、明治初期に現在地に移されました。
碑の形態は頭部を三角形とし、その下部には二条の深い切り込みが施され、身部は枠線によって長方形に区画されています。身部の上位には阿弥陀如来をあらわす種子「キリーク」を、中位には天蓋を配し、その下位中央には、六字名号「南無阿弥陀仏」の梵字が薬研彫りで力強く刻まれています。
本板碑は阿弥陀を主尊とする板碑ですが、天蓋を配した六字名号と一対の塔を刻した特異な板碑で、本碑に見られるような変形五輪塔を刻す板碑は極めて少なく、中世の墓制を知るうえで貴重な資料です。(横浜市教育委員会掲示より) -
「良泉寺」。
真宗大谷派の寺院で、本願寺第8世蓮如上人に帰依した蓮誉が開基、良念寺4世良念(慶安元年1648年寂)が開山となり創建したといいます。良泉寺 寺・神社・教会
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開港当時、諸外国の領事館に充てられることを快よしとしないこの寺の住職は、本堂の屋根をはがし、修理中であるとの理由を口実にして、幕府の命令を断ったといわれます。
(「神奈川区宿歴史の道」掲示より) -
本堂。
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「能満寺」。
高野山真言宗の寺院で、鎌倉時代の創立とされています。
その由来は、この地の漁師が海中から虚空蔵菩を拾い上げ、これを祀ったと伝えられています。
後で訪れる「神明宮」は、江戸時代には能満寺に所属し ていましたが、明治初めの神仏分離令により分かれました。能満寺 寺・神社・教会
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本堂。
能満寺 寺・神社・教会
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「神明宮」。
神明宮 (東神奈川) 寺・神社・教会
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「神明宮」は、すぐ近くの「能満寺」が創建された正安元年(1299)に創建したと伝えられます。
かつてこの境内を流れていた上無川に、牛頭天皇の御神体が現れ、この神社と洲崎神社に牛頭天皇を祀ったという伝承もあります。神明宮 寺・神社・教会
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神奈川は古い知名ではあり、さまざまな言い伝えがあるそうですが、そのひとつに、水源が確かではない、現在の神奈川小学校東側に存在した「上無川」の「カミナシガワ」を略して「カナガワ」を呼ぶようになったという説が「江戸名所図解」に記されていたそうです。
(なるほど、なるほど。) -
イチオシ
江戸時代と思われる、旧東海道神奈川宿近辺の地図です。
今の国道15号線から南側は、その後埋め立てられましたが、当時はまだ海だった様子が分かります。神奈川宿 名所・史跡
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早咲き梅の花。
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「東光寺」。
真言宗智山派光寺は、太田道灌が小机城を攻略後、平尾内膳が開基となり創建したと伝えられます。 -
このような「神奈川区宿歴史の道」掲示板がスポット毎に掲示されています。
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「熊野神社」に来ました。
熊野神社 (東神奈川) 寺・神社・教会
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東神奈川「熊野神社」は、この後行く「金蔵院」を創建した醍醐三宝院の始祖勝覚僧正が、権現山(幸ヶ谷山上・・・ここも後で行きます)に創建したと伝えられています。
江戸時代中期に当地へ遷座、明治17年には郷社に列格していました。 -
「社殿」。
なかなか立派です。 -
イチオシ
神紋のすっきりとした図案も美しい。
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戦没者慰霊の碑。
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ここには、お神輿が安置されているみたいです。
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「舞殿」。
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舞殿は、職人さんが一部修復中でした。
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「金藏院」。
「熊野神社」の北側にあります。 しかし、江戸時代は東西に並んでいた様子を「神奈川駅中図会」に見ることができます。
この図によると、「金藏院」の境内は今より広く、門の位置も熊野神社と並んでおり、この門まで、街道から参道が延びていたようです。金蔵院 寺・神社・教会
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「金蔵院」は、真言宗智山派の寺院で、醍醐三宝院の始祖勝覚僧正が開基となり平安時代末期に創建したといわれる古刹です。
慶長4年(1599)に徳川家康より寺領10石を拝領、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院でした。金蔵院 寺・神社・教会
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この辺りの旧東海道は、松並木になっており、大変美しい街並みです。
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「神奈川地区センター」。
地域のコミュニティセンターですね。
ちょうどトイレ休憩に立寄りました。 -
図書コーナーです。
体育室、音楽室、プレイルーム、会議室、料理室などがあって、地元区民に解放されています。 -
イチオシ
神奈川地区センター前には、かつて神奈川宿の滝の橋のたもとにあった「高札場」が復元されています。
土台を石で固め、その上を柵で囲んだ内部に数枚の高札が2段に掲げられ、風雨を避けるために屋根が設けられています。高札場 名所・史跡
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「高札場」とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のことです。
神奈川県の東海道では、9つの宿場にそれぞれ1カ所ずつあり、いずれも江戸から京都に向かって街道の右側に設置されていました。
高札場の高さは約3メートルから4メートル、間口は約3メートルから5メートルといったところです。
今でも時々使われる、「〜はご法度だ」という言い方はここからきています。 -
「成佛寺」。
浄土宗の寺院です。成仏寺 寺・神社・教会
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「成佛寺」は、僧覚心(俗称常澄氏、永仁6年1298年寂)が開山となり創建したといいます。
徳川家康入府の際には、寺領10石の朱印状を拝領していましたが、三代将軍家光の上洛に際し、宿泊所の神奈川御殿造営のため寺地が現在地へ移転、寺領は召上げられたといいます。 -
すっきりした寺紋ですね。
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「外国宣教師宿舎跡碑」。
安政6年(1859)の開港当初は、アメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ヘボンは本堂に、ブラウンは庫裡に住んだという。ヘボンはヘボン式ローマ字で知られ、日本最初の和英辞典を完成した。また、ブラウンは聖書や賛美歌の邦訳に尽力した。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より)外国宣教師宿舎跡碑 名所・史跡
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京急線の高架をくぐります。
奥にはJR線の高架が見えます。
両方が一度のカメラに収まらないかな、と思いしばし待ちましたが来ませんでした。 -
高架をくぐりました。
京急線、ぶっ飛ばしてます(笑)。 -
「慶運寺」。
浄土宗の寺院で、室町時代に芝・増上寺第三世音誉聖観によって開かれたとされます。慶運寺 寺・神社・教会
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また、浦島寺とも呼ばれています。
浦島太郎が竜宮城より持ち帰ったという観音像など浦島伝説にちなむ遺品が伝わっています。 -
開港当初は、フランス領事館に使われたそうです。
慶運寺 寺・神社・教会
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「本堂」。
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「浦島観世音堂」。
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しばらく歩くと、「土橋」。
滝の川にかかる小さい橋です。 -
イチオシ
「キンクロハジロ」。
おもちゃみたいなかわいい水鳥ですね。
浮いたり沈んだりしていました。 -
「浄瀧寺」。
日蓮宗の寺院です。浄滝寺 寺・神社・教会
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浄瀧寺は妙湖山と号し、日蓮宗に属す。文応元年(1260)妙湖尼は、当時の政治の中心地であった鎌倉に向かう途中に当地に立ち寄った日蓮聖人と遇った。
法尼は聖人の人格にうたれ、法華経の話を聞いてたちまち弟子となり、自分の庵を法華経の道場とした。
聖人が「立正安国論」著作し、鎌倉幕府に建策した年でもある。
(「神奈川区宿歴史の道」掲示より) -
幕末期の横浜開港時には、イギリス領事館に充てられていました。
どんどん歩いて行きます。浄滝寺 寺・神社・教会
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曹洞宗寺院の「宗興寺」。
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宗興寺は、「神奈川駅中図会」では権現山の麓に描かれている。
開港当時、アメリカ人宣教師で医者であったヘボン博士がここに施療所を開いた。これを記念する石碑が境内にたてられている。
このヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」でよく知られ、日本で最初の和英辞典を完成し、聖書の翻訳なども行った。後に、明治学院を創設するなど、我国の教育にも尽力した人である。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より) -
宗興寺の境内のすぐ脇には、「神奈川の大井戸」と呼ばれる井戸があります。
徳川将軍や明治天皇の通行の際、 その水が使われたといわれています。
この水の量が増えると翌日の天気がよくなるといわれ、街道を通る旅人には、「お天気井戸」とも呼ばれていたそうです。宗興寺 寺・神社・教会
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「幸ケ谷公園」。
小高い丘です。
これが昔の権現山。
2?ほどの公園ですが、結構古い大木も多く、お花見の季節は多くの人で賑わいそうです。 -
なにやらゴルフとゲートボールを併せたようなゲームに興じていました。グラウンドゴルフというようです。
ここからの眺めは綺麗です。 -
「ガーデンセンター横浜」。
サカタのタネの直営店で、花や野菜のタネ・苗、園芸用品などを豊富に取りそろえています。 -
線路が何本もありますが、「本覺寺」が見えます。
結構遠くですが、ここにも後で行きます。 -
京急線「神奈川」駅。
JRと京急が併走しているので、鉄道マニア垂涎の写真も撮れるとか。 -
おぉ、手前には京急が停車中。
奥から、JR東海道線。 -
イチオシ
おぉぉ!
その間に、京浜東北線。
「鉄ちゃん」、とりわけ「撮り鉄」の方の気持ち、解らなくもない・・・(笑)。 -
「幸ケ谷公園」から、線路と反対側に降りてきました。
この通りは、宮前商店街となっていますが、ここも旧東海道。 -
「洲崎大神」。
洲崎大神 寺・神社・教会
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洲崎大神は、建久2年(1191)、源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祀ったことに始まると伝えられています。
洲崎大神 寺・神社・教会
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社殿です。
「江戸名所図会」の様子は、今も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。
神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたり。そこが、かつての船着場である。
横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の警護に当たる陣屋も造られた。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より) -
「甚行寺」。
真宗高田派の寺院です。 -
甚行寺は、意円上人が本山の専修寺14世堯秀を勧請して明暦2年(1656)に創建したといいます。
幕末の開港当時、本堂がフランス公使館に充てられていたといわれています。フランス公使館跡 寺・神社・教会
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大正12年の関東大震災には全ての建物を倒壊焼失し、さらに昭和20年の横浜大空襲にも再度全焼しました。
その後、昭和46年に本堂・客殿を鉄筋コンクリート造で再建し、現在に至っています。 -
「普門寺」。
真言宗智山派の寺院で、鎮海(文治3年1187年寂)が開山となり創建したといいます。
開港当時はイギリス士官の宿舎に充てられたといわれます。イギリス士官宿舎跡 名所・史跡
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さきほど、幸ケ谷公園から見た、京急「神奈川」駅の駅舎です。
小さい。
青木橋という橋がJRと京急の架線上に架かっていて、その脇にあります。 -
横浜駅の西口も見えてきました。
随分歩いたなぁ。 -
青木橋から、架線を見下ろします。
撮り鉄の皆さん、JRの特急や東海道線、京急のコラボ写真撮るんだろうなぁ。 -
「本覺寺」に向かいます。
東海道と神奈川湊を見下ろす交通の要衝にあることから、戦国時代には隣接して権現山城・青木城が造られたそうです。 -
手前の道路は、国道1号線。
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結構な急坂ですわ。
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「本覺寺」。
曹洞宗の寺院で、山号は青木山。
京急本線「神奈川」駅と第二京浜(国道1号線)青木橋交差点のそばの高台にあります。本覚寺 寺・神社・教会
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本覺寺は、千光国師栄西禅師が嘉禄2年(1226年)に創建したと伝えられる古寺です。
雲松院第三世陽廣元吉が、当寺住職となっていた天文元年(1532)曹洞宗に宗旨を改めたといいます。
幕末期の横浜開港時にはアメリカ領事館となっていました。本覚寺 寺・神社・教会
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本覺寺の山門です。
開港当時、アメリカ領事館にあてられたのが、この本覺寺。
神奈川領事だったドーアは、庭の松の枝を払い落し、この木の上に星条旗を掲げたといいます。さらに、この寺の本尊を板囲いで覆い、山門を白ペンキで塗り、日本人の立ち入りを禁じたといわれています。 -
「鐘楼堂」。
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イチオシ
「本堂」。
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ご本尊です。
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墓所には、涅槃像。
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「地蔵堂」。
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本覺寺の参拝を終え、旧東海道ウォークを続けます。
東急東横線の「反町」駅も程近いようです。 -
「大綱金刀比羅神社」の前にきました。
大綱金刀比羅神社 寺・神社・教会
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うーん、ここまで歩いてきて、今更の階段はきついが・・・。
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この神社は、社伝によると平安末期の創立で、今の境内後方の山上にありましたが、その後現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、「大綱金刀比羅神社」となったそうです。
かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入する船乗り達から深く崇められ、大天狗の伝説でも知られています。
江戸時代には、この神社のすぐ脇・街 道を挟んだ両側に、一里塚が置かれていて、日本橋より七つ目の塚でした。 -
社殿です。
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「三宝寺」。
浄土宗の寺院で、嘆誉和尚が開山、弘法大師の作と伝えられる薬師如来立像を本尊としていたが、関東大震災で被害を受け、第二次大戦で焼失したそうです。
現在の本尊は、その後、東京芝の増上寺より遷座したもの。 -
ウォーキングを続けています。
この辺りは、横浜市神奈川区台町という一帯ですが・・・。 -
イチオシ
「田中家」とあります。
聞いたことあるような・・・。割烹 田中家 グルメ・レストラン
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歌川広重(安藤)による「東海道五十三次」の「神奈川・台之景」の図。
海の眺めを楽しむため、台町の坂道沿いにはたくさんの腰掛け茶屋が並んでいました。この絵をじっくり眺めると、坂の上から三軒目に「さくらや」という看板の文字が読めます。
これが、現在の田中家の前身だそうです。 -
(以下田中家HPより)
幕末の頃、文久三年(1863年)に、田中家の初代がそのさくらやを買い取り、「田中家」がスタートしました。
その少し前、安政六年(1859年)に横浜開港が決まり、各国の領事館がつぎつぎとこの近辺に置かれました。また、多くの外国人が商館を構えるなど、横浜はこのあたりを中心に国際都市として発展していきます。初代の晝間弥平衛から現在の五代目女将平塚あけみまで、約150年。関東大震災、横浜大空襲など、たいへんなこともくぐりぬけてきましたが、この間、様々なお客様にごひいきいただき、現在まで続けることができました。かつて神奈川宿に1300軒あった料亭で、田中家ただ一軒が現存しております。
著名な方もたくさんおいでいただいています。
米国総領事ハリス、伊藤博文、西郷隆盛、高杉晋作などが倒幕の計画を練った場所でもあります。夏目漱石の書など、多くの記念の品々が田中家でごらんいただけます。神奈川宿 名所・史跡
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(以下田中家HPより)
幕末の偉人、坂本龍馬の妻おりょうは、龍馬亡きあと、ここで住み込みの仲居として勤めてくれていました。
月琴を奏で、外国語も堪能で、物怖じしないまっすぐな性格が、ことに外国のお客様に評判だったといいます。
横須賀に嫁いでいき、田中家をやめたあとも、ひいき客からいつまでも話題に上ったということです。
龍馬からおりょうにあてた恋文が、今も田中家に残っております。
へぇ、そうだったのか。 -
現在の台町あたりはかつて、神奈川湊を見おろす景勝の地でした。
弥次さん・喜多さんが活躍する『東海道中膝栗毛』にも、「爰は片側に茶店軒をならべ、いずれも座敷二階造、欄干つきの廊下桟などわたして、浪うちぎはの景色いたってよし」とあります。
「おやすみなさいやーせ」……茶店女 の声に引かれ、二人はぶらりと立ち寄っ ています。
鰺の塩焼をさかなに一杯 ひっかけた後、気ままな旅を続けたの でした。 下の図の中に見える「さくらや」が、現 在の料亭田中家のあたりだといわれ ています。この付近の地形は、今でも 旧東海道の面影を残しています。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より) -
田中家の前身は、歌川広重の浮世絵にも描かれていた・・・。
今でこそ埋め立てがすすみ、国道1号と横浜駅を越えて海に出るまで1キロほどありますが、昔は探訪絶景で欄干から釣り糸を垂らせた。
伊藤博文ら明治の元勲や夏目漱石ら文豪も投宿。
日本囲碁界の第一人者、呉清源の対局戦も行われるなど数々の著名人に愛されたようです。
坂本龍馬の妻「おりょう」は、勝海舟の紹介で仲居として働いていたそうです。
「日本の夜明けは近いぜよ」の龍馬は31歳という若さで暗殺死しましたが、「おりょう」はその後再婚し、明治39年(1906年)1月66歳まで生存しています。 -
「神奈川台関門跡碑」。
台町のこの周辺に、神奈川台の関門がありました。 開港後、外国人があいついで殺傷されましたが、その犯人はなかなか捕えられず、イギリス総領事オールコックを初めとする各国の領事たちは、幕府を激しく非難しました。そこで幕府は、横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化しました。
この時、神奈川宿の東西にも関門がつくられ、現在の 関門跡は神奈川宿の西門にあたるそうです。神奈川台関門跡碑 名所・史跡
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そろそろ、ウォーキングも終りです。
横浜は、川崎・鶴見と違い、やや坂が多く、距離の割には足に来ます。
ここから横浜駅に向かいますが、この辺りの地名は「台町」。
文字通り、台の上みたいなところです。
急な階段を、約50?下ります。 -
途中、「かながわ県民センターホール」でトイレ休憩し、ようやく横浜駅西口ロータリーにやって来ました。
「横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ 」です。
ランチブッフェ(大人¥3,300)、ディナーブッフェ(大人¥4,350)が有名ですよね。横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ 宿・ホテル
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ルミネ。
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相鉄ジョイナスと高島屋。
相鉄ジョイナス ショッピングモール
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横浜駅に着きました。
地下に降り、京急線方面に向かいますが、腹も減ってはきました。 -
横浜駅はいつも混んでいて、「人に酔って」しまいます。
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横浜駅東口地下街「ポルタ」に入り、食事でも・・・。
しかし大混雑。
おじさん一人で入れそうな店も少ないが、「博多一風堂」当りで店外に10人ほど行列・・・。
ここでも、「人に酔う」状態。 -
そして・・・。
自分のバリエーション不足にも驚きますが、昨日に続き今日も・・・。
「はなまるうどん」(笑)。
「はなまるうどん 横浜ポルタ店」。
店名書いたからといって、この選択は許されないのでは・・・。
ただ、周りの店は混んでいて、かつ美味くもない店が多い。
ここなら、一定の味の想定が可能(笑)。
苦渋の選択だった(笑)。 -
メニューも変わり映えしない。
かけ・小130円、ちくわ磯辺天110円、おにぎり120円の合計360円。
昨日より40円さらに安い(笑)。
自分でも笑ってしまう昼食でした。 -
京急「横浜」駅です。
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京急線で自宅に帰ります。
ちなみに、この車両「京急800形」といい、「大きな片開き1枚扉」です。
京急線沿線に住んで8年ほどですが、最初は驚きました。
というわけで、連日の「旧東海道ウォーキング」を終わります。
写真の整理が上手く出来ず(捨てられない)、ダラダラと寺社の写真を並べただけで恐縮です。
神奈川宿は、日本橋→品川→川崎と来て3番目の宿。
知らなかったことも一杯あり、それなりに面白かった。
フォートラ読者の方には退屈でしょうが・・・。
うろうろ歩き、結局この日も12000歩、約10?ほどのウォークでした。
平坦な川崎宿付近よりは疲れましたが、それも楽しみの一つですね。
お付き合いくださり、有難うございました。神奈川宿 名所・史跡
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旅行記グループ
旧東海道
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旧東海道「川崎宿」周辺史跡めぐりウォーキングを敢行してみた!
2014/01/25~
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2014/02/01~
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2013/11/16~
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「品川千躰荒神 海雲寺」秋の大祭と、ついでに「品川寺」&「品川神社」参り(出勤前に・・・?)
2013/11/27~
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2014/01/25~
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連日の旧東海道ウォーキング敢行! 今回は、神奈川宿を歩きました。
2014/01/26~
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大田区の「六郷土手」~「雑色(ぞうしき)商店街」をウォーク。旧東海道も少し歩きました。
2014/02/01~
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止まらないウォーカ-ズ・ハイ。大田区の「平和島」~「大森海岸」をウォーク。旧東海道も少し歩きました。
2014/02/02~
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この旅行記へのコメント (1)
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- すーさん 2014/01/30 16:04:30
- 〆が最高です!(笑)
- 連日のウォーキング、お疲れ様でした〜!
日々歩いたり走ったりしてる方は一日でも休むと体が気持ち悪いって言いますが、
entetsuさんもその域ですね!
すんごい階段とか急な坂とか、見ただけで息切れしました。(笑)
もうすぐ姪っ子たちと高尾山へ行くんですが、
行きはよいよい帰りは怖い〜になりそうですワタクシ…。(苦笑)
そして連日のはなまるうどん!!!
entetsuさんの旅行記見てたらうどんが無性に食べたくなりましたー!(爆)
ちくわ天大好きです!!!
うちから歩いていける距離には『はなまるうどん』はなく、
ザルにカビ生えててニュースになった店(名前ど忘れ〜)しかないんですが、
そこはentetsuさん的にどうですか??
ってかそこしか選択肢ないんですけどね。(苦笑)
ではでは、entetsuさんの最新旅行記を読みきったところで
いい加減、自分の旅行記作成に取り掛かろうと思います!^^
韓国や香港ではいよいよ旧正月ですね!
entetsuさん御一家が健康で幸多き年でありますように〜☆
祝☆身體健康 龍馬精神 合家平安 心想事成 萬事如意!!!
すーより
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