2014/11/03 - 2014/11/03
504位(同エリア1539件中)
entetsuさん
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横須賀市と京浜急行共催の「よこすか京急沿線ウォーク」ですが、第3回は「観音崎フェスタウォーク」です。
歴史・文化を楽しめる、観音崎を歩くコースで、晩秋の風を感じながらウォーキングできるとのこと。ゴール地点では「観音崎フェスタ」が開催されているとのことで、それも楽しめそうです。
なお、今年度の「よこすか京急沿線ウォーク」、第1回は5月17日「くりはま花の国ポピーウォーク」、第2回は9月20日「軍港の歴史とドル旅ウォーク」と既に実施済みだそうです。
残るは、第4回1月17日「津久井浜観光農園いちご狩りウォーク」、第5回 2月8日「三浦按針と田浦梅林ウォーク」の予定らしい。
4回目と5回目に参加するかどうかは別として、京急沿線に住みながら横須賀方面のことは殆ど何も知らない・・・。
とりあえず、今回のウォークに全力を傾けましょう(笑)。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ウォークのスタートは、京急「浦賀」駅から徒歩7分という「浦賀行政センター」。
受付時間は、9:00〜11:00だそうです。
なお、参加費は無料。 -
イチオシ
「浦賀」駅には、9:30頃着きました。
京急のスタッフの方が受付場所の説明をしてくれました。実は、京急本線の終点駅。「三崎口」は、久里浜線の終点なんです・・・。 by entetsuさん浦賀駅 駅
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「浦賀」駅を出て真っ直ぐ進み、浦賀警察署を右に曲がります。
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「浦賀行政センター」脇の駐車場が受付です。
簡単に名前を記入し受付終了です。 -
「横須賀市観光ボランティアガイドの会(YOKOSUKA City Guide:YCG)」のガイドと回りたい方〜、という事で・・・。
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お願いしました(笑)。
ただ歩くだけでは勿体ないー。
折角だから、色々教えて貰えると魅力アップですよね。
「よろしくお願いしまーす!」 -
参加者は我々夫婦と、千葉から来ていたご婦人と、なんと函館から来ていたご主人の4人でスタート。
ガイドさんは冨沢さんと仰いました。
ガイドの会の方、「若手のホープ」と言ってました。
確かに、一般的なボランティアガイドさんに比べると若い。
私より少し年上の方でしょうね。
このガイドさん、最高でした。
頭のいい方で、とにかく詳しいし、語り口もソフト。
なお、お顔もハンサムでした(笑)。 -
さて、最初のスポットです。
刻みが浅く見づらいですが、「大衆帰本塚」とあります。
浦賀警察署敷地の脇にあります。
この碑には、近辺の開発の様子や無縁仏の埋葬について記されていて、篆額は大畑春国、碑文と筆跡は中島三郎助によるものです。
この土地が開発される以前の様子を記し、ここで命を落とした先人たちの思いを忘れぬようにとの思いを伝えるものです。
「大畑春国」は、江戸時代後期の国学者、「中島三郎助」は、浦賀奉行所与力だった人。 -
浦賀に関係が深いのは、この「中島 三郎助(なかじま さぶろうすけ)」です。
父の代から浦賀奉行の与力として召抱えられ、嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が浦賀沖に来航=黒船来航 した際に、副奉行と称して浦賀奉行ら重役に代わり、アメリカ側使者の応対を務めました。
実際には、副奉行という役職は存在せず、彼の能力と気概が秀でていたということですね。
なお、与力というのは、奉行を補佐し、行政・司法・警察の任にあたった侍です。
中島三郎助は、ペリーの帰国後、老中・阿部正弘に提出した意見書で軍艦の建造と、蒸気船を含む艦隊の設置を主張し、嘉永7年(1854年)に完成した日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」の製造掛の中心として活躍し、完成後はその副将に任命されます。
安政2年(1855年)、江戸幕府が新設した長崎海軍伝習所に第一期生として入所し、造船学・機関学・航海術を修めます。ここでは、勝海舟と同窓でしたが、不仲であったとも伝わります。
安政5年(1858年)には、築地軍艦操練所教授方出役に任ぜられ、安政6年(1859年)、浦賀の長川を塞き止めて日本初の乾ドックを建設、遣米使節に随行する「咸臨丸」の修理を行ったと伝わります。
その後、慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発すると、榎本武揚らと行動を共にして箱館戦争に至ります。五稜郭への撤退勧告も、新政府軍からの降伏勧告も拒否し明治2年(1869年)、長男の恒太郎・次男の英次郎・腹心の柴田伸助(浦賀組同心)らと共に戦死します。享年49歳でした。 -
イチオシ
京急「浦賀」駅前に、今でもあるこの建物は、住友重機械工業浦賀造船所跡。
浦賀での造船の歴史は、先にも書きましたがペリー来航までさかのぼり、幕府が大船建造禁止令を解いて浦賀造船所を設置、直ちに軍艦の建造を始め、国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造したことに始まります。
また1859年(安政6年)には日本初のドライドックが完成しアメリカへ向かう咸臨丸の整備が行われました。
しかし小栗忠順らにより横須賀港に製鉄所を建設することが決定され(後の横須賀造船所、横須賀海軍工廠)、艦艇建造の中心は横須賀へ移り、浦賀造船所は1876年(明治9年)に閉鎖されます。 -
しかし、中島三郎助の23回忌にあたる1894年(明治27年)に、中島三郎助の意志を継ぎ造船所を再び造ることが決まり、1897年(明治30年)に浦賀船渠が設立されます。レンガ積みのドックで歴史的にも価値のあるものだったそうです。
浦賀船渠は、1969年(昭和44年)、住友機械工業と合併し住友重機械工業浦賀造船所となり、同社は1971年(昭和46年)には追浜造船所(現横須賀造船所)開設します。
2003年(平成15年) 3月12日、浦賀で最後の建造となる護衛艦「たかなみ」竣工の後、3月31日浦賀工場は閉鎖され、現在に至ります。
跡地に残る建物は10年以上経った今も残ったままです。
記念館か何かで復元して欲しい所ですが、住友と横須賀市で色々検討もしてきているようです。 -
浦賀駅近くの街灯です。お洒落です。
いきなりの浦賀ドックの話には驚きました。存在さえ知らなかった・・・。 -
ところで、浦賀奉行所について。
元々、江戸を護るための船舶の監督、貨物検査する奉行所は伊豆の下田におかれていました。
江戸湾内の経済活動の活発化に伴い、相模の国「浦賀」に移転し、江戸湾に入る船舶の監視・積荷の検査・相模や浦賀の民政裁判等を担当しました。
文化年間になると、日本へ外国船が来航するようになり、浦賀奉行の職務に江戸湾の警備が加わることになります。
当時の浦賀は栄え、相模の国では小田原に次ぐ大都市だったそうです。
横須賀はまだ田舎の漁師町に過ぎなかった。
その後、横須賀に製鉄所や造船所、海軍施設、戦後接収され米軍施設が出来て逆転します。
今は、横須賀市の一部になっている浦賀ですが、世が世なら浦賀市というのが存在したかも・・・(笑)。 -
さてここで、京急線トリビア~。
①京急線の本線は、実は「品川」~「浦賀」。
「京急久里浜」や「三崎口」に繋がる路線は久里浜線と呼ぶのだそうです。
大半の快特や特急が「三崎口」行きや「京急久里浜」行きですので、てっきり「浦賀」方面は支線だと思っていました。
②この石積み。
元々は、「三崎口」方面にはここ「浦賀」から延ばす予定だったそうです。
戦後しばらくの間、引込み線があって、この石積みはその名残だそうです。
住民の反対が強く、結局、「三崎口」方面には「堀の内」から延ばすことになりました。
知らなかった・・・(笑)。 -
「浦賀」駅前にあるのは、浦賀小学校。
レトロな感じです。 -
「浦賀」駅の脇の高台の方向に向かいます。
結構きつい坂でした。 -
イチオシ
坂を登りきったら、海が見えました。
正面に見える島は、「猿島(さるしま)」です。
猿島の向こうに見えるのは、追浜のドック(住友重機械工業追浜造船所)です。
左のマンションのような建物は、米海軍横須賀基地の住宅だそうです。
なお、すぐ右側の山の上には防衛大学校があります。来年4月(2015.04)から、入園料を徴収するようになるとのことです by entetsuさん猿島 自然・景勝地
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更にしばらく歩きました。
道路右側、防衛大のある山の麓です。
馬頭観世音菩薩とあります。 -
「蹄の井」の碑。
元暦のむかし、上総の国に凶暴な馬が現れ住みつき村人はこの馬を「荒瀬」と名付け恐れて近寄りませんでした。しかしこの馬がしだいに畑の作物を荒らすので村人が追い払うことを決めました。
馬は、海に飛び込み海を渡って当地に来たとされます。
暴れ馬が、ここで土手を蹴ると水が溢れだし、枯れることが無かったといいいます。馬は、すっかり大人しくなり見事な駿馬に生まれ変わりました。
この馬は源頼朝に献上され、頼朝は大変に慶ばれ、「生づき」と命名したそうです。 -
馬頭観世音があるところに向かいます。
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「蹄の井」というのは、後に名馬になる馬が、蹄で蹴ったことに由来します。
今でも、この泉は湧いています。
また、馬が掘ったということで、「馬堀」という地名はこのことに由来しています。 -
石造りの馬頭観世音菩薩です。
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「蹄の井」のあったところから、少し進むと、「浄林寺」という浄土宗のお寺があります。
馬堀小学校の向い側のお寺です。 -
このお寺のご本尊は阿弥陀三尊で、三浦地蔵尊第29番、三浦薬師第5番の札所でもあります。
境内の入口左手にはお地蔵様が祀られていて、馬頭観音との関わりや馬鈴や蹄鉄が奉納されています。 -
境内にはムクロジという三浦半島では珍しい名木があります。
ムクロジの果実の種子は丸いので羽根つきの羽根玉に、果肉はネバネバしていて、石鹸の代用に使われていたのだそうです。 -
さて、このトンネル。
走水(はしりみず)隧道というらしいですが、今は自動車が通る道路になっていますが、元々は水道だった・・・?
幕末に横須賀には製鉄所が出来、さらに横須賀造船所が出来ます。
フランス人レオンス・ヴェルニー(横須賀の近代化につとめたフランス人技師で、横須賀市汐入町には名前を冠した庭園があることでも知られます)が、横須賀造船所の事業発展に要する水不足を解決するため、この地から湧水を横須賀造船所の用水として、送水する計画を1873(明治6)年に立案します。
この近辺は、走水という地名にもなるように、良質の水が湧き出る地域でした。先ほど見てきた「蹄の井」というのも、この地の水が豊富であったことに他なりません。 -
当時の土管の写真です。
走水から横須賀造船所間の敷設工事は、1874(明治7)年から開始され、1876(明治9)年12月に完成しました。
5インチ土管を使い、中には水漏れを防ぐため漆が塗られていたようです。 -
その、トンネルを通ると海岸に出ました。
馬掘海岸と呼ばれる海岸です。
道路は国道16号線で、横須賀海岸通りとも呼ばれます。 -
横須賀方面に見えるのが、先ほど坂の上からも見えていた「猿島」です。
(株)トライアングルの運行する渡し船で、三笠桟橋からの約10分という立地で、海水浴、バーベキュー、釣り、散策などのレジャーに人気の無人島です。
島内からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土し、また日蓮上人にまつわる伝説なども残ります。
幕末から第二次世界大戦にかけては、東京湾の首都防衛拠点となります。
弘化4年(1847年)には、幕府により国内初の台場が築造され、明治時代に入り陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造されます。
本施設が実戦に使われた実績はないそうですが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積み(フランス積み)が見られるそうです。
敗戦後は、昭和36年(1961年)までの間はアメリカ軍に接収されました。
その後、平成7年(1995年)、横須賀市が大蔵省から管理委託を受けて散策路等を整備し、航路も再開、海水浴場も再開されます。
平成15年(2003年)、横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、「猿島公園」として整備し、現在に至ります。
現在、「猿島公園」の入園は無料ですが、横須賀市では来年(2015年)4月に有料化する方針を決めています。自然環境や歴史遺産を保護するための費用確保と、来園者の意識向上を目的としています。
アンケートを実施して、慎重に決定されたようです。アンケートでは、8割弱が有料化を支持したことから、市は理解を得られると判断し、料金を今後決定していくそうです。
史跡見学をする来園者らの利用を見込み、売店の営業期間を夏季のみから通年にしたり、営業時間を夜間に拡大することなどを検討しているとのこと。
(神奈川新聞)来年4月(2015.04)から、入園料を徴収するようになるとのことです by entetsuさん猿島 自然・景勝地
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馬掘海岸から、走水海岸に移ってきました。
海岸沿いには、横須賀水道局の走水水源地管理センターがありますが、ここは桜の名所としても有名で、普段は立入禁止の施設ですが、毎年桜の開花の時期に合わせて開放されるそうです。 -
走水は、横須賀市水道の始まりの水源地です。
ここの水は、降水後20数年を経て湧き出るといわれ、一日約2,000?、カルシウムなどを多量に含み、美味しいことで有名だそうです。 -
これは貯水施設です。古いレンガ積みで、登録有形文化財(建造物)に登録されています。
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今では人口40万人を超える横須賀市全域をまかなう事はできませんが、今でも一部は実際に供給されているそうです。
昔は、艦船に積まれたここの水は、赤道を越えても腐らなかったといわれています。古くは横須賀市民の飲み水だった。今でも、一般市民に供給されています。 by entetsuさん走水水源地 名所・史跡
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現在も、駐車場敷地内に設置された水栓から、走水水源地から湧き出した水を飲むことができます。平成20年から、給水開始100周年を記念して、一般に開放されているそうです。
この日も、何人もの人が水を汲んでいました。
料理屋さんのような人が、タンクのような容器に大量に入れている人もいました。
ただ、今では上水道に必要な消毒等の処理はしてあるそうです。
(ガイドさん)走水は古くからの名水が湧くところ。横須賀市の水道発祥の地です。 by entetsuさん横須賀水道発祥の地 名所・史跡
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「磯料理・旅館やまに」。
昭和37年創業の旅館兼食事処。
全10室全てがオーシャンビュー。
朝食・夕食付きで一泊12000円程度らしいです。横須賀水道発祥の地の隣にあります by entetsuさん磯料理・旅館 やまに 宿・ホテル
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「ダイヤモンド富士のビューポイント」。
この日は観えませんでしたが、ここから富士山が観えるとのこと。 -
「御所ヶ先」。
小さな岬ですが、日本武尊がここから上総に渡ったといわれ、仮の御所を設け、軍旗を立てたことから「御所ヶ崎」または「旗山崎」と呼ばれたと伝えられています。
かつては弟橘媛を祀る橘神社がありましたが、御所ヶ崎には江戸幕府によって台場が築かれ、明治政府によって軍用地として買収されたときに、橘神社は近くの「走水神社」に移され、合祀されました。 -
走水海岸をしばらく進み、山の方に目をやると、「走水神社」がありました。
時間の関係で立寄りませんでしたが、村民が日本武尊より賜った「冠」を石櫃(いしびつ)に納め、その上に社殿を建て日本武尊を祀ったことが走水神社の始まりだと伝えられています。
弟橘媛が海に身を投げた際に詠んだ歌は、明治43年(1910)に歌碑として走水神社の境内に建碑され、除幕式には東郷平八郎、乃木希典も列席したそうです。「観音崎フェスタ」ウォークで訪れましたが、ゆっくり見学する時間がありませんでした by entetsuさん走水神社 寺・神社・教会
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大分歩きました。
観音崎まであと1?。 -
防衛大学校の海上訓練場です。
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左のほうに並んでいるのは、カッターです。
防大のカッター訓練では、「猿島」の周りを回ってくるそうです。
また、遠泳もほぼ同じコースらしいです。
(ガイドさん) -
「走水隧道」を越えた辺りから国道16号線を歩いてきましたが、この標識に寄ると、ここでお終い。
ここから県道になっているのですが、実は、千葉県の富津市(富津岬)とこの辺り(横須賀市走水・観音崎付近)を直接結ぶ交通機関はないですが、東京湾口道路を建設する構想があって、16号線は環状が完成するという、国交省の見果てぬ夢がある・・・(笑)。 -
歩き進み、道路は観音崎通りという呼び名に変わりました。
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「観音崎京急ホテル」の手前を左に曲がります。
「観音崎ボードウォーク」というのがあるらしい。「観音崎フェスタウォーク」で訪れ、ランチバイキングいただきました by entetsuさん観音崎京急ホテル 宿・ホテル
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東京湾の沖合いに見えるのは、東京湾要塞の一つで、「第一海堡」。
東京湾要塞は、東京を脅かす海からの攻撃に備えるため、明治政府によって1884年より建造開始された東京湾周辺の軍事施設の集合体で、人工島の海堡には砲台と砲台を運用するための設備が備えられ、浦賀水道の沿岸砲台を突破した敵艦艇を海上から砲撃する任務を持っていました。
第二次世界大戦後、連合国軍により要塞無力化のために、現在は中央部が破壊されているそうです。 -
こちらは、第二海堡。
老朽化した第二海堡の護岸が、地震等で崩壊した場合に土砂が隣接する航路まで流出するおそれがあることから、第二海堡では護岸整備工事が行われています。
また、第二海堡には海上保安庁によって灯台が設置されています。
海堡は第三海堡までありましたが、第三海堡は、完成から2年後、関東大震災により崩壊し4.8メートルも沈下し、全体の三分の一が水没してしまったために復旧は困難と判断されて廃止・除籍されました。
その後、海上交通の安全において大きく支障があるとのことで、2000年12月から2007年8月にかけて撤去作業が行われました。 -
対岸のコンビナート群もかすかに見えました。
五井とか富津近辺でしょうか。 -
これが、「観音崎ボードウォーク」。
この木材は、ブラジル原産の広葉樹「イペ」。
比重が重くて、水に浮かないそうです。
以前から、海辺のボードウォークなど公共施設で使われることが多い材料でしたが、最近ではその耐久性が評価され、一般家庭のウッドデッキにも使われるようになりました。ちょうど観音崎京急ホテルの脇から海岸沿いに出来たボードウォークです。 by entetsuさん走水ボードウォーク 公園・植物園
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ボードウォークに打ち上げられているのは、テングサ。
寒天や心太(ところてん)の原料ですね。 -
イチオシ
なかなかいい感じです。
ウォークの右手が、「観音崎京急ホテル」です。「観音崎フェスタウォーク」で訪れ、ランチバイキングいただきました by entetsuさん観音崎京急ホテル 宿・ホテル
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来た方向を見返すと、こんな感じでした。
台風が近いせいか、海は少しうねりがありました。 -
岬が見えてきました。
あれが、観音崎です。
山頂付近にあるのは、「東京湾海上交通センター(東京マーチス)」です。 -
「観音崎フェスタ」会場にやってきました。
観音崎の入口前の広場で行なわれていました。イベントがてんこ盛り!大勢の人出でした。 by entetsuさん観音崎フェスタ 祭り・イベント
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フェスタに合わせて、色んなイベントが併行しています。
このウォークもその一つ。
スタンプラリー、ワンコイン!灯台クルーズ(500円でクルーズ船に乗れる)、ガリバーブーツ投げ大会などなど・・・。イベントがてんこ盛り!大勢の人出でした。 by entetsuさん観音崎フェスタ 祭り・イベント
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「東京湾海上交通センター(東京マーチス)」一般公開も目玉の一つです。
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イチオシ
舞台では地元の高校の吹奏楽部の演奏や、ロッキンアイドルバンド「姫carat」と「LEVEL7」が出演したらしい。
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フェスタ会場から、相当な急坂をエッチラコッチラ歩いて、やっと着いたのが「東京湾海上交通センター(東京マーチス)」。
「観音崎フェスタウォーク」に参加して訪れました by entetsuさん観音崎 (神奈川県) 自然・景勝地
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イチオシ
レーダー、テレビカメラ、VHF無線機、気象観測装置、自動船舶識別装置 (AIS) などを装備し、東京湾を航行する船舶の動静を把握し、安全航行に必要な情報を提供するとともに、航路への入航時刻の調整や、必要に応じて航路の航行制限等を行っている場所です。
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普段は立入禁止ですが、フェスタの特典で一部開放されています。
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この大きく切り出された御影石は、往時の砲台あとの石組みだそうです。
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岬は、先ほどのフェスタ会場から岬全体が「観音崎公園」として整備されています。
山の中で結構きついですが遊歩道が整備されています。
※なお、公園への入園料は無料。
※駐車場312台(5ヶ所)は、平日は無料(一部期間を除く)/土日祝日は有料
だそうです。2014.11「観音崎フェスタウォーク」で訪れました by entetsuさん観音崎公園 公園・植物園
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見えてきました。
「観音崎灯台」です。 -
この辺りの地形に特徴的なのはこの様な地層です。
何れも北から斜めになっていて、走水の名水を生むのもこのような地層があるからこそだそうです。 -
「観音埼灯台」です。
日本最古の洋式灯台。
普段は150円の見学料が必要ですが、この日はフェスタの特典で見学無料でした。現存する灯台は3代目ですが、ここが日本発の洋式灯台発祥の地です by entetsuさん観音埼灯台 名所・史跡
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「観音埼灯台」は、明治元年(1868年)11月1日起工、翌年の2月11日に点灯を開始した、日本で最初の洋式灯台。
これを記念して、11月1日が日本の灯台記念日になっています。
横須賀製鉄所・造船所の責任者だったヴェルニーの指揮のもと完成しました。初代はレンガ造りの四角い建物で、このレンガは横須賀製鉄所で作られたものだったらしい。
しかしこの初代灯台は、関東大震災の前にあった地震で倒壊し、やっと作った2代目は関東大震災で倒壊してしまい、現在の灯台は大正14年(1925年)に完成した3代目です。
今でも現役で、浦賀水道を行き来する船のために灯りを点します。現存する灯台は3代目ですが、ここが日本発の洋式灯台発祥の地です by entetsuさん観音埼灯台 名所・史跡
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明治巳巳年とあります。
「十干十二支」の標記ですが、十干十二支は一回りするのに60年。
明治何年だったかはこれで解るのだそうですが、「昭和」だけは64年間続きましたので、こういう標記では特定できないそうです。
甲子園は「甲子=きのえね」の年に出来たことを指しますよね。 -
夜には灯台が照らす、浦賀水道です。
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イチオシ
白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選に選ばれているそうです。
なんとも凛々しい姿です。 -
「観音埼灯台」を観て、さらに観音崎公園内を歩きます。
この石畳、実は横浜市電で使われていたものだそうです。
1972年(昭和47年)に廃線になった際、こちらに移されたそうです。
色んな歴史が、ぐるぐると繋がって、面白いものですね。
こんなこと、どのガイド誌見ても載ってませんでした。2014.11「観音崎フェスタウォーク」で訪れました by entetsuさん観音崎公園 公園・植物園
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イチオシ
観音崎の見所は、「東京マーチス」「観音崎灯台」、遊歩道や森林などの他に更に興味深いものがあります。
「北門第一砲台」跡にやってきました。
ここに来る前に見てきた、東京湾の人工島の海堡などと共に、広義の東京湾要塞の重要な設備として位置づけられます。
東京湾入口の最挟部である富津岬から観音崎を結ぶ浦賀水道を通る敵艦艇を、陸から砲撃する任務を持っていた施設です。 -
「北門第一砲台」は、日本初の洋式要塞の第一号として築かれた記念すべき砲台です。
説明板によれば、明治13年6月5日着工、明治17年6月27日に完成とあります。
半円形の口径24?砲が二門、扇形に設置されていたのだそうです。 -
二門の砲台は、トンネルによって通じており地下には弾薬庫と兵員室などがありました。
これが砲台を繋いでいたトンネルです。
ガイドさんが指差している辺り、今はコンクリートで埋められていますが、ここで中に入れたようです。 -
横墻(おうしょう) と呼ばれるもので、砲座の防御壁としての役割も担っていたそうです。
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レンガの積み方は、時代を反映して「フランス積み」という積み方です。
富岡製糸場と同じ積み方ですね。 -
イチオシ
今はベンチが置かれていますが、当時はここに24?砲があった・・・。
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分かりづらいですが、古くには階段があった跡です。
観音崎には、他にも砲台があって、行き来に使ったようです。 -
この下(地下)に弾薬庫があったそうです。
なお、東京湾要塞ですので、この様な砲台は房総半島側にもあって、千葉県金谷の鋸山北方の山上に、4つの砲座が並んでいるそうです。 -
北門第1砲台跡の見学を終えて、しばらく歩き、「三軒家砲台跡」というところにやってきました。
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この道路脇の石積みは、当時のままです。
130〜140年経過しています。 -
「三軒家砲台跡」です。
説明板によると、明治27年12月15日着工、明治29年12月20日に完成とあります。
先程の「北門第1砲台」やここ「三軒家砲台」など、観音崎には全部で15の砲台が設置され東京湾に侵入する敵艦艇を攻撃しました。 -
「伝声管」です。
「撃ちかたー、始め!!」で、一斉砲撃開始ですね。 -
「三軒家砲台」跡は原型に近い形で残されているそうです。
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確かに、「北門第1砲台」跡より、地下弾薬庫に入っていくところの様子が分かりやすいです。
ここの階段を下りていく・・・、ということですね。 -
時代が進み、ここのレンガの積み方は、イギリス積みです。
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砲台の見学を終え、見晴らしのいいところに来ました。
手前が「横須賀美術館」、奥が「SPASSO」です。「観音崎フェスタウォーク」で、初めて訪れました。環境自体が既に美術館! by entetsuさん横須賀美術館 美術館・博物館
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こういう位置関係の場所でした。
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「横須賀美術館」にやってきました。
「観音崎フェスタウォーク」で、初めて訪れました。環境自体が既に美術館! by entetsuさん横須賀美術館 美術館・博物館
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「横須賀美術館」は、観音崎の山側から海側のなだらかな斜面に建てられていて、建物の後ろ(山側)と前(海側)いずれにもご覧のような芝生広場があります。
こちらは、「山の広場」。
森に面した芝生の広場で、美術館屋上とつながっていて自由に館内に出入りできます。
家族連れには最高のスポットですね。「観音崎フェスタウォーク」で、初めて訪れました。環境自体が既に美術館! by entetsuさん横須賀美術館 美術館・博物館
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美術館の屋上に当る所を進んでいます。
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「観音崎フェスタ」の特典の一つ、「横須賀美術館」入館無料です。
普段ですと、観覧料は常設展大人310円です。
「観音崎フェスタウォーク」で、初めて訪れました。環境自体が既に美術館! by entetsuさん横須賀美術館 美術館・博物館
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浦賀水道、が見えます。
綺麗ですね。 -
美術館の内部を通り抜けるという訳です。
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無料ということもあってか、館内には大勢の人が居ました。
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館内を通り抜け、「海の広場」にやって来ました。
海に面した芝生広場です。
その一角に、ウォークのゴール地点がありました。
ガイドさんとはここでお別れです。
懇切丁寧な説明には、頭が下がります。
有難うございました。 -
「SPASSO」。
「観音崎京急ホテル」併設の温浴施設です。「観音崎京急ホテル」併設の温浴施設 by entetsuさんSPASSO 温泉
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「観音崎京急ホテル」です。
昼食はここにしましょう。「観音崎フェスタウォーク」で訪れ、ランチバイキングいただきました by entetsuさん観音崎京急ホテル 宿・ホテル
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「浜木綿」というレストランがあるようです。
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イチオシ
ホテル正面にやって来ました。
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「観音崎京急ホテル」は、京急グループの(株)観音崎京急ホテルが運営しているリゾートホテル。
客室は全室オーシャンビューが売りです。
開業は、1985年(昭和60年)7月。
プールや結婚式場を持ち、京急車内で広告をよく見ますが、実は初めて来ました。「観音崎フェスタウォーク」で訪れ、ランチバイキングいただきました by entetsuさん観音崎京急ホテル 宿・ホテル
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レストラン「浜木綿」です。
人気は、よこすか海軍カレーなどのようですが、これも人気の「オーシャンバイキング」@2600円にしました。
特別メニューで、「体を温めるお料理特集」だそうです。 -
ビールで乾杯!!
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「体を温める」がコンセプトですので、ピリ辛系の料理が多い。
取ってきた量も多い(笑)。1Fかと思いきや2Fに位置する、開放感たっぷりのレストラン by entetsuさん浜木綿 グルメ・レストラン
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オーシャンビューです。
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リゾートホテルらしい、開放感溢れる館内ですね。
結婚式や同窓会などのお客さんも見えました。 -
食べてますね・・・。
雰囲気、味ともまずまずでした。
ちょっと、ガヤガヤしていますかね。
うっかりして、ウォーク参加者は10%オフなのに、提示すると割引になるマップ提示を忘れてしまいました(悲)。 -
「横須賀美術館」に戻ってきました。
「海の広場」です。「観音崎フェスタウォーク」で、初めて訪れました。環境自体が既に美術館! by entetsuさん横須賀美術館 美術館・博物館
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この日が最終日の企画展、「おいしいアート展」開催中でした。
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「横須賀美術館」。
横須賀市の市制100周年を記念し、2007年4月28日に開館しました。
美術館HPによると、「環境自体が美術館」とあります。
「敷地は、三方を緑の山に囲まれた谷戸状の地形を持ち、北側が海に向かって大きく開けています。この恵まれた周辺環境と一体化し、環境全体を使って美術館活動が展開されることを最初にイメージしました。また、誰でも気軽に入ることができ、建物の中にいても常にまわりの自然環境を感じることができるような、開放的な美術館を目指しています。」
とのことです。「観音崎フェスタウォーク」で、初めて訪れました。環境自体が既に美術館! by entetsuさん横須賀美術館 美術館・博物館
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小さな自治体でよく集めたという感じで、所蔵作品には青木繁、岸田劉生、小磯良平、平山郁夫、藤島武二、安井曾太郎、萬鉄五郎などがあるようです。
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今日はイベントで入館無料。
入館チケットを無料でいただけました。
企画展「おいしいアート展」の入館料は一般900円ですので、随分奮発したものです(笑)。
企画展「おいしいアート展」は、「食」に因んだ作品が集められ、なかなか楽しめました。セザンヌ、ミレー、藤田嗣治の作品も集められていました。
なお、一部館内の撮影はOKですが、展示作品の撮影は禁止です。 -
企画展を観終わって、常設展に向かっています。
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白を基調とした、綺麗な建物です。
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光もふんだんに入ります。
別館の「谷内六郎館」。
谷内六郎は、横須賀にアトリエを構えた画家で、1956年の「週刊新潮」創刊と同時に表紙絵を担当し、81年の死去まで26年間発表を続けた人です。
恐らく絵をご覧になると、「ああこの絵だね」と思われるかと思います。
古い人は、「週刊新潮は、ただいま発売中です〜」のCMの際によく見た表紙絵です。 -
谷内六郎館は、細長い形の展示室と、中庭をはさんで離れのようになっている四角い展示室とがあります。
ここがその中庭です。 -
空にはトビが舞っていました。
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美術館は、光を上手く取り入れる仕組みになっています。
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今日は約18800歩、約14?歩きました。観音崎など急な坂も多く、川崎辺りの平坦な所を歩いたのと違い、きつかったですね。
「観音崎京急ホテル」前のバス停から、京急バスで京急「横須賀中央」駅までやってきました。
京急線で帰宅します。
お付き合いいただき、有難うございました。「観音崎フェスタウォーク」で観音崎まで歩き、帰路この駅までバスで来て、ここから帰りました by entetsuさん横須賀中央駅 駅
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この旅行記へのコメント (2)
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- ちちぼーさん 2014/11/11 19:05:57
- 京急沿線ウォーク
- entetsuさん、こんにちは。
京急沿線ウォーク参加されたのですね。
昨年は何度か京急沿線ウォークに参加していたのですが
見ていたサイトが更新されなくなってしまい
行きそびれてしまいました。
海の見えない埼玉県に住んでいるので京急沿線ウォークは海が見えて
好きなウォーキングイベントです。
ボランティアガイドと一緒に回れて知らなかったことも学べて
いいですね。
私は、スタートが遅いためか一度もボランティアガイドさんと
一緒に回ったことがないのでうらやましいです。
みんまま
- entetsuさん からの返信 2014/11/12 06:42:38
- RE: 京急沿線ウォーク
- みんままさん、こんにちは。
投票&コメントくださり有難うございます!
みんままさんも「京急沿線ウォーク」に参加されていたんですか?
京急は、ちょこちょこウォークイベントやっていて、自宅が近いこともあって時々参加しますが、横須賀のは初めてでした。
戦艦三笠に行ったことがあるくらいで・・・。
軍港巡りは実際に予定していたこともあったのですが、台風で運休になったりして縁がなかったー。
立冬過ぎました。
風邪などひかないよう、ご自愛ください。
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