2015/02/07 - 2015/02/07
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entetsuさん
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以前参加した「よこすか京急沿線ウォーク」で浦賀を歩きましたが、横須賀市浦賀について調べると東西の叶神社というのがあるらしい。
願いが叶うという叶神社。
今いま、私には願い事はないんですが、まぁ行ってみます。
写真は、「西叶神社」の絵馬。
合格祈願や家内安全など願いは様々、「叶」の文字がくっきり目立ち、ご利益ありそうでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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11月に横須賀市・京急電鉄主催の第3回よこすか京急沿線ウォーク「観音崎フェスタウォーク」に参加し、浦賀の街も少し歩きました。
その後、浦賀について少し調べていたら東西の「叶神社」というのがあって、「浦賀の渡し」というポンポン船で湾を渡って参拝するらしい。
「面白そうだ」ということで、出かけてみました。
電車も考えましたが、結局、自家用車で出掛けることに。 -
首都高横羽線の生麦ICから高速に乗ります。
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横浜環状北線(愛称「きたせん」)建設中です。
第三京浜道路「港北IC」から首都高速道路横浜羽田空港線「生麦JKT」をつないでいます。 -
第三京浜の港北ICから生麦JKTまでは8.2?。
完成すると、便利になりそうです。
完成は、平成28年度の予定です。 -
生麦で高速に乗ってすぐに右側に見えるのが、「キリンビールの横浜工場」。
「キリン横浜ビアビレッジ」として、工場見学(無料)やレストランなどがあります。工場見学した際、無料で試飲もできますよ。
数年前に訪問した際の、旅行記です。
http://4travel.jp/travelogue/10795752キリン横浜ビアビレッジ 名所・史跡
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この日は2月7日の土曜日。
道路は空いていて、9:40頃家を出ましたが、45分程で「西叶神社」に着きました。
本殿に上がっていくすぐ前のところに、参拝者用の駐車場がありました。横須賀市西浦賀にある神社。東浦賀にも同じ名前の神社があって東西の叶神社があります。 by entetsuさん西叶神社 寺・神社・教会
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この日の天気は晴れたり、曇ったり。
本当は、翌日に予定されていた、京急と横須賀市共催の第5回よこすか京急沿線ウォーク「三浦按針と田浦梅林ウォーク」に参加して、梅と水仙を見ようと思っていたのですが、天気予報を見るとどうも天候がおかしい。
それで、同じ横須賀で観光と相成ったという訳です。 -
手水舎でお清めです。
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イチオシ
伊豆国で配流の身だった源頼朝と知遇を得た北面武士出身の僧・文覚が、源氏再興を祈願して、養和元年(1181年)石清水八幡宮を当地勧請し創建されたと伝わります。
平家を滅亡させ、源氏再興成就した頼朝が文治2年(1186年)に「叶大明神」と尊称したとも伝えられます。 -
社殿参拝には、20数段の階段を上がります。
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立派な灯篭です。
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社殿の扁額には「叶大明神」とあります。
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イチオシ
願が「叶う」、叶神社。
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社殿の裏山に行くことの出来る階段を上がってみます。
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社殿の裏山には、文覚畑と呼ばれている所があり、文覚上人の庵室の跡と伝えられているそうですが、これがそうだったかどうかは不明・・・。
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浦賀港が見えました。
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階段が急です。
気をつけて降りねば・・・。 -
横須賀市指定市民文化遺産。
社殿にある彫刻の数々です。 -
現在の社殿は、天保8年(1837年)に焼失し、天保13年(1842年)に再建されたもので、総数230を超えるといわれる彫刻の装飾が施されています。
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作品は、安房(今の千葉県)の彫刻師「後藤利兵衛義光」の作品です。
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義光は、文化12年(1815)安房国千倉の生まれで、江戸の後藤三次郎の門に学び、神社社殿の彫刻や山車、みこしを多く手掛けました。
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義光は、23歳で江戸京橋の宮彫師、後藤三次郎恒俊の門人となりました。
宮彫師となった義光は、最初は主に相模の国で活躍します。彼の名を世に知らしめたのは、今の横須賀市にある西叶神社の再建の際に手がけた向拝、本殿の彫刻という訳です。 -
獅子。
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鱗までしっかり彫られた龍。
爪は3本でした。 -
230体の装飾があるそうです。
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イチオシ
天井に施された「百態の龍」。
義光の同じような作品は、出身地の近く館山市の鶴谷八幡宮でも見られるようです。
なかなかの迫力です。 -
社務所の入口には、白いレリーフが飾られています。
左官職人が、鏝(こて)と漆喰(しっくい)で作り上げた「鏝絵(こてえ)」と呼ばれる装飾で、土蔵などの壁を飾るものでした。
江戸の中ごろに数多く造られ、干鰯問屋(ほしか)と廻船問屋で栄えた浦賀にも、数点の鏝絵が残されているそうです。
「西叶神社」の鏝絵は、「三浦の善吉」として全国的に知られる漆喰細工の名人、石川善吉の昭和5年の作と伝えられています -
船の錨も奉納されていました。
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西叶神社の参拝を終えて、近くのコンビニで飲み物を買って休憩。
浦賀港を眺めるていると、噂の渡し船が渡っているのが見えました。 -
近くにいた人に、「あのポンポン船に乗るには、どこへ行けばいいですか?」と聞くと、「もうちょっと向こう、消防署のほうだよ」と。
浦賀駅行きの京急バスが通っていました。 -
イチオシ
「西叶神社」の一の鳥居前を過ぎます。
車で、神社前に横付けしたのでここには来てなかった〜。 -
ありました。
「渡し船 就航中!」。歴史は江戸時代、浦賀に奉行所があったときに遡るそうです。愛称はポンポン船ですが、今の船は最新式でポンポンとは音をだしません(笑)。 by entetsuさん浦賀の渡し船 乗り物
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少し判りづらいかもしれませんが、浦賀はこのように細く海が食い込んだような地形。
水深は結構深く、天然の良港です。
江戸時代に浦賀奉行が置かれたり、浦賀造船所が設置され軍艦の建造が行なわれたりしたのもこの地形ゆえだったのですね。 -
イチオシ
何とも味わいのある料金表。
大人150円、子供や犬、ベビーカーは50円(笑)。
この渡し船は、ポンポン船の愛称で親しまれ、浦賀のシンボルになっています。 -
渡し船は、港を挟んだ東西の浦賀の町を行き来する人にとって、重要な交通手段。
時刻表はありません(笑)。
就航は朝7:00〜夕方6:00まで。
要注意は、12:00〜13:00休憩・・・。
船がいないとき(対岸にいるとき)は、ボタンを押してくださいとありますが、肉眼で簡単に見えるので、すぐに来てくれます。 -
桟橋は浮き桟橋になっていて、結構揺れていました。
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そうこうしている内に、渡し船がやってきました。
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ポンポン船といいますが、今の船は新式でポンポンという音はしません。
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到着〜。
舳先を同じ角度で造った桟橋の窪みに接岸させて、入港完了。
ピタッと上手いもんです。
ここから、乗り込みます。 -
船に乗っているのは我々夫婦だけ。
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この日は1日晴れたり曇ったりでしたが、この時はちょうど天気も良く、穏やかな浦賀港が綺麗でした。
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この渡し船は、浦賀に奉行所が置かれてまもない享保10年(1725年)頃から始まる長い歴史を持っています。
江戸時代には、船が1艘で船頭さんが2人。
この船頭さんの生活と船の維持管理は、東西浦賀の人々などにとってまさに生活に欠かせないものでした。 -
明治11年(1878年)からは、東西浦賀の17町内会の共同体が維持管理をするようになりました。
この時の運賃は1人1厘5毛で、営業時間は朝6時から夜10時まで、夜間の運賃は倍額と定められました。これが公営交通としての渡船の誕生です。
浦賀町が渡船に関わるのは、それから40年後の大正6年(1917年)のことです。
この頃が渡船の最盛期であり、1日の平均乗船客が1,000人にも達していて、現在の場所から300mほど港の内で、もう1ルートの営業が行われていたのだそうです。
現在の船「愛宕丸」は、平成10年8月9日就航開始。
それまでの木造船から大型化し、強化プラスチック製です。
ちなみに、渡船の航路は「浦賀海道」と名付けられ、全国でも珍しい水上の市道(2073号線)となっています。歴史は江戸時代、浦賀に奉行所があったときに遡るそうです。愛称はポンポン船ですが、今の船は最新式でポンポンとは音をだしません(笑)。 by entetsuさん浦賀の渡し船 乗り物
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渡しの所要時間は、わずか3分。
あっという間に東浦賀に着き、また船は反対側に行ってしまいました。 -
渡し船で着いたのが、浦賀港を挟んで東側。
船を降りて、右の方向に進みます。
案内もありました。 -
イチオシ
ありました。
「東叶神社」。
先程参拝してきた「西叶神社」もこちらも、正式には「叶神社」が正しいのですが、便宜上「東西」を頭に付けて呼ばれるようです。横須賀市東浦賀にある神社 by entetsuさん東叶神社 寺・神社・教会
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浦賀の港を挟んで、東西の叶神社が向かい合っています。
横須賀市東浦賀にある神社 by entetsuさん東叶神社 寺・神社・教会
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社務所の裏にある井戸。
この井戸は曰くがあって、勝海舟が咸臨丸での太平洋横断前に、この井戸で水垢離(みずごり)をした後、この神社裏山(明神山)の山頂で断食をしたと伝えられています。
咸臨丸は、1855年(安政2年)7月、オランダで起工されましたが、2年後幕府が購入。
長崎海軍伝習所の練習艦となりました。
1860年(万延元年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行を乗せた咸臨丸は浦賀港を出航します。
浦賀造船所では、咸臨丸がアメリカへ向かう前に整備が行われたとのことです。 -
階段を上ります。
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立派なソテツがありました。
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それもその筈、源頼朝が源家最高の折り、配流されていた伊豆から移殖して奉納されたものだそうです。
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「東叶神社」は、正保元年(1644年)に「西叶神社」を勧請して創建されたと伝わります。
横須賀市東浦賀にある神社 by entetsuさん東叶神社 寺・神社・教会
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「叶神社」。
なんとも名前がいい〜。
願いが叶うのですから(笑)。横須賀市東浦賀にある神社 by entetsuさん東叶神社 寺・神社・教会
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稲荷社です。
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神社の裏山を明神山と呼び、標高約50?あります。
後北条氏の頃、しばしば房総半島の里見水軍が三浦半島に攻撃をかけてきましたので、それを防ぐために、この明神山に水軍を配置し、浦賀城が築かれたとも言われます。
明神山は、よく保全された自然林で、木々の種類も豊富です。
特にウバメガシの自生は、県内でもこの明神山と城ヶ島だけで、ここが分布の北限とされています。
学術的にも貴重な明神山一帯は、「県指定天然記念物・叶神社の社叢林」となっています。横須賀市東浦賀にある神社 by entetsuさん東叶神社 寺・神社・教会
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神社拝殿の左側から約200段の石段を登りきった山頂の正面にあるのが、奥宮です。
以前は、小さいながら立派な彫刻のある本殿だったらしいですが火災により焼失し、現在の本殿は、創建八百年を記念して昭和56年(1981)に再建されたものだそうです。 -
イチオシ
奥宮の左手に「勝海舟断食之跡」の標柱が立っていました。
横須賀市東浦賀の「東叶神社」裏山にあります by entetsuさん勝海舟断食之跡 名所・史跡
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これは、浦賀ドックで殉職した人の慰霊塔です。
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浦賀での造船の歴史は1853年(嘉永6年)のペリー来航までさかのぼります。
幕府は「大船建造の禁」を解いて浦賀造船所を設置、直ちに軍艦の建造を始めます。アメリカへ向かう咸臨丸の整備が行われたのは、先程お話したとおりです。これには、浦賀奉行所与力の中島三郎助らが大きく関わります。
その後、横須賀港に製鉄所(後の横須賀造船所、横須賀海軍工廠)を建設することが決定され、艦艇建造の中心は横須賀へ移り、浦賀造船所は1876年(明治9年)に閉鎖されます。
しかしながら、中島三郎助の意志を継ぎ、1897年(明治30年)には再び浦賀船渠が設立されます。
浦賀船渠は、戦中戦後も浦賀重工業、住友機械工業と名前を代えながら操業を続けますが、2003年閉鎖されました。
その間、1961年(昭和36年)には、記念艦「三笠」修復工事も請け負いました。
慰霊塔は住友時代のものです。 -
山頂からは、浦賀水道も望めました。
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イチオシ
願が「叶う」、叶神社。
最近は、パワースポットとしても人気が出て、西叶神社の勾玉を、東叶神社のお守り袋に納めて身につけていると、恋愛をはじめさまざまな良縁を結んでいただけるそうです・・・。横須賀市東浦賀にある神社 by entetsuさん東叶神社 寺・神社・教会
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イチオシ
「東叶神社」の参拝を終えて、ちょっと困ったことが・・・。
というのも、このとき時間が11:40位。
東浦賀には寺社がまだ幾つかあるようですが、12:00〜13:00までは渡し船が昼休みになってしまう・・・。
ちょうど参拝前に通りかかった民家にあったイタリアンレストランの看板を思い出し、「ランチにしようか〜」。
それにしても、普通の民家にある看板は凄い(笑)。
オーナーの自宅?親戚?横須賀市東浦賀にある神社 by entetsuさん東叶神社 寺・神社・教会
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で、やってきたのが「ラ・ペントラ」。
イタリアンレストランですね。横須賀市東浦賀にある美味しいイタリアン。 by entetsuさんラ.ペントラ グルメ・レストラン
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ランチメニューというのは特になく、このような一品料理から選んで下さいとのこと。
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このとき、店内には他のお客さんはいなくて(あとから一組のご夫婦がきました)、素朴な感じでいい。
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ワインにも力を入れているようでした。
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イチオシ
やっぱりワインも注文してしまった(笑)。
グラスで各600円です。
2種類注文し、シャルドネと、なんとか・・・。
手前の色の薄い方がシャルドネで、やっぱりこっちの方が美味しかったみたい。 -
家内は、「アサリ・ムール貝・野菜のパスタ」。
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私が注文したのは、カルボナーラ。
絶品でした。
よく生クリームを使うお店もありますが、ここのは本格派で、全卵と牛乳でまったり感を出してるみたいでした。
塩漬豚肉が程よい塩加減。
胡椒も、黒粒胡椒がピリリと効いて、こりゃぁ美味い! -
ムール貝。
新鮮なのか、身がぷりっぷりだったそうです。
時々ムール貝には身がブヨブヨで、ちょっと臭いのきついのもありますが、ここのは全く臭み無し!
いいお店見つけました。 -
店舗の外観です。
明るい窓は開放感いっぱいです。 -
店のすぐ前は、浦賀港。
大きな船が停泊していました。
ランチを終え、もう少し歩きます。 -
「東林寺」。
浄土宗鎮西派の寺院です。 -
本堂です。
ご本尊は「阿弥陀如来」。 -
墓地には、浦賀奉行所与力であった中島三郎助親子の墓があります。
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中島三郎助。
ペリー来航の際、浦賀奉行所の与力でしたがとして、副奉行と称して奉行ら重役に代わり、通詞の堀達之助とともにアメリカ側使者の応対を務めました。
実際には、副奉行という役職は存在しませんが、架空の職位でもって交渉にあたりました。 -
中島は船内の様子や搭載している大砲について詳細に調査して回り、アメリカ側から「がんこで気むずかしい役人であり、何でものぞきまわり、目についたことを根堀り葉堀り調べる好感のもてない男」と酷評されてしまいます。
しかし、こうした好奇心と、中島の持つ技術力が、後に日本最初の洋式軍艦「鳳凰丸」建造に生かされます。
中島三郎助は、ペリーの帰国後、老中・阿部正弘に提出した意見書で軍艦の建造と、蒸気船を含む艦隊の設置を主張し、嘉永7年(1854年)に完成した日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」の製造掛の中心として活躍し、完成後はその副将に任命されます。
安政2年(1855年)、江戸幕府が新設した長崎海軍伝習所に第一期生として入所し、造船学・機関学・航海術を修めます。ここでは、勝海舟と同窓でしたが、不仲であったとも伝わります。
その後、慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発すると、榎本武揚らと行動を共にして箱館戦争に至ります。
五稜郭への撤退勧告も、新政府軍からの降伏勧告も拒否し明治2年(1869年)、長男の恒太郎・次男の英次郎・腹心の柴田伸助(浦賀組同心)らと共に戦死します。享年49歳でした。 -
また、東林寺には、「南無阿弥陀仏」と太く刻まれた石塔があります。
これを建てたのは、浦賀の遊廓の主人で、後に家屋敷や財産すべてを投げ出し、抱えていた遊女を解放し、自らは出家する江戸屋半五郎です。
また、この名号を書いたのは、目黒の祐天寺の6世、祐全和尚です。
「浦賀事跡考」によれば、この碑の脇の空き地で文化6年(1809)6月に雷電為右衛門が来て相撲の興行が行われたことが記されています。 -
階段があって、その前に赤鳥居があります。
ここが、「東耀稲荷」です。 -
お狐さまは、和紙に手書き(笑)。
横須賀市東浦賀にあるお稲荷さんです by entetsuさん東耀稲荷(須賀神社) 寺・神社・教会
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狭い階段を上がると東耀稲荷の社殿です。
創建は、1782年と伝わります。
神社の由来は、隣のお寺の東耀山顕正寺の山号によるもので、古くは顕正寺の境内であったといわれています。 -
恵比寿の飾り瓦。
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大黒天の飾り瓦。
浦賀がいかにも商業の街として繁栄していたことが分かります。 -
ここのお稲荷さんは大きくありませんが、格天井や欄間などの彫刻は見事です。
正面の大棟には、かつて立派な鳳凰の鏝絵(こてえ:西叶神社の社務所にありました)がありましたが、屋根の修理の際、 再現出来る技術者の無いまま今では白いしっくい塗りとなっています。 -
顕正寺(東耀山・日蓮宗一致派)。
この寺の墓地には、横須賀が舞台となった小説「血族」の作者、 直木賞作家の山口瞳の墓があるそうです。
また、境内には浦賀の代表的歌人である西野前知の墓や、江戸時代中期の陽明学者である中根東里の墓、元浦賀奉行所同心である春山弁蔵や、元浦賀奉行所与力の岡田井蔵の墓もあるそうですが、門前のみの参拝でした。 -
乗誓寺(東教山阿弥陀院・浄土真宗本願寺派)。
顕正寺の前の道路をはさんで乗誓寺があります。 -
曽我兄弟の兄の曽我十郎祐成と、 大磯の虎女との間にできた子であるといわれる僧・了源が開創したと伝わります。
他にもいくつかの寺社があるようですが、そろそろ引き上げる事とします。
渡し船乗り場に向かいます。 -
東浦賀の渡し船乗り場のすぐ前に、明らかに旅館っぽい造りの建物がありました。
これが、「徳田屋跡」。横須賀市東浦賀の浦賀の渡し乗り場前にあります by entetsuさん徳田屋跡 名所・史跡
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江戸に入ってくる船舶の監督、貨物検査は元々は伊豆下田に置かれました(下田奉行所)。
享保5年(1720年)には、江戸湾内の経済活動の活発化に伴って浦賀に移転し、浦賀奉行所となります。
浦賀が江戸湾防衛の最前線になると、それまでの商人や文化人に加えて、各藩の武士も浦賀の町を訪れるようになり、親類縁者を頼って宿泊し、各藩でも浦賀の商人と取引のあるところは、 そこを頼りに宿をとりました。
親類も縁者もいない人はどこに泊まったのか?
浦賀は宿場ではなかったので、船乗り以外の旅人を宿泊させることは原則として禁止されていました。 しかし、身元の確かな人(通行手形などを所持している人)は、 村名主のところに頼むと泊まれる家を紹介してくれ、そこに宿泊することが許されました。 浦賀を訪れる人が少ないうちは、この方法で対応できましたが、数が増えてくると対応が困難になりました。
そこで登場したのが、幕府の許可を得た旅籠で、文化8年(1811)3月に、初めて東浦賀に3軒の旅籠が許可されたと伝わります。
代表的な旅籠がここ徳田屋です。
徳田屋には、多くの武士や文化人が宿泊したことがわかっています。
明治の元勲を多く輩出した「松下村塾」の塾頭である吉田松陰は、 その日記に、ペリー来航時の対応策について、徳田屋の主人からの情報をもとにして、師の佐久間象山らと協議したことを残しています。
徳田屋は、大正12年の関東大震災まで存続し、今は、その跡に碑が建っています。 -
渡し船の発着所近くにあったアロエ。
昔はどの家にも植えられていて、怪我・火傷のときは必ずこれを付けてた〜。 -
花をつけるのは、冬だそうです。
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東浦賀の観光と食事を終えて、再び渡し船に乗ります。
歴史は江戸時代、浦賀に奉行所があったときに遡るそうです。愛称はポンポン船ですが、今の船は最新式でポンポンとは音をだしません(笑)。 by entetsuさん浦賀の渡し船 乗り物
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やってきました。
なにせ、片道3分ですから、あっという間です。 -
これに乗ります。
浦賀の観光、なかなか面白かった。
今日歩いたコースは、横須賀市観光情報サイト「ここはヨコスカ」というサイト内の散歩コース「浦賀の旧道を歩く歴史散策(京急久里浜駅〜浦賀駅)」の一部分です。
サイトには、横須賀市の色んなコースや観光スポットが載っています。
興味がある方は一度ご訪問下さい。
http://cocoyoko.net/walking/kurihama-uraga1.html -
西叶神社前の駐車場に停めてあった車に乗り、国道16号線を走っています。
ちょうど、三笠公園の入口付近。
以前、ここに来たときは、間違えて米軍エリアの方に入っていってしまった〜。
間違える人は多いみたいで、米軍兵士さん、笑ってました(笑)。戦艦「三笠」のある公園ですが、今回は入口前車窓からの観光でした by entetsuさん三笠公園 公園・植物園
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その後、「田浦の梅林」へ行こうとしたのですが、ぐるぐる回ったけど近くに駐車場がありません(悲)。
2月8日予定のウォーキングでは、コースに組入れられていたので、もうそろそろ見頃かとも思ったのですが・・・。
結局、高速に乗って自宅に帰ることに。
途中で八景島のシーパラにでも行こうかとも思ったけど、高速走ってるので、めんど臭くて結局どこも行かず・・・。
写真は、横浜ベイブリッジです。久しぶりに通りました by entetsuさん横浜ベイブリッジ 名所・史跡
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「大黒パーキングエリア」で、休憩です。
ここの駐車場、以前、アクアラインが今ほど安くない頃、ゴルフに行く連中がここで集合して、車一台に同乗するなんてことをよくやっていましたね。
そのため、丸々1日車を置きっ放しにするので、係員がパトロールしてるなんてニュースになったりしていました。
最近では、あまり聞きませんが・・・。ホントはベイブリッジが見える高さにあるといいんですが・・・。 by entetsuさん大黒パーキングエリア 道の駅
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3Fの大黒スカイテリアです。
3Fのスカイテリアでお茶しました by entetsuさん大黒パーキングエリア フードコート グルメ・レストラン
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コーヒー・ブレンドが@260円でした。
一休みして、ここから自宅まではものの10〜15分でした。
以上、やや唐突な東西の「叶神社」参拝でした。
しかも、私自身には「願い事」がないという・・・(笑)。
お付き合い下さり有難うございました。
まだまだ、寒いです。
お体ご自愛下さい。
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