2014/09/15 - 2014/09/15
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最終日は、鳥羽・伏見の戦いで、予想外の敗北を重ねつつ、大阪に向かって落ち延びていく幕府軍を偲ぶ淀の辺りに、流れ橋を目玉にした八幡の散策をすることにしました。
ところで、鳥羽・伏見の戦いは、京都に上ろうとした徳川慶喜を警護するためとして慶喜に従った幕府軍を通す通さないのもみあいから起きた戦い。近代兵器にそぐわない陣形や指揮命令系統の乱れもあって緒戦に敗退した幕府軍は、今一つ実力が出し切れないまま淀城まで退却。現職の老中を出していた淀藩にも裏切られ、この辺りで敗北は決定的となったようです。官軍5000人の三倍の兵力を有していた軍勢の戦死者はおびただしく、この辺りの寺には多くの戦死者が運び込まれということです。そして、大阪城に逃げ帰った慶喜は、会津・桑名の両藩主とともに大阪を軍艦で脱出。この敵前逃亡は戦い勃発の僅か3日後のことであり、以降はひたすら天皇への恭順を示すしかない状況に追い込まれてしまうのです。
一方、木津川が、もうすぐ淀川になるという少し手前に、有名な流れ橋というのがあります。今回は淀駅の観光案内所でレンタサイクルがあるというのを知って、それを利用することに。堤防沿いのサイクリングロードのような道をひたすら進んで、かなりの距離でしたが、たくさんの人が通っていて安全だし、開けた風景の中を風を切って走るのはとても痛快でした。
ちなみに、木津川は、八幡市で宇治川、桂川と合流して淀川となります。この辺りは川幅が広く、河川敷は、深い緑で覆われているのですが、そのところどころに畑が作られていて、茶畑がけっこう多い。聞くと、宇治の方と同じく、この辺りもお茶の産地なのだとか。茶畑といえば、山すそを想像してしまいますが、面白いことだと思います。
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散策は、京阪の淀駅から。
で、駅から歩いて数分の與杼神社は、「よどじんじゃ」と読みます。 -
淀城跡の中にあってほとんど淀城跡と一体となったような神社です。鳥居から、途中で屈折する参道を進んだ先が本殿で、その脇を通り過ぎると稲葉神社、淀城跡内へと続きます。
淀の産土神であり、拝殿は江戸時代前期のもの。神社は全体としてはやや地味ですが、これは国の重要文化財となっています。 -
淀城は、淀藩稲葉家が明治を迎えますが、その祖は春日局の夫でもある稲葉正成。その稲葉正成を祀るのが、稲葉神社です。
ちなみに、稲葉正成は秀吉に仕え、その命により、小早川秀秋の家老となります。しかし、結局、関ヶ原の合戦で小早川秀秋は東軍に寝返るわけで、稲葉正成は家康より感状を受けたということですから、その寝返りに一役買った人物だということなのでしょう。 -
淀城跡は、本丸の石垣と堀の一部が残っているだけの小さな城址です。
豊臣秀吉が側室茶々のために築かせた淀城が有名ですが、これはここから離れた別の場所。豊臣秀次の事件に巻き込まれ、廃城となっています。
ちなみに、城主の稲葉氏は、譜代大名。幕末には、老中という立場にあったのですが、鳥羽伏見の戦いで退却してくる幕府軍を迎え入れなかったことは、戦いを決定づけたとも言われていて、ここでも妙な歴史を刻んでしまいます。 -
城主不在の中での決定だっとはいえ、彦根藩も早々と薩長に味方して、幕府軍の京都へ侵入を防いでいたわけですから、もう既に幕府はガタガタだったということではあるんですが。。
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淀城を出て、伊勢向神社は、さらに大阪方面に歩きます。
もともとは、宇治川の中島である浮田の杜にあった神社。和歌の名所だったということですが、淀川の改修工事のため、こちらに移りました。小さな神社なので、こうした由来が分からなければ、見過ごしてしまう神社でしょう。 -
淀の一帯も鳥羽伏見の戦いの激戦地。旧幕府軍は15千。新政府軍の三倍の兵力をだったのですが、最新兵器を活かした新政府軍に散々に打ち破られ、多くの戦死者を出します。
旧幕府軍の戦死者は、この辺りの寺に運び込まれ、淀や伏見周辺の11ヶ所の寺には「戊辰役東軍戦死者碑」が残っています。 -
大専寺もその一つ。碑は、境内入ってすぐのところですが、自分で探すのは難しいと思います。お寺の人に教えてもらいました。
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大専寺から進んで、文相寺。
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ここにも、戊辰役東軍戦死者碑と書かれた小さな石の杭があって、明治維新の扉を開いた歴史の一コマを伝えています。
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ただ、戊辰役東軍戦死者碑でもっと有名なのは
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この長圓寺。
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門前にある碑は、榎本武揚の建てたもの。
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隣りの東運寺。
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ここにも、広い墓地の真ん中に戊辰役東軍戦死者碑がありました。
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喫茶コトブキというより、淀本町商店街にあって、駿河屋という和菓子さんといった方が分かりやすい。喫茶店は、このお菓子屋さんの売り場の奥です。
淀城音戸ロースケーキが看板商品のようですが、これは季節商品。仕方がないので、パイのひとりごとというのをいただきましたが、よく見るとこれって東京で作ったお菓子じゃないですか。あれれ。なんですかあ。仕入れた商品も適度にあるのは仕方ないんですが、観光客にはそんなのは勧めないでほしいです。 -
ただ、奥さんが淀城音戸を踊ってますとおっしゃっていまして、町興しに一役買っているとのこと。なるほどその努力たるやよし。なんといっても淀の名前は有名です。
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淀から八幡市へ移動。
八幡市観光案内所は、京阪八幡市駅を出てすぐ。ここではレンタサイクルをやっていて、今回はそれを利用しました。流れ橋までは5〜6キロもあるので、自転車じゃないととても無理なんですよね。 -
少し離れた場所の駐輪場まで行って自転車を引っ張り出しましたが、自転車はかなりおんぼろ。まあ、無料なので文句は言えませんけど。。
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御幸橋は、木津川と宇治川に架かる二つの橋の総称。この辺りは、木津川、宇治川、桂川の3川の合流地点にほど近く、水害も多かったようで、御幸橋の初代が架けられたのは大正2年のこと。
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二つの橋は全長355mと全長266m。それぞれ長い分、見晴らしも抜群です。ただ、私は自転車で渡りましたが、歩いて渡るとけっこうしんどいかもしれません。
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八幡背割堤公園は、御幸橋の二つの橋の中間地点。
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つまり、宇治川と木津川に挟まれた堤防を利用した公園。全長1.4kmに渡るそうですが、桜の並木が続く遊歩道にはジョギングをしたりする人たちもいて、運動するのはちょうどいい規模なんでしょう。川の中洲とかは危ないイメージがありますが、この堤防はかなりしっかりしたものなので、安心感もあると思います。
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さて、ここから流れ橋に向かいます。
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これって、
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サイクリングロードみたいですね。
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天気もいいです。
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流れ橋は、映画のロケに使われたりした有名な橋なんですが、それこそ大水に流されて。
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橋脚は残ってはいますが、
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イチオシ
基本的には全壊に近い状態でした。
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イチオシ
往時の面影は感じれないことはないのですが、痛々しい姿です。
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再建の計画も特にないようで、残念なことだと思いました。
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周辺の地図を確認して。
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今度は、四季彩館へ。この辺りには、休憩所も何もないところなので、流れ橋に行ったらここに来るしかないでしょうという感じ。
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流れ橋のかつての姿をパネル展示したり、流れても架け替えられてきた歴史も解説しています。
小さなショップと日帰り温泉の施設もありました。 -
伊佐家住宅もすぐそば。ここは江戸時代の庄屋屋敷で、享保19年(1734年)に建てられたという年代が分かったことで国の重要文化財となっています。
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ただ、事前の予約が必要。外で中の様子をうかがっていたら、家のご主人が偶然出てきて、外観だけは見せてもらうことができました。赤い土壁が特徴的です。事前予約は、とにかく、母屋を開けたり閉めたりがとても大変なんだとか。あちこち戸はあるし、重たいんでしょう。なるほどこれは仕方ないかもしれません。
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さらに、流橋焼というのを発見。やっているのかいないのか。ちょっと心配だったのですが、声をかけるとご主人が出てきて、展示室を開けてくれました。
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話を聞くとお茶の販売から始まって、焼き物にまで及んだのだとか。
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お茶は宇治が有名ですが、木津川の河川敷でもお茶畑がたくさんあったでしょうと言われて、なるほどそうでしたと気が付きました。さりげなくこの辺りの文化に触れた気持ちになりました。
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途中の無人販売所で、
いちじくを買って。。 -
松花堂庭園に到着。庭園と美術館はセットなんですが、
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美術館の方は企画展がなくて、庭園の方だけ見ることにしました。松華堂は、寛永の三筆と言われた松花堂昭乗の書画を見なくては意味がないようにも思いますが、前回来た時には見たのでまあ良しとしましょう。
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こちらが庭園の入り口。
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庭園は、
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延べ段から、
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芝生の広場。
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イチオシ
男塚の
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傍らには萩の花も咲いています。
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イチオシ
そして、この先に草庵茶室「松花堂」。
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後で手を入れたものだそうですが、天井の鳳凰の絵も赤の鮮やかさが美しい。
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こちらには、上段の間もあるし、それなりの格式も備わっています。
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松花堂庭園内にある吉兆は、嵐山に本店のある京都吉兆が出しているお店です。
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イチオシ
松華堂弁当というのがありますが、その起源はまさにここ。松華堂昭乗が好んだ四つ切り箱を器にして、煮物、焼き物、お造りを盛りつけたのは、吉兆の創始者なんですね。
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漬物や柔らかい煮物にまで見事な包丁が入っていたりして、
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イチオシ
遊び心も随所にあります。
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本店で食べるのもいいですが、
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イチオシ
ここでちょこっと食べる方が、いろいろ考える余裕があるような。
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料理は、周辺情報も重要。それを合わせて味わうのが楽しいですよね。
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さて、ご飯はお代わりすると、
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こんな風に
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変化をつけて返してくれる。ごま、じゃこ、シソ。それぞれ、おいしいです。
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そして、抹茶のババロアが締めでした。
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松花堂庭園から回ったのは、宝青庵。この辺りでは、松花堂庭園が一番のメジャースポットだし、おまけのつもりだったのですが、
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小さな敷地内は、
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紅葉の下の一面の苔は青々として、見事な美しさ。無料の施設なんですが、きちんと手入れの行き届いた庭の清々しさにちょっと感動しました。
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なお、ここは歌人で劇作家の吉井勇が終戦直後暮らしていたところ。近くの松花堂で、谷崎潤一郎や志賀直哉、梅原龍三郎などと親交を深めていたということです。
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さくら公園は、だらだらと大通りの長い坂を登って行きます。
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一帯は、桜の並木や林。適度な丘陵地形もあって、レクリエーションのメッカといった感じ。バーベキューの道具を持ち込んだ家族連れが何組もいました。
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正法寺は、八幡市駅に帰る通り沿い。この通り沿いには、いくつかの寺がありますが、この寺が一番立派かも。
創建は、建久2年(1191年)。清水八幡宮の社家、志水氏の菩提所です。また、徳川家康の側室お亀の方は志水氏の出身であったため、江戸幕府から朱印状を得たり、羽振りの良さもうかがわれます。月に2回ほど公開日があり、表に貼りだされていました。ただ、入れる範囲で見ても、豪壮さは十分感じれると思います。 -
八角堂は、松花堂の西側すぐなのですが、看板も出ていないし、わき道を入ったところなので、人に聞きながら行ったり来たり。かなり苦労して、探し当てました。
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古墳という小高い山の上に、不釣り合いにでかい赤い建物。屋根は半分壊れてシートが掛けられていました。
堂は、建保年間(1213〜1219年)に建てられたもの。隅切八角形というこの辺り独特の設計建物だそうです。 -
亀屋芳邦では、「しんこ」をいただきました。「しんこ」は、鳥居本の名物なんですが、
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こちらのしんこは大きいですねえ。ニッキのしんこをいただきましたが、けっこうずっしり。わざわざ冷やした麦茶も出していただきありがとうございました。女将さんに観光スポットの場所も教えていただきましたが、とてもきさくです。
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善法律寺は、正嘉元年(1257年)の創建。石清水八幡宮社務であった善法寺宮清が私宅を寺に改めたものだそう。
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室町時代に入り、善法寺通清の娘良子が足利義詮に嫁し、三代将軍義満を生んだことで、室町将軍家との関係が深くなります。
境内は、紅葉寺と言われるだけに、入ってすぐのそこらじゅうが紅葉で埋め尽くされた感じ。拝観料は、本堂だけです。 -
イチオシ
頼風塚は、本当に小さな石塚。ちょっと信じられないくらいの小ささですが、哀しい女郎花の伝説が残っています。
平安時代のこと。小野頼風という人が、京である女性と深い関係となります。やがて、頼風は八幡に帰ってくるのですが、その女性は頼風を忘れられず訪ねてきます。しかし、頼風が他の女と暮らしていることを知り、放生川に身を投げてしまいます。川のほとりで脱ぎ捨てた衣からは女郎花が咲いたというのです。一方で、頼風はその話を聞き、同じように放生川に身を投げて死んでしまいます。
塚は、この二人を哀れんで築かれたものです。 -
本妙寺は、日蓮宗の寺。通りからは、寺の全景が見えて、一見、オープンで穏やかな雰囲気なのですが、寺の歴史を説明する案内板が本堂の前に立っていて、法華宗と浄土宗との宗論で殉教した日門上人のこととか、厳しい事件を伝えています。
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放生川は、貞観年間から続く石清水八幡宮の神事、放生会から。アシが適当に生えて、蛍でもいそうな命の豊かさを感じる川です。また、木製の反り橋、安居橋はこの放生川に架かっていて、この風景は新八幡百景にも詠われているそうです。
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イチオシ
安居橋は、八幡市街の放生川に架かる橋。木製のアーチ橋で、いわゆる「たいこ橋」です。長さ21m、幅4mと、さほどの大きさはないのですが、形が美しく特徴があるので、存在感は際立っています。
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歩いて渡りましたが、楽しいです。
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高良神社は、八幡男山のふもと。下院の境内の一角であり、貞観三年(861年)を始まりとする石清水八幡宮の摂社です。
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少し石段を上がったところにあるのですが、階段を上がって行く正面には神楽殿があって、美しい佇まい。ここはここで独自の雰囲気がありました。
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ところで、今日は、石清水八幡の例大祭の日だったようです。
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子供たちの空手の試合なんかもやっていましたが、
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本殿の
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脇には祭りの小道具が置いてあったり。しかし、今日はこれを見ている余裕はないんです。
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航海記念塔は、石清水八幡宮の下院のすぐ裏手。写真では見ていましたが、現物はとても大きい。高さ6mだそうですが、やはり、石造塔としては日本最大級。想像以上の大きさで、ちょっとびっくりしました。今でも船の関係者が訪れ、航海安全を祈願するそうです。
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石清水八幡宮のある男山(標高143m)は、ロープーウェイで登るのが普通。私も歩いて登ったことはなかったのですが、
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男山の北側山腹にある神應寺まで石段を登ってみました。しかし、ここまででもけっこう脚はがくがく。この調子で山頂まで私にはちょっと無理だなあと改めて思いました。ロープーウェイだとあっという間なんですけどねえ。
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寺は、貞観年間(859-877年)の創建。明治の神仏分離以前は、石清水八幡宮の神宮寺だったそうです。境内や建物はいたって普通の感じ。あまりに長い石段を登って、それなりに期待していたのですが、拍子抜けだったかもしれません。 -
イチオシ
飛行神社とは変わった名前ですが、建物も特異。
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本殿の前の拝殿は、ギリシャ風の柱が並ぶ純洋式スタイルです。
神社は、明治24年に日本で初めて動力つき模型飛行実験に成功したという二宮忠八が創建したもの。境内には、ゼロ戦の機首部分やジェット機のエンジンも展示してあります。 -
らくがき寺は、飛行神社から回りました。大通りから入ったのですが、これは裏手にあたる場所。そちらは荒れ寺みたいな感じだったのですが、表に回ると、庭の手入れもよくできていて、こじんまりとはしているものの美しい佇まいの顔が現れて、そのギャップが新鮮です。
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庭の奥に大黒堂。この壁に自由に願い事を書けるので、らくがき寺と言われるようになったのだそうです。
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後村上天皇行宮跡碑は、らくがき寺の方に場所を教えてもらって、訪ねました。住宅地の中にポツンとありますが、石碑はそれなりに大きなものです。
ちなみに、後村上天皇は南朝の天皇。一時は、北朝方の足利義詮の降伏を受け、吉野からここに移り、南朝方の中心地となりますが、義詮は勢力を盛り返し、天皇は再び吉野に逃れます。後村上天皇が8年、その後即位した長慶天皇が1年、合わせて9年間の行宮でした。なお、ここは国の史跡となっています。 -
エジソン記念碑は、石清水八幡宮の境内。本殿から一段低い場所にある広場の一角です。
エジソンは白熱電球を発明したことでも有名ですが、そのフィラメントには八幡の竹が使われていました。そうした縁から、記念碑は建てられました。ただ、フェンスに囲まれていて、近づくことはできません。
これで、八幡市を切り上げて、京都市内の島原に向かいます。 -
目指したのは輪違屋。ここは、かつての花街島原にあって、創業の元禄年間から今も営業を続ける唯一の置屋です。京の夏の旅キャンペーンで公開しているので、行ってまいりました。というか、受付は3時半までということで、間に合わず大失敗。で、入口の辺りをウロウロしていたら、係の人らしい人がいて、事情を話すと、玄関の方までは入れて見せてくれました。
なるほど、広い土間と上がり座敷の感じは、角屋とそっくりですね。こちらの方が少し小さいかもしれません。玄関に置かれた鞍馬石も立派で、さりげない豪華さですよ〜。
ハイライトは傘の間ですが、それは写真で見せてもらいまして、ちょっと溜飲を下げました。受付は3時半までって早いみたいなんですが、聞くと営業の方の都合があってこんな時間になっているんだそう。やっぱり、現役は違います。 -
三昇堂小倉は、京都駅ビルにもあるようですが、島原大門の近くにあるここが本店です。街歩きの途中に、みたらし団子をいただきました。
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ところが、何んと、このみたらし団子の団子は甘い味付けがしてあるんです。ちょっとやり過ぎかなあと思わないこともないのですが、京都は、そのやり過ぎなところも京都らしさの一つ。うまいとかどうとかいう前に、そのここまでやるかというやり過ぎ感のことを考えてしまいました。
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島原大門のそばにお菓子屋さんが二軒ありまして、もう一軒の菱屋はおせんべいの店。店頭に「うすばね」という名物の超薄型せんべいの写真。
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これはきれいですねえ。もう売り切れということでしたが、試食してくださいと言うことで、ちょっといただきました。薄さは、0.4m。お餅を切って、焼く技術は手仕事のなせるもの。軽い食感がなるほど印象的です。売り切れだったので、金角という厚い方のせんべいをいただきましたが、これも壊れやすさが似てますね。
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島原住吉神社は、かつての花街、島原にある小さな神社。住吉屋太兵衛という個人の住宅に祀られていた住吉大明神が評判を呼んで参詣者が多く、社を建てたのが始まりということです。境内の北の飛び地に大いちょうがあって、ここまで境内だったとのことですが、往時は広い境内を持っていたことが分かりました。
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島原から七条通を京都駅方面に帰る途中にチーズケーキの専門店を発見。まだ出来て間がないような感じなんですが、こういう専門店はどうしても気になります。
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ただ、いただいたのはプリンの方。しかし、この滑らかさはなんでしょう。クリームみたいですねえ。しかし、一方で、プリンの鼻に抜けるような香りがあまりなくて、滑らかな食感だけで押してくる味わい。もしかしたら、これが本物の味なのかもしれません。これまでであったことがないような不思議なプリンでした。
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京都市無形文化遺産展示室は、ヨドバシカメラの建物の一角。無形文化遺産というと漠としていますが、祇園祭関係の展示です。祇園祭の流れや山鉾の紹介などを一通りしているのですが、山鉾ごとにお囃子が違う、その違いを聞けるようになっていて、実際に聞き分けるのはちょっと手ごわいのですが、ここならではの企画かとは思います。
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スパイシーマサラは、京都駅内。自由通路から八条口の方に階段を下りると左わきに陰に隠れるようにお店があります。街歩きで疲れてしまって食欲もないので、カレーにしました。ここのカレーって、野菜や果実の旨味というか甘さがベースにあって、これは子供のころに理想とした、懐かしい味わい。
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いろんなカレーってあるんですが、ここのタイプも外せないジャンルの一つかと思います。
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京都駅八条口に、祭時計広場というのがあるはずなんですが。しかし、駅の人に聞いても誰も分からない。散々探してやっと見つけましたが、広場というか、休憩スペースのような場所。ただ、祭時計は、京都の歳時を時計版にきれいに並べて、それなりの見応えがあるものでした。なるほどといった感じです。
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京都駅八条口をウロウロしていたら、こんなところに志津屋がありました。
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祇園に本店があって、カルネが評判のお店。ここなら、京都の帰りにちょこっと寄れていいですねえ。カルネは大量に置いてあって、売り切れとかもあまり心配しなくていいかも。改めてのカルネは、しっくりとしたうまさ。絶対にお勧めです。
島原は、かなり中途半端でしたが、以上で三日間の旅は終了。お疲れ様でした。
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