2017/05/05 - 2017/05/05
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Wind99さん
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昨日は公共交通機関を使用したので、今日はマイカーで、京都駅周辺をぐるっと巡る。
伏見-長岡京-島原大門-御土居-川合神社-御靈神社一乗寺下り松-崇導神社-比叡山延暦寺・根本中堂
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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秀吉の指月城跡 (旧伏見城)発掘地を探すが、見つからず、閉園した伏見桃山城キャッスルランドの模擬天守を見に行く。
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現在、中の見学はできず、周辺の散歩か、運動公園の利用に限られる。
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月桂冠大倉記念館の広大な壁。
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月桂冠大倉記念館は、伏見の酒作りの歴史がわかり、有料で見学ができる。
9:30からなので、まだ開いていない。 -
伏見十石舟乗り場は、月桂冠大倉記念館のすぐそばの弁天橋下から出ていた。
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水辺は風情があり素敵だ。
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江戸時代に物資を大阪に運んでいた輸送船を観光船にしていて、やや大きな三十石舟もある。
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寺田屋
伏見の船宿で、幕末の寺田屋騒動の地。 -
坂本龍馬も伏見奉行所の捕方に襲われたが、難を逃れた。
傍らには小さな龍馬像があった。 -
伏見三十石船乗り場にも龍馬像。
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高瀬川の京橋に伏見口の戦い激戦地跡の石碑があった。
鳥羽伏見の戦いが始まる前日に戦闘があったという。
このすぐ先には、伏見長州藩邸跡がある。 -
やや北西に移動し、長岡宮跡を探す。
桓武天皇の時代、平城京から794年に遷都された。
大極殿という交差点名と公園名を見つけた。
ここはわずか10年で平安京に移された。その間、桓武天皇の弟の早良親王がある事件で恨みを抱いたまま死亡すると都に変事が多く、そのたたりによるものをされた。
早良親王を死後、崇道天皇として祀り、崇道神社を建てたり鎮魂の儀式が執り行われた。崇道神社はこの後訪問する。 -
洛中に戻って来た。
島原西門碑と島原住吉神社。 -
角屋(すみや)
江戸期の民間の大型宴会場とも言うべき、もてなしの業。
残念ながらP無しで見学できず。 -
東鴻臚館址(ひがしこうろかんあと) 角屋の北
平安時代の外交使節。この館を利用したのは、唐ではなく、渤海国の使節に限られたという。
920年頃には廃止された。 -
角屋もてなしの文化美術館
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島原大門
日本初の幕府公認の遊女街である島原の東入口にあたる大門。
先ほど見た西入口の反対側だ。 -
周囲を塀と堀で囲み、大門を一か所に設ける構成で、江戸の吉原、大阪の新町と同様という。
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やや北上し、京都西陣公共職業安定所の前の道の角に聚楽第址の石碑があった。
この位置だと京都御所の西に隣接することになる。 -
名和児童公園・史跡 一条院跡
南北朝時代の南朝の忠臣として知られる名和長年の戦死の地と伝えられているそうだ。 -
また、この地域一帯は平安時代には一条院御所があった場所で、「源氏物語」ゆかりの表示パネルが設置されていた。
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さらに北上し、御土居史跡公園(鷹峯)で御土居 の1部を見ることができた。
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御土居とは、秀吉によって作られた京都を囲む土塁で、外敵から市内を守る目的であった。
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大宮交通公園の南側近くの大宮御土居も見学できた。
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御靈神社
応仁の乱勃発地の石碑があった。 -
絵馬所に置かれた3基の神輿。
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、863年、平安京の神泉苑で御霊会が催されたのが始まり。
当初御霊会で祭られたのは崇道天皇以下六所御霊であったという。 -
ここは、 崇道天皇の神霊を現今の社地に祀り給ひしを始めとす。とある。
ここも長岡京で想いをはせた早良親王(崇道天皇)と繋がるとは知らなかった。 -
河合神社に方丈庵を見に来た。
下鴨神社の摂末社で、境内の糺の森の中にある。 -
前回下鴨神社に来た時は、河合神社の場所が分からず、断念したのであった。
場所は下鴨神社の南端になる。
以前はこちら側にも駐車場があったが、閉鎖されていた。 -
ここは、美人祈願が出来る「鏡絵馬」が有名と言う。
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日本三大随筆という方丈記の作者である鴨長明は、この下鴨神社の神官の次男として生まれた。
6歳の時に神職につき、50歳で全ての職をやめ、隠遁したという。 -
境内には彼が当時住んでいたという方丈庵が再現されていて、これを見に来たかったのだ。
真中に小さい囲炉裏があり、その脇の一畳ほどのスペースで寝たのであろう。
これは組み立て式で移動の為できる。中の広さは5畳半。
また土台式の構造に柱を立てており、下鴨神社の式年遷宮で、21年ごとに社殿が造替えられる自在な建築様式にヒントを得たと言われる。 -
一乗寺下り松
江戸時代初期、宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説の地。
吉川英治の小説が秀逸で忘れ難い。その為10代の頃に輪行車も来たはずであるが、・・・覚えていない。 -
本武蔵が決闘に向かう途中立ち寄った八大神社の鳥居。
本殿はここからさらに坂を250m上った所。
宮本武蔵が、決闘を前に当社で神頼みをすることを思い立ったが、神仏に頼ろうとした自分の弱さに気づき寸前にやめたという逸話も残る。→悟りの地と言われる。 -
八瀬方面にある崇導神社に来た。
唯一早良親王だけを祭るのはここだけという。 -
ここは、祟りがあると言われる京都1番怖い神社といわれるそうだ。(京都の旅番組で)
またこの山中で、金銅小野毛人墓誌が発見され国宝に指定されている。
小野毛人は小野妹子の子で、48文字が陰刻されている。京都国立博物館に所蔵。 -
比叡山に向かう途中、銀閣寺へ寄ろうとしたが、近所のPに空きが無く断念した。
比叡山登仙台パーキングからの琵琶湖の眺望を望む。
あれは近江大橋かな。 -
比叡山ドライブウェイを進み、東塔地域の第一Pに車を停める。
諸堂めぐりのチケットで入る。
まずは大講堂。 -
鐘楼。
1回鐘を突くのに50円。行列が続く。 -
総本堂の根本中堂。
木々の向こうに大きな屋根が見える。 -
根本中堂の建物は改装中だったが、中は見学できた。、
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戒壇院
この辺りの道はすべて急坂で上り下りが激しい。 -
阿弥陀堂への登り階段。
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東塔と阿弥陀堂。
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東塔。
本来さらに、西塔地域と横川地域をぐるっと廻る予定をしていたが、帰路の渋滞を避けるため、この後帰路について、浜松まで進み、そこで泊まった。
翌朝浜松から東名川崎まで、3時間半で帰宅した。今回はここまで
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