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2023年4月8日(土)午後の2時45分頃、若戸渡船の戸畑渡場に到着。元々はJRの戸畑まで移動してから歩いて来る予定だったのが、西小倉から直接タクシーで来ることになったので、予定時間より少し早く到着。まあ、余分な出費が2210円掛かったが・・・<br /><br />若戸渡船は洞海湾によって隔てられた若松と戸畑を結ぶ航路。市が運営する北九州市営渡船の航路の一つで、市民にはポンポン船の愛称で呼ばれている。ちなみに北九州市営渡船は小倉渡場と藍島・馬島を結ぶ小倉航路も運営している。<br /><br />明治以前から若松の地主による運航が行われていたが、1889年(明治22年)頃から若松村の運航となる。1919年(大正8年)からは若松市と戸畑町の共同運航となり、1936年(昭和11年)以降は若松市と戸畑市の市営となり、ほぼ一貫して自治体による運航がなされている。<br /><br />1962年に若戸大橋が開通する前は、若松地区と戸畑地区を直接結ぶ唯一の交通手段だった。若戸大橋(当初は歩道もあった)の開通で廃止される予定だったが、市民の強い要望により旅客船は存続し、貨物船のみ廃止された。その後、若戸大橋の歩道は廃止され、自家用車を利用しない場合に洞海湾を渡る際のルートの一つとなり、通勤や通学など、若松地区と戸畑地区を結ぶ交通として使われている。<br /><br />戸畑渡場はもちろん戸畑区にある。北九州市を構成する7区の行政区の一つで、北九州市の中央部に位置し、北西部は洞海湾に面し、北東部は響灘・関門海峡に面している。<br /><br />人口は約5.5万人で、北九州市7区で一番少ない。明治の中期までは寒村で、人口も約3000人程度だったが、明治後半に工業化に伴う住宅地開発が進み、1963年の5市合併時には約11万人を記録した。しかし、その後は郊外での持ち家化が進み、減少が続いている。ただし、昼間人口は多く、117%を越えている。<br /><br />面積約16.5平方kmも北九州市7区で一番小さい。JR鹿児島本線の北側、響灘・関門海峡に突き出した部分は日本製鉄八幡製鐵所戸畑地区で占めており、区の面積の約半分を占める。<br /><br />「とばた」という地名は、岬への入口となる門を意味する岬門(くきと)の端を意味する「門端(とはた)」から来ていると云う。奈良時代に記された万葉集で「飛幡(とばた)の浦」として、筑前風土記では「鳥旗(とりはた)」として登場している。「戸畑」と云う文字が登場するのは室町時代、1396年に造られた麻生氏の所領目録に「戸畑浦」と書かれている。<br /><br />江戸時代には福岡藩に属し、戸畑村と称した。漁業と農業が産業で、幕末に福岡藩が砲台を築いたが1867年に取り壊された。<br /><br />1889年(明治22年)の町村制施行により、戸畑村と中原村が合併し戸畑村が発足。1899年(明治32年)に町制施行し戸畑町となる。市制施行は1924年(大正13年)で、1963年の5市合併まで前身の5市で唯一町村制施行以降、合併がなかった。<br /><br />世良公則がボーカルだったツイストのドラマー&amp;リーダーだったふとがね金太(55年生れ)は区内の私立の明治学園小学校・中学校から熊本マリスト学園高校を経て大阪芸術大学へ進み、世良公則と出会う。<br /><br />ものまねの山本高広(75年早生れ)は戸畑中学、戸畑中央高校(現ひびき高校)を卒業。2024パリオリンピック女子シングルス銅メダルの早田ひな(00年生れ)は鞘ヶ谷小学校から中間市の中学校、高校に進んだ。<br /><br />戸畑渡場の上を見上げると真っ赤な若戸大橋が美しい。洞海湾を跨いで若松区と戸畑区を結ぶ橋で、全長2.1km。開通したのは1962年で、建設当時は東洋一の吊橋だった。現在は国の重要文化財に指定されている。当初は北九州市道路公社が管理する有料道路だったが、2018年に無料化され、現在は北九州市を横断する国道199号の一部となっている。<br /><br />私は小学校の修学旅行で歩いて渡ったことがある(下の写真)。その記憶があったので、今回来るにあたっても歩いて渡ろうと思ったのだが、交通量の増加に対応して1977年に歩道は廃止され、1990年に2車線から4車線に拡幅されていた。<br /><br />若戸大橋が跨いでるのは洞海(どうかい)湾。響灘・関門海峡から北九州市のほぼ中央部に東方向に湾入している幅数百m、長さ10kmほどの細長い湾。その名は、元々洞海と書いて「くきのうみ」と呼ばれていたことから来ている。「洞」は古くはの斜面やがけにあるほらあなを示していたらしい。<br /><br />渡場待合室にある券売機で、100円の乗船券を購入して、2時56分発の第十八わかと丸に乗船。2011年1月就航。38総トン、全長16.3m、幅6mで、旅客定員は140人。2000年1月就航。19.0総トン、全長16.0m、幅4.8mで、旅客定員110人のくき丸と交互に運航している。なお、船には旅客だけでなく自転車も載せることもできる。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.32599813822995230&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />3分ほどで若松に到着するが、続く

福岡 北九州 若戸大橋(Wakato Bridge,Kitakyusyu,Fukuoka,Japan)

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2023/04/08 - 2023/04/08

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ちふゆ

ちふゆさん

2023年4月8日(土)午後の2時45分頃、若戸渡船の戸畑渡場に到着。元々はJRの戸畑まで移動してから歩いて来る予定だったのが、西小倉から直接タクシーで来ることになったので、予定時間より少し早く到着。まあ、余分な出費が2210円掛かったが・・・

若戸渡船は洞海湾によって隔てられた若松と戸畑を結ぶ航路。市が運営する北九州市営渡船の航路の一つで、市民にはポンポン船の愛称で呼ばれている。ちなみに北九州市営渡船は小倉渡場と藍島・馬島を結ぶ小倉航路も運営している。

明治以前から若松の地主による運航が行われていたが、1889年(明治22年)頃から若松村の運航となる。1919年(大正8年)からは若松市と戸畑町の共同運航となり、1936年(昭和11年)以降は若松市と戸畑市の市営となり、ほぼ一貫して自治体による運航がなされている。

1962年に若戸大橋が開通する前は、若松地区と戸畑地区を直接結ぶ唯一の交通手段だった。若戸大橋(当初は歩道もあった)の開通で廃止される予定だったが、市民の強い要望により旅客船は存続し、貨物船のみ廃止された。その後、若戸大橋の歩道は廃止され、自家用車を利用しない場合に洞海湾を渡る際のルートの一つとなり、通勤や通学など、若松地区と戸畑地区を結ぶ交通として使われている。

戸畑渡場はもちろん戸畑区にある。北九州市を構成する7区の行政区の一つで、北九州市の中央部に位置し、北西部は洞海湾に面し、北東部は響灘・関門海峡に面している。

人口は約5.5万人で、北九州市7区で一番少ない。明治の中期までは寒村で、人口も約3000人程度だったが、明治後半に工業化に伴う住宅地開発が進み、1963年の5市合併時には約11万人を記録した。しかし、その後は郊外での持ち家化が進み、減少が続いている。ただし、昼間人口は多く、117%を越えている。

面積約16.5平方kmも北九州市7区で一番小さい。JR鹿児島本線の北側、響灘・関門海峡に突き出した部分は日本製鉄八幡製鐵所戸畑地区で占めており、区の面積の約半分を占める。

「とばた」という地名は、岬への入口となる門を意味する岬門(くきと)の端を意味する「門端(とはた)」から来ていると云う。奈良時代に記された万葉集で「飛幡(とばた)の浦」として、筑前風土記では「鳥旗(とりはた)」として登場している。「戸畑」と云う文字が登場するのは室町時代、1396年に造られた麻生氏の所領目録に「戸畑浦」と書かれている。

江戸時代には福岡藩に属し、戸畑村と称した。漁業と農業が産業で、幕末に福岡藩が砲台を築いたが1867年に取り壊された。

1889年(明治22年)の町村制施行により、戸畑村と中原村が合併し戸畑村が発足。1899年(明治32年)に町制施行し戸畑町となる。市制施行は1924年(大正13年)で、1963年の5市合併まで前身の5市で唯一町村制施行以降、合併がなかった。

世良公則がボーカルだったツイストのドラマー&リーダーだったふとがね金太(55年生れ)は区内の私立の明治学園小学校・中学校から熊本マリスト学園高校を経て大阪芸術大学へ進み、世良公則と出会う。

ものまねの山本高広(75年早生れ)は戸畑中学、戸畑中央高校(現ひびき高校)を卒業。2024パリオリンピック女子シングルス銅メダルの早田ひな(00年生れ)は鞘ヶ谷小学校から中間市の中学校、高校に進んだ。

戸畑渡場の上を見上げると真っ赤な若戸大橋が美しい。洞海湾を跨いで若松区と戸畑区を結ぶ橋で、全長2.1km。開通したのは1962年で、建設当時は東洋一の吊橋だった。現在は国の重要文化財に指定されている。当初は北九州市道路公社が管理する有料道路だったが、2018年に無料化され、現在は北九州市を横断する国道199号の一部となっている。

私は小学校の修学旅行で歩いて渡ったことがある(下の写真)。その記憶があったので、今回来るにあたっても歩いて渡ろうと思ったのだが、交通量の増加に対応して1977年に歩道は廃止され、1990年に2車線から4車線に拡幅されていた。

若戸大橋が跨いでるのは洞海(どうかい)湾。響灘・関門海峡から北九州市のほぼ中央部に東方向に湾入している幅数百m、長さ10kmほどの細長い湾。その名は、元々洞海と書いて「くきのうみ」と呼ばれていたことから来ている。「洞」は古くはの斜面やがけにあるほらあなを示していたらしい。

渡場待合室にある券売機で、100円の乗船券を購入して、2時56分発の第十八わかと丸に乗船。2011年1月就航。38総トン、全長16.3m、幅6mで、旅客定員は140人。2000年1月就航。19.0総トン、全長16.0m、幅4.8mで、旅客定員110人のくき丸と交互に運航している。なお、船には旅客だけでなく自転車も載せることもできる。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.32599813822995230&type=1&l=223fe1adec


3分ほどで若松に到着するが、続く

  • 1967年5月 小学校の修学旅行で歩道を渡る私

    1967年5月 小学校の修学旅行で歩道を渡る私

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