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2023年4月9日(日)昼前の11時15分頃、吉野ヶ里歴史公園環壕集落ゾーンの北内郭から中のムラを経て、南内郭へ(下の写真1)。環壕と城柵に囲まれたこのエリアは、吉野ヶ里の集落をはじめ、周りのムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられている。<br /><br />北側の出入口から柵と濠を越えて内部に入ると、まずはすぐ右手に物見やぐら。北内郭にもあったが、文字通り兵士が侵入者を見張っていた櫓。この南内郭にもここ以外に、南西の端と南東の出入口の両側の4ヶ所に物見やぐらが復元されている。<br /><br />上の展望スペースに登れるので、まずは上がって上空から周りを見下ろす。南側を見ると広場の先に他の3か所の物見やぐらが見える。南東出入口両サイドのものには登れない。西側には隣接する倉と市エリアがあり、北の出入口の先には北内郭の主祭殿の屋根が見える。<br /><br />下に降り、北の物見やぐらの西側に復元された王の住まいや「大人」の家、煮炊屋などを回る。王の住まいは柵で囲まれたエリアで、門を抜けて出入りするようになっており、内部には複数の竪穴住居がある。妻や子供の家だと考えられている。「大人」は「たいじん」と読み、リーダー層を意味する。煮炊屋は文字通り、共同の煮炊き場。<br /><br />続いて南側の物見やぐらに登る。北の物見やぐらの右手に復元されている吹き抜けの大きな建物は集会の館(表紙の写真)。王や大人が集まり、様々な協議や会合がおこなわれていたと考えられている。東側には南東出入口と両サイドの物見やぐら、南の柵の先にはこれから行く南のムラが見え、西側のすぐ下には倉と市エリアが見える。<br /><br />南東出入口から出た内郭の南側は「南の守り」と呼ばれるエリアで、内壕や土塁、柵、櫓門がある。櫓門の上には兵士が立ち、下の門を通る人々を見張っていたと考えられている。櫓門の奥には遺跡展示室。遺跡から発見された貴重な資料が展示されている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.33027730063536935&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />そこから西に進むと倉と市(いち)エリア。海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった、吉野ヶ里を支える重要な場所であると考えられている。<br /><br />エリアの中心には市を管理する市楼(しろう)があり、周りを取り引きされた物資などが収められている倉庫群が囲んでいた。また南東部の出入口の近くにはクニの倉や市を管理、守衛する下戸(げこ)たちが暮らす住居や生口(せいこう)と呼ばれる奴隷層の取引や、裁判などが行われていた場所がある。位置の北側には来年の種籾を収める穀物の倉。<br /><br />また、南内郭側には柵で囲まれたクニの大倉と呼ばれるエリアがあり、クニの軍事上、戦略上重要な物資を収められていた特別な倉庫が連なっていた。出入口には櫓門があり、厳重な出入り管理が行われていた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.33027787553531186&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />倉と市エリアのすぐ南には古代ハスとして知られる大賀ハスが植えられたハス池があり、6月から7月に掛けては淡い紅色の一重咲きの大型の花を見ることが出来そうだ。なお、名前の由来は実を発掘した当時、関東学院大学非常勤講師だった植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士。古代ハスは今から2000年以上前のハス。<br /><br /><br />最後に南のムラに進むが、まだ続く

佐賀 吉野ヶ里歴史公園 環壕集落ゾーン中部(Moat-Encircled Village Zone Centrum,Yoshinogari)

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2023/04/09 - 2023/04/09

255位(同エリア259件中)

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ちふゆ

ちふゆさん

2023年4月9日(日)昼前の11時15分頃、吉野ヶ里歴史公園環壕集落ゾーンの北内郭から中のムラを経て、南内郭へ(下の写真1)。環壕と城柵に囲まれたこのエリアは、吉野ヶ里の集落をはじめ、周りのムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられている。

北側の出入口から柵と濠を越えて内部に入ると、まずはすぐ右手に物見やぐら。北内郭にもあったが、文字通り兵士が侵入者を見張っていた櫓。この南内郭にもここ以外に、南西の端と南東の出入口の両側の4ヶ所に物見やぐらが復元されている。

上の展望スペースに登れるので、まずは上がって上空から周りを見下ろす。南側を見ると広場の先に他の3か所の物見やぐらが見える。南東出入口両サイドのものには登れない。西側には隣接する倉と市エリアがあり、北の出入口の先には北内郭の主祭殿の屋根が見える。

下に降り、北の物見やぐらの西側に復元された王の住まいや「大人」の家、煮炊屋などを回る。王の住まいは柵で囲まれたエリアで、門を抜けて出入りするようになっており、内部には複数の竪穴住居がある。妻や子供の家だと考えられている。「大人」は「たいじん」と読み、リーダー層を意味する。煮炊屋は文字通り、共同の煮炊き場。

続いて南側の物見やぐらに登る。北の物見やぐらの右手に復元されている吹き抜けの大きな建物は集会の館(表紙の写真)。王や大人が集まり、様々な協議や会合がおこなわれていたと考えられている。東側には南東出入口と両サイドの物見やぐら、南の柵の先にはこれから行く南のムラが見え、西側のすぐ下には倉と市エリアが見える。

南東出入口から出た内郭の南側は「南の守り」と呼ばれるエリアで、内壕や土塁、柵、櫓門がある。櫓門の上には兵士が立ち、下の門を通る人々を見張っていたと考えられている。櫓門の奥には遺跡展示室。遺跡から発見された貴重な資料が展示されている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.33027730063536935&type=1&l=223fe1adec

そこから西に進むと倉と市(いち)エリア。海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まった、吉野ヶ里を支える重要な場所であると考えられている。

エリアの中心には市を管理する市楼(しろう)があり、周りを取り引きされた物資などが収められている倉庫群が囲んでいた。また南東部の出入口の近くにはクニの倉や市を管理、守衛する下戸(げこ)たちが暮らす住居や生口(せいこう)と呼ばれる奴隷層の取引や、裁判などが行われていた場所がある。位置の北側には来年の種籾を収める穀物の倉。

また、南内郭側には柵で囲まれたクニの大倉と呼ばれるエリアがあり、クニの軍事上、戦略上重要な物資を収められていた特別な倉庫が連なっていた。出入口には櫓門があり、厳重な出入り管理が行われていた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.33027787553531186&type=1&l=223fe1adec

倉と市エリアのすぐ南には古代ハスとして知られる大賀ハスが植えられたハス池があり、6月から7月に掛けては淡い紅色の一重咲きの大型の花を見ることが出来そうだ。なお、名前の由来は実を発掘した当時、関東学院大学非常勤講師だった植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士。古代ハスは今から2000年以上前のハス。


最後に南のムラに進むが、まだ続く

  • 写真1 北側からの南内郭

    写真1 北側からの南内郭

  • 写真2 ハス池

    写真2 ハス池

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