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2023年4月8日(土)朝、広島から18きっぷで小倉に向かう。広島7時52分発の岩国行に乗車。山陽本線の広島から西は徳山までが1897年(明治30年)に開通。翌年に三田尻(現在の防府)まで、1900年(明治33年)に厚狭まで、その翌年に馬関駅(現在の下関)まで延伸された。門司までの全線開通は関門トンネルが開通した1942年(昭和17年)。関西から広島までの区間に比べると少ないが、何回か全線乗車したことはある。<br /><br />で、8時45分に岩国に到着し、下関行に乗り換えの予定だったのだが・・・。前夜、調子に乗って飲み過ぎた。ぐっすり眠り込んでしまい、車掌さんに起こされたらとっくの昔に乗るはずだった1分連絡の下関行電車は出て行った後。<br /><br />そうなった以上、どうしようもない。どうするのが私に取って一番いいかを検討した結果、約1時間遅れの岩国9時44分の電車で西に向かう。あ~あ、この日はトラブルばっかやったなあ~<br /><br />岩国から2つ目の藤生を過ぎると瀬戸内海が大きく広がる(下の写真1)。その先、神代を過ぎた辺りから屋代島が見えて来る(下の写真2)。一般的には周防大島で呼ばれる島。幕末の1866年の第二次長州征討の大島口の戦いで有名な島。<br /><br />個人的な想い出としては1978年の正月に家族でドライブで行ったことがあり、その時私が広島でよく行ってたたこ焼き屋のお姉さん(この島の出身)とバッタリ出逢って驚いたこと。そんなこともあるんだよねえ~<br /><br />電車は下関に向かって進むが、このままでは予定より1時間以上遅れ、この日行こうと思ってたとこを全部カバーするのが難しいし、どうするか悩んで、結論として新山口(旧小郡)で新幹線に乗り換える決断をする。<br /><br />新山口11時42分着(下の写真3)。山陽新幹線の新山口11時58分発こだま843号に乗り換える。改めてになるが、山陽新幹線は新大阪・博多間の起終点駅含む19駅、553.7kmをJR西日本の高速鉄道路線(新幹線)。1435mmの標準軌で全線電化複線。1972年に岡山までが開業し、1975年に全線開通した。<br /><br />こだまは全駅に停車する一番遅いタイプ。8両編成の700系・500系を中心に、早朝・深夜の列車では16両編成のN700系や8両編成のN700系も使用されている。発着時刻は一定でない。<br /><br />その名は1964年の東海道新幹線開通当時から全駅停車タイプに付けられていた名前を継承している。それ以前は東海道本線の東京・大阪間のビジネス特急の名称だった。1958年の新設時に公募した名称の中から選ばれたもので、最多得票ではなかったが、「1日で行って帰ってくることができる」ことから木霊(山彦)を意味する名称となった。<br /><br />急遽、在来線から新幹線に乗り換ええることになった新山口駅は2003年10月までは小郡駅だった。1900年(明治33年)に山陽本線が三田尻(現在の防府)から厚狭まで延伸された際に開業。駅名は当時小郡村(1901年に町制施行)にあったことに由来している。<br /><br />2003年に「のぞみ」停車と引き換えに新山口駅に改称。その時には平成の大合併による旧小郡町と山口市の合併が具体化しており、2005年には小郡町は山口市他と合併して山口市になった。ちなみに山口駅はこの駅から島根県の益田駅とを結ぶ山口線の7駅先にある。また、山陽本線に並行して海岸線を宇部まで進む宇部線も新山口駅から出ている。<br /><br />12時33分、寝過ごさなければ在来線で着いてた時間に5分遅れて小倉に到着(下の写真4)。寝てた所為で岩国で1時間ロスしたが、3280円で5分遅れに戻した。まあ、大人の解決かな。学生時代には無理だったよな、こういう対策は。<br /><br />小倉駅は政令指定都市、北九州市最大の駅で、九州地方で博多駅に次ぐ第二のターミナル駅。JR九州内の利用者数は博多駅に次ぐ。本州と九州の接点として九州の玄関口の機能を有し、山陽新幹線を含む全ての旅客列車が停車する。在来線においても九州の主要幹線である鹿児島本線が走る他、東九州の各都市を結ぶ日豊本線の起点でもあり、多くの列車が始発・終着するターミナル駅。<br /><br />1891年(明治24年)に九州鉄道(初代)の駅として開業。当初は現在の西小倉駅付近にあったが、2度の移転を経て現在の位置となった。1975年に山陽新幹線が開業しその停車駅となる。1998年には現在の駅ビルである小倉ターミナルビル(アミュプラザ小倉・JR九州ステーションホテル小倉)が完成、同時に小倉南区とを結ぶ北九州モノレールも乗り入れた。<br /><br />地上14階・地下3階の駅ビル内にあり、2階に在来線ホーム、4階に新幹線ホームとモノレールホーム、3階にコンコースと改札口がある。コンコースの南側は3・4階が吹き抜けで、その空間にモノレールが入り込んでいる。南北それぞれの出口からペデストリアンデッキを張り巡らせ駅周辺の主要施設と連絡している。<br /><br />在来線は島式ホーム4面8線、新幹線は島式ホーム2面4線を有する。改札口はいずれも3階にあり、在来線は1階にも改札口がある。在来線と新幹線の乗換改札口も設けられている。<br /><br />新幹線駅は高架駅、在来線駅は盛土式半高架構造の駅として建設され、さらにその上空へ橋上駅舎および駅ビル・モノレール高架駅を併設し、公共連絡通路(自由通路)でこれら施設を連結する複合構造となっている。<br /><br />小倉駅が正面玄関になる北九州市は政令指定都市で、福岡市に次ぐ九州地方第2位の都市。関門海峡に面した九州地方最北端の都市で、九州地方の玄関口として栄えた歴史を持ち、かつての四大工業地帯であった北九州工業地帯の中核を担っている。<br /><br />北九州都市圏を形成する他、関門海峡を挟んで隣接する山口県下関市などとともに関門都市圏も形成する。また、福岡市とともに北九州・福岡大都市圏を形成しており、都市圏の経済規模においては三大都市圏に次ぐ。<br /><br />北九州市には私は電車での通過を除くと4回来ている。最初は半世紀以上前の小学校6年5月の修学旅行。下関側から関門トンネルの人道で九州に初上陸。その後は和布刈公園から戸畑に移動し、若戸大橋を歩いて渡り、高塔山に登った。ちなみにその夜は山口の湯田温泉泊りだった。<br /><br />2回目は2003年の10月。福岡への出張終了後に黒崎に泊って、ドイツの駐在時に一緒だった皆さんの中で福岡にいたメンバーと久々の再会を楽しんだ翌日、夕方に北九州空港から羽田に戻る(当時は東京に単身赴任中だった)前に、門司港を観光した(下の写真5)。巌流島にも渡った。<br /><br />後の2回は観光ではなく、大阪南港と門司港間を結ぶ名門大洋フェリー利用。最初は大阪からで、2009年の5月。到着後は小倉駅から新幹線で福岡に移動し、福岡ドームや博多の森競技場に行った。<br /><br />今回の前、最後に来たのは2011年の3月。18きっぷで山陰を回り、最後に下関の壇ノ浦跡などを回ってから小倉駅に出、門司港から名門大洋フェリーで大阪に戻った。フェリーの旅は車じゃなくてもゆっくり出来て、よく寝られるしいいと思う。<br /><br />人口は約90.5万人で、福岡県では現在も福岡市に次ぎ、全国でも13番目に多い。合併当時の人口は100万人を越えており、1979年に福岡市に抜かれるまでは九州地方最多の人口を誇る都市だった。北九州市がその年をピークとして減少しているのに対し、現在の福岡市は150万人を越えており、その差は大きく広がっている。<br /><br />日本の都市でかつて百万都市から陥落した例は、第二次大戦中に京都市、名古屋市、神戸市、横浜市が100万人を割り込んだが、戦後に過去の人口を上回るまで回復したため、北九州市が唯一となっている。<br /><br />合併前は八幡・小倉両市の比率がやや高く、合併により旧五市の均衡発展を目指したが、1988年の小倉都心と黒崎副都心の北九州市ルネッサンス構想により2極集中となり、さらに黒崎地区の商業機能低下により小倉一極集中型へと変化しつつある。<br /><br />面積は492.5平方kmで、福岡県の60市町村で一番大きく、県域の約1割を占める。九州の北東端に位置し、市の北側は日本海の響灘に、東側は瀬戸内海の周防灘に面し、関門海峡を挟んで本州の下関市とは最も幅が狭い早鞆瀬戸において約650mの距離で向かい合う。<br /><br />令制国においては、現在の八幡東区の半分以東は豊前国、以西が筑前国で、別の国だった。古墳時代の大化元年(645年)に今の和布刈神社付近に「文字ガ関」が置かれ、これが門司の地名由来となった。古代に九州地方を統括していた大宰府への第一の関所の位置付けだった。<br /><br />平安時代末の1185年の源平の壇ノ浦の戦いの際、現在のJR門司駅周辺には、源平合戦に際して安徳天皇がこの地に住んでいたことから「大里(だいり←内裏)」の地名が残る。また、小倉南区の「隠蓑」の地名は、壇ノ浦で入水したと見せかけ源氏の追っ手を逃れていた安徳天皇が、藁の中に身を隠されていたという伝承に因んでいる。<br /><br />幕末の1866年の第二次長州征伐では、小倉戦争(小倉口の戦い)の場となった。明治になり、1871年(明治4年)の廃藩置県で豊前国は小倉県に、筑前国は福岡県となったが、1876年(明治9年)の府県合併により、小倉県は分割されて大半の地域が福岡県と合併した。それ以降、北九州市全域は福岡県となった。<br /><br />1889年(明治22年)の市制・町村制施行により、それぞれが町制を敷き、大正時代に門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市が成立した。1963年にその5市が対等合併して北九州市が誕生、三大都市圏を除く地域では初の政令指定都市に移行した。<br /><br />北九州市の名は、全国から公募を行い、公募案から北九州市、西京市、北九市、昭和市、豊市、関門市、豊栄市、九州門市、九州市の9案に絞り込み、北九州五市合併協議会が公募2位だった北九州市に決定した。<br /><br />当初は旧5市にほぼ対応した5区だったが、1974年に小倉区が小倉北区と小倉南区に、八幡区が八幡西区と八幡東区にそれぞれ分割され、7区制へ移行した。<br /><br />港湾と鉄道が一体となった国際貿易港と鈴木商店による食品工業が集積する門司、軍事産業が集積し小倉城の城下町としての伝統をもつ小倉、かつて日本最大の石炭の集積基地であった若松港や若松駅を擁する若松、官営八幡製鉄所が操業する鉄鋼の街である八幡、紡績や石炭関連産業と水産基地の戸畑と、バラエティに富んだ市となっている。<br /><br />現在は主力だった鉄鋼業の衰退など重厚長大産業からサービス産業への転換も進みつつある。また、公害克服の歴史から北九州エコタウンなどのエコビジネスやリサイクル施設も集積しており、北九州市は「環境首都」を標榜している。<br /><br />さらに、市の活性化のために北九州市役所が北九州フィルム・コミッションを立ち上げ、積極的に映画やテレビのロケの誘致、撮影の協力も行なっているなど、産業の多様化を進めている。<br /><br />今回訪れる区以外の北九州市に関連する著名人の一部を挙げる。八幡西区関係者が多い。ソフトバンクの孫正義(57年生れ)は佐賀県鳥栖市生れで、その後相生町に移り、引野小学校から引野中学に進んだが、福岡市に転居した。<br /><br />「居眠り磐音」や「吉原裏同心」など多くの時代劇シリーズを出している作家の佐伯泰英(42年生れ)は折尾高校を卒業している。平野啓一郎(75年生れ)は愛知県蒲郡市生まれだが、2歳から18歳まで八幡西区で育ち、明治学園中学校から東筑高校を経て京都大学に進んだ。1995年に「ガラスの麒麟」で日本推理作家協会賞を受賞した加納朋子(66年生れ)は八幡中央高校から神奈川の文教大学女子短期大学部に進んだ。<br /><br />2014年に亡くなった高倉健(31年生れ)は中間市生れで、本城小学校に転校し、疎開で池田小学校に編入、東筑高校まで八幡西区で育つ。テレビドラマの相棒でお馴染みの川原和久(61年生れ)は熊西中学から八幡南高校を経て日本大学藝術学部に進んだ。同い年の光石研(61年生れ)は黒崎小学校、黒崎中学から宗像市の東海大付属第五高校に進んだ。<br /><br />野間口徹(73年生れ)は犬丸中学から福岡市の北筑高校に進んだ。鈴木浩介(74年生れ)は浅川中学校から福岡市の西南学院高校に進んだ。<br /><br />女優の板谷由夏(75年生れ)は父親の仕事の都合で幼い頃から頻繁に引っ越していたが、小6から八幡西区に定住、引野中学校、九州国際大学付属高校から福岡市の福岡女学院大学短期大学部へ進んだ。<br /><br />現役メジャーリーガーの今永昇太(93年生れ)は永犬丸西小学校、永犬丸中学、北筑高校から駒澤大学へ進んだ。サッカー元代表の永井謙佑(89年生れ)は8歳の時にブラジルから帰国し、医生ヶ丘小学校、浅川中学から九州国際大付属高校を経て福岡大学に進んだ。女子バレーボールで一世を風靡した横山樹理(55年早生れ)は香月中学から福岡市の博多女子商業高校に進んだ。いや、懐かしいわ。<br /><br />門司区出身ではロンドン五輪で銅メダルを獲得した時のセッター、竹下佳江(78年生れ)。萩ヶ丘小学校、戸ノ上中学から大牟田の不知火女子高校(現誠修高校)に進んだ。サラリーマン時代に会社の講演会でお話聞いたことある。<br /><br />お笑いロバートの秋山竜次(78年生れ)は田野浦小学校、早鞆中学から門司北高校を卒業。同じくロバートの馬場裕之は幼稚園から高校までの同級生。<br /><br />最後は小倉南区。俳優の草刈正雄(52年生れ)は行橋市で生まれたが小倉で育つ。中島小学校、白銀中学から小倉西高校に進んだが、高2の時に東京に移り、モデルデビューした。都立青山高校卒業。<br /><br />モノマネの原口あきまさ(75年生れ)は南丘小学校、守恒中学から常磐高校へ進んだ。サッカー元代表の平山相太(85年生れ)は田原小学校、田原中学から長崎の国見高校に進んだ。<br /><br />福岡県については以前に書いた。<br />https://4travel.jp/travelogue/11875277<br /><br /><br />モノレールで旦過市場へ移動するが、続く

福岡 北九州 小倉へ(To Kokura,Kitakyushu,Fukuoka,Japan)

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2023/04/08 - 2023/04/08

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ちふゆ

ちふゆさん

2023年4月8日(土)朝、広島から18きっぷで小倉に向かう。広島7時52分発の岩国行に乗車。山陽本線の広島から西は徳山までが1897年(明治30年)に開通。翌年に三田尻(現在の防府)まで、1900年(明治33年)に厚狭まで、その翌年に馬関駅(現在の下関)まで延伸された。門司までの全線開通は関門トンネルが開通した1942年(昭和17年)。関西から広島までの区間に比べると少ないが、何回か全線乗車したことはある。

で、8時45分に岩国に到着し、下関行に乗り換えの予定だったのだが・・・。前夜、調子に乗って飲み過ぎた。ぐっすり眠り込んでしまい、車掌さんに起こされたらとっくの昔に乗るはずだった1分連絡の下関行電車は出て行った後。

そうなった以上、どうしようもない。どうするのが私に取って一番いいかを検討した結果、約1時間遅れの岩国9時44分の電車で西に向かう。あ~あ、この日はトラブルばっかやったなあ~

岩国から2つ目の藤生を過ぎると瀬戸内海が大きく広がる(下の写真1)。その先、神代を過ぎた辺りから屋代島が見えて来る(下の写真2)。一般的には周防大島で呼ばれる島。幕末の1866年の第二次長州征討の大島口の戦いで有名な島。

個人的な想い出としては1978年の正月に家族でドライブで行ったことがあり、その時私が広島でよく行ってたたこ焼き屋のお姉さん(この島の出身)とバッタリ出逢って驚いたこと。そんなこともあるんだよねえ~

電車は下関に向かって進むが、このままでは予定より1時間以上遅れ、この日行こうと思ってたとこを全部カバーするのが難しいし、どうするか悩んで、結論として新山口(旧小郡)で新幹線に乗り換える決断をする。

新山口11時42分着(下の写真3)。山陽新幹線の新山口11時58分発こだま843号に乗り換える。改めてになるが、山陽新幹線は新大阪・博多間の起終点駅含む19駅、553.7kmをJR西日本の高速鉄道路線(新幹線)。1435mmの標準軌で全線電化複線。1972年に岡山までが開業し、1975年に全線開通した。

こだまは全駅に停車する一番遅いタイプ。8両編成の700系・500系を中心に、早朝・深夜の列車では16両編成のN700系や8両編成のN700系も使用されている。発着時刻は一定でない。

その名は1964年の東海道新幹線開通当時から全駅停車タイプに付けられていた名前を継承している。それ以前は東海道本線の東京・大阪間のビジネス特急の名称だった。1958年の新設時に公募した名称の中から選ばれたもので、最多得票ではなかったが、「1日で行って帰ってくることができる」ことから木霊(山彦)を意味する名称となった。

急遽、在来線から新幹線に乗り換ええることになった新山口駅は2003年10月までは小郡駅だった。1900年(明治33年)に山陽本線が三田尻(現在の防府)から厚狭まで延伸された際に開業。駅名は当時小郡村(1901年に町制施行)にあったことに由来している。

2003年に「のぞみ」停車と引き換えに新山口駅に改称。その時には平成の大合併による旧小郡町と山口市の合併が具体化しており、2005年には小郡町は山口市他と合併して山口市になった。ちなみに山口駅はこの駅から島根県の益田駅とを結ぶ山口線の7駅先にある。また、山陽本線に並行して海岸線を宇部まで進む宇部線も新山口駅から出ている。

12時33分、寝過ごさなければ在来線で着いてた時間に5分遅れて小倉に到着(下の写真4)。寝てた所為で岩国で1時間ロスしたが、3280円で5分遅れに戻した。まあ、大人の解決かな。学生時代には無理だったよな、こういう対策は。

小倉駅は政令指定都市、北九州市最大の駅で、九州地方で博多駅に次ぐ第二のターミナル駅。JR九州内の利用者数は博多駅に次ぐ。本州と九州の接点として九州の玄関口の機能を有し、山陽新幹線を含む全ての旅客列車が停車する。在来線においても九州の主要幹線である鹿児島本線が走る他、東九州の各都市を結ぶ日豊本線の起点でもあり、多くの列車が始発・終着するターミナル駅。

1891年(明治24年)に九州鉄道(初代)の駅として開業。当初は現在の西小倉駅付近にあったが、2度の移転を経て現在の位置となった。1975年に山陽新幹線が開業しその停車駅となる。1998年には現在の駅ビルである小倉ターミナルビル(アミュプラザ小倉・JR九州ステーションホテル小倉)が完成、同時に小倉南区とを結ぶ北九州モノレールも乗り入れた。

地上14階・地下3階の駅ビル内にあり、2階に在来線ホーム、4階に新幹線ホームとモノレールホーム、3階にコンコースと改札口がある。コンコースの南側は3・4階が吹き抜けで、その空間にモノレールが入り込んでいる。南北それぞれの出口からペデストリアンデッキを張り巡らせ駅周辺の主要施設と連絡している。

在来線は島式ホーム4面8線、新幹線は島式ホーム2面4線を有する。改札口はいずれも3階にあり、在来線は1階にも改札口がある。在来線と新幹線の乗換改札口も設けられている。

新幹線駅は高架駅、在来線駅は盛土式半高架構造の駅として建設され、さらにその上空へ橋上駅舎および駅ビル・モノレール高架駅を併設し、公共連絡通路(自由通路)でこれら施設を連結する複合構造となっている。

小倉駅が正面玄関になる北九州市は政令指定都市で、福岡市に次ぐ九州地方第2位の都市。関門海峡に面した九州地方最北端の都市で、九州地方の玄関口として栄えた歴史を持ち、かつての四大工業地帯であった北九州工業地帯の中核を担っている。

北九州都市圏を形成する他、関門海峡を挟んで隣接する山口県下関市などとともに関門都市圏も形成する。また、福岡市とともに北九州・福岡大都市圏を形成しており、都市圏の経済規模においては三大都市圏に次ぐ。

北九州市には私は電車での通過を除くと4回来ている。最初は半世紀以上前の小学校6年5月の修学旅行。下関側から関門トンネルの人道で九州に初上陸。その後は和布刈公園から戸畑に移動し、若戸大橋を歩いて渡り、高塔山に登った。ちなみにその夜は山口の湯田温泉泊りだった。

2回目は2003年の10月。福岡への出張終了後に黒崎に泊って、ドイツの駐在時に一緒だった皆さんの中で福岡にいたメンバーと久々の再会を楽しんだ翌日、夕方に北九州空港から羽田に戻る(当時は東京に単身赴任中だった)前に、門司港を観光した(下の写真5)。巌流島にも渡った。

後の2回は観光ではなく、大阪南港と門司港間を結ぶ名門大洋フェリー利用。最初は大阪からで、2009年の5月。到着後は小倉駅から新幹線で福岡に移動し、福岡ドームや博多の森競技場に行った。

今回の前、最後に来たのは2011年の3月。18きっぷで山陰を回り、最後に下関の壇ノ浦跡などを回ってから小倉駅に出、門司港から名門大洋フェリーで大阪に戻った。フェリーの旅は車じゃなくてもゆっくり出来て、よく寝られるしいいと思う。

人口は約90.5万人で、福岡県では現在も福岡市に次ぎ、全国でも13番目に多い。合併当時の人口は100万人を越えており、1979年に福岡市に抜かれるまでは九州地方最多の人口を誇る都市だった。北九州市がその年をピークとして減少しているのに対し、現在の福岡市は150万人を越えており、その差は大きく広がっている。

日本の都市でかつて百万都市から陥落した例は、第二次大戦中に京都市、名古屋市、神戸市、横浜市が100万人を割り込んだが、戦後に過去の人口を上回るまで回復したため、北九州市が唯一となっている。

合併前は八幡・小倉両市の比率がやや高く、合併により旧五市の均衡発展を目指したが、1988年の小倉都心と黒崎副都心の北九州市ルネッサンス構想により2極集中となり、さらに黒崎地区の商業機能低下により小倉一極集中型へと変化しつつある。

面積は492.5平方kmで、福岡県の60市町村で一番大きく、県域の約1割を占める。九州の北東端に位置し、市の北側は日本海の響灘に、東側は瀬戸内海の周防灘に面し、関門海峡を挟んで本州の下関市とは最も幅が狭い早鞆瀬戸において約650mの距離で向かい合う。

令制国においては、現在の八幡東区の半分以東は豊前国、以西が筑前国で、別の国だった。古墳時代の大化元年(645年)に今の和布刈神社付近に「文字ガ関」が置かれ、これが門司の地名由来となった。古代に九州地方を統括していた大宰府への第一の関所の位置付けだった。

平安時代末の1185年の源平の壇ノ浦の戦いの際、現在のJR門司駅周辺には、源平合戦に際して安徳天皇がこの地に住んでいたことから「大里(だいり←内裏)」の地名が残る。また、小倉南区の「隠蓑」の地名は、壇ノ浦で入水したと見せかけ源氏の追っ手を逃れていた安徳天皇が、藁の中に身を隠されていたという伝承に因んでいる。

幕末の1866年の第二次長州征伐では、小倉戦争(小倉口の戦い)の場となった。明治になり、1871年(明治4年)の廃藩置県で豊前国は小倉県に、筑前国は福岡県となったが、1876年(明治9年)の府県合併により、小倉県は分割されて大半の地域が福岡県と合併した。それ以降、北九州市全域は福岡県となった。

1889年(明治22年)の市制・町村制施行により、それぞれが町制を敷き、大正時代に門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市が成立した。1963年にその5市が対等合併して北九州市が誕生、三大都市圏を除く地域では初の政令指定都市に移行した。

北九州市の名は、全国から公募を行い、公募案から北九州市、西京市、北九市、昭和市、豊市、関門市、豊栄市、九州門市、九州市の9案に絞り込み、北九州五市合併協議会が公募2位だった北九州市に決定した。

当初は旧5市にほぼ対応した5区だったが、1974年に小倉区が小倉北区と小倉南区に、八幡区が八幡西区と八幡東区にそれぞれ分割され、7区制へ移行した。

港湾と鉄道が一体となった国際貿易港と鈴木商店による食品工業が集積する門司、軍事産業が集積し小倉城の城下町としての伝統をもつ小倉、かつて日本最大の石炭の集積基地であった若松港や若松駅を擁する若松、官営八幡製鉄所が操業する鉄鋼の街である八幡、紡績や石炭関連産業と水産基地の戸畑と、バラエティに富んだ市となっている。

現在は主力だった鉄鋼業の衰退など重厚長大産業からサービス産業への転換も進みつつある。また、公害克服の歴史から北九州エコタウンなどのエコビジネスやリサイクル施設も集積しており、北九州市は「環境首都」を標榜している。

さらに、市の活性化のために北九州市役所が北九州フィルム・コミッションを立ち上げ、積極的に映画やテレビのロケの誘致、撮影の協力も行なっているなど、産業の多様化を進めている。

今回訪れる区以外の北九州市に関連する著名人の一部を挙げる。八幡西区関係者が多い。ソフトバンクの孫正義(57年生れ)は佐賀県鳥栖市生れで、その後相生町に移り、引野小学校から引野中学に進んだが、福岡市に転居した。

「居眠り磐音」や「吉原裏同心」など多くの時代劇シリーズを出している作家の佐伯泰英(42年生れ)は折尾高校を卒業している。平野啓一郎(75年生れ)は愛知県蒲郡市生まれだが、2歳から18歳まで八幡西区で育ち、明治学園中学校から東筑高校を経て京都大学に進んだ。1995年に「ガラスの麒麟」で日本推理作家協会賞を受賞した加納朋子(66年生れ)は八幡中央高校から神奈川の文教大学女子短期大学部に進んだ。

2014年に亡くなった高倉健(31年生れ)は中間市生れで、本城小学校に転校し、疎開で池田小学校に編入、東筑高校まで八幡西区で育つ。テレビドラマの相棒でお馴染みの川原和久(61年生れ)は熊西中学から八幡南高校を経て日本大学藝術学部に進んだ。同い年の光石研(61年生れ)は黒崎小学校、黒崎中学から宗像市の東海大付属第五高校に進んだ。

野間口徹(73年生れ)は犬丸中学から福岡市の北筑高校に進んだ。鈴木浩介(74年生れ)は浅川中学校から福岡市の西南学院高校に進んだ。

女優の板谷由夏(75年生れ)は父親の仕事の都合で幼い頃から頻繁に引っ越していたが、小6から八幡西区に定住、引野中学校、九州国際大学付属高校から福岡市の福岡女学院大学短期大学部へ進んだ。

現役メジャーリーガーの今永昇太(93年生れ)は永犬丸西小学校、永犬丸中学、北筑高校から駒澤大学へ進んだ。サッカー元代表の永井謙佑(89年生れ)は8歳の時にブラジルから帰国し、医生ヶ丘小学校、浅川中学から九州国際大付属高校を経て福岡大学に進んだ。女子バレーボールで一世を風靡した横山樹理(55年早生れ)は香月中学から福岡市の博多女子商業高校に進んだ。いや、懐かしいわ。

門司区出身ではロンドン五輪で銅メダルを獲得した時のセッター、竹下佳江(78年生れ)。萩ヶ丘小学校、戸ノ上中学から大牟田の不知火女子高校(現誠修高校)に進んだ。サラリーマン時代に会社の講演会でお話聞いたことある。

お笑いロバートの秋山竜次(78年生れ)は田野浦小学校、早鞆中学から門司北高校を卒業。同じくロバートの馬場裕之は幼稚園から高校までの同級生。

最後は小倉南区。俳優の草刈正雄(52年生れ)は行橋市で生まれたが小倉で育つ。中島小学校、白銀中学から小倉西高校に進んだが、高2の時に東京に移り、モデルデビューした。都立青山高校卒業。

モノマネの原口あきまさ(75年生れ)は南丘小学校、守恒中学から常磐高校へ進んだ。サッカー元代表の平山相太(85年生れ)は田原小学校、田原中学から長崎の国見高校に進んだ。

福岡県については以前に書いた。
https://4travel.jp/travelogue/11875277


モノレールで旦過市場へ移動するが、続く

  • 写真1 山陽本線藤生・通津間の瀬戸内海

    写真1 山陽本線藤生・通津間の瀬戸内海

  • 写真2 周防大島

    写真2 周防大島

  • 写真3 新山口駅

    写真3 新山口駅

  • 写真4 小倉駅に到着したこだま843号

    写真4 小倉駅に到着したこだま843号

  • 写真5 2003年10月 北九州市大連友好記念館

    写真5 2003年10月 北九州市大連友好記念館

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