2023/04/08 - 2023/04/08
775位(同エリア1058件中)
ちふゆさん
2023年4月8日(土)午後の1時15分頃、小文字通りの中の橋東詰めから紫川下流に進み、鴎外橋を渡って小倉城へ。
小倉城は、戦国末期の1569年、中国地方の戦国大名毛利氏が城を築いたことから始まる。1602年、関ヶ原合戦の功労で豊前国へ加増転封となった細川忠興が築城を開始。約7年かけて唐造の天守を築城した。
1632年、細川氏の肥後国熊本藩への加増転封後、譜代大名である小笠原忠真が入城し、以後幕末まで小笠原氏が居城した。その間、小倉は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に小倉城は一層充実し、城下町も繁栄した。しかし、1837年、城内から発した火災によって全焼。2年後に再建されたが、天守は再建されなかった。
幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一線基地となったが、1866年の第二次長州征討で長州藩の反撃を受けた小倉藩が、混乱の中で自ら城を焼却した。明治時代から第二次大戦中には、陸軍歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれた。
戦後になり、1959年に鉄筋コンクリート構造で天守が外観復興された。内部は郷土資料館として利用されたが、1990年には内部が全面リニューアルされ、ジオラマ・からくりシアター等を導入し、体験型施設に変更された。
本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸(現在は八坂神社)、それらを囲い込むように二の丸(現在はリバーウォーク北九州)、三の丸(現在の思永中学校辺り)、外郭が配された梯郭式平城。建物は、野面積みの石垣の上に大天守と平の小天守1基、平櫓117、二重櫓16、櫓門12、狭間3271を配していた。城下は、城の東を流れる紫川を天然の堀として活用し城内に町を取り込んだ総構えを採っていた。
鷗外橋は2000年に完成した橋で、その名は文豪・森鷗外に因んでいる。森鷗外は1899年(明治32年)、37歳の時に第十二師団軍医部長としてこの地に着任し、約3年間を過ごした。軍医部長としての職務を果たしながら、随筆を福岡日日新聞に発表。また安国寺の学僧・玉水俊虠と親交を結んだり、旧跡や社寺を巡ったりと後年の文学活動における土壌を培った。
水鳥の橋とも呼ばれ、水鳥(カモメ)が羽を広げているような美しい形状をしている。中央の湾曲したスペースには、文化勲章受章の彫刻家・淀井敏夫が制作した、少女が鴎と戯れている彫刻作品「鴎(かもめ)」が設置されている。
橋の西詰先にある森鴎外文学碑は鷗外生誕100周年の1962年に、RKB毎日放送が放送10周年を記念して寄贈したもの。また、福岡銀行が「小倉市最後の記念事業」、「文化事業」として修景工事一切を寄贈した。それぞれ100万円。碑には、小説「鶏」、「独身」、「二人の友」の小倉三部作と随筆「我をして九州の富人たらしめば」と「小倉日記」の各一節が刻まれている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.29391640333812611&type=1&l=223fe1adec
橋を渡ると元々は外郭で侍屋敷や馬屋、御城米屋などがあったところで、現在は小倉城庭園があるが、この区域には後ほど戻って来るので、先のエリアの話に進む。
小倉城庭園の南側を西に進むと松ノ丸跡へ。本丸御殿の南の曲輪を指す。江戸時代に描かれた小倉城図には、松ノ丸の位置に「ゆうさい」とひらがなで記載されており、小倉藩初代藩主・細川忠興の父・細川幽斎の屋敷が松ノ丸にあったと考えられている。
明治時代に入りしばらくの間、松ノ丸跡も本丸跡、北ノ丸跡同様に空いていたが、歩兵第12旅団本部や小倉連隊区司令部が置かれた。その後1936年(昭和11年)に小倉市立記念図書館が移転して来たが、戦後の1946年の米軍立ち退き命令により翌年、西小倉小学校の一部に移転した。
大手門前広場の桜がまだ綺麗だった。その広場の南の小文字通りを西に少し進んだ清張通りとの交差点の北東に建つのが松本清張記念館。前述したように小5の時から30年以上を小倉で過ごした松本清張の生涯と業績にかかわる展示を行う文学館。1998年開館。清張さんの作品は有名どころは昔読んだことあるが、今回は時間の都合でパス。清張通りの名は地元住民からの要望で2010年に命名された。
松本清張記念館の北側には西の口門跡。大手門に対して裏口に当たる搦手門だったが、細川忠興が小倉城を築城した当時は大手門だった。小笠原の時代になって、新たな大手門が造られた。
西の口門跡から松ノ丸跡へ入ると右手先に歩兵第12旅団本部門柱が建つ。1885年(明治18年)に松ノ丸跡に設置された旅団本部で、1875年(明治8年)に設置された歩兵第14連隊と福岡の歩兵第24連隊を管轄していたが、3年後の師団制施行で廃止された。
その後、1896年(明治29年)の6個師団増設に伴い第12師管が設けられ、その下の小倉連隊区の司令部がその跡に建てられた。門柱はレンガ積みの上から白いモルタルで覆われているが、いつこのように加工されたかははっきりしていない。右手の広場には歩兵第12旅団司令部跡・小倉連隊区司令部跡の碑も建つ(下の写真1)。
広場の奥(南東部)には白洲灯台岩松翁記念塔が建っている。明治初頭、幕末・明治時代の小倉藩の庄屋・岩松助左衛門は、小倉沖の藍島の西方約2km、若松の沖合約5kmの岩礁(白洲)付近で船の遭難が相次ぐ事を見かねて、灯台を建てようと私財を投じ義金を募って建設にかかったが、残念ながら完成を見ることなく亡くなった。
灯台は岩松翁が亡くなった翌年の1873年(明治6年)に明治政府によって完成した。当初は白色塗りであったが、1876年(明治9年)に白帆と区別しやすいように白黒の塗りわけに変更され、さらに1900年(明治33年)に上部鉄造・下部石造に改築された。
この記念塔は岩松翁が設計した白州灯台を模したもの。1963年の5市合併による北九州市誕生に合わせて、翁の遺徳を偲ぶと共に水難救助のため尽くした功績を顕彰するためにこの地に建てられた。毎年この記念塔近くで、岩松翁をしのぶための顕彰祭が行われている。
広場の反対側(北側)には鉄(くろがね)門跡。藩主や家老などを除く武士などの登城口として使用されていた。右側の石垣と階段は後に復元されたものだが、左側の石垣と階段は往時のものがそのまま残っており、小倉戦争の際に火熱を受けて赤く変化している。
石段を上がると旧陸軍第十二師団の司令部正門がある。1898年(明治31年)、日清戦争終了後の軍備拡張政策の中で小倉に第十二師団が新設される。司令部の庁舎は小倉城本丸跡に建てられ、その他の部隊や施設も小倉城内に設置された。
このレンガ造の正門は当時のもの。1899年(明治32年)から2年10ヶ月の間、第十二師団の軍医部長を務めていたの森鴎外もこのレンガ造りの門を通って登庁していた。なお、第十二師団司令部は1925年(大正14年)に軍縮のため久留米に移転し、第12師団隷下の野戦重砲兵第2旅団司令部となった(1928年(昭和3年)頃移転)。
近くには大日本帝国陸軍が1915年(大正4年)に制式制定した四年式十五珊榴弾砲が置かれている。280門生産され、1932年(昭和7年)の第1次上海事変から戦線に配備され、第二次大戦の終結まで運用され続けた。展示品は大阪工廠の1924年(大正13年)製。
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鉄門跡に戻って、東側に進むと槻(けやき)門跡。城主や家老などの身分の高い武士や主な寺の住職のみが通行を許された門だった。槻門跡前に南東側から通じる道は大手門跡に通じる。松の丸の最初に行った大手門前広場から槻門に通じる小倉城の正門。正門にふさわしい巨大な石を使用して石垣を作っている。
槻門跡の石段を登って行くと本丸の中心部分の天守に至る。前述したように細川忠興が1602年から約7年かけて築城したが、江戸末期の1837年に失火のため焼失した。現在の天守は1959年に再建された鉄筋コンクリート構造のもの。2019年にエレベーターを新設し、内部が全面リニューアルされた。
藤岡通夫の設計考証により復興されたものだが、地元商工会の要望によって、大入母屋破風や千鳥破風、唐破風などの破風が追加されてしまったため、外観は史実と大きく異なる。
560円の拝観料を払って入場する(下の写真2)。1階は小倉城の歴史を楽しみながら学べるエンターテイメントエリアで、俳優・草刈正雄さんのナレーションによる「小倉城シアター」がある。2階は細川家・小笠原家の歴史と小倉の歩み、3階は小倉にゆかりの深い宮本武蔵と佐々木小次郎の生涯を紹介している。4階はギャラリースペース。
5階の展望スペースからは、小倉の街並みを一望できる。東方向はには小倉城庭園や北九州市役所庁舎、北にはリバーウォーク北九州。西にはすぐ先に小倉北警察署、遠くに石峰山、南に北九州市議会堂、中央図書館・文学館など。
天守前広場ではちょうど猿まわしをやっていた(下の写真3)。宮本武蔵と佐々木小次郎のモニュメントは小倉城周辺魅力向上事業の一環として2019年のリニューアルオープンを記念して設置された。
着見(つきみ)櫓は櫓上にて沖からの通航船を監視した櫓。木造三重二層三階塔屋付、延べ330平方mの構造で、当時の場所にそのままの姿を再現している。
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北ノ丸跡の小倉祇園八坂神社に入るが、続く
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