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2023年4月8日(土)2時過ぎ、小倉城エリアの最後、小倉城庭園に入る。小倉城庭園は小倉城を築いた細川家の後を継ぎ、234年間にわたって城主を務めた小笠原家の別邸であった下屋敷(御遊所)跡。江戸期の遺構を元に復元した池泉回遊式庭園と江戸時代の典型的な武家書院を再現した文化施設で、茶室や展示棟も備えている、<br /><br />元々は1602年に細川忠興の家臣の松井康之が屋敷を建てた場所。1632年に小笠原忠真が入国すると、小笠原家の家臣である宮本武蔵の子・宮本伊織と、忠真の父・小笠原秀政の家臣である小笠原主水が、この屋敷を二つに分けて住んでいたと伝えられている。<br /><br />その後、第5代藩主の小笠原忠苗の時代(1791年-1804年)に、和歌や茶道を楽しむための下屋敷が完成。この屋敷は天守のすぐ下に位置していたことから御下屋敷(おしたやしき)と呼ばれた。<br /><br />幕末の1866年の第二次長州征討でこの御下屋敷は焼失。その後、この場所には時代の変遷に合わせてさまざまな建築物が整備されて来た。現在、建物は変わっているものの、庭園の位置は当時とほぼ同じと考えられている。<br /><br />八坂神社の一の鳥居を出ると、小倉城庭園の前の緑地帯に3つの塚がある(下の写真1)。一番北側に建つのが茶筌(ちゃせん)塚。茶筌とは、茶道の折に抹茶を点てるのに用いる竹製の茶道具。1960年に小笠原古流、表・裏の千家などが属した旧小倉市茶道協会有志によって、古い茶筅の供養のために建てられた。<br /><br />真ん中にあるのが筆塚。1965年、文化の振興を祈念して小倉城筆塚建立委員会により建立。毎年十月に使えなくなった筆を献じる筆供養が行なわれている。<br /><br />一番南側が花塚。1961年に北九州華道連盟(現北九州いけばな協会)が花の霊を祀るために建てた。1979年から小倉北花道協会が毎年十月の小倉城まつりで花供養を行っている。<br /><br />三塚の右手奥にある入口から小倉城庭園に入る。天守との共通入場券。庭園内は大まかに分けて4つのゾーンで構成されている。<br /><br />一番の見どころはやはり庭園ゾーンかな。上述したように池を巡りながらさまざまな景観を楽しめる池泉回遊式庭園で、最大の特徴は、池の水面が周囲よりもかなり低く設計されているのぞき池であること。また、浮見の庭とも呼ばれ、書院の広縁から庭全体を一望することが出来る。<br /><br />入口があるのが展示棟。常設展示では、「贈る」「味わう」をテーマに、日本の伝統文化である礼法の歴史を紹介しており、その起源から発展、そして暮らしの中への広がりまでを、分かりやすく解説している。また、「食事のマナー」や「贈答のマナー」を切り口に、現代の暮らしの中に息づく礼法も紹介。<br /><br />小笠原家に伝わる武家の礼法や茶道に関する展示も行っており、「和」の精神に基づく日本の礼法が、公家社会から中世の武家の儀礼や作法を経て、どのように発展し、現代へと受け継がれているのかを詳しく解説している。<br /><br />庭園の池の奥にあるのが書院棟。日本の伝統的な建築様式である書院造の本格的な木造建築。内部は、「上段の間」「一の間」「二の間」「取次の間」などで構成されており、それぞれ18帖の「一の間」と「二の間」は、襖と欄間で仕切られ、独立した座敷として使用できる。広縁の一部が池に張り出した懸造りになっており、眼下に広がる庭の美しい景色を楽しめる。<br /><br />書院棟の一部は体験ゾーンとなっており、全国的にも珍しいお点前を見ながらお抹茶と季節の茶菓子を戴ける立礼席(りゅうれいせき)や書院特別席などを楽しむことも出来る。<br /><br />小倉城庭園を出て、天守との間の濠沿いの、開催中の桜まつりの出店で賑わう歴史の道と名付けられた道を南に進むと大手先門跡の碑。大手門の手前にあった門。<br /><br />この碑から最初に渡って来た芝川に架かる&#40407;外橋へ向かう道の南側、小倉城庭園の向かいに建つ15階建てのビルが北九州市役所。1972年竣工。最上階に展望フロアがあり、無料で開放されているのだが、平日の朝から夕方までで、昇ることは出来なかった。残念。<br /><br />その先、柴川沿いは1995年に紫川マイタウン・マイリバー整備事業の一環として整備された洲浜ひろばになっている。江戸時代にあった州や干潟をイメージして造られた。埋蔵文化財調査で発見された江戸時代の石積みの護岸の一部が利用されている。<br /><br />今回訪れた小倉城や八坂神社に小倉城庭園から小文字通りを挟んで南側一帯は勝山公園として整備されており、小倉城庭園の&#40407;外橋側に勝山公園碑が建っている。勝山の名は小倉城の別名の勝山城から取られている。<br /><br />その近くにはライオンズクラブが献眼顕彰碑として建立した愛と光の像や韓国の仁川広域市との姉妹都市提携15周年を記念して2003年に建てられた順風の像もある。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.32426994000277214&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />勝山公園を離れて柴川沿いを下流に向かうと勝山橋の手前に紫川親水広場がある(下の写真1)。2021年にリニューアルされ、噴水や滝が整備され、夜にはライトアップもされる。勝山橋は1910年(明治43年)に路面電車を通すため架けられた橋で、現在の橋は2000年に完成したもので、小倉城の石垣をコンセプトとした石畳の歩道があり、愛称で石の橋と呼ばれている。<br /><br />この紫川親水広場の西側、勝山公園の北に接する部分は北九州市ルネッサンス構想事業の一つとして開発されたリバーウォーク北九州になる。2003年にオープンした設備で、サービス・商業ゾーンや文化施設や大学棟などから構成されている。一番東側、柴川沿いにあるのはNHK北九州放送局とJ:COM北九州芸術劇場(下の写真2)。共に2003年のリバーウォーク北九州開業時にオープン。<br /><br />勝山橋を過ぎると木橋として日本最大級の常盤橋、愛称は木の橋(下の写真3)。現在の橋は1995年に北九州市のマイタウン・マイリバー整備事業の一環として架けられたもの。<br /><br />江戸初期の1624年には架けられていたと考えられている。江戸時代の小倉城下で紫川にかかる橋はこの橋と上流の豊後橋の2ヶ所のみで、常盤橋は武士が多く住む西曲輪と町人が多く住む東曲輪を結ぶ橋として使われた。長崎の出島までを結ぶ長崎街道の起点でもある。 <br /><br />その少し下流に室町大橋(下の写真4)。愛称は火の橋。マイタウン・マイリバー整備事業で最初に整備された橋で1991年竣工。明治時代末期頃まで紫川で行われていた鵜飼いの漁火をモチーフとして、橋の両サイドにガス灯を配しており、週末夜には灯が点る。<br /><br />室町大橋から西に進むと約350mで西小倉駅に出る(下の写真5)。1974年に国鉄日豊本線の途中駅として設置。1987年のJR九州への移管後に鹿児島本線のホームが新設された。元々は1891年(明治24年)に(初代)九州鉄道が博多から門司(現在の門司港)延伸の際に小倉駅が設置された場所。この小倉駅は、その後1915年(大正4年)に少し東(北九州市営室町駐車場がある辺り)に移転し、さらに戦後の1958年に現在地に移転した。その間は、ここには駅はなかった。<br /><br />鹿児島本線と日豊本線の線路が分岐する駅で(小倉・西小倉間は両線の重複区間)、普通列車の他に快速・区間快速列車も停車する。また日豊本線城野駅で分岐する日田彦山線の列車はすべて小倉駅始発・終着で運行されているため、西小倉も利用可能になっている。<br /><br />単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、計3面5線のホームを有する地上駅で、1番線から3番線までに日豊本線(及び日田彦山線)、4、5番線に鹿児島本線の列車が停車する。橋上駅舎は2003年に新築されたもの。<br /><br />で、ここでこの日二つ目のトラブル(一つ目は岩国で寝てしまって乗換列車に遅れたこと)。駅までの時間の読み違えで、橋上駅舎に上がったタイミングで乗ろうとしてた電車が出て行ってしまう。あ~あ。20分ほど待てば次の電車は来るんだけど、その後の行動予定を考えるとちょっとまずい。<br /><br /><br />と云うことで、緊急措置。駅前のタクシーで戸畑渡場に向かうが、続く

福岡 北九州 小倉城庭園(Kokura Castle Garden,Kitakyusyu,Fukuoka,Japan)

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2023/04/08 - 2023/04/08

641位(同エリア1057件中)

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ちふゆ

ちふゆさん

2023年4月8日(土)2時過ぎ、小倉城エリアの最後、小倉城庭園に入る。小倉城庭園は小倉城を築いた細川家の後を継ぎ、234年間にわたって城主を務めた小笠原家の別邸であった下屋敷(御遊所)跡。江戸期の遺構を元に復元した池泉回遊式庭園と江戸時代の典型的な武家書院を再現した文化施設で、茶室や展示棟も備えている、

元々は1602年に細川忠興の家臣の松井康之が屋敷を建てた場所。1632年に小笠原忠真が入国すると、小笠原家の家臣である宮本武蔵の子・宮本伊織と、忠真の父・小笠原秀政の家臣である小笠原主水が、この屋敷を二つに分けて住んでいたと伝えられている。

その後、第5代藩主の小笠原忠苗の時代(1791年-1804年)に、和歌や茶道を楽しむための下屋敷が完成。この屋敷は天守のすぐ下に位置していたことから御下屋敷(おしたやしき)と呼ばれた。

幕末の1866年の第二次長州征討でこの御下屋敷は焼失。その後、この場所には時代の変遷に合わせてさまざまな建築物が整備されて来た。現在、建物は変わっているものの、庭園の位置は当時とほぼ同じと考えられている。

八坂神社の一の鳥居を出ると、小倉城庭園の前の緑地帯に3つの塚がある(下の写真1)。一番北側に建つのが茶筌(ちゃせん)塚。茶筌とは、茶道の折に抹茶を点てるのに用いる竹製の茶道具。1960年に小笠原古流、表・裏の千家などが属した旧小倉市茶道協会有志によって、古い茶筅の供養のために建てられた。

真ん中にあるのが筆塚。1965年、文化の振興を祈念して小倉城筆塚建立委員会により建立。毎年十月に使えなくなった筆を献じる筆供養が行なわれている。

一番南側が花塚。1961年に北九州華道連盟(現北九州いけばな協会)が花の霊を祀るために建てた。1979年から小倉北花道協会が毎年十月の小倉城まつりで花供養を行っている。

三塚の右手奥にある入口から小倉城庭園に入る。天守との共通入場券。庭園内は大まかに分けて4つのゾーンで構成されている。

一番の見どころはやはり庭園ゾーンかな。上述したように池を巡りながらさまざまな景観を楽しめる池泉回遊式庭園で、最大の特徴は、池の水面が周囲よりもかなり低く設計されているのぞき池であること。また、浮見の庭とも呼ばれ、書院の広縁から庭全体を一望することが出来る。

入口があるのが展示棟。常設展示では、「贈る」「味わう」をテーマに、日本の伝統文化である礼法の歴史を紹介しており、その起源から発展、そして暮らしの中への広がりまでを、分かりやすく解説している。また、「食事のマナー」や「贈答のマナー」を切り口に、現代の暮らしの中に息づく礼法も紹介。

小笠原家に伝わる武家の礼法や茶道に関する展示も行っており、「和」の精神に基づく日本の礼法が、公家社会から中世の武家の儀礼や作法を経て、どのように発展し、現代へと受け継がれているのかを詳しく解説している。

庭園の池の奥にあるのが書院棟。日本の伝統的な建築様式である書院造の本格的な木造建築。内部は、「上段の間」「一の間」「二の間」「取次の間」などで構成されており、それぞれ18帖の「一の間」と「二の間」は、襖と欄間で仕切られ、独立した座敷として使用できる。広縁の一部が池に張り出した懸造りになっており、眼下に広がる庭の美しい景色を楽しめる。

書院棟の一部は体験ゾーンとなっており、全国的にも珍しいお点前を見ながらお抹茶と季節の茶菓子を戴ける立礼席(りゅうれいせき)や書院特別席などを楽しむことも出来る。

小倉城庭園を出て、天守との間の濠沿いの、開催中の桜まつりの出店で賑わう歴史の道と名付けられた道を南に進むと大手先門跡の碑。大手門の手前にあった門。

この碑から最初に渡って来た芝川に架かる鷗外橋へ向かう道の南側、小倉城庭園の向かいに建つ15階建てのビルが北九州市役所。1972年竣工。最上階に展望フロアがあり、無料で開放されているのだが、平日の朝から夕方までで、昇ることは出来なかった。残念。

その先、柴川沿いは1995年に紫川マイタウン・マイリバー整備事業の一環として整備された洲浜ひろばになっている。江戸時代にあった州や干潟をイメージして造られた。埋蔵文化財調査で発見された江戸時代の石積みの護岸の一部が利用されている。

今回訪れた小倉城や八坂神社に小倉城庭園から小文字通りを挟んで南側一帯は勝山公園として整備されており、小倉城庭園の鷗外橋側に勝山公園碑が建っている。勝山の名は小倉城の別名の勝山城から取られている。

その近くにはライオンズクラブが献眼顕彰碑として建立した愛と光の像や韓国の仁川広域市との姉妹都市提携15周年を記念して2003年に建てられた順風の像もある。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.32426994000277214&type=1&l=223fe1adec

勝山公園を離れて柴川沿いを下流に向かうと勝山橋の手前に紫川親水広場がある(下の写真1)。2021年にリニューアルされ、噴水や滝が整備され、夜にはライトアップもされる。勝山橋は1910年(明治43年)に路面電車を通すため架けられた橋で、現在の橋は2000年に完成したもので、小倉城の石垣をコンセプトとした石畳の歩道があり、愛称で石の橋と呼ばれている。

この紫川親水広場の西側、勝山公園の北に接する部分は北九州市ルネッサンス構想事業の一つとして開発されたリバーウォーク北九州になる。2003年にオープンした設備で、サービス・商業ゾーンや文化施設や大学棟などから構成されている。一番東側、柴川沿いにあるのはNHK北九州放送局とJ:COM北九州芸術劇場(下の写真2)。共に2003年のリバーウォーク北九州開業時にオープン。

勝山橋を過ぎると木橋として日本最大級の常盤橋、愛称は木の橋(下の写真3)。現在の橋は1995年に北九州市のマイタウン・マイリバー整備事業の一環として架けられたもの。

江戸初期の1624年には架けられていたと考えられている。江戸時代の小倉城下で紫川にかかる橋はこの橋と上流の豊後橋の2ヶ所のみで、常盤橋は武士が多く住む西曲輪と町人が多く住む東曲輪を結ぶ橋として使われた。長崎の出島までを結ぶ長崎街道の起点でもある。

その少し下流に室町大橋(下の写真4)。愛称は火の橋。マイタウン・マイリバー整備事業で最初に整備された橋で1991年竣工。明治時代末期頃まで紫川で行われていた鵜飼いの漁火をモチーフとして、橋の両サイドにガス灯を配しており、週末夜には灯が点る。

室町大橋から西に進むと約350mで西小倉駅に出る(下の写真5)。1974年に国鉄日豊本線の途中駅として設置。1987年のJR九州への移管後に鹿児島本線のホームが新設された。元々は1891年(明治24年)に(初代)九州鉄道が博多から門司(現在の門司港)延伸の際に小倉駅が設置された場所。この小倉駅は、その後1915年(大正4年)に少し東(北九州市営室町駐車場がある辺り)に移転し、さらに戦後の1958年に現在地に移転した。その間は、ここには駅はなかった。

鹿児島本線と日豊本線の線路が分岐する駅で(小倉・西小倉間は両線の重複区間)、普通列車の他に快速・区間快速列車も停車する。また日豊本線城野駅で分岐する日田彦山線の列車はすべて小倉駅始発・終着で運行されているため、西小倉も利用可能になっている。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、計3面5線のホームを有する地上駅で、1番線から3番線までに日豊本線(及び日田彦山線)、4、5番線に鹿児島本線の列車が停車する。橋上駅舎は2003年に新築されたもの。

で、ここでこの日二つ目のトラブル(一つ目は岩国で寝てしまって乗換列車に遅れたこと)。駅までの時間の読み違えで、橋上駅舎に上がったタイミングで乗ろうとしてた電車が出て行ってしまう。あ~あ。20分ほど待てば次の電車は来るんだけど、その後の行動予定を考えるとちょっとまずい。


と云うことで、緊急措置。駅前のタクシーで戸畑渡場に向かうが、続く

  • 写真1 紫川親水広場から勝山橋(石の橋)

    写真1 紫川親水広場から勝山橋(石の橋)

  • 写真2 NHK北九州放送局とJ:COM北九州芸術劇場

    写真2 NHK北九州放送局とJ:COM北九州芸術劇場

  • 写真3 常盤橋

    写真3 常盤橋

  • 写真4 室町大橋

    写真4 室町大橋

  • 写真5 西小倉駅

    写真5 西小倉駅

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