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大和十三仏霊場を周り始めたのは、2008(平成20)年9月。今回、2025(令和7)年7月にやっとすべてをまわることができました。<br /><br />大和十三仏霊場HPより<br />十三仏信仰は日本において古く、平安時代から宗派を超え広く信仰されてきました。<br /> 仏教では、人の命は一度死んだらおしまいという考え方ではなく、その人の魂は永遠に生まれ変わり続けると説かれています。<br />十三仏の仏さまはそれぞれに違った徳(特性、役割)を持ち、それぞれの働きを以て私達が亡くなったとき、より良き人間として輪廻転生するために魂を守護してくださる仏さまです。<br /> この十三仏をお祀りする大和路の十三ヶ寺によって大和十三仏霊場が開かれています。<br /> 

大和十三仏霊場

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2008/09/16 - 2025/07/21

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大和十三仏霊場を周り始めたのは、2008(平成20)年9月。今回、2025(令和7)年7月にやっとすべてをまわることができました。

大和十三仏霊場HPより
十三仏信仰は日本において古く、平安時代から宗派を超え広く信仰されてきました。
 仏教では、人の命は一度死んだらおしまいという考え方ではなく、その人の魂は永遠に生まれ変わり続けると説かれています。
十三仏の仏さまはそれぞれに違った徳(特性、役割)を持ち、それぞれの働きを以て私達が亡くなったとき、より良き人間として輪廻転生するために魂を守護してくださる仏さまです。
 この十三仏をお祀りする大和路の十三ヶ寺によって大和十三仏霊場が開かれています。
 

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
  • 生駒駅で降りたところケーブルカーの文字が。日本最初のケーブルカーらしい(もちろんこのふざけた形の車両ではないと思うが)。宝山寺駅で降ります。

    生駒駅で降りたところケーブルカーの文字が。日本最初のケーブルカーらしい(もちろんこのふざけた形の車両ではないと思うが)。宝山寺駅で降ります。

    生駒駅

  • 生駒新地は、生駒山の山上にある「宝山寺」への参道として、旅館街が形成されたのがその始まりです。かつては参拝客をもてなす「花街」として栄え、多くの人々で賑わったそうです。今もなお重厚な木造建築の旅館が軒を連ね、風情ある石畳の路地が続くその街並みは、どこか懐かしい“大正モダン”な雰囲気に満ちてています。

    生駒新地は、生駒山の山上にある「宝山寺」への参道として、旅館街が形成されたのがその始まりです。かつては参拝客をもてなす「花街」として栄え、多くの人々で賑わったそうです。今もなお重厚な木造建築の旅館が軒を連ね、風情ある石畳の路地が続くその街並みは、どこか懐かしい“大正モダン”な雰囲気に満ちてています。

    生駒山 自然・景勝地

  • 商売の神様として人気の高い「生駒の聖天さん」。全国的な信仰を集めています。ご本尊は、約300年前の作になる不動明王で、こちらも広く信仰されているお不動さまの霊場です。

    商売の神様として人気の高い「生駒の聖天さん」。全国的な信仰を集めています。ご本尊は、約300年前の作になる不動明王で、こちらも広く信仰されているお不動さまの霊場です。

    宝山寺(生駒聖天) 寺・神社・教会

  • 大和十三仏霊場第1番宝山寺の御朱印<br />平成24年4月19日参拝

    大和十三仏霊場第1番宝山寺の御朱印
    平成24年4月19日参拝

  • 奈良時代後期、父帝・聖武天皇の勅願によって建立された「東大寺」に対し、娘帝・称徳天皇の勅願により平城宮の西の地に建てられたのが「西大寺」です。創建当初は、広大な敷地に薬師・弥勒の二つの金堂、東西両塔など数多くの堂宇が建ち並ぶ大寺院で、南都七大寺の一つとして栄えましたが、都が平安京へ移った後、寺勢は次第に衰退に向かいました。

    奈良時代後期、父帝・聖武天皇の勅願によって建立された「東大寺」に対し、娘帝・称徳天皇の勅願により平城宮の西の地に建てられたのが「西大寺」です。創建当初は、広大な敷地に薬師・弥勒の二つの金堂、東西両塔など数多くの堂宇が建ち並ぶ大寺院で、南都七大寺の一つとして栄えましたが、都が平安京へ移った後、寺勢は次第に衰退に向かいました。

    西大寺 寺・神社・教会

  • 四王堂は、西大寺創建の端緒となった称徳天皇誓願の四天王像をまつる仏堂。

    四王堂は、西大寺創建の端緒となった称徳天皇誓願の四天王像をまつる仏堂。

  • 奈良時代創建当初の由緒を伝える東塔の基壇。

    奈良時代創建当初の由緒を伝える東塔の基壇。

  • 室町時代に兵火で多くの堂宇が焼失するも、江戸時代中期以降に再建が進み、今日の伽藍配置になりました。

    室町時代に兵火で多くの堂宇が焼失するも、江戸時代中期以降に再建が進み、今日の伽藍配置になりました。

  • 大和十三仏霊場第2番西大寺の御朱印<br />平成21年9月20日参拝<br />

    大和十三仏霊場第2番西大寺の御朱印
    平成21年9月20日参拝

  • 安倍文殊院は西暦645年に創建された寺院。京都・天橋立の切戸文殊、山形の亀岡文殊と共に日本三文殊のひとつです。

    安倍文殊院は西暦645年に創建された寺院。京都・天橋立の切戸文殊、山形の亀岡文殊と共に日本三文殊のひとつです。

    安倍文殊院 寺・神社・教会

  • 弁財天、奈良時代の遣唐使・安倍仲麻呂、平安時代の陰陽師・安倍晴明がお祀りされている方位災難除けの金閣浮御堂。

    弁財天、奈良時代の遣唐使・安倍仲麻呂、平安時代の陰陽師・安倍晴明がお祀りされている方位災難除けの金閣浮御堂。

  • 永禄六年(1563)松永弾正の兵火を受け一山ほとんどが火災で焼失、約100年後の寛文五年(1665)に現在の本堂(文殊堂)が再建されました。本堂は入母屋造りの七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えています。

    永禄六年(1563)松永弾正の兵火を受け一山ほとんどが火災で焼失、約100年後の寛文五年(1665)に現在の本堂(文殊堂)が再建されました。本堂は入母屋造りの七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えています。

  • 御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざでも有名な文殊菩薩で、日本最大約7m、快慶作の国宝です。

    御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざでも有名な文殊菩薩で、日本最大約7m、快慶作の国宝です。

  • 大和十三仏霊場第3番安倍文殊院の御朱印<br />平成20年9月16日参拝

    大和十三仏霊場第3番安倍文殊院の御朱印
    平成20年9月16日参拝

  • 山の辺の道に残る長岳寺は天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒三百余名を数えました。以来、幾多の栄枯盛衰を重ねながらも、千百八十余年間連綿と法燈を守り続け今日に至っています。写真は、鐘楼門。日本最古の鐘門であり、弘法大師当寺創建当初の唯一の建物です。

    山の辺の道に残る長岳寺は天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒三百余名を数えました。以来、幾多の栄枯盛衰を重ねながらも、千百八十余年間連綿と法燈を守り続け今日に至っています。写真は、鐘楼門。日本最古の鐘門であり、弘法大師当寺創建当初の唯一の建物です。

  • 旧地蔵院。四十八ヶ坊あった塔中の内、唯一残ったもので今は庫裏としてつかわれています。建物は室町時代の書院造りの様式を残しています。また同時代の美しい庭園があります。 また、持仏堂には白い像に乗った普賢延命菩薩様がおられます。こちらが大和十三仏霊場になっております。

    旧地蔵院。四十八ヶ坊あった塔中の内、唯一残ったもので今は庫裏としてつかわれています。建物は室町時代の書院造りの様式を残しています。また同時代の美しい庭園があります。 また、持仏堂には白い像に乗った普賢延命菩薩様がおられます。こちらが大和十三仏霊場になっております。

  • 本堂。本尊である阿弥陀三尊や多聞天、増長天等の仏像や、寺宝類を安置しています。 本堂前の広い庭は浄土式庭園になっており、四季折々の花が美しく咲きほこり ます。

    本堂。本尊である阿弥陀三尊や多聞天、増長天等の仏像や、寺宝類を安置しています。 本堂前の広い庭は浄土式庭園になっており、四季折々の花が美しく咲きほこり ます。

    長岳寺 寺・神社・教会

  • 大和十三仏霊場第4番長岳寺の御朱印<br />平成20年9月16日参拝<br />

    大和十三仏霊場第4番長岳寺の御朱印
    平成20年9月16日参拝

  • 奈良有数のあじさいの名所で、今や「あじさい寺」と呼ばれる大和郡山市の矢田寺。あじさいの時期は終わっているので、細い山道を車であがっていきますが、途中の駐車場からは徒歩となります。

    奈良有数のあじさいの名所で、今や「あじさい寺」と呼ばれる大和郡山市の矢田寺。あじさいの時期は終わっているので、細い山道を車であがっていきますが、途中の駐車場からは徒歩となります。

  • 矢田丘陵の東側・矢田山の中腹にあり、正式名称は「金剛山寺」。大海人皇子が壬申の乱の戦勝祈願のために矢田山を訪れたことをきっかけに、679年に建立された。日本のお地蔵さま発祥の地ともいわれ、日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。

    矢田丘陵の東側・矢田山の中腹にあり、正式名称は「金剛山寺」。大海人皇子が壬申の乱の戦勝祈願のために矢田山を訪れたことをきっかけに、679年に建立された。日本のお地蔵さま発祥の地ともいわれ、日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。

    金剛山寺(矢田寺) 寺・神社・教会

  • 矢田寺(金剛山寺)は開基当時、僧坊48を数える大寺でした。現在は4つの僧坊で通称を矢田寺といいます。

    矢田寺(金剛山寺)は開基当時、僧坊48を数える大寺でした。現在は4つの僧坊で通称を矢田寺といいます。

  • 境内の中心にある本堂は、奈良県指定有形文化財であり、他にも『絵画絹本着色矢田地蔵縁起』など、たくさんの貴重な文化財を有しています。

    境内の中心にある本堂は、奈良県指定有形文化財であり、他にも『絵画絹本着色矢田地蔵縁起』など、たくさんの貴重な文化財を有しています。

  • 大和十三仏霊場第5番矢田寺の御朱印<br />令和7年7月20日参拝

    大和十三仏霊場第5番矢田寺の御朱印
    令和7年7月20日参拝

  • 白鳳時代の創建で、天平時代の東西両塔が並び立つ名刹・当麻寺の最古の僧坊が「中之坊」です。中将姫の守り本尊「導き観音さま」は特に女人の健康を守護することで信仰されています。

    白鳳時代の創建で、天平時代の東西両塔が並び立つ名刹・当麻寺の最古の僧坊が「中之坊」です。中将姫の守り本尊「導き観音さま」は特に女人の健康を守護することで信仰されています。

    當麻寺 寺・神社・教会

  • 仁王門を入ってまっすぐ、金堂と講堂の間を抜けて見えるのが国宝曼陀羅堂(本堂)です。本堂は當麻寺の中でも最も大きな建物であり、中には當麻曼陀羅がまつられ、これが本尊となっています。

    仁王門を入ってまっすぐ、金堂と講堂の間を抜けて見えるのが国宝曼陀羅堂(本堂)です。本堂は當麻寺の中でも最も大きな建物であり、中には當麻曼陀羅がまつられ、これが本尊となっています。

    當麻寺本堂 名所・史跡

  • 両塔が現存しているのは日本唯一で、奈良時代によく行われた双塔伽藍を今に伝えています。角層とも軒の出が深く、三手先組の肘木や軒支輪が軽快で、屋根裏や軒先を眺めていても楽しいです。

    両塔が現存しているのは日本唯一で、奈良時代によく行われた双塔伽藍を今に伝えています。角層とも軒の出が深く、三手先組の肘木や軒支輪が軽快で、屋根裏や軒先を眺めていても楽しいです。

    當麻寺東塔 西塔 名所・史跡

  • 大和十三仏霊場第6番當麻寺中之坊の御朱印<br />平成21年9月22日参拝

    大和十三仏霊場第6番當麻寺中之坊の御朱印
    平成21年9月22日参拝

    當麻寺中之坊庭園 公園・植物園

  • 新薬師寺には平成21年9月に参拝していますが、今回令和7年7月にも参拝しました。

    新薬師寺には平成21年9月に参拝していますが、今回令和7年7月にも参拝しました。

  • 新薬師寺は、天平19年(747)に、聖武天皇の病気平癒を祈って光明皇后により創建され、7体の薬師如来像が安置されたと言われています。かつては七堂伽藍が整った壮大な寺院で、創建当初の建造物として本堂(国宝)が今に残ります。

    新薬師寺は、天平19年(747)に、聖武天皇の病気平癒を祈って光明皇后により創建され、7体の薬師如来像が安置されたと言われています。かつては七堂伽藍が整った壮大な寺院で、創建当初の建造物として本堂(国宝)が今に残ります。

    新薬師寺本堂 寺・神社・教会

  • 本堂内には円形の土壇が築かれ、壇上には本尊薬師如来坐像(木造・国宝)と、それを囲む日本で最古最大の十二神将立像(塑像・国宝)が安置されています。

    本堂内には円形の土壇が築かれ、壇上には本尊薬師如来坐像(木造・国宝)と、それを囲む日本で最古最大の十二神将立像(塑像・国宝)が安置されています。

  • 大和十三仏霊場第7番新薬師寺の御朱印<br />平成21年9月19日参拝

    大和十三仏霊場第7番新薬師寺の御朱印
    平成21年9月19日参拝

  • おふさ観音<br />江戸時代に地元の娘「おふさ」さんが、この地で観音様を奉りはじめた後にお寺が発展したといわれています。

    おふさ観音
    江戸時代に地元の娘「おふさ」さんが、この地で観音様を奉りはじめた後にお寺が発展したといわれています。

    おふさ観音 寺・神社・教会

  • 毎年夏の3ヶ月間にわたり「風鈴まつり」が開催されています。<br />涼やかで上品な風鈴の音に、しばし熱暑を忘れます。

    毎年夏の3ヶ月間にわたり「風鈴まつり」が開催されています。
    涼やかで上品な風鈴の音に、しばし熱暑を忘れます。

    おふさ観音風鈴まつり 祭り・イベント

  • 大和十三仏霊場第8番小房観音の御朱印<br />平成20年9月16日参拝<br /><br />

    大和十三仏霊場第8番小房観音の御朱印
    平成20年9月16日参拝

  • 長弓寺の創建については、奈良時代、土地の豪族・小野真弓長弓とその養子であった長麿が、若年の聖武天皇に従ってこのあたりで狩猟をした時のこと、森より一羽の怪鳥が飛び立ったのを見て、親子でこれを追っていました。この時、養子である長麿が誤って父・長弓を射殺してしまいました。聖武天皇はこのことを深く哀しみ、行基に命じてこの地に小さな御堂を建て十一面観音をおまつりになって長弓菩提を弔いました。また、自らも仏教に帰依され、この寺を深く信仰なさいました

    長弓寺の創建については、奈良時代、土地の豪族・小野真弓長弓とその養子であった長麿が、若年の聖武天皇に従ってこのあたりで狩猟をした時のこと、森より一羽の怪鳥が飛び立ったのを見て、親子でこれを追っていました。この時、養子である長麿が誤って父・長弓を射殺してしまいました。聖武天皇はこのことを深く哀しみ、行基に命じてこの地に小さな御堂を建て十一面観音をおまつりになって長弓菩提を弔いました。また、自らも仏教に帰依され、この寺を深く信仰なさいました

    長弓寺 寺・神社・教会

  • 御朱印はこちらの法華院でいただきました。

    御朱印はこちらの法華院でいただきました。

  • 大和十三仏霊場第9番長弓寺の御朱印<br />令和7年7月21日参拝<br />こちらで満願です。<br />

    大和十三仏霊場第9番長弓寺の御朱印
    令和7年7月21日参拝
    こちらで満願です。

  • 奈良市の西部、富雄の里にある霊山寺真言宗の大本山・霊山寺。霊山寺の所在する富雄の里は、古事記には「登美」であり、日本書紀では「鳥見」の地となっています。敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。天武12年(684)4月5日より21日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇されたのです。<br />

    奈良市の西部、富雄の里にある霊山寺真言宗の大本山・霊山寺。霊山寺の所在する富雄の里は、古事記には「登美」であり、日本書紀では「鳥見」の地となっています。敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。天武12年(684)4月5日より21日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇されたのです。

  • 「バラ園」は世界平和と心のやすらぎをテーマとし、春秋200種2000株が咲き誇るそうですが、時期が違い残念です。

    「バラ園」は世界平和と心のやすらぎをテーマとし、春秋200種2000株が咲き誇るそうですが、時期が違い残念です。

  • 神亀5年(728)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。<br />天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。

    神亀5年(728)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。
    天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。

  • 国宝に指定されている本堂には、本尊の薬師如来が安置されています。

    国宝に指定されている本堂には、本尊の薬師如来が安置されています。

    霊山寺本堂 寺・神社・教会

  • 大和十三仏霊場第10番霊山寺の御朱印<br />令和7年7月20日参拝

    大和十三仏霊場第10番霊山寺の御朱印
    令和7年7月20日参拝

  • 「信貴山」は聖徳太子の前に毘沙門天さまが日本で初めて出現されたお山です。

    「信貴山」は聖徳太子の前に毘沙門天さまが日本で初めて出現されたお山です。

    信貴山 自然・景勝地

  • 信貴山玉蔵院は、興教大師が毘沙門天より如意宝珠を授かった寺院です。毘沙門さまの総本山として広く信仰されています。

    信貴山玉蔵院は、興教大師が毘沙門天より如意宝珠を授かった寺院です。毘沙門さまの総本山として広く信仰されています。

    信貴山 玉蔵院 宿坊 宿・ホテル

  • 「朝護孫子寺」信貴山にありますが、かなり山の上です。

    「朝護孫子寺」信貴山にありますが、かなり山の上です。

    信貴山朝護孫子寺 寺・神社・教会

  • 大和十三仏霊場第11番信貴山玉蔵院の御朱印<br />平成24年4月29日参拝

    大和十三仏霊場第11番信貴山玉蔵院の御朱印
    平成24年4月29日参拝

  • 円成寺へは、一日に数本しかないバスに乗って柳生方面へひたすら山道を走っていきます(30分程)。

    円成寺へは、一日に数本しかないバスに乗って柳生方面へひたすら山道を走っていきます(30分程)。

    円成寺 寺・神社・教会

  • 多宝塔のご本尊「大日如来」は仏師・運慶の20才頃の作で、在銘のもとしては第1作となる非常に貴重な尊像です。

    多宝塔のご本尊「大日如来」は仏師・運慶の20才頃の作で、在銘のもとしては第1作となる非常に貴重な尊像です。

  • 「円成寺」は庭もきれいでした。

    「円成寺」は庭もきれいでした。

    円成寺庭園 公園・植物園

  • 大和十三仏霊場第12番円成寺の御朱印<br />平成24年4月28日参拝

    大和十三仏霊場第12番円成寺の御朱印
    平成24年4月28日参拝

  • 大安寺は、聖徳太子が平群に建てた「熊凝精舎」がその草創といわれています。飛鳥の藤原京で百済大寺、大官大寺となり奈良時代に現在の地に移り大安寺となりました。

    大安寺は、聖徳太子が平群に建てた「熊凝精舎」がその草創といわれています。飛鳥の藤原京で百済大寺、大官大寺となり奈良時代に現在の地に移り大安寺となりました。

  • 南都七大寺のひとつに数えられ、平城京の左京六条四坊から七条四坊にまたがる広大な寺域を占め、わが国最古の官大寺として大安寺式の大伽藍を誇っていました。境内の南に残る東西2つの塔跡に昔日の威容を偲ぶことができます。

    南都七大寺のひとつに数えられ、平城京の左京六条四坊から七条四坊にまたがる広大な寺域を占め、わが国最古の官大寺として大安寺式の大伽藍を誇っていました。境内の南に残る東西2つの塔跡に昔日の威容を偲ぶことができます。

    大安寺 寺・神社・教会

  • 「がん封じ」の寺として知られ、全国からの参拝者でにぎわっています。

    「がん封じ」の寺として知られ、全国からの参拝者でにぎわっています。

  • 大和十三仏霊場第13番大安寺の御朱印<br />令和7年7月20日参拝

    大和十三仏霊場第13番大安寺の御朱印
    令和7年7月20日参拝

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