2025/02/27 - 2025/02/27
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kojikojiさん
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昨年は2回京都を旅していましたが、久し振りに冬の京都もいいなと思い、旅行会社のパンフレットを見ていると「冬の京都7社寺特別拝観」というツアーがありました。昨今のオーバーツーリズムもあり、ベタな寺院は敬遠していましたが、ツアーなら大丈夫だろうという思いもあり申し込むことにしました。そんな矢先に妻が高校時代からの親友と話をしていると「私も行きたい~。」ということになりました。2人は高校時代にアルバイトして貯めたお金で南紀から奈良と京都を旅したことがあると聞いていたので53年振りの関西旅です。そして今年は2人撮って古希の年でもあるのでその記念旅になりました。ツアー自体は旅行会社の予定に乗ればいいのですが、昼食と夕食が付いていないツアーなので、その部分は2人を引率することになりました。当日はLineで連絡がないと妻が怒り出して2人の喧嘩から旅はスタートしました。新横浜を過ぎたところから檸檬堂で乾杯して仲直り、続いてお弁当をいただきます。京都駅の八条口からバスに乗り込んで、まずは「慈照寺」に向かいます。ここでは「本堂・弄清亭を特別拝観」なのですが、1度に20名しか堂内に入れないということで2回に分けての参拝になります。1時間おきの参拝なのでここで2時間かかることになります。ここでツアーの予定は瓦解してしまいます。さらに「銀閣寺」だけで2時間も時間を潰すと次の「上賀茂神社」の参拝する時間は無くなります。何とか参拝を終えてこの日はホテルへ向かい、翌朝までフリータイムになります。宿泊したのは「ベッセルホテルカンパーナ京都五条」という五条大橋の西側のホテルでした。ここから木屋町通りを四条通に向かってぶらぶら散歩します。有名な料理屋さんの前を通りながら「村上重本店」でお漬物を買うことも出来ました。いつも閉店した後の時間帯に通る通りなので、立ち寄れて良かったです。夕食は妻の友人が行ったことのない所ということで「東華菜館」で中華を食べることにしました。インパクトと歴史のある店なので喜んでもらえて良かったです。妻からのプレッシャーでここのお勘定は1人で払うことに。いい具合に酔っぱらって、「南座」の前で鯛焼きを買って、「先斗町」をあるいて「セントジェームズバー」に久し振りに入ってみます。久し振りと言っても30年振りで、良く残っていたなと思います。1階の「我瑠慕」は京都の叔母たちのシマなので今回は寄りませんでした。妻が楽しそうな笑顔なので良しとしましょう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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旅のスタートは東京駅からです。集合時間は午前10時10分でしたが、これくらいの時間だと丸の内線も空いているのでいいのですが、9時集合とかの場合は土日出発にしないと満員電車に荷物を持って乗る羽目になります。
東京駅 駅
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10時48分発の「のぞみ67号」で京都を目指します。昨年はトラピックスのスカイマークの神戸空港行き航空券とホテルがセットになった京都フリーツアーを2回利用しましたが、今回は添乗員さん付きのツアーです。
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新横浜駅を出発したところで檸檬堂で乾杯します。妻の親友との3人旅行は2年振りのことです。友人がLine既読にならずに、朝から電話にも出ないと妻はカンカンでした。今回は2人の古希の旅ですから仲良くしてください。
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我が家の旅行は必ず天気が良いので、この日も富士山がきれいに見えました。例年よりも雪が少ないようです。
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富士川を通過します。妻の実家はほぼ真正面の辺りで、親友の実家は西側のすそ野の方です。添乗員さんから翌日のお昼のフリータイムの時間を聴けたので、デッキから嵐山の「西山艸堂(せいざんそうどう)」に電話して翌日のお昼の予約を入れます。
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関ヶ原の辺りは前日からの雪が残っていますが天気は良かったです。
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京都駅には午後1時に到着しました。このところ羽田空港から神戸空港に入り、JRで京都に戻る旅が多かったので、新幹線を使っての旅は久し振りです。
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八条口に出て駐車場に向かいます。
京都駅八条口祭時計広場 名所・史跡
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今回のツアー3日間はこの赤いバスでした。駐車場では見つけやすい色です。バスは堀川通りを北に進んでいきます。
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最初に現れたのは「興正寺」でした。1912年の明治45年に建立された二階建ての立派な楼門が「三門」になります。「三門」とは空・無相・無願を経て涅槃に至る門を意味し三解脱門を表しています。
興正寺 寺・神社・教会
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次に見えてくるのが「西本願寺」の「御影堂門(ごえいどうもん)」です。祖母が子供の頃に西本願寺から白い馬車が迎えに来て、よく遊びに行ったと言っていたのを思い出します。
西本願寺(お西さん) 寺・神社・教会
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続いて「阿弥陀堂門」です。東西の本願寺は最後に参拝したのがいつだったか思い出せないほどです。一度しっかり参拝しておかないとと思いながら行けていません。「飛雲閣」にも行く機会がありながら行かなかったのも後悔しています。
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堀川御池の交差点では西に向かって手を合わせます。祖父が生まれ母の育った「二条陣屋」はすぐそこなのですが、今回は顔を出すことが出来ません。目を開けると「二条城」の東南隅櫓が見えています。
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「東大手門」の前を通過します。「二条城」は昨年の6月に50年振りに参観することが出来ました。京都に来ても混雑しているところは避けてきたのですが、さすがにここは海外からの観光客と修学旅行生でごった返していました。
旧二条城跡 名所・史跡
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堀川通りの最後は「清明神社」です。鳥居の右脇には「旧一條戻橋」も見えます。鳥居の額に掲げられた金色に輝く社紋「晴明桔梗」が特徴的です。鳥居の額には通常は神社名やお祀りしている神様の名前を掲げることが多いのですが、この鳥居には社紋が掲げられています。「晴明桔梗」は「五芒星」とも呼ばれ、安倍晴明が創られた陰陽道に用いられる祈祷呪符の1つです。一条戻橋は源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。
晴明神社 寺・神社・教会
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バスは堀川通りから今出川通に入り、「冷泉家」の前を通過して「同志社女子大学 今出川キャンパス」に差し掛かります。この辺りは個人的にはあまり来ることがないところです。
同志社大学 今出川校地 名所・史跡
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「賀茂大橋」の上からは「比叡山」がきれいに見えました。冬の京都は空気が澄んでいて、夏の風景とは違って見えるなと感じます。
鴨川 (賀茂川) 自然・景勝地
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左側が「賀茂川」で右側が「高野川」です。合流した後は「鴨川」と名前を変えます。鴨川デルタの先の森の中には「旧三井家下鴨別邸」があり、昨年は朝ご飯を食べに来ました。なかなか来るタイミングと予約できるタイミングが合いませんでした。
旧三井家下鴨別邸:https://4travel.jp/travelogue/11946735 -
「百萬遍知恩寺」は浄土宗大本山の1つで、法然上人の弟子である源智上人が師の遺跡であり下賀茂神社の神宮寺であった「功徳院」を師の恩徳を偲び「知恩寺」としました。1331年の元弘元年に京都で大地震が起こった際には後醍醐天皇の勅命により、第8世善阿空圓上人が宮中にて七日七夜を期し、百萬遍の念佛を称え疫病を鎮めた事から「百萬遍」の勅号を後醍醐天皇から賜わりました。
百萬遍知恩寺 寺・神社・教会
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「進々堂京大北門前」の前も通過しました。京都大学には全く縁は在りませんでしたが、20代の頃に京都へ頻繁に来ていた頃は何度か通った店なので懐かしいです。京都発祥のベーカリー「進々堂」が1930年の昭和5年に開店したカフェで、現在はベーカリー「進々堂」とは別法人のようです。モダンな店構えで漆工芸家の黒田辰秋氏の重厚な机が有名です。
進々堂 グルメ・レストラン
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「哲学の道」までバスは進んできました。ここも50年振りに来たと思います。1969の昭和44年に琵琶湖疏水分線の保存運動を進める中で「哲学の道」と決められたと記憶しています。ここに来たのは昭和50年でしたが、その当時はアンノン族全盛の時代で、この辺りも人気の観光スポットでした。
哲学の道 名所・史跡
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ここでバスを降りて「慈照寺」に参拝に向かいます。
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「慈照寺」を参拝するのも50年振りですが、40年ほど前の夏の大文字の送り火の朝に「大文字山」に登ったことがありました。
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さすがに「銀閣寺」として有名な寺院なので参道から観光客で賑わっています。
銀閣寺 (慈照寺) 寺・神社・教会
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55年振りの大人の修学旅行チームです。ツアコンとカメラマンに徹する旅のスタートです。
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「中門」で添乗員さんからチケットを受け取って特別拝観の「本堂・弄清亭を特別拝観」に向かいます。バスは満席の40人以上の団体なのですが、1階の見学に入れるのは20名とのことです。
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1時間に1回の参観が20名ということは全員観終わるのに2時間以上かかるということです。ところがここでの時間は1時間ほどしかありませんが、急遽2班に分かれることになります。
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庭園を先に見学してもかなり待たなければならないので一度表に出られるか尋ねますが係員からはダメと言われます。仕方ないので添乗員さんが阪急交通社に連絡して、再度チケットを買うということで話はまとまりました。
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まずは庭園を回遊することにします。久し振りに眺める「銀沙灘(ぎんしゃだん)」と「向月台」は非常に現代的な造形だと感じます。
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「銀沙灘」の高さは約65センチあり、「向月台」は約180センチあります。「向月台」の上に座って東山に昇る月を眺めたと言われていますが、現在のような形になったのは江戸後期になってからのようです。
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「慈照寺(じしょうじ)」は観音殿(銀閣)から別名「銀閣寺」として知られていますが、正式には「東山慈照禅寺」と号します。開基は第8代征夷大将軍だった足利義政です。
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銀閣は金閣と先ほど通過してきた西本願寺の飛雲閣と併せて「京の三閣」と呼ばれます。つくづく「飛雲閣」を見ておけば良かったと後悔します。
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1473年の文明5年に室町幕府の第8代将軍の足利義政は子の足利義尚に将軍職を譲り、1482年の文明14年から東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めます。
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祖父で第3代将軍であった足利義満が北山殿を造営して、将軍職を子の足利義持に譲りながら後見したように、義政も養子となっていた弟の足利義視を後見する場として山荘造営を計画しました。
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当時は応仁の乱が終了した直後であり京都の経済は疲弊していましたが、義政は各地の守護大名に費用の負担を命じ、土岐成頼・赤松政則・山名政豊・朝倉氏景らが負担に応じ、朝倉の場合は3000人を連れて上京し作業に協力したとされます。
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小早川や吉川といった地方領主も資金を提供し、寺社も庭石や庭木を供出し、さらに将軍家の御料所の一部が山荘造営のために振り分けられましたが、決して十分ではなかったようです。
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そのため、庶民には臨時の税である段銭を課し、労役である夫役を課して東山殿の造営を進め、義政自身は書画や茶の湯に親しむ風流な隠栖生活を送っていました。
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造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられましたが、義政自身は山荘の完成を待たずに工事開始の翌年である1483年の文明15年にはここに移り住んでいたようです。
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一度表に出て参道にあった「Sanzuian」というカフェでお茶にしました。同じツアーの方も2組ほど同じことを考えていました。カフェと言っても店の奥に和室が一部屋あるだけなので場所を確保できて良かったです。
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6畳間の中心に置かれた黒いボックスは椅子にもなり、テーブルにもなります。7人で話しているところにフランス人の男の子が1人申し訳なさそうに入ってきました。日本のジブリアニメ好きでアルザス地方出身だということでした。両親がコルマールに住んでいるというので、コルマールの「プフィスタの家」が「ハウルの動く城」のモデルだと教えると感激していました。
コルマール:https://4travel.jp/travelogue/11876592 -
見学時間に合わせて再び「慈照寺」に向かいます。空いているタイミングだったので記念写真を撮りましょう。2人共もう身だしなみなんて気にしなくても大丈夫ですよ。
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古希記念の旅の最初の記念写真です。
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我が家も年賀状用に記念写真を撮っておきます。
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このアングルで他の人が映り込まないのはタイミングが難しいです。
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金閣の中には入ったことがありますが、銀閣の中に入ることはもう無さそうです。銀閣は木造2階建ての楼閣建築で1489年の長享3年の上棟です。屋根は宝形造りで杮葺きの屋頂に銅製鳳凰を置いています。錦鏡池(きんきょうち)の畔に東面して建つ姿が美しいです。
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造営東寺の建物で現存する当時のものはこの銀閣と東求堂のみです。この後特別拝観がありましたが、建物の中は写真撮影が出来ませんでした。
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「方丈」と「東求堂」の間にある「銀閣寺袈裟型手水鉢」は4面ともデザインが違っています。通常はこちら側の2面しか見ることが出来ませんが、特別拝観では「方丈」の奥の「弄清亭」に納められた日本画家の奥田元宋の色鮮やかな襖絵も見ることが出来ました。
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「東求堂」には入れませんが「方丈」では俳人で画家の与謝蕪村や文人画家の池大雅筆の襖絵も見ることが出来ました。扁額は「東山水上行」とあります。
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「東山水上行」は「とうざんすいじょうをいく」と読み、「悟りの境地がどういったものか」という質問への答えだそうです。悟りの境地を表す言葉なのです。
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女子中学生も女子高校生も修学旅行で来た京都の寺院にはあまり興味がないのは常ですが、それは古希を迎えても同じようで、特別拝観を終えた妻たちは展望所に登るのは嫌だと言って参道へ買い物に行ってしまいました。
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坂道をあがった枯山水庭園の石組は1917年の昭和6年に発掘され、竹亭漱蘚亭(そうせんてい)跡であり、洛西の「西芳寺(苔寺)」の竜淵水石組を模範に作られたとされる庭園だそうです。
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井泉は義政公愛用のお茶の井跡で水質も豊かで、現在もお茶会等の飲料水として使用されています。泉辺の石組みは当時の遺構そのままであり、茶庭の蹲踞(つくばい)手水鉢前の源流とされます。
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展望所に上がると眼下に銀閣の姿がきれいに望めます。
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左は銀閣で、その右に「銀沙灘」が続いています。
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その右方は手前から「東求堂」、内部を参観した「方丈」が見えます。
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それでもほんの一瞬「総門」に誰もいないタイミングがあったりします。「総門」から「中門」までの参道には「銀閣寺垣」と呼ばれる竹垣があります。石垣の上に竹垣が一直線につらなっています。
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「慈照寺」で予定の倍の時間を取られてしまったので、この日の参拝予定だった「上賀茂神社」は翌日の最後に行くことになりました。阪急交通社のツアーには何度も利用していますが、これほどグズグズの日程は初めてです。
四条通 名所・史跡
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バスは川端通りを南に向かい、「南座」の前を通過します。
京都四條 南座 (阿国歌舞伎発祥の地) 名所・史跡
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五条通りの先には「清水寺」があり、親戚が何軒も住んでいます。今回は顔を出しには行けません。妻はまだ行ったことないので夏の「五条坂陶器まつり」に久し振りに来てみようかと思います。
五条通 名所・史跡
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まだヤフオクなどが無かったころは毎年のように陶器市に通っていました。若宮八幡宮の参道に出ていた「吉兆」の屋台に一番にいって何点か選ぶと先代の清川吉兆さんに「あんた、ええもんばっかり選ってくなぁ。料理屋さんの手はしてへんなぁ。」なんてやり取りを思い出します。祖母の弟の陶哉と東哉の大叔父たちにけちょんけちょんにダメだしされたこともありました。
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今回の宿泊は「ベッセルホテルカンパーナ京都五条」でした。烏丸五条の東側なので予定している晩御飯を食べる店へは徒歩圏内でした。
フロントの若い女性の応対が最悪でした。 by kojikojiさんベッセルホテルカンパーナ京都五条 宿・ホテル
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部屋はツインとシングルの部屋に分かれました。ツインお部屋は五条通りに面して明るい部屋でしたが、シングルはあまりよい部屋ではなかったようです。
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昨年宿泊したJR丹波口駅に近い「エスペリアホテル京都」は狭かったので、それに比べると快適なスペースの部屋です。
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バスルームも広くて良かったのですが、排水が悪くシャワーを使うだけでもオーバーフロウしてしまいます。だましだまし使って、チェックアウト時にフロントの女性にその旨を伝えると「あぁ、そうですか。鍵はそこにドロップしてください。」とそれだけでした。
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バスルームの状態とフロントの女性以外は快適なホテルでした。ちなみに2泊しましたが部屋の清掃などは無く、タオル類は廊下に出しておくと新しいものがドアノブに掛かっています。
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部屋に荷物を置いて早々に出掛けることにします。
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弁慶は千本の太刀を奪おうという悲願を立て、道行く人を襲っては太刀を奪い取り999本までになりました。そして、あと1本というところで五条大橋を横笛「薄墨」を吹きながら通る牛若丸と出会います。弁慶は牛若丸に襲いかかりますが、牛若丸は欄干を飛び交い、最後は返り討ちに遭ってしまいます。降参した弁慶はその後牛若丸の家来になります。
五条大橋 名所・史跡
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現在の五条通りは当時の六条坊門小路に当たり、平安時代の五条通りは清水寺から清水坂を下り鴨川を渡って松原通りへとつながる道でしたので、牛若丸と弁慶が出会ったのは現在の「松原橋」ということになります。豊臣秀吉が方広寺の大仏参詣の便をよくするため変えたと言われます。
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木屋町通りを高瀬川に沿って四条通りに向かいます。1830年の明治3年に創業して1925年の大正14年に現在の場所に移転した「鮒鶴」は当時の京都で随一の規模を誇った元老舗料理旅館でした。
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木造五層の楼閣建築は鴨川の対岸からも美しい建物でした。現在は「鮒鶴京都鴨川リゾート」という名前になっていました。最近ここが気になっているのはOtonamiという非日常体験をするサイトでここを見つけたからでした。
LE UN 鮒鶴京都鴨川リゾート グルメ・レストラン
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その先には「大傳梅梅 京都」という中華料理店がありました。元々は数寄屋大工の9代目北村伝兵衛の自宅だった建物だそうです。近いうちに一度食事しに行きたいと思います。
大傳梅梅 グルメ・レストラン
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「たん熊本店」の前も通過します。打ち水もされてお客さんを迎える準備は出来ているようです。
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「綾小路橋」を渡って「葱や平吉」の前を西木屋町通りに移ります。
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1608年の慶長13年に始まった「方広寺大仏殿」の再建工事の際に豪商の角倉了以が資材運搬を担当しました。当時の鴨川は暴れ川で川の水運を利用した運搬は難航しました。了以は運河の開削を幕府に願い出て1611年から14年の慶長16年から19年に完成したのがこの高瀬川です。水深約30センチの浅い川で、二条大橋の西畔の水取り口から鴨川の水を引き込んで南下し、最後は伏見港を通って宇治川に合流する約10キロの運河です。
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いつもこの辺りを歩くときは店が閉まった後でしたが、久し振りに早い時間に通ることが出来たので買い物することにします。
村上重本店 グルメ・レストラン
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淡いピンクの槍梅が古い焼き締めの壺に生けられています。行燈は堀木エリ子さんの物かと思いましたが、お店の方は知らないようでした。
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柳の枝にびっしりと餅花が咲いています。子供の頃は年末に京都へ行くと障子の張替えと餅花を作るのが仕事でした。懐かしいと思いながらここまで見事なものは作れなかったと反省します。
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友人用のお土産と自宅用の買い物を済ませます。寒い夕方だったので熱いお茶がありがたいです。
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扁額の額受に掛けられた嵯峨面が気になります。
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こちらは「福寿の面 大福」です。嵯峨面は一度は途絶えたものですが、藤原孚石という方が復刻されています。
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こちらは2025年の干支面の「巳」です。何とも言えない可愛らしさなので欲しくなり、翌日嵐山で扱っている店に行きましたが、お値段がかわいくなかったので買うに至りませんでした。
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普段はなかなか2人の写真を撮ることが少ないのですが、友人がいると気軽に撮ってもらうことが出来ます。
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以前から気になっていた店は「食堂みやざき」という有名店だということを知りました。「食堂おがわ」走っていましたが、いつか行ける日が来るでしょうか。
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両親が結婚前にデートしていた「喫茶フランソア」です。そのことは両親からは聞いたことは無かったのですが、母の妹である叔母から教えてもらいました。
フランソア喫茶室 グルメ・レストラン
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四条通りに出て「東華菜館」に到着しました。東京駅では喧嘩していましたが、すっかり仲直りしたようです。特に予約してありませんでしたが、入れなかったことはありません。
東華菜館 本店 グルメ・レストラン
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日本最古のエレベーターに乗って4階に上がります。残念ながら窓側のテーブルは埋まっていました。ライトアップした南座がきれいに見渡せます。
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この店は祖父から何度も来ていたと聞いたことがありました。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計し、1926年の大正15年にこのスパニッシュ・バロックの洋館が生まれています。中華料理を食べたと言っていたので、1945年の昭和20年以降のことだと思います。
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久し振りの3人旅と2人の古希を祝って乾杯します。
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「冷葷盛り合わせ」菜ではなく「葷」という字を使っています。これは強壮効果のある野菜のことを意味します。
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「焼蝦仁」はエビのフリットです。
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「蟹花包米湯」はトウモロコシとカニのスープです。この店は北京料理なので麻辣な料理はありません。妻の好きな酸辣湯もありません。
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ビールから紹興酒「古越龍山」に変えます。古越龍山の名前は古い越を興した龍(王の意味)の山(府山)がその由来になっています。紹興には2回行っていますし北の白酒という蒸留酒より南の黄酒と呼ばれる醸造酒の方が好きです。
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「木須蝦仁」は海老と玉子炒めで、いつも注文する定番料理です。
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「炸丸子」は肉団子の揚げ物です。
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最後に「五色炒飯」で締めました。妻の「ご馳走様!」の一声でご馳走することになりました。もっとも結婚してから妻が財布を出したことはありません。
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まあ仲直りしたので良しとしましょう。
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四条大橋を渡って「南座」の前で記念写真。
京都四條 南座 (阿国歌舞伎発祥の地) 名所・史跡
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ライトアップした建物がきれいです。現在の建物は1929年の昭和4年に建てられ、国の登録有形文化財に指定されています。
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最上部には櫓が取り付けられています。興行主の紋を染めた幕が張られるのは幕府公認の芝居小屋にだけ許された特権です。現在は松竹の社紋が紅白で染められています。左右の白い棒は梵天と呼ばれ、神が降り立つための依り代です。
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2人にとっては鯛焼きの方がいいみたいです。
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まだ中華料理をお腹いっぱい食べたばかりなのに。
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出雲阿国の像の脇で鯛焼き食って何を話ししているのでしょう。
四条大橋 名所・史跡
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そのまま「先斗町」に流れていきます。
先斗町 名所・史跡
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清水の叔母たちの行きつけの「我瑠慕」には寄らず。
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その脇の「セントジェームズ」に入ってみます。ここは30年ほど前に仕事で大津に来ていた頃によく通った店でした。カウンターバックの障子は見覚えがありますが、靴を脱いで上がるスタイルに変わっていました。
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山崎の水割りを飲んでホテルに帰りました。ここもご馳走しましたが、まだ旅の初日なので先が心配になってきます。
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