2025/02/28 - 2025/02/28
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kojikojiさん
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古希記念の旅の2日目は昨日の「慈照寺」につづき「鹿苑寺」を参拝します。最後に銀閣寺と金閣寺を参拝してもう30年以上経っていますし、2人に至っては50年数年振りだと思います。面倒なので尋ねませんでしたが。ここでは「障壁画と寺宝特別拝観」という冬の京都の付く別拝観が含まれています。ここでも見学時間があるので、まずは庭園を散策して金閣寺を目に焼き付けます。最後にここへ来たのは30歳くらいの時で、京都に住む叔母とお茶会で来た時でした。お茶会の後に俗にいう金閣と呼ばれる「舎利殿」の中を見ることが出来ました。これはその後は入る機会も無いのでいい思い出になりました。続いては「龍安寺」に移動して「仏殿・西の庭特別拝観」です。ここへ来るのも50年近く前のことで、記憶も定かではなくて危うく「吾唯足知」の蹲踞(つくばい)を見忘れるところでした、ここで嵐山へ移動して、ここで2時間ほどのフリータイムになります。お昼は行きの新幹線の中から予約した「西山艸堂(せいざんそうどう)」で湯豆腐を予約してありました。まだ寒い2月の旅なのでちょうどよいと思いました。その前に「渡月橋」で2人の写真を撮り、「琴きき茶屋」で道明寺だけの桜餅も買い求めます。湯豆腐を食べても少し時間があったので「天龍寺」の塔頭の「松巌寺」で祖父母のお墓参りもすることが出来ました。その間2人にはお土産屋で遊んでいてもらいました。午後もまだまだ寺院巡りは続きます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス タクシー 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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昨晩は夜遅くまで遊んでしまいましたが、2日目も元気に朝ご飯を頂きます。旅先の朝ご飯が美味しいのはなぜなのでしょう。
ベッセルホテルカンパーナ京都五条 宿・ホテル
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和食と洋食のメニューがバランスよく、なかなか美味しい料理でした。ソフトドリンクのベンダーもあり、コーラやソーダやジュースなどが選べます。ヨーロッパだと500ミリのコーラのペットボトルが450円から1,000円するのですから、インバウンドの観光客は驚くでしょうね。
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最期は番茶と小さな桜餅をいただきます。一口サイズの桜餅ですが、ちゃんと本物の桜の葉を使っています。今日はお昼に嵐山で桜餅を買う予定なのですが。
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ロビーに会ったイラストの地図には二条城の南側にある母の育った家が載っていたので写真を撮っておきます。午前8時45分にバスが迎えに来て、2日目のツアーが始まります。
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バスは西に向かい、西大路通りで「平野神社」の西鳥居の前を通過しました。平安京遷都の頃まで創建が遡るとされる神社で、桜が有名ですが鳥居の奥を見てもまだ春が訪れるのはまだ先のようです。
平野神社 寺・神社・教会
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2日目の最初の参拝は「鹿苑寺」です。ここへ来るのは30数年ぶりのことで、最後は叔母にお茶会で連れてきてもらった時のことでした。
鹿苑寺(金閣寺) 寺・神社・教会
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祖母から「あんた、絶対にお正客(しょうきゃく)の席に坐ったらあかんえ。」と言われていました。確かにお茶会ではほとんどの方が女性ばかりで、尚且つ、お正客は敬遠されるので、そんな座敷に入った日には「どうぞ、こちらへ。」なんて席を勧められることはよくありました。
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寺院に櫟樫(いちいがし)が植えられるのは珍しく、京都市でもあまり見掛けない樹木です。幹周は4.91メートル、樹高は20メートルにも及び市の天然記念物に指定されています。
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市川崑の古い映画に「炎上」三島文学の映画化作の中でも特に評価が高い作品があります。たまたま旅行前にテレビで放映されていたので録画しておきました。白黒とシネスコで表現された見事な映像美などで映画史に残る傑作の1つとして位置づけられ、市川崑が第一級の監督として広く認められるきっかけとなった作品でもあります。
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映画では「金閣寺」が「驟閣寺(しゅうかくじ)」という名称になっている他、登場人物の名やあらすじの一部が原作と異なるものとなっています。その中の1シーンにこの庫裡の壁と防火用水の樽と桶があったことを思い出しました。
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園内に入ると松並木の奥、池の対岸に金閣が見えてきます。冬場でも緑濃い針葉樹の森の中に金色に輝く三層の建物は異様に思えます。三島由紀夫の紀行文集の中にある「美に逆らうもの」では香港にあったタイガーバーム・ガーデンについて「色彩豊かな醜さ」と書いていますが、この景色もなかなか異彩を放っています。香港のタイガーバームは見ることは叶いませんが、同じ兄弟の造ったハウパー・ヴィラはシンガポールで見ることは出来ます。その風景を思い出しながら金閣を眺めると、ただ単純に美しいとは思えなくなりました。
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金閣の内装は階層ごとに様式が異なり、3階は禅宗様、2階は武家造風、1階は寝殿造 りになっています。金閣は公家、武家、寺家のそれぞれ最上位に立ちたいという義満の願いを表現していると言われています。1階の寝殿造はあえて金箔を貼らず簡素な造りにし、2階と3階に金箔を貼って豪華なものとしたのは、貴族に対する武家の優越を表そうと思ったようです。茶会の後には三層まで登ることができ、黒漆と金箔の不思議な世界でした。
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添乗員さんにシャッターを押してもらいました。なかなか3人での写真を撮ることはありませんから。
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庭園を一周してから拝観する「方丈」の脇を通ります。ここまで写真を撮っておきながら左手奥に半分見える「陸舟の松」の写真を撮り忘れました。「方丈」の外廊下からは松がきれいに見えますが、写真を撮ることは出来ません。
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屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(こけらぶき)で、頭頂には鳳凰が据え付けられています。宇治の「平等院鳳凰堂」の像と非常に似ていると感じました。旧1万円札の裏側の鳳凰像は宇治平等院の物なので取り出して見比べてみます。
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鳳凰は霊泉の甘い泉の水だけを飲み、60年から120年に一度だけ実を結ぶという竹の実を食物とし、梧桐の木にしか止まらないといいます。その容姿は頭と嘴が鶏、頸は蛇、胴体の前部が麟、後部が鹿、背は亀、頷は燕、尾は魚であるとされます。
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こちら側からは見えませんが、第一層は「法水院」と呼ばれ、南面には上半分が開放できる半蔀が立てられた平安時代の寝殿造りになっています。内部は正面に宝冠釈迦如来像が安置されています。ここからの「鏡湖池」とそこに浮かぶ「葦原島」の景色の美しさは忘れられません。
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第二層は潮音洞と呼ばれる武家造で観音信仰の場で、床と壁は黒漆塗りになっています。須弥壇には岩屋観音像が座しており、それを守護する四天王像が周りに安置され、天井には飛天が描かれています。外側は壁と高欄が金箔張りで、縁の天井には鳳凰と龍が描かれています。ここはスカートを履いてきたらダメだなと思うほどピカピカの床でした。
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第三層は「究竟頂」と呼ばれ、正面に扁額が掲げられています。唐様禅宗仏殿造の層を最上階に置く事で、出家した義満が公武の上に立つ事を暗示しています。内部中央に仏舎利を安置し、床は黒漆塗りとなっています。天井や壁には金が押され、内側に明障子を入れた火灯窓から入る光の美しさをよく覚えています。
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金閣の後を進むと「銀河泉」があり、義満がお茶の水に使ったと伝えられており、今も清冽な清水が湧き出しています。茶会ではここの水が使われたと説明があったような記憶があります。
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「巌下水(がんかすい)」は義満が手洗いに用いたといわれています。
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この小さな石橋を中国の故事「虎渓三笑」にちなんで「虎渓橋(こけいきょう)」といいます。その両側に低い竹垣があり、右と左の組み方が違うのが特徴です。これが金閣寺垣と称され、小竹垣の代表とされています。「虎渓三笑」は中国の晋の慧遠法師が廬山に隠棲して二度と虎渓の石橋を越えまいと誓いました。ところが訪ねてきた陶淵明と陸修静を送って行きながら話に夢中になって不覚にも石橋を渡ってしまい、3人で大笑いして別れたという「廬山記」の故事のことです。
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「龍門滝」は2.3メートルもの高さを一段落としにしたもので、龍門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事「登竜門」に因んだ鯉魚石(りぎょせき)が置かれています。跳ね上がらんとする龍の姿が、滝壷に斜めに傾いた石で表されています。
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「安民沢(あんみんたく)」は雨賜沢(うしたく)・望雲沢(ぼううんたく)ともいう池で、まわりは樹林に囲まれ奥深い感じがします。日照りが続いても涸れないので雨乞いの場ともされていました。池中の小島には「白蛇塚」という五輪の石塔があり、西園寺家の鎮守などとも伝えられます。
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この辺りで「舎利殿」の見納めになります。三島由紀夫は放火した犯人の青年僧を語り口に、その異常な精神状態を華麗な文体で綴りながら「美」とは何かを追求し、一方で水上勉は青年僧と同郷で境遇が似ていたことから、顔見知りでもあった彼への鎮魂の思いを作中に滲ませているようです。
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「貴人榻(きじんとう)」は高貴な人が腰かけた石で室町幕府によって移設されました。
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江戸時代に傾きかけた金閣を復興し、池泉庭を修復したのが鳳林承章(ほうりんじょうしょう)でした。「修学院離宮」を造営した後水尾上皇の為に、承章が茶道家の金森宗和に造らせたのがこの「夕佳亭」です。三畳の茶室に手前に竈がある土間、奥に勝手をとった草庵風で屋根は茅葺きです。
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宗和が好んだ数奇屋造りの茶席は”夕日”に映える金閣が特に”佳い”ということからこの名が付けられました。正面にある「難を転じる」南天の床柱や右側にある三角の棚の萩の違い棚が有名です。間の古木は鶯宿梅(おうしゅくばい)。奥の二畳は天皇の後座所であった上段の間です。
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「不動堂」の本尊は弘法大師が作られたと伝えられる石不動明王で、霊験あらたかな秘仏として広く一般に信仰されています。
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「鹿苑寺」の中にありながらちょっと違和感を感じるのは周囲に売店や朱印所があるからかもしれません。ここから石段を下って、庭園を一周したことになります。
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「舟形石」は元々馬が水を飲むための水槽として使われていたそうですが、宝船を連想させる形から縁起の良い石と言われています。
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庭園への入り口まで戻って再集合しました。この後「唐門」から特別公開の「方丈」を参観しました。部屋には入れませんが、縁側から聖観世音菩薩像、夢窓国師像、足利義満像などにも参拝することができました。狩野外記(かのうげき)による水墨画の襖絵の許由・巣父、虎渓三笑図が印象に残りました。ここも縁側を含め写真撮影禁止でした。
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再びバスに乗り込んで「龍安寺」に移動しました。駐車場から駐車場へ移動できるので楽ちんなので、こういった時はツアーで良かったと思います。特に今回はインバウンドの外国人観光客や修学旅行の見学コースにも入っている寺院ばかりなので混雑した移動も嫌でした。
龍安寺 寺・神社・教会
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早朝の「鹿苑寺」もそれほど混雑していませんでしたし、「龍安寺」も境内は広大なので混雑した感じはしませんでした。
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「龍安寺」へ来るのは中学1年生の夏休み時と2年生の修学旅行で来た後は全く参拝する機会もなく、50年近い年月が経っています。
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「庫裡」」や「方丈」に向かう参道も寒々しい風景です。
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50年前でも記憶はかなり残っていて、この「鏡容池」には睡蓮の花がきれいに咲いていました。さすがにこの季節では葉の1枚も見えません。
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普段はもたもた歩いている妻も同級生が一緒だと心持ち元気に歩いています。
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地元には幼稚園からの友人が多く残っていますが、まだ現役で仕事をしているので泊りがけでどこかへ行くことは出来ません。こうやって高校の同級生で旅に出られるのは羨ましいですね。
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冬の特別拝観では「仏殿」と「昭殿」を参拝することが出来ました。表に出た「西の庭」には「細川廟」があり、廟の中には開基の細川勝元の像が祀られていました。勝元像は1658年の名歴4年に藤原種久の手により作られたものです。また細川家歴代の官領の位牌が並んでいます。
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「西の庭」は特に花が咲いているわけでもなく、回遊するほどの広さも無く、なんだかなぁという印象でした。「方丈」に細川護熙の障壁画が納められていましたが、この寺の開基が細川勝元という縁があったのだと分かりました。先祖が立派だと内閣総理大臣になれてしまう日本は飛鳥時代の頃から変わらないのだなと思います。
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「西の庭」で良かったのはこの石塔で、初重塔身には四仏が彫られています。初重以上の屋根は地・水・火・風・空の五大をかたどったもので、その上層軸部と一石彫成で上に相輪あげた形は鎌倉時代中期の物のように思えます。
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再び「仏殿」の中を通って「方丈」に戻ります。「仏殿」の天井には墨と金泥で龍が描かれており、その奥の「昭堂」には慶派の作と伝わる本尊の釈迦如来像が安置されています。
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「龍安寺」は1450年の宝徳2年に平安時代の貴族だった徳大寺家の山荘を室町幕府の管領だった細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天を開山に招き創建されました。
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応仁の乱で寺院は全焼てしまいますが、勝元の実子の改元が復興に着手します。その後は細川家の菩提寺として、豊臣秀吉や徳川家などから庇護を受けました。
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1797年の寛政9年に再び「方丈」などを焼失したことから、塔頭の「西源院」から「方丈」を移築します。有名な石庭は1499年の明応8年に前の方丈が建立された際の造営といわれています。
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白砂の上に大小15個の石が配された約75坪の枯山水庭園は渓流を虎が子を連れて渡っているように見えるので「虎の子渡し」とも呼ばれます。
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イギリスのエリザベス女王が1975年の昭和50年に日本を公式訪問した際に石庭の見学を希望されました。女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道され、石庭の名はまたたく間に知れ渡り、現在では「ロック・ガーデン」として世界的に有名な日本庭園になります。
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石庭を前に瞑想しているようにも見える後ろ姿ですが、2人の迷走した人生について語り合っているようです。
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枯山水の庭には杮葺の油土塀に三方を囲まれ、大小15の石が東から五・二・三・二・三と並んでいます。
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「方丈」には南画家の皐月鶴翁(さつきかくおう)が描いた襖絵が1953年の昭和28年から5年がかりで描いた龍と北朝鮮の金剛山の襖絵があるのですが。
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龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺院なので龍が描かれるのは多いと思いますが、この時は襖絵のほとんどが細川護熙の描いた龍図に変わっていました。額の「大勇猛心(だいゆうもうしん)」も彼の揮毫だそうです。玄奘三蔵が経典を求めて西域へ旅立つ際に目的を果たすまで唐には戻らないという不退転を覚悟した言葉です。
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個人的には皐月鶴翁の描いた襖絵の方が見たかったです。
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この襖絵は2022年の令和4年に32枚が納められ、翌令和5年に8枚が納められ全部で40枚の襖絵が奉納されたようです。2025年の令和7年にはさらに52面が納められ92面になったそうです。
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龍門を経た若い龍が年を経ていくという勝元公550年遠忌記念として納められた龍の9つの変容が題材になっています。
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これだけの大きな画面に龍を描くのは大したものだと感心しました。妻とそんな話をしながら見落としているものがあるのに気が付きました。
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この「蹲踞(つくばい)」は徳川光圀の寄進といわれ、「方丈」の北側に置かれてありますが本物は非公開の茶室「蔵六庵」に置かれてあります。この蹲踞には四方に文字が書かれており、中央の水穴を「口」の字として共用し、「吾唯足知 (われ ただたるを 知る)」と読むことができます。この意味は「金持ちでも満足できない人はできないし、貧乏でも感謝の心を持てば満足できる」という意味です。
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「方丈」の東庭には豊臣秀吉が絶賛したという日本最古と言われる侘助(わびすけ)椿の老木があり、赤白まだらの花が咲くのですがこの時はこのような状態でした。
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「勅旨門」は1797年の寛政9年の火災で龍安寺の唐門が焼失したため、1606年の慶長11年に建立された「方丈」とともに西源院の唐門が移築されました。 昭和50年に英国エリザベス女王夫妻が参拝された際にはこの門から入り、「方丈」から石庭をご覧になられたそうです。
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再集合はバスのある駐車場なので足早に「鏡容池」を周ってみることにします。妻は友人が一緒なので捨て置いても大丈夫でしょう。こういう時は3人旅で良かったと思います。
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「方丈」や「唐門」を移築した「西源院」が見えてきました。禅僧の特芳禅傑を開祖として1489年の延徳元年に創建されています。「龍安寺」の境内にあるので「龍安寺 西源院」となっていますが、正確には「妙心寺」の塔頭寺院でもあります。
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「◯天下一」の暖簾をくぐると一面の苔とモミジの美しい庭園とアプローチが広がります。右手には杉越しに「鏡容池」、左手には石臼を用いた変わった手水鉢と流れのある庭が広がります。ここでお昼を食べたいくらいでしたが、そんな時間はありません。入り口まで進んでパンフレットだけいただいてきました。
西源院 グルメ・レストラン
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店から出てくると後からやって来た2人と合流出来ました。冬枯れの木立越しなので池に浮かぶ「弁天島」などがきれいに見渡せました。
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「鏡容池」の名前の由来は鏡のような水面にほとりに生える草花が映し出されることから名付けられています。徳大寺家の私有地の一部だった頃は「おしどり池」とも呼ばれていたそうです。そんなことを思い出させるようにつがいの鴨がいました。
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午前中の観光はここまでで、バスで嵐山まで移動します。河岸の「レストラン嵐山」の駐車場でバスを降りてフリータイムになります。長年素通りするだけの「レストラン嵐山」でしたが、50年前の修学旅行でもここにバスを降りた記憶がフラッシュバックのように蘇りました。
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妻には写真を撮るときはスレンダーな友人より後ろに立ちなさいと言っているのですが気を抜いています。
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昔は2人ともスレンダーだったのですが、だんだん今いくよ・くるよぽくなってしまいました。そういえば2人も高校の同級でした。「どやさ」
渡月橋 名所・史跡
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嵐山に来たら必ず寄るのが「琴きき茶屋」です。
琴きき茶屋 グルメ・レストラン
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赤坂に「雪華堂」というお菓子屋があり、その工場が通っていた小学校の隣にありました。登校時にその工場から小豆を茹でた湯がどぶにそのまま流されていました。そのどぶの臭いと小豆の臭いが混ざって漂い、それ以降あんこが嫌いになりました。なのでこの店の道明寺だけの桜餅が大好きなのです。
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友人家族用と自宅用に3箱買って、桜の花漬けもお土産にします。
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両親が亡くなってからはお土産を買う相手がいなくなってしまい、旅先からのLineを面白がってくれる地元の友人にお土産を買うようにしています。
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昨晩にお漬物を買いに行った「村上重本店」の扁額にあった「嵯峨面」を見てみることにします。
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「嵯峨面」はいろいろな種類があったのですが、欲しかった干支の面はちょっとお高かったので買うには至りませんでした。
石川竹の店 専門店
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予約した時間になったので「天龍寺」の塔頭の1つである「西山艸堂(せいざんそうどう)」に向かいます。
西山艸堂 グルメ・レストラン
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2月の寒い日だったので七輪の炭の温かさがありがたいです。湯豆腐のお昼にして良かったと思います。
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すぐに料理が並びました。このところ「松籟庵」という湯豆腐の店ばかりだったので久しぶりにこの店に来ました。
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先付けは海苔の上に湯葉を乗せて鰻のかば焼きのようにした寿司と小茄子田楽とよもぎ麩を焼いたものが並びます。精進料理なので麦般若をいただきます。
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胡麻豆腐も濃厚で美味しいです。飛竜頭も上手に焚いてあって美味しいです。この店の豆腐や飛竜頭などは「森嘉」の物が使われています。
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天婦羅は獅子唐と湯葉揚げと自然薯の磯部揚げです。この磯部揚げはいつ食べても絶品だと思います。
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そしてメインの湯豆腐が大きな土鍋に入ってやってきます。中央には温められた出汁が入っています。ボリュームいっぱいなのでご飯とお漬物でお腹いっぱいになります。
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お腹いっぱいになったところで妻たちとはしばらくお別れです。2人は買い物に向かいます。
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姪がまだ幼稚園に通っていた頃にここで「ケンケンパ」をしたことを思い出しました。もう中学生になってしまい、遊んでくれることも無くなりました。
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1人で「天龍寺」に向かうとそれまでの曇天から陽が射してきました。
天龍寺 寺・神社・教会
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目的は塔頭の1つの「松巌寺」です。ここへは観光で向かったわけではありません。
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祖父母と叔父叔母の墓参を久しぶりにすることが出来ました。昨年は時間が無くて山門の前をタクシーで通過しながら手を合わせただけで気になっていました。「レストラン嵐山」の駐車場に戻って午後の観光に向かいます。
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山科
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