2025/01/09 - 2025/01/09
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マリアンヌさん
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国立西洋美術館でモネ展が開催されているというので、出かけました。平日なのにかなり混雑していて、印象派人気を改めて実感しました。
「モネ睡蓮のとき」というタイトルでジヴェルニー庭園を描いた作品が展示されていました。1994年にジヴェルニー庭園を訪れたことがあり、アナログ写真をアップしてみました。
また、常設展は少し展示作品が変わったり、新展示作品があり、記録に残そうと思いました。
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館内は、一部を除いて撮影禁止だったので、画像はHPから。
好きなセーヌ河の水辺の風景の絵。昔、マルモッタン美術館にも行ったことがあるが、アナログ写真もなく記憶の彼方。
HP より。
1890年、50歳になったモネは、7年前に移り住んだノルマンディー地方の小村ジヴェルニーの土地と家を買い取り、これを終の棲家とした。それは同一のモティーフを異なる時間や天候のもと繰り返し描く、連作の手法を確立した時期でもあった。 -
HPより。
1893年、モネは自邸の庭の土地を新たに買い足し、セーヌ河の支流から水を引いて睡蓮の池を造成する。この“水の庭”が初めて作品のモティーフとして取り上げられたのは、それから2年後のことだった。
周囲の実景の描写はしだいに影をひそめ、ついには水平線のない水面とそこに映し出される反映像、そして光と大気が織りなす効果のみが画面を占めるようになった。 -
こちらは、以前常設展で撮影したもの。ウォータールー橋 ロンドン
今回は展示作品に含まれていた。 -
HPより。
1909年の「水の風景連作」展以降、のちに白内障と診断される視覚障害の兆候や最愛の妻の死をはじめとする不幸は、モネの画業に一時の空白期間をもたらした。しかし1914年に再び創作意欲を取り戻すと、かつて抱いた装飾画の構想に精力的に取り組みはじめまた。実現することなく終わった幻の装飾画の計画において重要な役割を担っていたのが、池に架けられた太鼓橋の藤棚に這う藤と、岸辺に咲くアガパンサスの花だった。
ところが、最終的にモネはそれらの花々による装飾の考えを放棄し、壁一面を池の水面とその反映によって覆うことを選んだ。 -
こちらのゾーンは、撮影可能だった。
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拡大して。
黄色いがかった睡蓮の葉。赤い睡蓮がたくさん。 -
HPより。
「大装飾画(Grande Décoration)」とは、睡蓮の池を描いた巨大なパネルによって楕円形の部屋の壁面を覆うという、モネが長年にわたり追い求めた装飾画の計画。 -
HPより。
最終的にパリのオランジュリー美術館に設置されることになるこの記念碑的な壁画の制作過程において、70代の画家は驚嘆すべきエネルギーでもって、水面に映し出される木々や雲の反映をモティーフとするおびただしい数の作品群を生み出した。 -
モネから直接購入した睡蓮。
HPより。
ごく少数の例外を除き、モネはこれら大装飾画に関連する作品のほとんどを生前に手放すことなく、1926年の死の間際にいたるまで試行錯誤を重ねた。国立西洋美術館のコレクションの基礎を築いた松方幸次郎は、モネが唯一、その巨大な装飾パネルの一つを売ることを認めた相手だった。 -
柳と水面に映る雲と睡蓮、美しい作品。
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拡大してみた。
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柳と睡蓮と光が溶け合っている。
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睡蓮:柳の反映
明度差が乏しく、全体に暗い。画面の左に濃い緑で描かれた湾曲した二つの湾曲した線は柳の幹と枝だそう。
点在する縦長の白色は、差し込む光の反映。 -
空を写し込んだ青い池に、緑色の睡蓮の葉と黄色い睡蓮というシンプルな構図。
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脈述、柳の反映
HPより。
日本の実業家で、国立四準美術館のコレクションの基礎を染いた収集家の松方童次郎は、921年にジヴェルニーのモネの家を訪れ、18点ほどの作品を画家から直接購入しました。本作もその一つ。
第2次世界大戦を経て、長らく所在不明となっていましたが、2016年にルーヴル美術館において、大部分が破損した状態で再発見されたそう。 -
黄色いアイリス、西洋美術館所蔵。
以前、常設展で撮ったもの。 -
こちらはまたHPより。
モネの絵画は、その色彩が生む繊細なハーモニーゆえに、同時代からしばしば音楽にたとえられたそう。 -
しだれ柳。
睡蓮の池の周辺には柳が植えられていて、太鼓橋とともに日本情緒を醸し出していた。
陽に照らされて赤く染まる幹を中心に描かれ、陽にあたり瞬時に変わるはが多様な色彩で描かれている。 -
HPより。
1908年ごろからしだいに顕在化しはじめた白内障の症状は、晩年の画家の色覚を少なからず変容させることになった。
悪化の一途をたどる視力に絶えず苦痛を訴えながらも、モネは1923年まで手術を拒み、絵具の色の表示やパレット上の場所に頼って制作を行うことさえあったという。 -
こちらはバラのアーチですよね。
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HPより。
「大勢の人々が苦しみ、命を落としている中で、形や色の些細なことを考えるのは恥ずべきかもしれません。しかし、私にとってそうすることがこの悲しみから逃れる唯一の方法なのです。」大装飾画の制作が開始された1914年に、モネはこう書いているそう。 -
1994年に訪れたジヴェルニーのモネの家。
ちょうど花盛りだった。 -
当時、購入したガイドブックから食堂。
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こちらは、小さな読書室。壁には浮世絵が飾られていた。
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光溢れる睡蓮のアトリエ。
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多くの部屋が復元されていた。
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ジヴェルニー庭園は、色々な花が咲いていた。
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館の薄いピンク色の壁に緑の鎧戸が素敵だった。
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バラのアーチ。
写真と絵画をあらためて見比べてしまう。 -
睡蓮の庭。柳も垂れている。
まさに睡蓮の絵が思い浮かぶ。 -
絵画に登場する立派な垂れ柳。
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太鼓橋では、新婚さんが記念撮影をしていた。
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パレットのように色彩を散りばめた庭園だった。
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改めて天国のような色彩溢れたジヴェルニー庭園を思い出してから、絵画を見ると感慨深い。
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常設展へ。
14世紀シエナ派
聖ミカエルと龍
常設展も展示の内容が少し変わるよう。こちらは以前のもの。
https://4travel.jp/travelogue/11634623 -
カルロ。クリヴエツリ (1430/35年-1494年以降)
聖アウグスティヌス -
ルカス・クラーナハ (父)(1472年-1553年)
ゲッセマネの祈り -
ヨアヒム。パティニール (派) (1485年?-1524年)
三連祭壇画:エジプト逃避途上の休息 -
拡大して。
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アンドレア・デル・サルト (本名アンドレア
ダーニョロ・デイ・フランチェスコ) (1486年-1530年)
聖母子
吾が輩は猫であるにも出てくる作家。
ルネサンスからマニエリスムへ導いた。 -
アンドレアス .リッツオス (1442年頃-?)
イコン: 神の御座を伴うキリスト昇天 -
拡大して。
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パオロ・ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ)
(1528年-1588年)
聖カタリナの神秘の結婚 -
拡大して。
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ジョルジョ・ヴァザーリ (1511年-1574年)
ゲッセマネの祈り -
ティントレット (本名ヤコポ・ロブスティ) (1518年-1594年)
ダヴイデを装った若い男の肖像 -
16世紀エミリア派(アレッサンドロ・ベドリ?)
ヴィーナスとキューピッド -
ルカス・クラーナハ(父) (1472年-1553年)
ホロフェルネスの首を持つユディト -
テイツイアーノーヴェチェッリオと工房
(1485/90 (?) 年頃-1576年)
洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ -
<初展示>
ルドヴィーコ・カラッチ (1555年-1619年)
ダリウスの家族 -
ピーテル・ブリューゲル (子)(1564/ 1565年-1637/1638年)
烏罠のある冬景色 -
拡大して。
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ヤン・ブリューゲル (父) (1568年-1625年)
アブラハムとイサクのいる森林風景 -
ラヴィニア・フォンターナ (1552年-1614年)
アントニエッタ。ゴンザレスの肖像
案内より
「この少女の父は、顔を含む体中に毛が生えるという特異体質ゆえ、少年時代にパリに連れてこられ、。宮延人として育てられました。その体質は、子供たち数人に遺伝します。有名になった一家は各地の宮廷から求められ、最終的にイタリアのパルマに落ち着きました。
そこで少女は有力な貴族に引き取られました。彼女が手にする手紙には、身の上が記されています。
作者のラヴイニア・フォンターナは、西洋美術更上初めて本職の画家として成功を収めた女性。表情や衣服の装飾を精緻かつ色鮮やかに描き出す手法は、この画家ならではのものとのこと。」 -
カルロ・ドルチ (1616年-1687年)
悲しみの聖母
案内より。
「ドルチは17世紀フィレンツェを代表する画家です。鮮やかで深みのある色彩と緻密な描写を特徴とし、冷ややかながら甘美な愁いを帯びた、独自に理想化された宗教人物(とりわけ女性)像で人気を博しました。
本作の主題は、わが子キリストの運命をめぐって悲しみにくれる聖母マリアという極めて伝統的なもの。ドルチ本人も敬虔な信仰の人で、生涯聖べネディクトウス信者会に属していました。」 -
フランシスコ・デ・スルバラン (1598年-1664年)
聖ドミニクス
案内より。
「ドミニコ会修道院の創設者で13世紀初めの聖人ドミニクスの肖像です。脇の犬は松明を呼えており、その端に火が灯っていることは、聖人の背後に爪かな光の広がることから確認できます。本作は、17世紀スペイン絵画を代表する画家のひとりであるスルバランが27歳の頃、セビ一リャのサン・パブロ・エル・レアル修道院のために描いたと考えられます。画面の左右と下辺には後代の手によりカンヴァスが追加されていますが、漆黒の背景から静かに人物が浮かび上がる、膜想性に満ちた雰囲気は、「修道僧の画家」とも呼ばれるこの画家の真骨頂を示しています。」
大きな作品。当時のスペイン教会では彫刻主流でそのダイナミクスに負けないようなリアリズムだそう。 -
コルネイユーヴァン・クレーヴ (1646年-1732年)
ウエヌスとクピド -
フィリップ・ド・シャンペーニュ (1602年-1674年)
マグダラのマリア -
エル・グレコ(1541年-1614年)
十字架のキリスト
マニエリスムに分類される、日本に2枚しかないグレコ。 -
バルトロメ・エステバン。ムリーリョ (1617年-1682年)
聖フスタと聖ルフィーナ -
アンソニー.ヴァン・ダイク (1599年-1641年)
レガネース侯爵デイエゴ・フェリーペ・デ.グスマン -
ペーテル・パウル・ルーベンス (1577年-1640年)
眠る二人の子ども
後の大きな作品を描く材料になっている。
小品だけど丁寧に描かれているとのこと。 -
エドフールト・コリール (1643年頃-1710年)
ヴァニタスー書物と衡髏のある静物 -
ヨハネス・フェルメールに帰属 (1632年-1675年)
聖プラクセディス
案内より。
「これは、フェリーチェ・フィケレッリ(1605-60年)というイタリア人画家の作品の模写です。しかし、画面左下に記された署名と年記(Meer 1655)から、オランダの風俗画家として名高いフェルメールの作品である可能性が指摘されています。衣服の袖口などに用いられている鉛白はフェルメールの他の初期作品に用いられたものと極めて近い組成を持つことが判明しています。プラクセディスは2世紀の聖人で、姉とともに殉教
者たちを看護し遣体を埋葬したことで知られます。」 -
クロード・ロラン (本名クロード・ジュレ)(1604/ 05年-1682年)
踊るサテュロスとニンフのいる風景 -
拡大して。
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ダフィット・テニールス (子) (1610年-1690年)
聖アントニウスの誘惑 -
拡大して。
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ジャンーオノレ・フラゴナール (1732年-1806年)
丘を下る羊の群 -
拡大して。
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ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ (1727年-1804年)
聖母子と三聖人 -
アンゲリカ・カウフマン (1741年-1807年)
パリスを戦場へと誘うへクトール
案内より。
「ローマやロンドンで活躍した新古典主義の女性画家カウフマンは、歴史画の領域で国際的な成功をおさめました。古代ギリシャの叙事詩「イーリアス」にもとづく本作は、スパルタ王妃へレネとの恋に溺れるトロイアの王子パリスに対して兄へクトールが戦場へ戻るよう諫める場面を取り上げています。画家は女性の立場を代弁する主題をしばしば取り上げましたが、非戦闘的な雰囲気が漂う本作も、同様の観点から描かれたのでしよう。」 -
オドール・シャセリオー (1819年-1856年)
アクタイオンに驚くディアナ
案内より。
「アングルレ流の新古典主義と、ドラクロワ率いるロマン主義を統合したシャセリオーは、37歳で天逝するも19世紀末の象徴主義への道筋を示しました。本作はオウィディウスの「変身物語」に取材し、手前には優美な背中を見せる女神ディアナとニンフたちが配され、画面奥には彼女らの水浴を覗き見たため鹿に姿を変えられつつある狩人アクタイオンが、襲いかかる猟犬
らとともに描かれます。鮮やかな色彩や動きのある構図、大気や水の繊細な色調に、ロマン主義への傾倒が見て取れます。」 -
ジャン=フランソワ・ミレー (1814年-1875年)
春 (ダフニスとクロエ)
案内より。
「ダフニスとクロエは、古代ギリシャの詩人ロンゴスが書いたとされる恋愛物語です。幼くして捨てられ、牧人に育てられたダフニスとクロエの成長と愛の成就が語られています。ミレーは「春」のテーマに幼い愛の芽生えをとりあげ、柔らかい色調と筆遣いで無垢な二人と牧歌的な光景を描いています。「春」は装飾画連作「四季」のうちの1点で、身近な自然や農民などを
描いたミレーの作品のなかでも、古典的な傾向が強い作品です。」 -
ウイリアム・アドルフ・ブーグロー (1825年-1905年)
純潔 -
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ (1828年-1882年)
愛の杯
案内より。
「ロセッティは、英国ヴィクトリア朝の画家、詩人です。
ラファエロ以前の素朴な芸術に立ち返ることを日指し、「ラファエル前派」を結成しました。本作では、女性が金色の「愛の杯」を掲げています。背景には、旧約聖書の物語を表す4枚の真喩の皿と、忠誠や永遠を象徴する蔦の葉が見られます。額縁の銘文には「甘き夜、楽しき昼/美しき愛の騎士へ」とあり、この女性は、戦いへおもむく恋人のために乾杯しているのかもしれません。」 -
ジョン・エヴァレット・ミレイ (1829年-1896年)
狼の巣穴
案内より。
「ミレイは、ラフェエル前派兄弟団のメンバーのひとりであるイギリスの画家です。初期には執拗なまでの細密描写と濃密な色彩によって歴史や文学作品に基づく主題を描き、賛否両論を呼びましたが、1860年代以降はより温和な作風へと転じ、同国画壇における名声を築きます。1863年のロイヤル・アカデミー
展に出品された本作に描かれるのは、画家の4人の子どもたちが、自宅のグランドピアノを狼の巣に見立てて遊ぶ情景です。このように愛らしい子どもを物語的な要素とともに描く絵画は「ファンシー・ピクチャー」と呼ばれ、18世紀以来イギリスで人気を博しました。」 -
ジョン・エヴアリット・ミレイ (1829年-1896年)
あひるの子 -
アンリ・フアンタン・ラトウール (1836年-1904年)
花と果物、ワイン容れのある静物 -
ヴィクトリア・デュブール (1840年-1926年)
花
案内より。
「バリの国立美術学校が女性に門戸を明さしていた19世紀半ば、デュブールは女性画家のアトリエやルーヴル美術館での模写を通じて絵画を修めました。美術教育の機会は限られていたものの、彼女は花や果物の静物画で名を成すことになります。マネやモリゾ、ドガとも親しく、1876年にはアンリ・ファンタン・ラトゥールと結婚し、夫との共同制作も行いましたが、旧性で署名した前物間を限覧会に出品し統けました。
暗い褐色を背景に、様々な形と色の花々が互いに引き立て合う本作は、この卑近なモティーフに対する画家の鋭敵な感覚をよく示しています。」 -
ギュスターヴ・クールベ (1819年-1877年)
罠にかかった狐
案内より。
「狩人にして画家とも称されたクールべは、1850年代後半以降、狩猟を主題とする絵画を数多く手掛けました。近世以降のフランスにおいて長らく狩猟は一部の特権階級の独占物とされてきましたが、美術を取り巻く社会の構造にきわめて敏感であった画家は、そうした貴族的伝統やブルジョワ越味を意識しつつ、この主題を民衆の現実に根ざす「生ける芸術」へと置き換えようとしたのです。本作では積雪の森を舞台に、罠に捕らわれた狐の痛みを刻印するかのごとくその強張った身体が入念な筆致で描かれています。」 -
ジャン=バティスト・カミーユ•コロー (1796年-1875年)
ナポリの浜の思い出 -
ウジェーヌ・ブーダン (1824年-1898年)
トルーヴィルの浜 -
拡大して。
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カミーユ・ピサロ (1830年-1903年)
立ち話
案内より。
「ピサロは全8回の印象派展すべてに参加した唯一の画家で、印象派の画家たちのまとめ役でもありました。
本作は、1882年の第7回展に出品された1点で、当時ビサロが制作の拠点としていてたバリ近郊ボントワーズの農村での日常的なひとこまが切り取られています。
人物の飾り気のない姿にくわえ、画面を覆う振動するかのような筆触、明るい色調、そして躍動的な垣根の斜め線が生み出すのは、軽やかでみずみずしい雰囲気。これらは、たとえばミレーの種まく人のような、労働に勤しむ威厳に満ちた農民の姿とは一線を画す新しい農村のイメージを作り出しています。」 -
アルフレツド・シスレー (1839年-1899年)
ルーヴシエンヌの風景 -
クロード・モネ (1840年-1926年)
雪のアルジャントウイユ
家族とともに貧しいけど幸せな時代。 -
ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841年-1919年)
アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)
案内より。
「この作品はルノワール初期の代表作の一つです。ハーレム(イスラム文化圏における後宮)の官能的な女たちが描かれていますが、当時、画家はイスラム文化に彩られた北アフリカを訪れてはいませんでした。それでも、ドラクロワのイアルジェの女たちなどを下敷きにして、きらびやかな衣服を纏ったパリの女たちのまわりに装飾豊かな絨毯や家具を配し、東方趣味を存分に表現しています。ルノワール特有の豊かな色彩と筆遣いがすでに見られます。」 -
ルノアールらしい肌の美しさ。
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エドウアール・マネ (1832年-1883年)
ブラン氏の肖像
案内より。
「19世紀フランスの画家マネは、同時代のパリに生きる人々の「今」を描き、近代絵画の道を切り拓きました。
印象派の画家たちは彼を範と仰ぎました。グレーのシルクハットに青紫の礼服を粋に着こなし、小道でポーズをとるブラン氏。マネらしい現代性にあふれた作品で、晩年に印象派の画家たちから影響を受けた明るい自然光の表現が顕著です。この肖像画は結局、ブラン氏の手元には渡らず、マネの死後、ドガが入手しています。」 -
エドガー・ドガ (1834年-1917年)
舞台袖の3人の踊り子
バレエ好きな私、初めは単純にバレリーナが描かれていて興味を持ったけどパパ活的なリアルな場面描写とは・・・
案内より。
「ドガにとってバレエは、もっとも重要な主題でした。彼が残した作品のうち過半数が、踊り子を対象にしています。19世紀パリの代表的な社交の場であったオペラ座で垣間見られる、現代生活の心理的諸相を鋭く観察するまなざしが、ドガにはあったのです。この作品では3人の踊り子のあいだにシルレクハットをかぶった男性が影のように浮かび上がり、彼らの関係をめぐる想像を揺き立てます。素早い筆致、塗り残しによって光を表現する大胆な手法は、ドガの作品にあっては異例でした。」 -
ベルト・モリゾ (1841年-1895年)
黒いドレスの女性 (観劇の前)
案内より。
「印象派の女性画家モリゾは、プルジョワ階級の女性の視点から母子像や家族の姿など身近な主題を多く描きました。
また画家仲間のエドウアール・マネのために、幾度となく肖像画のモデルを務めています。本作は第2回印象派展(1876年)に出品されたと推定されパリで日本美術商をしていた林忠正の旧蔵品でもありました。これから観劇に出かけようと、オペラグラスを手に華やかに着飾る若い女性の柔らかい表情や、モリゾ特有の闊達な筆触によって描かれたドレスの黒の効果が印象的です。残された写真から、このドレスはモリゾ自身が持っていたものと考えられます。」 -
ピエールーオーギュスト・ルノワール (1841年-1919年)
帽子の女
案内より。
「本作はルノワールの真珠色の時代と呼ばれた1890年代の作品です。1883年頃から印象派の技法に限界を感じた画家は、固有色と明確な輪郭による造形表現へと一度舵を切りましたが、間もなくヴァトーやブラゴナールらロココ絵画の洗練された筆致を参照するようになります。
柔らかな筆致が捉える白いドレスと滑らかな肌は、まさに真珠のような淡い色調が溶け合ら繊細な輝きをたたえ、背景の鮮やかな色彩と好対照をなしています。画家が特別な関心を寄せ、 この頃くり返し描いた装飾的な作りの帽子は、本作でもその華やかさで私たちの目を引きます。」 -
クロード・モネ (1840年-1926年)
しゃくやくの花園 -
ロダン作
接吻 -
カミーユ・クローデル(18644-1943仰
ペルセウスとゴルゴーン -
ギュスターヴ・モロ一 (1826年-1898年)
ピエタ
案内より。
「十字架より降ろされたキリストの亡骸を聖母マリアが抱えて嘆くという「ピエタ」の主題は、福音書には記されていないながら、子を失った母の悲しみという普遍的なメッセージを有すことから、中世末期以降常に高い人気を誇りました。モローは19世紀後半のフランスで、きらびやかかつ幻想的な独自の表現で神話や聖書の場面を描き出した画家です。マリアと死せるキリストとの頭上には、聖霊を象徴する鳩が翼をひろげ、背後では二人の天使が顔を寄せ、キリストの勝利が暗示されています。」 -
拡大して。
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アンリ・ファンタンーラトウール (1836年-1904年)
聖アントニウスの誘惑 -
ヴィルヘルム・ハンマースホイ (1864年-1916年)
ピアノを弾く妻イーダのいる室内
案内より
「19世紀末デンマークを代表する画家ハンマースホイは、妻イーダの後ろ姿を繰り返し描きました。二つの部屋をつなぐ扉はこちらに向かって開き、イーダが奏でるピアノの音が奥から流れてくるような効果を生んでいます。全体の構図はフェルメールらの影響を受けていますが、画面は生活感に乏しく、17世紀オランダの親密な風俗画とは越が異なります。イーダの頭上にかけられた芸術作品は何を表わしているかはっきりせず、謎めいた雰囲気を高めています。」 -
拡大して。
好きな作家。静謐な気分に包まれる。 -
ピエールーオーギュスト・ルノワール (841年-1919年)
木かげ -
ポール・セザンヌ (1839年-1906年)
ポントワーズの橋と堰
案内より。
「近代絵画に草新をもたらすことになるセザンヌは、1872年から1882年頃まで、印象派の中心的画家だったピサロとともに、ポントワーズで断続的に制作をおこないました。川のほとりから中心街のほうへと視線を向けたこの絵画には、鉄道橋や堰といった近代化を象徴するモティーフがみられます。風景の前景/中景/後景、あるいは描く対象ごとに異なる筆触を使い分けながら、セザンヌは両面内に重層的な秩序をつくりだしています。その多様な筆触には、彼がこれ以降に展開してゆく絵画の可能性も宿されています。」 -
こんな素敵な作品が常設で嬉しい。
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<初展示>
ポール・ゴーガン(1848年-1903年)
サンートウアン教会、ルーアン -
ポール・セザンヌ (1839年-1906年)
葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々
案内より
「印象派仲間のいるパリから離れて南仏のエクス・アン=プロヴァンスを拠点としはじめたセザンヌにとって、父親がエクスの郊外に購入したジャ・ド・ブッファン(「風の館」の意)は格好の画題となりました。その敷地を描いた本作は、手前の草地、低い塀、赤茶色の土壌が覗く中景、遠方の山々までを画面下半分に帯状に重ね、垂直に伸びる落葉したマロニエの木々をそれに持抗させています。一方で網目状に広がる枝は地と空とを結びつけます。この堅固な構図や各対象を構成する筆触の使い分けは、セザンヌ特有の構築的な進形を予告するかのようです。」 -
クロード•モネ (1840年-1926年)
波立つプールヴィルの海 -
マックス・エルンスト (1891年-1976年)
石化した森 -
ポール・ゴーガン (1848年-1903年)
海辺に立つブルターニュの少女たち
案内より
「1888年の夏、フランス北西部の小村ポンータヴェンに滞在していたゴーガンは、来訪したエミール・ベルナールに刺激れ、明喰な輪郭線に囲まれた色面で画面を構成する「クロワゾニスム」の技法を取り入れました。彼は自然の忠実な再現よりも主観的な感覚を重視し、やがて象徴主義画家の旗手となります。本作に描かれたプルレターニュ地方の少女たちの訝しげな眼差しや逞しい素足は、ゴーガンが彼女らに認めた素朴さや野生の片鱗を示しています。」 -
エドウアール・ヴュイヤール (1868年-1940年)
縫いものをするヴュイヤール夫人 -
カミーユ・ピサロ (1830年-1903年)
収穫
案内より。
「印象派の中心的な画家のひとり、カミーユ・ピサロによる「収穫」は、当時彼が滞在していたパリ近郊のポントワーズの麦畑での刈入れの情景にもとづいて描かれました。本作は正確には注文制作の装飾画ではありませんが、ピサロ自身が、本作に用いられる古典的な絵画技法のテンペラの生み出す艶消しの絵肌を、同じく古代より続くフレスコによる装飾壁画のマチエールに通じるものと考えていたことが知られています。またエドガー・ドガの作品からの影響が指摘される極端に横に長い画面や、対角線上に人物像を並べながら遠近感をやや誇張した構図も作品の装飾的な性格を強めています。
ピサロは早くも1870年代前半から印象派の支援者ギュスターヴ・アローザや親族の住居のための装飾画や室内を飾るための扇面作品も手がけており、こうした経験が本作の大胆な構図への挑戦を促したことでしょう。」 -
ピエール・ボナール (1867年-1947年)
働く人々
案内より。
「もうひとりのナビ派の画家ピエール・ボナールによるく働く人々は、パリの大画商ベルネーム・ジュヌ兄弟がアンリ・マルタン街に構える邸宅の玄関装飾のために描かれた連作の1点です。この連作は、フランス各地の風物に取材しながら自然や文明を対比的に描き出した地上の楽楽園、田園のシンフォニー、
地中海と本作の4点で構成され、数年にわたる制作期間を経たのち1921年に兄弟が営む画廊で発表されました。
働く人々は都市における現代生活を主題とし、セーヌ河下流、パリ郊外の工業地帯に取材しています。汗を流して働く労働者の姿を右手前に大きく配し、前景から遠景へと視線が抜けるダイナミックな構図に、橋を行き交う人々の姿を添えて近代都市の活気を表現しています。対比をなすように配された暖色系と寒色系の色彩もまた、画面に生彩を与えています。私的で親密な情景描写を得意としたボナールですが、名高い画商の邸宅の玄関を飾る装飾画であるためか、本作を含めた連作全体の主題・構図ともに、どことなくモニュメンタルな性格を示すものとなっています。」 -
ポール・シニャック (1863年-1935年)
サンートロぺの港
案内より。
「新印象派の画家シニャックは、スーラとともに点描法の普及に努めました。点描法とは、色の明るさを保つため、絵具を混ぜ合わせず、細かい点として画面に並べていく技法です。1902年に完成された本作は、画家の愛した南仏の港サン・トロぺを描いたものです。
この頃のシニャックの芸術は、大きな筆触と個々の色彩が際立ち、20世紀のフォーヴィスムを準備する晩年の作風へと展開していきます。本作は、画家の転換期を代表する重要な一枚です。」 -
ラウル・デュフィ (1877年-1953年)
モーツァルト
好きな作家。 -
藤田嗣治 (1886年-1968年)
坐る女 -
ジョルジュ・ルオー (1871年-1958年)
道化師 -
<初展示>
ジョルジュ・ブラック (1882年-1963年)
パイプのある静物 -
ジョルジュ・ブラック (1882年-1963年)
静物
案内より。
「ブラックはピカソと共同で、20世紀初頭のもっとも重要な美術運動というべきキュビスムを創始しました。
「手で触れることのできる空間」を追求したブラックは、この作品でも接近した距離から見下ろしたテーブルとその上に並んだ事物を、複数の視線から捉えた面の組み合わせによって描きだし、それらの触知的な実在性を浮き彫りにしています。ブラックの絵画は1911年の夏以降、より均質な構成へと洗練されていきますが、それに先立って制作されたこの小品には、キュビ
スムの原初的な造形意識が保たれています。」 -
<初展示>
パブロ・ピカソ(1881年-1973年)
小さな丸帽子を被って座る女性
案内より。
「本作は、ピカソの当時の愛人ドラ・マールの肖像で、ナチス占領下のパリで1942年4月21日に描かれたとされます。帽子をかぶって肘掛け椅子に座る女性の胸像は、画家が彼女をモデルに繰り返し取り組んだ構図ですが、本作はそれらのなかでも完成度の高い1点です。ピカソ特有のデフォルメは最小限に留められ、比較的調和のとれた正面観の頭部と、大きく描かれた両手が目を引きます。寒色を基調とした色彩や、ドラ・マールがこちらに向けるまっすぐな視線も相まって、厳粛で力強い印象を与える作品です。」 -
ジョアン•ミロ (1893年-1983年)
絵画
案内より。
「スペインのバルセロナに生まれたミロは、1920年代にシュルレアリスム運動への参加によって一躍注目を集めました。戦後は、記号化された原初的モティーフや線や色班などの断片的な形象によって画面を構成する独自の作風を築きます。本作でも、明るいグレーの絵具が不均一に塗られた大画面に、太陽や星のような記号と、カリグラフィックな黒の線が漂っています。素朴で稚揺さをも感じさせる表現ですが、同時に、広々とした天空を思わせる詩的で雄大な雰田気が伝わってきます。」 -
パブロ・ピカソ (1881年-1973年)
男と女 -
帰りに谷中のお気に入りカフェへ。
pásele
https://www.instagram.com/pasele.yanaka?igsh=MXMxMDZkeW1wZm9peg== -
ホットチョコレートとチュロス、美味しく頂戴した。
庭園美術館、西洋美術館を巡り、芸術を楽しんだ東京散歩でした。
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