2022/04/16 - 2022/04/16
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マリアンヌさん
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ハワイ以外のアメリカに行ったことがない私、今後も渡米するか?なのでメトロポリタン美術館展を見に行かなくちゃとチケットを予約しました。
以前、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されたメトロポリタン美術館展 : ピカソとエコール・ド・パリとは大きく違う内容であらためて現地美術館の収蔵品の質、量ともに素晴らしさを伺うことができました。
特に印象に残った作品をノート代わりに少し記録に残したいと思います。
館内は撮影禁止なので、画像はHPよりお借りしました。
美術鑑賞後は、お天気も良かったので青山界隈そぞろ歩きをしました。
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独立行政法人国立美術館に所属している中で唯一コレクションを持たない為、英語名は収蔵品を持つのが通常であるミュージーアムではなくアートセンターを用い、「ナショナルアートセンター・トウキョウ THE NATIONAL ART CENTER-TOKYO」を名乗っているのだそう。
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黒川紀章の設計なんだね。
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なかなか面白い造形ですよね。
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エントランス脇のつつじが満開だった。
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ネット予約したのにもかかわらず土曜日のせいかとても混雑していた。
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フラ・アンジェリコ(本名 グイド・ディ・ピエトロ)《キリストの磔刑》
1420-23年頃
は、ドミニコ会の敬虔な修道士で、没後まもなく「天使のような修道士」と呼ばれるようになったフラ・アンジェリコ。代表作はフィレンツェのサンマルコ修道院の受胎告知だけどメトロポリタンも所蔵してるのね。
キリストの磔刑場面を描いたこの作品は、背景が金地で埋め尽くされ、非現実的な設定だが、十字架を取り囲む人々が手前から奥に向かって楕円形に配置され、空間の奥行きが表現されている。中世美術の非現実性・平面性とルネサンス美術の現実性・三次元性が融合した、初期ルネサンスの貴重な作例とのこと。 -
ラファエロ・サンツィオ(サンティ)《ゲッセマネの祈り》1504年頃
初期の作品のせいかラファエロなんだ!という雰囲気。
新約聖書によれば、キリストは最後の晩餐の後、弟子たちを連れてオリーヴ山のゲッセマネの園に向かい、磔刑への恐れに苦悩しながら神に祈るが、その脇で弟子たちは眠り込んでしまう。
ラファエロが20~21歳頃に描いたもので、ペルージャのサンタントニオ・ディ・パドヴァ女子修道院のために制作した祭壇画《聖母子と聖人たち(コロンナの祭壇画)》の最下部、「プレデッラ」と呼ばれる部分を飾っていたそう。 -
カルロ・クリヴェッリ《聖母子》1480年頃
ヴェネツィア生まれで、ビザンティン美術風の流れを汲む豪奢さ、金箔を施した黄金地に明澄な色彩で描かれた祭壇画を多く描いてる、私の好きな作家。
実物は、とても精緻で美しかった。
クリヴェッリは「聖母子」をたくさん描いていて、たわわな果物と瓜というモチーフは繰り返されている。
左下の蠅は、絵の中ではなくて蠅は絵に止まっているという騙し絵(トランプルイエ)二次元ではなくて三次元的な効果を狙っているということらしい。 -
これは、ミラノのブレア美術館で見た「玉座の聖母子」。
絵画から放つ魅力にとらわれ、しばし佇んでしまった。
そして昨年は上野でアスコリ・ピチェーノにある「聖エミディウスのいる受胎告知」を見たが本当に素晴らしくて・・・
いつかマルケ州で見たいと心に誓った。 -
ルカス・クラーナハ(父)《パリスの審判》1528年頃
「パリスの審判」は16世紀にドイツで流行した神話主題とのこと。
ユノ、ミネルヴァ、ヴィーナスの3人の女神のうち、誰が「最も美しい者に」と記された黄金のリンゴを手にすべきか、判定を一任されたトロイアの王子パリスは、世界一の美女を与えると約束してくれたヴィーナスを勝者に選んだ。この作品では、黄金のリンゴの代わりに水晶玉を持った伝令の神メルクリウスが、森のなかで目覚めたパリスに、3人の女神を引き合わせている。
女神たちの生々しい裸体は、独特の官能性を漂わせ、甲冑や宝飾品の精緻なディテールや、うっそうと茂る草木、険しい山岳風景など北方特有の自然の細やかな描写が特徴とのこと。 -
パリスの審判って画題よく見るよなと思って検索したらミュシャも描いてるね。
ヴィーナスのアトリビュートは鳩なのね。
そもそもトロイアの王妃が、息子パリスを産む時に、国が炎上するという縁起の悪い夢をみて、王は息子を殺すためイデ山に捨てたけど赤子のパリスは羊飼いに拾われ、無事成人した美青年だという。で羊飼い実はトロイアの王子だし、三美神は自分が選ばれたいと買収するし、ギリシャ神話は面白い。 -
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 《ヴィーナスとアドニス》1550年代
16世紀ヴェネツィアの巨匠ティツィアーノは、ヨーロッパの王侯貴族から注文を受け、国際的に活躍した。女神ヴィーナスと美青年アドニスの悲劇の物語はルネサンス期に人気を博し、ティツィアーノも何度も描いている。スペインのフェリペ2世のために描いたものと類似しているそう。危険な狩りに向かうアドニスにヴィーナスが追いすがる画面で、ヴィーナスの不安は的中し、アドニスはイノシシに殺されてしまうドラマティックな場面となっている。
ティツィアーノらしい筆致の裸体だよね。 -
こちらがプラド美術館のヴィーナスとアドニス。
確かに似てる。背景の天使の違いくらいですね。
ギリシャ神話のお話は・・・
アドニスは、フェニキアの王キニュラスとその王女のミュラの息子で、美少年の代名詞。王女ミュラはとても美しく、一族の誰かが「ミュラは女神ヴィーナスよりも美しい」と言ってしまう。これを聞いたヴィーナスは激怒し、ミュラが実の父であるキニュラスに恋するように仕向けた。
許されない恋に苦しむミュラを乳母はこっそり手助けをする。
そうして二人は祭りの夜に一夜を共にするが、事実を知った父は、娘を殺そうとした。しかし、彼女は逃げのび、アラビアまで逃げていった。
彼女を哀れに思った神々は、ミュラをミルラ(没薬)の木に変え、やがてその木に猪がぶつかり、木は裂け、その中からアドニスが生まれた。
その赤ん坊のアドニスの美しさに、ヴィーナスが恋をする。
やがて彼女は赤ん坊のアドニスを箱の中に入れ、冥府の女王のペルセポネの所に預けた。彼女はペルセポネに、けっして箱の中を見るなと注意しておいた。しかし、ペルセポネは好奇心に負け、箱を開けてしまい、アドニスに恋してしまう。こうして、アドニスはしばらくペルセポネが養育することになった。
アドニスが少年に成長し、ヴィーナスが迎えにやって来るが、その頃にはペルセポネはアドニスを渡したくなくなっていた。
2人の女神は争いになり、ついに天界の裁判所に審判を委ねることにした。その結果、1年の3分の1はアドニスはヴィーナスと過ごし、3分の1はペルセポネと、残りの3分の1はアドニス自身の自由にさせるということとなった。しかし、アドニスは自分の自由になる期間もヴィーナスと共に過ごすことを望んだ。
アドニスは狩りが好きで、毎日狩りに熱中していた。
ヴィーナスは狩りは危険だから止めるようにといつも言っていたが、アドニスはこれを聞き入れなかった。
アドニスが自分よりもヴィーナスを選んだことが気に入らなかったペルセポネは、ヴィーナスの恋人である軍神アレスに、「あなたの恋人は、あなたを差し置いて、たかが人間に夢中になっている」と告げ口をした。
これに腹を立てたアレスは、アドニスが狩りをしている最中、猪に化けて彼を殺してしまった。
ヴィーナスはアドニスの死を大変に悲しみ、流した涙からはバラが咲いた。やがてアドニスの流した血から、アネモネの花が咲いた。 -
カラヴァッジョ(本名 ミケランジェロ・メリージ)《音楽家たち》
1597年
17世紀イタリアの最大の巨匠カラヴァッジョは、迫真的な写実描写と劇的な明暗表現によって、バロック様式の立役者となった。《音楽家たち》は1597年、26歳のカラヴァッジョが、最初のパトロンとなったデル・モンテ枢機卿のために描いたもの。この年、カラヴァッジョはデル・モンテ邸に食客として迎えられ、芸術を庇護したデル・モンテの館では、若者たちが音楽や演劇の集いを開いており、カラヴァッジョは彼らをモデルとしてこの作品を描いたよう。とはいえ、左端にキューピッドが描かれているため、合奏の情景の単なる再現ではなく、「音楽」と「愛」の寓意が主題ではないかと推測されてきた。右から2番目、角笛を手にした若者はカラヴァッジョの自画像と言われている。滑らかな白い肌の若者たちは両性具有的で、カラヴァッジョ特有のけだるい官能性を漂わせている。
リュート奏者の憂いに満ちた眼差しにすっかり魅入られてしまった。
同時代に描いた果物籠を持つ少年、病めるバッカスは見たことがあるが、このリュート奏者のアンニュイな雰囲気は何だろう・・・ -
こちらは、エルミタージュ美術館の「リュート弾き」。当分行けないですね(涙)
後に「音楽家たち」のリュート奏者が描かれたよう。やはり彼に魅入られる。
リュート弾きの青年の姿は、左上から射し込む太陽光によって、暗い背景から浮かび上がっている。彼の頬は丸くて艶々していて、眉毛は半円形に整えられて、顔立ちは中性的。この青年は、去勢された男性歌手、カストラートのペドロ・モントーヤだというのが通説とのこと。カストラートは、小太りになりやすかったと言われていて中性的にみえる。その上、白いシャツを着て胸をはだけ、独特の色っぽさを発散させている。当時、人気のあるカストラートは、スター的存在で上流階級の好みだったそうだが、非人道的な歴史でもありますよね。 -
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《女占い師》おそらく1630年代
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは17世紀のロレーヌ公国(現フランス北東部)で活躍し、ルイ13世の国王付き画家に任命されたほどの技量の持ち主だったが、没後急速に忘れ去られ、20世紀に再評価された画家。彼の作品は、明るい光に照らされた「昼の絵」と、蝋燭の灯が人物を照らしだす「夜の絵」の二つに大別される。前者に属する《女占い師》には、占い師の老婆を見つめる若者が、周りの女性たちから財布や宝飾品を盗み取られる場面が描かれてる。硬直したようなポーズ、にらみつけるような眼差し、派手な色の風変りな衣服が、強烈な印象を残す。占いの情景は、17世紀初頭のカラヴァッジョの作例を皮切りにヨーロッパ中で流行した。ラ・トゥールの作品は、主題や明暗表現にカラヴァッジョの影響が感じらるが、彼がこうした流行をどのような経路で知ったのか、いまだに判明していないそう。 -
ルーブル美術館のカラヴァッジョの《女占い師》。
「女占い師」と言われているのはキリスト教社会では異分子の流浪の民。原題は「嬉しい出来事を知らせる女」。男性が喜びそうなことを言っている。手相を見るふりをしその隙に指輪を盗む。火遊びを期待する男性・・・そんな感じなんだね。
青年を騙して金品を巻き上げる主題は、人気だったらしく、カラヴァッジェスキたちに盛んに描かれたそうで西欧に広まったのでしょうか。 -
ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》1670-72年頃
17世紀オランダの画家フェルメールは、オランダ市民の日常を描いた小ぶりの静謐な風俗画で有名。晩年のこの作品は彼の全作品の中でも異例の寓意画。
キリストの磔刑の絵画を背にして座る女性は、「信仰」の擬人像。胸に手を当てる仕草は心のなかの信仰を示し、地球儀を踏む動作はカトリック教会による世界の支配を示唆するものと解釈される。十字架、杯、ミサ典書が載ったテーブルは聖餐式を暗示。床には原罪を表すリンゴと、キリストの隠喩である教会の「隅の親石」に押しつぶされた蛇(原罪と悪魔の象徴)が見える。プロテスタントを公認宗教としたオランダ共和国では、カトリック教徒は公の場での礼拝を禁じられたが、「隠れ教会」と呼ばれる家の中の教会でミサや集会を行うことは容認されていた。ここに描かれた部屋は、こうした教会なのかも。フェルメールはおそらく1653年の結婚を機にカトリックに改宗しているとのこと。
本作は、フェルメールが描いた数少ない宗教画のひとつなんですね。実際に見ると非常に精緻で素晴らしかった。 -
レンブラント・ファン・レイン《フローラ》1654年頃
春、花、豊穣を司る古代ローマの神フローラは、ルネサンス期多くの画家が描いており、最も有名な例として16世紀ヴェネツィアのティツィアーノが挙げられる。17世紀オランダの巨匠レンブラントが描いた本作品は、全体的の構図やフローラのポーズにティツィアーノの影響が感じられる。聖書や神話を主題とする歴史画と肖像画のジャンルで活躍したレンブラントは、神々や歴史上の人物に扮装した肖像画を得意とし、結婚した1634年には新妻サスキアをフローラとして描いた。
本作もサスキアがモデルとの見方があったがこの作品の制作より10年ほど前の1642年に他界していることから二番目の妻ヘンドリッキェだといわれているそう。
彼の最も華やかであった時代にふさわしく、サスキアは豪奢なドレスを身にまとっっていたが、ヘンドリッキエを描いたフローラになると、表面的な華やかさはすっかり消え、女神は豪奢なドレスや花飾りによってではなく、深い内面的な人間性によって輝くということのよう。 -
ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サン・マルコ・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》1835年頃
イギリスのロマン主義を代表する風景画家ターナーは44歳のとき、初めてイタリアを旅して以来、この国の風景に魅せられ、中でも水の都ヴェネツィアを愛した。
ヴェネツィアのカナル・グランデを主題にしたこの作品では、湿気をはらんだ大気のなかで、水面と建物、空が半ばひとつに溶け合い、幻想的な情景を創出している。ターナーは建物の位置や高さ、運河の幅などを実景とは微妙に変え、風景の魅力を巧みに協調した。水彩画のような透明感があり、金色に輝くような色彩もターナーならではとのこと。
ターナーの画風って後年、もやみたいな絵となるけど50年位前に印象派を先駆けてる感じがする。 -
ジャン=レオン・ジェローム《ピュグマリオンとガラテア》1890年頃
ジャン=レオン・ジェロームはフランス19世紀後半のアカデミズム絵画を主導した画家。この時代は市民社会の趣味の変化が保守的なアカデミズムにも様々な影響を与え、歴史画の主題も変化していく。教訓性や謎解きは敬遠され、感傷的でロマンティックな物語が好まれるようになった。
ギリシア神話のキプロス王ピュグマリオンとガラテアの物語は、その好例。自分が彫刻した女性像に恋をして苦しんだピュグマリオンがヴィーナスに祈ったところ、女神は願いを聞き届け、彫刻に命を吹き込んだ。ジェロームは均整のとれた美しいヌードの女性像が固い大理石から柔らかな生身の人間に変容し、ピュグマリオンとキスを交わす一瞬をドラマティックに描いている。
この画題もよく見かけるが、この感じ好きだなぁ。 -
こちらは、私の好きなラファエル前派の画家エドワード・バーン=ジョーンズの《ピグマリオンと彫像》うちの画集から。
4連作になっていて最終場面の彫像から人間になったガラテアの膝元にピュグマリオンが跪いている。しかしうつろな視線のガラテアを前に跪くピグマリオンの視線には、欲望がその対象へと受け入れられないことへの悲壮感が滲み出ているようとの捉え方も。精神分析ではピュグマリオニズムなどと呼ばれる人形偏愛性、生身の人間の女性ではなく心無い対象である人形を愛する性癖、広義に捉えれば、女性を人形のように愛する性癖を示唆してるのではと。 -
オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》1889年
印象派の画家たちの多くが風景画を手がけたなかで、ルノワールは肖像画をはじめとする人物画で名声を確立した。彼の人物画には晩年まで一貫して、若くふくよかな体つきの女性が登場します。彼女たちはルノワールにとって、量感表現や光の効果など、絵画の様々な課題の検討に最適なモチーフだった。1889年制作のこの作品には、1880年代にルノワールが模索した古典的様式と、柔らかく軽やかな筆致の融合を見ることができる。人物も風景も、線描を使わずに様々な色の濃淡で柔らかく描出され、画面全体が美しい色彩のハーモニーを奏でている。
THEルノアールという感じの作品だね。 -
エドガー・ドガ《踊り子たち、ピンクと緑》1890年頃
印象派の画家として知られるエドガー・ドガは、踊り子を好んで多く描いた。
この作品では、物陰から覗き見るような視点から、舞台裏で衣装を整える踊り子たちの姿を描いている。ドガはこうした人々の何気ない動作を切り取って描くことを好んだ。またクローズアップや唐突に切断された構図などには、当時人気のあった浮世絵や19世紀に発展した写真からの影響がうかがえる。この作品が描かれた頃、ドガの視力はすでに著しく衰えていた。それでも踊り子たちのふとした仕草を捉えるドガの目は鋭く、画面は鮮やかな色彩で輝いている。
バレエ好きな私としては気になる作家。しかし当時のバレエダンサーは、今とは違って貧しい娘たち。給料も安く、多くの踊り子は、観客として来る裕福な男性の愛人となることで、貧困から抜け出していた。ドガは時折、愛人を品定めする当時の立派な紳士も登場させている。当時の社会の現実だよね。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》1888年
1888年2月ゴッホはパリを離れ、南仏のアルルへ移り住んだ。その年の春、ゴッホは多くの果樹園の絵を描いた。画面半分には色鮮やかな花が咲く草地が広がり、新緑の木々は生き生きと空を覆い、人気のない空気には穏やかな空気が流れている。浮世絵を愛したゴッホは日本に憧れと夢を抱き、陽光と色彩に溢れる南仏とユートピアとしての日本を重ねたといわれる。アルルの風景に魅せられたゴッホは、それらを輝く色彩によって描くことに没頭した。 -
こちらは、《公園の若草》1890年うちの画集から。
ゴーギャンとの共同生活、耳切り事件があり、1889年サン=レミ修道院の療養院へ移った。その頃の作品でしょう、木の幹といい下草といい、実に素敵。
サン=レミ修道院に行ったことがあるが、たたずまいも周りの自然も穏やかで良いところだった。アルルに着いた希望に満ちた《花咲く果樹園》よりゴッホの声が聞こえてくるような気がする。 -
ポール・セザンヌ《リンゴと洋ナシのある静物》1891-92年頃
この作品に描かれたリンゴと洋ナシは、堅固な形態を持ち、並々ならぬ存在感を放っている。机は傾き、壁は歪んでいるように見えるが、画面内の全ての要素が絶妙なバランスで描かれており、構図には確かな安定感がある。南仏のエクス=アン=プロヴァンスで制作に没頭したポール・セザンヌは、観察から得た生き生きとした感覚をカンヴァスに再現することに挑んだ。あまりに革新的であったセザンヌの作品は、当時の大衆からは受け入れられなっかたが、先進的な画家や美術批評家たちからは称賛され、その死後にはキュビスムをはじめとする20世紀初頭の前衛芸術に多大な影響を及ぼした。
エクス=アン=プロヴァンスのアトリエに行ったことがあるが、当時のまま保存されており、多くの静物画がイメージできた。 -
美術鑑賞後は、乃木坂の老舗Cafè de LaPaix へ。
https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13006986/ -
エントランスもいい感じ。撮影禁止って後で気付いたけどご飯食べるからいいよね。
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中庭的な空間。
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ゴルゴンゾーラチーズリゾットをいただいた。美味しかった。
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外苑東通りのレンガの建物にひかれ・・・
旧乃木邸は、日清・日露戦争の両戦役に従事し、明治天皇崩御の後に殉死された陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)の邸宅。
日露戦争において〝難攻不落〟と謳われた旅順要塞を攻略したことから連合艦隊司令長官とは知っているが・・・こんなところに乃木将軍の邸宅が残っていることを知らなかった。
明治天皇崩御の後、ご夫婦が自決され、その自邸はご夫婦の遺言に従い現在は公園として一般開放されているそう。 -
乃木希典 嘉永2年(1849年)~大正元年(1912年)
長州藩の支藩である長府出身の藩士、陸軍軍人、教育者。西南戦争への従軍、ドイツ陸軍視察の留学、日清戦争への従軍、日露戦争における旅順攻囲戦の指揮をおこなった。明治天皇の後を慕って殉死した。
階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。
第1代学習院長に任じられ、廸宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めたそう。 -
現存する家屋は、乃木大将がドイツ留学中に見たフランス連隊本部を参考にして、自らの設計により明治35 年(1902)に新築されたものとのこと。明治期の将官の邸宅は接客を目的とする豪華な建物が多かったのに比べ、旧乃木邸の外観は黒塗りの板張りで飾り気がなく、内部も極めて簡素かつ合理的に造られており、明治期の和洋折衷建築としても貴重なものとなっているそう。
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正面玄関からみると2階建てに見えるが、傾斜した地形が巧みに利用され、実際は半地下も含めた3階建ての構造となっている。
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内部は年に3回一般公開されているそう。
1階には、応接室、客室、次室、来賓室、大将居室、夫人居室があり、屋根裏には2人の令息の居室、物置、書庫があるそう。 -
半地下には、台所、茶の間、浴室、女中部屋、書生部屋などがあった。
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日露戦争といえば司馬遼太郎の『坂の上の雲』を思い出す。秋山兄弟の印象が強く残って・・・実家にある本、再読しようかな。
日露戦争時その武功のみならず、降伏したロシア兵に対する寛大な処置も賞賛の対象となり、特に水師営の会見におけるロシア司令官ステッセルへの処遇については世界的に評価されたそう。人間的に素晴らしかったんですね。 -
この灯籠は門柱として準備されたが適当でなかったため、そのまま邸内に保存されていたものを乃木夫妻死去後に親族が灯籠として建てたものだそう。
日露戦争では、長男も次男も戦死しているとのこと。痛ましい。
現在もウクライナとロシアの戦争が続いているけどNo Warですよね。 -
馬小屋は母屋が改築される以前の、明治22 年(1889)に建てられた。煉瓦造り、日本瓦葺きの平屋建てで、母屋より立派であったことから「新坂の馬屋敷」と称されて評判になったという。煉瓦は英国から取り寄せるほどのこだわりぶりで、馬を大切にした乃木大将の人柄が偲ばれる。
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この立派な煉瓦の門から入ると・・・
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確かに馬小屋。
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旅順要塞を陥落させた後の水師営の会見の際、乃木の副官である兼松が会見所の庭にあった1本の棗(なつめ)を記念に持ち帰り、帰国後、乃木邸に植えたそう。
棗は株分けされ、春には全国で花を咲かせている。乃木邸の棗の樹は3代目となり、今も庭に青々と葉を茂られている。 -
白樺派などは、乃木の自刃を前近代的行為として冷笑的で批判的だったそうだが、一般国民からは死を惜しまれ、日露戦争の時の従軍記者スタンレー・ウォシュバンは乃木の殉死の報を聞いて『乃木大将と日本人』を著し故人を讃えたそう。
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旧乃木邸の隣接地に鎮座する乃木神社。
乃木の死去を受け、乃木神社建立、乃木邸の保存、「新坂」の「乃木坂」への改称などが行われた。その後、京都府、山口県、栃木県、東京都、北海道など、日本の各地に乃木を祀った乃木神社が建立されたそう。 また、朝鮮半島にも朝鮮乃木神社]があるとのこと。 -
赤坂王子稲荷神社。
乃木神社で結婚式をあげる方もいますよね。私は結婚式には50回以上招かれているけど乃木神社の結婚式には出席したことなかったなぁ。 -
青山方面に歩いていくと高いビルの手前に都営南青山一丁目アパート。なんか時代を感じるアパートだね。
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青山霊園に向かう途中、グリーンの家とマッチした藤の花を見かけた。
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桜が終わって若葉のトンネル。
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躑躅越しに見る六本木方面のビル。
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八重桜が満開。
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たわわに咲き誇っていた。
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外苑西通りへ。
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Francfrancに立ち寄って・・・安くてガーリーな雑貨が揃うね。
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ロイズ・アンティークスも覗いて・・・
好きなんだけど家が狭くてもう置けない(笑) -
ちょっと一休みしようとググって。
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外苑前のTWIGGY. cafeへ。
https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13203637/ -
後で知ったが女優さんやモデルさんご用達で知られる著名ヘアサロンTWGGYと併設していてセンスのいいカフェ。
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1960年代のスウィンギング・ロンドンにおける顔的存在ツイッギー来日、記憶にある。
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ビーガンランチもあったけどランチ後だったのでエルダーフラワーティーをオーダー。
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屋上もあるよう。ネットから。
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化粧室もお洒落で思わずパチリ。
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外苑銀杏並木までそぞろ歩き。
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外苑界隈も以前はラグビー観戦で良く来たけど最近はご無沙汰で色々と様変わりだった。気分転換できた一日だった。
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この旅行記へのコメント (5)
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- satさん 2022/05/24 18:19:38
- やっぱりカフェなどオシャレです
- マリアンヌさん
ふらっとこちらに来てみました。
五島はゆっくり拝見します。
メトロポリタン、私はサクッと観て帰ってきちゃったので、充実した一日いいな
sat
- マリアンヌさん からの返信 2022/05/25 10:26:57
- RE: やっぱりカフェなどオシャレです
- satちゃん ちゃお☆
ふらっと寄り道ありがとー。
五島は、写真だけ流し見てね(^_-)-☆
メトロポリタン、私はたぶん東海岸は行かないから。
あと展覧会鑑賞メモとして使ってる(笑)
またね!
マリアンヌ
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- satさん 2022/05/24 18:19:38
- やっぱりカフェなどオシャレです
- マリアンヌさん
ふらっとこちらに来てみました。
五島はゆっくり拝見します。
メトロポリタン、私はサクッと観て帰ってきちゃったので、充実した一日いいな
sat
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- mistralさん 2022/04/25 09:00:05
- 心地よさそうなある1日。
- マリアンヌさん
おはようございます。
先日は充実のメトロポリタン美術館展を見学(したかのような詳細な旅行記)。
時間がなくて遅ればせながらのコメントです。
美術展を見学しても、日本ではほとんど撮影不可ですからなかなか記録にも残せません。
そのうちに詳細は忘れていってしまう、、、
昔行ったことがあったけれど、今回拝見したら、あらあらこんなにも有名作品の目白押しが、と再認識しました。
それで、ご自分のための備忘録としての旅行記の作成、良い考えですね。
と言っても大変な作業だったことでしょう。
私も大好きなクリヴェッリ、ミラノにあるという「玉座の聖母子」など
いつか実際に見られる日が来るのかしら、と思う日々です。
乃木神社の存在は知っていましたが、近くには乃木邸も保存されているんですね。
なかなか地味な外観で、かつての乃木将軍というイメージからはちょっと違いますが、お人柄なのでしょうね。
母家よりも馬小屋の方が立派というのも、なるほどと頷けます。
お天気にも恵まれた1日、たくさんのエネルギーをチャージされたことでしょう。
mistral
- マリアンヌさん からの返信 2022/04/25 10:46:57
- RE: 心地よさそうなある1日。
- mistralさん こんにちは。
備忘録ノートの旅行記?にまでコメントいただき、ありがとうございます。
本当に美術展を見学しても、日本ではほとんど撮影不可で記憶があやふやになってしまうことが多く、家には国内外で購入した多量の絵葉書が・・・という状態です。
メトロポリタン美術館には行かれたことがおありなんですね。
前の会社でNY駐在員だった同僚の方からとても大きな美術館で収蔵品もとても多いと聞いています。
でも私、米国はライブで西海岸は行くかもしれないけど東海岸は行くことがなさそうで見逃しちゃいけないと(笑)
やはりクリヴェッリ、お好きですか?「玉座の聖母子」は本当に美しくてミラノに行けたらまた会いたいです。早く戻れる日が来ますように・・・こればっかりですね。
乃木神社、実は行ったことがなくて、ほど近い青山や六本木界隈はよく歩くのに案外東京は広いですね。京都に比べれば歴史は浅いといいながら江戸時代以降の歴史は残っていますものね。
乃木坂の駅からそぞろ歩きしようと思ったら、素敵な煉瓦の佇まいが見えて(馬小屋だったわけですが)気付いたというわけです。
とても地味な外観で、質実なお人柄だったのでしょうね。恥ずかしながら乃木大将が殉死されたことよく知りませんでした。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は若いころ、感動したのですが「殉死」は読んでいなかったです。
日露戦争、ロシア国内の革命勃起などもあり、運よく勝利したものの陸軍対比なら200万人対25万人、ぐるっと遠征して疲弊していたバルチック艦隊、英国にすすめれて大枚をはたいて購入した新軍艦のお陰か敗退せずにすんだけど・・・
死者は10万人を超えた(ロシアも同様)乃木将軍のご子息も亡くなったというし、戦争は悲惨です。ウクライナ扮装、一日も早く終息して欲しいです。
mistralさんの旅行記、内容が素晴らしくて、なかなかコメントできずすみません。
今はせめて国内探求ですね。
マリアンヌ
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