2025/11/14 - 2025/11/14
831位(同エリア2851件中)
マリアンヌさん
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- フォロワー141人
新宿でユトリロ展開催中ということで、久しぶりに「ひまわり」も見たいしと出かけました。
当時大人気だったものの悲しき人生だったユトリロ、モンマルトルで私生児として生まれ、ネグレクト環境でアルコール依存症に、義父ユッテルには城に幽閉され金蔓に。
母から51歳の時、64歳の銀行家の未亡人と結婚させられたという。
ユトリロといえばパリということで、前から気になっていたフレンチアンティークカフェに立ち寄りました。
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以前から気になっていた阿佐ヶ谷のフレンチアンティークカフェ、営業時間が短いので展覧会に行く前に立ち寄った。
Au Détour café et brocante オ・デトゥール -
入った途端、素晴らしきアンティーク空間に感動。
写真も撮っていいですよとのこと。 -
アンティークミシン、チェア、黄色の南仏陶器、灯りetc.オブジェひとつひとつが素敵。
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アンティーク好きとしては、オブジェひとつごとに興味津々。
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ブリュロカップも飾られて。
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コーヒーのお供にクレームドブリュレのマドレーヌをいただける。
壁にはユトリロの複製画。 -
L字型のカウンターはアンティーク仕様のオーダーもの。
アンティークかと思ったほど仕上げが素晴らしい。 -
窓際のこのゾーンも素敵。何気なく置かれたゴッホの本。
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こっくりした黄土色の南仏陶器、味わいがある。
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奥にはダイニングテーブルのようなお席も。
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ナポレオンチェアはじめ色々なアンティークチェア。
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ディスプレイにオーナーのセンスが光る。
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アンティーク好きにはたまらない癒し空間。
カフェというよりアンティークショップ。 -
こんな素敵なカフェとは思わなかった。
少し遠いけど通いだわ。 -
オーナーとの会話も多岐にわたり、話が弾んでもう一杯カフェオレをおかわりし、すっかり長居してしまった。
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そして新宿のsonpo美術館へ。
もと安田火災ビルの高層階にあった美術館、別棟に新築したのね。金曜日は20時まで。
撮影可能とのことで、個人蔵など貴重なので、記録に残したいと思います。 -
モンマニーの屋根 c.1906-07
パリ・ポンピドゥセンター/国立近代美術館・產業創造センター
セーヌ河岸やモンマニーの風景を多く描いた面業最初期「モンマニー時代」の典型的な作例である。パリ近郊 の小さな町モンマニーは、1896年にヴァラドンと結婚したポール・ムジスが邸宅を構えた地であり、若きユトリロ はこの地とモンマルトルとを行き来する。葡萄畑や果樹園に囲まれた長閑な地を描いた本作において、画家は俯瞰して捉えた屋根の連なりとその合問に繁茂する木々との一体感を、緑を基調とする色彩の調和と印象派を思わせる動きのある筆触によって表している。画面全体を覆う緑の中に、オレンジ、黄、青を散りばめつつ、また筆触の大きさや動きによっても確かな空間的奥行きを生み出している点からは、ユトリロ独自の色彩感覚と空間構成の力量がうかがえる。 -
モンマニーの3本の通り (ヴァル=ドワーズ県) c.1908
八木ファインアート・コレクション
<幼少期と青年期>
ユトリロの母ヴァラドンは恋人たちとの関係やモデルの仕事に忙しく、息子を同居する祖母マドレーヌに預けることが多かった。祖母はいたずら好きなモーリスを持て余し、ほとんど鎂けることができず、息子は放任状態で育つ。シュザンヌ自身が酒におぼれがちであったこともあり、こうした環境が息子モーリスの早期のアルコール依存症の形成を助長することになった。彼は生涯を通じてこの症状に苦しむことになる。ヴァラドンが育児放棄をしていたと言われる所以である。
ここでは、そのような孤独と愛情のはざまで、アルコール依存症の治療のために筆をとったユトリロの、画家としての出発点なす作品群を紹介する。 -
モンマルトルのサン=ピエール広場 c.1908
八木ファインアート・コレクション
母のシュザンヌ・ヴァラドンも私生児で若い頃の写真を見ると美人で、ルノアールのダンスや裸婦のモデルやロートレックなど画家たちのモデルになったり、多くの画家、詩人、作曲家のエリック・サティとも浮き名を流したそう。
またドガに師事して絵も描いたという。 -
モンマルトルのサン=ピエール広場 から眺めたパリ c.1908
八木ファインアート・コレクション -
サン=メダール教会、パリ c. 990--09
八木ファインアート•コレクション
パリ5区ムフタール通りに位置するサン=メダール教会 は、15世紀に建立が開始され、18世紀には数々の奇蹟が起こった場所として知られる。ユトリロの関心は、そうした伝説や迷信的逸話の気配を一切纏わない教会建築そのものへと向かい、 斜向かいから眺めたその姿を、空にそびえる鐘楼や飛梁といった構造上の特徴と共に極めて客観的に描き出している。この時期にしばしば見られる厚塗りや躍動的な筆触は限りなく抑制され、建造物の各部分の形態を丁寧に捉えることで、教会の説得力のある存在感を表すことに成功している。 -
ヴィルタヌーズの城 c.1908-009
パリ •ポンピドゥセンタ一/国立近代美術館・産業創造センター
14世紀に起源を持ち19世紀後半には壊された城に付属していた建物とその前に広がる庭を描いたと考えられる。画面手前のベンチや柵、塀、花壇などが急速に後退し、また画面を横断する建物が右へ向かうにつれてわずかに収斂する描写は、この場所に立つ画家の視覚体験を観る者に追体験させるような、有機的な奥行き空間をこの画面にもたらしている。 しばしば印象派の影響が指摘されるこの時期にあって、その痕跡は確かに建物と空に重なる枝の細かな筆触に認められるものの、全体の色調は暗く沈み、鈍色の空にも陽光は感じられない。むしろ強調されるのは、庭全体に漂う静まりかえっ た気だるい雰囲気と黒く塗りつぶされた空虚な窓が暗示するうら寂しさである。 -
サン=ドニ運河 1906-08
石橋財団アーティゾン美術館
エコール•ドパリの日本への紹介者として知られる福島繁太郎(1865-1960)によって1929年以前に日本へもたらされた作品。ブリヂストン美術館(現-アーティゾン美術館)を設立した石橋正二郎の絵画コレクションに最初期に加わった作品のひとつであり、今日のユトリロについての評価とは異なる文脈、すなわち印象派作品の収集の一環として購入された経緯が確認されている。パリ北東のラ•ヴィレットからはじまり郊外のサン=ドニへと至る運河を主題としたこの風景画は、1910年前後にはじまる「白の時代」の直前に制作された。均質化さ れた筆触の塗り重ねと運河、建築物、空がつくる層構造によって構築された風景は、カミーユ•ピサロ(1830- 1903)の影響のもとにあったことを伝えている。 -
パリ郊外ーサン=ドニ 1910
公益財団法人大原芸術財団 大原美術館
旧福島繁太郎コレクシヨン。エコール・ド・パリの作家を体系的に論じた福島の「エコール・ド・パリ」(1948-51年新潮社)の中に収録された、ユトリロについて解説する章で、本作の図版が使用されている。福島は本作について「私が初めてパリに行った時分 (1921年頃)には所謂モンマニー時代のものや白の時代のものは、画商のウインドーに見かけなかった。見かけるものは当時の近作で、線の堅い色彩の鮮明なもの「色彩の時代」の作品であったが、これ等のものには私は興味が更になかった」、「純粋の色彩を並べるばかりが美しいハルモニーではない。渋い色彩によっても美しいハルモニーが作れる。 ユトリロはそのよき一例である」と述べている。 -
マルカデ通り 1909
名古屋市美術館
ゆるやかに下る道の形状にあわせて、描かれる左側の建物の一階部分も少しずつ律動的に段差を描く構造を示している。道は途中で左に向かって湾曲し、ユトリロ の他の多くの作品と同様、視線は絵画空間内にとどまることを強いられる。マルカデ通りはパリ18区に位置し、中世の時代に定期市(ラテン語でmarcadus)が開かれていたことに関連して名付けられた。 道端に佇むニ人組や、中央に描かれる馬車の御者などの人物は、概してユトリロにとっての人物像が街の景色を活性化させるための二次的な要素であることを示し、ここでは画面の奥に押し込まれているようでもある。画面内に描かれ る文字は、「COMPTOIR」(カウンター)、「VINS-LIQU [EUR](ワイン・リキュール)など酒や食事に関する 店舗の看板で占められている。 -
郊外の通り 1908-09
福岡市芙術館
いわゆるオスマン様式の建物が立ち並ぶ華やかなバリの市中とは対照的な、赤い屋根の家と通り沿いに立ち並ぶ建物を描いた、どこか素朴なもの悲しさを漂わせる郊外の風景である。モンマニー周辺を描いた最初期の風景画には見られなかった、通りを用いた奥へと向かう空間の設定や画面右端にかすかに確認される人物像、また三角の屋根や未舗装の道に見られる温かみのある色使いが新たな要素として加わっている。筆触を大胆に残しながら厚く塗り込めた面肌や、一際目を引く白い壁、そして線遠近法的な空間構成の萌芽は、この後に展開する「白の時代」を予見させ、本作はその先駆けに位置付けられよう。 -
モンマルトルのノルヴァン通り c. 1910
八木ファインアート・コレクション -
拡大して。
切り取ってもいい感じ。 -
モンマルトルのポワソニエ通り c.1910
八木ファインアート•コレクション -
拡大して。
路地の奥も覗きたくなる。 -
サノワの製粉場 c.1912
ポーラ美術館
深緑の葉が生い茂る樹木と白い建物のあいだに、オレンジ色の三角屋根が印象的な製粉所の塔を据えている。サノワで比較的快適な入院生活を送ることができていた画家の穏やかな精神状態を反映してか、塔を見上げる人物像が小さく挿入されるものの、全体に静けさが漂っている。幾何学的な奥行き空間を生み出している右手の建物の整然とした印象と、印象派風の筆触で描かれた樹々の生命感が好対照をなしている。その間では、塔の一際鮮やかな三角屋根が青空を背景に浮かびあがっているが、左右のモチーフによって生み出される奥行き空間の奥に、背の高いシンボリックなモチーフを配す構図は、ユトリロの得意とするところである。 -
ユトリロは絵葉書などから絵を描いたこともあり、こちらが次の絵のもとになっている。
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ベルト王妃のらせん階段の館 c.1909
八木ファインアート•コレクション -
サン=ジャック=デュ=オ=パ教会、 c. 1910-12
八木ファインアート•コレクション -
パリのサン=セヴラン教会 c. 1910-12
八木ファインアート•コレクション
セーヌ川の左岸、 カルチェラタンにあるこの教会は、聖セヴランのために建立された教会として6世紀にその起源を持つ。定規とコンパスを用いて描かれた本作は、規則正しく整然と引かれた直線によって構成され、建物の白い壁、教会の青い屋根、店の茶色いショーウィンドウ、黄土色の道など大部分が絵具を丹念に塗り込めて仕上げられている。一方、黒く細い線で描かれるバルコニーの柵や波打つ線で表現される樹木は、ほとんど自動的に反復する画家の手の動きを感じさせるほどに簡略化され、その下の建物の表層を覆っているに過ぎない。こうした軽やかな筆致はこの画面にある種の単調な平面性を与え、さらには静まり返った街角の寂しさをも強調している。 -
クリニャンクールの ノートル=ダム教会 c.1911
八木ファインアート-コレクション -
拡大して。
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拡大して。
路地には多くの人々が描かれている。
切り取っても素敵。 -
サン=トゥアンの小さな城館 (セーヌ=サン=ドニ県)1911
個人蔵 -
キオスク c.1910-11
八木ファインアート・コレクション -
セルネーの城のスロ、サノワの マジヤンデイ通り (ザアルドワーズ県) 1913
八木ファイン・アートコレクション -
モンモランシーの通り 1912
公益財団法人ひろしま美術館
ー家で住んでいたモンマニーの隣町、モンモランシーの街並みが描かれた本作では、奥へと緩やかに続く通りが中央に据えられ、遠景には教会の尖塔がのぞいている。建物の輪郭は明瞭で抑えた色調と厚塗りのマチエールが、どこか沈静した空気を漂わせている。人影はまばらで、物悲しい街路の様子が画面全体を包み込み、ユトリロ特有の都市風景があらわれている。 -
拡大して。
淡いピンク系の奥の景色。 -
ラパン•アジル 1911
ポーラ美術館 -
モンマルトルのラパン アジル c.1911
八木ファインアート•ロレクション -
モンマルトルのラパン アジル c.1912
個人蔵 -
ラパンアジル、 モンマルトルのソール通り c.1912-14
八木ファインアート•コレクション -
ラパン・アジル 1910
パリ・ボンビドゥセンター/国立近代美術館-產業創造センター
「跳ね兎」を意味するこのキャバレーの経営者フレデは ヴァラドンの知人であり、その縁からユトリロ自身も足繁く通った。絵葉書をもとに繰り返し描いたこのモチーフには多数のヴァリエーションが存在するが、本作はその中でも最初期の作例にあたる。本作が制作された年、ユトリロはパリ近郊のサノワでアルコール依存症の治療を受け、制作意欲を取り戻し、画家としての評価は高まりつつあった。本作では、建築物の輪郭線が明確に引かれ、線的な遠近法が試みられている。しかし、ニュアンスに富んだ黄土色の積み重ねによって生み出された、迫り上がるような建物横の小径や空、木々、さらには押し込まれるように描かれた人物の表現によって、画面にはわずかな 歪みが生じ、独特な絵画空間が生み出されている。 -
ラパン・アジール c.1911
名古屋市美術館 -
ラパン•アジル、 モンマルトルの サンーヴァンサン通り c.1910-12
八木ファインアート-コレクション
モンマルトルのソール通りとサン=ヴァンサン通りの交差点に位置するキャバレー、ラパン・アジルは、ユトリロが生涯において繰り返し描いたモチーフの一つである。 その数は300点を超えるとも言われている。描かれた天候や季節の表現に変化があるものの、絵葉書をもとに制作されており、対象は同一構図で捉えられている。
下敷きとなった絵葉書をみると、画面中央の小径が消失点に向かって収斂していくのを確認することができる。しかしながら、ユトリロの(ラパンアジル》では、「白の時代」に制作 された他の作品(例えば《マルカデ通り)》catn..o11))同様、消失点付近で奥行き方向の線が突如向きを変え、斜めに逸れているのが分かる。こうした方法がもたらす効果は、 画面が都市の輪郭により閉じられているという感覚をもたらす点にあり、ユトリロ作品についてしばしば語られる、隔絶された孤独の感覚が画家の操作によって巧妙に仕組まれていることを明らかにしてくれるのである。
最も初期の作品では、モンマニー時代に特徴的十色や緑色が多用され、色彩のグラデーションを積み重ねる印象派的な方法が残存している。また透視図法の文法を裏切るかのように、建物を形づくる部分が幾何学的なフォルムとして、観者の方へ向かって正面向きに描かれている点も見逃してはならないだろう。 おそらくは同時代 のキュビスムを自らの作品において消化する試みが、ここで実行に移されているに違いない。 -
緑の屋根の農家 1913
八木ファインアート•コレクション
<壁の質感を味わう>
ユトリロの絵画において特徴的な「壁」の描写に注目したい。彼が描いた街角や建物の壁面には、ひび割れや汚れ、風化の痕跡が丹念に描き込まれており、単なる背景以上の存在感を放っている。石膏や砂などの素材を用いた独自の技法は、視覚のみならず触覚に訴えかけるようなマチエールを作品にもたらしている。ここでは、代表作を通じてその肌理の豊がさを味わい、ユトリロ「白の時代」の核心をなす描写の多様性に追りたい。 -
物見檜のある塔 c.1913
ポーラ美術館
白い塀の向こう側にそびえるのは、円維形の屋根を持つ物見檜を備えた塔である。前景に広がる緑地、白い塀、その上部に繁茂する生垣が生み出す色彩の帯は、 画面中央へ向かって収束するようにやや歪みを生じさせることにより、曖昧ではあるがしかし確かに存在する奥行き空間を生み出している。緑の生垣と薄雲りの青空に挟まれるれる塔と物見檜は堂々たる存在感を放ち、本来実用的な機能を備える建物でありながら、画家がそれまで大聖堂や教会に与えてきたのと同様なモニュメンタル性を 有している。こうした神々しいまでの存在感は、壁のマチエールを意識して塗られたニュアンスに富む白の表現ゆえにほかならず、「白の時代」らしい特徴を備えた1点といえよう。 -
ブール=ラ=レーヌの スペイン皇女の館 (オー=ド=セーヌ県)
c.1915
八木ファインアート•コレクション -
サノワの通り (ヴァル=ドワーズ県) 1914
個人蔵 -
拡大して。
これも切り取ってもいい感じ。 -
サノワの通リ(ヴァル=ドワーズ県) c.1912-14
八木ファインアート•コレクション -
サノワのマジャンディ通り (ヴァル=ドワーズ県)c.1912-11
八木ファインアート•コレクション -
ピエイクロスの修道院、コルンカ 1914
パリ・ボンビドゥセンター/国立近代美術館・産業創造センター アノンシアード美術館 (サン=トロペ)
コルシカ島ビエイクロス、オレッッアの聖フランシスー修道院を描いた本作で、ユトリロは建築物を平面的に構成しようと試みている。1913年の春、ユトリロはヴァラドン、ユッテルそして友人とともに、コルシカ島に約半年間滞在した。フランス本土に暮らす人々にとって、コルシカは 異国情緒あふれる地であり、ユトリロもその風景を楽しんだようだ。しかし、わずかな例外を除き、この地でも彼は絵葉書をもとにモンマルトルの風景を描くこともあったという。本作では壁に穿たれた窓が画面上に不規則なリズムを生み出している点が特徴的である。単純な形をわずかに変化させながら反復し、面を構成する様式で描かれ、建物の存在感やモニュメントが屹立している感覚をさほど感じさせない反モニュメンタルな造形が目指されている。 -
この写真をもとに。
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廃壇の條道院 1912
パリ・ボンビドウセンター/国立近代美術館・產業創造センター モンマルトル美術館寄託
ブルターニュ地方フィニステール県、断崖絶壁の土地に建つサン=マチュー修道院の廃墟を絵葉書をもとに描いている。画面には朽ちた石造りのアーチや壁面が描かれ、ユトリロ特有の厚塗りの白が建物の質感や、海に面した修道院の廃城が被った時間の経過を表現している。もとになった絵葉書を見る限り、実際に修道院を形作る風雨にさらされた石造りの壁はここに描かれているほどの白さはなく、ユトリロ自身による自然観照に対する態度の乏しさを感じさせる。写真に写りこんでいた人物は描かれず、画面は純粋に眺められるべき風景として整えられ、フランス最果ての土地ブルターニュを描く人影のない構図や澄んだ色調は、都市風景とは異なる静かな外観を湛えている。 -
サノワのジャルダン=ルナール通り (ヴァル=ドワーズ県)
c.1912-14
八木ファインアート•コレクション -
サン=ドニ通り c. 1912-14
八木ファインアート•コレクション -
拡大して。
この奥もいい感じ。 -
「可愛い聖体拝受者」、トルシー= アン=ヴァロワの教会(エヌ県) c. 1912
八木ファイン・アートコレクション
くすんだ青空の下、自い壁の小さな教会が画面中央に静かに佇んでいる。人物の姿は描かれず、画面全体が静寂に浸っている。
建物の輪郭にはやや硬質な描線が見られるが、白を基調とした柔らかな色調とマチエールが、 画面に澄んだ印象を与えている。タイトルはヴァラドンの聖体拝領の日に夢に出た少女に由来するが、画面に姿を現さない聖体拝受者ーイエスの血と肉を初めて受け取る白装束を着た少女は不在であり、白く小さな教会の姿に重ね合わされている。その不在が観る者の想像 力を喚起し、作品に象徴主義的な深みを与えている。 -
拡大して。
白の時代の白のニュアンスに惹かれる。
貧しきモンマルトルで生まれた申し子のようなユトリロだけにえも言われぬ雰囲気が感じられるのかな。 -
サン=ディディエの教会、 ネイロン (アン県) c.1917-18
八木ファインアート•コレクション
東部アン県の小村ネイロンにあるサン=ディディエ教会を描いた作品。ユトリロが城に軟禁されていた小村サン=ベルナールからは約20キロほど離れている。ユトリロ はモンマルトルの都市風景で知られているが、この作品では画家のもう一つの主戦場である地方のゴシック教会建築に焦点を当てている。教会の白い壁面には、ユトリロ特有の厚塗りの技法が用いられ、地面の黄土色は盛り上がるように描かれている一方、真正面からの構図と人影の少なさ、建物の中庭に閉じ込められた視線により、内省的な雰囲気が醸し出されている。斜めになった三角屋根は教会の厳粛なる存在感を脱臼させているようでもある。「白の時代」が終わり「色彩の時代」に入ったこの時期、空には薄いピンク色が使用され、建物には やや緑がかった色彩が多用されている。 -
モンマニーの教会 1913
八木ファインアート・コレクション -
モン=スニ通り c.1916
パリ・ポンビドウセンター/国立近代美術館・產業創造センター
モンマルトルの丘の北側からサン・ビエール教会の西側にかけて、南北に長く延びるモン=スニ通り。ユトリロが生涯にわたって何度も描いたこの通りには、ヴァラドン、ユッテル、ユトリロがよく通った元警察官セザール・ゲイが経営する店「カス=クルート」や20代の頃にその店の女将マリ・ヴィジエに夢中になった居酒屋「ラ・ベル・ガブリエル」(美しきガブリエル)、ベルリオーズの家、ミミ=パンソンの家など画家にとって馴染みの場所がいくつも集まっていた。画面右手には、高低さまざまな建物が並び、黄、緑、ピンク、青といった配色が曇天の空と通りを彩る色彩と共に、この画面に華やかな雰囲気を与えている。「白の時代」から「色彩の時代」への移行に位置付けられる本作は、1937年フランス国家の買上げと なった。 -
拡大して。
居酒屋など馴染みの界隈なのね。 -
サン=ジャン=オ=ボワの教会 (オワーズ県) c.1914
八木ファインアート•コレクション -
郊外の教会 c.1920
パリ・ボンビドゥセンター/国立近代美術館-産業創造センター
1920年はユトリロにとって色彩の時代へと至る「第二過渡期」であり、「豊積な緑の時代」として徴づけられる。15年の徴兵検査失格に由来する健康状態の悪化から、本作に先立つ16年のほとんどをヴィルジュイフの療養所で過ごしたユトリロは、制作をほぼやめ、色彩は暗さを増していった。さまざまな緑が潤沢に使用される一方、鮮やかさや構図の厳密さという観点で、ある種の退行をみせているこの時期、ユトリロはピクピュスとサン=タンヌの精神病院の入退院を繰り返し、コルトー街のアトリエで母から監葉される生活を送つていた。また友人モディリアーニがこの世を去ったという事実も、この様式の変化と関係があるのかもしれない。この後、ユトリロはサン= ベルナールの城館へ移され軟禁生活を送る。 -
こちらももととなった写真。
第一次世界大戦中、「白の時代」のニュアンスに富んだ色彩は鳴りを潜め、硬い輪郭線と鮮やかな色彩が際立つ作風、「色彩の時代」に移行した。1920年代に入るとユトリロの生活と制作は大きな転換期を迎えた。義父アン ドレ・ユッテル(1886-1943)は、ユトリ口を"金蔓"と考え、1923年ボージョレ地方の小村サン・ベルナールに古い城館を自分名義で購入し、ユトリロをそこに移した。画家は規則正しい生活を送りながら、軟禁状態で制作を強いられることになったのである。彼はモンマルトルの街角やフランスの地方風景を、絵葉書や写真、記憶を頼りに描いた。定規やコンパスを使って輪郭線を下描きし、原色に近い色彩で構成したこれらの作品群は、現実の風最を描きながらも、それとは幾分異なっている。また人物描写においては、とりわけ女性の姿は臀部が強調された姿で描かれる。こうして絵画空間は抽象化、記号化へと向かっていったのである。
著名な画廊による支援もあり、ユトリロの作品はますます売れていった。1928年にはレジオン=ドヌール勲章シュヴァリエを受章、名実ともに国民的な作家となる。1933年には数年来の受洗願望を叶え、リヨンで洗礼をうけた。1935年51歳の時、ヴァラドンの仲介で、ベルギーの銀行家の未亡人であっ たリュシー・ヴァロールと結婚。リュシーの故郷であるアングレームで結婚式 をあげ、その後は平穏な生活に入っていった。1940年代以降はサシャ・ギトリ、ピエール・ガスパール=ユイらが監督する映画にも出演し、国民的画家として大衆に広く愛される存在となった。1955年ユトリロは71歳のとき、休養のために訪れていた南仏ランド県のダックスでこの世を去っている。 -
モンマルトルのミミ=パンソンの家と サクレ=クール寺院、モン=スニ通り (モンマルトルのサクレニクール寺院)1925
SOMPO美術館
ミミ=パンンンは、作家アルフレッド・ド・ミュッセの作品に 登場する架空のお針子であるが、後にモンマルトル地区 モン=スニ通り18番地の建物が彼女の住居とされ、名所となった。画面右下に記された献辞は、リュクサンブール美術館を経てフランス国立近代美術館の学芸部長を務めたロベール・レイに宛てられたものである。レイは本作と同年にユトリロのモノグラフを出版しており、本作はその記念として贈られたものと推定される。本作の前年にはベルネーム=ジュヌ画廊と契約をし、ユトリロの名声は日に日に高まっていた。「色彩の時代」に属し、分厚い輪郭線に縁取られた色面と、チューブから直接絞り出したかのような鮮やかな色彩によって、どこか非現実的な都市風景が構成されている。写真家のウジェーヌ・アジェが撮影した写真をもとに制作されたと考えられる本作では、遠景にモンマルトルの新しいシンボルとなったばかリのサクレ=クール寺院 (1919年献堂)が妙に写実的に描がれ、白の豊かな階調が際立つ。1920年代以降の作品にしばしば登場する、画面右下に見られるような尻の大きな女性の描写については、ユトリロのミソジニー(女性兼悪)を反映したものと解釈されることが多い。 しかし名所写真という記号化されたイメージを反復し、それを自身の表現として確立したユトリロにとって、女性の身体もまた同様に記号として描かれるのは自然な帰結であったと捉えることもできるだろう。 -
マルヌ川から望む大聖堂と市役所、 モー(セーヌ=エ=マルヌ県)c.1920
個人蔵 -
オーモン近郊の学校(ノール県) 1926
個人蔵 -
郊外の 教会 C. 1921
個人蔵 -
ボワシエール•エコールの教会と 通り(イヴリヌ県)с.1935
個人蔵 -
聖トマス教会、モンマニー (ヴァル=ドワーズ県)c.1938-40
個人蔵
ユトリロが初期から晩年にかけて好んで描いたモンマニーの教会を題材にしており、同モチーフ、同構図で描かれた(モンマニーの教会)(1913年、個人蔵)と構図が酷似しているものの、制作年が約25年離れており、様式の変化が顕著に現れている。特筆すべきは、初期の作品に比べて人物が多く描かれ、街に賑わいがあふれている点である。空にはピンク色が混じった鮮やかな空が広がり、2点透視図法が用いられ視界は比較的開かれている。建物の白は初期作品に比べ質感に乏しいものの、青、赤、緑の鮮やかな色彩が対比的に使用され、「色彩の時代」の特徴が前景化していることを示す好例である。 -
ラパンアジル、 サン=ヴァンサン通り、 モンマルトル 1927
個人蔵 -
モンマルトル、 トゥレルのカフェ c.1935
個人蔵 -
シャラント県アングレム、 サンーピエール大聖堂 1935
公益財団法人ひろしま美術館
1935年ユッテルと離別し病に伏したヴァラドンは、病院から旧知のベルギーの銀行家の未亡人、リュシー・ポーウェルを呼び、ユトリロと結婚させようと画策する。ニ人は結ばれ、フランス西部アングレームにあるリュシーの家に落ち着き、平穏な生活を送る。ユトリロ51歳の時のことである。ユトリロはしばしば教会を描き、その 多くは陰鬱な雰囲気のなかに佇んでいるが、結婚の同年にアングレームの街の象徴である教会を描いた本作では、明るい画面が展開されている。まるで書割のように平面的に展開される空と、画面から垂直に立ち上がる教会のファサードにみられるように、「色彩の時代」の彩度の高い色彩と、モニュメンタルであると同時にブリミティプでもある描写が詰め込まれた作品である。 -
モンマルトルの眺め 1926
パリ•ポンピドゥセンタ一/国立近代美術館•産業創造センター -
クリスマスの花 1941
個人蔵
本質的に風景画家であったユトリロが、人物や静物を捕くことはほとんと無く、花の絵を描くようになったのも、のちに妻となるリュシーと親しく交流するようになった1920年頃のことである。ユトリロは親しい人に花の絵を描いて贈ることが多く、とりわけ花瓶に生けた花束をモチーフとした絵は、結婚する前からリュシーに度々贈られたという。青い花瓶に生けられた赤とビンクの花が画面を満たすように咲き誇る本作は、ユトリロがリュシーとル・ヴェジネに移り住んだ時期に描かれた1点である。またユトリロが出演する映画を撮影したサシャ・ギドリをユトリロの花の絵を愛好し、所有した一人であつた。 -
雪のサン=リュスティック通り、 モンマルトル 1933
個人蔵
サン=リュスティック通りは、テルトル広場の北側、ルヴァン通りと並行するように東西に走る狭い通りである。緩やかにカーブを描くこの細い路地は、通りの向こう端が見渡せるような見通しの良い場所ではないが、画家は そうした特徴を構図にうまく生かし、建物の向こう側に突如現れるサクレ=クール寺院の真っ白なドームをシンボリックにこの画面に登場させている。モンマルトルの入り組んだ通りを逍遙しながらふと上を見上げた時にドームを目にした、そんなユトリロの視覚体験が反映されているのかもしれない。画面手前の建物が色とりどりの色彩で描かれ、ドームの白さを際立たせている。 -
モンマルトル、トウレルのカフェ 1935
個人蔵 -
サン=ヴァンサン通り、 雪のラパン アジル、 モンマルトルc.1936-38
個人蔵 -
雪のヴェジネ、 聖ポリーヌ教会 1938
個人蔵
1937年に妻リュシーと移り住んだル•ヴェジネの西の端にある聖ポリーヌ教会は、20世紀に入ってから建設された比較的新しいネオ•ゴシック様式の教会である。一面雪に覆われた教会を通りのこちらから捉えた本作は、 グァッシュで描かれることによって油彩とは異なる軽やかな仕上がりの印象で、雪の白さがより一層強調される。画面全体が白い色調によって支配されているがゆえに、教会や木々、塀や柵を表す線的要素の存在が際立ち、他方で灰色がかった水色で塗り込められた薄曇りの空の描写が、単調な風景にわずかなニュアンスを加えている。通りを歩く人物像は、画業後半にしばしば登場するほとんど記号化された添景モチーフである。 -
ラヴィニャン通り、 モンマルトル
c. 1940-42
個人蔵
パリ・モンマルトルの南西斜面に位置するラヴィニャン通りを描いたもので、 同構図の作品がニューヨーク•メトロ ポリタン美術館にも所蔵されている。この通りの13番地には、パブロ•ピカソ、ホアン•グリス、ヴァンドンゲンら前衛芸術家が集ったアトリエ「洗濯船」があり、ユトリロにとっても芸術的なインスピレーションの源だった。しかしながら、彼はこの場所を名もなき建物や古びた商店に焦点を当てて描いている。特にパレットナイフを使って厚く塗られた白い壁面は、建物の老朽した様子を強調し、街角を歩人の姿もなく、物悲しい雰囲気を醸し出している。ユトリロ独自の色彩感覚と複層的な構成力により、モンマルトルの歴史と日常が簡素ながらも堅固な輪郭線で描かれている。 -
村の通り 1940
個人蔵 -
フィンセント、ファン。ゴッホ (1853-1890)
ひまわり
1888年 油彩/カンヴァス SOMPO美術館
1888年2月パリから南仏のアルルに移ったゴッホは、その年の8月、ゴーギャンの到着を待ちながら、ひまわりの連作に取り組み始めた。ゴーギャンの部屋を「ひまわりの花」で飾ろうとしたのである。ゴッホは7点の「壺に生けたひまわり」を描いたがこの作品は、現在ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵するひまわりをもとに描いたと考えられている。ロンドンのものと比べると全体の色や筆遣いに違いがみられゴッホが<ひまわり>の連作を通じて色彩や明度、タッチの研究を行ったと考えられる。 -
額を除いた全景。
バブル時代、よくぞ購入いただき、東京で見れるのはありがたい。 -
部分を切り取って。
やっぱりゴッホはすごい。 -
別の部分。
-
どこを眺めてもすごい。
ユトリロ展かなり多くの作品を一度に見れて興味深かった。
印象派はじめ画家が生活していたモンマルトル、そこで生まれ育ったユトリロの絵画から哀愁のような雰囲気を感じました。
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