2017/07/10 - 2017/07/10
52位(同エリア129件中)
さっくんさん
2023年9月に発生したアゼルバイジャンとの紛争の結果、2024年1月1日を以てナゴルノ・カラバフは解散、消滅する事となりました。(アイドルグループではありません。)国際的にナゴルノ・カラバフ地方はアゼルバイジャン領となっているので、戻るべき処に戻ったと言うべきでしょうし、何処かの民族の様に立て籠もった末に集団自殺の様な血生臭い哀しい結末になる事無く終わりそうな事は不幸中の幸いだと思います。しかし個人的に実際 訪れ、紛争後に産まれたであろう紛争とは何ら関りが無いであろう若いナゴルノ・カラバフの若者達と触れ合ってきたので、彼等全員が難民になってしまった事、彼等の国が無くなってしまった事に心の中に穴が開いてしまったかの様な気持ちもします。来る24年の正月、非承認国家とは言え一つの国が無くなります。ナゴルノカラバフ、良き思い出をありがとう。そしてナゴルノ・カラバフに暮らしていた人々の今後の平穏を祈ります。
4トラベルの先輩方の記事を穴が開く程読み、時に質問コーナーで親切なアドバイスを頂き、行って参りました。念願のコーカサス。道中水害の為、一時は帰国便すら諦めねばと思うハプニングもありましたが、終わってみれば行きたかった場所は制覇できました。全てに感謝!
①アゼルバイジャン・バク―市内編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11263020
②アゼルバイジャン・バク―郊外編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11264672
③ジョージア・トビリシ編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11264903
④ジョージア・ウシュグリ編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11265434
⑤ジョージア・メスティア編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11265914
⑥ジョージア・カズベキ編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11266291
⑦ジョージア・シャティリ編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11267278
⑧アルメニア・ゴリス編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11268856
⑩アルメニア・エレバンとその周辺編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11270170
⑪カタール・ドーハ編
https://i.4travel.jp/travelogue/show/1127124
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今回はナゴルノ・カラバフ共和国を訪れます。ナゴルノ・カラバフ共和国は自称国家で、日本を含む殆どの国が国として認めていない国家です。
ナゴルノ・カラバフ地方はソビエト時代から、紆余曲折はあったものの、アゼルバイジャンに属する地方でしたが、アルメニア系の住民が多く暮らす地域でもある事から、アルメニア系住民からアルメニアへの帰属要求が強くありました。
勿論其処にはアゼルバイジャン系住民も数多く暮らしているのでアゼルバイジャン側も猛烈に反発します。
ソビエトが崩壊し両国が独立を果たすと、両者の歯止めは利かなくなり、やがて反発は暴力を産み、暴力は殺人を産み、やがて国同志の紛争へと発展しました。紛争はロシアのアルメニアへの軍事支援もあって、アルメニア側が勝利し、その後民族浄化により、この地域からアゼルバイジャン人は追放され難民化しました。
国際的非難を避ける為か、アルメニアはナゴルノ・カラバフを自国領とする事無く、ナゴルノ・カラバフが独立する形態を取っていますが、ナゴルノ・カラバフはアルメニアの傀儡に過ぎず、事実上アルメニアの実行支配地域と言えるでしょう。
従って、国際的にはこの地域はアゼルバイジャン領と言う事になりますが、実質的にこの地域を旅するにはアルメニアを経由する手段しか方法が無い事を鑑みて、今回の地域設定はアルメニアとさせて頂きました。 -
ゴリスを出発して約1時間半、ナゴルノ・カラバフの国境のチェックポイントに到着します。此処でパスポートチェックを受け、更に山道を30分程走りナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトを目指します。この時アルメニア側の出国審査は行われず、パスポート上アルメニアを出国していない扱いになるので、当然アルメニアのビザはシングルで何も問題は起こりません。この事からもナゴルノ・カラバフアルメニアの傀儡の国である事を如実に物語っていると言えます。
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到着したナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトは、紛争中の地域とは言え、治安が悪かったり、雰囲気が悪かったりする事も無く、ごくありふれた地方の街の佇まいでした。
到着すれば、ゲストハウスの呼び込みが待機しているので、予約無しでも問題無いと思われますが、エレヴァンからでは無く、ゴリス等地方からの便で訪れる場合は、呼び込みがいない可能性もあるので、1、2軒は目星を付けておいた方が良いかもしれません。私の場合、ゴリスから1時半頃到着でしたが、呼び込みは一人しかいなかったので、選択肢がありませんでしたし、日本人の旅人の間で有名なゲストハウスのNo problemおじさんにも会えず終いでした。 -
ナゴルノ・カラバフの領事館です。ナゴルノ・カラバフにアライバルでビザを取得する旅人は、ステパナケルトに到着したら、此処に出向いてビザを取得する必要があります。
ビザには訪問予定を記入する欄がありますが、記入を忘れ、記入を忘れた場所でパスポートチェックを受けた場合、厄介な事になる可能性が強いので、訪れる可能性がある場所は全て記入しておきましょう。
また、アライバルビザで訪れる場合、例えば土曜の夕刻にナゴルノ・カラバフに到着し、月曜の朝一に出国する様な予定だと、領事館の開庁時間に全く被らず、ビザが取得出来ず出国出来なくなってしまいます。領事館の開庁時間に留意して滞在を計画してください。祝日には要注意です。
因みにビザ取得時、レシートと証明書の様な紙片を渡されるので、出国時は上記のチェックポイントで紙片を係員に渡せば、それで出国完了です。 -
バスに乗ってシューシと言う街を訪れました。嘗てはハーンが統治していたと言う歴史ある街で、ナゴルノ・カラバフ地方の中心都市だったと言います。イスラームの歴史遺産なので朽ちるままにされていますが、残された城壁がその名残を今に留めています。
その様な経緯から、比較的アルメニア系住民が多いこの地方で、シューシは例外的にイスラームを信仰するアゼルバイジャン系住民が多い地域でした。
それ故に、両者の紛争が発生し、アゼルバイジャン側が劣勢に立たされた時、アゼルバイジャン側はこの街を最後の拠点として立て篭り、シューシは攻め落とさんとするアルメニア側の激しい攻撃に晒された結果、シューシの街は廃墟と化しました。
その後民族浄化によりアゼルバイジャン人はこの街から姿を消し、アルメニア人が暮らし始めましたが、其処には嘗て中心都市としての華やかさは失われ、未だ廃墟が数多く残されていると言います。
ナゴルノ・カラバフを巡るアルメニアとアゼルバイジャンの紛争は、停戦した後も断続的に小競り合いが発生し、2016年には一般市民の犠牲者が発生する衝突に至りました。この現在進行形で続いている近代史の舞台を訪れたく、シューシの街に訪れました。 -
シューシの街に到着して、街の雰囲気に戸惑いを感じました。首都のステパナケルトと違い、思っていた以上に人々の活気を感じられなかったからです。
明らかに紛争後に建てられた、シューシの何処にいても目立つ真新しいガザンチェツォツ大聖堂も、何処と無く寒々と感じました。 -
教会内部です。
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シューシを訪れて、困った事は地図が無い事でした。(旅行人発行のシルクロード版にあり)しかし先程の城壁からシューシの街に入って、十字路を右に曲がった場所にツーリスト・インフォメーションがありました。しかし地図は一枚だけ。写真を撮らせて貰い、それを頼りにしました。
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しかし、私がこの街を訪れて探していたものに地図は必要ありませんでした。ナゴルノ・カラバフ紛争の傷痕、それはこの街の至るところに残されていましたから。いや、この街は傷痕に囲まれて存在していると言った方が良いかもしれません。
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街を歩けば、そこかしこに廃墟が残されていました。
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上の建物をズームアップして見ると、イスラームな紋様の窓枠が残っていました。嘗てこの街に暮らしたアゼルバイジャン人の住居だったのでしょう。
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ミナレットがあると言う事はモスクでしょうか?此処も廃墟と化しています。何故彼等はこれらを撤去しないのでしょう?自分達が破壊した建物に囲まれて暮らすとは、いったいどんな気分なのでしょう?それとも余りにも廃墟が多過ぎ、手が回らないのでしょうか?
ボスニアヘルツェゴビナで見た、銃撃を受けたままの住居。それらは受けた被害を忘れない為、明らかに意図的にそのままの状態を残している事が明確でしたが、此処に残された廃墟からは、其処までのメッセージ性は感じられませんでした。 -
壁にアラビア文字が刻まれていました。
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上ギョウヘル・アガ・モスクの廃墟です。此処で何やら工事をしていた作業員から写真は遠慮して欲しいと言われました。作業員を写していた訳ではありませんし、作業員に写真撮影を止められる筋合いはありませんが、写した写真をどうこうしろとも言われませんでしたし、自分達が破壊したものを、観光客風情が写真に納めているのは、余り気分が良いものでは無いでしょうから、そこは穏便に食い下がってモスクを後にしました。
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下ギョウヘル・アガのモスクのミナレットが見えました。
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完全に廃墟化した団地の前で子供が遊んでいました。
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道路の反対側を見て驚きました。廃墟と見間違う、いや、多分元廃墟だった団地に人の暮らしがありました。破壊の程度が低かった建物を低所得層の人々が再利用していると言う事でしょうか?
多民族を追放した、その跡地に暮らすとは、いったいどんな気持ちなものなのでしょうか?
勿論其処に暮らす人々を責める気持ちは全く無いのですが、本当に素朴な疑問としてそう思うのです。
紛争で破壊した敵の建物に囲まれて暮らすばかりか、その破壊した建物に暮らす人々、いやもしかすると暮らさざる得ない人々…。
ほぼ民族問題とは無縁な環境で歴史を辿って来れた日本人だから感じる疑問なのでしょうか?
廃墟寸前のその団地の窓から、紛争の事等理解出来ないだろう年頃の子供達が窓から顔を出し、手を降られた時、心の中がズキリと痛みました。 -
偶然操作ミスで写してしまった一枚です。
曇天の中、呆然と周囲の廃墟の風景を見回している自分が其処に写っていました。
咥え煙草はいけないですね。 -
下ギョウヘル・アガ・モスクに向かいました。
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情報では閉鎖されているとの事でしたが、鉄柵のドアの施錠が外れ開放されていたので中へ入れました。
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雑草が生い茂るのを掻き分けて進むと、嘗ての礼拝堂の入り口に到着しました。
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嘗て、一日に五回、いやアゼルバイジャン人はシーア派が多いので日に三回だったでしょうか?信者達が足しげく礼拝に訪れたであろうその場所は、時の流れの過ぎ行くままに、痛々しい姿を晒していました。それは胸が締め付けられる様な光景でした。
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礼拝堂を出て出口に向かう途中、もうひとつの入り口を発見しました。ミナレットの入り口に間違いありませんが、廃墟なので灯りもありませんし、メンテナンスもされていません。一抹の不安はありましたが、悩んだらGo!の私です。爪先の感触と、途中に施された採光窓から漏れる仄かな灯りを頼りに、螺旋階段を登りました。
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ミナレットの天辺に登り周囲の風景を眺めました。こう廃墟の風景を書き続けていると、アルメニアが加害者、アゼルバイジャン側が被害者と錯覚を起こしてしまいかねませんが、それは結果に過ぎず、互いに譲り合わず紛争を起こした訳ですから、どちらが善でも無く、どちらが悪と決められる訳でもありません。
ただひとつ言えるとしたら、其処に正義は欠片も無かったと言う事です。破壊や殺戮が正統性を帯びる事はあってはならない事だと思います。 -
コーカサスは歴史的に様々な列強国の驚異に晒されてきました。普通に考えれば、それらの勢力に飲み込まれ、時代と共に同化し滅びても不思議では無い環境の中で、彼等は逆に叩けば叩く程固く強くなる鋼の様に、自身の民族意識を強め、愛国心を研ぎ澄ましてきました。
しかしその結果がこの風景を作ったとも言えるのです。
何処までが愛国心であり、何処からがエゴイズムなのでしょう? -
車にしろ、国にしろ、我こそが!と譲らぬ先に衝突が起こります。しかしながら世界を見渡せば、自国至上主義のアメリカと言い、EU離脱問題で揺れるヨーロッパと言い、世界は譲り合いとは真逆な方向に動いているかの様に感じます。
見下ろせば、モスクのドームが雑草に覆い尽くされ様としていました。 -
世界平和の道程も暗中模索ではありますが、この螺旋階段も負けないくらいに暗中模索な道程でした。
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もうこの様な景色が世界に増えない様に思わずはいられません。
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街には廃墟と人の暮らしが同居しています。洗濯物が、其処に人の暮らしがある事を自己主張しているかの様でした。
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打ち捨てられた廃墟ばかりの街並みの中で、この廃墟では壁に絵が描かれ、殺風景な街並みに彩りを与えていました。
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ステパナケルトに戻ります。シューシから丘を降りればもう其処はステパナケルトです。即ちステパナケルトとシューシは丘と平地に隣同士の街です。
ボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボで、現在も平野部にボスニア人が暮らし、山間部にはセルビア系の住民が、スルプスカ共和国と呼ばれる、これまた自称国家を立ち上げてボスニアとは言語も貨幣も別にして、触れ合う事無く暮らしていた事を思い出しました。
その二つの街は独立を境に急激に二つの民族の対立が深まったのも共通しています。
独立と言う彼等の長年の夢が叶った時、それは民族紛争と言う悪夢の出発点でもありました。 -
ステパナケルトに戻れば、他のアルメニアの地方都市と何ら変わりの無い風景に戻ります。
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こうしたポスターを除いては…。
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ステパナケルトでも、洗濯物の自己主張は凄まじいです。
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ステパナケルトは首都と言えども小さな街、ちょっと歩けばすぐ郊外に出ます。そんな郊外に「我らが山」と呼ばれるモニュメントが建っています。ナゴルノ・カラバフに暮らすアルメニア人の象徴だと言われますが、とてもユーモラスな像です。でも国威発揚的なものよりずっとセンスが良いと思いました。
モニュメントには地元の若者達が大勢訪れていました。彼等は自分達が国際的に認められていない国に暮らしている事をどう思っているのでしょう?彼等は海外へ旅する事が出来るのでしょうか?一見何処の国とも変わらない屈託の無い彼等の笑顔を見ながら、色々と考えてしまいました。 -
大通りには何処も綺麗に花が植えられていました。
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旅人として、この街で困った事と言えば、外食する場所が少なかった事です。道端で話しかけられたお姉さんに教えて貰った、遊園地付近のレストランは如何にも高そうだったので、もうひとつのお薦めのピザ屋に行きました。後に解った事ですが、この店アルメニアで有名なタシール・ピザと言う激安ピザのチェーン店だそうです。
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アルメニアにもありました!
ジョージアではまったレモネード。
(コーカサスのレモネードとは、本来のレモネードとは全く別物の炭酸飲料で、レモンも全く入っていません。)
飲食店だから、スーパーで買うより高い価格設定は良しとして、レモネードは150円くらい、ピザひと切れ100円くらいと言う設定は不思議でした。 -
こうした鶏の丸焼きを焼いている商店が集まる一画があったので、此処で買い物して宿で食べても良かったかなと思いました。
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一日が終わり宿へ戻ると、遠くの丘に、十字架が寒々しく輝いていました。今夜は色々と考えてしまい眠れそうもありません。
因みにエレバン方面のマルシュルートカはバスステーションにて前日に前もって切符が買えます。
最後までご覧になってくださりありがとうございました。
次回はエレバンとその周辺の見所を訪問します。
https://i.4travel.jp/travelogue/show/11270170
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