2024/03/07 - 2024/03/07
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/03/07
この旅行記スケジュールを元に
アウランガバードを出て3時間ほどで「アジャンター石窟遺跡」に到着しました。といっても駐車場に停めたバスを降りたあとにお土産物屋街を抜けて、遺跡エリア内を送迎するバスに乗っての移動があります。このバスは入場料とは別にバス料金がかかります。バスは2種類あってエアコンバスが30ルピー、ノンエアコンバスが25ルピーと値段も違います。かなりの距離を走るのでエアコンバスが絶対にお勧めです。バスを降りた後に入場券売り場がありますが、ここでもインドとその周辺国の人の料金とそれ以外の国の観光客では値段が15倍違います。ここでトイレを済ませておかないとその後の石窟を巡っていても苦労することになると思います。チケット売り場の脇の階段を登ると石窟の並ぶ峡谷に出ます。日影が無いので飲み水も持参しないと苦しむことになります。歩くのが嫌な場合は竹の棒に括り付けた椅子に乗って石窟を巡ることも出来ます。全部の石窟を巡って4,000円くらいなのでさほど高くはないと思います。遺跡の見学は朝一番に訪れるのが良いようで、時間が経つに連れてどんどん観光客が増えてきます。日本人のツアーはその辺を心得ているので早い時間にアウランガバードを出発売るので問題ないと思います。また多くのツアーには見学時間2時間と書かれてありますが、2時間では全部の石窟を見ることは出来ないと思います。今回のツアーではガイドさんの裁量なのか分かりませんが、3時間ほどの見学時間があったのでほとんどをじっくり見ることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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長年の夢だった「アジャンター石窟遺跡」に到着しました。20数年前のカンボジアの「アンコール遺跡群」をスタートに、インドネシアの「ボロブドゥール寺院遺跡群」、ミャンマーの「バガン仏教遺跡」の世界三大仏教遺跡群を巡り、それ以外にも東南アジア各地を巡ってきました。
アジャンター石窟群 史跡・遺跡
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西へ進んできた旅の目的の1つがインドの仏教遺跡でした。ここまでは個人旅行でだったので長いと1週間単位で遺跡群を隈なく見てきましたが、インドは妻の隊長もあってツアーになってしまったのがちょっと残念です。
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駐車場から遺跡の入り口の間には観光客目当てのお土産物の商店街が形成されています。
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店の主人は帰り道に立ち寄ってもらいたいので、近くで採れる水晶のカケラだと言って小さな石を持たせようとします。この辺りはレインボークォーツを算出しますが、本物なのかどうか?受け取った人には店の番号を伝えていました。
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土産物屋を過ぎた公園には「ハヌマンラングール」がたくさんいました。「ラングール」はサンスクリット語で「痩せた猿」を指し、「ハヌマン」の名前の由来はインドの叙事詩ラーマヤーナに登場する「ハヌマーン」からきています。
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インドではハヌマーンの民間信仰が強く、それに伴い手厚く保護されているようです。そのために人を恐れることなく都市部や寺院や遺跡にも生息しています。
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最近妻は足を投げ出して座ることが多いので、少しは見習ってほしいなと思いました。
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しばらく歩いた先にバス乗り場がありました。ガイドさんが「皆さんラッキーですよ。」と言いましたが、初めは理由が分かりませんでした。
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ここから遺跡までバスで移動するのですが、そのバスはボロいエアコンなしと新しいエアコン付きバスの2種類あります。一応30ルピーと25ルピーと値段の違いもあります。
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デカン高原の中にある「アジャンター石窟遺跡」ですが、エリア内を流れるワーグナー渓谷の川は枯れ果てています。
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ここまで乗ってきたエアコンバスはアショックレイランドでした。帰りは残念ながら窓を全開しても暑いノンエアコンバスでした。
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ガイドさんの必要はありませんが、「チェアー」の文字に惹かれます。これは多分椅子に座ったお客を担ぐ「駕籠屋」みたいなものです。
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No,1からNo,26 まで周って2,000ルピーなので約4,000円です。昨晩のマッサージと同じような値段なので、一応妻には椅子に乗るか今晩もマッサージに行くかどっちがいいか尋ねます。
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最近日本でも姫路城の料金を外国人は4倍にするかが話題になっていますが、発展途上国では当たり前の話で、インドでは15倍に設定されています。ただインドだけではなくバングラデシュ、ネパール、ブータン、スリランカ、パキスタン、モルディブとアフガニスタンも含まれています。日本も神社に火をつけたり放尿したり、仏像を盗んだり落書きする国を15倍にすればよいと思います。
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現在位置とその先に連なる石窟寺院のロケーションマップです。否応なくテンションが上がってきます。
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目の前には階段が続いていて、妻のテンションは下がっているみたいです。
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立ち止まった視線の先には案内板にあった「チェアー」が並んでいます。これと初めて出会ったのは十数年前の桂林の龍脊棚田の登り口でした。妻の姿を見た駕籠かきのおじさんたちがすっ飛んできて「大姉!大姉!」と声を掛けてきます。それはまるで弱った象に群がるライオンのようでした。
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まだ3月とはいえ陽射しは強く、水は必需品でした。汗ばむほどの陽気ではなかったのは幸いです。
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階段を登りきると渓谷の大体の大きさが分かりましたが、一番奥までは見通せてはいません。
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そのいくつかは修復工事も行われているようです。竹で組んだ足場の掛かったのは「第9窟」のようです。
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アウランガバードを朝一番に出てきているので、先に着いて見学している人の数も少ないようです。
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ここまで階段を登りながらへこたれていた妻もこの光景には感嘆の声を上げていました。
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日本人だとほぼ100%の人が寺院に入る際は靴を揃えると思いますが、インド人の国民性を良く表していると思いました。まずは「第1窟」から見学をスタートします。
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「第1窟」は馬蹄形の断崖の東端に造られ、現在は見学者が最初に出会う洞窟寺院です。アジャンター石窟群は仏教の宗教芸術の傑作とされ、洞窟は絵画や岩を彫刻した古代インド美術として、そのジェスチャーやポーズを通じて感情を表現した最高の例と考えられています。
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洞窟は2段階に分けて建設され、1期目は紀元前2世紀頃に始まり、2期目は西暦400年から650年の間、実際には西暦460年から480年の短期間に建設されたようです。
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石窟群は古代のヴィハーラと呼ばれる僧院と75メートルの岩の壁に刻まれたさまざまな仏教の伝統的なチャイティヤという礼拝堂で構成されています。
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洞窟には仏陀の「過去生」と「再生」を描いた絵画、アーリヤスラのジャータカマラの絵物語や仏教の神々の彫刻が連なっています。
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これらの洞窟は僧侶の隠れ家として、また古代インドの商人や巡礼者の休息地として機能しました。中世の中国人仏教徒の旅行の回想録にも記載が残っているようです。
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忘れ去られていた石窟寺院群は植民地時代の1819年にイギリス第28騎兵隊の将校だったジョン・スミスが、地元の羊飼いの少年にその場所と入り口に案内され、「第10窟」の入り口を見せられました。洞窟はすでに地元の人々によく知られており、村人に斧や槍、松明や太鼓を持って現場に来るように頼み、洞窟に入るのを困難にしていた木々や蔦を取り除かせました。
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注意事項はいたってノーマルなもので、最大40人までで15分間の見学が出来ることと手持ちのカメラでの撮影はフラッシュ無しで可能で、フラッシュや三脚の使用とビデオ撮影は禁止です。もちろん壁画や彫刻に触ることも禁止です。懐中電灯などの照明も禁止ですが、ガイドさんはどの壁画を説明しているか分かるように使っていました。
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植民地時代のアジャンター遺跡は英領インドではなく、ハイデラバードの藩王国の領土内にありました。1920年代初頭にハイデラバードの最後のニザーム(王国の管理者)であるミール・オスマン・アリ・カーンは壁画や彫刻を修復するためにこのエリアを博物館に変え、有料で観光客を石窟に導くための道路を建設しました。
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洞窟は崖に現れた玄武岩と花崗岩に彫られており、白亜紀の終わりに連続した火山噴火によって形成されたデカントラップの一部です。
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デカン・トラップ (Deccan Traps) とはインドのデカン高原に分布する地球上でもっとも広大な火成活動の痕跡のことです。
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石窟の見学はこの「第1窟」からスタートしたばかりですが、その完成度や美しく残されたフレスコからも第2期の時代のピークの作品ともいえます。天井に描かれた美しいフレスコ画に目を奪われます。
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祠に納められた仏像の台座にバターランプの煤けた堆積物がないことや、祠の周りの花輪のフックが何らかの期間使用されていた場合に起こる絵画への損傷がないことからも実際の礼拝に使われていなかったのであろうと考えられています。
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格子状に区切られた天井には想像上の動物や人間の姿が描かれています。猿の悪ふざけにうんざりした水牛が猿を殺そうとしますが、贈り物を差し出して水牛を説得する人間の姿などが描かれています。
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これらの絵画は中世イタリアのフレスコ画のように壁に塗られた漆喰が乾燥する前に描かれたものではなく、無理固められた漆喰の上から描かれているそうです。乾燥していない漆喰の場合は色素が内部に沁み込むために色が残りますが、乾いたところに描いたものは劣化が激しいと思います。ここまでよく保存されていると感心します。
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掘り出された空間に残された柱はこの石窟を支えるものではなく、あくまで建築上の要素であろうことが窺われます。
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ここには4頭の鹿が彫られていますが、4つの体に対して1つの頭しかありません。それでありながら違和感を感じないのが驚きです。
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「第1窟」の建設に当たってはヴァーカータカ皇帝ハリシェナがパトロンであったと考えられていて、洞窟内の王族のイメージに重点が置かれていることに反映されています。彼が王族であった仏陀の前世を語るジャータカの物語を壁画の題材に選んでいます。
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ハリシェナはヴァカタカ王朝のヴァツァグルマ分派の最後の支配者で、彼は父デーヴァセーナの後を継ぎました。ハリシェナは仏教建築や芸術、文化の偉大な後援者であり、アジャンターの石窟群は彼の最大の遺産といわれます。
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絵葉書の写真がきれいでした。金剛菩薩はより厳格な仏陀の姿であり、頭に被った冠や瓔珞模様の宝石で飾られています。瓔珞はもともとインドの上流階級の人々が身につけたもので、珠玉や貴金属を編んで頭や首や胸にかける装身具のことです。
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ハリシェナの治世の終焉とヴァツァグルマ家の最終的な運命は謎に包まれており、ヴァカタカ王朝はハリシェナの死後間もなく終焉を迎えます。
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「第1窟」の内部には12本の柱が四角い吹き抜け空間を作り、天井を支えて壁に沿って広々とした回廊を作り出しています。後方の壁に彫られた祠があり、仏陀の座像を納めています。
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仏陀は両手の親指と人差し指の先端を合わせて輪を作り、他の指を軽く曲げて甲を見せ、右手を上に左手を下にして腹前に構えています。この印相は転法輪印と呼ばれ説法を意味し、座像のみに限られるものです。
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正面後廊左側の壁面に描かれた蓮華手菩薩像と出会うことが出来ました。
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青い蓮華を胸の前に持つ菩薩は暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっていました。確かに法隆寺の金堂壁画を思い出させるその姿に感動します。
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こちらも真正面から撮影した絵葉書の写真がきれいで分かりやすいです。パドマニ菩薩の姿には出家前のシッダールタ王子の姿をよく見て取れます。
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第1窟には回廊左手に釈迦の前世の物語である本生譚が描かれています。これは仏陀の前生(ぜんじょう)の姿であるシッダールタ王子が世俗の快楽を捨て去る決心をする場面のようです。
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王子が若いころに父である浄飯王はアシタ仙人に釈迦の未来を占わせたところ、立派な王になるか高名な宗教家になると答えました。浄飯王は釈迦を王の後継者として期待していたため、欲しいものを何でも与えて出家しないよう奔走します。
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四門出遊(しもんしゅつゆう)は釈迦が29歳の太子の時、王城の東西南北の4つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりにして苦諦に対する目を開き、出家を決意したという伝説です。
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ジャータカとは仏教でいう前世の物語のことで、本生譚(ほんしょうたん)ともいいます。釈迦がインドに生まれる前に人や動物として生を受けていた前世の物語で、十二部経の1つでもあります。パーリ語で書かれた仏典には22篇に分けて計547もの物語がジャータカとして収録されています。この形式には現世物語・前世物語・来世物語という三世で構成されています。
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紀元前3世紀ごろの古代インドで伝承されていた説話などが元になっていて、そこに仏教的な内容が付加されて成立したものと考えられています。
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仏教がインドから各地へ伝播されると世界各地の文学に影響を与え、イソップ物語やアラビアンナイトにもこの形式が取り入れられたといわれます。また今昔物語集の月の兎なども、このジャータカを基本としています。
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法隆寺で見た「玉虫厨子」にはジャータカ物語として施身聞偈図の雪山王子や、捨身飼虎図の薩埵王子が描かれていたことを思い出します。
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またスリランカを旅した際のアルヴィハーラの寺院でも「本生譚」を題材にした壁画を見たことがありました。
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ジャワ島のボロブドゥール遺跡へ行った際には1泊した翌日に遺跡のレリーフをほぼ全部写真に撮った中に「本生譚」の場面120面がありました。妻は呆れてホテルで休んでいましたが、今となってはいい思い出です。
ボロブドゥール遺跡①:https://4travel.jp/travelogue/10786151
ボロブドゥール遺跡②:https://4travel.jp/travelogue/10796393 -
ようやく「第1窟」の見学が終わりました。この時点で30分くらいの時間が過ぎています。トラピックスの予定表には「アジャンター石窟寺院」の見学時間は2時間と記載されていたので、ここまで来て全部見ることが出来ないのだろうかと心配になっていきます。
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とはいえ勝手な行動も出来ないのでガイドさんについて見学を進めていきます。
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「第2窟」に移りました。ここも壁や天井、柱に描かれた絵画で知られています。35.7 mメートル× 21.6メートルの石窟は460年代に着工されましたが、ほとんどが西暦475年から477年の間に彫られ、おそらくハリセナ皇帝と密接な関係にある女性が後援して影響を受けたと思われます。
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こんな感じで27の石窟を全部見学できるのだろうかと心配になってきます。
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第1窟とは全く異なるポーチがあり、ファサードの彫刻も1窟とは異なっているようです。洞窟は細かい彫刻で飾られた柱で支えられています。主な彫刻には女神ハリティが描かれています。彼女はもともと天然痘の魔神で、子供を食い殺す者でしたが仏陀によって豊穣、安産、そして乳幼児の守護神へと変えられた。
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ホールには4つの列柱が天井を支え、正方形の天井を囲んでいます。柱頭には装飾として人間や動物、植物や夜叉などの半神などのモチーフなどが彫り出されています。
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第2窟の天井や壁に描かれた絵画はハムサ、ヴィドゥラパンディタ、ルル、クシャンティ・ジャータカの物語、プルナ・アヴァダナを描いています。
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他のフレスコ画にはシュラヴァスティ、アシュタバヤ・アヴァロキテーシュヴァラ、マヤの夢が描かれています。「第2窟」の物語の多くの高貴で強力な女性が重要な役割を担っていることからもパトロンが女性であったことを示唆しています。
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石窟の多くは左右対称の正方形のプランを持つヴィハーラと呼ばれる形状になっています。ヴィハーラは出家した僧侶の住居のための空間や設備を意味していました。
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古代インドの石窟寺院建築においてはより具体的な意味を持ち、ここでは中央のホールを意味し、その周囲には小さな僧房がつながっており、石から彫られたベッドが設けられました。奥の壁の中央に祠堂があり、初期の仏舎利塔や後の時代には仏像が置かれました。
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エジプトの王墓や神殿の彫刻や壁画も素晴らしかったですが、アジア各地の仏教遺跡を巡った後に来たアジャンター石窟寺院には感慨深い思いがあります。日本から20年近くかけて少しづつ西に向かい、ようやく妻をインドまで連れてきました。
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「第1窟」には有名な壁画が残されていることもあり、有名ですが、個人的にはこの「第2窟」の精巧な彫刻や壁画に魅了されました。
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特に仏陀の像の左右にある等身大の石像は左側にはハリティとパンチク、右側にはナグラジとナグラニを見ることが出来ます。ハリティは中国へ渡ると鬼子母神となり、パンチクはハリティと一緒に槍と宝石やお金の入った袋を持っている姿で表現され、この2人の像は2世紀後半にガンダーラで非常に人気があり、その彫像は数多く残されています。
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ナーガラージャは冥界(パタラ)に住む神または半神、半人半蛇の存在であるナーガのさまざまな種族の王であり、時には人間の形をとることができます。仏教にはヴィルパッカ族、エラパタ族、チャビャプッタ族、カンハゴタマカ族の4つの主要な王族がいます。ナーガは仏教の経典におけるゴータマ・ブッダの説教の多くの聴衆の中に現れます。ナーガ王の義務には仏陀やその他の悟りを開いた存在を保護することでした。
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天井には白鳥が23は生き生きと描かれています。
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「シュラヴァスティの奇跡」と呼ばれる壁画です。仏陀はコーサラ国のシュラヴァスティ(舎衛城)でプラセナジト王に対して奇跡を示し、王は深く仏教に帰依されたといわれています。
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「第2窟」の壁画の中には摩耶夫人についても物語も描かれています。マーヤー(摩耶夫人)は釈迦族の王シュッドーダナ(浄飯王)に嫁ぎました。マーヤーはヴァイシャーカ月に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊したとされ、その出産の様も郷里に帰る途中に立ち寄ったルンビニーの園で花(アショーカ〈無憂樹〉またはサール〈娑羅双樹〉)を手折ろうと手を伸ばしたところ、右脇から釈迦が生まれたとされます。
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釈迦は生まれてすぐに東に向かって7歩あゆみ、右手を上にして天を指し左手は下にして大地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と誕生偈(たんじょうげ)と呼ばれる詞を宣言されたということです。
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天井には23羽の白鳥が生き生きとした姿で描かれています。
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子供の頃に母方の祖母に聞いた話しや善光寺のお土産にもらった絵本で知った物語ですが、祖母が存命ならインドまで来たと伝えたかったです。
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京都の祖母の家にはボロブドゥールの写真も飾ってあって、ジャワ島へ行こうと思ったのもその写真がきっかけでもありました。
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カンボジアのアンコールワットの祠堂やジャワ島のボロブドゥール遺跡、蘇州の寒山寺、ミャンマーのパガン遺跡、スリランカの仏歯寺などいろいろな仏教史跡に母の書いた般若心経を納めてきましたが、アジャンターには納められる場所はありませんでした。
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中央に摩耶夫人が右手を上げた姿で描かれているようです。釈迦の誕生のシーンです。
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「第4窟」に移動しました。ここは28本の柱で支えられたアジャンターで最大のヴィハーラ石窟です。エントランスの柱は後年に修復されたもののようで彫刻などは施されてありません。
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風雨が直接当たらなかったエントランスのゲートは辛うじてオリジナルの姿を保っているようです。それぞれの石窟には係員の方が1人ないし数名いらして見学者が違反行為をしないか見守っています。
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観音菩薩を中央にその弟子たちが廻りを取り囲んでいます。
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その見事な彫刻の1つ1つを見ていきたい気持ちもありますが、先を急がないというジレンマも感じます。
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数カ月前にアテネの新アクロポリス美術館や国立考古学博物館、オリンピアの博物館を見てきたばかりなので何となくギリシャ彫刻との類似点を探してしまいます。
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まだインドの仏教の聖地を巡ってはいないので、その後にはバングラデシュへも行ってみたい気持ちになってきます。
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内部に入ってびっくりしたのは天井などはまだ未完成で、圧迫されるような感じがします。
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側壁には小さな部屋がいくつも掘られ、そこが僧侶の生活する部屋だったのであろうことが想像されます。
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床もガタガタですが正面に納められた仏像だけはほぼ完成された姿を見せてくれています。
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蓮華座の仏陀像は優雅な姿です。
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足元には2頭の鹿の像もあります。「鹿野苑」は釈迦がさとりを開いた後に5人の修行者に対して最初に説法(初転法輪)をされた場所です。古代、北インドのガンジス河中流域にあるヒンドゥー教の聖地ベナレス市(波羅奈国)にあった林園で、現在のサールナートにあります。
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ダルマ・チャクラ・ムードラの仏陀像が4体本尊を取り囲んでいます。ダルマは悟りの道、チャクラは車輪、ムドラは仕草(ポーズ)を表します。釈迦が悟りを開いた後にサナルートで最初の説法を説いたダルマチャクラ・ムードラを行った時の釈迦の生涯の中でも最も重要な瞬間の1つを表しています。
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右手を伸ばしたままの指は仏陀の教えの3つの手段を表しています。中指は教えを聞くものを表し、薬指は孤独な実現車を表し、小指は大乗又は偉大な乗り物を表します。
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彫刻の施されていない列柱はその制作過程を見ることが出来ます。アンコール遺跡群を1週間かけて隈なく見学した際も切り出した岩を積んだまでで放置された寺院を見学したことがありました。大枠の石組みをした後に彫刻を施す工程が良く分かりました。
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ここまで造りながら放棄されてしまったのはこの地域における仏教が廃れてしまったことなのだと感じます。6世紀半ばと考えられるアウランガバード石窟寺院に見られる特徴がアジャンターで見られないことを考えるとアジャンターの年代は6世紀半ばくらいまでに築かれて開窟途中のまま放棄されたと考えられているようです。
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ライトアップされた堂内奥から入り口の方向を見ると逆光になって、未完成の床の具合が良く分かります。
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