2024/03/09 - 2024/03/09
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kojikojiさん
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ムンバイに戻った翌朝は朝食を食べた後はすぐにチェックアウトです。迎えに来たバスに乗って船着き場の有るインド門に向かいますが、朝の交通渋滞でかなり時間がかかります。インド門からは地元の人たちや観光客を乗せた遊覧船で「エレファンタ島」に向かいます。今回の旅は「アジャンター遺跡」と「エローラ遺跡」がメインの旅ですが、この「エレファンタ島」にも素晴らしい遺跡が残されています。同じようなツアーはいろいろな旅行会社で催行していますが、トラピックスのこのツアーを申し込んだのは「エレファンタ島」が含まれていたからです。この日も良い天気でポカポカ陽気の中を1時間ほどのクルーズも楽しめます。島に着いた後は今度はトイトレインに乗り換えて移動します。その後は遺跡への参道の階段を昇りますが、朝早いので参道の屋台はまだ開いていません。という懐石へ行く人は階段に気持ちが集中するので、見学も終わった帰り道の観光客が狙いのようです。細密画を扱っている店も何軒かありましたが、話をした店の主人は「No,100の店だから帰りに寄ってね。」と名刺をくれました。なるほど仮設テントの店ですが、それぞれに店の番号が振ってあります。ようやく階段を昇り切った上に遺跡の入り口があります。ここでも外国人観光客の値段は15倍でした。島内には7つの遺跡がありますが、まずは全員で一番大きな「第1窟」の見学をします。ここもシヴァに捧げられた寺院で、その規模や巨大なレリーフや彫刻は素晴らしく、アジャンターとエローラの後にここへ来て良かったと思いました。それ以降の石窟の見学はフリータイムになり、最後は登ってきた石段の下で再集合になります。遺跡を見学した後は「No,100」の屋台に立ち寄り、細密画を3枚ほど買い求めました。書かれてあった値段は合計すると11,000ルピーでしたが、交渉して6,000ルピーになりました。この店でのクレジットカードの利用額のマックスは6,500ルピーだということでした。そこへガイドさんがやってきて、この辺りの店でカードを使わないように言いだして、店の人とちょっとしたトラブルになりました。ガイドさんはよくトラブルがあるということで、心配してくれたのですが特に問題もありませんでした。店の人は邪魔されたと思って怒っていましたが…。帰りも同じルートでインド門に戻りましたが、暖かさもあって眠くなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ツアー5日目での朝です。この日の夜便で日本へ帰国するので、実質最終日になります。アジャンターとエローラの遺跡を2つ見学してお腹いっぱいですが、今日は観光船に乗ってエレファンタ島の遺跡も見学します。
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「ラミー ゲストライン ジュフ ホテル(Ramee Guestline Juhu Hotel)」のレストランはサイケなデザインでしたが、料理は美味しかったです。
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早々に荷物をまとめてチェックアウトしてインド門に向かいます。この辺りはツアー2日目に同じルートを移動しているので勝手は分かっています。
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ムンバイは経済成長に伴う自動車台数の急速な増加により、深刻な交通渋滞と騒音や排ガスによる公害が問題となっていたため、交通渋滞緩和と都市環境の改善を図るための公共交通システムの整備が必要でした。そこでムンバイ・メトロが計画され現在3路線が営業してるそうです。まだ計画中の路線も多く、それが完成したら少しは落ち着いた町になりそうです。名前はメトロですが地下を走っていることは無いそうです。
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路線の多くが開業したらオートリキシャ―の数も減ってしまうのでしょうね。
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「ダラビ(Dharavi)」地区を抜けて「マヒム湾(Mahim Bay)」に差し掛かります。
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ちょうど干潮の時間のようで漁船が完全に身動きできない状態になっています。
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I LOVE MUMBAIの文字が置かれていますが、人がちょっと立ち寄って記念写真を撮るような場所ではありません。
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高層ビル群とまだ貧困が残るエリアの対比が鮮烈です。
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「バンドラ・ウォーリ・シーリンク(Bandra-Worli Sea Link)」という巨大な海上橋に差し掛かります。全長5.6キロの海上橋で、ムンバイ市地区のウォーリと西郊外地区のバンドラとを結んでいます。
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太陽の方向に向くと水面がキラキラ光ってとてもきれいです。湾内は波も無く穏やかな姿を見せてくれています。
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この辺りに住んでいるのは先住民族の「コリ族(Koli)」で、コリ族のキリスト教徒はポルトガル人によってバラモン教からキリスト教に改宗する前はポルトガル領インドの旧ボン・バイーアでソン・コリ・カーストに属していました。
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コリ族のキリスト教徒は習慣や伝統をカトリック教会の信仰と融合させ、彼らの職業の多くは漁師だということです。
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海上の橋を渡り切ってムンバイ市内に入りました。
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タラポレバラ水族館の前も再び通過しました。
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この辺りはアール・デコ様式の美しい建物が数多く残っていますが、きちんとリノベートしたり、ホテル化して観光の目玉にしたらよいと思います。「アールデコ・ムンバイ(Art Deco Mumbai)」と名付けられたプロジェクトが発足しているようで、市内のすべてのアールデコ建築を記録に収めて建物の由来を住民らに教え、保存することを目指しているようです。
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ムンバイ市内を観光した2日目には車窓の風景やモニュメントを見逃さないように注視していましたが、旅も終わりになるとそのパワーも切れかかっています。
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幾つかの映画館もアール・デコの美しい姿を留めています。2024年3月8日公開の「Shaitaan(悪魔)」は、相手を言いなりにしてしまう黒魔術を主題にしたホラー映画のようです。2月からシネ・リーブル池袋で実施された「週末インド映画セレクション」で上映されていたようです。「週末インド映画セレクション」は年に何度か開催されているようなので行ってみようかと思います。
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インド門に到着しました。緩いセキュリティーを通過して門に向かいます。
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タージマハールホテルも朝日を浴びて輝いています。いつか宿泊してみたい憧れのホテルです。オーシャンビューで6万円くらいなので頑張れば泊まれそうです。東南アジアのヒストリカルなクラシックホテルが好きで泊まり歩いていますが、それに比べるとインドの同様なホテルは少々お高い気がします。
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今日はインド門の見学ではなくて門の裏側の階段を降りて遊覧船に乗るためです。
インド門 (ムンバイ) 建造物
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高さ26メートルの玄武岩で出来た門に朝日が当たっているのでとてもきれいです。昔は船でムンバイに到着する旅行者が最初に目にする建造物でしたが、今日はここから海に出ます。
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どのようなシステムになっているのか分かりませんが、数多くの同じような船が順番にお客を乗せて出港していくようです。時間が決まっているのではなくて、満員になると出発しているようでした。
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先行して出港した遊覧船がシルエットになっています。この時はすでに2階のデッキは満員でしたが、追加で5ルピーほど支払うと上に昇ることが出来ます。
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「ミドルグラウンド沿岸砲台(Middle Ground Coastal Battery)」はインド海軍が管理する古い沿岸砲台跡です。ムンバイ港のミドルグラウンド島にあり、インドの門から数百メートル離れた場所にあります。島は1682年にイギリス東インド会社によって、この地域の海賊行為を抑制するために要塞化された歴史があります。
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1時間ほどの航海ですが疲れるので椅子に座ってしまったので、しばらくは前方を眺めていました。
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そろそろと思って後方に行ってみるとインド門は手前の木々に隠れてしまっていました。帰りも同じルートなのでその時の写真に納めます。
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前を行く遊覧船はかなり空いているようです。もう少しバランスよくお客を乗せてくれたらと思います。
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湾内には打ち捨てられたような灯台がいくつもありました。このセインクリークと呼ばれる湾内は岩礁や浅瀬が多いようです。
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遠くに霞んで見えるムンバイトランスハーバーリンクは21.8 キロの6車線の立体交差高速道路橋で、ムンバイとその衛星都市であるナビムンバイをつないでいます。
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しばらくすると右手に島が見えてきました。これがエレファンタ島だということはすぐに分かりました。この島の中腹にこれから行く「エレファンタ石窟(Elephanta Caves)」があります。
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1534年にムンバイ(当時のボンベイ)がポルトガル統治下となると、ポルトガル人がこの島を訪れました。その際に象の石像を見つけたため元々はガーラープリ島と呼ばれていたこの島を、象に因んでエレファンタ島と名付けました。しかしポルトガル人たちは島にあった石像を銃の練習台として、そのほとんどを破壊してしまいました。
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エレファンタ石窟群には7つの寺院がありますが、状態が良いものは「第1窟」のみだということです。
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桟橋の突端にはトイトレインが乗客を待っています。単線を往復するだけなので前後に機関車がつなげられています。機関車といっても形だけなので蒸気機関を使っているわけではありません。
エレファンタ島 自然・景勝地
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こちらの船に乗っているのは観光客ではなさそうです。カラフルな船のカラーリングはベトナムやマルタの港町で見た風景を思い出します。40年ほど前の沖縄では同じカラーリングのタクシーが町を走っていました。
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トイトレインを降りた後は一度トイレに寄っておきます。この先の遺跡に入るとトイレ事情は良くないようです。そこからは延々と続くブルーシートの下の階段を上がっていきます。
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参道の両側にはお土産物屋が並んでいますが、朝一番の時間帯は閉まったままの店がほとんどでした。その中には数軒の細密画の店があり、値段も手ごろだったので帰り道に寄ることにします。店の主人は名刺をくれて「No,100の店だからね。」と念を押されます。よく見るとそれぞれの店には番号を書いたプレートが掲げられていました。
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クリストと妻のジャンヌ=クロードのアート作品のようなシートの中を潜り抜けると遺跡公園の入り口に着きました。クリストの作品は1991年のアンブレラ・プロジェクトが印象に残っています。1988年に池袋の西武美術館と軽井沢高輪美術館を巡回したクリスト展も見に行きました。
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エレファンタ石窟の入場料もインドとその周辺国が40ルピーで、それ以外の外国人観光客は600ルピーと15倍の差がありました。
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まずは全員で一番大きな「第1窟」を全員で見学してその後はフリータイムになって、各自で残りの石窟を見学することになりました。十分に時間があるので全部の石窟を見ることは出来そうです。エレファンタ石窟はこのようなプランが置かれてあるので見学がしやすいです。またシヴァの物語や変化の石像についての説明文もありました。
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メインホールの主堂は正方形で一辺が約40メートルあり、これを中心にして東院と西院が造られています。高い天井を30本の列柱が支え、壁面には古代インドの叙事詩をモチーフにした多くのレリーフが見られます。正面のエントランスは控えめに小さく、中に大広間を隠しているようです。正面入り口は北向きで側面の2つの入り口は東と西を向いています。これはエローラで見たシヴァを祀った寺院と同じようです。
エレファンタ石窟群 史跡・遺跡
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フロアプランが2種類あって、それぞれ番号が違うので茶色い案内板に沿って見学をすることにします。堂内のレイアウトはグーグルのストリートビューが非常に分かりやすいです。
https://artsandculture.google.com/streetview/elephanta-caves/WAFT2fZgZoa-cw?sv_lng=72.93133753879079&sv_lat=18.963426489608402&sv_h=327.2873266916582&sv_p=10.912046534006706&sv_pid=gLdKj-6nGNMAAAQWrmRwqA&sv_z=0.35545240440421966 -
メイン入口の左壁面から時計回りに堂内を周ります。
「①マハヨギのシヴァ(Mahayogi Shiva)」
この像は瞑想した姿で蓮の花に座っているように描かれたシヴァ神の珍しい姿です。シヴァ神のこのような姿はヨゲシュワラとも呼ばれヨガ修行者としてのシヴァ神の姿を現しています。。両腕は損傷していますが、大きな胸と頭部の髪はほとんど損傷していません。 -
「②カイラス山を揺らすラーヴァナ(Ravana Shaking Kailasa)」
この題材はエローラ石窟の「第16窟」カイラーサナータ寺院などでも見てきたばかりです。ラーヴァナはシヴァとパールヴァティの住むカイラスまで行き、その山を揺らしにかかります。ラーヴァナはインド神話におけるラークシャサ(羅刹)の王で、叙事詩「ラーマーヤナ」に登場し、ランカー島(スリランカ)を本拠地としてラークシャサ族を治めました。10の頭と20の腕と銅色の目、月のように輝く歯と山のような巨体を持つ姿で描かれます。ここでは東部がかなりダメージを受けています。 -
ラーヴァナは神々に対しても戦いを挑み、息子メーガナーダはインドラ神に勝利します。これらの戦いによってラーヴァナは多くの王や聖仙、半神たちから人妻や娘を奪ってランカーに連れ去ります。こうした行為に神々はヴィシュヌ神に助けを仰ぎ、ヴィシュヌ神はアヨーディヤーの王子ラーマとして転生し、ラーヴァナを討つことを約束しました。
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「③シヴァとパールヴァティ(Shiva-Parvavati)」
4本腕のシヴァは足を組んで座っていますが、頭部は破壊されています。パールヴァティは右足を組んで座り、左手を垂らしています。彼女の従者はシヴァとの間に生まれたカルティケヤと思われる子供を連れています。左側の別の従者はガネーシャを抱いているようです。 -
背後のレリーフは状態良く残っていて、天上の生き物や神々や空を飛ぶヴィディヤーダラ、そしてリシに囲まれています。ヴィディヤーダラは半神族で神通力にすぐれ、飛行能力を持つといわれます。リシはヴェーダ聖典を感得したという神話や伝説上の聖者あるいは賢者のことです。
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朝一番の見学なので我々ツアーのメンバー以外に訪れている人はまだ少ないです。写真を撮っているうちにガイドさんからはずっと遅れてしまいますが、イヤフォンガイドの声が伝わっているので安心できます。
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「④アルダナーリーシュヴァラ(Ardhanarishvara)」
この彫刻は右半身がシヴァ神で左半身がシヴァ神の妻のパールヴァーティの姿をしています。男性と女性の合体像は神の一体を表し、全てのものは元は1つであるということを意味し、ヒンドゥー教のシャクティ信仰のシンボルとされます。 -
脇にはシヴァ神の乗り物であるナンディンが立ち、その頭に肘を掛けています。手には鏡と蛇を持っているようです。現在は色彩が残っていませんが、出来た頃はその体の半分づつの色が違ったのだと思います。この状態では左胸の膨らみと腰のくびれが女性らしさを感じさせます。
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左側には白鳥に乗るブラフマー神と象に乗るインドラ神、その下にはシヴァの息子であるクマラ神が見えます。
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右側にはガルーダに乗ったヴィシュヌ神とその前に水の神ヴァルナの姿も見えます。
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「⑤トリムルティ(Trimurti )」
トリムルティはヒンドゥー教における最高神性の三位一体であり、創造、保存、破壊の宇宙的機能が神々の三つ組として擬人化されています。通常は創造主のブラフマー、守護者のヴィシュヌ、破壊者のシヴァの呼称です。 -
ヒンドゥー教のシンボルであるオームは、トリムルティを暗示していると考えられており、単語の「A」「U」「M」の音素は創造、保存、破壊を示すと考えられており、合計するとブラフマンを表しています。高校生の頃に読んだ諸星大二郎の「暗黒神話」で学んだ知識が蘇ってきます。
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古いヴェーダ信仰の伝統の名残という形で正統派のバラモン教とさまざまな宗派宗教のシヴァ派、ヴィシュヌ派、シャクティズムなどではしばしばトリムルティを自分たちの宗派の神の三つの顕現と見なし、彼らをブラフマンまたは絶対者と見なしていたようです。
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3面のシヴァの迫力は実際の大きさよりも巨大に感じました。ここまで来て良かったと思える瞬間です。
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「⑥ガンガーダラ ムルティ(Gangadhara Murti)」
サダシヴァの右側に立つのが「ガンガーダラ」としてのシヴァ神の姿です。この彫刻はインド神話の場面で、天から降臨するガンガー(ガンジス川)をシヴァ神が自分の頭上で受け止めている様子を描いています。ガンジス川が直接地球に落ちた場合、その激流が地球を粉々にしてしまうからです。 -
叙事詩「ラーマーヤナ」にはガンガーを地球に下ろす理由とシヴァ神がそれを助ける物語が描かれています。ガンジス川の神話を受けてシヴァ神の髪の毛の中にガンガーが描写されることがあります。
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「⑦カルヤナースンドラムールティ(Kalyanasundara-murti)」ははシヴァ神と妻のパールヴァーティの結婚式の場面で、シヴァ神は平穏と優しさに満ちた顔に表現されています。片方の手は腰に巻かれた厚い布の上に置かれ、もう片方の手はパールヴァーティを支えています。
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重要なのはパールヴァーティがシヴァ神の右側に立っているということで、まだ結婚はしていないことを表します。新婦は結婚前には新郎の右側に立ち、妻になると主人の左側に立つとされます。
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パールヴァーティの背後には彼女の父親が立ち、伏し目がちのパールヴァーティをシヴァ神の方に押しているようです。シヴァ神の足元にはブラフマー神が座っており、儀式を司る僧侶として表されています。
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「⑧シヴァ寺院とリンガ(Shiva Shrine)」
石窟の中央右側にはシヴァ神の寺院があり、東西南北4つの入り口には巨大な門番が立っています。 -
祠堂の東西南北4面の左右には8体の門衛神ドヴァラパーラによって守られています。このスタイルはエローラ石窟の「第29窟」でも見てきたのでその様子は良く分かります。
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ドヴァーラパーラは門番を意味する門衛神で、通常は金剛杵などで武装した戦士や忿怒の形相をした巨人の姿をしています。この像はヒンドゥー教でも仏教でもジャイナ教などで見られ、その姿はよく似ていて見分けはつきません。
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聖域の中にはヨニリンガが安置されています。シヴァ信仰の最大の特徴となるのがリンガ信仰です。シヴァ寺院の奥の本殿には必ずシヴァリンガが置かれており、礼拝者たちが香油やミルク、花、灯明などを捧げています。
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シヴァリンガは男性器の象徴であるリンガとリンガが鎮座している台座で女性器の象徴であるヨニから構成されますが、これは男女の合一を示すと考えられ、男女の神が一つとなって初めて完全であるというヒンドゥー教の考えを表す姿です。シヴァリンガが置かれる寺院の内部は即ち女性の胎内であることを示しています。
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「⑨アンダカーンタカムールティ(Andhakantaka-murti)」
「アンダカ(Andhaka)」はシヴァとパールヴァティの3番目の息子で、シヴァが苦行に明け暮れているためパールヴァティが退屈しのぎにシヴァの目を塞ぐと闇が世界を覆いました。この時シヴァの額に第三の眼が生じました。その暗黒の闇から恐ろしい盲目の子が生まれ、この子は「盲目の者」を意味するアンダカと名付けられました。 -
その頃アスラ神族であるヒラニヤークシャは息子が生まれることを祈って苦行していました。そこにシヴァが現れてアンダカを里子として預けます。その際に、もしアンダカが世間の憎悪を受けたり、母を求めたり、バラモンを殺した時には自身で焼き殺すことを告げます。アンダカは成長してヒラニヤークシャの国の王となりますが、即位した直後にいとこが彼を倒そうと企てていることを知り森へ逃れて瞑想を始めました。彼は断食して片足で百万年以上立ち続け、自身の体の一部を切ってブラフマーへの供物としました。するとブラフマーが現れ、アンダカは目が見えるようになることと何者にも殺されない不死身になることを求めます。ブラフマーはそれに応じ、アンダカが自身の母を結婚相手に選ばない限りは死なないようにします。そして数百万年が経ち3人の将軍たちが偶然に洞窟でシヴァとパールヴァティに出会いました。将軍たちは王の妃に相応しい美しい女性を発見したとして報告しました。アンダカはパールヴァティに結婚を申し込みましたが、シヴァがそれを拒んで戦いが始まります。他の神々とアスラを巻き込んだ何百年に及ぶ戦いはシヴァの勝利に終り、シヴァは息子の胸に三叉矛を突き刺して殺しました。
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「⑩ナタラジャ(Nataraja)」は名前の通り踊りの王としてのシヴァ神の姿で、宇宙の舞いを踊りながら宇宙を破壊しては創造している様子が描かれています。ナタ(Nata)は踊り、ラジャ(Raja)は王様の意味があります。残念ながら彫刻の下半身は損失しています。
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右側にはシヴァ神の妻であるパールヴァティ、その上にはガルーダに乗ったヴィシュヌ神がいますがかなり状態はよくありません。
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本殿の東側には小さな石窟があり、こちらもシヴァを祀っています。間口に4本の柱が立ち、中庭には円形の台座があります。かつてはナンディン像が座っていましたが現在は失われています。
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聖域の中には同じようにリンガが置かれているのが見えます。聖域を護る獅子は前足を上げた姿で表されています。
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状態の良い獅子の像ですが、少しユーモラスな感じもします。この寺院にはパールヴァティーとカルティケヤ(スカンダ)、ガネーシャと「7人の母」であるサプタ・マトリカスのレリーフもあります。
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東側に隣接する石窟にはガネーシャの姿がありました。太鼓腹の人間の身体に片方の牙の折れた象の頭をもった神で4本の腕を持っています。障害を取り去り、また財産をもたらすと言われ、事業開始と商業の神と学問の神とされます。マハラシュトラ州を中心にデカン高原一帯で多く信仰されています。
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「第1窟」の見学を終えた後はフリータイムになりました。再集合は登ってきた石段を下りたトイレの前になりました。1時間ほどあるので残りの石窟の見学も買い物も出来そうです。
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「第2窟」は未完成のまま放置されました。この洞窟の正面は完全に破壊されていたために1970年代に4本の正方形の柱で復元されました。
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その奥は今まで見てきた石窟とは違った無残な状態です。
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「第3窟」は「第2窟」に隣接する形で造られています。6本の柱がある柱廊玄関と、柱のあるマンダパです。柱廊玄関の間口は26メートル、奥行きは11メートルあります。
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柱廊玄関の後ろには3つの部屋があります。中央の扉は損傷した神域に通じており、置かれてあったであろうリンガは失われています。
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エレファンタ島を破壊したのは誰なのかという疑問は学者間でも意見が分かれているようです。スルタンの統治中にすでに破壊されていたというペルシャ語の文献、キリスト教徒のポルトガル人兵士が洞窟や彫像を射撃練習に使用した事実もあるようです。ポルトガル人は1661年に島を植民地時代のイギリスに割譲しましたが、その時までに石窟はかなりの被害を受けていました。
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6世紀に洞窟が完成した後、エレファンタは洞窟の島を意味するガラプリとして地域で人気を博しました。 それはグジャラート・スルタン朝の支配者の領地となり、1534年にポルトガルの商人に譲渡されました。ポルトガル人は岩を削った巨大な象の像にちなんでこの島を「エレファンタ島」と名付けました。
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イギリス植民地時代に象の像はイギリスに移築しようとして損傷を受け、現在はムンバイのジジャマタウディアーンに座っています。
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「第4窟」はかなり損傷しており、大きなベランダのすべての柱が失われています。
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レリーフの残骸からはこの石窟がかつてシャイヴァ寺院でもあったことを示唆しているようです。
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奥の祠にはリンガが納められています。
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この辺りまで来ると観光客の姿はほとんどなく、同じツアーの方も足を運んでいないようです。
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「第5窟」は完全に未完成のようで、美術的に鑑賞するものは何も残っていません。
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置かれたリンガも、後から置いたもののようです。ただ参拝した人がいるのか水をかけた跡がありました。こんな状態でもヒンドゥー教の宗教施設なのだなと感じます。
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エレファンタ石窟遺跡の多くの芸術作品はインドの主要な美術館や博物館に所蔵されているそうです。日本からのツアーではまずインド観光で博物館や美術館に立ち寄ることが無いのが残念です。
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厚さもあり、妻は見どころの少ない奥の石窟まで来ないと思っていたのですが、戻りかかったところで合流出来ました。
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「第1窟」まで戻ってくるとかなり観光客の数が増えていたので、早い時間に見学できて良かったと思います。
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最初の階段の上り下り用の籠椅子がありました。ちょっと残念そうに眺めています。
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インドでは店の入り口でも犬が寝ていることが多いです。これは魔除けの意味もあって、店によってはマットを敷いたり水が置いてあったりします。反対に野良猫も含め猫を見ることはほとんどありません。ペットとしても犬は飼っても猫は飼わないとガイドさんが教えてくれました。
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階段を降り掛かりましたが店の多くはまだ閉まったままです。いくつかの細密画の店もありましたが、約束した店に向かいます。
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No,100の店の主人と記念写真。購入したのはこの絵ではありませんが、気に入ったものを3枚選んで、金額を合計すると11,000ルピーでした。クレジットカード払いで6,000ルピーにまで負けてもらいました。「カードのマックスが6,500ルピーなんだよ。」と教えてくれました。
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買い物をしているとガイドさんが通りがかって、カードで買い物しないように行ってきます。過去に2重請求されたりというトラブルがあったということです。ガイドさんが買い物を邪魔していると思った主人が怒ってしないましたが、特に問題もありませんでした。3枚で5,000ルピーにならなくてちょっと残念でした。
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再びトイトレインに乗って船着き場まで戻ります。
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お昼前になって漁師たちも動き始めたようです。この浅い海でどんな魚が獲れるのでしょうか。
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ムンバイの貧民窟は有名ですが、実際は経済活動が盛んな場所でもあるようです。それに比べるとエレファンタ島の住人の生活レベルは高いとはいえなさそうです。
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往路とは違った遊覧船でインド門まで戻ります。2階の席が空いていたので5ルピーを支払って妻と一緒に階段を上がります。それに続いて同じツアーの方も何人か上がってきました。
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放水の練習をしている船がありました。
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同じようなスタイルの遊覧船が行き交います。向こうから見たらこちらも同じような景色になっていることでしょう。
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「ミドルグラウンド沿岸砲台(Middle Ground Coastal Battery)」が見えてきました。朝は逆光でシルエットになっていましたが、昼過ぎはきれいに見えます。1682年にイギリス東インド会社によって、この地域の海賊行為を抑制するために要塞化されましたが、海賊が200年前に南シナ海に移った後に警察は解散し、要塞はイギリス海軍の支配下に入り、現在はインド海軍が管理しています。
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第2次世界大戦中に日本の侵略から港を守るために沿岸砲と後に3つの対空砲を設けて要塞を強化しました。対空砲は最終的に撤去されましたが、古い砲の深い円筒形のマウントはまだ残っています。
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タージマハルホテルも見えてくると急にお腹も減ってきました。
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タージマハルホテルのパレス棟とタワー棟、そして往路では見逃したインド門もきれいに見えました。
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赤い屋根の建物は政府機関が使っていますが、イギリス植民地時代に建てられたものです。
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インド門の背後の建物はロイヤル・ムンバイ・ヨット・クラブの建物です。1846年にヘンリー・モーランドをクラブコモドールとして設立され、フィリップ・エドモンド・ウッドハウス卿の推薦とビクトリア女王の後援によりロイヤルボンベイヨットクラブとして知られるようになりました。海辺のクラブハウスは1881年に建てられたものです。
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インド門の側面の桟橋にボートは着きました。アジャンターとエローラとエレファンタ島の3つの石窟遺跡を見ることが出来て大満足の旅でした。
インド門 (ムンバイ) 建造物
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旅行記グループ 2024ムンバイの旅
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