2024/03/08 - 2024/03/08
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/03/08
この旅行記スケジュールを元に
迫力のあるジャイナ教の石窟を見学した後は再び電動カートに乗乗り込みます。ルート上にあるヒンドゥー教石窟のドゥマール・レナという名前の付いた「第29窟」を先に見学して、再びカートに乗って入り口まで戻るということです。「第29窟」はシヴァ神に捧げられ寺院で、入り口には目の前には巨大な八臂の腕を振り上げている憤怒の形相をアンダカヲ殺を殺すシヴァの姿があります。この彫刻はエローラの中でも一番素晴らしいと思えました。ここでガイドさんと3人で記念写真を撮って、共通の友人でもある前回のデリーの旅で出会ったガイドさんんへLINEでメッセージを送りました。巨大な石窟の奥には4面に入り口を持つヨニとリンガを祀った祠があります。その周囲には8体の門衛神ドヴァラパーラが剣を持った姿で立っています。それ以外にもシヴァにまつわるレリーフが数多く残されていました。再び電動カートに乗って入り口に戻り、「カイラーサナータ寺院」を左に見ながら右手奥の仏教石窟のエリアに進みます。仏教遺跡は「第1窟」から「第12窟」になるので、まずは一番奥まで進みます。エローラ遺跡の研究はイギリスの植民地支配以来行われていたようですが、仏教とヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟の様式が重なっているため、その建設年代に関する合意を確立することは困難だったようです。なので素人の目にはこれがジャイナ教、これが仏教と言われてもその差はアトリビュートなど特別の持ち物や形状が無ければ分かりません。ガイドブックなどの資料によると仏教石窟は630年から700年の間に建設されたと考えられているようです。正直、エローラの仏教石窟は前日のアジャンターが素晴らしかったせいか、3つの宗教の石窟の中では見劣りしました。続いてヒンドゥー石窟寺院の見学に移ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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再びカートに乗って同じルートを戻りますが、入り口に戻る前にヒンドゥー石窟寺院の「第29窟」に立ち寄ります。ここはジャイナ教とヒンドゥー教のエリアの中間にあり、飛び地になっているのでルート上先に見た方がよいようです。
エローラ石窟群 寺院・教会
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「第29窟」の周辺にもほとんど観光客の姿はありません。入り口付近の混雑はそのほとんどがヒンドゥー石窟寺院の「カイラーサナータ寺院」だったのだと分かります。
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「第29窟」はドゥマール・レナとも呼ばれ、エローラで最も初期に発掘調査された石窟とされます。入り口の両脇には獅子の像が一対置かれています。
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入口の左壁面には巨大なシヴァのレリーフがあります。これまで見てきた彫刻とは違った「動」を感じる迫力を感じます。ここでガイドさんと3人で記念写真を撮り、昨年12月のデリーでお世話になったガイドさんにLINEで写真とメッセージを送りました。彼らは友人同士で、毎日メッセージを送り合っているそうです。
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このレリーフを見て連想したのがパリの「エトワール凱旋門」のフランソワ・リュード作の「1792年の出発(ラ・マルセイエーズ)」でした。
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凱旋門の彫刻の中では一番好きなものなので、憤怒のシヴァの姿にイメージが重なったのだと思います。エローラのレリーフの中でもこの石窟の彫刻は群を抜いて素晴らしかったです。
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「アンダカ(Andhaka)」はシヴァとパールヴァティの3番目の息子で、シヴァが苦行に明け暮れているためパールヴァティが退屈しのぎにシヴァの目を塞ぐと闇が世界を覆いました。この時シヴァの額に第三の眼が生じました。その暗黒の闇から恐ろしい盲目の子が生まれ、この子は「盲目の者」を意味するアンダカと名付けられました。
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その頃アスラ神族であるヒラニヤークシャは息子が生まれることを祈って苦行していました。そこにシヴァが現れてアンダカを里子として預けます。その際に、もしアンダカが世間の憎悪を受けたり、母を求めたり、バラモンを殺した時には自身で焼き殺すことを告げます。
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アンダカは成長してヒラニヤークシャの国の王となります。即位した直後にいとこが彼を倒そうと企てていることを知り森へ逃れて瞑想を始めました。彼は断食して片足で百万年以上立ち続け、自身の体の一部を切ってブラフマーへの供物としました。するとブラフマーが現れ、アンダカは目が見えるようになることと何者にも殺されない不死身になることを求めます。ブラフマーはそれに応じ、アンダカが自身の母を結婚相手に選ばない限りは死なないようにします。
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そして数百万年が経ち3人の将軍たちが偶然に洞窟でシヴァとパールヴァティに出会いました。将軍たちは王の妃に相応しい美しい女性を発見したとして報告しました。アンダカはパールヴァティに結婚を申し込みましたが、シヴァがそれを拒んで戦いが始まります。他の神々とアスラを巻き込んだ何百年に及ぶ戦いはシヴァの勝利に終り、シヴァは息子の胸に三叉矛を突き刺して殺しました。
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「シヴァによるラーヴァナへの恩寵」
この題材はカンボジアのアンコール遺跡群のバンテアイ・スレイでも見た記憶があります。ラーヴァナはシヴァとパールヴァティの住むカイラーサ山まで行き、その山を揺らしにかかります。 -
ラーヴァナはインド神話におけるラークシャサ(羅刹)の王で、叙事詩「ラーマーヤナ」に登場し、ランカー島(スリランカ)を本拠地としてラークシャサ族を治めました。10の頭と20の腕と銅色の目、月のように輝く歯と山のような巨体を持つ姿で描かれます。
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その後のラーヴァナは神々に対しても戦いを挑み、息子メーガナーダはインドラ神に勝利します。これらの戦いによってラーヴァナは多くの王や聖仙、半神たちから人妻や娘を奪ってランカーに連れ去ります。こうした行為に神々はヴィシュヌ神に助けを仰ぎ、ヴィシュヌ神はアヨーディヤーの王子ラーマとして転生し、ラーヴァナを討つことを約束しました。
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後にラーマによって同族が殺されたことに怒り、ダンダカの森でラーマの妃シータを奪いますが、これをきっかけに猿軍を率いるラーマとのあいだに大戦争が勃発します。ジャワ島で観た「ラーマヤーナ・バレエ」が素晴らしかったことを思い出します。
ラーマヤーナ・バレエ:https://4travel.jp/travelogue/10786146 -
「パールヴァティと結婚するシヴァ」
シヴァと父親ダクシャの仲違いのために自殺した最初の妻サティは神々の力によってパールヴァティとして蘇えります。シヴァはパールヴァティとの結婚を決意し、その信念を試そうと試みました。シヴァは年老いたバラモン僧の姿をとり、苦行に精を出すパールヴァティに近づき、腹がすいていると述べて食事を求めました。彼女は喜んで身体を清め終えたら食事に来るように告げます。 -
老人はパールヴァティの庵の近くの河へ行き、河の中に入ってワニに捕らえられようと企み、パールヴァティーに助けを求めます。彼女は川岸まで来ましたが、腕を伸ばして彼を助けることは出来ません。彼女の夫になるシヴァ以外には、たとえ人を助ける場合でさえ決して身体に触れては行けないという誓いを持っていたからです。彼女は途方に暮れてしばらくの間じっと立っていましたが、老人が間もなくワニに飲まれてしまうことが分かっていたので誓いを棄てて腕を伸ばし,年老いたバラモン僧をつかみ河から助け上げました。バラモンはパールヴァティに感謝し本来の姿を現しました。彼女もシヴァ以外の人の手を握ったことの汚名をから免れたのでシヴァに感謝して彼に身を委ねました。
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上段ではシヴァとパールヴァティがくつろいだ姿で描かれています。サイコロゲームをしているのかもしれません。下段に描かれているのはナンディーだということが分かります。
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ヒンドゥー教に伝わるシヴァの乗り物とされる乳白色の牡牛で、乳海攪拌の時に生まれた牝牛スラビーと聖仙カシュヤパとの子で、シヴァが踊りを舞うときのための音楽を奏でる役を担います。全ての四足動物の守護神でもあります。
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「乳海攪拌」はヒンドゥー教における天地創造神話で、偉大なリシ(賢者)ドゥルヴァーサスは非常に短気で怒りっぽく、礼を失した者にしばしば呪いをかけましたが、丁寧に接する者には親切でした。あるとき彼は美しい花輪を与えるべくインドラを訪ねてその首にかけて祝福しました。インドラたちは彼を丁寧にもてなし滞りなく送り出しましたが、インドラが乗る象が花輪を放り出すところを見て激怒して、インドラたち神々に呪いをかけ、神々や三界が享受してきた幸運を奪ってしまいました。インドラはシヴァやブラフマーに助けを求めましたがドゥルヴァーサの呪いは解けず、彼らはヴィシュヌを訪ねます。ヴィシュヌは不老不死の霊薬「アムリタ」を飲めば良いと言うことで、アムリタを作り出すために乳海攪拌を実行することになります…。
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ヴィシュヌは多種多様の植物や種を乳海に入れました。続いて化身である巨大亀クールマとなって海に入り、その背に大マンダラ山を乗せました。山に竜王ヴァースキを絡ませて、神々はヴァースキの尾をアスラはヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあうことで山を回転させると海がかき混ぜられました。この場面がアンコールワットの回廊に残る上の写真の「乳海攪拌」の場面です。
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「第29窟」の石窟の中央には4面に開かれた祠堂があります。このタイプの祠堂はここでしか見ることはありませんでした。
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祠堂の周囲4面の左右には8体の門衛神ドヴァラパーラに守られています。通常は金剛杵などで武装した戦士や忿怒の形相をした巨人の姿をしています。ドヴァーラパーラの像はヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教などでも見られます。
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日本語では「執金剛神(しゅこんごうじん」に該当するものです。これまでも東南アジアの遺跡や博物館でいくつもの同じような彫刻を見てきました。
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それぞれのドヴァラパーラは妻であろう女性を吊れた姿で表現されています。
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祠堂の中にはヨニとリンガが納められています。シヴァ信仰の最大の特徴となるのがリンガ信仰です。シヴァ寺院の奥の本殿には必ずシヴァリンガが置かれており、礼拝者たちが香油やミルク、花、灯明などを捧げています。シヴァリンガは男性器の象徴であるリンガと、リンガが鎮座している台座で女性器の象徴であるヨーニから構成されますが、これは男女の合一を示すと考えられ、男女の神が1つとなって初めて完全であるというヒンドゥー教の考えを表す姿です。シヴァリンガが置かれる寺院の内部が女性の胎内であることを示しています。
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「ナタラージャ」はシヴァ神を神聖な宇宙の踊り子として描いたもので、彼のダンスはタンダヴァと呼ばれています。エローラ石窟群とバダミ石窟群のレリーフは6世紀頃までに造られたもので、インドで最も古いナタラージャの彫刻の1つといわれます。
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ナタラージャという言葉はサンスクリット語で、「演技、ドラマ、ダンス」を意味するナタ(Nata)と「王、主」を意味するラジャ(Raja)から来ています。
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以前に旅したベルギーとオランダの旅で行ったブリュッセルの「サンカントネール博物館」の至宝といわれるダンシング・シヴァの像を思い出しました。ナタラージャを踊るシヴァはムヤラカという悪魔を踏みつけて右足だけで立ち、4本の腕を広げて優雅に踊ります。
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特徴的な髪形はコブラの姿に変わり、その中に女神ガンガの姿もあります。シヴァは地上に落下するガンガーを豊かな髪で受け止め、ヒマラヤ山中に注いで人々に恵みを与えたとされます。
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「第29窟」には3つの出入り口があり、その1つは独特の形状を持っています。
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ここにも一対の獅子の像が置かれてあります。かなり状態の良い姿をしています。
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石段の下は四角く切り取られた空間で、天井まで吹き抜けのようになっています。
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ファサードは3カ所とも同じような形状になっています。
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なぜ3面の入り口が必要だったのかまでの意味は分かりませんが、これだけの岩を刳り貫くほど必要性があったのでしょう。ここから外部へは細い通路を通らなければなりません。
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ヒンドゥー教の有力な一派でシバ神を最高神として崇拝するシャイバ(シヴァ派)の1つのパーシュパタ(獣主)派はバローダ地方生れのラクリーシャを開祖とします。彼はシバ神の28番目の化身であり、この派の根本聖典パーシュパタ・スートラを著したと伝えられています。
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ガイドさんお説明を耳で聞きながらも、写真を撮るのに時間がかかり、時間差で見学を続けます。この堂内には20センチほどの段差があるうえに、中がかなり暗いので足を取られて転びそうになりました。
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ナントか皆さんに追いついてミリ口まで戻ってくることが出来ました。
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ここからは再び電動カートに乗って入り口まで戻り、仏教石窟の見学に移ります。
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カートを降りた後は仏教石窟のある南側に向かいます。これらの石窟群は西暦630年から700年または西暦600年から730年の間に建てられたと考えられています。
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12の仏教石窟のうち11は精舎または祈りのホールを備えた「ヴィハーラ窟」と呼ばれる僧院で構成されています。大きな多階建ての建物には僧侶の居住区や寝室、キッチンその他の部屋が設けられていました。
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もう1つは仏塔(または堂塔)のある「チャイティヤ窟」で、この石窟には菩薩や聖者を従えた仏陀の像が彫られています。今でいう仏殿や本堂の良な構成になっています。まずは1番奥の「第1窟」まで進んで、奥から戻ってくるような順番で見学を進めていきます。
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「第1窟」は僧侶の住居としての空間で「ヴィハーラ窟」と呼ばれタイプです。そのための井戸が入り口の右側に掘られています。こんなデカン高原の玄武岩の岩に穴を掘って水が出るものなのだろうかと思ってしまいます。
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全く装飾の無いシンプルな石柱とフラットな床だけが印象に残ります。仏教のある段階では他のインドの宗教的伝統と同様に、禁欲主義と僧侶生活に専念する僧侶たちは放浪の生活を送っていました。雨季の間に彼らは一時的な避難所に滞在しました。再生と功徳を得る仏教では僧侶を養うだけでなく、彼らを保護することも功徳の行為と見なされ、これらの僧院は裕福な在家の信者によっ造られました。
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この場所でどのような修行が行われていたのだろうかと思うと、日本の仏教との違いを考えてしまいます。
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「第2窟」の入り口には一対の門衛仏が僧房を護っています。
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左の門衛仏の奥にも小仏が壁面を埋め尽くし、開口部の奥にも菩薩像が見えます。
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右側にはも小仏が並び、その奥には飛天と菩薩像が見えます。今日はここまでジャイナ教の神像を数多く見てきましたが、仏教の仏や菩薩との違いが曖昧だということに気が付きます。
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堂内は20本の柱で支えられた空間で巨大な柱頭の装飾も見事です。その周囲には11の部屋がさらに奥まで続いています。
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脇侍(きょうじ・わきじ)は仏教彫刻や仏教絵画において、中尊の左右に控える菩薩や明王、天などをいいます。中尊の教化を補佐する役割をもつとされます。同じような三尊形式の石像はそれぞれ寄進した人があるのではないかと思います。
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開口部の壁の厚さも1メートル近くあり、その厚さの部分にも細かい彫刻が施されています。
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反時計回りに右側の回廊から見学を進めます。大きな球体の柱頭を持つ柱側が堂内のホール側になります。
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右側の回廊の奥には階段があり、その奥にも彫刻が施され、さらに奥へ向かう開口部があります。
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釈迦如来の印相の1つで両手を胸の高さまで上げ、親指と他の指の先を合わせて輪を作ります。手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」ともいい、「転法輪」(法輪を転ずる)とは「真理を説く」ことの比喩です。
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先ほど「第29窟」で見た門衛神ドヴァラパーラとほぼ同じデザインの神像が本尊を護っています。
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本尊を納めた祠はかなり暗く、脇侍や飛天の姿はほぼ確認できません。
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如来の姿も最初に見てきたジャイナ教の神々と同じようなポーズをしています。その違いは衣を着ているか着ていないかの差しかないように思えます。基本的には石工の流れはどの時代も同じだったのではないかと思います。
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左側の回廊に移ります。平らな床やほぼ完全に残された列柱などを見ていると本当に岩から掘り出したのだろうかと思えてきます。そんなことを考えていると芥川龍之介の「夢十話」の第六夜の話を思い出しました。鎌倉時代を生きた有名な彫刻家の運慶が明治時代の現在において仁王を掘っているとの噂を聞いて、その様子を見に行くという話しです。
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他の野次馬に混じってその様子を見て運慶が鑿と槌で仁王像を掘り出す様子に感心していると、野次馬の1人が「運慶の技量が優れているのではなく、石が土の中に埋まっているように仁王像が木の中に埋まっているのだから、取り出せて当然である」と言います。
それなら自分でも彫り出せると考え、早速自宅で次から次へと庭の倒木で試してみたものの、仁王を彫り出すことは叶わず、最終的には明治の木には仁王像は埋まっていないと悟ります。 -
インドのデカン高原の玄武岩の中にはもう仏は埋まっていないのかもしれません。
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ガイドさんの説明も簡単で、すでに妻もツアーの皆さんも先に出てしまい、堂内には1人になってしまいました。今回の旅で遺跡を見学していてもインド人の仏教徒の人に出会うことはまれでしたが、ここでは白い衣を着た僧のような方が五体投地をしていました。
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五体投地する姿は今までにもチベット仏教の寺院の有るところで見掛けたことはありますが、一番印象に残っているのは奈良の東大寺の修二会でのことです。二月堂内陣の中で直径60センチほどの松明に火がつけられ、「韃靼帽」と呼ばれる帽子をかぶり、火天と水天に扮した練行衆が、法螺や鈴、錫杖の音にあわせて、西正面で前後に飛び跳ねます。松明をかかえた火天はそのまま松明を引きずりながら内陣を一周、これを炎が収まるまで続けます。
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「南無観自在菩薩」を繰り返すうちに「南無観自在、南無観自在」となり、「南無観、南無観」と短くなってゆき気分が高揚してきます。最後は「南無帰命頂礼大慈大悲観自在尊」と厳かに唱え締めくくります。宝号が終わり近くになると五体人の平衆の一人が礼堂に出て五体板に膝を打ち付け懺悔の心を体で表す五体投地を行います。この達陀の行法を40年近く前に堂内で見たことがあります。
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石窟に入ってしまうとガイドさんのイヤフォンガイドの音も入らなくなるので心細くなってきます。ただ見学経路は1本だけなのでまだ後れても何とかなりそうです。
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「第3窟」は岩を切り出しただけで、装飾を行う前に打ち捨てられてしまったのでしょうか。
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壁面のレリーフはかなり作業が進んでいるようです。やはりジャイナ教の神像との違いは曖昧なので、衣を着ているので仏教の菩薩なのだろうと感じるだけです。
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壁面の上部を舞う飛天についても同じです。さらに特徴が無いので見分けることは出来ません。
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手に持つものなどで見分けのつくキリスト教の絵画や像と違ってこの時代のインドの石像彫刻のアトリビュートは曖昧です。
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「第3窟」の本尊の祠の周りもシンプルな岩を切り出しただけのままで終わっています。
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それでも奥に安置された仏陀の姿は完成されているようです。腕の部分が欠損しているのでどのような印相だったかは判明しません。
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「第3窟」を出た左側には小さい祠があり、三尊形式の仏像が彫り出されています。
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「第4窟」から「第12窟」までの仏教石窟はまた次の旅行記で紹介します。
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