2024/03/06 - 2024/03/06
88位(同エリア398件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1759冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,459,962アクセス
- フォロワー169人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
ムンバイでの夜が明けました。この日は朝食の後にムンバイの市内観光が始まります。予定では「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅」の観光からスタートしますが、駅舎を遠くから眺めるだけで中を見学するわけではありません。これにはちょっとがっかりですが、駅舎に入るためにはセキュリティ検査なども必要なので、他の国の観光客も駅前のロータリーにある三角スペースから眺めていました。「ムンバイ市庁舎」もこの場所からだときれいな写真を撮ることが出来ます。それよりもホテルを出てから渡った「Bandra-Woril Sea Link」という有料道路からの景色は素晴らしかったです。湾の周辺にはインドの原住民のワルリーの人たちが済む集落が見え、富めるインドと貧困のインドの姿を垣間見た気がしました。続いてはインド門の見学で、インドサラセン様式による高さ26メートルの石造りの巨大凱旋門を見学します。この門は英国のジョージ5世とメアリー王妃が1911年にムンバイのアポロ・バンダルに上陸したことを記念して建立されました。この門の足元は船着き場になっておいて、最終日にはここからエレファンタ島へのクルーズと遺跡見学があります。今回のツアーを選んだのもこのエレファンタ島の見学が入っていたからでもあります。隣接する「タージマハールホテル」にも自由時間を利用していってみましたが、その美しさには驚嘆します。予定表には「ヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの遺跡群」の見学とありますが、非常に曖昧で、裁判所と大学の建物を柵の外側から眺めるだけでした。さらにアール・デコ建築に至ってはバスの車窓からそれらしい建物を見つけては写真を撮っていましたが、建築に興味が無かったり建築様式を知らない人にはつまらないと思います。個人的にはもう少し建物を紹介して欲しかったと思います。お昼は「チェタナ(Chetana)」というインド料理のレストランでしたが、店の前の道路が丸ごと無くなっていたのにはびっくりしました。ここではターリー料理をいただきますが、ターリーはいくつかの料理が組み合わされ、大皿にまとめられて提供される南アジア・スタイルのコース料理です。何種類ものカレーがステンレスのカップに盛り付けられて、どれも美味しかったです。この店には本屋が併設されていて、食事の後に覗いてみると本物の「ワルリー画(Warli Painting)」が売られています。これは日本だと新潟県の十日町の「ミティラー美術館」にも収蔵されていて、以前に「塩とタバコの博物館」で展覧会を観たことがありました。そんな本物の作品が3,000円ほどで売っています。神にインクで描かれたものに至っては2,000円ほどです。思わず砂絵タイプのものを2枚買い求めます。残念ながら2枚しかなかったのですが、もっとあったら買っていたと思います。これには大興奮でテンション最高潮に上がりました。食事の後は空港へ向かい、アジャンタやエローラの見学のベースとなるオランガバードへ国内線の旅です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
朝食は昨晩と同じ「NUSARA」で朝食をいただきます。夜は違和感のなかったインテリアでしたが、朝日が差し込むと増加によるフェイク感が満載です。
ラミー ゲストライン ホテル ジュフ ムンバイ ホテル
-
まん丸の「マイソールボンダ(Mysore Bonda)」はレンズ豆や刻んだ新鮮なココナッツ、新鮮なハーブやスパイスで作られた人気の南インドのスナック食品です。具材を合わせて厚めの衣を作り、揚げてサクサクと柔らかくふわふわのフリッターになっています。
-
「イドゥリ(Idli )」は右奥の蒸しパンで、皮を取ったウラド豆と米で作った生地を発酵させてから蒸します。スリランカで食べたことがありますが、南インドでポピュラーな食べ物です。カップに入ったのは「サンバル(Sambah)」ですが、インドネシアのような調味料というよりはスープっぽかったです。
-
ムンバイまではANAを利用してきましたので、預入荷物は23キロが2つですが、インド国内は16キロ1つという規制があるので、小さいキャリーを2つホテルに預けていきました。事前に確認していましたがトラピックス社の応対は適当で、当日現地ガイドさんへ情報は入っていなく、預かってもらえないところでした。
-
「ラミーゲストライン(Ramee Guestline Dadar Hotel)」ホテルは防音対策されていないようで、深夜12時くらいまではディスコの振動や音が部屋まで伝わってきます。現地旅行会社ではなるべく離れた部屋を手配しているそうですが、あまり効果はありませんでした。
-
この日はムンバイ市内の観光ですが、車窓から写真を撮るケースが多そうなので最前列の席に座りました。インドのバスの多くは運転席の横にエンジンがあるタイプが多く、熱と振動と音が伝わってくるので客席は扉で仕切られています。
-
ムンバイは町中のあちこちが工事中で、このような黄色い看板をよく見掛けました。
-
ピカピカに磨かれたオートリキシャ―が通りました。ムンバイの北部では町中を我が物顔に走っていますが、バンドラ以南は同じデザインのタクシーしか走行できません。
-
リキシャが日本からインドに伝わったのは1880年頃とされ、1919年にカルカッタ(コルカタ)市が最初に乗用として正式認定して以来は庶民の足となり、人力車からサイクルリキシャ、オートリキシャへと進化していきます。
-
インドでのスマホのメーカー別の市場シェアトップはサムスンで、2位はvivo、3位はrealme(リアルミー)、4位はシャオミ、以下OPPO、アップルの順だそうです。単価はアップルが最も高く平均940ドルで、アップルは販売数量も900万台に達しており、過去数代のiPhoneの売上や生産の現地化に支えられているようです。
-
元々アート好きなのか落書き防止なのか、インドを旅していると壁を絵で埋め尽くしているのをよく見かけます。これはインドに住む約500の先住民族の1つ、マハーラシュトラ州ターネー県に居住する先住民族ワルリーの絵画です。
-
ワルリー族は農耕で生計をたてていますが、季節的に漁労や狩猟に携わる人々もいます。森羅万象に精霊が宿ると考えて万物を育む女神を拝みます。素朴な生活と精神によって描かれるワルリー画が好きで、以前展覧会に行ったこともあります。
-
米をすりつぶし水を混ぜただけの真っ白な絵の具と竹を削ったペンを用いて、赤土を塗った壁に繊細でリズミカルな線描と三角形や矩形、円などの組み合わせによって写実によらないモダン・アートな作品が魅力的です。ムンバイとワルリー画がここで初めてつながった気がしました。
-
高架の上からドアを開けたまま走る通勤電車が見えました。以前観た「LION ライオン 25年目のただいま」という映画を思い出しました。5歳のときに長距離列車に迷い込んで遠い街へ運ばれてしまい、養子としてオーストラリアで育った青年サルーが、25年ぶりに家族を探そうと思い、Google Earthで家を見つけ出すという実話に基づいています。https://www.youtube.com/watch?v=-RNI9o06vqo
-
「スラムドッグ$ミリオネア」で主演だったジャマール役のデブ・パテルが大人になった姿を見せてくれます。そう、ムンバイは「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台でもありました。今日はエンディングに出てきた「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅」を見ることも出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=LoN-rPAM5HE -
「スラムドッグ$ミリオネア」の主人公が住む「ダラビ(Dharavi)」は2.1平方キロの土地に低層建築物がひしめき合う中に推定100万人が暮らす人口集中地区です。
-
世界最大規模のスラム街として紹介されますが地区内の経済活動は年間数十億ドルに達するなど非常に活発であり、ステレオタイプのスラム街とは異なる部分もあるようです。
-
交通アクセスも良好であるために高層ビルを中核とした再開発計画も存在するようです。
-
ムンバイ市内の再開発はものすごく、インドが今後発展していくのが感じられます。2000年頃に中国を旅していて感じたことでもありますが、その当時は投資など考えていなかったのですが、乗り遅れないようにインドには積極的に投資を始めました。
-
こんな巨大な基礎の上に道路を建設するのでしょうか?
-
ムンバイ市内は慢性的な交通渋滞が発生してるようで、宿泊していたホテルから旧市街まではかなり時間がかかるようです。
-
夜行寝台列車でインドを鉄道で旅して見たい気もしますが、絶対に妻に却下されると思います。
-
「ダラビ(Dharavi)」地区を抜けると「マヒム湾(Mahim Bay)」に差し掛かります。
-
湾の北側は貧困街ですが、湾の東から南側にかけては高層ビルが林立していてその差に驚きます。
-
湾内には工事用の船舶や小さい漁船がたくさん浮かんでいます。
-
「バンドラ・ウォーリ・シーリンク(Bandra-Worli Sea Link)」という巨大な海上橋に差し掛かります。全長5.6キロの海上橋で、ムンバイ市地区のウォーリと西郊外地区のバンドラとを結んでいます。
-
この辺りに住んでいるのは先住民族の「コリ族(Koli)」で、コリ族のキリスト教徒はポルトガル人によってバラモン教からキリスト教に改宗する前はポルトガル領インドの旧ボン・バイーアでソン・コリ・カーストに属していました。 コリ族のキリスト教徒は習慣や伝統をカトリック教会の信仰と融合させ、彼らの職業の多くは漁師だそうです。
-
ムンバイという地名はマラティー語を使うコリ族の崇拝する「ムンバー(MUMBA)」に由来すると言われています。
-
橋の脇にコリ族の住むエリアが見えてきました。
-
やはりここでもインドの表と裏の顔を見たような気がします。「カースト( Caste)」とはヒンドゥー教における身分制度・ヒエラルキーを指すポルトガル語(英語ですが、インドでは「カースト」でなく「ヴァルナとジャーティ」と呼びます。本来はヒンドゥーの教えに基づく区分ですが、インドではヒンドゥー以外の宗教でもカーストの意識を持つ人が多いようです。
-
インドでは1950年に制定されたインド憲法により、不可触民を意味する差別用語は禁止され、カースト全体についてもカーストによる差別の禁止も明記しています。ただインドの憲法が禁止しているのは、カーストを理由にした「差別行為」であり、カーストそのものは禁止対象では無いため、現在でもカーストは制度として人々の間で受け継がれているようです。
-
ガイドさんの多くはヒンドゥー教徒の方が多いようで、カーストは現在ではありませんと言いながら、イスラム教徒の貧民エリアを通過する際にはちょっと差別的な言葉が感じられました。
-
橋を渡った先の公園には「シッダールト・ソマイヤ(Siddharth Somaiya)」の作品が置かれてありました。この彫刻はJSWグループがムンバイ市に寄付したアート作品だそうです。漁船に座る人物と横に積まれた魚からもコリ族へのリスペクトなのだということが分かります。
-
通りの先には巨大なビルが1棟ポツンと建っています。世界一高価な住居はガラス繊維強化コンクリートの壁と鉄筋の基礎でできた27階建てのタワーで、マグニチュード8クラスの地震にも耐えられるそうです。このタワーには3つのヘリポート、スパ、ジム、6階建ての駐車場、ガソリンスタンド、寺院、50席ある映画館、9つの高速エレベーターが備えてあります。ビルの名前のアンティリアの由来は大西洋にあるとされた伝説の島だそうです。このビルにはスタッフが600人ほど常駐していると言われていますが、住人は大富豪ムケシュ・アムバニとその妻と3人の子どもたちだそうです。
-
大富豪ムケシュ・アムバニはインドの石油精製や化学最大手リライアンス・インダストリーズ(Reliance Industries)を率い、その傘下に「Jio」ブランドの携帯電話会社があり、インド首位のシェアを誇るそうです。自宅への通りにはその「Jio」看板がずらりと並んでいました。
-
ムンバイを旅した3月は6月のインド総選挙の前で、与党のインド人民党(BJP)を中心とする与党連合が優位のようで、ナレンドラ・モディ首相が3期連続で政権を取れるかどうかということが話題になっていました。
-
チョウパティ―・シーフェース燈いう海岸線の通りに入ると周囲の建物が一変して、1900年代初頭のアール・デコの時代に建てられたのであろうことが分かります。ガイドさんからは説明も無いのでバスの中でもビルに興味を感じている人はいなさそうでした。
-
1832年に設立された「ウィルソン大学」はインドで最も古い大学の1つで、ムンバイ大学よりも25年先んじています。
-
「ギルガオン・チャウパティ」の向かいに位置するこの大学の建物は1889年に建設され、ジョン・アダムスによってビクトリア朝ゴシック様式で設計されました。
-
「ギルガオン・チャウパティ」はギルガオン地区にあるマリンドライブに隣接するクイーンズ・ネックレス沿いの公共ビーチです。
-
ムンバイのヴィクトリア朝のゴシック様式とアールデコ様式の建物群は2018年6月にバーレーンのマナーマで開催された第42回世界遺産委員会で世界遺産リストに追加されました。
-
タラポレバラ水族館はインド最古の水族館で、1951年に800,000ポンドという費用で建設されました。インドの初代大統領ラジェンドラ・プラサドによって計画が進められ、建設のために200,000ポンド(当時は41,754米ドルに相当)を寄付したパルシーの慈善家タラポレバラの名前が付けられました。美しいアール・デコのデザインの建物です。
-
ムンバイ市の中心部に入ると下町の混沌とした雑多な雰囲気は感じられなくなります。
-
ゴシック様式の尖塔を持つ建物がシルエットになって見えてきました。それが「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅」だということは安易に想像が出来ました。
-
多分そうだとは思っていましたが、建築の専門的なツアーではないので駅舎の中に入ることは無さそうです。バスは「ムンバイ市役所」の前で停車して下車観光になります。
-
この建物の建設に当たっては2つのデザインが検討されました。フレデリック・ウィリアム・スティーブンス(Frederick William Stevens)が手がけたゴシック様式のデザインと、ロバート・フェローズ・チザム(Robert Fellowes Chisholm)が手がけたインド・サラセン様式のデザインです。
-
最終的にヴェネツィアのゴシック様式とインド・サラセン様式の融合したものが採用され、建物は1893年に完成しました。高さ77.7メートルの塔が建築上の特徴で、美しいドームをいただいています。
-
破風にはインドの最初の都市である「インディスのアーブス・プリマ」を表す巨大な翼のある寓意的な人物が据えられています。
-
インド・サラセン建築はインド・ゴシック、ムガル・ゴシック、ネオ・ムガルとも呼ばれ、19世紀にはインド・イスラム様式とも呼ばれます。19世紀後半にインドのイギリス人建築家が主に使用したリバイバル主義の建築様式であり、特にイギリス領インド帝国の公共施設や政府の建物などに採用されました。
-
手前の像はパールシー族の政治家で弁護士であり、インドにおける大英帝国時代のインド国民会議の創設メンバーの1人であるフェロゼシャー・メルワンジー・メータ卿に敬意を表して建てられました。典型的なパールシー帽子をかぶり、スーツと法曹のローブを着た姿を描いています。
-
スタイルは英領インド以外でも人気を博したようで、以前行ったロンドン郊外のブライトンでは「ブライトンのパビリオン」が残されていました。
-
もディ首相の切り抜かれた写真パネルが置かれてあったので、3人での記念写真にしてみました。
-
「チャトラパティ・シヴァージー駅」はこれ以上近くに行くことも無く、遠くから外観を眺めるだけの見学なのが残念です。
チャトラパティ シヴァージー ターミナス駅 (旧ヴィクトリア ターミナス駅) 現代・近代建築
-
建設工事は1878年に開始されて1887年に完成しましたが、この年はヴィクトリア女王の即位50周年にあたり、ゴールデン・ジュビリーの祝典がインドでも行われ、新駅は「ヴィクトリア駅 (Victoria Terminus)」と命名されました。
-
駅舎は建築家のフレデリック・ウィリアム・スティーヴンスによって設計され、ヴェネツィア・ゴシック建築様式の豪奢な建築物です。またヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の要素が組み込まれていることが分かります。
-
2008年のムンバイ同時多発テロで襲撃地の1つとなった場所でもあるので、団体で見学するのは難しいのか、他の国の観光客もこの場所から眺めるにとどまっていました。列車が到着する旅の物凄い数の人が駅舎から出てくるので、立ち止まっての見学も邪魔になりそうです。
-
先ほどバスで通りがかった「ダラビ(Dharavi)」という貧民街でも思い出したように、この駅舎は映画「スラムドッグ$ミリオネア」のエンディングでも出てきます。映画のようなライトアップしたこの駅舎の建物を観たかったのですが、その願いは叶いませんでした。
-
建設時にはビクトリア女王の大理石像が建物のメインファサードの時計の下の天蓋に設置されていました。1950年代になってインド政府の指示に基づき、政府の建物や公共スペースから英国人の像を撤去し始めました。
-
ビクトリア女王のものを含むほとんどの彫像はビクトリアガーデンに送られ、少なくとも1980年代まで野外の芝生に横たわったままになっていました。現在は行方不明になっているようです。
-
駅舎と対峙するように建つマハーラーシュトラ州人権委員会の建物も美しい姿を保っています。
-
空港からホテルのあった北部の辺りはオートリキシャ―が我が物顔に走っていましたが、この南側のエリアは乗り入れ禁止になっています。同じデザインのタクシーしか見ることは出来ません。
-
「フタトマスマラク・チョウク(殉教者記念広場)」は1956年に統一マハラシュトラ委員会による平和的なデモが警察に発砲され、106人が死亡した事件に由来しています。
-
「炎を持つ殉教者」の像が広場の中に建っています。
-
同じフタトマ・チョーク広場の中には繊細な彫刻が施された人物に囲まれた華やかな噴水が置かれてあります。「フローラ噴水」は1864年に建てられ、ローマの豊穣の女神フローラを表しています。建設費は47,000ルピーと当時としては高額で、西インド農業園芸協会によって建設されました。噴水はポートランドから輸入された石から彫られ、当時ボンベイの知事であったバートル・フレール卿に敬意を表して建てられました。
-
海岸線の道路を進むと「タージマハールホテル」が見えてきました。インドの近代工業の父でタタ・グループの創始者でもあるジャムシェトジー・タタは、当時ムンバイ(旧ボンベイ)最大のホテルだった「ワトソンズ・ホテル」に入ろうとして白人専用であることを理由に宿泊を断られ、これに怒ってもっと豪華なホテルをインド人の手で築こうとしてこのホテルを建てたと言われます。
タージ マハル タワー ホテル
-
そのホテルの横には1973年に建てられた「タージ マハル タワー ムンバイ」が聳え立っています。この近くでバスを降りて「インド門」の観光に移ります。
-
まずは公衆トイレに寄るのはツアーの必須です。トイレには人が集まるのでその人目当ての物売りが集まってきて余計に混雑しています。
-
カットしたフルーツが美味しそうですが、買って食べている時間はありませんし、ガイドさんから怒られてしまいそうです。
-
「ボンベイ・ヨット・クラブ」は1846年にヘンリー・モーランドによって設立され、30年後にはフィリップ・エドモンド・ウッドハウス卿の推薦とビクトリア女王の支援により、「ロイヤル・ボンベイ・ヨット・クラブ」として知られます。このクラブハウスは1881年に建設された美しい建物です。
-
「インド門」前には巨大な広場がありますが、周囲の雑踏から一瞬だけ人の姿が消えて、「タージマハールホテル」まできれいに見渡せました。
-
ここでガイドさんにシャッターを押してもらいました。インド門は逆光になってしまうので諦めました。
-
この場所は漁村で使われた粗末な桟橋があったそうですが、後に改装されてイギリス人総督や他の著名人の上陸地として使用されるようになりました。
インド門 (ムンバイ) 建造物
-
この建物はジョージ5世とメアリー王妃が1911年にインドを訪れたとき、アポロ・バンダルに上陸したことを記念して建立されました。
-
門の上部には「Erected to commemorate the landing in India of their Imperial Majesties King George V and Queen Mary on the Second of December MCMXI」と書かれています。
-
残念ながら修復工事が行われているようで、門のゲートを潜ることは出来ませんでした。
-
反対側に回り込むとそこは遊覧船乗り場になっていて、たくさんの観光客が楽しそうに出港を待っています。
-
この日は遊覧船に乗る予定はありませんが、最終日にここから「エレファンタ島」を往復することが出来ました。「エレファンタ島」の遺跡見学があるのが今回のツアーを選んだ理由でもありました。
-
インド・サラセン様式で建設され、礎石は1911年3月31日に敷かれました。ジョージ・ウィテットの最終設計は1914年に認可され、この記念建造物の建設は1924年に完了しました。インド門は後に副王およびボンベイ知事のインドへの儀式的入口となり、インドへの入国を許可する役割を果たしました。
-
海側はスペースが狭いので門を入れての記念写真が撮りにくいです。
-
門だけの見学なので写真を撮るとあっという間に見学は終わってしまうのですが、ここでは50分ほどの自由時間がありました。
-
ここにいても仕方がないので「タージマハールホテル」まで行ってみようと思います。もちろん妻は日陰で休んでいます。
-
一体どれだけの遊覧船があるのか分からないほど船が並んでいます。きっと元締めがいて順番など細かいルールがあるのだと感じます。
-
沖合いには長崎の「軍艦島」のような島が見えますが、軍事施設のようでグーグルマップで検索しても名前すら分かりません。
-
かつてジョージ5世国王の像が建っていた場所に「チャトラパティ・シバジ・マハラジ・スタチュー」の騎馬像が置かれてあります。ムンバイ到着時に空港の表に見えた騎馬像と同じ人物です。
-
1人で「インド門」を抜けて「タージマハールホテル」に向かって海岸線を歩いてみます。
-
インド人建築家により西洋の新古典主義建築とインドの伝統の様式を混合した姿で設計され、建設には25万ポンドを投じられました。1903年12月16日に開業し、以来ムンバイ第1のホテルとなり、インドを訪問する世界の政治家や王侯貴族、有名人らがこのホテルの客となりました。
-
ホテルの海側のファサードは竣工当時は裏面で、20世紀後半に海側に玄関が移される前は陸側が正面だったそうです。これには建築家が海側に向けて建つホテルの設計図を描いたにもかかわらず建設業者が勘違いして逆向きに建ててしまったもいわれますが、実際のところは民族主義者であったオーナーのジャムセットジ・タタがイギリスの支配に反発し、わざと海に背を向けてホテルを建てさせたようです。
-
2008年11月26日のムンバイ同時多発テロにおいてテロリストに占領され、多数の宿泊客が殺害されました。特殊部隊の投入により3日後にホテルは制圧されましたが、これは映画「ホテル・ムンバイ」を観たので記憶に新しいです。この映画もデーヴ・パテールが主演でした。
https://www.youtube.com/watch?v=iLJZuxn8MDk -
ホテルの中も見たかったのですが、かなりセキュリティも厳しそうなので入ることは躊躇われました。もっともそれほど時間もありませんでした。
-
コラバ地区には「インド門」と「タージマハールホテル」、「ボンベイ・ヨット・クラブ」の建物以外にも歴史的な建造物がたくさんあるようです。あと1時間ほど時間があれば見て回れるのですが。
-
再集合の後にバスに戻ってムンバイの市内観光は続きます。
-
インドの市街地のバス停は屋へがついてベンチもあり、中には充電設備も設けてあったりしますが、なんとなく道路側に人が膨らんで、並んでいるのかが曖昧に感じられます。
-
ムンバイ市内をバスで走っているとたくさんの給水車を見掛けます。政府の給水車は毎日地域を回り、水を無料でタンクへ給水しているそうですが、州政府から正式に認定されたスラム街に住む人々には水を供給する法的義務があるようですが、認定されていないスラム街には水を供給する法的義務はないそうです。そこでマフィアのような組織が生まれ、法外な値段で水を売ったりする事例もあるようです。
-
「エルフィンストーン・カレッジ」の前を通過しました。1823年に設立されたムンバイで最も古い大学の1つで、ムンバイ大学の設立にも重要な役割を果たしました。
-
1888年に建築されたロマネスク過渡期様式の美しい建物です。たまたまバスが建物の前で停車してプレートの写真を撮れたので建物の名前や由来が分かりました。
-
ムンバイ市内は慢性的な渋滞のようで、わずかな距離でも移動に時間がかかります。それは空港に着いてすぎに感じられ、今朝からの移動で実感します。
-
「デビッド・サスーン図書館 」
市の中心部に図書館を建設するというアイデアは、バグダディの有名なユダヤ人慈善家、デビッド・サスーンの息子であるアルバート・サスーンから生まれました。 -
1867年から1870年にかけてビクトリア朝のネオゴシック様式の建築様式で建てられたこの建物は、当時の植民地時代の魅力を維持しています。隣接する「エルフィンストーン・カレッジ、陸軍および海軍の建物、ワトソンズホテルと同様に黄色のマラド石を使用して建てられています。玄関の柱廊の上にはデビッド・サスーンの白い石の胸像が見えます。
-
「ラジャバイ時計台」はムンバイ大学のクリケット場を挟んで見えました。塔は高85.3メートルで、1878年にロンドンのビッグベンを雛型としてイギリスの建築家ジョージ・ギルバート・スコット卿によって設計されました。
-
塔はヴェネツィアとゴシック様式の建築の融合で、ムンバイ証券取引所の創設者の1人であるプレムチャンド・ロイチャンドが出資し、母親のラジャバイの名前にちなんで名付けられました。
-
「ムンバイ大学」の時計塔はキャンパスが開放されていないため、フェンスの外でしか見ることが出来ません。「コワジジャハンギールコンボケーションホール」は、オーバルマイダン周辺のビクトリア朝の建物群の一部で、1869年から1874年にかけて建設され、ジョージ・ギルバート・スコット卿が設計しましたが、彼はボンベイを訪れたことはなくロンドンで働いていました。
-
黄道十二宮のデザインが施された円形のステンドグラス窓が見えています。ツアーの見学ルートに入っていながらフェンスの外から眺めるだけというのは何だか情けない気がします。
-
「ムンバイ大学」は1854年にチャールズ・ウッド卿が起草した「ウッドの派遣」に従って、ボンベイ協会からインドの英国植民地政府へ請願書の提出後、1857年に設立されました。イギリスの同様の大学、特にロンドン大学をモデルにしています。
-
右側の塔の螺旋階段のデザインを見て、ヴェネツィアのリアルト橋とサンマルコ広場の中間の「コンタリーニ・デル・ボーヴォロ宮」という建物の螺旋階段を思い出しました。インドでヴェネツィア様式の建築を見るとは思いませんでした。
-
壁龕にあるインドの王子の像もキリスト教の聖人のように見えてしまいます。
-
かなりマニアックな建築様式なので多分ツアーのメンバーの方も興味がないのではないかと思われます。建築好きにはたまりませんが、フェンスの外からの見学だけだし中途半端な感じがします。
-
隣接する「ボンベイ高等裁判所」も同じようにフェンスの外からの見学ですが、木々が生い茂っていて建物もほとんど見ることが出来ません。
ボンベイ高等裁判所 建造物
-
「ボンベイ高等裁判所」はインド最大の裁判所の1つで、19世紀の建物はユネスコの世界遺産に登録されているムンバイのビクトリア朝のゴシック様式とアールデコ様式の構成遺産でもあります。
-
さすがに車窓を流れるいろいろな建築様式の建物を追いかけるのにも疲れてきました。
-
ようやくお昼になりました。この日のランチは「チェタナ(Chetana)」というレストランです。驚いたのは店の前の道路がそっくり無くなっていることです。
チェタナ 地元の料理
-
本場の「ターリー料理」がいただけるようです。ターリーはいくつかの料理が組み合わされ、大皿にまとめられて提供され、「ターリー(Thaali)」は大皿を意味する語でもあります。
-
インドにはしっかりとした食事には6つの味覚の料理がバランスよく含まれていなければならないという考え方があり、ターリーはそれを反映したものになっている。6つの味覚とは「甘味」「塩味」「苦味」「酸味」「渋味」「辛味」です。
-
まずはキングフィッシャーで乾杯です。ここでは1本700円でした。インドの物価に比べるととても高いです。
-
ターリーでは通常はそれぞれの料理が「カトリ(katori)」と呼ばれる小さなお椀に小分けにされます。これら「カトリ」は丸い大きな金属のトレイ、ターリーの端に主食(米やパンなど)をぐるりと囲うように並べられます。
-
並べられた「カトリ(katori)」に次々と料理が盛られていきます。
-
手前から玉ねぎとトマトのサラダ、オクラとジャガイモ炒め、野菜カレー、チキンカレー、ダールカレー、甘いヨーグルトのカレー、ロティとチャパティにギーを掛けてもらいます。お盆の外はカスタードのデザートです。デザート以外はおかわり自由です。
-
おかわりがどんどんサービスされお腹いっぱいになりました。食事の後はトイレに行って席に戻ると、店の奥に本屋のようなコーナーがありました。お土産もありそうなので覗いてみるとワルリー画が並んでいます。A4サイズくらいの紙にインクで細かく書かれたものが1,200ルピー、キャンバスに茶色い砂地の上に白い絵の具で描かれたものが1,550ルピーです。
-
20号サイズの本物のワルリー画が3,000円もしないのですから買わない理由はありません。残念ながら2枚しかなかっ、クレジットカードで支払って新聞紙に包んでもらいました。
-
ツアーに参加しているとなかなか自由に買い物も出来ず、連れていかれるお土産物屋にも大したものが無いことが多いので、このような出会いは奇跡のように思えます。ヒンドゥー語で書かれた作者のサインは、後でガイドさんに読んでもらいました。
-
食事が終わって再びバスに乗って空港に向かいます。ここからはアール・デコ様式の建築を多く見ることが出来ましたが、バスの中で説明などはありませんでした。
-
ムンバイのアールデコ様式は、この街の建築の顕著な特徴で、インドが大英帝国の一部であった時代に、主にオフィスビルや集合住宅、映画館にデザインが用いられました。
-
ムンバイはマイアミに次いで世界で2番目にアールデコ様式の建物があると言われています。1929年にボンベイに設立されたインド建築家協会は、アールデコ運動の伝播に重要な役割を果たしました。
-
ボンベイのアールデコ運動は1900年代初頭の鉄筋コンクリートの出現と人口密度の増加に対応するために役だったようです。
-
リノベートしたら美しくよみがえりそうな建物がくたびれたままになっているのがもったいなく感じます。近いうちに誰かが気がついてそんな流れが起こっていくのではないかとも感じます。
-
再び海岸線のマリーン・ドライブ・ビーチを走ります。
-
「ギルガオン・チャウパティ」では毎年8月末から9月上旬のあたりでガネーシャの生誕祭が行われます。
-
祭りは通常11日間行われ、最初の日はガネーシャ・チャトゥルシーと呼ばれます。 このガネーシャ祭りでは各寺院や家庭にガネーシャ神の像を招いて、大切な客人として盛大にもてなします。何日間かガネーシャ神をもてなした後、ガネーシャは海に帰っていきます。
-
夕方から夜にかけてガネーシャを送るためのプージャ(儀式)を行います。火をともしてマントラ(祈りの言葉)や捧げものを供えた後には、ガネーシャにお願いを聞いていただきます。翌朝には流されたガネーシャ神を掃除する人たちであふれ、ガネーシャ祭りによる水質汚染問題が深刻になっているようです。
-
砂浜には誰かが餌をやっているのかものすごい数の鳩がいました。こういった光景はインドをバスで移動しているの何度か見掛けます。
-
逆ルートで「マヒム湾(Mahim Bay)」を通過します。
-
朝は北側から南に向かって渡った「バンドラ・ウォーリ・シーリンク(Bandra-Worli Sea Link)」を北に向かいます。
-
高速道路の沿道には「Tambe Kaka by the Ocean(バンドラの海沿いのインスタレーション)」というアート作品が延々と置かれていました。
-
「ダラビ(Dharavi)」のスラム街を通過します。。一般に世界最大規模のスラム街として紹介されますが、地区内の経済活動は年間数十億ドルに達するなど非常に活発な地域でもあります。
-
クリケットの人気の高いインドでは「QUEENDOM」というTATAグループ主催のイベントがあるようです。スリランカを旅しているときはスポーツバーでクリケットの中継を観たことがありましたが、スタジアムの規模の大きさに驚いたことがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=AeA3s_bbvI0 -
バスはこのまま国内線のターミナルに向かいます。アウランガーバードへ移動してアジャンタ遺跡とエローラ遺跡の観光が始まります。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2024ムンバイの旅
-
前の旅行記
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(1)2度目のインドもANAを利用し...
2024/03/05~
ムンバイ
-
次の旅行記
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(3)夕刻のインディゴ航空でアウラン...
2024/03/06~
アウランガバード
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(1)2度目のインドもANAを利用し...
2024/03/05~
ムンバイ
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(2)ムンバイ市内観光後に入ったレス...
2024/03/06~
ムンバイ
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(3)夕刻のインディゴ航空でアウラン...
2024/03/06~
アウランガバード
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(4)アウランガーバードから長年の夢...
2024/03/07~
アジャンター
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(5)アジャンター石窟寺院/第1窟か...
2024/03/07~
アジャンター
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(6)アジャンター石窟寺院/第6窟か...
2024/03/07~
アジャンター
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(7)アジャンター石窟寺院/第19窟...
2024/03/07~
アジャンター
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(8)アジャンターで遅いランチを食べ...
2024/03/07~
アウランガバード
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(9)エローラ遺跡のジャイナ教石窟か...
2024/03/08~
エローラ
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(10)第29窟のドゥマール・レナを...
2024/03/08~
エローラ
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(11)12窟までの仏教石窟から13...
2024/03/08~
エローラ
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(12)ヒンドゥー石窟を巡りカイラー...
2024/03/08~
エローラ
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(13)ビービー・カ・マクバラとパー...
2024/03/08~
エローラ
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(14)ボートに乗ってエレファンタ島...
2024/03/09~
ムンバイ
-
トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(15)ムンバイで中華料理を食べて空...
2024/03/09~
ムンバイ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- クサポンさん 2024/06/18 19:09:20
- タージマハルホテル
- kojikojiさん
クサポンです。
いつも深い知識にうなづきながら拝見してます。
コロナ禍前に主人がタージマハルホテルに宿泊して、興奮して帰ってきました。
今度一緒に行こう~と言われて、そのままです。
kojikojiさんの旅行記拝見してたら、ツアーでの楽しみ方を教えてもらっているようです。
以前、ちらっとギリシャならセレスティアルクルーズとおっしゃったので調べると、とても楽しいクルーズ旅行ができました。ありがとうございました。
どんな絵を購入したのか気になります(^。^)
奥様も買い物のあとが最高ではないかしら(^.^)
これからも楽しみにしています。
- kojikojiさん からの返信 2024/06/19 04:49:06
- RE: タージマハルホテル
クサポンさん
おはようございます。というかインド旅行記を昨晩から続けていたら朝になってしまいました。まだまだ時間がかかりそうなのですが、その後の旅行が海外だけで4つ終わっています。旅行に行くと旅行記が作れないというジレンマが続いています。今月中にインドを終わらせたいと思いながら、来週からまた関西に出掛けてしまいます。さすがにこれでは体に悪いと思い、7月は旅行へ行くのを止めました。ご主人はタージマハルホテルへ宿泊されたのですね。うらやましいです。ギリシャのクルーズも終わられたのですね。いつも「いいね」いただいていながら、他のトラベラーの方の旅行記を拝読する時間も無くて申し訳ないと思っています。ワルリー画はそのうち登場させます。
いつも旅行記にお立ち寄りいただき掲示板にメッセージもいただき、ありがたく存じます。人気のない備忘録のような旅行記ですが、読んでいただいていると思うと嬉しいです。ありがとうございます。これからも頑張ります。
kojikoji
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
タージ マハル タワー
3.85
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
ムンバイ(インド) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2024ムンバイの旅
2
135