2024/03/08 - 2024/03/08
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/03/08
この旅行記スケジュールを元に
ようやくヒンドゥー教石窟エリアの「第16窟」カイラーサナータ寺院の見学になります。まずは「第15窟」の脇から坂を登り、丘の上から石窟寺院を眺めます。ガイドさんは一番奥まで行くと手摺りも無いので危険ですと注意をしますが、ここまで来てその全景を見られないのは残念なので自己責任で皆さん先へ進んでいきます。写真を撮って同じルートで下まで戻った後は反時計回りに寺院と岩壁の間の回廊をガイドさんと一緒に回ります。その後はサブガイドさんと一緒に寺院の中を本尊のリンガを参拝するために進みます。巨大な石窟寺院ではありますがその中は意外に狭く、たくさんのヒンドゥー教の信者でごった返している印象を受けます。自国の観光客の人はほぼここだけを見学しているといってもいいかもしれないほどです。その後はしばらく自由時間になり、細かい彫刻などを見ることが出来ました。それでもあと30分ほど時間が欲しかったのが正直な感想です。ただ、妻はもう十分というような顔をしていたので人それぞれではあると思います。長年ここへ来たいと思っていたのでその夢が叶って感無量ではありましたが、3時間ほどで納得いくほどの見学は出来なかったと思います。ここが最後の見学地だったので、再集合した後は公園を出て、最初にバスを降りたホテルに向かいます。ここでようやくお昼を食べることが出来ます。気が付くとお腹が減るのにも気が付かずに集中して見学していました。冷たいビールを飲んでこの世に戻ってきたような気がします。途端にお腹が減ってきて、ビュッフェスタイルの料理を食べてアウランガバード方面へ戻ります。戻る途中にもまだ見学する場所があります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ようやくツアーのメンバーに追いついて「第16窟」のカイラーサナータ寺院の見学になります。まずは周辺の岩山に登ってその外観を眺めることになります。
エローラ石窟群 寺院・教会
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岩山に手すりなどは何もないので落ちると約30メートルほど落下するのでまず命はないでしょう。ガイドさんはこの辺りまでで上には行かないようにと注意がありますが、この驚異の石窟寺院を見てしまうと皆さん先へ進んでしまいます。ここは自己責任で上まで登ってみることにします。
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シヴァの住むと言われるカイラス山に触発されたカイラーサナータ寺院は、シヴァ神に捧げられています。それは他のヒンドゥー教の寺院と同様の直線上に沿ってプランされており、門や集会所などが方形の原則に従って配置された多数の神社に囲まれた複数階建ての寺院の形状に倣っています。
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リンガヨニが存在するガルバグリヒヤという聖域はカイラス山のような尖塔の下に設けられています。ガンガ、ヤムナ、サラスワティ、ヴィシュヌの10の化身、インドラ、アグニ、ヴァーユ、スーリヤ、ウシャなどのヴェーダの神々と女神、そしてガネーシャ、アルダナリシュヴァラ(男女両性の神で、右半身がシヴァ神で左半身がパールヴァティ)、ハリハラ(半分シヴァ、半分ヴィシュヌ)、アンナプルナ、ドゥルガーなどの非ヴェーダの神々に捧げられています。
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岩山の右側には見学しなかった「第15窟」への道もありましたが、さすがにツアーから離れて見に行くことも出来ませんし、「第16窟」の迫力に圧倒されています。
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外観の写真だけを数枚撮って諦めることにします。
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さすがに岸壁の手前1メートルくらいで、その先までは進めません。この寺院はアテネのパルテノン神殿の2倍の面積をカバーする独立した複数階建ての神殿です。職人や芸術家たちは寺院を掘り出すために約20万トンの石を取り除いたと推定されています。
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5カ月ほど前にパルテノン神殿を見てきたばかりですが、下から見上げたので、この角度からだと大きさの比較は難しいです。パルテノン神殿は近づくことも出来ませんが、ここは聖域まで入ることが出来るのでその点でも驚きです。
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寺院の建設は756年から773年在位のラシュトラクタ王クリシュナ1世によるものとされていますが、パッラヴァ王朝の建築の要素も注目されています。パッラヴァ王朝は西暦275年から897年までデカン高原のかなりの部分を支配していました。パッラヴァ朝は特に南インドの歴史と遺産の形成に重要な役割を果たしました。
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中庭の寸法は基部で82メートル×46メートル、高さ30メートルあるということです。 入り口にはヒンドゥー教寺院の記念碑的な塔のゴプラムがあります。
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リンガを収容する中央の神社は16本の柱で支えられた平らな屋根のマンダパ(前堂)とドラヴィダのシカラを特徴としています。シヴァ神の乗り物であるナンディの像が寺院の前のポーチに立っています。4頭の獅子が彫り出されていますが、インドでは蓮の花と獅子との組み合わせは、ペルシャの影響を受けたといわれています。
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マンダパはインド建築の公共儀式のための柱に囲まれたホールのあるパビリオンで、特にヒンドゥー教の寺院建築とジャイナ教の寺院建築によく見られます。
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ドラヴィダ建築は北に高い塔があり、通常はシカラと呼ばれる内側に湾曲する高い塔がある聖域の上に、ヴィマーナと呼ばれる短くてピラミッド型の塔を設けます。
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このパルテノン神殿より巨大な構造物を岩の中から掘り出したということを考えると感動を覚えます。岩の中にこれだけの巨大なプランと精密なディティールを思い描いた人の能力の高さを感じます。
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カイラーサナータ寺院の建築はデカン地方で流行していた建築のスタイルとは異なり、パッタダカルのヴィルパクシャ寺院とカンチのカイラーサ寺院に基づいているように見えますが、これら2つの寺院を正確に模倣しているわけではないようです。寺院の建築に対するインド南部の影響はチャルキヤとパッラヴァの芸術家の関与に起因すると考えられています。
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岩から掘り出しただけでもすごいと思いますが、それを宗教の聖域として中に入れるように刳り貫いていることにも驚かされます。早く自分もその中に入ってみたいという衝動に駆られます。
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中世のマラーティ語の伝説によると、地元の王は深刻な病気に苦しんでいました。王妃はエラプラのグリシュネシュワール神(シヴァ神)に夫を治すように祈りました。彼女は自分の願いが叶えられたら寺院を建てることを誓い、この寺院のシカラ(頂上)が見えるまで断食をすることを約束しました。王が治った後に彼女は王にすぐに寺院を建てるように頼みましたが、複数の建築家がシカラを備えた寺院を建てるには数ヶ月かかるといいました。
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コカサという建築家は王妃が1週間以内に寺院のシカラを見ることができると王に保証しました。彼は岩を彫ることによって頂上から寺院を建て始めました。彼は1週間以内にシカラを掘り終えることができ、女王は断食することを終えることが出来ました。寺院は女王にちなんでマニケシュワールと名付けられました。この寺院がカイラーサナータ寺院だといわれています。
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要塞のような楼門を潜って、中庭に抜ける手前にはヴィシュヌ神の妻のラクシュミーが出迎えてくれます。彼女は富と幸運の女神であり、日本では吉祥天として仏教に取り入れられています。
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サラスヴァティーやガネーシャと共に描かれる「ディワリ・ラクシュミー」もよく見られますが、ここでは2頭の像に水をかけられている「ガジャ・ラクシュミー」という吉祥図が描かれています。
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ナンディン堂の外部のレリーフはラーマヤーナ叙事詩の中の喧嘩をする猿の兄弟が描かれています。ラーマ王子が誘拐された妻シータを探す為に森へ入ると猿の王様スグリーヴァが泣いていました。ラーマ王子が泣いている理由を聞くと「兄猿に妻を奪われ、王の座までも奪われた」という話が思い出されます。母の遺品の中にラーマヤーナ物語の本があり、アンコール遺跡にでも連れて行きたかったと後悔したことを思い出しました。バンテアイ・スレイに同じようなレリーフが残されていました。
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その近くには「ラーマヤーナ物語」の場面が克明に彫られています。古代インドの大長編叙事詩でヒンドゥー教の聖典の1つで「マハーバーラタ」と並ぶインド2大叙事詩です。サンスクリットで書かれ、全7巻で総行数は聖書にも並ぶ48,000行に及ぶので、ここではその一部が描かれています。成立は紀元3世紀頃で詩人ヴァールミーキがヒンドゥー教の神話とコーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したものとされます。細かく読み解くことは出来ませんが、ラーヴァナとハヌマーンの猿軍の戦いのようです。
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ここまでいくつかのエローラの石窟寺院でも見てきた「シヴァによるラーヴァナへの恩寵」のシーンです。これまでは岩壁に彫られたレリーフのような薄彫りでしたが、ここでは完全に立体彫刻になっていることと、その巨大さに驚きます。
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外壁の基壇部分には等間隔に揃った象の姿が見えます。この象は「宇宙を支える象」と呼ばれ、この寺院がシヴァ神の住まいであり、全宇宙であることを象徴しています。
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北部タイのチェンマイでは同じように象が並ぶ仏教寺院をいくつか見たことがあります。宗教は違っても同じデザインが踏襲されたのかもしれません。素人考えですがインドを旅していると東南アジアといろいろなものが繋がってくるのが面白いです。
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特にアンコール遺跡のヒンドゥー教のレリーフは春かインドと出材にゃモチーフが同じであることが分かり、ようやくカンボジアの旅が終わったような気分になります。1週間以上かけてシェムリアップ周辺の遺跡を巡った甲斐がありました。妻は4日目を過ぎるとチャーターしたタクシーから降りなくなってしまいましたが。
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寺院の周りの岩壁の底部には回廊が廻されていますが、そこまで見る時間はありませんでした。ガイドさんの説明も無かったのですが、1枚だけ写真を撮りました。これはリンゴドバーヴァ(Lingodbhava)というもので、リンガ(男根)の中から現れたシヴァ神の姿です。左右に立つのはヴィシュヌ神とブラフマー神だと思います。
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シャイヴァの伝説ではヴィシュヌ神とブラフマー神は彼らの優位性について議論を交わしましていました。この議論を解決するためにシヴァ神は巨大な光の柱として現れ、彼の力の源を見つけるように諭します。ブラフマーはガンダーの姿をとって空に飛んで炎の上を見渡しましたが、ヴィシュヌはイノシシのヴァラハになり、その足元を探しました。
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ブラフマーもヴィシュヌもその源を見つけることができず、ヴィシュヌは敗北を認めましたがブラフマーは嘘をついて、自分がを見つけたと言いました。ブラフマーの不正直さに怒ったシヴァはバイラヴァの姿に変わり、ブラフマーの5つの頭のうちの1つを切り落としました。さらに罰としてブラフマーが地上に寺院を持つことは決してないと定めました。カーラバイラヴァ神が現れたかと思ったら、UV対策をした妻の姿でした。
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回廊の一番奥から俯瞰すると改めてこの寺院の巨大さを感じることが出来ます。現代のような工具の無い時代に手彫りで100年ほどで完成させたことに驚きを感じます。
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建築の概念でいうと資材をくみ上げて建物を建てるということだと思うので、このように掘り出したものを建物というのだろうかという疑問も生まれてきます。
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10数年かけて東南アジアをゆっくりと西へ西へと旅を続けて、ようやく妻をインドまで連れてきました。今回で2回目のインドですが、あと4回か5回は行きたいところが残っています。本人は「しばらくインドはいいわね。」なんて言っていますが…。
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ガイドさんに記念写真を撮ってもらいます。
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スタンバと呼ばれる記念柱とその横には2階建てのナンディン堂が見えます。左手前には「マハーバーラタ物語」のレリーフも見えます。そろそろ堂内に入ってみたくなります。
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カイラーサ山を揺るがすラーヴァナのレリーフがここにもありました。
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「ナタラージャ」はシヴァ神を神聖な宇宙の踊り子として描いたもので、彼のダンスはタンダヴァと呼ばれています。ここまでもいくつかの石窟寺院で見てきた題材です。レリーフの美しさもさることながら、彩色が残されていることにも驚きます。
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この寺院全体が極彩色に埋め尽くされていた様は想像を超えた世界だと思います。
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再び「シヴァによるラーヴァナへの恩寵」に戻ってきました。誰もいない写真ではその大きさを感じることが出来ません。
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エローラ遺跡ではツアーのガイドさん以外に現地のサブガイドさんを雇わないとならないようで、そのおじさんに連れられて祠堂の中のリンガを見に行きます。連れられてといっても英語も通じないので後をついて行くだけです。
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アジャンターの石窟寺院でも数多く見かけた天井に施された蓮のレリーフです。蓮の花の歴史は古く、古代インドや古代エジプトでも記録に残されていて、何かしら象徴的なものとして扱われています。ヒンドゥー教では今でも純粋さや善性の象徴とされています。仏教でも仏陀の智慧や慈悲の象徴として大事にされています。インドやベトナムやスリランカの国花でもあります。
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門衛神ドヴァラパーラもその体には赤い色が残っています。寺院に設けられたこのような像も事前に完成形を決めておかないと後から付け足すことは出来ません。
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リンガの置かれた聖域までは1本の参道だけが続いています。
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天井のレリーフはタンダヴァを踊るシヴァ神の姿のようです。「ナタラージャ(Na?araja)」は踊り手の王の意味でシヴァの表します。
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ようやく聖域にたどり着きました。ここはヒンドゥー教徒の方にとっては参拝の場所なのでものすごく混雑しています。
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参拝している人の間を抜けて聖域に入ります。現在はヒンドゥー教の主神となったシヴァですが、古代インドの聖典であるリグ・ヴェーダの中ではモンスーンの神のルドラの別称とされ、神々というよりはアスラ(悪魔)としてとらえられていました。
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モンスーン(暴風雨)による破壊と雨の恵みという二面性は後のシヴァに引き継がれ、アーリア人のインド進出後は土着の神を吸収してシヴァ像が形成されます。
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現在の立ち位置は仏教やジャイナ教の勢力の拡大に対抗して行われたヒンドゥー教の再編成の中で土着信仰を吸収して形成されました。シヴァ信仰の最大の特徴となるのがリンガ信仰です。シヴァを祀る寺院の奥には必ずシヴァリンガが置かれており、礼拝者たちが香油やミルク、花や灯明などを捧げています。
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シヴァリンガは男性器の象徴であるリンガと、リンガが鎮座している台座で女性器の象徴であるヨニから構成されますが、これは男女の合一を示い、男女の神が1つとなって初めて完全であるというヒンドゥー教の考えを表す姿です。シヴァリンガが置かれる寺院の内部は女性の胎内であることを示しています。
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これまで見てきたアジャンターやエローラの石窟寺院は宗教の場としての役目はほぼ終えていましたが、この寺院だけは現在も信仰の場だということを感じます。
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シヴァリンガの置かれた聖域のフロアからは表に出ることが出来て、そこには小さな指導がいくつも並んでいます。ここは観光客や参拝者の姿も少なく、これまでとは違った雰囲気を感じます。
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美しい彫刻で飾られた祠堂の中にハヌマーンのような像を見つけました。その顔はスリランカやミャンマーで見た石像や彫刻と酷似していました。
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高さ17メートルのスタンパも見る高さによって印象が違います。
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狛犬のように等身大の象が一対置かれ、寺院を護っているようです。
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ナンディン堂の中に置かれたコブ牛の像は信者や観光客に触られて黒光りしています。
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そろそろ集合時間になるので戻ることにします。
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カイラーサナータ寺院の見学が終わってしまうとエローラ石窟寺院の見学も終わりになります。
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ガネーシャは太鼓腹の人間の身体に 片方の牙の折れた象の頭をもった神で、4本の腕を持っています。障害を取り去り財産をもたらすと言われ、事業開始と商業の神や学問の神とされます。デカン高原一帯で多く信仰され、旅の最初のムンバイでは「ギルガオン・チャウパティ」というガネーシャの生誕祭が有名です。
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パールヴァティーが身体を洗って、その身体の汚れを集めて人形を作り命を吹き込んで自分の子供として産みました。パールヴァティーの命令でガネーシャが浴室の見張りをしている際にシヴァが帰還しました。ガネーシャはそれを父であるシヴァとは知らず、入室を拒みます。シヴァは激怒してガネーシャの首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまいます。パールヴァティーに会ってからそれが自分の子供だと知ったシヴァは投げ捨てたガネーシャの頭を探しに西に向かって旅に出かけますが、見つけることは出来ません。そこで旅の最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付け復活させました。
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遺跡の見学が終わった後はバスを降りたホテルに戻ります。3時間の見学が終わり、お昼もだいぶ過ぎています。
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午前中は観光客で混雑していた町中も昼過ぎには多くの観光客が返ったようで、意外なほどに閑散としていました。
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「ホテル・カイラス(Hotel Kailas)」の1階は欧米人観光客御用達のレストランでした。多分日本人ツアーも利用しているのだと思います。ビュッフェスタイルの料理が並んでいます。
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まずは椅子に座って、冷たいビールが届くのを待ちます。バドワイザーが500ルピーと観光地にしては良心的な値段でした。
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お腹がペコペコだったので美味しくいただけました。欧米人が多いのでパスタなどの料理もありました。お昼を食べた後はアウランガバードに戻ります。
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