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アジャンター遺跡の見学もラストスパートです。予定していた見学時間の2時間はすでに過ぎていますが、残りはまだ8窟ほどあります。ここから先はフリータイムになり約1時間ほど各自で見学することになります。仏教窟である石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた精舎(ヴィハーラ)を石窟に置き換えた「ヴィハーラ窟」とブッダを象徴する「聖なるもの(チャイティヤ)」として仏塔が据えられた「チャイティヤ窟」があります。この先の石窟には仏塔を据えた「チャイティヤ窟」が多く、その魅力を感じることが出来ました。見学に来ているのは我々のような単純な観光客以外に僧侶の方や仏教徒の集団の方など多彩でした。見学するには邪魔な部分もありますが、仏塔を前に手を合わせて読経をしている姿はちょっと感動的でもありました。それはこのシチュエーションによるものが大きかったと思います。堂内に反響するお経の響きは時間が2000年近く遡ったようにも感じられました。なんとか時間内に全部の石窟の見学を終え、集合場所に戻り、全員揃ったところで峡谷に架かる橋を渡ります。枯れ果てた川筋は単に乾季なのか気候変動の影響なのかまでは分かりませんでした。入り口まで戻った後は同じルートでバスに乗り込みますが、復路のバスはエアコンなしのボロボロなバスでした。往路でガイドさんが「みなさん、ラッキーですよ。エアコンバスです。」といった意味がようやく分かりました。3時間のアジャンター見学を終えてようやくお昼ご飯にありつけます。

トラピックス 西インド紀行アジャンタ・エローラ・ムンバイ・エレファンタ島(7)アジャンター石窟寺院/第19窟から第26窟までを見学する。

6いいね!

2024/03/07 - 2024/03/07

54位(同エリア98件中)

旅行記グループ 2024ムンバイの旅

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kojikoji

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アジャンター遺跡の見学もラストスパートです。予定していた見学時間の2時間はすでに過ぎていますが、残りはまだ8窟ほどあります。ここから先はフリータイムになり約1時間ほど各自で見学することになります。仏教窟である石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた精舎(ヴィハーラ)を石窟に置き換えた「ヴィハーラ窟」とブッダを象徴する「聖なるもの(チャイティヤ)」として仏塔が据えられた「チャイティヤ窟」があります。この先の石窟には仏塔を据えた「チャイティヤ窟」が多く、その魅力を感じることが出来ました。見学に来ているのは我々のような単純な観光客以外に僧侶の方や仏教徒の集団の方など多彩でした。見学するには邪魔な部分もありますが、仏塔を前に手を合わせて読経をしている姿はちょっと感動的でもありました。それはこのシチュエーションによるものが大きかったと思います。堂内に反響するお経の響きは時間が2000年近く遡ったようにも感じられました。なんとか時間内に全部の石窟の見学を終え、集合場所に戻り、全員揃ったところで峡谷に架かる橋を渡ります。枯れ果てた川筋は単に乾季なのか気候変動の影響なのかまでは分かりませんでした。入り口まで戻った後は同じルートでバスに乗り込みますが、復路のバスはエアコンなしのボロボロなバスでした。往路でガイドさんが「みなさん、ラッキーですよ。エアコンバスです。」といった意味がようやく分かりました。3時間のアジャンター見学を終えてようやくお昼ご飯にありつけます。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
航空会社
ANA
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 「第19窟」までやってきました。簡単な単管パイプと竹材を組み合わせた足場で覆われて、美しいファサードの建築を見ることが出来ません。

    「第19窟」までやってきました。簡単な単管パイプと竹材を組み合わせた足場で覆われて、美しいファサードの建築を見ることが出来ません。

    アジャンター石窟群 史跡・遺跡

  • 本来であればこのような美しい姿が見られたのが残念です。

    本来であればこのような美しい姿が見られたのが残念です。

  • 足場のパイプの隙間から部分的な彫刻を見ることは出来ました。

    足場のパイプの隙間から部分的な彫刻を見ることは出来ました。

  • 基本的には左右対称になった均整の取れた彫刻が並んでいます。溝と花柄と彫刻が施された2本の丸い柱がポーチを支えています。そこから繋がる柱は角柱に変化していきます。左側にはヴァラダ・ハスタ・ムドラーを着た仏陀が立っており、その足元には寄進した信者が小さな像で表されています。

    基本的には左右対称になった均整の取れた彫刻が並んでいます。溝と花柄と彫刻が施された2本の丸い柱がポーチを支えています。そこから繋がる柱は角柱に変化していきます。左側にはヴァラダ・ハスタ・ムドラーを着た仏陀が立っており、その足元には寄進した信者が小さな像で表されています。

  • 重ね重ねファサードの全体像を見ることが出来ないのは残念です。

    重ね重ねファサードの全体像を見ることが出来ないのは残念です。

  • アジャンターにある完成した4つのチャイティヤホールは初期に造られた「第9窟」と「第10窟」、後期の「第19窟」と「第26窟」です。すべては高い天井と中央の「身廊」が奥にある仏塔(ストゥーパ)に通じていますが、ストゥーパの周りを歩くことは仏教崇拝(プラダクシナ)の一般的な構成要素でした。

    アジャンターにある完成した4つのチャイティヤホールは初期に造られた「第9窟」と「第10窟」、後期の「第19窟」と「第26窟」です。すべては高い天井と中央の「身廊」が奥にある仏塔(ストゥーパ)に通じていますが、ストゥーパの周りを歩くことは仏教崇拝(プラダクシナ)の一般的な構成要素でした。

  • 後期の「第19窟」と「第26窟」は仏塔のデザインも進化して、柱や仏陀の彫刻が施されています。

    後期の「第19窟」と「第26窟」は仏塔のデザインも進化して、柱や仏陀の彫刻が施されています。

  • 仏塔に仏陀を彫ることによって以前の小乗仏教の伝統からこの石窟を建てた王と王朝のシャイヴァ教のヒンドゥー教の時代から5世紀の大乗仏教の最高レベルに達したことを感じさせます。

    仏塔に仏陀を彫ることによって以前の小乗仏教の伝統からこの石窟を建てた王と王朝のシャイヴァ教のヒンドゥー教の時代から5世紀の大乗仏教の最高レベルに達したことを感じさせます。

  • 仏舎利塔は西暦467年までに完成した可能性が高いようですが、その仕上げと芸術的な作業は470年代初頭まで続けられました。西暦471年に奉納されたときも未完成だったようです。

    仏舎利塔は西暦467年までに完成した可能性が高いようですが、その仕上げと芸術的な作業は470年代初頭まで続けられました。西暦471年に奉納されたときも未完成だったようです。

  • 拝殿には15本の柱が2つの側廊と1つの身廊に分かれています。丸い柱には花のレリーフがあり、柱頭には仏陀が描かれた上の写真のような梁があります。西暦2世紀に建てられたカーラ洞窟のチャイティヤとの類似性は、この「第19窟」がそれをモデルにした可能性があるようです。

    拝殿には15本の柱が2つの側廊と1つの身廊に分かれています。丸い柱には花のレリーフがあり、柱頭には仏陀が描かれた上の写真のような梁があります。西暦2世紀に建てられたカーラ洞窟のチャイティヤとの類似性は、この「第19窟」がそれをモデルにした可能性があるようです。

  • アルダパリャンカ・アーサナのナーガラージャ(八大竜王)、横に座る妻は蓮華を持ち、マンガラスートラを身に着けています。マンガラ(mangra)は幸運や幸せや吉兆や平和を意味し、スートラ(sūtra)は経典を意味します。

    アルダパリャンカ・アーサナのナーガラージャ(八大竜王)、横に座る妻は蓮華を持ち、マンガラスートラを身に着けています。マンガラ(mangra)は幸運や幸せや吉兆や平和を意味し、スートラ(sūtra)は経典を意味します。

  • 湾曲した峡谷のかなり置くまで歩いてきました。暑さも増してきて体力はどんどん消耗していきます。

    湾曲した峡谷のかなり置くまで歩いてきました。暑さも増してきて体力はどんどん消耗していきます。

  • 「第20窟」の建設は460年代にウペンドラグプタ王によって始められ、彼の願望は「宗教的功績の偉大な木を成長させる」ことであったそうです。この辺りから社会科見学の小学生と一緒になりました。

    「第20窟」の建設は460年代にウペンドラグプタ王によって始められ、彼の願望は「宗教的功績の偉大な木を成長させる」ことであったそうです。この辺りから社会科見学の小学生と一緒になりました。

  • 精舎は奥にある聖域と僧侶のための4つの独房、そして光のための2つの石切り窓と柱のあるベランダで構成されています。本堂に入る前のベランダの左側には、窓と側房の上に2体の仏像が彫られています。

    精舎は奥にある聖域と僧侶のための4つの独房、そして光のための2つの石切り窓と柱のあるベランダで構成されています。本堂に入る前のベランダの左側には、窓と側房の上に2体の仏像が彫られています。

  • 、ここでも釈迦が説法したときの転法輪印を結んで「結跏趺坐(けっかふざ)」の姿で表されています。仏教における最も尊い坐り方であり、両足を組み合わせ、両腿の上に乗せるもので、如来坐像ではこの坐り方が用いられます。

    、ここでも釈迦が説法したときの転法輪印を結んで「結跏趺坐(けっかふざ)」の姿で表されています。仏教における最も尊い坐り方であり、両足を組み合わせ、両腿の上に乗せるもので、如来坐像ではこの坐り方が用いられます。

  • この聖域のまぐさに従者を従えた7人の仏像が彫られたことで知られています。ベランダにはブラーフミー文字で書かれたサンスクリット語の碑文があり、石窟をマンダパと呼んでいます。

    この聖域のまぐさに従者を従えた7人の仏像が彫られたことで知られています。ベランダにはブラーフミー文字で書かれたサンスクリット語の碑文があり、石窟をマンダパと呼んでいます。

  • 一見左右対称のように見えますが、それぞれの彫刻はナーガラージャであったり、菩薩であったり違いがあります。

    一見左右対称のように見えますが、それぞれの彫刻はナーガラージャであったり、菩薩であったり違いがあります。

  • 転法輪印を結んだ仏陀は両脇に脇侍と飛天を携えた姿で表されています。

    転法輪印を結んだ仏陀は両脇に脇侍と飛天を携えた姿で表されています。

  • 「第21窟」は僧侶のための12の岩窟の部屋と仏像を納めた聖域、12本の柱と表には柱のあるベランダがあります。柱の彫刻には動物や花の彫刻が見られます。赤い帽子の小学生も暑い中にご苦労なことです。

    「第21窟」は僧侶のための12の岩窟の部屋と仏像を納めた聖域、12本の柱と表には柱のあるベランダがあります。柱の彫刻には動物や花の彫刻が見られます。赤い帽子の小学生も暑い中にご苦労なことです。

  • さらに柱にはアプサラ、ナーガラジャ、ナガラニのレリーフと、合掌を捧げるアンジャリ・ムドラのポーズでお辞儀をする信者が描かれています。

    さらに柱にはアプサラ、ナーガラジャ、ナガラニのレリーフと、合掌を捧げるアンジャリ・ムドラのポーズでお辞儀をする信者が描かれています。

  • 「第23窟」には石窟を支えるような小さい力士のような彫刻がありました。

    「第23窟」には石窟を支えるような小さい力士のような彫刻がありました。

  • この石窟は未完成なので見学する人の姿はとても少ないです。小学生はほとんど表から中を覗いて次の洞窟に向かってしまいます。

    この石窟は未完成なので見学する人の姿はとても少ないです。小学生はほとんど表から中を覗いて次の洞窟に向かってしまいます。

  • ただ未完成ということは下地の状態を確認することも出来ますし、制作過程も想像することが出来ます。

    ただ未完成ということは下地の状態を確認することも出来ますし、制作過程も想像することが出来ます。

  • 未完成でありながらも聖域周りの天井にはフレスコ画が描かれた痕が残っています。

    未完成でありながらも聖域周りの天井にはフレスコ画が描かれた痕が残っています。

  • 周囲は未完成でも聖域の中の座像はほぼ完成されているようです。入り口からまっすぐ掘り進んで、まず最初にこの像を彫り上げた執念のようなものを感じます。

    周囲は未完成でも聖域の中の座像はほぼ完成されているようです。入り口からまっすぐ掘り進んで、まず最初にこの像を彫り上げた執念のようなものを感じます。

  • 司馬遼太郎の著書に「人間の集団について ベトナムから考える」というものがあり、インドシナ半島とは、インドとシナの文化が混在しているのでみて西洋人が名付けたと言っています。さらにシナ的な文化を持つ国の代表はベトナムで、インド的な文化を持っているのはカンボジアとラオスとも言っています。

    司馬遼太郎の著書に「人間の集団について ベトナムから考える」というものがあり、インドシナ半島とは、インドとシナの文化が混在しているのでみて西洋人が名付けたと言っています。さらにシナ的な文化を持つ国の代表はベトナムで、インド的な文化を持っているのはカンボジアとラオスとも言っています。

  • 司馬遼太郎がインドを旅していたらどんな言葉を残したのだろうかと考えてしまいました。アムステルダム空港を離陸した時に「まことに世界は神がつくり給うたが、オランダだけはオランダ人がつくったということが、よくわかる」という言葉を思い出したことがありました。

    司馬遼太郎がインドを旅していたらどんな言葉を残したのだろうかと考えてしまいました。アムステルダム空港を離陸した時に「まことに世界は神がつくり給うたが、オランダだけはオランダ人がつくったということが、よくわかる」という言葉を思い出したことがありました。

  • 剥落の激しい壁画はまるで初期キリスト教のフレスコ画のようにも見えてきます。

    剥落の激しい壁画はまるで初期キリスト教のフレスコ画のようにも見えてきます。

  • 「第24窟」第は「第21窟」と似たレイアウトになっていますが未完成のまま放置されています。石窟としての大きさははるかに大きく、「第4窟」に次ぐ2番目に大きなホール(29.3m×29.3m)を持っています。

    「第24窟」第は「第21窟」と似たレイアウトになっていますが未完成のまま放置されています。石窟としての大きさははるかに大きく、「第4窟」に次ぐ2番目に大きなホール(29.3m×29.3m)を持っています。

  • 「第24窟」は複数の作業が並行して目的を達成したことを示すため、学術的研究にとって重要な場所とされています。側面の僧房の建設は側廊が掘られるとすぐに、メインホールと聖域が建設中である間に始まっているようです。

    「第24窟」は複数の作業が並行して目的を達成したことを示すため、学術的研究にとって重要な場所とされています。側面の僧房の建設は側廊が掘られるとすぐに、メインホールと聖域が建設中である間に始まっているようです。

  • 再有的にフラットな床となる部分は天井を仕上げるための足場にもなったのかもしれません。床がこの状態でも天井はほぼフラットな形になっています。「第24窟」の建設は西暦467年に計画され、ブッダバドラの支援を受けて西暦475年に開始されましたが、寄進者であったハリセナ王の死により477年に突然終了しました。

    再有的にフラットな床となる部分は天井を仕上げるための足場にもなったのかもしれません。床がこの状態でも天井はほぼフラットな形になっています。「第24窟」の建設は西暦467年に計画され、ブッダバドラの支援を受けて西暦475年に開始されましたが、寄進者であったハリセナ王の死により477年に突然終了しました。

  •  アジャンター遺跡の柱の中でも複雑な柱頭の1つがあるという点で重要であり、石窟内の岩を扱う際に職人がどのように優れ、継続的に技術を洗練させたかを見ることが出来ます。

    アジャンター遺跡の柱の中でも複雑な柱頭の1つがあるという点で重要であり、石窟内の岩を扱う際に職人がどのように優れ、継続的に技術を洗練させたかを見ることが出来ます。

  • 「第26窟」は「第19窟」と平面レイアウトが似ているチャイティヤグリハと呼ばれる礼拝堂の形状となっています。精舎のデザインの要素を持ち、残された碑文には僧侶のブッダバドラとアスマカの王に仕える彼の友人である大臣がこの広大な石窟寺院を寄進したと書かれています。

    「第26窟」は「第19窟」と平面レイアウトが似ているチャイティヤグリハと呼ばれる礼拝堂の形状となっています。精舎のデザインの要素を持ち、残された碑文には僧侶のブッダバドラとアスマカの王に仕える彼の友人である大臣がこの広大な石窟寺院を寄進したと書かれています。

  • 石の彫刻が壁の絵画よりもはるかに長持ちすると信じていたようで、「第26洞窟」では建築者が絵画ではなく彫刻に焦点を当てた可能性があります。発掘された最後の洞窟の1つであり、碑文には5世紀後半または6世紀初頭に造られたの記されています。

    石の彫刻が壁の絵画よりもはるかに長持ちすると信じていたようで、「第26洞窟」では建築者が絵画ではなく彫刻に焦点を当てた可能性があります。発掘された最後の洞窟の1つであり、碑文には5世紀後半または6世紀初頭に造られたの記されています。

  • ファサードの明り取りの窓の左右は細かい彫刻で埋め尽くされています。

    ファサードの明り取りの窓の左右は細かい彫刻で埋め尽くされています。

  • ここではどこかの国の仏教徒の方々が祈りを捧げていました。石窟にひびく読経の声が時間を千数百年遡らせているように感じます。

    ここではどこかの国の仏教徒の方々が祈りを捧げていました。石窟にひびく読経の声が時間を千数百年遡らせているように感じます。

  • 洞窟は、周回(プラディクシャナ)のための側廊を備えた後陣ホールで構成されています。この道は、彫刻された仏教の伝説、通路の右側にあるシュラヴァスティの奇跡の3つの描写、そしてさまざまなムドラーに座っている仏陀でいっぱいです。これらの多くは、後に帰依者によって付け加えられたものであり、それゆえ、当初の計画者の目的を邪魔するものです。

    洞窟は、周回(プラディクシャナ)のための側廊を備えた後陣ホールで構成されています。この道は、彫刻された仏教の伝説、通路の右側にあるシュラヴァスティの奇跡の3つの描写、そしてさまざまなムドラーに座っている仏陀でいっぱいです。これらの多くは、後に帰依者によって付け加えられたものであり、それゆえ、当初の計画者の目的を邪魔するものです。

  • 仏塔の上部には大乗宇宙論における9つのサンサーラ(輪廻転生)、天国の象徴である9層のハルミカ(四角い基部)があり、仏教をテーマにした彫刻が施されています。周囲の長押の部分には三尊形式の仏像で埋め尽くされています。

    仏塔の上部には大乗宇宙論における9つのサンサーラ(輪廻転生)、天国の象徴である9層のハルミカ(四角い基部)があり、仏教をテーマにした彫刻が施されています。周囲の長押の部分には三尊形式の仏像で埋め尽くされています。

  • 通路の右側には「シュラヴァスティの奇跡」の3つの描写の彫刻からスタートします。シュラーヴァスティ(舎衛城)において釈迦が非仏教徒の6人の導師たち(外道の六師)を奇跡を起こして打ち負かしたという物語です。

    通路の右側には「シュラヴァスティの奇跡」の3つの描写の彫刻からスタートします。シュラーヴァスティ(舎衛城)において釈迦が非仏教徒の6人の導師たち(外道の六師)を奇跡を起こして打ち負かしたという物語です。

  • そこから先は脇侍と飛天という三尊像が壁面を埋め尽くしています。

    そこから先は脇侍と飛天という三尊像が壁面を埋め尽くしています。

  • 基本的な構成は同じですが、ムドラ―と呼ばれる印相の形がそれぞれ違っています。もちろん手首から先が欠損して読み取れないものも数多くあります。

    基本的な構成は同じですが、ムドラ―と呼ばれる印相の形がそれぞれ違っています。もちろん手首から先が欠損して読み取れないものも数多くあります。

  • ダルマ・チャクラとも呼ばれる「転法輪印(てんぽうりんいん)」は釈迦如来の印相の1つで、両手を胸の高さまで上げて親指と他の指の先を合わせて輪を作ります。

    ダルマ・チャクラとも呼ばれる「転法輪印(てんぽうりんいん)」は釈迦如来の印相の1つで、両手を胸の高さまで上げて親指と他の指の先を合わせて輪を作ります。

  • 手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」ともいいます。「転法輪」(法輪を転ずる)とは「真理を説く」ことの比喩です。

    手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」ともいいます。「転法輪」(法輪を転ずる)とは「真理を説く」ことの比喩です。

  • 1つ1つを見比べていくと別々の仏師が彫っているのではないかと思えてきます。かなり高度な分業制があったのではないかと感じられます。

    1つ1つを見比べていくと別々の仏師が彫っているのではないかと思えてきます。かなり高度な分業制があったのではないかと感じられます。

  • 仏や菩薩が座っている台座は「蓮華座」といいます。蓮華は仏教において象徴的な意味を持つもので、仏像は蓮の花の上に座っていたり、脇に蓮の葉が添えらえれていることが多いです。

    仏や菩薩が座っている台座は「蓮華座」といいます。蓮華は仏教において象徴的な意味を持つもので、仏像は蓮の花の上に座っていたり、脇に蓮の葉が添えらえれていることが多いです。

  • 「南無妙法蓮華経」にも「蓮華」が入っています。「南無」は「帰依します」という意味で、妙蓮華教は、世の中の真理を蓮の花に例えて説いた教えです。

    「南無妙法蓮華経」にも「蓮華」が入っています。「南無」は「帰依します」という意味で、妙蓮華教は、世の中の真理を蓮の花に例えて説いた教えです。

  • 蓮の花は泥の中で茎をのばしながら育ち、そして綺麗な花を咲かせます。蓮の花のように清浄と不浄が混沌と存在する世の中から悟りを見出すことを教えとしています。

    蓮の花は泥の中で茎をのばしながら育ち、そして綺麗な花を咲かせます。蓮の花のように清浄と不浄が混沌と存在する世の中から悟りを見出すことを教えとしています。

  • ここまで立像も数多く見てきましたが、スコータイへ行ったときに数多く見てきた「遊行仏」を連想させるような姿です。

    ここまで立像も数多く見てきましたが、スコータイへ行ったときに数多く見てきた「遊行仏」を連想させるような姿です。

  • 軽やかに片足を踏み出して歩みを進める仏陀の姿は、亡くなった母のマーヤー夫人に説法するために三十三天に昇った仏陀が、地上へ降りてくる場面をあらわすとも考えられています。

    軽やかに片足を踏み出して歩みを進める仏陀の姿は、亡くなった母のマーヤー夫人に説法するために三十三天に昇った仏陀が、地上へ降りてくる場面をあらわすとも考えられています。

  • 堂の一番奥まで歩いてきました。ここが一番読経の声が響くように感じます。普段は熱心な仏教徒ではありませんが、読経の声には惹かれるものがあります。若い頃に父と2人で東大寺二月堂の修二会に行き、深夜の堂内で「韃靼の行法」を見る機会があったことを思い出しました。

    堂の一番奥まで歩いてきました。ここが一番読経の声が響くように感じます。普段は熱心な仏教徒ではありませんが、読経の声には惹かれるものがあります。若い頃に父と2人で東大寺二月堂の修二会に行き、深夜の堂内で「韃靼の行法」を見る機会があったことを思い出しました。

  • 拝殿の彫刻が施されたストゥーパ(仏塔)には36枚の彫刻が施されたパネルがあります。仏舎利塔は正面に仏陀の像、基部に18枚のパネル、その上に18枚のパネル、その上に3段のトーラナがあり、アンダ(半球状の卵)の仏塔にはアプサラが刻まれていました。

    拝殿の彫刻が施されたストゥーパ(仏塔)には36枚の彫刻が施されたパネルがあります。仏舎利塔は正面に仏陀の像、基部に18枚のパネル、その上に18枚のパネル、その上に3段のトーラナがあり、アンダ(半球状の卵)の仏塔にはアプサラが刻まれていました。

  • 本当はストゥーパの正面から写真を撮りたかったのですが、読経を上げている人たちの前に立つことははばかられました。

    本当はストゥーパの正面から写真を撮りたかったのですが、読経を上げている人たちの前に立つことははばかられました。

  • 回廊の左半分で同じような仏像彫刻は終わりになります。

    回廊の左半分で同じような仏像彫刻は終わりになります。

  • その先は似てはいますが、ちゃんと物語の一場面になっています。これは「仏陀の誘惑」で、足元に彫られたマーラの娘たちが誘惑しようとしています。右上にマーラの姿も見えます。

    その先は似てはいますが、ちゃんと物語の一場面になっています。これは「仏陀の誘惑」で、足元に彫られたマーラの娘たちが誘惑しようとしています。右上にマーラの姿も見えます。

  • 「マーラの誘惑」<br />煩悩の化身であるマーラにとって釈迦が悟りを開くことは自身の破滅につながります。そこで手始めに釈迦のもとに美しい娘たち3人を送り込みますが、釈迦は数々の誘惑に屈しません。続いてマーラは恐ろしい形相の怪物たちに釈迦を襲わせますが、なぜか釈迦に近づくことはできません。

    「マーラの誘惑」
    煩悩の化身であるマーラにとって釈迦が悟りを開くことは自身の破滅につながります。そこで手始めに釈迦のもとに美しい娘たち3人を送り込みますが、釈迦は数々の誘惑に屈しません。続いてマーラは恐ろしい形相の怪物たちに釈迦を襲わせますが、なぜか釈迦に近づくことはできません。

  • 岩石やありとあらゆる武器を降らせ、周囲を暗闇に覆っても釈迦は動じず、最後はマーラが巨大な円盤を振りかざして向かっていきますが、円盤は花輪になってしまいます。こうしてマーラは敗北を認めて、釈迦は悟りを開きました。

    岩石やありとあらゆる武器を降らせ、周囲を暗闇に覆っても釈迦は動じず、最後はマーラが巨大な円盤を振りかざして向かっていきますが、円盤は花輪になってしまいます。こうしてマーラは敗北を認めて、釈迦は悟りを開きました。

  • 壁に彫られた仏陀のマハーパリニルヴァーナとも呼ばれる涅槃仏です。回廊の柱があるので全体像を正面から写真に撮ることは出来ません。タイのバンコックなどの涅槃物では足の裏を見ることが出来ますが、ここでは見ることは出来ません。

    壁に彫られた仏陀のマハーパリニルヴァーナとも呼ばれる涅槃仏です。回廊の柱があるので全体像を正面から写真に撮ることは出来ません。タイのバンコックなどの涅槃物では足の裏を見ることが出来ますが、ここでは見ることは出来ません。

  • 足の裏には宇宙観を示す文様などが描かれているのですが、これを「三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)」といい、仏の外形的な特徴を表しています。

    足の裏には宇宙観を示す文様などが描かれているのですが、これを「三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)」といい、仏の外形的な特徴を表しています。

  • 1.足下安平立相(そくげあんぴょうりゅうそう)<br />足の裏が平らで、地を歩くとき足裏と地と密着して、その間に髪の毛ほどの隙もない(扁平足)。<br />2。足下二輪相(そくげにりんそう)<br />足裏に輪形の相(千輻輪)が現れている。仏足石はこれを表したもの。<br />長指相(ちょうしそう)<br />3.10本の手指(もしくは手足指)が長くて繊細なこと。<br />などの特徴があります。

    1.足下安平立相(そくげあんぴょうりゅうそう)
    足の裏が平らで、地を歩くとき足裏と地と密着して、その間に髪の毛ほどの隙もない(扁平足)。
    2。足下二輪相(そくげにりんそう)
    足裏に輪形の相(千輻輪)が現れている。仏足石はこれを表したもの。
    長指相(ちょうしそう)
    3.10本の手指(もしくは手足指)が長くて繊細なこと。
    などの特徴があります。

  • 最後は駆け足のようになってしまいましたが、3時間でアジャンターのほとんどの石窟寺院を見ることが出来ました。これで今回の旅の1/3は達成されたようなものです。

    最後は駆け足のようになってしまいましたが、3時間でアジャンターのほとんどの石窟寺院を見ることが出来ました。これで今回の旅の1/3は達成されたようなものです。

  • 早めに集合場所まで戻って休憩することにします。

    早めに集合場所まで戻って休憩することにします。

  • 多少時間があったので、主だった石窟のいくつかを見直そうと思いましたが、さすがに疲れました。人が多くて写真が撮れなかった石窟寺院のファサードもありましたが、戻る元気もありません。

    多少時間があったので、主だった石窟のいくつかを見直そうと思いましたが、さすがに疲れました。人が多くて写真が撮れなかった石窟寺院のファサードもありましたが、戻る元気もありません。

  • 妻もこの通りです。でもよく3時間も泣き言も言わずに頑張ってくれました。

    妻もこの通りです。でもよく3時間も泣き言も言わずに頑張ってくれました。

  • 暑いしお腹もペコペコです。持ってきた水稲の冷たいミネラルウォーターもすでに空っぽです。

    暑いしお腹もペコペコです。持ってきた水稲の冷たいミネラルウォーターもすでに空っぽです。

  • アジャンターとエローラの遺跡を知ったのは30年以上前に事で、いつか来たいと思った願いが叶った日でもありました。翌日のエローラ遺跡も楽しみですし、最終日のエレファント島にも行かなければなりません。

    アジャンターとエローラの遺跡を知ったのは30年以上前に事で、いつか来たいと思った願いが叶った日でもありました。翌日のエローラ遺跡も楽しみですし、最終日のエレファント島にも行かなければなりません。

  • 頑張ったとほめたばかりなので、椅子を拝むのはやめなさい。頑張ったから今晩もSPAに行かせてあげます。

    頑張ったとほめたばかりなので、椅子を拝むのはやめなさい。頑張ったから今晩もSPAに行かせてあげます。

  • 峡谷に架かった鉄製の橋を渡りますが、川筋は枯れ果てて水は全くありませんでした。最後に遺跡の全景を眺めます。

    峡谷に架かった鉄製の橋を渡りますが、川筋は枯れ果てて水は全くありませんでした。最後に遺跡の全景を眺めます。

  • ようやくバス乗り場に戻ってきました。

    ようやくバス乗り場に戻ってきました。

  • 猿も日差しは厚いようで、「ハヌマンラングール」が日影で休んでいました。遺跡の禁止事項に猿に触らないと書かれてありますが、手を伸ばす観光客がいました。野生の猿によく手を伸ばせるなと思います。

    猿も日差しは厚いようで、「ハヌマンラングール」が日影で休んでいました。遺跡の禁止事項に猿に触らないと書かれてありますが、手を伸ばす観光客がいました。野生の猿によく手を伸ばせるなと思います。

  • 1頭もしくは少数のオスと、数十頭のメスや幼獣からなる中規模な群れを形成しますが、若いオスが群れのボスを追い出すとその群れの子供を殺す行為が確認された最初の猿でもあります。そう考えると人間と同じくらい危険だということになるのかもしれません。

    1頭もしくは少数のオスと、数十頭のメスや幼獣からなる中規模な群れを形成しますが、若いオスが群れのボスを追い出すとその群れの子供を殺す行為が確認された最初の猿でもあります。そう考えると人間と同じくらい危険だということになるのかもしれません。

  • ようやくバスまで戻ってきました。これで鈴良くなると思ったのですが。

    ようやくバスまで戻ってきました。これで鈴良くなると思ったのですが。

  • バスは古いタイプのノンエアコンバスでした。窓を全開にしても暑いです。

    バスは古いタイプのノンエアコンバスでした。窓を全開にしても暑いです。

  • こんな抗力とした山の中にアジャンターの遺跡があるとは思えません。

    こんな抗力とした山の中にアジャンターの遺跡があるとは思えません。

  • ノンエアコンバスは乗車賃が25ルピーなので50円弱です。エアコンバスは少し高くて30ルピーの60円ほどです。たった10円ならエアコンバスに乗りたいものです。

    ノンエアコンバスは乗車賃が25ルピーなので50円弱です。エアコンバスは少し高くて30ルピーの60円ほどです。たった10円ならエアコンバスに乗りたいものです。

  • 昔上海駅から蘇州駅まで1等車に乗ったら紺のベルベットに白いレースのカバーが掛かった席でした。帰りは3等車に乗ってみたら木製のベンチシートに3人掛けで超満員でした。たった4元の差で、その当時のレートで50円の違いでした。そんな旅のことを思い出しました。歳を取ったら値段の安さよりも快適さです。<br />

    昔上海駅から蘇州駅まで1等車に乗ったら紺のベルベットに白いレースのカバーが掛かった席でした。帰りは3等車に乗ってみたら木製のベンチシートに3人掛けで超満員でした。たった4元の差で、その当時のレートで50円の違いでした。そんな旅のことを思い出しました。歳を取ったら値段の安さよりも快適さです。

  • 入口まで戻ってお土産買いを抜けてようやくエアコンの効いたバスに戻れました。クーラーボックスに入れてあった冷たい水の美味しいこと。ようやくお昼が食べられます。

    入口まで戻ってお土産買いを抜けてようやくエアコンの効いたバスに戻れました。クーラーボックスに入れてあった冷たい水の美味しいこと。ようやくお昼が食べられます。

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