2019/09/30 - 2019/09/30
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jijidarumaさん
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(2021年6月11日、2019年9月の旅の写真を新たに追加し更新した)
シュパンゲンベルクのマルクト広場には1902年にHeinrich Salzmannハインリヒ・ザルツマン(企業家、1928年シュパンゲンベルク市の名誉市民)が建立した泉、リーベンバッハ記念碑がある。
この記念碑は相思相愛の中であったクノーとエルゼの伝説の死の場面を表しているそうです。
中世、シュパンゲンベルクの村は慢性的に水不足であったと云う。
写真は市庁舎前広場にあるLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川)記念碑・・・相思相愛のクノーとエリゼの二人の像
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「Liebenbachdenkmalリーベンバッハ記念碑」のLiebeは愛、恋人の意味で、Bachは小川、渓流の意味ですから、Liebenbachリーベンバッハは“恋人たちの小川”とでも言ったら良いのでしょうか。
クノーとエルゼの相思相愛の伝説はグリム童話(後述)No.106にも掲載されています。
写真はWappen_Spangenberg_(Hessen)シュパンゲンベルク(ヘッセン)の紋章 -
≪シュパンゲンベルグ:Die Sage von Kuno und Elseクノーとエルゼの伝説≫
昔々、シュパンゲンベルクの村に、職人の徒弟として働く若者と裕福な家の娘がいました。この若い二人は何年も前から、恋仲でした。
職人の徒弟の名前はクノー、若い娘はエルゼと言い、二人はお互いにとても愛し合っていたので、結婚するつもりでした。しかし、娘の両親は金持ちで、資産もあり、両親は若い恋人たちの結婚を認めておらず、自分たちの娘は然るべき裕福な男性との結婚を望んでいました。
それでも二人の意志も強く、ついに娘の両親は結婚式を行う事に同意した。但し、其れには一つの条件があると言ったのです。
「Bromsbergブロムスベルク(町の反対側の)山から澄んだ泉の水を村まで導いて、常に新鮮で良質な水を飲ませてくれたら・・・。お前たちは結婚して良いのだよ」と。
写真は1655年、マテウス・メーリアンの版画に描かれたシュパンゲンベルク -
当時、シュパンゲンベルクの村は良質の飲料水が慢性的に不足していました。
そう言われた若い二人クノーとエルゼはすぐに泉の水をひく作業にかかり、掘り始めたのです。クノーとエルゼは一心不乱に掘り下げていきました。
二人の努力は40年も続き、ついに泉の水は村まで届いたのです。
村人たちはこの事を大いに喜び、二人の努力を称え、教会へと(結婚式に臨む二人を)厳粛に迎えられました。
なんと悲しいことに教会内に導かれたとき、クノーとエルゼはお互いの腕の中に崩れ落ちて、そしてそのまま床に倒れ、息絶えてしまったそうです。
シュパンゲンベルクの人々はクノーとエルゼのことをたいへん悲しみ嘆き、愛と誠実(節操)を示した二人が掘った小川をリーベンバッハ“恋人たちの小川”と呼びました。
このリーベンバッハ川をのちに以下のように伝えています。
「この小川、リーベンバッハの水を飲む全ての人は、きっとまたシュパンゲンベルクを訪れ、この地にずっと留まりたいと思うようになるでしょう」と。
-Kurt Knierimクルト・クニエリム:Magistrat市参事会員
Kleinstadtgeschichte und Kleinstadtgeschichten、Nachfolgend eine Version der Sage im Wortlaut. 小さな町の歴史と小さな町の物語・伝説について-
・・・・・
写真はSpangenberg:Bromsbergブロムスベルクからの眺望 -
(記念碑の歴史など)
シュパンゲンベルクのリーベンバッハ記念碑は相思相愛の中であったクノーとエルゼの伝説の死の場面を表しているそうです。
この伝説はシュパンゲンベルクとその周辺で広く流布されています。
幾人かの作家は、このリーベンバッハ伝説について其々独自のバージョンを書いています, その中で最も有名なのは1909年のKarl Engelhardカール・エンゲルハルト(1879年~1914年)のものです。
カール・エンゲルハルト以前では、有名なBrueder Grimmグリム兄弟(ヤーコプとヴィルヘルム)のグリム童話(初版156篇1812年~1815年)に、そしてHeinrich Bertelmannハインリッヒ・ベルテルマン(1827年~1887年)が題材にしました。
写真はシュパンゲンベルク:市庁舎とマルクト広場 -
また、Heinrich Salzmannハインリヒ・ザルツマンが建立したリーベンバッハ記念碑の発足に向けて、Karl Goepfartカール・ゲップファート(1859年~1842年)により作曲されたオペレッタ(Singspiel軽歌劇)・Die Liebesquelle zu Spangenberg(シュパンゲンベルクへの愛の源泉)は、Alberta von Freydorffアルベルタ・フレイドルフの台本で1902年にシュパンゲンベルクで初演された。
写真はシュパンゲンベルク:市庁舎前広場にあるLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川)記念碑の裏側には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。 -
さらに、1309年にHaus Treffurtトレフフルト家によりシュパンゲンベルクは都市権が授けられているが、町は600周年祭(1909年)、650周年祭(1959年)、700周年祭(2009年)という周年祝を行い、その都度、オペレッタ(シュパンゲンベルクへの愛の源泉)が公演された。
勿論、特別な機会ではない他の年にも公演されている。
写真はシュパンゲンベルク:傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。 -
尚、グリム童話にこの伝説は採集されているが、クノーとエルゼの名はない。
【グリム童話・番号106:Der Liebenbachリーベンバッハ】
(Jakob und Wilhelm Grimmヤコブとヴィルヘルム・グリム)
ヘッセン州のシュパンゲンベルクの町は、町の反対側の山にある良質の水が湧き出る源泉から流れ出る小川を通して、彼らの飲料水を確保していました。
この小川の由来について、次のように伝承されています。
写真はシュパンゲンベルク:市庁舎前広場の木組みの家並みとリーベンバッハ(恋人たちの小川)記念碑(右下) -
「昔々、シュパンゲンベルクの村に住んでいた、若い二人は相思相愛の仲でした。所が、両親は長い間、二人の結婚を認めませんでした。
それでも二人の意志も強く、ついに両親は、“もし恋人たち二人が村の反対側の山から良質で、新鮮な水を得られることができたならば、二人の結婚を祝ってあげよう“という条件を出したのです。これができたら、不足がちであった村の飲料水が確保できるからでした。
それから恋人たち二人は小川を掘り始め、間断なく働きました。そうして、二人は40年もの間、小川を掘ったのでした。しかし、二人が小川を遂に掘り終えたとき、二人とも同時に息絶えてしまったそうです。」
・・・・・・・・・
(2019年8月14日訳・編集)
写真はシュパンゲンベルク:木組みの家の軒先Burgsitz_3 -
写真はシュパンゲンベルク:木組みの家並みBurgstrasse_2
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ドイツ16年ぶりの再訪(2001年5月3日-5月14日:12日間)
*ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街道を巡る旅*
2001年5月4日(金)
フルダからA7・4・B27・83・487とフルダ川に沿って、北上する。Stoelzinger Gebirgeシュトルジンガー山岳地方の新緑の山間を走ると、忽然とその城は目に飛び込んできた。ヘッセン州地方はドイツの中部にあたるが、この地方には12、3世紀の中世を具現する古城が多い。なかでも名高いのは小高い丘の上にそびえるSchloss Spangenbergシュパンゲンベルグ城である。
137kmを走って、漸く15:55に城門下の駐車場に車を停める。殆ど人の姿を見ない坂道を300m歩いて行くと城門があり、更に進むと王冠をかぶった様な、赤レンガ色の屋根の城があった。昔は跳ね橋であったろうが、今はしっかりと固定された橋を渡り、城内に至る。城は十数mの深い空堀をめぐらし、城の正面入り口の上部にはいくつかの尖塔を持つ天守閣が築かれていて、重々しい趣むきがある。周囲をレンガで築かれた城館が取り巻いている。丘の上だけに深さ120mの井戸が掘られたと云う。
城の高台から見える周囲の町の風景は春まだ浅き感じだ。その新緑の中に、赤レンガ屋根の木組み建築の家並みが続いて、際立って美しい。ドイツの古城の春を実感する。
写真はHotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルグ城の標識 -
<Hotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルグ城>
D-34286 Spangenberg 、Zum Schloss 1
TEL:49(0)5663-93980 FAX:5663-7567
http://www.schloss-spangenberg.de
<お茶:Hotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルグ城>
15:55~16:30 DM 28・現金
本日は昼食に予定していたが遅め遅めの動きになり、お茶の時間になってしまった。昼食時を外れた所為か、殆どお客のいないレストランで、久しぶりのドイツのチーズケーキを頂く。実に美味しい!!
写真は山頂のHotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルグ城 -
古城ホテル シュパンゲンベルグ城について:
4星・全50室。フランクフルト空港より190km。カッセルまで43km、シューベルトの“菩提樹”のモチーフとなった菩提樹の残る町、バート・ゾーデン・アレンドルフも車で東に1時間と近い。
この城は1214年に騎士領主の居城として築城された。後にフランクフルトやマインツからLeipzigライプツィヒまでの交易路が通ることになってから、この城の重要性が増し、1350年にはヘッセン大公の所有となり、歴代大公の狩猟の館として、200年に渡り利用された。
その後、18世紀に城は仏軍に一時期占領され、普仏戦争、第二次大戦でも捕虜収容所に転用された。1945年4月に空爆による大きな被害を受けたが、1950年に再建され、1978年以降ヘッセン州所有のホテル・カフェ・レストランに大きく変わった。郷土料理が中心で、秋には鹿や猪などの鳥獣の得意料理を出す。
写真は山頂のHotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルグ城 -
2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木) 16日間
9月30日(月) 199km 、朝は晴れ、のち曇り時に小雨、11℃~13℃
再訪したこの町は小さいながらも古城ホテルと相思相愛の像(伝説)で知られている。
写真はHotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルク城:いくつかの尖塔を持つ天守閣が中心に -
写真はHotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルク城:十数メートルの深い空堀と橋
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写真はHotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルク城:中庭
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