テレルジ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
七転八倒の夜が明け、結局一睡もできませんでしたが、原因が取り除かれてしまうと気分は爽快です。「東横イン」の朝食は1階のロビーの脇にあるイスとテーブルの置かれただけの飲食スペースです。一番奥にある厨房の表に料理屋飲み物が並んでいますが、かなり質素なイメージです。特にまずいわけではないのですが、白飯だけは日本人の口には合わないと思います。妻は事前にネットで調べていたので「ごはんですよ」などを持ってきていました。メニューはメインお料理とスープは日替わりですが、それ以外は毎日ほぼ変わらないようです。トラピックス社の案内では毎日の出発は午前8時になっていますが、この時間のウランバートル市内はものすごい交通渋滞で市内を抜けるのに2時間くらいかかります。実際郊外から戻ってくる場合の夕方は同じような状態になりました。ということで出発は9時30分になりました。空港から乗ってきた同じバスで5日間移動しますが、40人乗りに対して20人なので1人2席利用でき、長距離の移動なのでこれは助かりました。ツアー2日目はまず市内を東に抜けて「テレルジ国立公園」に向かいます。市内を抜けたバスは雪の腹の中を走り、並走するシベリア鉄道の中国とモンゴル間の路線では長大な貨物列車を見ることも出来ました。ウランバートルまで来る前に想像していた緑の草原はすでに幻想と消え去りましたが、薄く雪の積もった草原は逆に凄みのある風景でした。市内を抜けたところで一度「SANSAR」という巨大なスーパーマーケットで取り休憩になりました。ガイドさんが20分ほど時間を作ってくれたので店での買い物も出来ました。この先買い物の時間が割けるか分からないのでここで友人へのお土産は全部済ませてしまいました。ツアーの方々に「すごい量ですね。」と言われましたがここで買っておいたのは正解でした。トラピックス社のスケジュール表でもホテルのへの戻りは午後9時でしたが、出発が遅くなる分遅くなりスーパーなどで買い物などできる時間ではありません。町を抜けると「ゲル地区」と呼ばれるところを抜けていきますが、ウランバートルの中でも貧富の格差を感じる場所でした。さらに郊外へ出ると今度は羊や馬や牛の姿が見えてきます。基本的にはこれらの動物の移動が優先なので、バスは徐行したり停車したりします。そんな風景を走っていると車窓の左側に巨大なチンギス・ハーンの後ろ姿が見えてきます。少し吹雪いた雪景色の中から現れるその姿は荘厳でもありました。ここで90分ほどの観光になります。まずはエレベーターと階段で騎馬像の上まで登ります。ちょうど馬のたてがみの辺りが階段になっていて、振り返ると巨大なチンギス・ハーンの階と対峙することになります。その後は地下にある博物館の見学になりますが、ここではガイドさんが説明してくれるのでとても勉強になりました。時間はすでに午後1時30分を過ぎています。お腹も減ってきたの気持ちはお昼ご飯へと移っていきます。

トラピックス This is モンゴル5日間(2)ウランバートルから雪原を越えてエレディネ村のチンギス・ハーン騎馬像を目指す。

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2023/10/31 - 2023/10/31

32位(同エリア104件中)

旅行記グループ 2023 モンゴルの旅

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kojikoji

kojikojiさん

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七転八倒の夜が明け、結局一睡もできませんでしたが、原因が取り除かれてしまうと気分は爽快です。「東横イン」の朝食は1階のロビーの脇にあるイスとテーブルの置かれただけの飲食スペースです。一番奥にある厨房の表に料理屋飲み物が並んでいますが、かなり質素なイメージです。特にまずいわけではないのですが、白飯だけは日本人の口には合わないと思います。妻は事前にネットで調べていたので「ごはんですよ」などを持ってきていました。メニューはメインお料理とスープは日替わりですが、それ以外は毎日ほぼ変わらないようです。トラピックス社の案内では毎日の出発は午前8時になっていますが、この時間のウランバートル市内はものすごい交通渋滞で市内を抜けるのに2時間くらいかかります。実際郊外から戻ってくる場合の夕方は同じような状態になりました。ということで出発は9時30分になりました。空港から乗ってきた同じバスで5日間移動しますが、40人乗りに対して20人なので1人2席利用でき、長距離の移動なのでこれは助かりました。ツアー2日目はまず市内を東に抜けて「テレルジ国立公園」に向かいます。市内を抜けたバスは雪の腹の中を走り、並走するシベリア鉄道の中国とモンゴル間の路線では長大な貨物列車を見ることも出来ました。ウランバートルまで来る前に想像していた緑の草原はすでに幻想と消え去りましたが、薄く雪の積もった草原は逆に凄みのある風景でした。市内を抜けたところで一度「SANSAR」という巨大なスーパーマーケットで取り休憩になりました。ガイドさんが20分ほど時間を作ってくれたので店での買い物も出来ました。この先買い物の時間が割けるか分からないのでここで友人へのお土産は全部済ませてしまいました。ツアーの方々に「すごい量ですね。」と言われましたがここで買っておいたのは正解でした。トラピックス社のスケジュール表でもホテルのへの戻りは午後9時でしたが、出発が遅くなる分遅くなりスーパーなどで買い物などできる時間ではありません。町を抜けると「ゲル地区」と呼ばれるところを抜けていきますが、ウランバートルの中でも貧富の格差を感じる場所でした。さらに郊外へ出ると今度は羊や馬や牛の姿が見えてきます。基本的にはこれらの動物の移動が優先なので、バスは徐行したり停車したりします。そんな風景を走っていると車窓の左側に巨大なチンギス・ハーンの後ろ姿が見えてきます。少し吹雪いた雪景色の中から現れるその姿は荘厳でもありました。ここで90分ほどの観光になります。まずはエレベーターと階段で騎馬像の上まで登ります。ちょうど馬のたてがみの辺りが階段になっていて、振り返ると巨大なチンギス・ハーンの階と対峙することになります。その後は地下にある博物館の見学になりますが、ここではガイドさんが説明してくれるのでとても勉強になりました。時間はすでに午後1時30分を過ぎています。お腹も減ってきたの気持ちはお昼ご飯へと移っていきます。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩
航空会社
ミアットモンゴル航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • 悪夢のような夜が明けました。6時間七転八倒しましたが、原因が取り除かれてしまえば普段と変わらない体調に戻ります。3度目の尿管結石は自力で治しましたが、帰国したら病院でエコー検査しようと誓います。

    悪夢のような夜が明けました。6時間七転八倒しましたが、原因が取り除かれてしまえば普段と変わらない体調に戻ります。3度目の尿管結石は自力で治しましたが、帰国したら病院でエコー検査しようと誓います。

    東横イン ウランバートル ホテル

  • 今回は6階の部屋でしたが、ツアーの方々の部屋はバラバラで、上層階の部屋だと景色が良いようで、ビル越しに日の出が見えるようです。

    今回は6階の部屋でしたが、ツアーの方々の部屋はバラバラで、上層階の部屋だと景色が良いようで、ビル越しに日の出が見えるようです。

  • ツアー2日目の朝ご飯です。何となく食堂のようなホテルのレストランです。

    ツアー2日目の朝ご飯です。何となく食堂のようなホテルのレストランです。

  • スープとメインの1品は日替わりで、同じ具材を使っています。この日はチキンの辛い料理だったので、スープの具材もチキンといった具合です。炒り卵とサラダ、ソーセージは定番で、これ以外に茹で卵は毎日一緒です。ジュースとオレンジとアップルが日替わりでした。

    スープとメインの1品は日替わりで、同じ具材を使っています。この日はチキンの辛い料理だったので、スープの具材もチキンといった具合です。炒り卵とサラダ、ソーセージは定番で、これ以外に茹で卵は毎日一緒です。ジュースとオレンジとアップルが日替わりでした。

  • デールというモンゴルの民族衣装を着た男性が道路の中央分離帯の上を歩いていきます。ここだけ時間が何十年もズレているような気がしました。

    デールというモンゴルの民族衣装を着た男性が道路の中央分離帯の上を歩いていきます。ここだけ時間が何十年もズレているような気がしました。

  • 午前9時半にホテルを出発してウランバートル駅の近くからウランバートル市の東へ向かいます。

    午前9時半にホテルを出発してウランバートル駅の近くからウランバートル市の東へ向かいます。

  • REN REBELというサインがあるグラフィティを見ると持っていたモンゴルのイメージと差異を感じます。この後市内でもいくつか見る機会がありましたが、なかなか良いものが多かったです。

    REN REBELというサインがあるグラフィティを見ると持っていたモンゴルのイメージと差異を感じます。この後市内でもいくつか見る機会がありましたが、なかなか良いものが多かったです。

  • ウランバートル市内を南に抜けると途端に風景が変わります。イメージしていた緑の草原はその片鱗も感じられませんが、薄く雪の積もった枯草の草原には凄みを感じます。

    ウランバートル市内を南に抜けると途端に風景が変わります。イメージしていた緑の草原はその片鱗も感じられませんが、薄く雪の積もった枯草の草原には凄みを感じます。

  • 中国方面からモンゴルに向けて石炭を運んでいる貨物列車が並走しています。

    中国方面からモンゴルに向けて石炭を運んでいる貨物列車が並走しています。

  • モンゴルとロシアは旧ソ連圏の国なので鉄道の軌道は広軌1520ミリで、中国は標準軌 1435ミリです。ガイドさんは台車を変えると言っていましたが、貨物車は積み替えを行っているようですが詳しくは分かりません。

    モンゴルとロシアは旧ソ連圏の国なので鉄道の軌道は広軌1520ミリで、中国は標準軌 1435ミリです。ガイドさんは台車を変えると言っていましたが、貨物車は積み替えを行っているようですが詳しくは分かりません。

  • 現在の鉄道網はモンゴルとロシアが50%づつ出資した合弁会社が経営していますが、中国は一帯一路政策のためは新たな鉄道網をモンゴルに敷設しようと考えているようです。その場合は中国の基準に合わせた標準軌道を採用するようです。

    現在の鉄道網はモンゴルとロシアが50%づつ出資した合弁会社が経営していますが、中国は一帯一路政策のためは新たな鉄道網をモンゴルに敷設しようと考えているようです。その場合は中国の基準に合わせた標準軌道を採用するようです。

  • 線路の近くにはボロボロのゲルがありました。煙突から煙が上がっているので人が住んでいることが分かります。ウランバートルでは冬の大気汚染が深刻な恩田になっているようで、その原因の多くは石炭による煤煙だそうです。町中の暖房については火力発電所から送られてくる温水によるセントラルヒーティングだということです。まちなかにはロシアで見掛けるようなパイプを見ることが出来ます。

    線路の近くにはボロボロのゲルがありました。煙突から煙が上がっているので人が住んでいることが分かります。ウランバートルでは冬の大気汚染が深刻な恩田になっているようで、その原因の多くは石炭による煤煙だそうです。町中の暖房については火力発電所から送られてくる温水によるセントラルヒーティングだということです。まちなかにはロシアで見掛けるようなパイプを見ることが出来ます。

  • モンゴルの大きな踏切は現在も係員がいて、列車の通過時には遮断機の操作を行っていました。2000年の正月に上海駅から蘇州駅まで列車に乗ったことがありましたが、真冬の小さな線路の脇にも小さな小屋から係員が出てきて、旗を振っていたのを思い出します。

    モンゴルの大きな踏切は現在も係員がいて、列車の通過時には遮断機の操作を行っていました。2000年の正月に上海駅から蘇州駅まで列車に乗ったことがありましたが、真冬の小さな線路の脇にも小さな小屋から係員が出てきて、旗を振っていたのを思い出します。

  • ウランバートルへ向かう列車の最後尾がまだ見えました。70両細の長さなので、先頭の気動車の姿はもう見えません。

    ウランバートルへ向かう列車の最後尾がまだ見えました。70両細の長さなので、先頭の気動車の姿はもう見えません。

  • モンゴル市の郊外にある「ゲル地区」の多くはソヴィエトに続く世界で2番目の社会主義国家でかつアジア初の社会主義国だった時代が崩壊し、国営企業が倒産した後に、一度は草原に戻った人たちが遊牧の生活になじめずに、再び町の近くへ戻ってきたことによって形成されたようです。ゲルから木造住宅に代わっている家もありますが、市内のマンションや集合住宅に住む人とは生活水準が違うことにより教育の問題なども生じているそうです。

    モンゴル市の郊外にある「ゲル地区」の多くはソヴィエトに続く世界で2番目の社会主義国家でかつアジア初の社会主義国だった時代が崩壊し、国営企業が倒産した後に、一度は草原に戻った人たちが遊牧の生活になじめずに、再び町の近くへ戻ってきたことによって形成されたようです。ゲルから木造住宅に代わっている家もありますが、市内のマンションや集合住宅に住む人とは生活水準が違うことにより教育の問題なども生じているそうです。

  • ウィンドゴル(Tuul Gol)河を渡って南東の方角に進みます。つい先日までは雪は積もっていなかったようですが、前日に成田空港へ到着したミアットモンゴル航空の機体が遅れたのはこの雪のせいでした。

    ウィンドゴル(Tuul Gol)河を渡って南東の方角に進みます。つい先日までは雪は積もっていなかったようですが、前日に成田空港へ到着したミアットモンゴル航空の機体が遅れたのはこの雪のせいでした。

  • 河を渡ってしばらく走ったバヤンズルク地区にある「SANSARスーパーマーケット」でトイレ休憩になりました。添乗員さんがプラス20分ほど時間を造ってくれたのでスーパーで買い物も出来ました。

    河を渡ってしばらく走ったバヤンズルク地区にある「SANSARスーパーマーケット」でトイレ休憩になりました。添乗員さんがプラス20分ほど時間を造ってくれたのでスーパーで買い物も出来ました。

  • ゴールデン・ゴビのチョコレートとウォッカの小瓶、干しヨーグルトの「ホルホイ・アーロール」など友人たちへのお土産をを買い求めます。「ホルホイ・アーロール」は発酵が進んだ乳を加熱し、乳清を取り除いて脱水し、成形して天日に干して作る保存食で、非常に硬く酸味が強い。土産屋などでよく目にするのは砂糖などを加えて甘みをつけ、食べやすく小さく成形したものです。ホイホイとは虫の意味で、見た目は白いイモムシのように見えます。

    ゴールデン・ゴビのチョコレートとウォッカの小瓶、干しヨーグルトの「ホルホイ・アーロール」など友人たちへのお土産をを買い求めます。「ホルホイ・アーロール」は発酵が進んだ乳を加熱し、乳清を取り除いて脱水し、成形して天日に干して作る保存食で、非常に硬く酸味が強い。土産屋などでよく目にするのは砂糖などを加えて甘みをつけ、食べやすく小さく成形したものです。ホイホイとは虫の意味で、見た目は白いイモムシのように見えます。

  • なぜは入り口の脇に佇む子犬がいました。じっと動かず何でこの場所にいるのかは分かりません。飼い犬でもないようでした。

    なぜは入り口の脇に佇む子犬がいました。じっと動かず何でこの場所にいるのかは分かりません。飼い犬でもないようでした。

  • モンゴル人が長く遊牧生活を営んでいたモンゴル高原は清朝によって征服され、藩部に編入されて支配を受けていました。1911年に辛亥革命が起きるとモンゴルでも独立運動が始まり、チベット仏教の高僧ラマを主権者とする国家の独立を宣言しましす。1915年には外モンゴル(高原の北部)は中国の宗主権のもとで自治が認められましたが、南部の中国に接する内モンゴルは中国領に編入されます。

    モンゴル人が長く遊牧生活を営んでいたモンゴル高原は清朝によって征服され、藩部に編入されて支配を受けていました。1911年に辛亥革命が起きるとモンゴルでも独立運動が始まり、チベット仏教の高僧ラマを主権者とする国家の独立を宣言しましす。1915年には外モンゴル(高原の北部)は中国の宗主権のもとで自治が認められましたが、南部の中国に接する内モンゴルは中国領に編入されます。

  • 1917年にロシア革命が起こると社会主義の影響が強まりましたが、中国政府は社会主義の進出を恐れてモンゴルの自治を撤回します。その後ロシア革命に敗れた白軍が侵入してモンゴルを支配しましたが、1921年にスヘバートルやチョイバルサンらが結成したモンゴル人民党はソヴィエト赤軍の支援を受けて外モンゴル人民臨時政府を樹立します。これがモンゴル革命といわれる動きであり、1924年にラマが死去したため、11月にモンゴル人民共和国の成立を宣言しました。これは1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦に次ぐ世界で2番目の社会主義国家の成立です。この時に首都を従来のクーロン(庫倫)という地名からからウランバートル(赤い英雄の意味)に改称しました。

    1917年にロシア革命が起こると社会主義の影響が強まりましたが、中国政府は社会主義の進出を恐れてモンゴルの自治を撤回します。その後ロシア革命に敗れた白軍が侵入してモンゴルを支配しましたが、1921年にスヘバートルやチョイバルサンらが結成したモンゴル人民党はソヴィエト赤軍の支援を受けて外モンゴル人民臨時政府を樹立します。これがモンゴル革命といわれる動きであり、1924年にラマが死去したため、11月にモンゴル人民共和国の成立を宣言しました。これは1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦に次ぐ世界で2番目の社会主義国家の成立です。この時に首都を従来のクーロン(庫倫)という地名からからウランバートル(赤い英雄の意味)に改称しました。

  • その後もソヴィエトとの関係が強く、モンゴル人民革命党はコミンテルンの支部として活動します。1938年から第2次世界大戦後の1952年までは人民義勇軍の将軍チョイバルサンが独裁的な権威を持ちました。このモンゴル人民革命党とチョイバルサンの独裁時代には事実上ソヴィエトの衛星国という状態となり、経済活動の自由や言論の自由が奪われることとなります。

    その後もソヴィエトとの関係が強く、モンゴル人民革命党はコミンテルンの支部として活動します。1938年から第2次世界大戦後の1952年までは人民義勇軍の将軍チョイバルサンが独裁的な権威を持ちました。このモンゴル人民革命党とチョイバルサンの独裁時代には事実上ソヴィエトの衛星国という状態となり、経済活動の自由や言論の自由が奪われることとなります。

  • 国民の多くは遊牧民の生活を禁止され、ソヴィエトのような重工業の発展は起こりませんでしたが、首都のウランバートルでは軽工業の建設と人口の集中が発生し、それ以外の地域では小麦栽培を中心とした大規模農業開拓や牧畜業の集団化及び定住化が起きます。1989年に始まった東欧社会主義圏の激動は1991年のソヴィエトの解体にまで行き着きましたが、モンゴルにもその動きが波及し、翌1992年に社会主義を放棄し、モンゴル人民共和国からモンゴル国となります。

    国民の多くは遊牧民の生活を禁止され、ソヴィエトのような重工業の発展は起こりませんでしたが、首都のウランバートルでは軽工業の建設と人口の集中が発生し、それ以外の地域では小麦栽培を中心とした大規模農業開拓や牧畜業の集団化及び定住化が起きます。1989年に始まった東欧社会主義圏の激動は1991年のソヴィエトの解体にまで行き着きましたが、モンゴルにもその動きが波及し、翌1992年に社会主義を放棄し、モンゴル人民共和国からモンゴル国となります。

  • 国営工場は倒産して行き場を失った人々は再び遊牧民の生活を始めますが、遊牧民の生活になじめない人も多く、再びウランバートルへ戻ることも多かったそうです。社会主義経済から市場経済への移行が出来て成功した人は町中に住め、そうでなった人はまだゲル地区に住み続けているようです。

    国営工場は倒産して行き場を失った人々は再び遊牧民の生活を始めますが、遊牧民の生活になじめない人も多く、再びウランバートルへ戻ることも多かったそうです。社会主義経済から市場経済への移行が出来て成功した人は町中に住め、そうでなった人はまだゲル地区に住み続けているようです。

  • 市内を走る自家用車のほとんどがトヨタ製の車で、ほとんどが中古の輸入車だそうです。寒冷地でも故障が少ないプリウスが人気だと教えてもらいましたが、これは翌日の草原での放牧で驚くべき光景を目にします。カンボジアの自家用車のほぼすべてがトヨタカムリだったことに比べれば車種は多岐にわたっているようです。

    市内を走る自家用車のほとんどがトヨタ製の車で、ほとんどが中古の輸入車だそうです。寒冷地でも故障が少ないプリウスが人気だと教えてもらいましたが、これは翌日の草原での放牧で驚くべき光景を目にします。カンボジアの自家用車のほぼすべてがトヨタカムリだったことに比べれば車種は多岐にわたっているようです。

  • バスは韓国製の中古車が多いとも聞きましたが、本当は日本製が良くても乗降口が逆なのでそのまま使えないことから韓国製が輸入されているそうです。

    バスは韓国製の中古車が多いとも聞きましたが、本当は日本製が良くても乗降口が逆なのでそのまま使えないことから韓国製が輸入されているそうです。

  • 以前ベトナムのハロン湾近くで乗降口と運転席を逆にしてまで使われている京都の市バスを見たことがあります。これが地元の人の観光バスになっていましたが、植物園と京都駅を結ぶ路線を走っていた懐かしい姿を見て、このバスに乗ったことがあるなと思いました。

    以前ベトナムのハロン湾近くで乗降口と運転席を逆にしてまで使われている京都の市バスを見たことがあります。これが地元の人の観光バスになっていましたが、植物園と京都駅を結ぶ路線を走っていた懐かしい姿を見て、このバスに乗ったことがあるなと思いました。

  • 韓国製のバスは凍った道路の上を疾走していきますが、途中で徐行したり停車することがあります。信号は全くないのでその場合は大抵が家畜の道路横断でした。モンゴルの交通法では動物が最優先のようです。

    韓国製のバスは凍った道路の上を疾走していきますが、途中で徐行したり停車することがあります。信号は全くないのでその場合は大抵が家畜の道路横断でした。モンゴルの交通法では動物が最優先のようです。

  • この走っている道路はAH-3だということを夜になってグーグルマップで確認して分かりました。AH-3はアジアハイウェイ3号線のことで、ロシア連邦ウラン・ウデを北の起点として南進します。キャフタ付近でロシア連邦とモンゴル国国境を跨ぎ、ウランバートルを通過してエレンホト付近でモンゴル国と中華人民共和国国境を跨ぎます。

    この走っている道路はAH-3だということを夜になってグーグルマップで確認して分かりました。AH-3はアジアハイウェイ3号線のことで、ロシア連邦ウラン・ウデを北の起点として南進します。キャフタ付近でロシア連邦とモンゴル国国境を跨ぎ、ウランバートルを通過してエレンホト付近でモンゴル国と中華人民共和国国境を跨ぎます。

  • アジアハイウェイは名前の通りアジア32カ国を横断する全長14.1万キロメートル<br />にわたる幹線道路網で、主に既存の道路網を活用し、現代のシルクロードを目指して計画されているものです。

    アジアハイウェイは名前の通りアジア32カ国を横断する全長14.1万キロメートル
    にわたる幹線道路網で、主に既存の道路網を活用し、現代のシルクロードを目指して計画されているものです。

  • 日本国内には唯一1号線が通過していて、東京の日本橋を起点に福岡までの全長は1,108に及びます。国道を走っているとAH-1と書かれたプレートを見ることが出来ます。シンガポールからマレー半島を通過してタイ北部へ続く2号線に続き、初めて3号線の一部を通過することが出来ました。

    日本国内には唯一1号線が通過していて、東京の日本橋を起点に福岡までの全長は1,108に及びます。国道を走っているとAH-1と書かれたプレートを見ることが出来ます。シンガポールからマレー半島を通過してタイ北部へ続く2号線に続き、初めて3号線の一部を通過することが出来ました。

  • ウランバートルを離れるにつれて車窓からは放牧されている家畜の姿を見ることが多くなってきます。雪原なので動物の姿を見つけるのが容易なのと、写真に撮るには都合がよく、雪が積もっていて良かったなと思えました。

    ウランバートルを離れるにつれて車窓からは放牧されている家畜の姿を見ることが多くなってきます。雪原なので動物の姿を見つけるのが容易なのと、写真に撮るには都合がよく、雪が積もっていて良かったなと思えました。

  • ゴビ砂漠では夏には50度近くまで温度が上がり、極寒期の1月2月にはマイナス50度くらいになるそうです。この時は冬の始まりでもなかったのでさほど寒くはなかったのは幸いでした。

    ゴビ砂漠では夏には50度近くまで温度が上がり、極寒期の1月2月にはマイナス50度くらいになるそうです。この時は冬の始まりでもなかったのでさほど寒くはなかったのは幸いでした。

  • 風景的には荒涼としていますが、枯れた草原を見るよりは凄みが感じられて良かったと思います。

    風景的には荒涼としていますが、枯れた草原を見るよりは凄みが感じられて良かったと思います。

  • 急に積もった雪で羊たちも困っているのではないかと思います。

    急に積もった雪で羊たちも困っているのではないかと思います。

  • 全部羊かと思いましたが、後で写真を見ると黒いヤギも混じっているようです。

    全部羊かと思いましたが、後で写真を見ると黒いヤギも混じっているようです。

  • ある統計では年平均気温が1℃上がるとヤギの生産量は約49万頭増加して、国内人口が1000人増えるとヤギの生産量は約1.6万頭増加するそうです。

    ある統計では年平均気温が1℃上がるとヤギの生産量は約49万頭増加して、国内人口が1000人増えるとヤギの生産量は約1.6万頭増加するそうです。

  • ウランバートルはボグドハン山、ソンギノハイルハン山、チンゲルテイ山、.バヤンズルフ山という4つの山々に囲まれている盆地だとガイドさんに教えてもらいました。既にその盆地も抜けて名もないであろう山々が続いています。ウランバートルはツンドラ気候の一番南の境界に当たるそうです。

    ウランバートルはボグドハン山、ソンギノハイルハン山、チンゲルテイ山、.バヤンズルフ山という4つの山々に囲まれている盆地だとガイドさんに教えてもらいました。既にその盆地も抜けて名もないであろう山々が続いています。ウランバートルはツンドラ気候の一番南の境界に当たるそうです。

  • ツンドラとは本来はサーミ語・ウラル地方の言語で「木がない土地」を意味し、気候が森林の生育に不適格なため樹木が生長せず、永久凍土が広がっていることが多いとされます。以前ロシアの森林で火災があった際には通常モンゴルにいない害虫が発生して大変だったことがあるそうです。草原の草は放牧した家畜がいるために害虫駆除の薬が使えなかったそうです。

    ツンドラとは本来はサーミ語・ウラル地方の言語で「木がない土地」を意味し、気候が森林の生育に不適格なため樹木が生長せず、永久凍土が広がっていることが多いとされます。以前ロシアの森林で火災があった際には通常モンゴルにいない害虫が発生して大変だったことがあるそうです。草原の草は放牧した家畜がいるために害虫駆除の薬が使えなかったそうです。

  • しばらくすると吹雪の中に立つ騎馬兵が見えてきました。思わずモンゴル兵が現代に現れたのかと思ってしまいましたが人形のようです。

    しばらくすると吹雪の中に立つ騎馬兵が見えてきました。思わずモンゴル兵が現代に現れたのかと思ってしまいましたが人形のようです。

  • これらの騎馬軍団は観光客用のためなのでしょうか?もうすぐ「チンギスハーン騎馬像テーマパーク」なのだろうかと思っていると。

    これらの騎馬軍団は観光客用のためなのでしょうか?もうすぐ「チンギスハーン騎馬像テーマパーク」なのだろうかと思っていると。

  • 雪景色の丘の向こうからチンギス・ハーンの巨大な像が姿を現しました。この姿が見える瞬間は結構迫力がありました。冬景色の中ということで凄みも感じました。

    雪景色の丘の向こうからチンギス・ハーンの巨大な像が姿を現しました。この姿が見える瞬間は結構迫力がありました。冬景色の中ということで凄みも感じました。

  • 全体像が見えてきて、凱旋門のようなゲートを潜ってバスは駐車場に止まりました。ここまでモンゴル市内から54キロあり2時間弱かかりました。

    全体像が見えてきて、凱旋門のようなゲートを潜ってバスは駐車場に止まりました。ここまでモンゴル市内から54キロあり2時間弱かかりました。

  • ここで1時間30分の観光となります。この姿は他のトラベラーの旅行記や口コミでも見ていましたが、思っていたよりも巨大な姿に驚きます。よく見るとたてがみの中ほどにポツンと人の頭が見えます。

    ここで1時間30分の観光となります。この姿は他のトラベラーの旅行記や口コミでも見ていましたが、思っていたよりも巨大な姿に驚きます。よく見るとたてがみの中ほどにポツンと人の頭が見えます。

  • 階段はまっすぐ続いていましたが、正面から見上げたかったので脇道から昇ることにしましたが、積もった雪で歩きにくかったです。

    階段はまっすぐ続いていましたが、正面から見上げたかったので脇道から昇ることにしましたが、積もった雪で歩きにくかったです。

  • 4年前にトルコのトロイ遺跡で見た木馬も巨大でしたが、チンギス・ハーンが乗っている分巨大に見えます。手に持っているのは「金の鞭」で、まだチンギスの名前を得る前のテムジンがここでひろったと考えられているそうです。草原で鞭を拾うのは遊牧民にとって吉兆とされるそうです。

    4年前にトルコのトロイ遺跡で見た木馬も巨大でしたが、チンギス・ハーンが乗っている分巨大に見えます。手に持っているのは「金の鞭」で、まだチンギスの名前を得る前のテムジンがここでひろったと考えられているそうです。草原で鞭を拾うのは遊牧民にとって吉兆とされるそうです。

    チンギス ハーン像テーマパーク 文化・芸術・歴史

  • 入場料はツアーの代金に含まれているので分かりません。ホールには巨大化した伝説の黄金のムチが展示してあります。壁にはチンギス・ハーンを頂点としたモンゴル帝国歴代の皇帝の肖像画が掲げられています。

    入場料はツアーの代金に含まれているので分かりません。ホールには巨大化した伝説の黄金のムチが展示してあります。壁にはチンギス・ハーンを頂点としたモンゴル帝国歴代の皇帝の肖像画が掲げられています。

  • チンギス・ハーンは大小の集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国から中央アジア、イランや東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治する人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げました。

    チンギス・ハーンは大小の集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国から中央アジア、イランや東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治する人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げました。

  • 正面玄関前に展示された巨大なブーツは3階建てのビルに相当する高さで、ギネスにも認定された世界一巨大なモンゴル式伝統ブーツです。大判の牛の皮が縫い合わせてありますが、22頭分が使われているそうです。

    正面玄関前に展示された巨大なブーツは3階建てのビルに相当する高さで、ギネスにも認定された世界一巨大なモンゴル式伝統ブーツです。大判の牛の皮が縫い合わせてありますが、22頭分が使われているそうです。

  • バス2台で来ているので我々は先に展望台へ昇り、もう1台のバスの人は地下の博物館の見学をします。エレベーターの中にはもう1つの別班(VIVANT)が来ていたようです。

    バス2台で来ているので我々は先に展望台へ昇り、もう1台のバスの人は地下の博物館の見学をします。エレベーターの中にはもう1つの別班(VIVANT)が来ていたようです。

  • エレベーターで3フロア昇った後にも細い螺旋階段があり、一度表に出ると階段があります。その表の階段が馬のたてがみの傾斜だと分かるまでしばらく時間がかかりました。

    エレベーターで3フロア昇った後にも細い螺旋階段があり、一度表に出ると階段があります。その表の階段が馬のたてがみの傾斜だと分かるまでしばらく時間がかかりました。

  • 展望台からの周囲の風景は雪で覆われた寒々しいものですが、特に寒さは感じませんでした。ヒートテックの靴下に裏ボアのパンツ、ヒートテックのTシャツにネルシャツ、そしてジャンバーまで全部同じブランドで統一してきました。ネルシャツの上のジャンバーだけが別ブランドです。

    展望台からの周囲の風景は雪で覆われた寒々しいものですが、特に寒さは感じませんでした。ヒートテックの靴下に裏ボアのパンツ、ヒートテックのTシャツにネルシャツ、そしてジャンバーまで全部同じブランドで統一してきました。ネルシャツの上のジャンバーだけが別ブランドです。

  • 展望台の上でチンギス・ハーンと対峙します。2008年に竣工した像はステンレス鋼製で、当時のレートで410万ドル(約4億5000万円)かかって建設されました。

    展望台の上でチンギス・ハーンと対峙します。2008年に竣工した像はステンレス鋼製で、当時のレートで410万ドル(約4億5000万円)かかって建設されました。

  • 右手に持った黄金の鞭とバックルだけが黄金色です。

    右手に持った黄金の鞭とバックルだけが黄金色です。

  • ここは記念写真のポイントなので、同じツアーの方にシャッターを押していただきました。

    ここは記念写真のポイントなので、同じツアーの方にシャッターを押していただきました。

  • パリの凱旋門のようなベルリンのブランデンブルグ門のようでもあります。

    パリの凱旋門のようなベルリンのブランデンブルグ門のようでもあります。

  • この辺りの草原はまだ数日前は緑の草に覆われていたのだと思います。四角く囲われたエリアは国から分け与えられた個人の土地を示すもので、ソヴィエト崩壊後に国策として土地の私有地化が進められました。ただ、2年以内に柵で囲わなければならないとか規制はあるようです。同じように草原の中にタイヤが半分埋められたものを見掛けますが、これも土地の境界ラインだとガイドさんに教えてもらいました。

    この辺りの草原はまだ数日前は緑の草に覆われていたのだと思います。四角く囲われたエリアは国から分け与えられた個人の土地を示すもので、ソヴィエト崩壊後に国策として土地の私有地化が進められました。ただ、2年以内に柵で囲わなければならないとか規制はあるようです。同じように草原の中にタイヤが半分埋められたものを見掛けますが、これも土地の境界ラインだとガイドさんに教えてもらいました。

  • 1階には貸衣装屋さんがあって、モンゴルの家族連れの方がいい感じだったので、お願いして一緒に写真を撮ってもらいました。

    1階には貸衣装屋さんがあって、モンゴルの家族連れの方がいい感じだったので、お願いして一緒に写真を撮ってもらいました。

  • 13世紀から14世紀にかけてユーラシア大陸を席巻したモンゴル帝国ですが、世界最大の領地を実現した秘密は「蒙古騎兵」と呼ばれる精強な騎馬軍団があったからのことでした。

    13世紀から14世紀にかけてユーラシア大陸を席巻したモンゴル帝国ですが、世界最大の領地を実現した秘密は「蒙古騎兵」と呼ばれる精強な騎馬軍団があったからのことでした。

  • チンギス・ハーンは腹心のノコル(僚友)に征服した遊牧民を領民として分け与え、これにチンギスと同盟して服属した諸部族の指導者を加えた領主階層ノヤンと呼ばれる貴族階層に編成しなおしました。

    チンギス・ハーンは腹心のノコル(僚友)に征服した遊牧民を領民として分け与え、これにチンギスと同盟して服属した諸部族の指導者を加えた領主階層ノヤンと呼ばれる貴族階層に編成しなおしました。

  • 最上級のノヤン88人は千人隊長(千戸長)という官職に任命され、その配下の遊牧民は95の千人隊(千戸)と呼ばれる集団に編成されます。千人隊の下には百人隊(百戸)、十人隊(十戸)が十進法に従って設置され、それぞれの長にもノヤンが任命されました。蒙古兵は軽装の騎兵が主力であり、生活の全てを牛馬や羊の家畜に頼っていました。遠征時にはこれらの家畜は動く食糧となりました。

    最上級のノヤン88人は千人隊長(千戸長)という官職に任命され、その配下の遊牧民は95の千人隊(千戸)と呼ばれる集団に編成されます。千人隊の下には百人隊(百戸)、十人隊(十戸)が十進法に従って設置され、それぞれの長にもノヤンが任命されました。蒙古兵は軽装の騎兵が主力であり、生活の全てを牛馬や羊の家畜に頼っていました。遠征時にはこれらの家畜は動く食糧となりました。

  • 元寇は日本の鎌倉時代中期の1274年と1281年にモンゴル帝国(元朝)および属国の高麗によって2度にわたり行われた対日本の侵攻です。蒙古襲来とも呼ばれ、1度目を「文永の役」、2度目を「弘安の役」と呼びます。「弘安の役」において日本へ派遣された艦隊は当時世界最大規模の艦隊でした。唯一海を渡らなければならなかった日本への侵攻が失敗に終わりました。

    元寇は日本の鎌倉時代中期の1274年と1281年にモンゴル帝国(元朝)および属国の高麗によって2度にわたり行われた対日本の侵攻です。蒙古襲来とも呼ばれ、1度目を「文永の役」、2度目を「弘安の役」と呼びます。「弘安の役」において日本へ派遣された艦隊は当時世界最大規模の艦隊でした。唯一海を渡らなければならなかった日本への侵攻が失敗に終わりました。

  • 地下の博物館ではモンゴルの文化や歴史を学ぶことが出来ます。まずは「モンゴル人の男性のアクセサリー」から見えいきます。アクセサリーと説明文に書かれてありますが、草原で生きていくためのツールといった感じです。小刀や動物の骨で造られた橋のセット、吊り下げられるようになった火打金です。これだけあれば調理や火も熾せます。

    地下の博物館ではモンゴルの文化や歴史を学ぶことが出来ます。まずは「モンゴル人の男性のアクセサリー」から見えいきます。アクセサリーと説明文に書かれてありますが、草原で生きていくためのツールといった感じです。小刀や動物の骨で造られた橋のセット、吊り下げられるようになった火打金です。これだけあれば調理や火も熾せます。

  • 伝統的な遊牧民の生活では馬の役割が大きく、ここでは馬に関わる展示が行われています。

    伝統的な遊牧民の生活では馬の役割が大きく、ここでは馬に関わる展示が行われています。

  • 「ハルハ」や「パヤド」と呼ばれる鞍や銀の手綱、頭飾り、鞭、焼き印、鐙(あぶみ)、などモンゴルの乗馬文化を代表するものが並んでいます。

    「ハルハ」や「パヤド」と呼ばれる鞍や銀の手綱、頭飾り、鞭、焼き印、鐙(あぶみ)、などモンゴルの乗馬文化を代表するものが並んでいます。

  • 美しい刺繍やカーペット、そして銀細工で飾られた美しい鞍です。

    美しい刺繍やカーペット、そして銀細工で飾られた美しい鞍です。

  • 美しい馬頭琴も展示してあります。モリンホールと呼ばれるこの楽器は、弦の本数が二本のモンゴルを代表する弦楽器です。モンゴル語で「馬の楽器」という意味であり、棹の先端部分が馬の頭の形をしているため日本と中国では馬頭琴と呼びます。

    美しい馬頭琴も展示してあります。モリンホールと呼ばれるこの楽器は、弦の本数が二本のモンゴルを代表する弦楽器です。モンゴル語で「馬の楽器」という意味であり、棹の先端部分が馬の頭の形をしているため日本と中国では馬頭琴と呼びます。

  • 日本では絵本の「スーホの白い馬」に出てくる楽器としても知られます。原典は中華人民共和国で作られた「馬頭琴」という作品で、作中の設定や描写については現実のモンゴルの習俗とは異なる点があるという指摘もあるようです。舞台になった場所は現在の中国の内モンゴルの辺りで、モンゴル国とは違うようです。「スーホの白い馬」については忘れていましたが、旅の途中で幼稚園からの同級生だった友人からのLINEメッセージで思い出しました。

    日本では絵本の「スーホの白い馬」に出てくる楽器としても知られます。原典は中華人民共和国で作られた「馬頭琴」という作品で、作中の設定や描写については現実のモンゴルの習俗とは異なる点があるという指摘もあるようです。舞台になった場所は現在の中国の内モンゴルの辺りで、モンゴル国とは違うようです。「スーホの白い馬」については忘れていましたが、旅の途中で幼稚園からの同級生だった友人からのLINEメッセージで思い出しました。

  • 遊牧民の少年スーホは道で倒れてもがいていた白い子馬を拾い、その子馬を大切に育てました。数年後に殿様が自分の娘の結婚相手を探すため競馬大会を開き、スーホは立派に成長した白い馬に乗り、見事競馬大会で優勝します。殿様は貧しいスーホを娘とは結婚させず、スーホに銀貨を3枚渡し、さらには白い馬を自分に渡すよう命令します。スーホはその命令を拒否したことから殿様の家来たちに暴行され白い馬は奪われてしまいます。命からがら家へ辿り着いたものの、白い馬を奪われた悲しみは消えませんでした。白い馬は殿様が宴会をしている隙を突いて逃げ出しましたが家来たちが放った矢で体中を射られていたため、スーホの元に戻った時には瀕死の状態でした。看病むなしく白い馬は次の日に死んでしまい、スーホは悲しみのあまり幾晩も眠れずにいました。ある晩ようやく眠りにつくと夢の中に白馬が現れます。白馬は自分の死体を使って楽器を作るようにスーホに言い残し、そうして出来たのがモリンホール(馬頭琴)です。

    遊牧民の少年スーホは道で倒れてもがいていた白い子馬を拾い、その子馬を大切に育てました。数年後に殿様が自分の娘の結婚相手を探すため競馬大会を開き、スーホは立派に成長した白い馬に乗り、見事競馬大会で優勝します。殿様は貧しいスーホを娘とは結婚させず、スーホに銀貨を3枚渡し、さらには白い馬を自分に渡すよう命令します。スーホはその命令を拒否したことから殿様の家来たちに暴行され白い馬は奪われてしまいます。命からがら家へ辿り着いたものの、白い馬を奪われた悲しみは消えませんでした。白い馬は殿様が宴会をしている隙を突いて逃げ出しましたが家来たちが放った矢で体中を射られていたため、スーホの元に戻った時には瀕死の状態でした。看病むなしく白い馬は次の日に死んでしまい、スーホは悲しみのあまり幾晩も眠れずにいました。ある晩ようやく眠りにつくと夢の中に白馬が現れます。白馬は自分の死体を使って楽器を作るようにスーホに言い残し、そうして出来たのがモリンホール(馬頭琴)です。

  • ラクダの鞍は馬のような革製ではなく、ウール製の絨毯のような形をしています。フタコブラクダの野生個体は中華人民共和国北西部とモンゴルに分布しか分布していません。一方ヒトコブラクダはアフリカが原産です。昆布の間に乗せるので細く、このような形状で十分なのだと思います。エジプトで乗ったヒトコブラクダはコブがあるので馬の鞍のようなものを乗せていました。

    ラクダの鞍は馬のような革製ではなく、ウール製の絨毯のような形をしています。フタコブラクダの野生個体は中華人民共和国北西部とモンゴルに分布しか分布していません。一方ヒトコブラクダはアフリカが原産です。昆布の間に乗せるので細く、このような形状で十分なのだと思います。エジプトで乗ったヒトコブラクダはコブがあるので馬の鞍のようなものを乗せていました。

  • 喫煙具もデザインや素材の凝ったものが使われていたようです。伸縮式になった煙管など工夫も凝らされています。

    喫煙具もデザインや素材の凝ったものが使われていたようです。伸縮式になった煙管など工夫も凝らされています。

  • 鼻煙壺とそのケースも素材やデザインが凝っています。モンゴルでは人と人が挨拶をする時に自分の鼻煙壺を相手の鼻煙壺と交換して互いに相手の粉末タバコを嗅ぐという独特な使い方、礼儀作法があります。さらに鼻煙壺は美術工芸品として富の象徴として、またその所有者の社会的地位を表象するなどモンゴル社会において重要な意味を持つものとなっていました。

    鼻煙壺とそのケースも素材やデザインが凝っています。モンゴルでは人と人が挨拶をする時に自分の鼻煙壺を相手の鼻煙壺と交換して互いに相手の粉末タバコを嗅ぐという独特な使い方、礼儀作法があります。さらに鼻煙壺は美術工芸品として富の象徴として、またその所有者の社会的地位を表象するなどモンゴル社会において重要な意味を持つものとなっていました。

  • 「競馬場への道」CH.フレルバートル<br />「スーホの白い馬」を思い出すような油彩画ですが、元々が中国由来の物語でもあり、舞台も内モンゴル自治区ということもあり、モンゴルのガイドさんから「スーホの白い馬」の話は出ませんでした。<br />https://www.youtube.com/watch?v=-WFgVp8Q2DY

    「競馬場への道」CH.フレルバートル
    「スーホの白い馬」を思い出すような油彩画ですが、元々が中国由来の物語でもあり、舞台も内モンゴル自治区ということもあり、モンゴルのガイドさんから「スーホの白い馬」の話は出ませんでした。
    https://www.youtube.com/watch?v=-WFgVp8Q2DY

  • 大モンゴル帝国時代の12世紀から14世紀の伝統的な弓のレプリカです。複合弓とは複数の材料を張り合わせる事で射程と破壊力を向上させた弓のことで、特に木製の弓にそれ以外の材料である動物の骨や腱、角や鉄や銅の金属板を張り合わせた弓のことを合成弓(コンポジット・ボウ)とも呼ばれます。

    大モンゴル帝国時代の12世紀から14世紀の伝統的な弓のレプリカです。複合弓とは複数の材料を張り合わせる事で射程と破壊力を向上させた弓のことで、特に木製の弓にそれ以外の材料である動物の骨や腱、角や鉄や銅の金属板を張り合わせた弓のことを合成弓(コンポジット・ボウ)とも呼ばれます。

  • 貴族のローブのレプリカは2003年にゲンティ・アイマグの地域にあるモンゴル帝国時代の墓で発見されたもののをもとに作られたものです。

    貴族のローブのレプリカは2003年にゲンティ・アイマグの地域にあるモンゴル帝国時代の墓で発見されたもののをもとに作られたものです。

  • 黄金のカップは大モンゴル帝国時代の12世紀から14世紀に作られたもののレプリカです。2022年に開館したウランバートルにある「チンギス・ハーン博物館」へチンギス・ハーンに関わる品々が各地の博物館から移されているようで、いろいろな博物館の内容がスカスカになっているとガイドさんが嘆いていました。

    黄金のカップは大モンゴル帝国時代の12世紀から14世紀に作られたもののレプリカです。2022年に開館したウランバートルにある「チンギス・ハーン博物館」へチンギス・ハーンに関わる品々が各地の博物館から移されているようで、いろいろな博物館の内容がスカスカになっているとガイドさんが嘆いていました。

  • 花柄の黄金のブレスレットも大モンゴル帝国時代の12世紀から14世紀に作られたもののレプリカです。

    花柄の黄金のブレスレットも大モンゴル帝国時代の12世紀から14世紀に作られたもののレプリカです。

  • 大モンゴル帝国時代のヘルメットのレプリカです。レプリカでも今まで一度も見たことのなかった兜に日本のものとの違いを知ることが出来て面白いです。先日のイスタンブールの「トプカプ宮殿」の博物館にあったオスマントルコの兜の原形のように思えます。この形状はその後ヨーロッパの兜のスタンダードになっていきます。

    大モンゴル帝国時代のヘルメットのレプリカです。レプリカでも今まで一度も見たことのなかった兜に日本のものとの違いを知ることが出来て面白いです。先日のイスタンブールの「トプカプ宮殿」の博物館にあったオスマントルコの兜の原形のように思えます。この形状はその後ヨーロッパの兜のスタンダードになっていきます。

  • 14世紀にハーンと貴族たちが使った銀製の馬上杯で、鍛冶屋のN.ダインハ造ったもののもののレプリカです。

    14世紀にハーンと貴族たちが使った銀製の馬上杯で、鍛冶屋のN.ダインハ造ったもののもののレプリカです。

  • 1971年の共産主義国家の時代にS.レンツェンによって描かれた「共同組合員と飼遊牧民」という作品です。アルプスの画家と呼ばれたセガンティーニを思い出させるようなタッチですが、あくまでプロパガンダのための絵画です。モスクワの地下鉄駅でも見掛けそうなテーマです。<br />モスクワの地下鉄駅巡り1:https://4travel.jp/travelogue/11299342<br />モスクワの地下鉄駅巡り2:https://4travel.jp/travelogue/11299760

    1971年の共産主義国家の時代にS.レンツェンによって描かれた「共同組合員と飼遊牧民」という作品です。アルプスの画家と呼ばれたセガンティーニを思い出させるようなタッチですが、あくまでプロパガンダのための絵画です。モスクワの地下鉄駅でも見掛けそうなテーマです。
    モスクワの地下鉄駅巡り1:https://4travel.jp/travelogue/11299342
    モスクワの地下鉄駅巡り2:https://4travel.jp/travelogue/11299760

  • 13世紀から14世紀の元時代の青花磁器がずらりと並んでいたのでびっくりしましたが、すべてレプリカでした。ただ出来は非常に良いので再びびっくりします。昔々妻と結婚する前に行った香港の香港仔碼頭の今は無き水上レストランの「JAMBO」の対岸の雑居ビルの中に「華通陶瓷」という陶器の卸しを行っている会社の巨大なショールームがありました。香港のホテルの調度品としての陶器を一手に受注していたのではないでしょうか。ものすごい数の各時代のレプリカが並んでいますが、非常に出来が良いもので本物のようでした。何度か香港から荷物を送ってもらいましたが、その時の品々のことを思い出しました。

    13世紀から14世紀の元時代の青花磁器がずらりと並んでいたのでびっくりしましたが、すべてレプリカでした。ただ出来は非常に良いので再びびっくりします。昔々妻と結婚する前に行った香港の香港仔碼頭の今は無き水上レストランの「JAMBO」の対岸の雑居ビルの中に「華通陶瓷」という陶器の卸しを行っている会社の巨大なショールームがありました。香港のホテルの調度品としての陶器を一手に受注していたのではないでしょうか。ものすごい数の各時代のレプリカが並んでいますが、非常に出来が良いもので本物のようでした。何度か香港から荷物を送ってもらいましたが、その時の品々のことを思い出しました。

  • モンゴルの少数民族の女性たちの古い写真も展示してあります。金銀珊瑚や瑪瑙や玉で着飾った元々の意味は資産をいつでも持って逃げられるからだったと聞いたことがありますが、どこの民族も大抵女性が美しく着飾っています。

    モンゴルの少数民族の女性たちの古い写真も展示してあります。金銀珊瑚や瑪瑙や玉で着飾った元々の意味は資産をいつでも持って逃げられるからだったと聞いたことがありますが、どこの民族も大抵女性が美しく着飾っています。

  • インドで起こった仏教の中で「北伝仏教」とも言われる大乗仏教が7世紀ごろ吐蕃(チベット)に伝わり、ソンツェン・ガンポ王の保護を受け、チベット固有の土着宗教であるボン教という呪術的な宗教と融合して独自に発達し、チベット仏教となりました。吐蕃王朝はその後衰退しましたが、チベット仏教はその後にモンゴルやネパールにも広がりました。特にモンゴル帝国ではフビライなど歴代のハーンがチベット仏教を保護したため、チベット仏教はモンゴルにも定着していきます。そのためか女性たちの衣装もその影響を感じます。

    インドで起こった仏教の中で「北伝仏教」とも言われる大乗仏教が7世紀ごろ吐蕃(チベット)に伝わり、ソンツェン・ガンポ王の保護を受け、チベット固有の土着宗教であるボン教という呪術的な宗教と融合して独自に発達し、チベット仏教となりました。吐蕃王朝はその後衰退しましたが、チベット仏教はその後にモンゴルやネパールにも広がりました。特にモンゴル帝国ではフビライなど歴代のハーンがチベット仏教を保護したため、チベット仏教はモンゴルにも定着していきます。そのためか女性たちの衣装もその影響を感じます。

  • 以前妻と2人で旅した中国の貴州省で、布依族の村「石頭塞」へ行ったときに有名な藍染のおばあさんが自分の花嫁衣装を持ってきて妻に着せ始めました。何が気に入られたのか分かりませんが、ここからその旅のスイッチが入ってしまいました。<br />「布依族」:https://4travel.jp/travelogue/10354383

    以前妻と2人で旅した中国の貴州省で、布依族の村「石頭塞」へ行ったときに有名な藍染のおばあさんが自分の花嫁衣装を持ってきて妻に着せ始めました。何が気に入られたのか分かりませんが、ここからその旅のスイッチが入ってしまいました。
    「布依族」:https://4travel.jp/travelogue/10354383

  • 次に行った四印苗族の村では花嫁衣裳のサイズが合わなかったのですが、その後に行った長角苗族の村では長い刀のような櫛を付け、そこに2メートルはあるかという付け毛を巻いた姿がこれです。この村の刺繡はカラフルで美しく、この当時は非常に手頃な値段で買うことが出来ました。<br />「四印苗族」:https://4travel.jp/travelogue/10354530

    次に行った四印苗族の村では花嫁衣裳のサイズが合わなかったのですが、その後に行った長角苗族の村では長い刀のような櫛を付け、そこに2メートルはあるかという付け毛を巻いた姿がこれです。この村の刺繡はカラフルで美しく、この当時は非常に手頃な値段で買うことが出来ました。
    「四印苗族」:https://4travel.jp/travelogue/10354530

  • また、この当時は村1つを貸し切って歓迎会を開いてもらうことが出来て、その費用も村人200人総出で2時間開いてもらっても9000円でした。<br />「季刀苗塞」:https://4travel.jp/travelogue/10354647

    また、この当時は村1つを貸し切って歓迎会を開いてもらうことが出来て、その費用も村人200人総出で2時間開いてもらっても9000円でした。
    「季刀苗塞」:https://4travel.jp/travelogue/10354647

  • その後も近隣の農村を車で通過する際には妻と似通った背格好のおばさんを探しては「民族衣装ありませんか?」と声を掛け、そのお宅に伺って衣装を着せてもらいました。最初はめんどくさそうな顔をしているおばさんたちも着付けを始めると真剣で、最後は面白がってくれて楽しかったです。お礼は5元でも喜んでもらえる時代でした。<br />「短裾苗族」:https://4travel.jp/travelogue/10354713<br />今考えるといい時代の中国を旅できたと思います。

    その後も近隣の農村を車で通過する際には妻と似通った背格好のおばさんを探しては「民族衣装ありませんか?」と声を掛け、そのお宅に伺って衣装を着せてもらいました。最初はめんどくさそうな顔をしているおばさんたちも着付けを始めると真剣で、最後は面白がってくれて楽しかったです。お礼は5元でも喜んでもらえる時代でした。
    「短裾苗族」:https://4travel.jp/travelogue/10354713
    今考えるといい時代の中国を旅できたと思います。

  • 女性の装身具も展示されています。左上からハヴタガと呼ばれるポーチ、ガウと呼ばれるお守りを入れる箱、裁縫道具の箱、トクヒグと呼ばれる髪飾り、腰から下げる装飾品、ミルクをかけるスプーンなどです。

    女性の装身具も展示されています。左上からハヴタガと呼ばれるポーチ、ガウと呼ばれるお守りを入れる箱、裁縫道具の箱、トクヒグと呼ばれる髪飾り、腰から下げる装飾品、ミルクをかけるスプーンなどです。

  • ウゼムチンの女性が腰から下げる飾りは釣り鐘型の銀製の金具は引き出せるような加工がしてあります。お守りでも入れる工夫なのでしょうか。

    ウゼムチンの女性が腰から下げる飾りは釣り鐘型の銀製の金具は引き出せるような加工がしてあります。お守りでも入れる工夫なのでしょうか。

  • これなどは韓国女性の装飾品の投壺(ノリゲ)」によく似ています。モチーフの蝶は中国の影響が感じられます。中国では「蝶」と老年を意味する「耋」という言葉の発音が似ていることから「長寿」の象徴とされています。 幼虫からサナギ、そして成虫と劇的に見た目を変えていくことや、亡くなった人の魂の化身とも言われていることから「不死」「再生」「復活」などのシンボルともされます。

    これなどは韓国女性の装飾品の投壺(ノリゲ)」によく似ています。モチーフの蝶は中国の影響が感じられます。中国では「蝶」と老年を意味する「耋」という言葉の発音が似ていることから「長寿」の象徴とされています。 幼虫からサナギ、そして成虫と劇的に見た目を変えていくことや、亡くなった人の魂の化身とも言われていることから「不死」「再生」「復活」などのシンボルともされます。

  • 木彫りの素朴なチェスのコマも展示されています。チェスはモンゴルではシャタルと呼ばれ、日本の将棋や中国のシャンチー(中国象棋)と同じ系統に属するボードゲームです。

    木彫りの素朴なチェスのコマも展示されています。チェスはモンゴルではシャタルと呼ばれ、日本の将棋や中国のシャンチー(中国象棋)と同じ系統に属するボードゲームです。

  • 暈繝彩色(うんげんさいしき)は7世紀に中国から日本へも伝来した彩色技法で、主に仏教寺院で使われました。モンゴルのゲルにも同じように使われているので、家具のデザインにも用いられています。

    暈繝彩色(うんげんさいしき)は7世紀に中国から日本へも伝来した彩色技法で、主に仏教寺院で使われました。モンゴルのゲルにも同じように使われているので、家具のデザインにも用いられています。

  • 単にチンギス・ハーーの騎馬像を見て、展望台へ昇るだけの見学可と思っていましたが、ちゃんとした博物館もあり、ガイドさんの説明もあったので学ぶことが多かったです。それと同時に今までモンゴルについて知らなかったことが自身の中で露見してしまいました。

    単にチンギス・ハーーの騎馬像を見て、展望台へ昇るだけの見学可と思っていましたが、ちゃんとした博物館もあり、ガイドさんの説明もあったので学ぶことが多かったです。それと同時に今までモンゴルについて知らなかったことが自身の中で露見してしまいました。

  • 温かい建物の中から表に出るとさすがに寒く感じます。本格的な冬に入る前のいいタイミングだったのかもしれません。

    温かい建物の中から表に出るとさすがに寒く感じます。本格的な冬に入る前のいいタイミングだったのかもしれません。

  • 普段は観光客を乗せているフタコブラクダもこの季節は開店休業状態です。

    普段は観光客を乗せているフタコブラクダもこの季節は開店休業状態です。

  • モンゴルのアルタイ山脈に暮らすカザフ族はイヌワシを操って狩りをすることで世界的に有名です。カザフ族の子供たちは13歳になると、男女問わずイヌワシの扱い方を習うそうです。大きなイヌワシだと7キロほどもあり、それを子供が操って狩りをするのです。これは、約2000年もの間ずっと受け継がれてきた伝統なのだそうです。少し前のテレビで観たイヌワシの捕まえ方は肉を食べさせると体重が重たくなって飛べなくなるというものでした。

    モンゴルのアルタイ山脈に暮らすカザフ族はイヌワシを操って狩りをすることで世界的に有名です。カザフ族の子供たちは13歳になると、男女問わずイヌワシの扱い方を習うそうです。大きなイヌワシだと7キロほどもあり、それを子供が操って狩りをするのです。これは、約2000年もの間ずっと受け継がれてきた伝統なのだそうです。少し前のテレビで観たイヌワシの捕まえ方は肉を食べさせると体重が重たくなって飛べなくなるというものでした。

  • 少し前のテレビで観たイヌワシの捕まえ方は肉を食べさせると体重が重たくなって飛べなくなるというものでした。そうやって捕まえた妻はその後も食べ続けるので維持するのが難しくなってきました。そろそろこちらもお腹が空いてきましたが、昼食まではまだまだ時間がかかりそうです。

    少し前のテレビで観たイヌワシの捕まえ方は肉を食べさせると体重が重たくなって飛べなくなるというものでした。そうやって捕まえた妻はその後も食べ続けるので維持するのが難しくなってきました。そろそろこちらもお腹が空いてきましたが、昼食まではまだまだ時間がかかりそうです。

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2023 モンゴルの旅

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