2023/11/02 - 2023/11/02
166位(同エリア555件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1780冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,491,619アクセス
- フォロワー171人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
「朝日観賞」から戻り、2回目の朝歩半を食べた後は部屋で少し休むことができ、出発は午前8時30分でした。まだ朝の通勤ラッシュの渋滞が残っており、「ガンダン寺」まではかなり時間がかかりました。「ガンダン・テクツェンリン寺」という名前が正式名称で、モンゴル最大規模の重要仏教寺院です。5000人にも及ぶ僧侶を擁し、仏教教義を学び実践する教育施設ともなっています。1727年に雍正帝によって創建され、ジェブツンダンパ8世は病気で盲目となってしまったために平癒祈願のために観世音菩薩像を建立します。26.5メートルの高さを誇る初代のグジェド・ジャンライシグ観音像は1911年に建立されますが、1938年に共産主義者の手により破壊されました。その後の1996年再建の機運が高まり、多くのモンゴル人篤志による寄付金が寄せられ再び建立されました。首都西方のエルデネット鉱山産出の銅を使用し、金箔で輝く像となりました。20世紀には社会主義政権による弾圧と閉鎖、その後は国内唯一の寺院として存続を許されるなどの歴史を経ましたが、民主化後にはチベット仏教復興の拠点となり、ダライ・ラマ14世猊下の訪問も受けるなど、モンゴルにおけるチベット仏教の中心としての役割を発揮しています。寺院内にはいくつものお堂があり、ガイドさんの案内でその中の1つの「持金剛堂」の中に入りました。堂の中ではたくさんの僧侶が読経を上げていてびっくりしますが、そのまま左側から奥に進みます。そこにはザナバザル作の執金剛神像が安置されていました。これほど間近で見ることができるとは思えませんでした。ガイドさんに像について話しましたが、彼は像の由来については知りませんでした。その後は観音堂に向かいます。薄暗い堂内に入り目が慣れてくると見上げるような高さの観音像が出迎えてくれます。5センチ角の金箔が75,926枚使われた像は金色に輝いています。脇侍は右手に金剛手菩薩(チャナドルジェ)と左手に文殊菩薩(ジャンペーヤン)の姿も見えます。本尊にお参りした後は時計回りに左マニ車を回すと経を唱えたのと同じ功徳があるといわれています。周りにたくさん並ぶマニ車を回しながら先へ進むと、そのマニ車を囲むようにガラスケースに入った小さな仏像が納められています。一体一体顔が微妙に違う像は寺に寄付をした方の仏像だそうです。続いてコンクリート像の建物に入り、2階へ上がると大きな本殿があり、黄金に輝く仏像で埋め尽くされています。ダライ・ラマ14世がいるのかと思いましたが、よく見ると等身大の写真パネルでした。並べられた仏像にはチャクラサンヴァラ父母仏立像も置かれているので、ツアーのおばさんたちはキャーキャー言っています。「ガンダン寺」の参拝が終わると再びバスに乗り込み、「ノミン百貨店」に向かいます。ここまでも市内の渋滞でかなりの時間がかかります。ここで50分ほどの自由時間になり、最上階から下に下ることにします。お土産物のフロアも面白かったですが、目的は3階のカシミアショップがたくさん入ったフロアでした。以前は羽田空港などにも入っている「GOBI」があったようですが、現在は「スフバートル広場」の横にある「ガレリア」に移ってしまっているようです。この時間に買わないと悲しいことになりそうなので、質の良さそうな店でカシミアのリバーシブルのロングのカーディガンやマフラーや帽子など買い求めます。これで一安心ですが夜に時間があったら「ガレリア」まで行ってみようとは考えています。お昼は「子供宮殿(Mongolian Art Center for Children's Creativity)」の前にある「MODERN NOMADS」という人気のレストランで「ホルホグ」などの料理をいただきました。そして午後の最初の観光は「スフバートル広場」の見学です。今回のツアーを申し込んでしばらくするとTBS系「日曜劇場」枠で「VIVANT」が放映され、この広場が出てきた際には驚きました。妻がこのモンゴルの旅を了承したのは「GOBI」で買い物が出来るのと、「VIVANT」のロケ地に来れるという俗っぽいものでしたが、司馬遼太郎の「街道をゆく/モンゴル紀行」では広場の東に建つ「モンゴル国立オペラ・バレエ劇場」の建物は抑留された同胞が捕虜として働かされたこともあり、直視できないと書いています。それ以外にも証券取引所や中央郵便局の建物も広場を囲むように残されています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ミアットモンゴル航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
午前9時にホテルを出発しましたが、ウランバートル市内は渋滞で「ガンダン・テクツェンリン寺」に到着したのは午前10時前でした。この周辺もゲル地区と呼ばれるエリアで、収入の格差に伴う学力の差が生じていて、モンゴル国内では教育は1つの問題になっているとのことでした。寺の門前にはいくつもの寺がありますが、これらは「ガンダン寺」から独立した僧侶が営んでいるようで、生活は裕福なのだと説明がありました。
-
バスは巨大な寺院の敷地の木製の正門をそのまま潜ってしまうのには驚きました。
ガンダン寺 寺院・教会
-
バスの駐車場は門を潜った右手にあり、ここから観光が始まります。寺院の配置は南向きになっており、バスに乗ったまま通ってきた門も南側に配されています。「ガンダン・テクツェンリン寺」の中にはいくつかの寺院があり、この門は「ヴァジュラダラ寺院(持金剛堂)」へ入り口となっています。
-
元々は9つの僧院が伽藍を並び5000人の僧侶が暮らす学問寺院でしたが、社会主義時代にはこのうち5つが破壊され、残りの4つの僧院もソヴィエト将校の住宅や馬屋として使われたそうです。ここの建物もその当時に破壊を免れたものだと思います。屋根には法輪と鹿の姿が見えることからもチベット仏教寺院だということが分かります。
-
法輪は仏陀の教えをシンボライズしたもので、輪の中心が世界の中心とみなされ、周りで8つの車輪を支える軸は悟りに至る8つの過程を表します。鹿は「鹿野苑(ろくやおん)」を意味し、インドの地名で「サルナート」と呼ばれる聖地を意味します。釈迦が「初転法輪」をした場所として聖地となっています。鯱(しゃちほこ)のような怪物は正吻(せいふん)と呼ばれる大きな口の龍が置かれ、これは火伏の意味があります。
-
山門の左右には木製の摩尼車(マニ車)が7基置かれてありました。8角の箱には「八吉祥」が描かれているのが分かります。「宝傘」「双魚」「巻貝」「宝瓶」「蓮」「吉祥結」「勝幢」「法輪」の8種ですが、「双魚」と「法輪」の絵で意味が分かりました。
-
摩尼車は仏の「身口意」の象徴のうち「口の象徴」を回転する筒に収納した仏具で、「輪蔵」や「転経器(てんきょうき)」とも訳されます。時計回りに1回まわすと回転させた数だけ内蔵された経や真言を唱えるのと同じ功徳があるとされています。
-
これまで中国の雲南省の香格里拉では独克宋古城の大佛寺で巨大な摩尼車を回転させましたし、九塞溝を旅した際は自分用の卓上型のものを買い求めました。6月に行った高野山では「輪蔵」を1人で回してきました。
-
伽藍の一番奥には「ヴァジュラダラ寺院(持金剛堂)」がありました。寺院の造りは香格里拉郊外で参拝した「松賛林寺」を思い出させます。
-
入り口に掛けられた几帳(きちょう)には白い象と猿と兎が描かれています。チベット仏教圏ではこの絵柄をよく目にしますが、このモチーフは仏陀の前世の物語ジャータカに出て来る話に由来しています。サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)を差し置いて上位の席に坐ろうとした僧に仏陀がこんな話をしました。鳥と猿と象がお互いに誰が一番年長かと議論して、ある1本の木をいつ頃から知っているかによって判断しようということになり、木が植えられる以前の様子を知っていた鳥が最年長だと認められました。鳥は仏陀、猿はサーリプッタ、象はモッガラーナの前世であったことを仏陀が教え、僧たちに年長者を敬うように諭したといわれます。
-
表は静かでしたが、堂内に入るとたくさんの僧侶が向かい合い、読経をしている最中でした。狭い堂内に入ってよいものかと躊躇しましたが、ガイドさんが先へ進むので後に続きます。一番奥で顔を上げると目の前にザナバザルの造った銅製鍍金の「執金剛神像」が目に入ってきました。思わず「オンマニペメフム」と唱えました。
-
この像についてガイドさんに話しをしましたが、彼は全く知らなかったようです。17世紀末から18世紀初頭にかけてモンゴルで活躍した政治家にして転生活仏、そして東洋のミケランジェロと呼ばれた天才仏師ザナバザルについては7年ほど前に発売されたとんぼの本の「新モンゴル紀行/ザナバザルの造りし美仏のもとへ」で知りました。そしていつか見に行きたいと思っていた願いが叶いました。
-
「オム・マニ・ペメ・フム」(Om・Mani・Padme・Hum)は、チベット仏教徒によって最もよく唱えられている真言(マントラ)です。ガイドさんにモンゴルでも同じか尋ねたら「一緒です。」とのことでした。「オム(Om)」は人間の不浄な身体や言葉や思考とともに、釈迦の身体や言葉や思考を表しています。「悟りの道を開いて純粋な境地に到達したとき、過去の不浄から負の属性を取り除き、不浄な身体・言葉・思考も変わることが出来る」と釈迦は説いています。
-
「マニ(Mani)」は宝石を意味します。秩序や慈悲や他者への思いやりなど、悟りを開くための要素を表し「宝石が貧困をなくすことができるように、利他主義的な悟りの境地は、貧困や孤独を取り除くことができる。宝石が私たちの望みをかなえてくれるように、利他主義の心によって悟りを開き、私たちの望みは実現される」とされます。
-
「ペメ(Padme)」は蓮を意味します。知恵を表し泥の中に生えていても泥に染まらない蓮は人間を矛盾から救い出す知恵の本質を示しています。
「フム(Hum)」は分離できないものを意味し、秩序と知恵が調和することにより至る純粋なる境地を表わします。 -
保管してあるのか放置してあるのか石板に彫られた仏はカラフルな色に塗られています。これがもし大英博物館に収蔵されたら色は全部削り取られると思ったのは、アテネでパルテノン神殿を見たばかりだったかもしれません。
-
この像は「白傘蓋仏頂陀羅尼」を仏格化した女神で、千面千手千足の師型で表されています。広がった白い輪はよく見ると1本1本の手になっています。白傘蓋仏母の強大な仏威を強調するために異様な姿となったもので、足の下には様々な魔物が踏みつけられています。チベットでは寺院を守護するために寺の入り口近くに白傘蓋仏母の千面千手千足像を祀ることが多く見られます。
-
「ストゥーパ」はもともと、仏教の開祖である釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚のことです。釈迦入滅後に仏舎利は8つに分けて配られ、容器と灰土を合わせて10基のストゥーパが造られました。アショーカ王はそれらのストゥーパを壊して8万4000に細分化し、各地に新たなストゥーパを建設したといわれるます。その後に仏教が各地へ広まると仏教の盛んな地域にもストゥーパが建てられ仏舎利を祀るようになりました。
-
チベット仏教では「チョルテン」と呼ばれる仏塔が用いられます。「供養(チョル)」「塔(テン)」は文字通り供養の対象を意味する言葉です。中国を経由し日本に伝播しますが、「五重塔・」「三重塔」「多宝塔」など、木材を使って建てられました。
-
ようやく「観音堂」の前まで来ました。寺院建築としては典型的なチベット仏教の様式を踏襲しています。
-
ただ、よく見ると屋根瓦ではなくモルタルで固めたものを黄色く塗っているようです。
-
南側には巨大な香炉が置かれてあります。観音堂から南を見るとホグド山という聖山が見えるはずなのですが、この日は霞んでいて見えませんでした。
-
一層の屋根の上には先ほどの山門と同じように法輪と鹿の姿が見えました。モンゴルの次の旅はスイスとアルザスのクリスマスマーケット巡りという俗っぽいものですが、年内最後の旅はインドのゴールデントライアングルを旅します。インドの旅はこれが初めてで、2か月後にはアジャンタ・エローラの旅も計画しています。その研ぎ辺りには仏陀の足跡を訪ねてみたいと思っています。
-
摩尼車を回しながら聖なるものの周りを右回りに3周する動作をコルラと言いますが、摩尼車を持ってきていないので「オンマニペメフム」と真言を唱えながら3周しました。
-
堂内に入り目が暗闇に慣れてくると高さ26.5メートルの観音像が見えてきました。政府と民間の資金を合わせて6年以上かけて建設され、1996年に奉納されたものです。重量は90トンで20トンの銅と25キログラムの銀、8.6キログラムの金箔、2,100個以上の宝石でできています。
-
「ガンダン・テクツェンリン寺」1727年に清朝の雍正帝によって創建されました。ジェブツンダンパ8世は病気で盲目となってしまったため、平癒祈願に観世音菩薩像を建立しました。これは1938年にソ連に持ち去られて鋳溶かされたといわれます。1930年にホルローギーン・チョイバルサンが政権を握った後、1938年に寺院は閉鎖されました。その後チョイバルサンはスターリンの指示の下で約1000人の僧侶を「粛清」します。しかし1944年から復興が始まり、社会主義政権の監視の下に1990年までにほぼ復興し、今ではモンゴル仏教界の最高学府となっているそうです。
-
像の姿は一面四臂で両手を胸の前に上げ、親指と人差し指を合わせて輪を作っています。この印相は釈迦が弟子たちに説法するときの姿を表しているため「説法印(せっぽういん)」、「転法輪印(てんぽうりんいん)」と呼ばれます。さらに数珠を持ち、両腕からは五色の布が下げられています。数珠の玉の数は108で、五色の布は、青は仏陀の頭髪の色「定根」をあらわします。黄は仏陀の身体の色「金剛」をあらわし、赤は仏陀の血液の色「精進」をあらわします。白は仏陀の歯の色「清浄」をあらわし、樺(橙)は仏陀の袈裟の色「忍辱」をあらわします。
-
広げられた2本の手の上には持物の水瓶(すいびん)と日輪(にちりん)のようです。瓔珞(ようらく)紋の美しい薄衣を着た姿のようです。
-
観音菩薩は観世音菩薩とも観自在菩薩とも呼ばれ、「観世音」とはその名を一心にお唱えればその声を聞いて救ってくださるという意味です。「観自在」とは衆人の苦しむ姿を必ず見つけるという意味です。観音菩薩の真言は「おん あろりきゃ そわか」ですが、ここでは「オンマニペメフム」と唱えておきます。
-
時計回りに堂内を進むと外側にはガラスケースに納め1万体を越える阿弥陀如来坐像の姿が見えます。これは国内外の信者の方が寄進したものだということです。右手に並ぶ摩尼車を回しながら「オンマニペメフム」を唱えながら先に進みます。
-
脇侍の「金剛手菩薩(チャナドルジェ)」は仏陀の美徳の1つである力の象徴として様々な姿で描かれています。腰にひねりをいれ、右手にドルジェ(金剛杵)を持って頭上にかざしています。左手には羂索(けんじゃく)を持っています。仏教話では単なる仏陀の護衛や案内役でしかありませんでしたが、チベット仏教では金剛手菩薩へと派生していきました。
-
「第三の眼」はその尊の持つ能力を表徴したもので、衆生救済に直接関連のある観音や明王に表されることが多いようです。このような像は日本では見ることができないので個人的には興奮します。
-
反対側の脇侍の「文殊菩薩(ジャンペーヤン)」と合わせて観音三尊(リクスムゴンポ)が形成されています。両脇時には寄進された絹の前掛けが下げられています。
-
智慧の菩薩である「文殊菩薩(ジャンペーヤン)」は胸の前で手を合わせようとする姿の像ですが、右手側には煩悩の根源を断ち切る剣、左手側の蓮の上には智慧を象徴する般若経がデザインされています。通常は右手で剣を振り上げている姿ですが、ここでは穏やかな姿で表したのだと感じます。
-
先に見学を終えた同じツアーのもう1台のバスが南側の門を通って次の見学場所に向かっていました。我々はこれから本堂の参拝が残っています。
-
続いて本堂の参拝に移ります。この寺院はモンゴル国の仏教界の最高学府となっていて、社会主義時代にも宗教活動が許されていた唯一のモンゴル仏教(チベット仏教ゲルク派)の寺院でもあります。1990年の民主化をきっかけに僧院や佛教大学も併設されています。
-
無機質なコンクリート造の本堂に入ると四天王像が出迎えてくれます。日本の四天王像とは違った中国の影響を感じる姿です。持物も日本とは違いますが、何を持っているかで誰なのかは分かります。こちらは「多聞天」で傘を持っています。日本だと宝塔と三叉の戟を持っています。
-
こちらの「広目天」は蛇を掴んでいますが、中国の無錫の南禅寺で見た像は龍を掴んでいました。日本では筆と巻物か戟という槍を持っています。
-
「増長天」が持つのは剣ですので唯一日本と中国の持物が合っています。
-
「持国天」は琵琶を奏でています。中国から渡ってきた文化ですが、日本の四天王は仏法を守るような意味合いが強いように感じます。中国の四天王は「四大金剛」とも呼ばれるそうで、「変形金剛」は映画のトランスフォーマーの事です。
-
階段を上がって本堂の中に入りました。思っていたチベット仏教の大本山のイメージは全く感じられません。先ほどは小さい「ヴァジュラダラ寺院(持金剛堂)」で読経する僧侶の姿を見てきましたが、この本堂では数百人の僧侶が一斉にお経をあげるそうです。想像しただけでもすごい迫力だと思います。
-
ダライ・ラマ14世は16年にモンゴルを訪れた際に「9世の転生者をモンゴルで認定した」と明かしましたが、まだ幼いため身元などは公表しないと述べていました。ジェブツンダンバの転生はチベット仏教の独特の制度で、転生によって代々地位が継承される高僧は現在はダライ・ラマなど200人程度とされます。このうちジェブツンダンバ(モンゴルでの尊称はボグド・ゲゲン)は約400年前から転生が続き、ボグド・ハーン8世は1911年に清から独立したモンゴルの君主でもありました。1924年の8世死去後は社会主義国となったモンゴルでは宗教が弾圧されたため、1932年にチベットのラサで生まれた9世の転生は秘密にされました。チベットやダラムサラで人生の大半を過ごした9世の存在が公表されたのは、モンゴルが民主化された後の1991年でした。
-
中国政府は2007年に高僧の後継者選びと承認に当局が関与することを定めた「チベット仏教の活仏輪廻管理条例」を制定しています。ダライ・ラマ14世の後継者も中国政府が選ぶ可能性が極めて高いとされています。現実にパンチェン・ラマはチベット仏教ゲルグ派でダライ・ラマに次ぐナンバー2の高僧ですが、現職の11世は2人存在します。1人はダライ・ラマによって認定された直後に中国政府によって拉致されて今も行方不明のままです。もう1人は中国政府が独自に指名し、中国内外で「中国共産党統治下の平和なチベット」をPRしています。
-
本尊の近くまで進んで参拝しることも出来ました。「チャクラサンヴァラ」と呼ばれる仏が自身の前にその妃を抱いています。妃は右足を男性にからめています。
-
艶めかしい手足もあいまって、なんともエロティックな造形ですが、この姿はチャクラサンヴァラが主宰する曼荼羅の世界を構成する仏たちを生み出すための神聖な場面で「父母仏(ヤブユム)」と呼びます。この時点で「ザナバザル美術館」へ行けないことも分かっていたので、チベット仏教の仏像に気持ちが傾いています。
-
堂内には「生死輪図」が入り口の扉の脇に掲げられていました。チベット仏教寺院では必ずと言っていいほど見かける壁画です。三つの目を持ち、死者の魂を集める「無常大鬼」が抱く円を5つに分け、その中に「天」「人」「餓鬼」「畜生」「地獄」の5つの世界の様子と輪廻を表した「五趣生死輪図」となっています。
-
中欧の小さな円には「鶏」と「蛇」「猪」を描いて、それぞれ「多貧」「多瞋」「多癡」を意味しています。108個ある煩悩の中で最も人を苦しめる3つの煩悩は貪欲(とんよく)と怒りの瞋恚(しんい)と愚痴(ぐち)ということです。六道は住む世界=生存状態を示すもので、どのように生まれるかを表す「四生」との組み合わせで、「輪廻転生」することになります。輪廻とは車輪の回転のように無限に生死をくり返すことです。「六道輪廻」とか「六道四生」といいます。六道輪廻は元々インドにあった世界観で、インドでは修羅を地獄に含め、五道とする場合もあります。
-
下の3つの場面は六道のうちの「三悪道」とか「三悪趣」と呼ばれる世界です。まずは「畜生道」で弱肉強食が繰り返され、互いに殺傷しあう世界です。人を蹴落としてでも、自分だけ抜け出そうとする世界を表します。
-
「餓鬼道」は嫉妬深さ、物惜しみ、欲望の塊の世界です。この世界から抜け出るためにさらに無理を重ねることになります。
-
「地獄」はさまざまな苦しみを受ける世界で、六つのうち最も苦しみの多い世界とされます。
-
参拝を終えて表に出ると目の前に釈迦の姿がありました。釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれたとされますが、その直後に7歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と言ったという逸話の場面だと分かります。ちょうど2歩歩いたところです。
-
バスに戻る前に南に向いた正門の写真も撮っておきます。
-
自家用車でもすれ違えないほどの大きさなのでバスが通るとほとんど門の開港が埋まってしまいます。
-
扉の両面の4面には四天王の姿が描かれています。初夏に行った和歌山県の旅の最後の「高野山」の壇上伽藍の再建された中門には四天王像が安置されていました。
-
再びバスに乗ってウランバートルの中心地へと戻ります。ツェレンドルジ首相通りの「ビートルズ像」の脇でバスを降ります。
ビートルズ スクエア 広場・公園
-
この場所は1990年の民主化移行時に禁止されていたビートルズやアバなど洋楽について語るため人々が集った場所でした。洋楽が当時の民主化闘争の原動力として一世代を支えたことを記念し、2008年に政治家や財界人、アーティストなどの寄付でビートルズのモニュメントが造られ、ほどなく観光名所となりました。
-
ただ、我々の目的はその背後にある「ノミン百貨店」です。社会主義時代に国営デパートとして開業しましたが、モンゴルの民主化後の改革の中で民営化されました。
-
「ビートルズ像」の裏側には階段に座ってギターを弾く若者の像もあります。ビートルズの像として有名な場所ですが、実際は社会主義に対抗してギターをつま弾く青年が主役なのではないだろうかと思いました。ロシアのウラジオストクには「外国航海船員の記念碑」というものがあり、外国航路の船員がレッド・ツェッペリンのレコードを持っている像があります。その像の明るさと比べるとこちらは奥深さを感じます。
-
旅行前にはグーグルマップで「ノミン百貨店」を検索すると全く違う場所が表示されます。「State Department Store」という名前で探さないと正確な位置にはたどり着けません。
ノミンデパート (旧国営デパート) 百貨店・デパート
-
店内に入って再集合時間を決めて自由行動となります。ガイドさんが案内してくれるようですが、妻と2人でエスカレーターに進みます。最上階まで吹き抜けになったショッピングセンターといった感じです。改修もされているようで、とてもきれいな建物です。
-
エスカレーターは関西と同じ立ち位置のようです。まずは最上階まで進んで、1フロアづつ下ってくることにします。昔の日本の百貨店の噴水効果を思い出します。
-
最上階にはモンゴル由来のお土産物屋さんになっています。その範囲はかなり広く、馬具や馬頭琴などの楽器まで揃っています。観光地では見かけない絵葉書なども充実していて、さらに安いのでモンゴルから絵葉書を出そうと思ったらここがおすすめです。切手を買いに行っている時間はツアー中には無いので、切手代と多少のチップを合わせてガイドさんに委ねるしかなさそうです。
-
モンゴル人の暮らす地域はチベット仏教圏でもあり、仏教の伝来とともに仮面舞踊の「ツァム」も伝わっています。「ツァム」は単なる仮面舞踊ではなく、伝法灌頂を受けた僧に限って修行が許される秘教儀礼であり、秘教修行の観想法を伴って行う集会でもありました。ウランバートル市内には仮面舞踏を見ることができる劇場もあるようですが、毎晩午後9時過ぎに帰って来るツアーでは時間が合いません。
-
百貨店のフロアはほとんど日本の百貨店やショッピングセンターと遜色はありません。唯一違うのがカシミア専門店の集まったフロアです。10軒ほどのブランド店が並んでいますが、目的の「GOBI」は見当たりません。ホテルで貰った「GOBI」の地図では「ホグドバーン広場」の東にある「ガレリア」にしかマークが無かったので、この百貨店からは出てしまったようです。
-
この日の予定では午後6時にホテルへ戻るようになっていたので、ホテルから30分ほど歩いて「ガレリア」に行こうと考えていました。ただこの2日間の予定はホテルへの戻りが午後9時になっているので、ここでも買い物しておくことにしました。といってもすべて妻の買い物なのですが、リバーシブルのカシミアのロングのカーディガンやマフラーに帽子などなど。10数点お買い上げです。
-
「GOBI」というブランドに最初に出会ったのはベルギーのブリュッセルのクリスマスマーケット巡りをしていた時でした。証券取引所の広場に大きなゲルが建てられて仮設ショップになっていました。その後は羽田空港にショップが出来たりして、お値段もお手頃なのでちょくちょく買い物していました。
-
今回のモンゴル旅行を誘った時も「なんでモンゴルなの?行きたくない。」と言っていました。「モンゴルってさぁ、いつも買ってるGOBIのショップがあるよ。」と言った途端に「行きます。」という返事でした。ツアーを申し込んだ後には「VIVANT」の放送もあり、待ち遠しかった旅のようです。
-
今回はほとんど自由時間も無いので路線バスに乗ることもありませんでした。宿泊していた「東横イン」と「ホグドバーン広場」の間くらい乗ってみたかった気もします。
-
まずはバスの切符の買い方から路線図を頭に入れないとなりません。白タクのタクシーにも乗ってみたい衝動に駆られますが、次回のお楽しみにします。
-
ツェレンドルジ首相通りの先には元々国営のサーカス劇場があります。それを朝青龍が権利を得て営業をしていたそうです。コロナ意向なのかサーカスが開催されることは無くなり、高級レストランなどが入ったりして、地元の人はあまりよく思っていないようです。
-
バスの車窓から懐かしいメブラーナ教団の「セマーゼン」という回転舞踏の像が見えました。この辺りはトルコ系の人が住んでいるのか…。
イスタンブールのセマーゼン:https://4travel.jp/travelogue/11563944 -
謎が解けました。この学校にはトルコとモンゴルの国旗が書かれてありました。さらに置かれてあるのはトルコの初代大統領のケマル・アタチュルクの像でした。やはりトルコ系の人が数多く住んでいるエリアでした。
-
ウランバートル市内のあちこちに第2次世界大戦前の建築がその魔訶の姿で残っているようです。
-
バスは「子供宮殿(Mongolian Art Center for Children's Creativity)」の前で停車しました。ガイドさんは子供宮殿と呼んでいましたが、社会主義時代っぽい呼び方だと思いました。モンゴル子供創造芸術センターの方が馴染みが良いです。どこか別の場所で公演でも行うのか、舞台で使う道具のようなものを手分けして搬出していました。
-
昼食は「モダン・ノマド(MODERN NOMADS)」というレストランでした。ドアを入ると階段があり、店は地下にあるようです。
モダン ノマズ (ブランチ 5) 地元の料理
-
地下の壁にはモンゴルの兵士が埋められているようです。ここで思い出したのが昔ロシア大使館近くの神谷町にあったロシア料理のレストラン「ヴォルガ」でした。1階には入り口だけで階段を下っていくと西洋の甲冑が置かれてありました。小学生の口には脂っこいピロシキや羊肉などは美味しく感じられませんでした。よく両親に連れられて行きましたが、無くなる前にもう一度云っておけば良かったと思った店です。
-
店内はモダンな遊牧民というだけあっておしゃれなインテリアです。トラピックスだけではなく、いろいろなツアーでも利用されている店のようです。地元の人の姿も多かったので人気店であることは分かりました。
-
重ね重ね119,800円という4泊5日のツアーでこんなレストランで食事して良いのだろうかと思ってしまいます。
-
まずは塩味の効いたミルクティーからスタートです。一昨日テレルジ国立公園のゲルでいただいたミルクティーが遠い昔のように思えてきます。
-
今回のツアーはそれくらい充実していたといえます。
-
ミルクティーの「スーテーツァイ」を飲んだのはこれで2回目ですが、体に沁みいるような塩味が料理にも合うと思えてきます。
-
妻も気に入ったようです。
-
まずはドレッシングで和えたサラダが出てきました。お皿のデザインは先ほどガンダン寺の摩尼車でも見た八吉祥というデザインの中の吉祥紐(エンドレス・ノット)があしらわれています。
-
美味しい野菜サラダに大満足のようです。カシミヤのカーディガンにマフラーに帽子を幾つも買ったら笑みもこぼれるよね。
-
メイン料理に備えてビールもお願いしました。ここは高級店のようで、ビールは小瓶だったので2本注文します。1本10,000はちょっと高いです。
-
羊肉のスパーシーなスープは五臓六腑に沁みわたります。このレストランの料理はおいしいと確信します。
-
雨水塩味のピラフが出てきました。
-
そして2人で大皿いっぱいの「ホルホグ」です。羊肉の塊を野菜と塩、香辛料とともに大きな缶に入れ、さらに焼けた石とを交互に詰めて石焼きにした料理です。大モンゴル帝国時代は生きた羊を連れて遠征に出ましたが、料理する際には鍋などの調理器具を持ち歩かないために丸焼きにしたそうです。羊の胴体自体が調理器具だったわけです。ただ、内側と外側で焼きむらが出来てしまうために、内側にヤイ大使を入れたのが始まりだそうです。
-
羊のあばら骨に着いた肉をそぎ取っていただきます。これもかなりスパイシーなので喉が渇きます。ナイフとフォークもありますが手で食べた方が野趣もあって美味しいと思います。
-
最後に柘榴の実の乗ったアイスクリームが辛さと熱さを和らげてくれます。
-
バスは道路事情の聖火かなり遠回りしながら次の目的地に向かいます。「モンゴル国立大学」はモンゴル国最初の国立大学で、ホルローギーン・チョイバルサンが創立したことから彼の銅像が正面に建っていました。
-
バスは「国立民族歴史博物館」の建物の前で停車して、我々を降ろして走り去ってしまいます。博物館の見学はこの後で、先に「スフバートル広場」に向かうようです。
モンゴル国立博物館(国立民族歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
-
博物館から続くのは「政府宮殿(国会議事堂)」の建物です。「政府宮殿」の立地する土地はウランバートルで最も歴史の古い地区であり、かつてはチベット仏教の聖地でした。化身ラマのボグド・ハーンの宮殿を中心に約15,000人の僧侶が住む寺院群で宗教都市を形成していました。
-
1921年の共産党革命を経て1924年にモンゴル人民共和国が成立すると宗教は否定され、寺院群は全て解体されました。1926年に講堂が建設されましたが1946年に失火により全焼し、ホルローギーン・チョイバルサン首相は政府宮殿の建設を決定します。
-
宮殿の設計図はソ連の協力を得て作成され、建設には400人の雇用労働者と800人の囚人が参加しました。その中には第2次世界大戦中の日本人捕虜も含まれていました。工事は1947年に始まり1951年に完成しました。
政府宮殿 (国会議事堂) 城・宮殿
-
1990年のモンゴル民主化運動の後に「政府宮殿」には幾つかの変化がありました。宮殿前の「スフバートル広場」にあったスフバートル廟が解体され、代わりにチンギス・ハーン像が設置され、宮殿のファサードが改修され、モンゴル風の屋根に置き換わりました。
-
宮殿に向かって左手にはオゴデイの像が置かれてありました。父帝チンギス・ハーンに従ってモンゴル統一や金遠征、大西征に従いました。大西征においては現在のイラン高原にあったホラズム・シャー朝の討伐で戦功を挙げ、その功績によりナイマン部の所領を与えられました。
-
オゴデイにはジョチとチャガタイという2人の有能な兄がいましたが、ジョチは出生疑惑をめぐるチャガダイとの不和から、チャガタイは気性が激しすぎるところからチンギス・ハーンから後継者として不適格と見なされていました。オゴデイは温厚で一族の和をよくまとめる人物であったため、父から後継者として指名されます。
-
オゴデイは父の覇業を受け継ぐべく積極的な領土拡大を行ない、1232年にはトルイの活躍で金の名将の完顔陳和尚率いる金軍を壊滅させ、1234年までに金を完全に滅ぼしました。1235年には首都としてカラコルムの建設を行い、同地でモンゴルの最高意思決定機関であるクリルタイを開催しました。南宋方面とキプチャク草原からルーシ(ロシア)や東欧に至る西方遠征の2大遠征とあわせて高麗、カシュミールへの遠征計画を決議しました。
-
中央にはひときわ大きなチンギス・ハーン像が鎮座しています。階段の下には柵が設けられて近づくことは出来ませんが、結婚するカップルの記念写真の撮影ポイントとして人気があるためか、前撮りなどは許可されるようです。
-
ガイドさんの説明を聞きながら写真撮影も行います。広大な広場なので吹き抜ける初冬の風が冷たいです。チンギス・ハーン像は高さ13メートル、重さ250トンもあり、この像は2006年に設置されました。
-
チンギス・ハーンの生涯を描いたモンゴルの伝説的な歴史書「元朝秘史」によれば、その遠祖は天の命令を受けてバイカル湖のほとりに降り立ったボルテ・チノ(蒼き狼の意)とその妻なるコアイ・マラル(青白き鹿の意)であるとされます。ボルテ・チノの11代後の子孫のドブン・メルゲンは早くに亡くなりますが、その未亡人のアラン・ゴアは天から使わされた神人の光を受け、夫を持たないまま3人の息子をもうけました。チンギス・ハーンの所属するボルジギン氏の祖となるボドンチャルはその末子でした。
-
チンギス・ハーンはイェスゲイ・バアトルの長男として生まれ、テムジンという名を与えられます。チンギスが誕生した直前にイェスゲイはタタル部族の首長であるテムジン・ウゲとコリ・ブカと戦い、このテムジン・ウゲを捕縛して連行して来たため、息子の名前をテムジンとしたとされます。
-
1205年にテムジンは高原内に残った最後の大勢力である西方のナイマンと北方のメルキトを破り、宿敵ジャムカを遂に捕えて処刑します。南方のオングトもテムジンの権威を認めて服属し、高原の全遊牧民はテムジン率いるモンゴル部の支配下に入ります。翌1206年2月にテムジンはフフ・ノールに近いオノン川上流の河源地に功臣や諸部族の指導者たちを集めてクリルタイを開き、九脚の白いトゥク(ヤクやウマの尾の毛で旗竿の先を飾った旗指物)を打ち立て、諸部族全体の統治者たるチンギス・ハーンに即位してモンゴル帝国を開きます。
-
右手にあるのはクビライの像です。1215年にチンギス・ハーンの4男のトルイの子として生まれました。1251年に兄のモンケがカアンの座に就くと、ゴビ砂漠以南の南モンゴル高原と華北における諸軍の指揮権を与えられ、中国方面の領土の征服を委ねられました。翌年には自身が所領とする京兆(唐の長安、現在の西安)を中心とする陝西を出発して雲南への大理遠征に出発、南宋領を避けてチベットの東部を迂回する難行軍の末に1253年に雲南を支配する大理国を降伏させました。
-
軍中で流行した疫病で兄のモンケが亡くなると年若い息子達にかわって3人の弟達が後継者となる可能性が生じます。三弟のフレグは遠くイランにおいて西アジアの征服事業を進めていたため、皇帝位を巡る争いは次弟のクビライと末弟のアリクブケが当事者となります。この内紛では精強な東部の諸部族を味方につけたクビライ側がシムルトゥ・ノールの戦いに勝利し、早々に華北と高原の大半を制覇しました。一方のアリクブケは高原北西部のオイラト部族の援助を受けて一時は高原中央部のカラコルムを取り戻しますが、中国農耕地帯の豊かな物資を背景にクビライが行った経済封鎖によって自給のできないカラコルムはたちまち危機に陥いります。1264年にアリクブケは降伏し、クビライが単独の皇帝となります。
-
帝国の南北分裂の原因となった弟のアリクブケとのモンゴル帝国帝位継承戦争に勝利したクビライは帝国の中心をモンゴル高原のカラコルムから中国の大都(現在の北京)に移動させるなど様々な改革を打ち出しました。クビライの代以降のカアンの直接支配領域はモンゴル帝国のうち中国を中心に東アジアを支配する元朝(大元帝国)に変貌してゆきます。
-
座するチンギス・ハーンと対峙するように広場の中央に据えられた騎馬像は広場の名前にもなっているスフバートルです。ダムディン・スフバートルはモンゴルの革命家で軍人です。遊牧民の子として生まれ、名前のスフは斧、バートルは英雄という意味があります。ボグド・ハーン政権のモンゴル国軍に入隊し、中国軍が外モンゴルに侵入してキャフタ協定で獲得した自治を撤廃すると、スフバートルは独立運動に参加していきます。
チンギスハーン広場 広場・公園
-
スフバートルやチョイバルサンらを中心にモンゴル人民党を結成するとスフバートルは軍事部門を担当し、モンゴル人民義勇軍を編成します。ボグド・ハーンを戴いた人民政府が樹立された後は全軍司令官に就き、1922年12月まで国防大臣を兼任しました。革命の早い時期に病死(或いは暗殺)したため、チョイバルサンと共に人民革命の功労者として高い評価を受けていました。社会主義崩壊後の今日でも「近代モンゴル軍の父」として英雄視され、モンゴルの紙幣トゥグルグにはチンギス・ハーンとともに彼の肖像が用いられています。
-
チンギス・ハーン像を護るようにモンゴル軍隊長ポオルチュとムカリの騎馬像が左右に居並びます。ボオルチュはチンギス・ハーンの家臣で、イェスゲイ没後の貧窮時代から仕えた続けたモンゴル帝国草創期の第一等の勲臣です。父のイェスゲイと部民を失い、困苦の日々を送っていたテムジンの一家は遊牧民の財産である馬のほとんどを盗まれてしまいました。奪回のために追跡を開始したテムジンがたまたま出会ったのがボオルチュでした。テムジンから事情を聞いた彼は盗賊の追跡とそのアジトの強襲と劫掠の協力でした。13歳の少年とは思えないその義侠と不敵、智勇に感銘をうけたテムジンは最初の部下として親友として行動を共にさせます。
-
四駿四狗(ししゅんしく)とはモンゴル帝国の建築者チンギス・ハーンに仕え、モンゴルの歴史を記した年代記「元朝秘史」において、「4頭の駿馬・4匹の狗」と讃えられた優秀な8人の最側近のことで、ボオルチュとこのムカリも含まれています。チンギス・ハーンの左翼諸軍に属す24の諸千戸隊を統括する万戸(トゥメン)の長であり、1206年のチンギス・ハーン即位時の功臣表ではモンリク・エチゲ、ボオルチュに次ぐ第3位に数えられています。
-
司馬遼太郎は「街道を行く/モンゴル紀行」」の中でこの「国立オペラ・バレエ劇場」について触れています。「当時のソ連は旧満州でひっからげた日本人捕虜をモンゴルにも配給した。モンゴルだけでその数は一万三千八百四十七人だったという。二カ年の抑留中、その一割が死んだ。かれらはあらゆる種類の労役に従事させられたが、この国立中央ぽぺら劇場の建設もそうだった。そういう知識さえなければ、どれほど愉快に、この一見石造ふうな受講な、しかも近づいてみればセメント製の建物を眺めることができたであろう。」と書いています。
国立オペラ劇場 劇場・ホール・ショー
-
司馬遼太郎は大阪大学の外国語学部でモンゴル語を学ぶほどのでしたが、このオペラ劇場だけはどうしてもまともに見る気にはなれなかったようです。ただその当時の日本人捕虜が建設したのはこの建物だけではないようです。
-
「文化宮殿」と同じようなデザインで後ろに建つのは「モンゴル国立近代美術館」の建物です。文化宮殿の建物は1988年にロシア連邦によって建設され、モンゴルに寄贈されました。
-
「A」セクションには1325席の大コンサートホール、国立フィルハーモニー管弦楽団、バヤンモンゴルアンサンブル、ヴァイオリンアンサンブル、演劇博物館、下院行政、文化エルデネグループなどの施設が入り「B」セクションには児童書図書館、ソウル文化会館、アートギャラリー、文化遺産センターなど、「G」セクションには行政機関が入っているようです。
-
広場の角にはモンゴル中央郵便局の建物も見えます。司馬遼太郎は「国立オペラ・バレエ劇場」について触れていますが、「政府宮殿」、「ウランバートル中央郵便局」「モンゴル証券取引所」など、これらの建造物も第2次世界大戦後に抑留された旧日本軍兵士の捕虜たちによって造られています。
-
ペパーミントグリーンの美しい「ウランバートル市役所庁舎」も広場に面して建っています。後ろに建つ「ハンガリッド・パレス」という「VIVANT]でも見覚えがある市政府のビルが見えます。
-
ウランバートル市の公式の紋章はガルーダです。ガルーダは仏教とヒンズー教の聖典の両方に登場する神話上の鳥で、モンゴル人には「カーン・ガルーダ」または「ハーンガルダ」として知られています。
-
ガルーダの右手には繁栄と解放の象徴である鍵を持ち、左手には平和と平等と純粋さの象徴である蓮の花を持っています。脚爪には悪の象徴である蛇を掴んでいます。ガルーダの額にはモンゴル国旗にも描かれているソヨンボのシンボルが刻まれています。
-
ガイドさんは「VIVANT」の撮影クルーもやっていたそうで、今回のツアーの観光中もいろいろなエピソードを披露してくれました。ツアーの皆さんも興味深げでしたが、一番興味があったのは続編があるかどうかでした。広場の見学の後は「国立民族歴史博物館」の見学に移ります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2023 モンゴルの旅
-
前の旅行記
トラピックス This is モンゴル5日間(6)ウランバートル郊外の日の出は凍てついた風景の中で疾走するシ...
2023/11/02~
ウランバートル
-
次の旅行記
トラピックス This is モンゴル5日間(8)国立歴史民族博物館で改めて大モンゴル帝国以前の歴史と文化に...
2023/11/02~
ウランバートル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(1)久し振りの成田空港からのフライトは1時間ディレイで、雪のウ...
2023/10/30~
ウランバートル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(2)ウランバートルから雪原を越えてエレディネ村のチンギス・ハー...
2023/10/31~
テレルジ
-
トラピックス This is モンゴル5日間(3)テレルジ国立公園で馬頭琴の演奏とホーミーを聴き、ゲルの遊牧...
2023/10/31~
テレルジ
-
トラピックス This is モンゴル5日間(4)ウランバートル駅からシベリア鉄道のコンバートメントに乗り、...
2023/11/01~
ウランバートル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(5)観光バスのまま草原を走り、ロシア製UAZに乗り換えてホスタ...
2023/11/01~
モンゴル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(6)ウランバートル郊外の日の出は凍てついた風景の中で疾走するシ...
2023/11/02~
ウランバートル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(7)ガンダン寺を参拝し、ホルホグを食べてスフバートル広場でチン...
2023/11/02~
ウランバートル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(8)国立歴史民族博物館で改めて大モンゴル帝国以前の歴史と文化に...
2023/11/02~
ウランバートル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(9)国立歴史民族博物館で改めてモンゴルの歴史と文化について学ぶ...
2023/11/02~
ウランバートル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(10)ボグドハーン宮殿博物館でザナバザル派の仏像に感動し、ザイ...
2023/11/02~
ウランバートル
-
トラピックス This is モンゴル5日間(11)チンギス・ハーン国際空港でウォッカとカシミアのカーディガ...
2023/11/03~
ウランバートル
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2023 モンゴルの旅
0
120