2023/02/01 - 2023/02/01
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kojikojiさん
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前日の深夜にJRで門司港駅に入り、昭和初期のノスタルジックな雰囲気を味わいながら平成に竣工した「プレミアムホテル門司港」にチェックインしました。このホテルを知ったのは「商店建築」という雑誌だったと思いますが、当初は「門司港ホテル」という名前でした。イタリアの建築家アルド・ロッシの遺作で、設計のテーマは門および鮫でした。インテリアデザインは内田繁ということで、一度は泊まってみたいと思っていました。2005年の秋に大阪南港から釜山へのフェリークルーズの際に関門海峡を通過する際にその姿を見て、憧れはさらに強くなっていました。昨年の12月の最後の旅は柳川から唐津、門司港と下関の旅でしたので、このホテルを見ることが出来ると思っていました。ところがクリスマスの爆弾低気圧の影響で九州の高速道路が閉鎖になってしまい、小倉止まりで来ることが出来ませんでした。同じツアーの方の中には電車で門司港まで来た方もいたようですが、帰りには電車が運休して苦労してバスで戻ったなんて話も聞きました。年末にリベンジを計画をまとめ、年明けの全国旅行支援の再開を待って予約を始めました。おかげでフェリーもこのホテルも割引があり、福岡県のクーポン券までいただけました。夜が明けると部屋の4つの窓から門司港の古い町並みから関門海峡越しの唐戸の風景、そして関門海峡大橋と行きかう貨物船を眺めることが出来ました。この日は前日に台湾からのバス2台のお客さんが宿泊しているというので、朝食は午前9時からにしました。午前10時に用事があったので30分ほど前に2階のレストラン「Buffe farmers」に入りました。シンガポールのラッフルズホテルのバーにあるような回転する団扇のある洒落た席に案内されます。ここのレストランの特出するメニューは朝からスパークリングワインが白とロゼの2種類が飲み放題ということです。それに合うようなオードブルのメニューも多く、ゆっくり食事が楽しめました。10時前に近くのローソンに入り、Loppiの前にスタンバイして10時発売の青森の八戸で開催される「えんぶり」という祭りのチケットを購入するためです。旅先でありながら次の次の旅行のチケットを手配するという頭がこんがらがりそうなことです。次の秋田の旅の現地ツアーが催行決定にならないので、ダメな場合の対応も考えながらの旅です。何とかチケットも購入できたので一安心してホテルに戻ります。出かける準備をして部屋からも見える「旧大連航路上屋」に向かってみます。現在は建物の前を道路が通り、さらに海峡側には「関門海峡ミュージアム」が建っていますが、往時はこの建物が港のターミナルだったと知ると郷愁に駆られます。以前に中国東北部の大連を旅した際には港にある「大連港港務局」の屋上から眺めた「大連港候船庁」を思い出します。母方の伯父は満鉄に勤めていて、帰国の際は大連港から船で帰国した話を聞いたことがありました。どこの港へ着いたか迄は聞いていませんでしたが、ここだったのかもしれません。その後は昨夜も少し見学した「門司港駅」をじっくり見学して、さらにノスタルジックな門司港の建物を見学していきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前日は午後11時前のチェックインでしたが、旅先ではなぜか早起きになり、夜明け前に目が覚めてしまいました。対岸の山口県の唐戸の明かりが見えます。
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右手には関門海峡大橋と背後の「火の山公園」のある火の山がうっすらと見えます。
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夜が明けると関門海峡はまた違った眺めを見せてくれます。行きかう貨物船の姿も多くなります。「海峡ゆめタワー」がきれいに見えました。
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唐戸港から貨物船を避けるように関門汽船の船がやってきました。航跡をたどってどこが唐戸の港かが分かりました。
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第一宮丸というタンカーが西から東に向けて航行していきます。上海の黄浦江を望むシャングリラや香港のペニンシュラから眺めた景色を思い出します。日本にもこんな海峡を眺められる場所があったのだと改めて感じます。
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下関の「海峡ゆめタワー」は平成8年の1996年に関門海峡のランドマークとして誕生したようです。3層からなる球状の展望室の最上階は日本有数の143メートルもあります。
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部屋の別の窓からも景色を眺めてみます。こちらには「旧大阪商船」のレンガ建築が見えます。この建物をこの高さから眺められるのはこのホテルだけだと思います。
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その横は「旧門司三井倶楽部」の瀟洒な建物があるのですが、この時は改修工事中でした。直前になってレストランのホームページを見ていて気が付きました。
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グーグルマップで方角を確認して、「春帆楼本店」の位置も分かりました。手前の黒い瓦屋根は「日清講和記念館」の建物です。中学校の歴史で習ったその舞台が間近にあるのだと感じます。
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右側の赤い建物は「赤間神宮」で「春帆楼」との間にあるのは「安徳天皇 阿彌陀寺陵」だと分かりました。歴史の舞台を感じて、ようやく門司港の旅の気分が盛り上がってきました。
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近くの桟橋に停泊していたグリーンシッピングのタグボート「あおい」が関門海峡大橋を越えて仕事に向かっていきました。
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唐戸に向かうボートが貨物船に向かっていきます。この後左に迂回して航行波を乗り越えて進んでいきます。
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サンスターラインのパンスターフェリーの「PanStar Genie No,2」という貨物船が釜山に向かって航行していきます。2005年に大阪南港から釜山へ向かった「PanStar Dreem」の旅を思い出します。往復船内での宿泊と釜山のホテル1泊と観光が付いて25,900円という安さだったことを覚えています。ちょうど「朝鮮通信使」のお祭りの日で美しい民族衣装の行列を見ることが出来ました。
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チェックイン時に翌朝の朝食の時間を尋ねられました。初日だけ台湾からのバス2台の団体ツアーが来ていて、午前7時は混雑していると教えていただきました。21時間フェリーに乗って午後11時のチェックインだったので、翌朝は遅い時間にしていただきました。
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とは言え、午前10時前に近くのコンビニに行かなければならない都合もあったので午前8時30分に2階のレストランに向かいました。1階からの大階段を上がった突き当りにあるゲートの奥にあるレストランです。ここに来るのが長年の願いでもありました。
Buffet farmers グルメ・レストラン
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入って右側がステーキハウスの「Red&Brack」で、左側が朝食会場の「Buffe farmers」です。初日だけはメニューなどの説明をしてもらえます。
Buffet farmers グルメ・レストラン
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ここで初めて知りましたが、朝食にはスパークリングワインのサービスがあり、白とロゼの2種類が飲み放題でした。
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毎日4杯くらいいただいたので朝からいい気分でした。朝からスパークリングワインがいただけるホテルになど泊まることは少ないのですが、最後に宿泊したブダペストのヒルトンホテルのことも思い出しました。ワインクーラーの置かれた横のテーブルに座ったので、手を伸ばせばいくらでもおかわりできて便利でした。
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ヒルトンにもこれと同じマッケインのスマイルポテトがありました。
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小倉の笹尾エッグの「蘭王(らんおう)」という卵を使った卵丼がライブキッチンでいただけます。
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ブランド卵を使った卵丼は初日にいただきましたが、濃厚でとても美味しかったです。
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このホテルのベーカリーコーナーはとても充実しています。ただ、ご飯をメインに食事していたのであまり食べられなかったのが残念です。
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ヴィエノワと表示してありましたが、どこがウィーン風なのかちょっと分かりませんでした。ヴィエノワというのはフランス語の「パン・ヴィエノワ(pain viennois)」のことでウィーン風のパンという意味ですが、ウィーンのパンというとカイザー・ゼンメルとクロワッサンしか思い当たりません。
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マフィンやカヌレやドーナツまで並んでいて充実したメニューです。
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国産の100%オーガニックのHanny Comb(ハニカム)も置かれていました。コロナ禍前の最後の海外旅行はトルコ周遊の旅でしたが、行った先々でハニカムを手頃な値段で買うことが出来ました。ここではヨーグルトにかけていただきました。
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炭の上ではサバがいい具合に焼けています。これは日替わりで小さなフグの干物の日もありました。
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サラダのコーナーも充実していて、新鮮な野菜がたくさん並んでいます。これで毎日シーザーサラダを作っていただきました。
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普段は妻にお任せですが、ホテルでサラダを作るのは楽しいものです。
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卵丼にはお好みで七味を掛けるのがおすすめです。半熟のいい加減のトロトロ感が最高の出来具合でした。
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ベーコンもソーセージもいい素材なのが分かります。シーザーサラダとともにスパークリングが進みます。
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ここの朝食には妻も大満足でした。
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午前9時を過ぎると食事をしているのは我々くらいでした。今回このホテルには3泊しますが、門司港だけで3泊する人も少ないのではと思いました。そのせいで角部屋にしてもらえたのだろうと勝手に解釈していました。
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建物はイタリアの建築家アルド・ロッシの設計で、インテリアデザインは内田繁というビックネームですが、その後のリブランドで改装が施されています。野沢誠の設計によるものなのか気持ちの良いレストラン空間です。回転する団扇型のファンはシンガポールのラッフルズホテルのロングバーを思い出させます。シンガポール・スリングが高かったこととともに覚えています。
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コーヒーはポットに入れられたものでしたが、カヌレとドーナツとヨーグルトも楽しみました。
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隣の「Red&Brack」も覗かせてもらいました。こちらには入り口にライブキッチンもあり、ステーキが焼けるのが見えるようになっていました。こちらは普通の天井ファンが設けてありました。
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午前10時前に1人でホテルを出て少し離れたローソンに向かいます。昨年10月以降の全国旅行支援にもお世話になりましたが、今年も数多くの旅行を計画しています。今回の九州の旅も全国旅行支援を利用していますが、東京に帰ってすぐに秋田県の祭りを観に行く旅と、青森県の三沢の「青森屋」に泊まりながら八戸の「えんぶり」を見る旅を計画しています。
プレミアホテル 門司港 宿・ホテル
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秋田の旅の「上桧木内の紙風船」と「柴灯(せど)祭り」の現地発着のツアーが催行決定になっていないので毎日確認するのと、2月1日の午前10時に八戸の「えんぶり」の更上閣という屋敷の座敷からえんぶりを観るチケットの申し込みがミッションとしてありました。30秒前にスタンバイして10時ジャストにボタンを押してチケットが買えました。Loppiを扱うのは初めてだったので心配でしたが、これで一安心です。
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ホテルに戻ると心配していた妻が窓を開けて待っていてくれました。2階はロビーとフロント、客室は4階と5階だけのようです。角部屋はこの面が4つと側面に1つの窓があります。それ以外の部屋は窓は1つだけなので、角部屋は最高のロケーションです。
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昨夜は遅い時間だったのでロビーを見ていませんでしたが、部屋に戻る前に少しのぞいてみました。
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解放された窓からは関門海峡が美しむ望めます。台湾の団体さんが出発した後は閑散とした雰囲気です。
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バーカウンターがありますが、特に利用されている様子はありません。部屋に戻って妻にチケットを見せて、出かける準備をします。
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ホテルを出発して海峡沿いの道を進みます。「関門汽船」の門司港乗り場も確認しておきます。夕方には下関に向かう予定があります。「ホームリンガー商会」の建物は昭和37年の1962年に建てられています。比較的最近に建造されているのは、前身の会社があったからで、慶応4年の1868年にイギリス人の貿易商フレデリック・リンガーがエドワード・Z・ホームとともに設立したホーム・リンガー商会です。長崎の発展の一助となった同商会は第2次世界大戦中に閉鎖され、かつての日本人従業員が門司の地で再開した会社がホーム・リンガ商会です。現在はロイズの看板の通り外国船舶の代理店業を営んでいるようです。
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通りの先には「関門海峡ミュージアム」の建物がありましたが、この時はここへは立ち寄りませんでした。特に見るものはないと考えていましたが、翌日行ってみると4階の喫茶スペースや展望台などなかなか素晴らしいものでした。
関門海峡ミュージアム 美術館・博物館
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目的は隣接する「旧大連航路上屋」でした。2010年に大連と旅順、瀋陽と長春と哈爾濱を巡る旅をしたことがあります。その大連とここが航路で結ばれていたと思うと感慨深いものがあります。
旧大連航路上屋 名所・史跡
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この建物は昭和4年の1929年に国会議事堂等を手掛けた官庁建築課大熊善邦の設計によって門司税関1号上屋として建設されました。大連だけではなく台湾や中国各地と門司港を結ぶ国際航路のターミナル施設として使われていました。
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建物の中は当時の船舶の模型や海事資料が展示されていました。映画や芸能資料を展示する松永文庫はあまり興味が持てずに軽く見学しただけに終わりました。
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2階に上がると頂戴な通路がありました。往時はここで貨客船に乗り込む待合いだったのだと思います。この時代は東京駅からベルリンまでの切符が買えたなんて話を思い出すと、地球は広くなったのか小さくなったのか考えてしまいます。
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2023年現在では島根県から韓国経由でロシアのウラジオストックへ行く航路も無くなってしまったようなので、一筆書きで日本国内からシベリア鉄道を利用してヨーロッパへ行くこともできません。
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足元のボラード(係船柱)を見ると、かつてはここが波止場だったということが分かります。この目の前に貨物船や客船が係留されていたのだと思うと不思議な気分になります。
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通路の一角にあった窓はここから船へのボーディングブリッジがあったであろうことを想像させます。
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2010年に行った大連の「大連港港務局」の建物です。韓国では日本の古い建物は破壊されますが、中国ではそのまま大切に利用されています。警備員さんに「観光です。」と伝えるとどこかに電話を掛けてくれました。しばらく待つように促され写真を撮っているとエレベーターから係員のお姉さんが降りてきて、一緒にエレベーターに乗り込むと鍵を開けて通常は不停止の屋上のボタンを押してくれました。
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「大連港港務局」の屋上から眺めた大連港です。係員のお姉さんの説明では「ここからほとんどの人が引揚げ船で日本に帰りました。」ということです。目の前の建物はその当時から使われている「大連港候船庁」です。手前の建物は新たに造り直されているようですが、奥に続く部分は昔のままのようでした。
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現在は「関門海峡ミュージアム」側が正面入り口のような扱いですが、往時は妻手が正面入り口であったであろうと想像できます。
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キャノピーも残されてあるので、ここに車を乗り付けることもできたのだと想像します。入り口の両脇には守衛室のようなものがあり、「階下検査場」と書かれた古いプレートが嵌め込まれています。建築もアールデコを感じさせますが、その文字の書体も1920年ころの書体のようです。
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2010年の旧満州の旅は当時出版された浅田次郎の小説から「マンチュリアンリポート」というタイトルにしていましたが、ここ門司へきてその旅が完結したような気分になりました。
マンチュリアン・リポート https://4travel.jp/travelogue/10504684 -
この日のお昼は門司港名物の焼きカレーを食べる予定にしていましたが、妻は女優の上戸彩が絶賛していたこの「Bear Fruits」に入りたいようでしたが目的の店は別にありました。
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「門司港駅」まで戻ってきました。朝の通勤や通学時間を過ぎてしまうと駅周辺は閑散とした雰囲気です。鹿児島本線の「起点駅」であり、「終着駅」という威厳を感じる建物だと思います。
門司港駅 駅
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関門トンネルが開通するまで九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わった歴史があります。駅舎は重要文化財に指定されており、現役の駅舎で重要文化財指定を受けているのは門司港駅と東京駅だけです。
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駅前の広場には「和布刈神事像」が置かれてありました。「和布刈神事」は旧暦元旦の早朝に干潮の海でワカメを刈り取り神前に供える儀式で、松本清張の小説「時間の習俗」の冒頭はこの神事から始まります。昨年の早春に行った鳴門でボートに乗って沖合で養殖されたワカメ刈をしたことを思い出しました。
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古い切符売り場はそのままの姿で残されています。プラハ中央駅やスペインのトレド駅の駅舎を思い出します。久しくヨーロッパの鉄道旅にも行けていないことを痛感します。早く旅を再開しないと体力的に鉄道やフェリーの長旅はできなくなりそうです。
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古い券売所に組み込まれた切符の自動販売機は車いす対応になっています。昔は人間が対応していた業務も機械に変わると味気ない気もしますが、ヨーロッパの多くの国では簡単にネットで切符が購入できてしまい、駅で駅員さんと話をする機会も無くなっています。
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駅舎の一角には博物館のようなコーナーも作られていました。ガラスケースの中に入った青焼きの図面が時代を感じさせます。ジアゾ式複写機は青焼き機と呼ばれ、この図面を見ただけでアンモニア水溶液の臭いが鼻腔の奥に蘇ってきます。
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昭和13年ころの駅舎の2階にあった「みかど食堂」の従業員の記念写真も展示してありました。「みかど食堂」は当時の高級レストランで、日本で初めて駅構内や食堂車で営業をはじめたみかど株式会社が運営していました。戦後になると1階の旧一等と二等待合室に店舗を移し、昭和56年まで営業していたそうです。
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建築設計やインテリアの設計の仕事をしていたので、このような図面には目が止まってしまいます。特に手描きの図面をドラフターで引いていた最後の世代だと思うので、なおさら興味深く思えてしまいます。
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門司港駅に使われていた建築部材の一部も展示してあります。
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「みかど食堂」で使われていた食器も興味深いです。昨年太平洋フェリーの旅で行った名古屋ではノリタケ・ミュージアムにも行くことが出来ましたが、ここにもノリタケの食器が展示してありました。我が家にあるオールド・ノリタケもこんな時代に作られたのだと思うと愛着が湧いてきます。
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昨夜は暗くてよく分からなかった鉄骨トラスを使った構造や明り取りの屋根の雰囲気が良く分かりました。
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2階には「みかど食堂 by NARISAWA」としてレストランが営業しているのですが、案内などが出ていませんでした。このレストランには門司港を去る日にお昼でも食べようと考えていました。
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古い公衆電話も組み込まれた木製の階段が美しいです。コロナ禍前に最後に旅したトルコでは、ツアーを離団して20キロほどタクシーを飛ばしてシルケジ駅にある「Oriento Express」というレストランへ行きました。過去に3度ほど行ったことはあるのですが、どうしても初めての妻を連れて行きたかった店でした。
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「みかど食堂 by NARISAWA(バイ ナリサワ)」として営業している門司港駅でもそんな思い出を作りたいと思っていました。
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駅舎の裏側に入り口を見つけたので階段を登ってみました。午前11時を過ぎていたので、営業が始まる時間帯でしたが閑散としています。
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人がいる雰囲気や気配は感じられますが姿は見えません。
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以前テレビの旅番組で天気予報士の石原良純がここで食事をしている姿を見たことがありました。きれいにリノベートされた貴賓室はとても美しいです。確か壁のクロスも再現したと記憶しています。
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そのわきのガラス張りの壁からは天井裏の小屋組みを見ることもできました。
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結果的には翌々日の門司港を去るタイミングでは早目の移動を考えて、お昼は博多でとることにしたのでここへ来ることはありませんでした。今回旅行記を作成するにあたりネットで調べてみると、レストランは1月30日で閉店していることが分かりました。訪れた日は2月1日だったので、この時には閉店していたわけです。これでこの時に感じた違和感の意味が謎解きできた気になりました。同時に知らずとは言え、内部を見学できてよかったと思います。
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「バナナの叩き売り発祥の地」の碑の記念写真。マスクにサングラスは怪しすぎる風体です。バナナが日本に輸入されたのは明治36年頃で、台湾の基隆(キールン)の商人が神戸に持ち込んだのが始まりです。それが大量輸入されるようになったのは明治41年以降で、門司港が産地台湾と最も地理的に近い関係もあって、大量荷揚げされて市場が設けられたそうです。運送中に蒸れてしまったり傷のあるものは早く売りさばかなくてならず、啖呵売(たんかばい)で叩き売りが始まったようです。子供の頃に父の親せきが横浜でバナナ問屋を営んでいましたが、羽振りが良かったことを覚えています。
バナナの叩き売り発祥の地 名所・史跡
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「門司港駅」を出て偽善中の観光の予定をこなしていきます。今回残念だったのは「旧門司三井倶楽部」の建物が修復工事中で見学できなかったことです。ただ、レストランは営業しているということなので、後程焼きカレーを食べに来ることにしています。
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駅の敷地の隣にある「旧JR九州本社ビル」は閉鎖されて使われていないようです。この建物は三井物産の3代目の門司支店として、昭和12年の1937年に建設されました。斜め向かいにある門司郵船ビルに続く近代的なアメリカ式オフィスビルのスタイルで、鉄筋コンクリート造6階建ての建物です。第2次世界大戦後の財閥解体に伴い、昭和28年の1953年に日本国有鉄道に売却されます。
JR九州第一庁舎 (旧三井物産門司支店) 名所・史跡
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1階の玄関は黒御影石で縁取りされていて、アールデコ調のレリーフで装飾されています。ここは唯一の装飾的要素です。彫刻家の安喰たかのぶの作品です。レリーフの様式を見ているとアールデコというよりも、チェコのプラハに多いキュビズム建築の建物のように思えてきます。
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往時の外観はタイル張りで、窓の上下と窓台は黒御影石貼りだったようですが、現在は失われてモルタル吹付に変わってしまっているのが残念です。
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門司港レトロ観光線の線路を渡ります。土日だけの運行なので今回は乗ることが出来ないのが残念です。
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北九州銀行門司支店の建物は「横浜正金銀行門司支店」だった建物です。昨年旅した小樽にも銀行が多くて驚きましたが、門司港や下関にも数多くの銀行建築が残されていていると知りました。
北九州銀行門司支店(旧横浜正金銀行門司支店) 名所・史跡
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明治中期から昭和初期にかけて、日本銀行の西部支店をはじめ政府系金融機関や都市銀行、地方銀行、貯蓄銀行などが門司に次々と支店を設けていました。金融機関の支店数が少なかった第2次世界大戦前のこの時期に、多くの銀行が門司に支店を置いた理由は日本銀行の支店が大阪支店に次いで下関に設置され、門司に移転したことどそうです。小樽にも立派な日銀の建物が残されていました。
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「横浜正金銀行」はかつて存在した日本の特殊銀行で、明治13年の1880年に外国為替システムが未確立だった日本の不利益を軽減するよう現金(正金)で貿易決済を行なうことを主な業務として設立されました。名前の通り本店は横浜にあり、現在もその建物が残されています。
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大連で宿泊した「旧大和ホテル」のある広場に「横浜正金銀行大連支店」が残されていて、現在も銀行の建物として使われています。過去の旅の思い出が溢れかえってきて、門司の旅はなかなか前に進みません。
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