2023/02/04 - 2023/02/04
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kojikojiさん
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- 3,463,231アクセス
- フォロワー169人
この旅行記スケジュールを元に
横浜の「崎陽軒本店」でランチをして、横須賀のどぶ板のアメリカンダイナーで晩御飯を食べて、フェリーで新門司まで移動した旅も博多で終わりを迎えます。最終日は博多の博物館と美術館を巡ります。ホテルに荷物を預けて博多駅前からバスに乗って「福岡市博物館」に向かいます。ここには中学生の歴史で習った志賀島の「漢委奴國王」の金印を見るためです。無駄に広い敷地にお金のかかった博物館が建っています。チケットを買う前にコインロッカーの有無を尋ねると、場所を教えてくれましたが、この巨大な施設に10個ほどのロッカーしかありません。全部使用中でダウンコートやリュックを持ったままチケット売り場に戻ってもその女性は知らん顔です。中に入ると真っ暗な展示室に金印が鈍く輝いています。感慨深く見ているとリュックに人が触っている感触があります。そこにはスーツを着た男がいます。スリかと思って離れると次の部屋でもぐいぐい押してきます。気持ち悪い奴だと思っていると、議員みたいな人物が見学していて、そのSPみたいなやつでした。福岡の博物館では一般人をそのように扱うのかと不愉快な気分でした。チケット売り場で写真撮影について尋ねると「一部撮影禁止のものもあります。」ということでしたが、金印以外の前半の展示物のほとんどが全部が撮影禁止でした。後半は福岡の文化や庶民の歴史のような展示でしたが、そちらの方が面白かったです。前半の福岡の歴史や発掘品はあまりにマイナーすぎて、これは見なくても良いと思えるものばかりでした。別室にまとめられた黒田家にかかわる掛軸や黒田節に出てくる名槍「日本丸」は見ごたえがありました。「はかた伝統工芸館」が一時博物館の2階に移転していましたが、これもお土産物屋なのか何とも言えない中途半端でがっかりでした。この数年日本国内を旅して各地の工芸品の本物の良いものを買い求めていましたが、博多にはよいと思えるものはありませんでした。さらに1階にはアジアの工芸品が飾ってありましたが、これも中途半端で学芸員の意図も何も伝わりませんでした。旅の疲れにガッカリ感まで加わって失意のうちに「福岡市美術館」へバスで向かいましたが、ここでその疲れも吹き飛びました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅も最終日になりました。宿泊した「ヴィアイン博多口駅前」の1階の居酒屋「九州恵みのこづち」が朝食会場でした。
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豚のぬか炊き定食を選んでみました。「ぬかみそ炊き」は元々は青魚であるイワシやサバをさばき、醤油やみりんや砂糖などを加えた煮汁で煮て、ある程度火が通ったところでぬか床を入れて、とろ火でコトコトと炊いて郷土料理です。ここでは魚ではなくて豚肉でした。年末のツアーの添乗員さんがこの料理について教えてくれました。
九州恵みのこづち グルメ・レストラン
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妻は塩さば焼き定食にしたのでびっくりしました。2人ともあお魚は苦手なので、自分から注文することなどありませんでしたから。
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朝食後はチェックアウトして、荷物を預けてから博多駅前のバス停に向かいます。ここから「福岡市博物館」へ向かいます。
博多駅 駅
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途中「柳橋連合市場」を通過しました。テレビなどで紹介されているので時間があれば立ち寄りたかった場所です。
柳橋連合市場 市場・商店街
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乗ったバスは途中から高架の高速環状線を走ります。満員で立っているお客がいるのに高速を走るバスが新鮮な驚きでした。
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下車した博物館前からは「福岡タワー」が見えました。1989年開催のアジア太平洋博覧会(よかトピア)のモニュメントとして建設された電波塔で、展望室から福岡市の市街地を一望することができるそうです。三角柱の上部には福岡市の市章が見え、外観の全体像は母里太兵衛の槍「日本号」の切っ先のイメージも含まれているそうです。その「日本号」にはこの後会えることになります。
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「福岡市博物館」は広大な敷地の中にポツンと立っているような印象を受けます。訪れる人も少ないようで閑散としています。年間の維持費が88億円に対し、入場料は4,000万円というのも納得できます。
福岡市博物館 美術館・博物館
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同じ形状のアーチが2つ並んだデザインで、その間には巨大な池があります。池といっても深いところで27センチしかないようです。中央アジアのイスラム都市のような、巨大な金印のようなイメージを受けます。ここへ来たのは小さな金印を1つ見に来たようなものです。
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エントランスの両サイドには4体の彫刻が置かれてありました。アントワーヌ・ブールデルのブロンズ像には「雄弁」「力」「勝利」「自由」のタイトルがありました。福岡市が市制100年を記念してパリのブールデル美術館から購入したものです。
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1893年にロダンのアシスタントとなり、1909年に制作した「弓をひくヘラクレス」にうおってブールデルの名を不朽のものにしました。ギリシア神話の英雄ヘラクレスにまつわる「十二の功業」の1つを主題として、ヘラクレスが怪鳥ステュムファリデスを射るために渾身の力で大弓をひき、今まさに矢を放つ瞬間を表しています。日本では東京上野の「国立西洋美術館」の前庭に展示されています。
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ここでブールデルの作品に出会えるとは思ってもいなかったので感激です。パリを旅した際に行った「ロダン美術館」でどっぷり嵌まったことを思い出します。
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この4体の作品は本野とはアルゼンチンの大統領のアルベール将軍の記念碑の一部として製作されたものです。全部で6組製作され、箱根の「彫刻の森美術館」にも1組あるようです。
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サイズは違いますが「愛知県立美術館」にも1組が収蔵されています。
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ブールデルは約15年間ロダンの助手として働いていますが、ロダンの主観的でロマンティックな表現に次第に満足できなくなり、別の道を歩み始めます。
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「アポロンの首」はロダンの影響を離れて作られたもので、その作品を見たロダンは「君は私を越えた。」とつぶやいて、二度とブールデルのアトリエを訪れなかったというのは有名なエピソードです。
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ここに並ぶ4体を見ただけでもここへ来た甲斐がありました。金印が無ければここで帰っても良いくらいです。
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中に入るとテリー・ギリアム監督の映画「未来世紀ブラジル」に出てくる情報省のロビーを連想されるようなインテリアです。2階に上がってチケット売り場でロッカーの位置を尋ねましたが、たった10個くらいしかないロッカーは全部が使用中でした。荷物を持ったままチケット売り場に戻りましたが、不愛想な応対も情報省の受付のようでした。
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博多人形の「サザエさん」は今回博多で見た博多人形の中では一番の秀作でした。
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「漢委奴国王印」は子供の頃に学校で習って以来、ずっと記憶に残っていました。今回福岡に立ち寄ることになって初めて調べて、この博物館にあると知りました。
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文献上は志賀島の島内で江戸時代天明年間に水田の耕作中に甚兵衛という地元の百姓が偶然発見したとされます。
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発見時は巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したそうです。金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていたようです。発見された金印は郡奉行を介して福岡藩へと渡ります。
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真っ暗な展示室の中に小さなガラスケースが置かれ、その中に金印が納められていました。ほんの2センチ四方程度の純度の高そうな鈍い金色に輝いています。裏面はミラーで反射させて見られるようになっています。
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デジカメとスマホの両方で写真を撮りましたが、うまく撮れないのが不思議でした。
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真っ暗な展示室で背中に背負ったリュックを押される感じがしたので振り返るとスーツを着た若造がいたので慌ててその男から離れました。以前ブリュッセルでスリにあったトラウマが残っていたようです。
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次の部屋でもそいつが押してくるので押し返しました。ここで理由が分かりましたがそいつの向こう側には若いお姉ちゃんと彼女に説明をしている博物館の係員らしい人がいました。押していたのはSPのようで耳にイヤフォンをしています。福岡県というところはちゃんと入館料を払っているお客を押しのけて議員か何かを優先する土地柄なのだと感じました。
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漢では官僚に印を与え、文章を作成する際に印を使って封印することが求められました。院の材質は位に応じて異なり、皇帝は玉、以下は金、銀、銅と決まっていました。また鈕(ちゅう)というつまみの形にも違いがありました。綬(じゅ)は長く幅広い絹紐で、帯から垂らして端を印につないで、懐に入れていました。綬(じゅ)くらいによって色が異なり、外見でその人の身分を知ることが出来ました。
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様々な古代中国の古代印章も展示してあります。
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当時の印章は現在と違って紙に押すものではなく、印は木簡を結んだ紐の結び目に封じた粘土に押されました。封泥により送り主が誰であるかがすぐに分かり、荷物が途中で開封されていないことも確認できました。
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紙が普及していない漢時代は文章は竹や木に墨で書かれました。これを送り届けるときは容器や袋に入れて紐で縛り、結び目を「検(けん)」と呼ばれる板をあて、粘土を被せて封をし、印を押しました。初めて知ることがたくさんあります。
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日本で最初に金印について研究された「金印辨(きんいんべん)」は亀井南冥が金印の鑑定結果をまとめたものです。この研究によって金印の重大さが藩内に知られ、藩主の黒田家に納められます。
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中学の歴史で学んだ遣唐使船の模型が置かれてありました。
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鎌倉時代の絵巻物に描かれた姿や近年発掘された宋や元の船を手掛かりに再現したようです。時代は違いますが、昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源実朝が渡宋計画立ち上げて失敗したシーンが思い出されます。
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わけのわからないSPに見学の邪魔をされて気分も悪かったのですが、有史前からの展示物はあまりに局地的な内容で、面白くもないので素通りしました。また受付で確認した際には「一部撮影禁止のものがあります。」ということでしたが、ほとんどのガラスケースに撮影禁止のマークがあって、見学したものの内容も忘れてしまいました。
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唯一興味深かったのが陶磁器のコーナーですが、その多くも撮影が出来ませんでした。龍泉窯の青磁の碗や皿が井戸の跡から出土したというのは驚きです。どんな理由があったのか知りたいものです。
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ベトナムを旅していると20年くらい前は町に小さな骨董屋が軒を並べていて、ホイアンの沖合で海から揚がった陶器や発掘された陶器が売っていました。それも10年くらい前に再訪したらそのほとんどがくだらないお土産物屋に変わってしまっていました。
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インドネシアやタイでも遺跡の近くではお土産物屋の裏で新聞紙にくるまれたものを見る機会はありましたし、いい時代に旅が出来たと思います。そんなんことを思い出しながらガラスケースの前を歩きました。
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平安医大から鎌倉時代の博多には「博多綱首(はかたこうしゅ)」と呼ばれた宋の貿易商がいました。「綱」は組や組織を意味し、「首」は船主とかリーダーの意味です。そんな時代の「黄釉鉄絵花文鉢」は重要文化財でした。
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九州沿岸部に唐房という地名は複数残っていて、主にチャイナタウンという意味など中国との関係がある地域を指します。そこに暮らしていた商人たちの残した嗜好品は望郷の念を感じさせます。
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興味のない時代は飛ばしてしまったのでいきなり時代は江戸時代の前後になりました。これは黒田長政が関ケ原の戦いに出陣する姿を描いたものです。
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「前立付桃形兜・緑糸威二枚胴具足」
黒田家で流行った桃形兜と桶側胴具足は鉄板を貼り合わせて桃の形としたもので、大量生産に向き、防御力に優れた兜です。黒田長政も水牛の飾りをつけた兜を愛用しました。胴は皮や鉄板の細い板を重ねて形を作る桶側胴と呼ばれます。 -
「黒田二十四騎図」は黒田家創成期を支えた24人を描いています。黒田義高の3人の弟をはじめ黒田節で有名な母里友信、大坂冬の陣で豊臣方として戦った後藤基次らを描いています。
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さらに時代は大正時代になります。これは博多で最初の運送会社を設立した村上義太郎の資金と援助を受け、矢野倖一が設計と製作した小型乗用車ARROW号です。名前のアローは矢野の矢から来ているそうです。国産で動く自動車では国内最古のものです。
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Cafe du Mvsee(カフェ・デュ・ミュゼ)は昭和9年に東中州にあった「カフェ・ブラジレイロ」をベースに当時のカフェを再現したものです。
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さらに時代は近代に近づいてきます。これはお米を節約するために作られた戦時中に作られた陶器製の鏡餅です。これと同じものは中国の長州の「東北倫陥史陳列館」で見たような記憶が残っています。
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この博物館で一番興味深かったのが「福博人生劇場」で、ここを見学することであまり縁のなかった博多を知ることが出来た気がします。
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古い「」山笠手拭いが並んでいます。染め抜かれた山笠の祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)のご神紋である木瓜(ぼけ)の花が京都の八坂神社と同じだと感じます。京都でも博多でも祭りの時期はきゅうりを食べないのはこのご神紋にきゅうりの断面が似ているからです。
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厄疫退散や豊漁、五穀豊穣を祈願し、馬に乗らずに弓を射る「歩射祭」が博多湾の志賀島の志賀海神社で行われます。「歩射祭」で射手衆となるためには、厳しい斎戒を経る必要があります。祭の前日には「胴結舞」が行われます。胴結とは弓の稽古をするための藁束で、重さは100キロを超えるものです。
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海中を司る磯良(いそら)伝説に倣い、杓子状の杖で顔を隠しダイダイを首から下げた白装束の若者が胴結を背負います。地元の人々の鳴り物や道中唄に背中を押されながら、約200メートルの参道をよろめき練り歩きます。海岸に集まった射手は褌姿になると騎馬を組み、約100メートル沖合にある沖津宮を目指して極寒の海を進みます。またガラモと呼ばれる振るとガラガラと音を立て神を呼び覚ますといわれる海藻を奉納するために何度も冷たい海に潜り心身を清めていきます。
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「玉取祭」は別名「玉せせり」といい、九州三大祭です。起源は定かではありませんが、今から約500年前の室町時代に始まったとされ、昔から盛大かつ厳重に行われている神事です。午後1時の玉洗い式にて祓い清められた陰陽2つの木玉は、東側に約250メートル離れた場所にある末社玉取恵比須神社に運ばれます。ここで祭典の後、陽の玉は裸に締め込み姿の競り子達に手渡され祭典開始となります。この玉に触れると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれており、競り子達は勢い水を浴びながら陽の玉をめぐり激しい争奪戦を繰り広げながら、本宮に向かって競り進みます。やがて楼門に待つ神職の手に渡され、陰陽2つの玉が再び揃って神前に納まり、めでたく神事は執り納めとなります。
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「早魚(はやま)行事」は奈多志式神社の秋大祭に奉納される行事で、奈多にある西方、前方、牟田方、高浜の4地区のうちの2地区の若者が塩鯛を素早く料理して神に献饌する早さを競うものです。「見事な御魚、お料理なされ」の合図で料理が始まり、鰭と頭を切り落として三枚に卸します。鰭は切り落とした時点で「鰭さし」が「鰭受取」に渡します。早く渡した方が勝ちとなり、勝った地区には豊漁が約束されます。
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「済酒(すみざけ)と結納」
済酒は男性型が酒一升と鯛一匹を女性方に持参し、結婚の承諾を得る儀式です。かつての婚約は済酒の席で女性本人が「熨斗出し」することで成立しました。 -
済酒が終わると吉日を選んで結納が行われます。結婚の証として男性方から華やかな結納品が送られ、そこには必ずお茶が含まれていて、近所への結納品の疲労を「お茶見せ」と称したそうです。
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「博多結納飾り」
福岡を含む九州各地で結納披露を「お茶見せ」といい、「御知家(お茶)」が結納品を代表し、お茶の販売店が結納飾りを扱うのは福岡の特色です。博多の結納飾りは水引を多用した華やかさを特徴とする一方で藁細工も使われ、「家慶鯛(掛鯛)」を藁で作ることもありました。高砂人形は昭和50年代に新しく加わりました。昆布で作った「二見ケ浦」は筑後地方の風習が博多に取り入れられました。 -
「餅踏み」
初めての誕生日には大きな鏡餅を一重ね用意し、祝い唄を唄いながら草履を履かせた子供をその上に立たせる行事です。関東地方でも生まれて1年目の初の誕生日を祝うお祝いは、古くから行われていました。 昔はこのお祝いを「ムカレ」「ムカイドキ」「ムカワリ」「ムコヅキ」などとも言い、お産婆さんや親戚を招いてお祝いを祝っていました。子供が早く丈夫に成長することを願って、餅をつくところが多かったようで、その餅を誕生餅と言っていましたが、一升餅という名前に変わっていったようです。1歳の誕生日前後から早く歩き出すのは、家を離れるので良くないと考えられていた地域もあり、一升餅を背負わせた後に転ばせることもあったようです。母に聞いた話では10カ月過ぎで歩き始め、一升餅を軽々担いでいたそうですが、家を出たのは43歳の時でしたから迷信ですね。 -
「お膳座り」
福岡では子供が3歳になると吉日を選んでお膳座りという祝いの席を設けます。これを節目に母親の膳から食事を取り分ける時期は終わり、自分用の膳が与えられます。膳は鶴亀や松竹梅が描かれたポッポ膳と呼ばれます。大人同様の食事が出されることから「真菜の祝い」と呼びます。自分のお食い初めでは母方の曾祖母が用意してくれた家紋入りの茶碗と湯飲みで祝ってもらいました。大叔父の澤村陶哉の作で、結婚式にも同じデザインの睦揃いで祝いました。お陰で稀代の陶器好きに育ってしまい、10代から集めた陶器でマンションの部屋が1つ潰れたままです。 -
「選び取り」
これは以前にテレビで見て知っていました。算盤や電卓を選べば商才があり、筆やペンを選べば英才、物差しや鋏なら器用達者など子供の将来を占い祝う行事です。2年前にリタイアはしましたが、今から思えば小学校の1年生の時の鋏と物差しと絵具セットはまだ使っているし、関わったのはインテリアの設計や施工の仕事だったので、あながち外れではなかったと人生を振り返ります。 -
「浮かれどんたく」
博多どんたくの日は町の雰囲気がふわふわして、よく言えば陽気な盛り上がりですが、地に足がついていないようです。市内各地で同時多発的に繰り広げられる芸の数々は芸どころ博多の風習です。古い文献によれば今から400年前に筑前の領主となった小早川秀秋の居城へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀のお祝いに行ったとされます。その後に黒田藩の城下町となった「福岡」と博多町人の町「博多」との2つの町が270年間、博多松囃子を通じて交流しています。明治維新後に一度中断されますが、明治12年に再開されて「博多どんたく」と呼ばれるようになります。オランダ語のZondag(ゾンターク、休日の意)がその語源と言われています。 -
「預かり笹」
商店がどんたく隊を迎えると「預かり」の熨斗紙を下げた笹を渡します。後日にこれを持っていくと感謝の品物を貰うことができます。 -
「志賀島の賀祝い襷」
志賀島の賀祝いで初老、還暦の人が書ける祝いの襷です。正装して神社へ参拝した後は大宴会が待っているそうです。自分の時は銀座の吉兆で祝ってもらいました。そろそろ妻の古希の祝いを考えなければなりません。 -
「放生会の幕だし」
筥崎宮の秋祭りである放生会(ほうじょうえ)を福博の人は「ほうじょうや」と呼びます。昭和初期のころまで博多の町人は筥崎宮を参拝して箱崎松原に幕を張ってにぎやかな宴を繰り広げ、これを幕出しと呼びました。放生会が近づくと妻や娘に「放生会着物」を新調するのが男の甲斐性といわれ、「人を見るなら宰府の祭り、着物見るなら放生会」の謂いもあるそうです。 -
「仁和加(にわか)面とぼてかずら」
「にわか」とは「にわか狂言」を略した言葉であり、祭礼において趣向をこらした出し物が演劇化した即興の笑劇のことです。博多仁和加は博多で発達したもので、紙製の「ぼてかずら」を被り、「半面」をつけて演じます。博多方言を駆使して滑稽の中に風刺を織り交ぜるところに特徴があります。複数の演者によるものを「段物」2人で押収する「掛合仁和加」1人で演じる「一人仁和加」がありましたが、現在は「一口仁和加」が演じられることが多いようです。 -
展示されていた「舁き山笠」は高さ約3メートルで重さ約1トンのサイズを誇る”神様”であり、この巨大な物体を男達が舁いて(担いで)、博多の町約5.5キロを疾走します。台足には車輪が付いていないため必ず舁いて運ぶ事になります。台座の山笠台は釘を1本も使わず組み立てられ、山笠台に乗せる飾り人形も今もなお昔ながらの作成方法で作られています。展示してあるのは軍師官兵衛だと分かります。
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2階の中央の展示室では「描かれた黒田如水・長政展」が開催されていました。「如水居士像」は黒田家に伝来したもので、慶長9年の1604年の如水の没後すぐに描かれました。白頭巾に紺地の縞の道服で薄物を羽織っています。立膝で右手に扇を持ち、左腕を脇息に載せるため「寄几(危機)」の像と呼ばれます。
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「如水公像」
黒田如水に仕えた栗山備後が如水の菩提を弔うために建てた円清寺にある如水像をのちに黒田家で写したものです。団扇を持ち大きな目が開かれた表情は明るく、備後の記憶に残る如水の像といえます。如水の生涯の事跡を記した賛の中の文字の抜けた空白は、如水のキリスト教信仰が記され、抹消された部分です。 -
「如水公像」
黒田如水が膝を崩さずに座った姿から「端座(たんざ)」の像といわれます。刀掛けの佩刀(はいとう)や短刀の柄が詳細に描かれ、武人としての如水が強調されています。 -
「黒田二十四騎図」
幕末の時代に藩の御用絵師の尾形探香が描いた黒田二十四騎図で、水牛兜に陣羽織を着用し、床几に座る写実的な黒田長政が描かれています。 -
「黒田二十四騎図」
黒田長政を水牛兜と中白の軍旗で象徴的に表した刷り物で、中央に「筑前宗祖黒田大明神」の文字が見えます。黒田如水と長政と二十四騎を祀った春日神社から庶民に広まったもので、長政が領内で崇敬されていたことが分かります。 -
「黒田旗識図」
神格化された黒田長政を水牛兜で象徴的に描いた図で、江戸時代中期頃に表されました。水牛兜で日輪(石餅)の前立てを持つのは時代が新しいもので、黒田家の中白の旗と吹き流しも描かれています。 -
「合渡川合戦之図」
慶長5年の1600年の天下分け目の関ケ原の合戦の前哨戦である合渡川の戦いで、黒田長政が素早く浅瀬を見つけ、黒田家の勇猛な家臣の面々を率いて敵陣へ渡り、戦功をあげた逸話を描いたものです。長政は水牛兜の姿で登場しています。 -
「黒田長政像」
19世紀前半の江戸時代後期に描かれた二十四騎図タイプの長政像です。床几に座り石餅紋前立の付いた水牛兜、陣羽織に黒糸威桶側五枚胴具足を着用し、籠手の細かい模様も描かれています。長政200年忌の準備で、菩提寺崇福寺の肖像に記される桟も写されています。 -
「黒田長政騎馬像」
水牛兜を被り、吹き流しが描かれるなど二十四騎図のスタイルを持ちますが、陣羽織を着て具足が戦国時代風で風貌も似せて描かれています。 -
黒田家にあった一の谷兜の甲冑騎馬像との融合が見られます。
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「黒田長政像」
黒田二十四騎の逸話が広まるにつれて、床几に座る黒田長政を1人だけ独立して描く肖像画現れます。甲冑は源平合戦の時代の大鎧風で当時の画家が類型的に描き、長政の風貌もいかめしい想像画です。 -
「黒田二十四騎(くろたにじゅうよんき)」は賤ヶ岳の七本槍に倣い、戦国大名の黒田長政の家臣の中から24人の精鋭を選出した呼称です。18世紀初めの享保年間の頃には成立しています。この24人の中に親族の弟達や譜代重臣8人が黒田八虎とされました。長政を含めて黒田二十五騎とする場合もあります。
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「長政公像(甲冑騎馬図)」
関ケ原の合戦で党軍に勝利をもたらす功績を立てたときに着用していた一の谷形兜に黒漆塗五枚胴具足の姿で愛馬の大鹿毛(おおかげ)に乗る姿です。 -
「大身槍 名物 日本号」
刃長が1尺を超える槍を大身槍といいますが、この槍は倍の長さがあります。名前だけは聞いたことがありますがその現物を見るのはこれが初めてです。黒田節にうたわれた「酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を 飲みとるほどに 飲むならば これぞまことの 黒田武士」日の本一の槍がこれです。母里太兵衛(もりたへえ)は大酒のみで有名で、福島正則の所へ使いに行った際に大盃を飲むように無理強いされ、見事飲み干してこの槍を手に入れました。 -
三鈷柄剣に巻き付いた龍が剣先を?み込もうとする姿が彫られています。これを倶利伽羅文といい、不動明王を表しています。柄の部分には羅出細工が施されています。母里太兵衛(もりたへえ)が戦場で使った槍で、長さは321.5センチ、重さは2.8キロで穂は79.2センチもあります。
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「名物 圧切長谷部」
織田信長が黒田孝高(如水)に与えた刀です。天将3年の1575年に信長が毛利輝元に対抗して西に勢力を広げようとした頃、当時は小寺政職(まさもと)に仕えていた孝高はいち早く信長に味方するよう献策しました。孝高は自ら進んで使者になり、岐阜城の信長を訪れて中国攻めの策を進言します。 -
この時の褒美として与えたのがこの刀です。「圧切(おしきり)」とは信長が茶坊主を手打ちにする際に膳棚の下にもぐり込まれて刀が振り下ろせず、棚の下に刀を差し込んで圧し切ったことにちなみます。作者の長谷部国重は京都の名工で、この刀は刀身全体に焼きが散らばる皆焼(ひたつら)刀の最高傑作です。
「福岡市博物館」の見学が終わり、バスに乗って「福岡市美術館」に向かいます。
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旅行記グループ 2023東九フェリー・門司港下関・福岡の旅
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