2023/02/02 - 2023/02/02
604位(同エリア1501件中)
kojikojiさん
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「赤間神宮」を参拝した後は妻は船で門司港へ戻り、自分1人で関門トンネルを歩いて門司港へ戻ると考えていました。最近足の具居合が悪い妻にはちょっとむつかしいと思っていましたが、この日は調子が良いようで一緒に歩いてくれるということです。歩いてみるとこれがまた延々と長い道でした。途中には壇之浦古戦場もあるので、海峡を眺めながら源氏と平氏の戦い、源義経の「義経の八艘飛び」や平知盛の「碇知盛」などが思い出されます。ここまで歩いてから利疲れ果てましたが、エレベーターに乗って「関門トンネル」を歩いて渡ります。これが延々と長いのですが、途中に山口県と福岡県の県境があったりそれなりに楽しいものでした。門司港側のエレベーターを昇るとここから門司港レトロまでの道のりが長いです。1時間に1本程度のバスはあるようですが、途中に立ち寄りたいところもあるので歩くことにします。「甲宗八幡神社」に参拝して小倉織りのお守りを妻に買ってもらいました。これで目的は達成できたのですが、ホテルまではまだまだ遠いです。当初行く予定のなかった「門司電気通信レトロ館」にも入ってみました。妻はベンチに座って休憩したかったようです。電電公社時代の黒電話や古い公衆電話などを眺めていると懐かしい思い出がよみがえってきます。赤い公衆電はは京都の清水寺の茶碗坂で陶器店を営んでいる伯母の店先にも置かれてあり、遊びに行くと鍵を開けて中の10円玉を出して、10円玉すくいと称して両手でつかみ取りさせてくれました。それが京都での夏休みのお小遣いでした。ふらふらになりながらホテルに戻り、部屋に置いてあったワインを飲んでしばらく休みました。晩御飯は「あかしあ」という中華料理店を考えていたのですが、「大連友好記念館」はライトアップされていても店は休みでした。仕方なく「門司港レトロ 海峡プラザ」近くに行きますがドコモ店じまいが早そうです。前日に歩いて記憶にあった一角に向かうと数件の飲食店があり、その中の「海月」という寿司屋に入りました。元々は回転寿司のようでしたが、レーンは無くなっています。ここは福岡県のクーポンも使えるので一石二鳥です。美味しい寿司をお腹いっぱいいただきました。いい気分でホテルに戻りますが、これで門司港の夜も最後かと思うと妻を送った後に夜景散歩に出かけました。今回門司港に3泊しましたが、行きたいところには全て行くことが出来て大満足です。長年の夢がかなった気がします。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「赤間神宮」を出て海岸線の通りを妻と2人で歩き始めましたが、目の前に見える「関門海峡大橋」は全然近づいてきません。壇の浦漁港は伊勢平氏の残党が漁民に姿を変えて住み着いたという伝説があるため、漁師は幼くして入水した安徳天皇を敬って船上で正座して漁をするといわれます。
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壇之浦漁港という小さな港の船溜まりには「蛭子神社」が祀られていました。蛭子神社の中には読みが「えびすじんじゃ」ではなく「ひるこじんじゃ」のものがあり、これはヒルコ(蛭子神)を祭祀しているからです。古事記において国産みの際にイザナキ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神とされます。子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナキに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまいます。そんなことを考えてしまうのは諸星大二郎の漫画の読みすぎです。
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戎神社にも正体不明の岩が置かれてありましたが、立石稲荷神社の下の国道9号を隔てた海の中に大きな石がありました。形が烏帽子(えぼし)に似ていることから烏帽子岩といい、この石は立石稲荷のご神体とされ、海難防止の守り神として地元の漁師たちから敬われているそうです。
しめなわ祭 祭り・イベント
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国道9号線を挟んで傾斜を活かした構造の小さな神社があります。これが「立石稲荷神社」で、平家が西に下ったとき伏見稲荷の分霊をここに祀ったといわれています。元歴1年の1184年の屋島の合戦で敗れた平家は下関市の彦島へ敗走したものの、現在の立石稲荷神社がある目の前の海峡で軍船が沈没し、ご神体はこの地に留まり海峡の守護神となったといわれています。
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国道9号線の神社側には歩道はないので、この横断歩道は神社に行くためだけのものだと分かります。観光客らしい人の姿は「赤間神宮」を出てから見かけないのでボタンを押す人もほとんどないのだと思います。
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ようやく「関門海峡大橋」の下に近づいてきました。見上げる橋の大きさに圧倒されます。
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これまでこの橋の下を通過したことがあります。1度目は2005年の大阪南港からパンスターフェリーに乗って釜山を往復した際に2回通過しました。そして2008年の暮れに大阪南港から蘇州号で上海を往復した際です。上海の旅は両親が健在で、兄弟の家族も含めた全員で行った最初で最後の旅でした。そしてこの日徒歩で通過することが出来ました。
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「壇ノ浦コースト」とは国が高潮対策として護岸工事を進めている海岸12.7キロのうち工事が完成した壇ノ浦とみもすそ川地区0.7キロの海岸の愛称だそうです。
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そしてその近くには「壇の浦古戦場址」の碑がありました。壇の浦は関門海峡の一角である早鞆瀬戸(はやとものせと)の北側の浦の地名で、壇ノ浦の戦いで有名な場所です。鎌倉幕府編纂の歴史書である吾妻鏡には壇の浦の戦いについては元暦2年3月24日の条で「長門国赤間関壇ノ浦の海上で三町を隔て船を向かわせて源平が相戦う。平家は五百艘を三手に分け山鹿秀遠および松浦党らを将軍となして源氏に戦いを挑んだ。午の刻に及んで平氏は敗北に傾き終わった。」とのみ簡潔に書かれているだけです。
壇之浦古戦場跡(みもすそ川公園) 自然・景勝地
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平家物語では敗北を悟った平氏一門の武将たち、女性たちや幼い安徳天皇が次々に自殺してゆく壮絶な平家一門滅亡の光景を描写しています。知盛は建礼門院や二位尼らの乗る女船に乗り移ると「見苦しいものを取り清め給え」とみずから掃除をしてまわり、口々に形勢を聞く女官達には「これから珍しい東男をごろうじられますぞ」と笑います。これを聞いた二位尼は死を決意して幼い安徳天皇を抱き寄せ、宝剣を腰にさして神璽を抱えます。安徳天皇が「どこへ連れてゆくの」と仰ぎ見れば、二位尼は「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございますよ」と答えてともに海に身を投じました。
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武将たちも覚悟を定めて教盛は入水、経盛は一旦陸地に上がって出家してから還り海に没します。資盛と有盛と行盛も入水しています。総帥宗盛も嫡男の清宗と入水しますが、命を惜しんで浮かび上がり水練が達者なために泳ぎ回っていたところを義経軍に捕らえられます。
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剛の者である教経は坂東武者を多数討ちますが、知盛が既に勝敗は決したから罪作りなことはするなと伝えます。教経は「ならば敵の大将の義経を道連れにせん。」と欲し、義経の船を見つけてこれに乗り移ります。教経は小長刀を持って組みかからんと挑みますが、義経はゆらりと飛び上がると船から船へと飛び移り、八艘彼方へ飛び去ってしまいます。これが義経の「八艘飛び」の逸話です。
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知盛は「見届けねばならぬ事は見届けた。」とつぶやくと、鎧二領を着て乳兄弟の平家長と共に入水します。申の刻には平氏一門の多くが死ぬか捕らえられ、戦いは終結しました。
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波打ち際に立ってみると小石の海岸に打ち寄せる波はとてもきれいでした。子供の頃に読んだり聞かされた話でもあり、歴史の授業でも教わった事柄ではありますが、実際にその場に立つとようやくその戦いを実感できた気がしました。
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下関戦争は幕末の文久3年の1863年と元治元年の1864年に長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた前後2回にわたる攘夷思想に基づく武力衝突事件を表します。歴史的には元治元年の戦闘を馬関戦争と呼びます。
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元治元年の1864年の8月5日、四国連合艦隊は長府城山から前田から壇ノ浦にかけての長州砲台群に猛砲撃を開始します。長州藩兵も応戦して前田砲台・州岬砲台・壇ノ浦砲台などが善戦しますが火力の差が圧倒的であり、砲台は次々に粉砕され沈黙させらますた。艦隊は砲撃支援の下で前田浜に陸戦隊を降ろし、砲台を占拠して砲を破壊します。
みもすそ川公園 公園・植物園
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元治元年の1864年の8月8日に戦闘で惨敗を喫した長州藩は講和使節の使者に高杉晋作を任じます。この時に高杉は脱藩の罪で監禁されていましたが、家老の宍戸備前の養子宍戸刑馬を名乗り、四国連合艦隊旗艦のユーライアラス号に乗り込んでキューパー司令官との談判に臨みます。イギリス側の通訳のアーネスト・サトウはこの時の高杉の様子を「魔王」のごとく「傲然」としていたと述べています。
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賠償金の300万ドルについては巨額すぎて長州一藩では支払い不可能なことに加え、一連の外国船への砲撃は幕府が朝廷に約束し諸藩に通達した攘夷実行の命に従ったまでと高杉が粘り強く主張したこともあって、後日改めて連合国側が幕府に請求することで双方了解します。
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元治元年の1864年の戦闘では長州藩の大砲62門が連合軍に鹵獲され、そのうち54門が参戦各国に戦利品として持ち帰られました。戦利品となった大砲の一部は現存していて、パリのアンヴァリッド廃兵院に長州藩の大砲は24ポンド青銅砲と18ポンド青銅砲各1門あります。2011年にパリに行った際にはあまりに多くの砲が並んでいて見つけることが出来ませんでした。
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ようやく「関門トンネル人道入り口」にたどり着きました。ここまで来るだけで相当疲れたので、妻の足が大丈夫か心配になってきます。
関門トンネル 名所・史跡
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歩行者は無料のようです。自転車や50㏄以下のバイクも通れるので大型のエレベーターも設置されています。
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門司に向かって歩き始めます。写真を撮っていてそれぞれのトンネル入り口に置かれたスタンプを押し忘れてしまいました。門司側で気が付きましたが、戻って押そうという気持ちにはなれませんでした。片道780メートルなので往復したら1.5キロ歩かなければなりません。
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関門海峡の真ん中あたりに山口県と福岡県の県境がありました。この海底トンネルはジョギングコースになっていてたくさんのランナーが走っていました。彼らには日常である県境の通貨ですが、東京から来た観光客には新鮮です。
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県境はトンネルの真ん中にあるというわけではないようです。残り380メートルです。
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こんな場所は日本国内ではここにしかないものです。妻は30年ほど前に仕事出来て歩いたことがあるようですが、私は初めての経験です。
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歩いてきた道を振り返ります。ここまでずっと緩やかな下り坂でしたが、ここからは緩やかな登り坂に変わります。全く気配はありませんがこの人道トンネルの上を車道が走っています。
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この歩道の海底トンネルも国道2号線の一部なのだと分かりました。
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反対側のトンネル出口から地上に出ました。下関側は地上から55メートル下り、門司側は60メートル下った場所からトンネルがスタートします。
関門海峡(早鞆ノ瀬戸) 自然・景勝地
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人道トンネルの出口の前には石の鳥居があり、和布刈神社(めかりじんじゃ)へとつながっています。御祭神は天照大神の荒魂「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)」で、別称を「瀬織津姫」といい、潮の満ち引きを司る神です。神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝って自ら神主となり、早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来する和布刈神事の像が「門司港駅」の前に建っていました。
めかり観潮遊歩道 公園・植物園
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しばらく歩くと「ノーフォーク広場」に差し掛かりますが、この辺りで2人ともへとへとになりました。北九州市と姉妹都市であるアメリカバージニア州の港町ノーフォーク市にちなんでこの名前がつけられたそうです。
ノーフォーク広場 公園・植物園
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門司港レトロ観光線のトンネルがありました。九州鉄道記念館駅から関門海峡めかり駅までを結ぶ鉄道路線ですが、土日だけの運行なので乗ることが出来ずに残念です。JR貨物が事業者となっていた鹿児島本線貨物支線である門司港駅と外浜駅間および北九州市が保有する田野浦公共臨港鉄道の廃線跡を活用して観光客向けのトロッコ列車が営業しています。
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しばらく門司港レトロ観光線の線路沿いに歩いていると、小さな港越しに門司港レトロ展望室のある高層マンションが見えてきました。
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山田芳太郎酒店という古い酒店がありました。へとへとに疲れていたので立ち寄りませんでしたが、日本各地の日本酒や焼酎などレアなものが手に入るお店だったようです。店の表に掛かった古い清酒の看板がいい雰囲気を出しています。
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さらに歩き続けて「甲宗八幡神社(こうそうはちまんじんじゃ)」に着きました。交通の要所である門司関の守護神として、平安時代末期においては寿永4年の1185年に起こった壇の浦の戦いでは鎌倉方の大将である源範頼が参詣し重藤弓を奉納して必勝を祈願し、その戦勝後には副将で弟である源義経とともに社殿を造営したと伝わります。
甲宗八幡神社 寺・神社・教会
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室町戦国時代においても西国の大名大内氏より崇敬を受け、大内義興・義隆・義長3代にわたって社領が寄進され、また大内氏の滅びた後に中国最大の大名となった毛利元就によっても社殿が造営されています。
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度重なる戦火により焼失していて、現在の社殿は昭和33年の1958年に門司区長谷にあった武徳殿という武道場を移築したもので、通常の神社建築とは若干趣が異なる造りをしています。
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北隅楼は正面社殿の北側に立つ楼閣で、京都市の平安神宮の東西に立つ蒼龍楼や白虎楼などと同じく風水に基づいて建立されたものです。五行説では北方を守る玄武という霊獣によって守護されていると言われます。
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南隅楼は正面社殿の南側に立つ楼閣で、五行説では南方を守る朱雀という霊獣によって守護されていると言われます。
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壇ノ浦の合戦後に平知盛の遺体は門司関へ漂着し、これを憐れんだ里人によって壇の浦を見渡せる筆立山に葬られたそうです。その後数百年の間は門司港の人々によって墓と供養塔は守られ続けていましたが、昭和28年の1953年の水害の際に麓へ流出したため、現在は社殿横に遷座されていました。
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妻がいろいろ調べて、この神社のお守りが小倉織りの袋に入っているというので買い求めたかったようです。ここまで歩いてきたのもそのせいだったようです。5色あるうちの一番シンプルなものを買ってくれました。宮司らしい男性が応対してくれましたが、一言も声を発せずずいぶん不愛想な人でした。お釣りを渡すとぴしゃりと社務所のガラス戸を閉めて、奥に引っ込んでしまいました。
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門司港レトロへ戻る前に「門司港電気通信レトロ館」の前を通りがかりました。特に見学する予定はありませんでしたが、中にベンチでもあれば休憩したいという妻の要望で入ることにしました。
門司電気通信レトロ館 名所・史跡
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逓信省門司郵便局電話課庁舎として大正13年の1924年に逓信省営繕課技師山田守の設計によって建設された建物です。放物線とアーチの美しい大正モダンの建物で、門司で最初の鉄筋コンクリートの建物でもあるようです。
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ヨーロッパの20世紀初頭の建築が好きで各国を巡ってその建物を見て回っていますが、チェコのプラハのキュビズム建築にも引けを取らない美しい建物だと感心しました。
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館内はおびただしい電話機の数々が並んでいます。我が家にもあったダイヤル式の黒電話もあります。家に電話機が入ったのは東京オリンピックの前で、共同通信に勤めていた父への連絡用だったのが理由でした。この当時はまだ家庭用の電話機が普及していない頃でした。
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電電公社からNTTに変わったころのプッシュホンです。NTTの株ではひどい目にあったと母がずっと言っていたことを思い出します。実家を壊す際に電話も解約しましたが、昔は高価だった電話加入権は何の意味も無くなっていました。
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京都の清水寺の茶碗坂にある伯母の陶器店の前に置いてあったのはこの公衆電話でした。昭和40年代は10円の公衆電話の需要は高く、ものすごい枚数の10円硬貨が中に貯まっていました。夏休みに3兄弟で遊びに行くとその10円玉をつかみ取りさせてくれたのは懐かしい思い出です。それが毎年の夏休みのお小遣いでした。
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昭和54年に登場した100円硬貨が使える公衆電話も画期的でした。家の電話は今の横の玄関先にあったので、学生時代はガールフレンドに電話をするのに近所の公衆電話から電話していました。懐かしい思い出でもありますが、その当時のガールフレンドには午前中に唐戸市場からかまぼこなどを送った現実もあります。
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この公衆電話は見たことがありませんが、受話器が2つある「デュエットホン」というものだそうです。電話を掛けた2人と相手と3人で会話が出来たそうです。
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この初期の携帯電話も懐かしいです。このころは地方へ出張して各地の百貨店の内装工事の監理をしていました。製作物の確認や搬入や工程について長電話することが多かったのですが、営業中の百貨店の公衆電話を使うことは禁止されていました。小銭を両替して近所の公衆電話に走っていましたが、下請けの工事屋さんが持っていたこの電話機を何度か貸してもらったことがあります。
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最後まで歩き通して夕暮れ前に門司港レトロに戻ってきました。
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妻も頑張って最後まで歩き通してくれました。ホテルはもう目の前です。
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部屋に戻って冷蔵庫の缶チューハイを何本か開けて、そのままベットに倒れ込んで数時間気絶していました。
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何時間か寝ることが出来たので元気を取り戻して最後の晩御飯に出かけます。
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毎晩のように写真を撮りたくなるホテルの外観のデザインです。
プレミアホテル 門司港 宿・ホテル
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海岸沿いのプロムナードはイルミネーションに明かりが灯りとてもきれいです。
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「ブルーウィングもじ」の跳ね橋も何度通過したか分からないほどですが、夜に通るのは初めてです。この辺りは夕方になると人通りはほとんど絶えてしまいます。午後8時近くではすれ違う人もいません。
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船溜まり越しに「旧門司税関」のレンガの建物が美しくライトアップされています。
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「プレミアムホテル門司港」も美しい姿を見せてくれています。
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MOJIKOの文字が輝いても、周辺には誰もいません。
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ホテルの姿をシンメトリーに見ることが出来るのはここだけのようです。
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この日の晩御飯は「北九州市大連友好記念館」の1階にある「大連あかしあ」を考えていました。ところが近くまでやってくると店の中が暗いのが分かりました。
中国料理大連あかしあ グルメ・レストラン
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なんとこの日は夜間は休みのようです。これはショックでした。夕方から頭の中が中華料理になっていましたから。関門トンネルを歩いて戻ってきた際に立ち寄ったのですが、店の扉は開いていましたが準備中の表示が出ていて誰もいませんでした。
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仕方ないので「海峡プラザ」の方へ歩くことにします。
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船溜まりを歩くと周囲のクラシックな建物がきれいにライトアップされているのが見えます。
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「海峡プラザ」の飲食店は閉店時間が早そうなので思案していると、昨日通りがかった道に数店舗の飲食店があったことを思い出します。
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日本料理屋さんか寿司屋か迷いましたが、表から席が空いているのが見える「海人」という寿司屋に入りました。
海人 グルメ・レストラン
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元々は回転寿司だったようですが、今は職人さんがカウンターの中で握ってくれます。
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まずは刺身の3点盛が来ました。寒ブリとマグロと鯛です。以前はブリなどは好きではありませんでしたが、歳とともに好みが変わるものだと実感しています。
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檸檬サワーで乾杯して門司港最後の晩を楽しみます。
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タコのから揚げはサワーによく合います。これで400円とお手頃値段です。
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関東だと居酒屋メニューでは見かけないふく唐揚げです。サクサクの衣でとても美味しかったです。なんと330円。
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ふく白子天婦羅はサクサクの衣の中はトロトロの白子が口の中に溢れます。
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キスの天婦羅は抹茶塩でいただきます。
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米の一滴という店のオリジナルの冷酒に変えます。すっきりとした飲み口で美味しいです。
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真ツブ貝190円。
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えび三昧500円。
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活きアワビ握り800円。
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赤いかゲソミミ握り190円。
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甲イカ190円。
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あおさの味噌汁200円。
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LINEの登録の割引と福岡県のクーポンを利用したので支払いは700円くらいで済みました。中華料理店が休みだったのは残念でしたが、気になっていたクーポン券も使い切れたので良かったです。
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ほろ酔い気分で妻と夜景散歩を楽しみながらホテルに戻ります。
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ちょっと気分はわたせせいぞうの「ハートカクテル」です。23歳の時に出会った妻は29歳で、年上の素敵なお姉さんでした。結婚したら立場は対等になるかと思いましたが、いまだにその差は縮まっていないように思えます。
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昨年の12月のクリスマスイブの頃にここへ来るはずでしたが、訪れる時間は午後の一時だけだったので、今回じっくり滞在することが出来てよかったと思います。
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誰もいない門司港レトロを貸し切ったような散歩を楽しみました。
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朝は修学旅行の高校生で賑わっていた「旧大阪商船」も静まり返っています。
北九州市旧大阪商船 美術館・博物館
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内部は見学できない「ホームリンガー商会」の建物を眺めながら、下関にある藤原義江記念館になっている旧リンガー邸を見てきても良かったかなと思います。
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妻をホテルまで見送ってから門司港最後の夜を少し1人で楽しむことにしました。
プレミアホテル 門司港 宿・ホテル
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今まで外観の写真も撮っていなかった「門司郵船ビル」に建物です。昭和2年の1927年に建設された鉄筋コンクリート造4階建ての建物です。郵便汽船三菱会社が共同運輸会社と合併して「日本郵船」となった明治18年の1885年当時、門司港はまだ開港されていませんでしたが、「郵船寄港制度」で郵船に限り貨客の取り扱いができる港になっていました。
門司郵船ビル (旧日本郵船門司支店) 名所・史跡
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この地域で最初のアメリカ式オフィスビルで、エレベーターやラジエター式の暖房器具や集約型の給湯室に水洗トイレなど、当時の最新設備を備えていました。デザインはアール・デコの影響を受けた合理的な平面を生かして経済的で実用性が高いデザインで、諸外国との交易で経済活動が活発だった門司港の繁栄を象徴しています。改修により現在はシンプルな外観になりましたが、玄関ホールのモザイクタイルや階段の手すり、照明などから当時の面影が感じられます。
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最初に到着した晩から3日目の夜になりました。午後10時近くになると到着時と同じく利用する人の姿もまばらです。
門司港駅 駅
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翌日の午前中も門司港にいて、お昼は駅舎の2階にある「みかど食堂 by NARISAWA」で食べようと考えていました。2階の5つの窓に明かりが灯っているのでまだ営業しているのだろうと思いました。
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列車が到着して数分すると人の姿は途絶えてしまいました。
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誰もいない駅舎の中を少し歩いてみます。
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2階へ上がる階段はこの日も閉ざされたままです。
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古い切符売り場のシンプルなデザイン。
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現在の切符売り場の扉もこの時間は閉ざされています。
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駅の歴史を紹介する展示室には前日までなかったひな人形が飾られていました。
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駅舎の屋根を支える鉄骨の武骨なデザインも夜の明かりの中では美しく見えてきます。
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ベルギーの画家ポール・デルヴォーの絵画のような駅の雰囲気です。残念あガラ金髪の美しい女性の姿はどこにもありません。
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人造石研ぎ出しの手洗いは昭和40年代の国鉄の駅にはいくらでもありましたが、その後あっという間に姿を消しました。
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この水道(水呑処)は大正3年の1914年ころに設置されたものです。戦前の海外旅行から帰国者や終戦後の引揚者や復員された方がのどを潤したことから「帰り水」と呼ばれました
帰り水 (JR門司港駅) 名所・史跡
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到着した晩には気が付きませんでしたが、「幸運の手水鉢」というものがありました。大正3年の開業当時からあり、太平洋戦争中の金属供出からも免れて現在まで残されたそうです。
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人造石研ぎ出しだと思いますが、現在はこのような加工の出来る職人は残っていないと思います。
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今回の旅で久しぶりに美しい駅舎の建築を見学することが出来ました。
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そろそろホテルに戻ることにします。
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ホテルの部屋から見えていた桟橋まで行っていなかったことに気が付いて行ってみることにします。目の前を唐戸港へ行く最終の関門汽船の船が通り過ぎていきました。
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今までとは違ったホテルの外観を見ることが出来ました。
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最後にホテルの中も歩いてみることにします。
プレミアホテル 門司港 宿・ホテル
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2階のレストランはまだ営業しているようです。
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3階へ向かう階段の踊り場から振り返ってみます。
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改めて階段の美しい建物だと実感します。ちょっとテンションが上がってきて、いろいろ探検したくなってしまいます。
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3階までの階段を歩いてみましたが、ここでも全く人の気配はありません。
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最上階のラウンジにも行ってみました。関門海峡が一望できるラウンジ「テンポ」が利用できるプランもあったので気にはなっていました。
バー テンポ グルメ・レストラン
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お客さんの姿はありませんでしたが、カクテルの1杯でも飲んでも良かったかなと思いました。
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部屋に戻って妻と部屋飲みしながら門司港の最後の夜は更けました。
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