
2023/02/01 - 2023/02/01
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kojikojiさん
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2022年のふるさと納税で下関市に税を納めることにして、その返礼品で「春帆楼本店ペアお食事券」をいただきました。申し込みをする前に店にも電話して、店が混んでいて予約が出来ない場合について問い合わせもしました。ところが「コロナ禍でもあり、ご希望の日時に予約が出来ないということはないと思います。」とのことだったので申し込みしました。ふるさと納税についてはANAのマイレージから楽天に入って楽天のふるさと納税から申し込みしました。送られてきた食事券が揃ってから、今回の旅行のフェリーとホテルと帰りの航空券のチケットを手配しました。当日は夕方になってホテルの部屋で着替えをし、目の前の「関門汽船 門司港乗り場」で片道400円のチケットを購入して対岸の山口県の唐戸まで移動しました。ようやく念願の渡船にも乗ることが出来ました。唐戸の港で船を降りてからはぶらぶら歩いて「春帆楼」に向かいます。ここまで来るのに最初に計画してから数年がかかった気がします。店に入る前に少し時間があったので同じ敷地内にある「日清講和記念館」の見学もしました。中学生の歴史の授業の一番最後の頃に学んだことが目の前に現れました。ある意味食事よりもこの記念館の方が思い出に残ったかもしれません。店に入るとすぐに3階の個室に案内されましたが、電話した際に希望の碑に予約ができるという意味が分かったような気がします。多分この日に食事に来た人は我々以外に数人の社用の方々だけのようでした。それが分かるほど静かでした。最初に計画した際はここに1泊することも考えましたが、そのような食事券はふるさと納税にはありませんでした。部屋にはバストイレがあり、泊まれることはすぐに分かりました。大きな和室の窓の外には関門海峡が望め、目の前を大きな貨物船が通り過ぎていきます。料理は店にお任せですが、最初は生ビールからスタートして、山口県の日本酒の飲み比べ、春帆楼オリジナルの日本酒、そしてひれ酒と進めました。食事代金は実質無料でしたが、飲み物代12,000円ほどで済みました。帰りも渡船で買えることを考えていましたが、唐戸まで戻るのも面倒になり、タクシーを呼んでもらいましたが、これが目の前に見えていながら遠回りして関門トンネルを通るので意外に高くつきました。一度は来たいと思っていて「春帆楼本店」はサービスも素晴らしく、楽しい食事でした。今年は山口の旅をベースにもう一度来ても良いかと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
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22年のふるさと納税を下関市にして、「春帆楼本店」のペアお食事券をいただいていました。HPの説明が分かりにくかったので、下関市役所に電話をしましたが、担当の方も予約の仕方が分からないようで、直接店に電話するように言われました。後日送られてきたところから今回の旅行のフェリーとホテルと帰りの飛行機の手配をしました。
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遅いお昼だったのでお店に電話して30分到着時間を遅くしてもらい、ホテルの目の前にある関門汽船の門司港乗り場に向かいます。今回の旅はこのホテルにしてよかったとつくづく思いました。
関門納涼船 乗り物
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片道400円の渡船で下関へふくを食べに行くのも一興だと思いました。
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ホテルの部屋から何度も眺めていた船にようやく乗ることが出来ます。
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唐戸港を出た船はほんの5分くらいで到着します。
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波の穏やかな関門海峡を航行する小型の船ですが、貨物船の航行波を超えるときなどは揺れがあります。
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夕方の時間に唐戸と門司港を行き来する人は数少ないようで数人の方が乗船しただけでした。
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ちょうど中間地点あたりからは関門海峡大橋がきれいに見えました。関門海峡は4回通過したことがありますが、横断するのは今回が初めてです。
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あっという間に山口県側の唐戸の港に着きました。ホテルの窓から見えた観覧す阿賀すぐ近くにあることが分かります。
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連絡船は毎時20分おきに往復しています。唐戸から戻る最終便は午後9時30分なのでそれまでに戻らなければなりません。
関門海峡遊覧クルージング 乗り物
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唐戸側から眺めた門司港の夜景は美しかったです。2010年に釜山から乗船したパンスタードリーム号の船上からこの夜景を見て門司港に来たいと思っていました。
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何となく香港の尖沙咀(チムサーチョイ)と九龍島を結ぶスターフェリーに乗ったような感覚でした。こういったロケーションは日本では稀だと思います。
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先ほど夕景を眺めた「門司港レトロ展望室」には明かりが灯っているのが良く分かります。そしてその下がマンションなのだと改めて実感します。
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我々を降ろした連絡船はまた門司港へ向かっていきました。
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宿泊している「プレミアムホテル門司港」もきれいに見えます。滞在している3日間は我々も風景の一部だったのだと思います。
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門司港に比べて唐戸は夕方以降もにぎわっているようです。カモンワーフには明かりが灯ってとてもきれいでした。
カモンワーフ ショッピングモール
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にぎわっているように見えたのは”ふくちょうちん”だけのようで、こちらも観光客の姿はまばらでした。
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「聖フランシスコ・ザビエル 下関上陸の地」の碑がありました。ポルトガルを出て8年後の1549年、鹿児島に上陸したキリスト教宣教師ザビエル一行は大内義隆に会うため、翌年平戸を経て10月末に下関の地に上陸しました。澳門大聖堂跡やマラッカのセント・ポール教会へは行ったことがあり、その度にザビエルを想ったことがありますが、ここでその足跡に出会うとは思いませんでした。
聖フランシスコ ザビエル下関上陸の地 名所・史跡
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唐戸の港から「春帆楼本店」まではぶらぶら歩くことにしました。西の空は茜色に染まり、とてもきれいでした。
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「亀山八幡宮(亀山宮)」は関門海峡鎮護の神社として歴代領主の大内氏や毛利氏らの崇敬を受け、下関の総鎮守、長門国三宮とされています。海に向かって立つ鳥居が美しくライトアップされています。参拝しようかと思いましたが、急な階段を見て諦めました。
亀山八幡宮(山口県下関市) 寺・神社・教会
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歩いて15分ほどで「春帆楼本店」に到着しました。食事の後にここを歩いて港まで戻れるだろうかと心配になります。
春帆楼本店 宿・ホテル
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坂の上にはホテルの部屋からも眺めた建物が見えてきました。「鉄道唱歌」で「世界にその名いと高き 馬関条約結びたる 春帆楼の跡とひて 昔しのぶもおもしろや」と歌われた「春帆楼本店」です。
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お店に入る前に右手にあった「日清講和記念館」が目に留まりました。開館時間は午後5時までになっていましたが、まだ解放されていたので内部を見学させてもらいます。
日清講和記念館 美術館・博物館
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この記念館は明治28年の1895年の春にこの地で開かれた日清講和会議と、下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、昭和12年の1937年6月に講和会議の舞台となった春帆楼の隣接地に開館しています。
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朝鮮半島の権益をめぐり対立していた日本と清国は明治27年の1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)をきっかけに開戦しました。この戦争は日清戦争と呼ばれ、戦況は日本軍の圧倒的優勢に進み、翌年に清国は日本に講和の打診を始めます。
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清朝は新北洋艦隊の建設にのりだし、1888年に正式に成立しました。ドイツから購入した当時の最大級の戦艦「定遠」「致遠」を中心に、新式巡洋艦や魚雷艇を含む大小50隻から成り、同時代の日本海軍をしのぐものでした。その後の清朝は軍艦購入を停止し、海軍経費2000万両をもって西太后の還暦を祝う頤和園造営費にあてました。
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日本はこの間に機動力にすぐれた10隻の中小新鋭艦を購入し、自力で建造した巡洋艦や鉄甲艦多数を含めて、明治27年の1894年当時までに55隻の大海軍を建設しました。
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「海岳煙霞」
大きな海の霧と夕焼けの下関を比喩しているとうです。清国代表だった李鴻章の書だと分かります。日清戦争では清の軍隊の中で戦争に参加したのは李鴻章の軍隊であった北洋艦隊と淮軍で、壊滅した事に対して光緒帝は李鴻章の厳罰を望みますが西太后の寵臣であったため要職を外れる軽微な処分に留まっています。 -
「広陵一夜忽天涯重見芙蓉 杯上披関左風光不須問朝暉 破暁出雲帷」春畝山人とは伊藤博文の書です。改めて昔の政治家の書は立派だと思います。
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明治28年の1895年の3月19日、清国の講和使節団を乗せた汽船が関門海峡の沖合に停泊しました。翌日から下関の料亭春帆楼で日清講和会議が開催されました。
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この講和会議には日本全権の伊藤博文、陸奥宗光、清国全権の李鴻章をはじめ両国の代表11名が出席しました。 講和に向けて会議はくり返しおこなわれ、4月17日に講和条約が調印されました。
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下関が講和会議の地に選ばれたのは日本の軍事力を誇示できる最適な場所であったからだったようです。事実、日本の軍船が大陸に向かい狭い海峡を通過する光景は清国使節団に脅威を与え、その後の交渉は日本のペースで展開したといわれます。
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このとき調印された講和条約は下関条約と呼ばれ、清国は日本に朝鮮半島の独立承認・領土の割譲・賠償金の支払い等を約束しました。
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記念館の中には再現されたものではありますが、テーブルと椅子が置かれてあります。やはり伊藤博文の椅子が一番立派で、陸奥宗光と書記官長の伊東巳代治は同じ椅子です。
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歴史の現場に立ち会ったような気分になって「春帆楼本店」に向かいます。
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春帆楼の歴史は古くは江戸時代まで遡り、奥平藩の御殿医だった蘭医の藤野玄洋に始まるようです。玄洋は「神仏分離令」によって廃寺となった阿弥陀寺の方丈跡を買い取り、新たに「月波楼医院」を開業しますがそこに伊藤家の招きがありました。春帆楼は玄洋の没後の明治14頃に伊藤博文の勧めによって妻のみちがこの医院を改装し、割烹旅館を開いたことに始まります。
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馬関と呼ばれていた下関は北前航路の要衝として「西の浪速」と称されるほどの活況を呈していました。下関は討幕をめざす長州藩の拠点でもあり、奇兵隊や諸隊の隊医として長州戦争に参加した玄洋の人柄に惹かれ、伊藤博文、高杉晋作、山縣有朋など、維新の志士たちも頻繁に出入りしたといわれます。「春帆楼」という屋号は春うららかな眼下の海にたくさんの帆船が浮かんでいる様から、伊藤博文が名付けました。
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エレベーターに乗って3階の個室に案内されました。午後7時ですがほかにお客はいないようでした。我々の入ったとに1組の社用と思われる数人の方の声が聞こえただけです。
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20畳ほどの広い和室には料理の準備がされていました。思えば昨年の12月23日の晩は下関でふくを食べるはずでしたが、クリスマス爆弾低気圧のせいで、九州の高速道路は閉鎖され、夜半にはJRも運休になってくることが出来ませんでした。小倉に足止めになりましたが、何とかふくを食べられたことが思い出されます。
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フルコースの献立がこれから始まる食事を期待させます。ここまで歩いてきたので、まずは生ビールをいただきます。
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切りそろえられたわけぎとこれ以上刻めるかと思うほどの寸ねぎに驚かされます。
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手前の密柑の蓋物は先付けの鯛わたです。鯛わたは春帆楼の料理に欠かせない一品として長い間珍重されているそうです。前菜はふく煮凝り、かぶと明太、白子豆腐、柚子松風、ふく一夜干し、エビのチーズ寄せ、越前袱紗です。松風は毎年母がおせち料理の一品で作ってくれていたので懐かしい味です。も家で食べられないと思うと寂しい限りです。
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唐戸港からぶらぶら歩いてきたので少しのどが渇きました。まずは生ビールで乾杯します。東京を出てから最短で、ここまで3日掛かりました。横須賀からフェリーに乗って「春帆楼」まで服を食べに来るというのも酔狂な話しです。
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コロナ前はさらに大きな皿で人数分盛られたふく薄造りも、現在は1人前づつ盛られています。献立上は向付に当たる料理だと知りました。
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薄造りはさすが春帆楼と思えました。1人前でも尺五寸ほどの大きな皿にびっしり花が咲いたようです。
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しかし妻の食べるのが早いこと。関取が「ごっつあんです。」みたいな食べ方です。
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ここで山口の地酒の飲み比べが届きました。左から澄川酒造場の純米大吟醸の「東洋美人」、中央が旭酒造の純米大吟醸三割九分「獺祭」、右が八百新酒造の純米大吟醸ゆうなぎ「雁木」です。どれもすっきりとした飲み口で、ふくの薄造りにはよく合います。
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お椀はふく真丈の澄まし仕立てです。お出汁も香り高く真丈も口の中でほろほろ崩れます。
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揚げ物はふく唐揚げです。骨の多い部位ですが、その分身が濃厚で美味しかったです。今まで食べた唐揚げで1番でした。
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鍋物はふくちり鍋です。ここで驚いたのは蒸すのかと思うほど水分が少ないことです。これが蓋をしてしばらくすると鍋に仕上がっているのです。もう少しふくの身が多ければと思いましたが、味は最高においしかったです。
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春帆楼のオリジナルの日本酒もいただきました。
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そしてひれ酒も続きます。これも美味しかった!継ぎ酒もおかわりしましたが、最後までひれの香ばしさが残っていました。
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蒸し物はふく白子蒸しです。淡白な白子のふわふわ感と、お出汁の具合が何とも言えません。
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お椀はふく味噌汁です。トロリの甘めのみそにふくの身がよく合います。
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最後にふく雑炊です。ここだけ妻と意見が合わないのですが、おじや風にどろどろの雑炊にするか、サラサラの雑炊にするかです。
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ここはサラサラの雑炊にしてもらいました。大満足のフルコースでした。ありがとうふるさと納税といった気分です。
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デザートは林檎と密柑と苺とピスタチオロールです。最近ピスタチオがはやっていますからね。ほうじ茶とよく合って美味しかったです。渡し船で門司港まで戻るという酔狂を最後まで貫きたかったのですが、ここで唐戸まで歩いて戻るのは諦めました。食事は無料ですが、飲み物代で12,000円ほどお支払いしました。
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タクシーをよんでいただき、門司港へ戻ることにします。関門海峡大橋を通るかトンネルで戻るか選択するのですが、料金の安いトンネルにしてもらいました。タクシーには往復料金を払わなければなりません。
関門橋 名所・史跡
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トンネルの入り口がかなり離れた場所で、どこかへ連れていかれるのかと思うほどでした。
関門トンネル 名所・史跡
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舟で帰れば800円のところを4,000円かけてホテルの前まで戻りました。
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これで今回の旅の大きなミッションが終わりました。美味しかったので今年も下関市にふるさと納税しようかと思います。
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ホテルの部屋で夜景を眺めながら少しお酒を飲んで、長い1日が終わりました。お酒に酔ったのか、まだフェリーで21時間揺れていた後の下船病なのか、体が揺らいでいます。
プレミアホテル 門司港 宿・ホテル
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