2023/02/02 - 2023/02/02
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kojikojiさん
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門司港について3日目です。前日の晩には下関側の「春帆楼本店」と「日清講和記念館」にも行きましたが、この日も船に乗って下関に向かいます。その前に見学していなかった「旧大阪商船」の建物にも入ってみます。ここは「わたせせいぞうギャラリー」があるのですが、時間もあるので軽い気持ちで見学してみました。世代の違う妻は特に思うところはなかったようですが、週刊モーニングで連載されていた「ハートカクテル」をオンタイムで読んでいた世代としては感慨深いものがありました。展示された絵を見ていると当時の時代背景が読み取れ、思い出がフラッシュバックしてきます。妻に「まだ見ているの?」といわれて我に返り、下関に向かいます。船に乗るまで時間があったので「関門海峡ミュージアム」にも立ち寄ってみました。ミュージアムのは入りませんでしたが、カフェのある4階や屋上の展望台からの眺めは素晴らしかったです。急いで港に戻り関門汽船に飛び乗って下関に渡りました。まずは「唐戸市場」に入ってみます。旅はまだまだ続くので買い物しても持ち帰れないので、かまぼこなどをまとめ買いして友人の家に送り、そこからいつもの友人たちに配ってもらうことにしました。市場は訪れた時間が遅かったので閑散とした雰囲気でしたが、規模の大きさとフクなどの安さに驚きました。お昼は市場近くの「ふくの河久」という店にしました。ここでふく刺しぶっかけ丼とふくの味噌汁をいただきました。前日の春帆楼とはまた違った下関のふくをいただけました。午後は近隣の「下関南部町郵便局庁舎」と隣接する「旧秋田商会ビル」に入ってみます。外観は中欧の国々を旅していると出会うような建物ですが、内部の2階と3階は純日本風の内装というギャップが面白かったです。屋上にある日本庭園は建物の老朽化に伴い見学できなかったのが残念です。最後に「旧下関英国領事館」の見学をして昨日も歩いた道を「春帆楼」方面に向かってみます。「日清講和記念館」をもう一度見学した後は「安徳天皇 阿彌陀寺陵」を参拝しました。時代は明治から平安時代にさかのぼります。そして「赤間神宮」にも参拝しました。興味深かったのは平家一門の墓所と耳なし芳一の方一堂でした。その像は素晴らしいものでした。戻りがてらに入った博物館も平家の時代を知るには勉強になりました。海岸の公園に行ってみると朝鮮通信使の上陸の碑がありましたが、釜山で朝鮮通信使の行列を見たことがあるので感慨深いものがあります。そして能の「碇潜」の巨大な錨を見たときはここが舞台であったかと改めて感じました。妻とはここでお別れして、1人で関門海峡を歩いて門司港に戻ると考えていましたが、足の調子が良いようで同行してくれました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 船 タクシー ANAグループ 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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門司港に到着して3日目の朝です。今回の旅もずっと天気が良くて助かりました。昨年の12月末のクリスマス時期は爆弾低気圧で来ることが出来なかったのが?のようです。
プレミアホテル 門司港 宿・ホテル
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穏やかな朝の風景をホテルの部屋から楽しみます。今日は下関に渡って古い建物を見て周ったり、市場に行ったりする予定です。
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そして関門トンネルを歩いて戻るというミッションもあります。妻は足が痛いので「赤間神宮」を参拝したところで唐戸港から船で門司港へ戻ると言っています。
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この日で2回目の朝食は窓側の席にしてみました。遅い時間なので食事をする人の姿もあまりありません。
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今日も朝シャンからスタートします。この日も3杯お代わりして、ほろ酔い気分になります。
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関門海峡大橋をグラスに写し込んでスパークリングワインを飲み干すと、海峡を制覇した気分になりました。しかし、この日の午後に関門トンネルを歩いたら海峡に飲み込まれた気分になりました。
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唐戸に渡る前に見学の終わっていなかったところに立ち寄りました。ホテルの目の前にある「旧大阪商船」の建物に向かいます。
北九州市旧大阪商船 美術館・博物館
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「旧大阪商船」は大正6年の1917年に建てられた大阪商船門司支店を修復したものです。オレンジ色タイルと白い石の帯が調和したデザインの外観と八角形の塔屋は中欧の国に残るウィーン分離派やハンガリーのレヒネル・エデンの建物を見ているようです。当時の門司港からは1ヶ月の間に台湾、中国、インド、欧州へ60隻もの客船が出航していました。大阪商船ビルはその拠点の1つとして、1階は待合室と2階はオフィスとして使われていて、当時は直接船に乗り込めたようです。現在の1階は「わたせせいぞうギャラリー」になっています。
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時間もあったので中に入ってみました。20代の初めは週刊モーニングという雑誌をよく読んでいましたが、その理由の1つがわたせせいぞうの「ハートカクテル」がありました。バブルに向かう時代で世の中は明るく気分も高揚していて楽しい時代でした。パソコンもスマホもない時代でしたが、懐かしく思い出しました。
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毎日仕事で行っていた池袋西武では仕事も楽しかったですが、売っている商品も目新しく、セレクトショップにはインポートのポール・スミスが売っていたし、イギリスのターンブル&アッサーの袖に4つボタンのあるシャツを誂えたり、インポートのDAKS、ブルックスブラザースのオウンメイクのブレザーを買ってみたり。
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ジェネレーションギャップのある妻は特に思い入れもないようで、「まだ見てるの?」なんて声を掛けられて現実に引き戻されます。40年前に始めて妻に会った時のことも思い出しました。初めて一緒に仕事した現場ではトップサイダーのデッキシューズにポロのソックス、ラ・ブレアのジーンズにポロのポロシャツと真っ白な格好でした。カッコいい年上のお姉さんだったのですが…。
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昨年暮れに小倉を訪れた際に知った小倉織りや門司周辺の工芸品も紹介されていました。風呂敷も素敵ですが、クリスマスプレゼントにポーチを買ってあげたので今回は無しです。
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門司港の外れにある「甲宗八幡神社」のお守りは小倉織りで出来ていると知ったので、この日の午後に立ち寄ることにします。
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違った意味でノスタルジックな気分になった「旧大阪商船」の見学でした。
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「関門汽船 門司港乗り場」に向かいます。次の船まで時間がったので「関門海峡ミュージアム」まで走ってスタンプを貰うことにします。門司港の観光スポットにはスタンプが置かれてあり、専用の台紙に押しているうちに最後に残ったのがこのミュージアムでした。
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一見すぐそばにあるようですが、1つ1つの建物の規模が大きいので思ったより時間がかかってしまいます。今から思えば近くに見える関門海峡大橋も巨大なことを忘れていました。
関門海峡ミュージアム 美術館・博物館
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エントランスには巨大な船のような壁が食い込んでいます。
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展示物には特に興味がないので無料のエリアを見学します。受付の女性にスタンプの場所を尋ねると、4階の有料エリアの入り口にあるということです。
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4階までエレベーターで昇ると美しい曲面の窓ガラス越しに関門海峡を見ることが出来ます。ピカピカのフローリングの床の上には真鍮のランプスタンドと猫足のテーブルに革張りのソファが海に向いて置かれてあります。
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ここは喫茶スペースになっていたので、時間があれば立ち寄りたかったのですが、妻は船着き場で待っています。
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すると目の前を海上自衛隊の艦船が航行していきます。調べてみるとあぶくま型護衛艦の「せんだい」でした。前の晩に行った「春帆楼本店」の「日清講和記念館」で、講和会議の際には関門海峡を西に向かう艦艇を見て優位に条約を締結したと知ったので、そのことが思い出されました。
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関門海峡は戦時中も重要な海峡で、昭和15年頃に連合艦隊が通過したこともあるようです。その時に海底の泥が巻き上がり、痕跡が残ったことから大掛かりな浚渫を行いました。終戦前にはB-29による日本に投下された約11,000個の機雷のうち4,600個が関門海峡に投下されたそうです。それだけ重要な海峡だったことが分かります。
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上階に展望デッキがあるということなのでエスカレーターをあがってみます。
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展望台からの眺めは素晴らしく、門司港レトロが見渡せます。
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対岸の下関もきれいに見えます。今回下関は訪問しませんでしたが、もう1日伸ばして訪ねても良かったかなと思います。
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屋根付きの展望台なので雨の日も見学できます。こんな景色が見られるなら妻を連れてくればよかったと後悔します。
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慌てて「関門汽船 門司港乗り場」に向かいながら、電話で妻にチケットを買っておいてもらいます。うまく合流出来たので、予定の船で唐戸港に向かいます。
関門納涼船 乗り物
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前夜は風が強く波もあったので上部のデッキは「濡れますよ。」と言われましたが、この日は波も穏やかだったのでデッキに上がってみます。
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関門海峡の中央から「関門海峡大橋」を眺めてみます。
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そして「カモンワーフ」と「唐戸市場」を眺めます。2月の初旬と言いながらポカポカ陽気で暖かな日でした。
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「市立しものせき水族館 海響館」の美しいシルエットと「はい!からっと横丁」の観覧車も見えています。
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船に港の入り口を伝える灯台の色は航路標識法という法律で定められています。海から陸に向かって港に入るとき、船の右側に赤い灯台、左側に白い灯台が見えるようになっています。
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白い灯台は「下関市あるかぽーと東防波堤灯台」で、赤い灯台は「下関外浜町防波堤灯台」が正式名称です。恋人同士が両方の灯台に触れて愛を誓うと必ず結ばれるといわれるそうです。
関門海峡遊覧クルージング 乗り物
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「巌流島」から遊覧船が戻ってきました。島には特に見るべきものもないので最初から行く予定にはなっていません。
巖流島渡船 乗り物
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巨大なふくのモニュメントと記念写真です。
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お願いすると何でもやってくれるので写真の撮り甲斐があります。
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昨晩はすでにしまっていた「唐戸市場」に向かってみます。最初に左側の商店街に入ってみます。ここにあったかまぼこ屋さんから地元の友人宅に4家族分まとめて買い物をして送りました。東京へ戻るのはまだ数日後なので、お土産だけ先に届くようにします。
唐戸市場 市場・商店街
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お昼前の鮮魚のコーナーはすでに商いのほとんどが終わってしまって閑散としていました。すぐに東京へ戻るのであれば買い物したかったですが。
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ホテルの部屋で食べるにはあまりにもお量が多すぎるので買えませんでしたが、あまりの安さに溜息が出てしまいます。この辺りで「唐戸市場」の散策は終わりにします。
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お昼をどこで食べるのは旅行前から決めてありましたが、「カモンワーフ」のお店を覗いてみても良かったかなと思います。
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「唐戸ターミナル桟橋」の目も前にその店はあるので探す手間もかかりません。
ふくの河久 グルメ・レストラン
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「春帆楼本店」で食事した翌日に「ふくの河久」で再びふくを食べるというのも酔狂なことですが、逆にした方が良いと思いました。
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ふく刺しぶっかけ丼とふくの味噌汁をいただきます。正直朝ごはんをがっつり食べて幾らも時間が経っていないので軽いものにしました。朝シャンがまだ残っていますが、ビールも注文しました。
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天然のマフグを食べやすい薄さにカットし、丼に盛り付けています。トラフグのコリコリした皮と一緒に食べるととても美味しく頂けます。特製のポン酢で漬けてあるので味はしっかりしています。
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妻はふく雑炊のセットです。
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前日の晩もふく雑炊食べましたが、こちらも美味しかったようです。港の食堂の程よくお客が入れ替わるシチュエーションも良かったです。お腹もいっぱいになったところで午後は唐戸市場周辺の古い建物の見学からスタートします。
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「下関南部町郵便局」は現存最古の郵便局舎として今なお現役で使われています。築100年以上経つ局舎は煉瓦造モルタル仕上げの2階建てです。日本人による本格的なルネサンス様式の庁舎建築で、設計は明治期後半の建築思想の論者でもあった三橋四郎という逓信省技師です。ルネサンス様式らしく左右対称で、前方に張り出した正面玄関の左右に柱頭飾りのついた角付柱が配されています。入り口はアーチ型で上部にはアーチのペディメントが設けられています。
下関南部町郵便局 名所・史跡
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「投資信託は郵便局で」の文字に閃いて、下関についていろいろ教えてくれた銀行の担当の方にこの写真を送りました。
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古代建築を学んだ天才的なルネッサンスの建築家アンドレア・パッラーディオの作品が好きで、ヴェネツィアから列車に乗ってヴィチェンツァの町を訪ねたことがあります。そんなことを思い出させる重厚なファサードです。
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歩道橋の上から建物を眺めてみると日本銀行の建物をリスペクトしたのではないかと思えました。日本銀行は明治29年の1896年2月竣工で、この建物は明治33年に完成しています。
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国道9号線に面した並びには「旧秋田商会ビル」があります。その特徴のある外観には驚かされます。国内最初期の鉄筋コンクリート造事務所建築だと言われ、施工は大阪の駒井組が請け負ったそうです。
旧秋田商会ビル 名所・史跡
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秋田寅之介により明治38年の1905年に設立された秋田商会は日清戦争と日露戦争時に大きく飛躍を遂げた総合商社です。国内や中国の満州、朝鮮半島と台湾など25カ所に支店と出張所を開設し、建築用の木材や食料などを運搬して莫大な資産を築きました。旧社屋が手狭になったため大正4年の1915年に下関港に面した交通の要所に建てたのがこの秋田商会ビルです。
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隣接する郵便局の完成後にこの建物が出来たのだと分かりますが、周囲の建物には往時の面影は全く残っていません。中途半端に古びたコンクリート造の建物が並んでいるのが残念です。
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鉄筋コンクリート造の建物は社屋兼住居で、1階には広い事務室と応接室、小室と階段室が設けられました。事務所が洋風の建築である一方で、2階と3階の住居には書院造が取り入れられていて、和洋折衷のユニークな造りが特徴です。
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屋上に茶室のような離れ座敷があり、その建物の周囲には樹木を植えた庭園があり、今から100年以上も前に屋上庭園を造っていたと分かります。
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歩道橋の上からでは分からなかった屋上の状況が、館内に置かれたパネルで理解することが出来ました。当然屋上にも行ってみたくなりますが、らせん階段が古くなっているので、現在は上がることが出来ないとのことです。
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1階は「下関観光情報センター」にもなっているのでいろいろな資料もいただけます。その一部はミニ博物館のようにもなっています。
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当時のカウンターが残されています。厚く塗り重ねられたペンキが時代の流れを感じさせます。
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カウンター以外は当時の秋田商会を感じさせるものは残っていないようです。店の部分の奥に階段が設けられ、途中に鉄扉がありますが、プライベート空間が分けられているのではなく、2階の一部は事務室や社長室になっています。
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外壁に面した廊下は洋風の設えになっていますが、板張りの廊下から内側は完全に日本的な建築に変わります。和洋折衷ではなく完全に明治時代の和風建築の世界があります。外廊下で囲われた8部屋ほどがプライベート空間になっています。
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通り側の一番大きな部屋が書院造の和室になります。書院の地袋や天袋の建具は傷んでいますが、床柱や木部は贅を凝らした建材が使われているのが分かります。
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天井も格天井で、書院には富士山が透かしになっています。障子も雪見障子になっていますが、上げても表を見ることはできません。
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面白かったのが中央に1本だけある柱は取り外しが可能で、襖をすべて取り外すと巨大な大広間が出来上がるのだと分かります。多分天井裏に工夫がしてあって、天井をすべて吊り上げているのだと思います。
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3階に上がった同じ場所にも書院造りの部屋があります。こちらの部屋の方が格式が高いように思いますが、天井は普通の竿縁天井です。付け書院はこちらの方が大きいですし、2階の4部屋分はある大きな部屋です。
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プライベート空間の一番奥にあるので、特別な用途があったのだろうと思います。この部屋の外廊下には屋上へ上がる螺旋階段があるので、お茶会で懐石をいただく部屋だったのではないかと想像しました。
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廊下にある螺旋階段です。木製のようなので、大勢が見学して上がり下がりしたら傷んでしまうと思います。屋上にあるお茶室へのアクセスはどのようにしていたのか不思議な感じがします。屋上へのアクセスはここしかなさそうです。
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洋風の外観の窓はそれほど大きくはありませんが南側と西側から差し込む光でそれほど暗さは感じません。
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貿易先の中国か台湾から資材とともに運ばれてきたのでしょうか。立派な円卓には堆朱が施され、天板には木蓮のような花が描かれています。
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3階の奥1/3は4部屋の倉庫になっています。ここは家人の持ち物が入れられていたプライベート空間のようです。2階への階段は洋風の手摺りが残されています。
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係りの女性が「100年前に水洗式のトイレがあったのですよ。」と教えてくださいました。手前のSKは掃除などに使っているようでした。
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2階から1階へ降りる途中には鉄扉はセキュリティのためだと分かりましたが、2階と3階の鉄扉の意味は分かりませんでした。
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日本国内にも奇抜な建物はいくつもありますが、この建物については全く知りませんでした。思いがけずに面白いものを見せていただいた気分です。
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「旧下関英国領事館」は赤レンガと白い窓サッシというコンビネーションの外観デザインが魅力的です。これは18世紀前半のオランダ・ルネサンス期のイギリスではクイーン・アンの時代に主流だったため「クイーン・アンスタイル」とも呼ばれるデザインだと思います。
重要文化財旧下関英国領事館 名所・史跡
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「旧下関英国領事館」は明治34年の1901年に赤間町に開設された下関では初めての領事館です。開設当時は商店だった小さな日本家屋を仮の領事館として使用していたため、明治39年の1906年に現在地に建物を新築し移転しました。領事館として使用する目的で建設された建物の中では国内で最も古く、明治期の外交関連施設の一典型として重要文化財に指定されています。
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領事館開設を本国に進言したのは駐日英国公使アーネスト・サトウです。本国への機密文書に門司港と下関港は海峡を挟んで実質ひとつの港湾であり、そのいずれかに領事を駐在させ、もう一方において貿易の保護を目的とする海事監督をする必要性があると記しました。
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アーネスト・サトウは幕末期に活躍した英国の通訳官で外交官です。維新後は駐日英国公使となりますが、日本語に堪能で日本文化に深い造詣をもち、幕末期の外交交渉の場を通じて西郷隆盛や大久保利通、伊藤博文、勝海舟、徳川慶喜といった数多くの要人たちと面識をもち、また個人的にも多くの日本人と親密な交流がありました。
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ウォルター・ウェストンやウィリアム・ガウランド以上に、日本の「近代登山の幕開け」に大きく寄与した人物としても知られています。
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レンガ造2階建の本館は1階を領事や海事監督官などの執務空間に、2階を海事監督官の住居として使用していました。赤い煉瓦と白い石材の対比が美しい外観は、煙突をもつ階段状の切妻壁(ステップ・ゲーブル)や三連のアーチが特徴です。室内では暖炉を飾るマントルピースやタイルが印象的です。
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2階は海事監督官の住居として使われ、寝室2室と居間1室、浴室、物置、パントリーがあり、台所は使用人たちが使った附属屋に設けられました。当時は1階の執務室と2階は完全に区切られていて、直接行き来できない造りになっていました。現在はカフェとして使われています。
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建物がどのように使われていたかが明確で、当時の領事館と附属屋の両方が残っている明治期の外交関連施設の典型といえる建物です。
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外観にいくつも煙突があるのは見えていましたが、美しい暖炉が残されていて感激です。使われている緑色の釉薬の掛かったタイルが美しいです。
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まだまだ先が長いので見学を切り上げます。木製の階段と上げ下げ窓が美しい階段室です。
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ヴィクトリアンスタイルの階段の親柱も重厚な造りになっています。展示物の少ない建物なのでデティールが際立ちます。
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素材としてのタイルの普及はヴィクトリア時代の人口増大による安い労働力と機械による大量生産が可能にしたものです。耐久性があって衛生的な素材であるという理由で、タイルは公共の建物にも多く使われるようになりました。
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ヴィクトリア時代後半になると部屋のフォーカルポイントとなる暖炉にもあしらわれるようになります。明治期に建てられた日本各地の洋館には同じようなデザインが多く見られます。満州時代の瀋陽にある「張氏帥府博物館」の「大青楼」にもたくさんのタイルが使われていていたことを思い出します。
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スペインのコルドバのメスキータを連想させる馬蹄形のアーチが美しいです。建設された当時はこのテラスから関門海峡が眺められたのだと思います。
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昨晩も通りがかった「亀山八幡宮」までやってきました。ここには御影石で出来た「山陽道石碑」があります。明治11年建立されたもので、「長門国誌」には「これ山陽道第一番塚なり」とあります。
亀山八幡宮(山口県下関市) 寺・神社・教会
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ここは山陽道の起終点にあたり、九州渡航の要地として船番所という関所が置かれていました。交通の要衡ででもあり周防灘三関(上ノ関、中ノ関、下ノ関)の1つで、下関市の名称はこれに由来しています。今日も階段は登りませんでした。
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昨晩にも来た「日清講和記念館」にも再び立ち寄りました。パンフレットをいただいてあったのですが、春帆楼で食事して後にホテルで開いてみたら中国語のものでした。日本語のものをいただくのが目的です。
日清講和記念館 美術館・博物館
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駆け足で見学してしまったのでもう一度見直しておくことにします。改めて「李鴻章(りこうしょう、リー・ホンチャン)」について調べてみると同治年代から光緒年代の怒涛の西洋列強と日本とを相手に活躍した人物だと知りました。
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伊藤博文についても改めて学び、哈爾濱駅を2度利用していながら1番ホームを見ていなかったことと、「日露監獄旧蹟博物館」で安重根の監房を見たことなどを思い出しました。
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実際の講和条約を締結したころの春帆楼の写真も残されています。
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関門海峡側に伊藤博文と陸奥宗光が座り、反対側に座る李鴻章ら清の代表団は日本の軍船が大陸に向かい狭い海峡を通過する光景を見せられたのでしょう。
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写真をもとに再現された交渉のテーブルは歴史を実感させるには十分な装置です。
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長い文章なので一部だけを写真におさめました。調印された講和条約は下関条約と呼ばれ、清国は日本に朝鮮半島の独立承認、台湾・遼東半島など領土の割譲と賠償金の支払い等を約束しました。
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前の晩は暗くて気が付きませんでしたが、伊藤博文と陸奥宗光の胸像が置かれてありました。
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「ふくの碑」には春帆楼の名は伊藤博文が「春の海の帆」を心に描いて命名したとあります。
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春帆楼の敷地から「赤間神宮」に向かう途中に「安徳天皇 阿彌陀寺陵」があります。「赤間神宮」は明治維新以前の神仏混淆時代には阿弥陀寺という寺でした。安徳天皇の遺体は壇之浦に面した御裳川(みもすそがわ)で引き上げられ、寿永4年の1185年3月24日に紅石山麓の阿弥陀寺に埋葬されたと伝えられています。
安徳天皇阿弥陀寺御陵 名所・史跡
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安徳天皇は祖父であり平氏の頭領でもある平清盛によって数え年3歳にして天皇に即位シマス。そして平氏滅亡の際ニ数え年8歳で崩御した悲劇の天皇です。歴代天皇の中で最も短命であり、唯一戦いによって命を落とした天皇として記録されています。
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「赤間神宮」の正面に立つと竜宮城をイメージして建立された朱色の水天門が出迎えてくれます。赤間神宮の前身である「阿弥陀寺」は、小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」の舞台になった寺でもあります。
赤間神宮 寺・神社・教会
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我が家の乙姫様に声をかけて門の前に立ってもらいます。気のせいかすらっとして見えます。
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竜宮造りの楼門は昭和32年の1957年に竜宮城をイメージして建立され、翌年には昭和天皇と皇后両陛下が通り初めをされているそうです。
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「水天門」の名称は安徳天皇が水天大神と称せられたことに由来し、扁額には波に呑まれそうな小さな菊の御門が描かれています。
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社務所には平家蟹の標本が置かれてありました。初めて見た現物が思っていたよりも小さいのには驚きましたが、確かに甲羅の部分は顔のようにも見えます。瀬戸内海や九州沿岸に多いことから、壇ノ浦の戦いで敗れて海に散った平氏の無念をなぞらえ、「平氏の亡霊が乗り移った」という伝説が生まれます。このためヘイケガニは食用でないにもかかわらず有名なカニになります。この話は京都の祖母に教えてもらったことを思い出しました。
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本殿を参拝した後は左手にある平氏の墓所を目指します。その手前には「芳一堂」がありました。子供の頃に読んだ怪談話が思い出されます。下関の阿弥陀寺という寺に、びわ法師の芳一という男がいたところから始まります。幼いころから目が不自由だったが、琵琶の腕は師匠をしのぐ程の腕前で、特に壇ノ浦の合戦の弾き語りは真に迫るものがあったそうです。
耳なし芳一まつり 祭り・イベント
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芳一がビワの稽古をしていると、身分の高い方からの使者がやってきます。「琵琶の弾き語りを聞きたい。」というので芳一は使者の後をついて行き、大きな門の屋敷に通されます。芳一は壇ノ浦の合戦を弾いて聞かせると、大勢の人がいるのかむせび泣く声が周囲から聞こえてきます。やがて女の声が聞こえ「今宵より三夜間、弾き語りをして聞かせてほしい。またこの事は誰にも内緒にするように」と告げられます。
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翌朝に寺に帰った芳一は和尚から不在を問い詰められますが、約束通り何も話さなしませんでした。和尚は夜にこっそりと寺を抜け出した芳一を寺男に尾行させると、安徳天皇の墓の前で琵琶を弾いている芳一の姿を見つけます。平家の亡霊に憑りつかれていると知った和尚は、芳一の体中に経文を書きます。そして「誰が話しかけても絶対に声を出してはならない。」と言い聞かせます。その夜また亡霊が芳一を迎えに来ましたが、経文に守られた芳一の姿は見えません。しかし和尚が芳一の耳にだけ経文を書くのを忘れてしまったため、亡霊には両耳だけは見えていました。亡霊は迎えに来た証拠にと芳一の耳をもぎ取り帰って行きました。傷が癒えた芳一はの琵琶はますます評判になり、いつしか「耳なし芳一」と呼ばれるようになりました。この像は彫刻家の山崎朝雲門下の押田政夫の作とのことですが、心に残る表情です。
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お堂の横には高浜虚子の詠んだ「七盛の 墓包み降る 椎の露」の碑がありました。
高浜虚子句碑 名所・史跡
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「安徳天皇 阿彌陀寺陵」の森を守るように平家一門の墓が並んでいます。平清盛の妻の二位尼は安徳天皇を抱えて入水する際に「海の中にも都はございます」と歌を詠んだといわれています。お金を入れて線香を手向けました。
七盛塚 名所・史跡
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前列の右から「左少将 平有森」「左中将 平清経」「右中将 平資盛」「副将能登守 平教経」「参議修理大夫 平経盛」「大将中納言 平知盛」「参議中納言 平教盛」、後列には「従二位尼 平時子」の墓とありました。
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社務所の裏には「宝物殿」があり、100円の拝観料を料金箱に入れます。たいしたことないだろうと思って入りましたが、土佐光信筆と伝わる安徳天皇縁起絵図の緻密な絵と平家一門の肖像は素晴らしかったです。
赤間神宮宝物殿 美術館・博物館
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「水天門」から海岸線に向かってみます。妻はここから唐戸港に戻って船で門司港へ戻ると言っていましたが、天気も良く足の調子も良いので最後まで歩いてくれることになりました。
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対岸には宿泊している「プレミアムホテル門司港」が真正面に見えました。海に続く階段には巨大な錨が置かれてありました。それを見て何を意味するのかが分かりました。能の「碇潜(いかりかずき)」では平家の菩提を弔うため壇ノ浦までやって来た平家の縁者であった僧は、浦の渡し船の船頭のために法華経を読誦し、船頭に壇ノ浦の戦いの様子を語るよう願います。船頭は平教経の奮戦のさまを語ると、自分こそ平家の武将の幽霊だと明かして消え失せます。僧が平家のために法華経を手向けていると総大将の平知盛の幽霊が現れて修羅の苦しみを見せ、平家滅亡と自らの最期の有様を語って消えてゆきます。
阿弥陀寺公園 公園・植物園
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また人形浄瑠璃として上演されて翌年すぐに歌舞伎でも上演された「義経千本桜」の「渡海屋の場・大物浦の場」は逃亡生活を送る源義経一行と平知盛が意外な形で対面を果たし、再び刃を交えた末に知盛が壮絶な最期を遂げるまでを描いた大作です。
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義経とその家来たちは都から落ちて九州へ逃れるため大物浦にある船宿渡海屋に身を寄せます。ところがその渡海屋の主人の銀平は、壇ノ浦の戦いで死んだはずの平知盛でした。その娘お安は安徳帝で女房お柳(おりゅう)は乳母の典侍局(すけのつぼね)が扮装した姿です。知盛は悪天候の中に義経一行を出航させると、幽霊の姿に扮して義経へ復讐を仕掛けます。一方で安徳帝を守りながら知盛を待つ典侍局は、味方の軍勢が義経側の逆襲に合うと知ると帝と共に入水しようとしますが、義経主従によって止められます。その間に安徳帝の身を案じて血潮に染まりながら大物浦へ戻ってくる知盛のところへ、義経が安徳帝と典侍局を伴って現れます。「今またわれを助けしは義経が情け、仇に思うな」という帝自身の言葉と帝の身を守るという義経の言葉を聞き、安心した典侍局は自害し、知盛は瀕死の体に碇綱を巻きつけて海中へと身を投じるというあらすじです。
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「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ ひとへに風の前の塵に同じ」と書かれた像がありました。東南アジアの国々を旅していて各地で沙羅双樹の花と実を見たことを思い出します。
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詳しくは分かりませんが安徳天皇と従二位尼の平時子がモチーフになっているのだと思います。この後は延々と国道9号線を歩き壇之浦古戦場から関門トンネルを渡って門司港へ戻ります。
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2023東九フェリー・門司港下関・福岡の旅
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2023/01/30~
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2023/01/31~
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2023/02/01~
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2023/02/01~
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2023/02/01~
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クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(6)昭和レトロな栄町銀天街を抜け、三井倶楽部と大連友好記念館と旧...
2023/02/01~
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クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(8)門司港から関門汽船で下関に渡り、唐戸市場から下関レトロの街を...
2023/02/02~
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2023/02/02~
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クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(10)中州の「河太郎」で生きイカを堪能して、櫛田神社の節分祭に参...
2023/02/03~
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クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(11)「福岡市博物館」で小学校で習った志賀島の「漢委奴國王」の金...
2023/02/04~
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クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(12)福岡市美術館の前川國男の建築と仙と松永記念館のコレクショ...
2023/02/04~
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