2010/09/13 - 2010/09/21
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kojikojiさん
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久し振りに海外の電車旅をしたいと思っていたところ浅田次郎さんの新作「マンチュリアン・リポート」を知り、いつかは行ってみようと考えていた旧満州の列車旅に決定しました。また自由に観光出来なかった旅順が最近開放されたのを知ったからでもありました。そしてどうせ旧満州鉄道を旅するならばホテルも旧大和旅館にしようと思いました。似たようなツアーは1週間でありましたが、個人で周遊すると9日かかりました。その分思い通りに観光することも出来ました。最近は安いツアーに便乗することが多かったので団体旅行のフラストレーションが溜まっていたのも事実でしょう。大連を起点に3泊して旅順、瀋陽に2泊、長春とハルピンに1泊、ハルピンから大連へは夜行寝台列車で戻った8泊9日の旅の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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夏の忙しい仕事がひと段落したところでANAの特典航空券を手配し、成田空港から大連へ行くことにしました。池袋駅から成田エクスプレスの新しい車両で空港に向かいます。
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以前から旧満州を旅したい気持ちがあったのですが、今回の旅先に決定したのは旅順が解放されて個人でも旅行し易くなり「旅順博物館」が行きやすくなったとの、浅田次郎の「マンチュリアン・リポート」という小説が刊行されたからでした。
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ルートとしては大連から列車で旅順へ行き、大連から瀋陽、長春から哈爾濱と列車を乗り継ぎ、最後は哈爾濱から夜行列車で大連に戻るということと宿泊するホテルは全て旧大和ホテルにするということです。列車の予約はいつも手配をお願いしている桂林の旅行会社にお願いして、ホテルはネットのサイトで予約しました。
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飛行機は九十九里の上空で旋回して、富士山の北側を西に向かって飛びました。左側の座席を予約しておいたので富士山がきれいに見えました。
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富士山が見えなくなったころにお昼のサービスがありました。
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そして琵琶湖の北側から日本海に抜けました。
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日本海に出ると天橋立が見えて、鳥取砂丘から島根県の海岸線に沿って東シナ海に出て、朝鮮半島は釜山の北側からソウル上空を通過して仁川上空から黄海に抜けました。
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南側から大連に空港に向けて高度を下げると、左手に大連港が手で触れそうな距離で望めました。昔の写真と全く同じように防波堤と埠頭が4本見えました。ここから叔父たちが日本へ引揚げたのだろうかと思うと感慨深いものがありました。
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NH903便は成田空港を10:10に出発して大連周水子空港へは12:15に到着しましたので約3時間のフライトでした。
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空港で少し両替してタクシーで大連で宿泊する「大連賓館」に向かいました。大連の空港は町から近いので30元(390円)ほどでした。
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ヤマトホテルはかつて「南満州鉄道株式会社」が経営していた高級ホテルです。1907年から1945年まで満鉄線沿線の主要都市を中心にホテル網を展開していました。ヤマトホテル以外の直営ホテルと合わせて満鉄ホテルチェーンと総称されました。
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今回大連ではこの旧ヤマトホテルである「大連賓館」に3泊して、その後哈爾濱まで満鉄ホテルチェーンを泊まり歩くという趣向です。同じようなルートのツアーもありますが、ヤマトホテルには泊まらないので、自分たちでの個人旅行にしたわけです。
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南満州鉄道は日露戦争の勝利によって獲得した鉄道経営権を元に設立されますが、長春から大連間を縦断する満鉄線を欧亜連絡鉄道に組み込んで、上海から香港航路へと繋げる一大幹線とするためには、その沿線に西洋人が快適に滞在できるホテルを確保することが必須と考えたそうです。
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1914年(大正3年)3月に大連中心部の現在の中山広場前に新館が竣工し8月1日に移転開業します。建設費90万円で完成まで4年を要した当時としては巨大なホテルで、客室数115室で収容人数175名を誇ります。建物の外観はイオニア式ジャイアント・オーダーが8本並ぶルネサンス様式で、正面玄関には鉄製のキャノピーが設けられます。
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現在もその外観はほとんどそのままの姿で残されていました。そして外壁にはこのようなプレートが設けられていました。
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チェックインは簡単でパスポートを見せるだけで、予約票を出す必要もありませんでした。大連から瀋陽への列車は滞在中に現地の旅行会社の方がフロントに預けてくれることになっていました。チケットの手配とデリバリーに150元がかかりましたが、自分で買おうと思うと並ぶ時間がもったいないのと、希望の時間で予約できるか分からないので助かりました。
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ホテルの内部はヤマトホテルの時代とは変わっている部分もあるのでしょうが、面影は残っていると感じました。戦前戦中にはここでいろいろな物語があったのだと思います。
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廊下の広さに贅沢な造りを感じます。
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部屋は3階のスタンダードツインです。1泊朝食付きで450元、約5,850円でした。
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全体にくたびれた風情は否めませんが、それがかえって歴史を感じました。現代的なホテルにはどこででも泊まれますが、新しいホテルの快適さより歴史が感じられるホテルの方が好きです。
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パブリックスペースは昔のヤマトホテルを彷彿させるものが残っています。往時の華やかさを想像するには静か過ぎるようでもありますが、昔のように夜ごとに人々で賑わう事は無いのでしょう。
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部屋で一休みしてからロビーに下りました。カウンターで1人50元払うと館内を案内してくれます。宿泊客は陳列室は無料で見せてくれるようですが、他の部屋は有料だそうです。
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まずは貴賓室(迎賓庁)を見せてもらいました。ここが会談や会議を行う場所で、日本から中曽根元首相や村山元総理ら要人もここで会談したそうです。今でも市政府の会議が行われ現役で活躍している部屋です。
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こういった満鉄時代の部屋がちゃんと残っているのが不思議です。
この後は2階の陳列室、この部屋からは真っ暗な大きなホールが見えましたが、電気も点けてくれないし、中を見せてほしいとお願いしても鍵が無いからと断られてしまいました。 -
溥儀が日本に行く前に滞在した部屋もそのまま残っていましたので、部屋は見る価値はあると思います。この辺りから調度品を放出しているなんて話が始まり、溥儀が使った机の上にある文鎮が40,000円なんて感じです。次に隣の満鉄の事務所に移りますが、こちらはショーケースに鮑真珠が並んでいます。
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後で気づきましたがポスターに屋上が開放されているとありましたがこちらの見学もありませんでした。係員にもよるのでしょうか50元の価値は無いと思いました。
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部屋にもう一度戻って出掛ける準備をして町歩きに出発です。
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大連賓館の隣は「旧大連市役所」の建物です。ファサードの意匠は京都の祇園祭の山車がモチーフになっているそうです。このように洋風建築の上に和風の装飾を施す様式を帝冠様式と呼び、日本独自の建築様式です。
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中山広場から魯迅路を下ってゆくとすぐに「大連満鉄旧跡陳列館」です。表に看板も無いので間違いなく通り過ぎてしまうでしょう。通り過ぎると大連鉄道局の石碑があるので直に分かると思いますが。
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満鉄は単なる鉄道会社にとどまらず、日露戦争中に児玉源太郎が後藤新平の影響を受けて献策した「満州経営梗概」に「戦後満洲経営唯一ノ要訣ハ、陽ニ鉄道経営ノ仮面ヲ装イ、陰ニ百般ノ施設ヲ実行スルニアリ。」とあるように、それを具現するための組織だったそうです。
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建物の右ウイングの一部だけが開放されています。表の硬いイメージから建物に一歩入ると鮮やかな装飾に驚かされます。東京が余りに暑い夏だったので、大連から北へ旅すれば少しは涼しいかと思ったけれどとんでもない間違えでした。
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立派な建物ですが肝心の満鉄総裁室や陳列室の中は撮影禁止です。流暢な日本語を話す係員さんが数名いて詳しく説明してくれますが、日本人でいながら満鉄総裁の名前を後藤新平くらいしか知らないのは少々恥ずかしく思いました。
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もう昔に亡くなった叔父は満鉄に勤めていたと聞いています。もしかしたらこの建物にも来た事があったかもしれないと思うと世代は違いながら胸にこみ上げるものはあります。
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誰もいない博物館の中を歩いていると時間が止まってるように感じてきます。
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でもこうやって日本時代の建物が残されていることは日本人として嬉しく感じます。逆にこう言った建物を負の遺産として、壊した上に晒しものにしている国には行きたくないと思ってしまいます。
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奥の部屋にはこの建物で一番重要だった金庫室が見えます。背後にはお土産品が売られている部屋があります。満鉄のロゴの入った物はたくさん残っているようです。
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日本人向けに一部屋分の棚に食器などが並んでいたそうですが、ほとんど売れてしまったそうです。まだ残っている分を売るために許可待ちだそうです。
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他に訪れる見学者も無く静かな時間が過ごせました。
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多分戦中から残されている照明器具なのだと思います。歴史を生き抜いたその美しさにため息が出ます。
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「大連満鉄旧跡陳列館」の見学の後は旧ロシアへ向かうことにします。
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一度中山広場へ戻ってきました。現在は高いビルに囲まれてしまっていますが、往時はこの辺りの建物が大連では一番高かったのではと思います。
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今では周辺の高いビルに囲われて円形の広場の周りだけが空が広いように感じます。
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広場の周辺も含め大連は地下鉄工事が進んでいます。多分便利にはなるのでしょうが、これだけタクシーが安いとついついタクシーの移動になってしまいます。
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旧横浜正金銀行ビルは戦前に存在した「横浜正金銀行」の支店ビルでした。1880年(明治13年)に開設された国立銀行条例準拠の銀行で、外国為替システムが未確立だった当時、日本の不利益を軽減するよう現金(正金)で貿易決済を行なうことを主な業務としていました。その名の通り神奈川県横浜市中区に本店を置いていました。どちらも妻木頼黄という建築家が設計しています。
https://4travel.jp/travelogue/10724877 -
第2次世界大戦においては日本の軍需に必要な外国通貨収集の為の機関とみなされたために、敗戦後の1946年(昭和21年)にGHQの指令によって解体と清算がなされ、外国為替銀行としての役割は新たに設立された東京銀行に引き継がれる事にります。
現在は中国銀行遼寧省分行が使用しています。 -
1930年に93室のホテルとして正式開業した「遼東ホテル」は庶民派のホテルとして重宝されたそうです。日露戦争中に一部開業し、1909年には旅順へ向かう途中の伊藤博文も宿泊したそうです。現在は「大連飯店」という名前に変わっていました。
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「大連飯店」から旧ロシア街への途中に「順和礼品商行」という店があります。
ANAのホームページやガイドブックに掲載されていたので興味を持っていた切子の店で、中国では切子のことを「刻花」と呼ぶそうです。中国名の方が雰囲気がありますね。大連周辺にはガラスの材料になる硅砂の産地があるそうです。 -
小さな店であまり綺麗と言えない通りですが、青い看板に白い文字で「きりこ屋」とあるので分かりやすいです。路面電車からも見えました。
同じタイミングでツアーで来られた日本人のツアーの方が仰るには旅順へ行った帰りに連れて行かれたお土産屋とでは値段が一桁違うそうです。この店では杯が5元、小鉢も5元から、大きなグラスで50元、中鉢で70元程です。あまりに安いので値切る気になりませんが、まとめて買うとオマケをしてくれました。 -
勝利橋(日本橋)を渡って旧ロシア街に入ります。通りの入口にある「旧東清鉄道汽船会社社屋(現大連芸術展覧館)」は、元々1902年に建築された建物ですが、1996年に建てられたレプリカだそうです。ロシア人の姿は全く無く、中国の観光客ばかりです。
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中途半端な時間だったのか人通りは少なかったです。一度は賑わった後の寂れた観光地といった感じがしました。閉店した店や同じようなロシア土産を売る店ばかりです。ロシアの風情はハルピンで楽しもうと思い、雰囲気だけを楽しみました。
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ロシア街は帝政ロシアが入植して最初に切り開いた行政街で、近代大連の誕生の地です。通りの1番奥にあるロシア建築は初代「大連市役所」で、日本時代には満鉄本社、初代ヤマトホテル、満州資源館などとして使われています。
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1998年までは博物館だったのですが、現在は移転したため廃墟化が進んでいます。建物自体は1900年の建築と大連市内最古の建築物の1つです。
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この時の旅からロシアへの旅を考えるようになりました。
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多分この先をブラつけば面白い物に出会えそうな気がしましたが、妻も少々お疲れ気味だったので戻る事にしました。
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途中でビールを買ってなどと考えていたら天津街まで戻ってきてしまい、結局ホテルまで歩いて戻るとすっかり暗くなってしまいました。
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「大連賓館」は昼間よりライトアップした夜の方が魅力的です。以前は屋上にモニターが設置された写真が多かったのですが現状復帰されたようです。
もちろんこちらの方が良いに決まっています。 -
周辺のビルも同じように輝いています。日本だと単色のライトアップしか考えられませんが中国だとどこもこんな感じですね。鍾乳洞などはもっと鮮やかです。
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広場を挟んだ正面には「横浜正金銀行」が対峙しています。
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中国銀行もこの時は地味だと思っていました。
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この日の晩ご飯は大連らしい海鮮中華を食べに行くことにしました。この後の瀋陽や長春などの内陸部では海の物は食べられないでしょうから。
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中国銀行の右脇の民生路を進んだ「富哥海鮮舫」に行ってみました。正面は工事中だったので脇の入り口から入ります。
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席について促されるように水槽を見に行きますが、美味しそうな水族館といった感じです。この店は英語もほとんど通じませんでしたので、1斤(500g)とか1只(1匹)などの知識はあった方が良いでしょう。
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水槽の中には地元で採れた海鮮がたくさん入っています。
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炒(チャオ)⇒油の量が少なめで炒める。
爆(バオ)⇒「炒」よりもさらに強熱火で一気に炒める方法。
炸(ジャ)⇒揚げ物の調理法。 -
蒸(ジョン)⇒蒸す,蒸気を通す。
刷(シュアン)⇒薄切りの材料を軽くゆでる。
これくらいで食べたい調理方法を伝えることは出来ます。 -
これは1斤「白灼蝦」(バイジュオシャー)でお願いします。
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中国では日本のビールが人気で、ここでも麒麟ビールが置いてありました。
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すぐにこんな感じで「白灼蝦」(バイジュオシャー)が出てきます。生姜入りの酢醤油でいただきます。
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大好物がテーブルに並び始めました。
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椒塩爆明蝦蛄も1斤。これはガーリック風味で揚げてもらいました。
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思わず笑みがこぼれてしまいます。美味しい物を食べていればご機嫌を損なうことはありません。
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これは随意(スイイ:おすすめ)でお願いした鮑の蒸し料理です。
小振りでしたが柔らかく蒸してあり美味しかったです。肝は苦みが無かったので養殖なんだろうなと感じました。 -
これもお任せにしたら海胆茶碗蒸しになってきました。濃厚な茶碗蒸しのような感じがします。後日行った「天天漁港」では生食にしました。
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渡蟹は食べるのが少し面倒だけど美味しかったです。
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ここから大連でのエビカニの旅がスタートしました。
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ご飯ものを頼まなかったので最後にワンタンを1碗注文しました。大満足の大連初日の夕食でした。ビールも飲んで2人で230元と(約3,000円)豪華ディナーになりました。海鮮を食べるだけで大連に来てもいいなと思えます。
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ホテルへ戻る途中にはこんな屋台街もありました。
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戻ってくると仕事が終わった中国銀行のビルはイルミネーションで輝いていました。
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そしてカラフルに色が変化していきます。日本では絶対にできそうもないライトアップです。
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巨大なロゴタイプがすごい迫力です。
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チャイナパワーを感じます。この頃にもっと中国に投資しておけばよかったと思います。
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久しぶりに「ジェンズ」を買ってみました。2個で3元という安さです。蹴り上げるところがタンバリンの鈴のようになっているのできれいな音が出ます。ベトナムではダーカウと呼ばれ、ハロン湾の英語ツアーでの帰り道のトイレ休憩の時に6か国対抗で戦ったのを思い出します。妻と2人では戦いになりませんでした。
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この広場の夜景を見ているだけで「大連賓館」に宿泊することにしてよかったと思います。
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夜景散歩にも飽きてきたのでそろそろホテルに戻りましょう。
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ホテルに戻ってくると階段に「大和 喫茶店&クラブ」って怪しい看板が誘ってきます。日本人向けの店なのは感じましたが、おとなしく部屋に戻ります。
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ようやくホテルに戻りました。翌日は早朝の列車に乗って旅順への日帰り旅行です。それも早朝の6時過ぎの発車のうえにチケットの購入もあるので早く休みましょう。
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翌朝は午前5時にホテルを出て大連火車站まで歩いていくことにしました。
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夜景もきれいですが、やはり重厚な建築を感じるには日中の方が良いですね。
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大連賓館には3泊しましたが、早朝に旅順に行ったりしたので3日目になってようやく朝食を摂る事が出来ました。長い廊下の先にダイニングはありました。
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3泊して1回しか食べられなかった朝食はビュッフェ方式では無くて人数分の料理が皿に乗って出されてきます。テーブルによって多少メニューが違うようです。
ボリュームいっぱいの料理をたっぷりいただいて出発です。 -
9時半にホテルの前からタクシーに乗って人民広場に到着しました。もう大連女子騎馬警察隊のお姉さんたちは準備を終えて行進を始めていました。
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イチオシ
おお、憧れの「大連女子騎馬警察隊」の勇姿を見る事が出来ました。
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中国では人気の様で次から次に観光客がやってきて写真を撮っています。
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我々は「中国神秘紀行」という番組でその存在を知ったのですが、大連には中国で最初のモデル学校があり、そこの卒業生も騎馬警官になるのが人気だそうです。大連など中国の東北部は身長が高く、色の白い女性が多いので美人に多いエリアと言われます。
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世界的にも珍しい女性の騎馬警察が「大連女子騎馬警察隊」で、人民公園のみならず大連市の様々な場所に現れるそうで、大連の観光の目玉の一つとなっているそうでう。
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近くには同じ婦人警官による交通整理も見られますが、こちらは誰も写真を撮ったりしません。暑い中ご苦労様です。
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9時半に来て準備をして人民広場を3騎づつ20分行進して2回休憩がローテーションのようです。
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停まっている時は観光客が寄ってきて写真撮影です。日本人の観光客は見掛けませんでしたが。
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10時半前にバスに戻ります。
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鞍や鐙を外して馬を乗せます。3頭づつ2列で6頭。
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サンダーバードみたいです。
みんなを積み込んでバスは走り去りました。
ちょうど10時30分でした。 -
人民広場を北に向かい大同街から路面電車に乗ります。残念ながら新しいタイプの電車でしたが、暑い日だったのでクーラーが嬉しいです。古いタイプの電車とすれ違いますがエアコンが無いので窓は全開です。
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一昨日の「満鉄旧蹟陳列館」というか大連鉄道局の建物が見えました。
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二七広場で下車して坂道を下り大連港に向かいます。この辺りも交通渋滞と工事中の砂埃が激しいのであまり歩いてくる所ではないようです。
ツアーだと涼しいバスでピューと来て、暑くなる前に出発出来るのですが。 -
「大連港港務局」の厳めしい入り口を潜り、警備員さんに「観光です。」と伝えるとどこかに電話を掛けてくれます。しばらく待つように促され写真を撮っているとエレベーターから係員のお姉さんが降りてきます。一緒にエレベーターに乗り込むと鍵を開けて通常は不停止の屋上のボタンを押します。
屋上で1人20元の入場料を支払います。 -
お姉さんの説明を聞いて「ここからほとんどの人が引揚げ船で日本に帰りました。」と聞くと伯父たちの事を思い出して胸に込上げるものがありました。
更に説明は続き、大連の北に巨大な新しい港を作っている話、養殖が盛んになっている話、そして養殖の鮑真珠の話しになると「さあこちらへどうぞ。」と案内されます。「浅丘ルリ子さんもこちらのゴールドのものを買いましたよ。」と写真を見せられます。 -
すると妻は「お義母さんこういうの似合うと思うな?」とウィークポイントをついて販売側の味方につきます。「私ならこっちかな。」2個買わせるつもりだ…。「お揃いでネックレスもいいな?。」
結局3個。値段は1個が4,000元で2割引き。時間はあるのでゆっくり交渉して3個で4,200元。縁起の良い数字にしましょうと言って結果3,888元で手を打ちました。9,600元が3,888元…。まだ行けたかな?。 -
イチオシ
涙無くしては語れない大連港の思い出が出来ました。
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大連港港務局の建物はカタカナのワの字の形をしているそうです。和に繋がるそうですが…。我が家の和は鮑真珠で風前の灯火です。
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近くに「大連古玩城」があったので立ち寄ってみました。妻は港務局の屋上で鮑真珠を買ってもらったので「アンティーク屋さん寄って行くんでしょう。」と声を掛けてきます。いつもだったら視界に入らない振りをするのですが。
この額に入った毛沢東同志は刺繍でできていました。
沢山の店が営業していますが正直うら寂れた雰囲気です。怠惰な午後の時間が流れています。決して嫌いな雰囲気ではありませんが、欲しいと思う物はありませんでした。 -
古玩がだめならと目先を変えて黒檀の花台を探すとこれがなかなか良い物がありました。細かい細工の物が1,000円くらいです。数を買って安くしてもらいました。同じようなものでも素材と彫の違いは一目瞭然です。多少フラストレーションの解消にはなりました。
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この辺りも地下鉄工事中でしたが、このビル全てがアンティークショップなので見ごたえはありました。
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続いて家楽福(カルフール)でお買い物をしました。昨年末香港で買った李錦記の貴州と四川の調味料を探すためです。中秋の月餅売場でごった返す中、目標の物をゲットできました。実家の分も含めて大瓶5本を買って、この先ハルピンまで行って誰が持って戻ってくるの?なんて考えてしまいます。
最終日にハルピンから大連へ夜行列車で到着した後に帰国する予定はちょっとハードでした。真珠でご機嫌だったのに先にチキンのマヨ丼を取ってしまったらご機嫌ナナメ?「妻に真珠」は「砂漠に水」と同じ意味で長持ちしませんでした。 -
中国も変わったものです。下着姿を模したエッチなケーキが売っていました。
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古い路面電車の写真を撮っていなかったのでしばらく待ちました。新旧の車両が交互に運行しているようです。
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古い路面電車にも乗りたかったです。
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1度ホテルに戻ってビールを飲んで一休みとお昼寝をしてから人民路の「天天漁港」に行くことにしました。途中「友諠商店」があったので覗いてみました。
昔の「友諠商店」はローカルな百貨店でしたが、今はブランド店になっていました。一瞬しまったと思った瞬間に「あっ、瑠璃工房!」と妻が見つけてしまいました。台湾の美しいガラス工房の商品が置かれてありました。「銀聯じゃないから買えないよ。」と妻に言いながら販売員のお姉さんにカードを見せると、キャッシャーまで走って確認してきてくれました。「お客さま、大丈夫です。使えます。」トホホ。何故か台湾のガラスを大連でお買い上げです。切子も買ったのに。 -
「天天漁港」は一昨日の「富哥海鮮舫」より高級店です。
中国語分からないと言うと英語を話す方がアテンドしてくれました。 -
海鮮店で我々がこれを注文しない事はありません。
大きめのものを1斤たのんで「白灼蝦」(バイジュオシャー)です。 -
こんな料理が食べられるだけで大連に来た甲斐があるというものです。
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ハマグリのスープは白湯スープの中からハマグリが湧いて出てきます。
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空芯菜。正直野菜は高くて25元もします。高級店だなと感じます。
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今回のウニは殻を剥いただけの生でいただきます。
これが絶品!で、わさび醤油がちゃんとついてきます。 -
大きなツブ貝ですが、「これは絶対にBBQで食べるのが最高です。」と薦められたのでお任せしました。腸(わた)まで美味しかったです。
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高級な店の割には値段は最初の店と一緒でした。ビール4本飲んで250元。3,000円ちょっとでした。我が家も贅沢が出来るようになったものです。
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ホテルまでの道を戻りながらそのまま歩いて「易生足道」という按摩店まで行きました。「足1時間と全身1時間で幾ら?」と値段を確認していると言葉を遮られました。ガイドさんに連れられた日本人のお客さんが丁度奥から出てきました。ガイドさんに連れられてくると全然違う値段を言われるようです。
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足48元に全身68元で116元でした。係りの人は片言の日本語は理解しています。私を揉んでくれた#205のお兄さんはとても上手なうえに悪い所を的確に当てます。「抜罐(ばっかん)やった方が良い。」と勧められてオイルマッサージと抜罐(ばっかん)40元。結果3時間近いマッサージでした。先に終わった妻は私の姿を見て大笑いでした。写真を見て理由が分かりましたが。「抜罐(ばっかん)」
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お見苦しい写真で申し訳ありません。お兄さん曰く悪い所は紫色に色が変わり、更に悪い場合はポッコリ膨らむそうです。右肩と右腕が悪いのが分かります。見えにくいですが腰も悪いと言われました。2?3日で消えるよと言われましたが1週間後のハルピンでも悪いと言われた場所は痣のように残っていました。
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