2023/01/31 - 2023/01/31
411位(同エリア1325件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,462,187アクセス
- フォロワー169人
この旅行記スケジュールを元に
横須賀港を午後11時45分に出港した「すずらん」は浦賀水道を南下して太平洋に出ます。そのまま寝てしまい次に目が覚めると午前6時前でした。部屋のテレビの画面で確認すると愛知県の沖合を航行しているとわかります。部屋のバルコニーに出てみると船の後方が赤く染まっています。5階後方のデッキに出て朝日を眺めようと部屋を出るとパブリックスペースに人影はなく、無人の船に取り残されたような気分になります。後方のデッキにも誰もいませんでしたが、隣接するレストランでは朝食の準備が進んでいるようです。部屋に戻りながら5階の前方のフォワードサロンに寄ってみました。本当はまだ解放されている時間ではありませんでしたが、鍵が開いていたので中に入ってみました。やはり船首から見える海の景色は素晴らしいなと思います。この日は終日フェリーに乗っているので、朝ご飯と昼ご飯と晩御飯の3回が船内での食事になります。各食事は決められた時間の1時間の間に食べなければなりません。混雑するのかと思いましたが、トラックのドライバーさんはまずレストランで食事しないのと、数少ない乗船客の十数人くらいの方が利用しているだけでした。天気も良すぎるほどだったので窓際の席は暑いくらいでした。朝食の後は大浴場にも入ってみました。今までも釜山行きのパンスターフェリーや上海航路の蘇州号、国内の太平洋フェリーやサンフラワーでも大浴場を楽しみましたが、「すずらん」には露天風呂がありました。頭を洗ってからの露天風呂はさすがに1月下旬の太平洋上では寒かったです。本格的なサウナも楽しめます。部屋に戻ると潮岬を通過し、お昼を食べるころには室戸岬、部屋でワインを飲んでいると足摺岬を通過します。この日は最高の天気に恵まれ、船からの景色も素晴らしかったほどです。気温が高すぎたのか蜃気楼まで見ることが出来ました。夕方になると豊後水道に入り、四国側の佐多岬や九州側の国東半島が見えてくると再び日が暮れてきます。海上にポツンと浮かぶ「水ノ子島灯台」の姿は夕焼けの中に美しい姿を見せてくれました。瀬戸内海に入ると周囲は真っ暗になり、定刻の午後9時に新門司港に着岸しました。港からは門司駅経由で小倉駅行きの連絡バスがあり、フットパッセンジャーはこれに盛り込むことになります。ここで車を使わない乗客が全部で十数人しかいないことが確認できました。門司駅でバスを降りたのは5名ほどで、JRに乗り換えたのは我々だけでした。そしてようやく念願の門司港駅に立つことが出来ました。昨年の12月の最後の旅ではクリスマスの爆弾低気圧で、唐津から小倉までしか進めずに、下関と門司港へは来ることが出来ませんでした。それ以前から一度は来たいと思っていた場所に夜汽車に乗って終着駅に立つのはヨーロッパの鉄道旅を思い出しました。予約していた「プレミアムホテル門司港」は荷物を持っていてもほんの数分で、スムーズにチャックインできました。自宅から宅急便で送った荷物はすでに部屋に届けられ、案内された部屋は5階の海側の角部屋で、窓が4つもある部屋でした。新門司駅から関門海峡大橋までが見渡せるので大興奮です。ここから門司と下関の3泊の旅が始まります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー ANAグループ 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
横須賀港を出港した「すずらん」は浦賀水道を南下して太平洋に出ます。昨年の9月に伊豆大島へ行く際にも通った海の道ですが周囲は真っ暗で何も見えません。午前1時まで大浴場と5階のレストランが開いていましたが、どちらも妻に「いかない。もう寝る。」と言われてしまいました。ということで部屋飲みを軽くしました。
-
太平洋に出ると少し揺れている感じがしましたが、すぐに寝入ってしまいました。念のためにトラベルミンを飲んでおきました。一度上海航路でひどい目にあったので、薬は用意していました。横になると揺れを体全体で感じますが、薬を飲んだというだけで気分は違います。
-
その後はフィンスタビライザーのせいか全く揺れも感じずに朝を迎えました。目覚ましより早く目が覚めてしまい、部屋のベランダに出てみると後方の空が赤く染まり、海の色も葡萄色です。
-
最上階の6階は海側に部屋があり、廊下には窓が並んでいます。5階は通路を挟んで部屋があるので、内側の窓はお互いが見えないように角度をつけてあります。
-
4階から6階まで吹き抜けがあります。それぞれの階にはパブリックスペースがありますが、全く人の気配がありません。売店もロビーも締まっている時間なので船のスタッフの姿もありません。
-
B級のホラー映画で船の乗員乗客がいなくなってしまうというものがありましたが、そんな雰囲気を感じます。
-
5階の後方の通路にはアベックシートが並び、右手にはレストランがあり、その奥に後方のデッキの出入り口があります。
-
表に出てみました。この日は1月31日ですが、寒さは全く感じませんでした。バルコニー付きの部屋以外ではここだけが表に出られる場所です。側面に壁があるので風は吹きこみませんが、その分司会は限られてしまいます。
-
そのデッキを振り返るとガラス張りのレストランがあります。さすがにここだけはスタッフの方が朝食の準備をしていました。
-
後方の東側には陸地は全く見えません。
-
西へ向かう貨物船が見えましたが、すぐに見えなくなりました。このフェリーは約1000キロを21時間で結んでいるので、時速45キロで進んでいることになります。周囲の船に比べても早いのだと思います。
-
厚い雲から太陽が顔をのぞかせました。天使のはしごも見えます。もっと近くで見えたら荘厳な雰囲気なのだと思います。
-
南の空には雲が多いようですが、進行方向は晴れているようです。
-
部屋に戻りながら5階の前方にあるフォワードサロンにも寄ってみました。本来ならまだ空いていない時間ですが、鍵が開いていたので中に入ってみます。
-
操舵室の真下になるので夜間は閉鎖されています。下の階から明かりが漏れていると前方の監視が出来なくなるようで、これは太平洋フェリーのキャビンでも上海へ行く蘇州号でも同じでした。
-
かなり広いサロンですが、ここで誰かにあうことはありませんでした。
-
窓から船首の方向を見てみます。フェリーの場合前方のデッキに出ることはまずできないので、ここからの眺めが一番良いと思います。ただ、窓ガラスは海水の塩分でガビガビに曇っています。
-
まだクルーズは15時間も残っています。部屋を右舷にしたのは陸地がずっと見えるであろうということでした。天気が良かったのでこれは正解でした。
-
日本国内を旅しながらもこのような景色は海外にいるような気分にさせてくれます。
-
部屋に戻ってバルコニーに出てみると陸地が見えてきました。
-
紀伊半島の南端に向かっているようです。妻と初めてのクルーズは有明桟橋から横浜経由で行った那智勝浦でした。現在はありませんが、20数年前には「さんふらわー」の航路がありました。この辺りを航行するのはその時以来です。
-
レストランの営業開始の放送が入り、営業時間は1時間だけなので妻と一緒に5階のレストランに向かいます。朝昼晩とそれぞれのメニューが掲示され、営業時間も書かれてあります。
-
船内の食事はHPからも確認できるので、あらかじめ決めていました。
-
結構混雑するのかと思いましたが閑散としています。一昨年の夏はコロナ禍ということもあり、太平洋フェリーは貸し切りのような状態で名古屋から仙台、仙台から苫小牧、苫小牧から名古屋をクルーズしました。コロナも落ち着いて全国旅行支援も始まり、この航路もその対象となっていますが利用者は少ないようです。
-
これだけ空いているので座席は自由に選べます。左舷側の明るい席に座り、テーブル上のタブレットから注文をするとすぐに料理が運ばれてきます。
-
朝カレーのセットは700円とリーズナブルな料金です。これから門司港へ行って、翌日には名物の焼きカレーを食べる予定にしているのですが、妻は「朝カレー!」と喜んでいます。
-
こちらは和風プレートセット1,000円です。あまり期待していなかった鮭の塩焼きですが、皮もパリパリで美味しかったです。ご飯の大森はプラス100円でした。
-
今回のクルーズは全国旅行支援が適用されているので1人5,000円の割引のほかに福岡県のクーポン券が1人2,000円いただけました。使用期限はこの日までなので、船内のレストランや売店で使うことが出来ます。
-
福岡県はほかの都道府県の多くが利用している「regionPAY」というシステムで、QRコードを読み取って清算するというものでした。クーポンを使用する場合はテーブルでの清算になり、それ以外は出口にある精算機を使用します。
-
食後は後方のデッキに出てみましたが、妻はすぐに部屋に戻ってしまいました。4階にもデッキがあり、ヘリポートまであります。茶色い床の柵で囲われた一角はドッグランで、スタッフの方は大きなホースで海水を流していました。実際にここで犬を遊ばせている方もいました。
-
朝食が済んで部屋に戻るとバルコニーから陸地が見え始めました。紀伊半島の南部が近づいてきたのだとわかります。
-
吉野熊野国立公園の山々なのだと思いますが、具体的な山の名前までは分かりません。紀州の屋根として名高い護摩壇山があったことを思い出します。源平屋島の戦いに敗れた平維盛が山頂で護摩をたき、行く末を占ったという伝説が残る場所です。今回の旅は門司と下関がメインなので壇之浦へも行く予定です。
-
子供の頃に夏休みは母方の祖父母の住む京都に預けられていました。その1カ月のなかで父と合流して、洞川から大峰山を登り、宿坊に泊まり、弥山へと縦走したことがありました。山伏たちと一緒に山を歩いた不思議な旅でした。
-
いまだに女人決壊門があり、女性は山に入ることが出来ません。山中にある西の覗でロープを掛けられて岸壁から逆さ吊りにされたのは良い経験です。そんな山々と50年ぶりに再会した気分でした。
-
那智勝浦の近くを航行していると補陀落山寺のことも思い出してしまいます。南方の海上にあると信じられた補陀落浄土(ふだらくじょうど)を目指して、大海原に船を出す信仰がありました。観音信仰の捨身行の1つ「補陀落渡海(ふだらくとかい)」はかつて、日本のあちこちで行われたといわれました。その中心となったのが那智勝浦の補陀洛山寺でした。
-
補陀落というのはサンスクリット語のポータラカのことで、インドの南海上にあるとされた観音菩薩の浄土のことです。チベットのラサにあるポタラ宮の「ポタラ」も、このポータラカのこととされます。日本でも古来、遥か南海上にこの補陀落浄土があるとされて、そこへ渡海するということが行われてきました。
-
那智勝浦の補陀洛山寺では平安時代の貞観10年の868年の慶竜(けいりゅう)上人から1722年までの間に25人が渡?したとされます。渡?の船には箱のような船室があって、その四方に小さな鳥居が建てられます。観音信仰は仏教の行なのですが、鳥居を建てるのは神仏習合ということです。この船室には30日分の食糧や水、行灯の油などが積み込まれますが、行者が乗り込むと出入り口を塞ぎ、外から釘を打ち付けて絶対に出られないようにしてしまいます。そして2隻の船に沖へと曳かれて行って、曳き綱を切られると補陀落渡海の長い航海に出ます。この綱を切る辺りにある島は「綱切島」と呼ばれたといいます。
-
江戸時代の文献によると金光坊という16世紀に実在した僧侶は渡海に出ましたが船から脱出して付近の島に上陸します。しかし役人に捕らわれ、そのまま海に投げ込まれてしまいました。これ以降この島を金光坊島と呼ぶようになり、これを機に渡海は公的に禁止され、補陀落山寺の代々の住職が亡くなると遺体を船で水葬する形に改められました。
-
補陀落渡海について初めて知ったのは諸星大二郎の妖怪ハンターというシリーズの「帰還」という短編でした。25年以上前の作品ですが、いまだに記憶が残る強烈な作品です。
-
紀伊半島の最南端が近づいてきました。右側に白く見えるのは灯台ではなく「潮岬観光タワー」です。クレ崎と呼ばれる岩礁までがきれいに見えました。
潮岬 自然・景勝地
-
西に向かっているフェリーがようやく近づいてきました。鶯色のラインの入った白い船体はオーシャン東九フェリーの「フェリーりつりん」で、昨晩東京港を出港しています。徳島港へ立ち寄ってから新門司港へ向かうので時間がかかることと、レストランが無いフェリーなので今回は選択しませんでした。
-
一度は近づいた「フェリーりつりん」ですが、ここでお別れです。鳴門を旅する前はこちらのフェリーで徳島経由で文字を旅したいと思っていましたが、昨年の春に徳島を旅してしまったのでショートカットです。
-
潮岬を通過してしまうとしばらくは陸地とお別れなので、6階にある大浴場に入ってみることにします。フェリーの大浴場は大好きで海を眺めながら波とシンクロした湯船につかるのは船旅のだいご味だと思っています。これが本当の湯船だといえます。このフェリーは通常の湯船以外に露天風呂があるのが驚きです。洗髪した後に露天風呂に入るとさすがに1月末の太平洋上では頭が凍るかと思いました。海原が見えるサウナまで楽しめました。
-
部屋と大浴場はすぐ近くなので火照った体をバルコニーでクールダウンします。海面には白波も見えず、海面には白い雲が映りこんでいます。こんな穏やかな太平洋をクルーズできるとは思いもしませんでした。
-
鏡のような海面を切り裂くようにフェリーは進んでいきます。航跡波がきれいに見えます。
-
お昼前になると雪を頂いた山々が見えてきました。高知県と徳島県の県境当たりだと思われます。積雪のある季節でありながら天気も良いので太平洋上から絶景が楽しめます。
-
西に向かうRO-RO船の姿は右舷にずっと見えていました。ようやく追いついて、そして追い抜きました。
-
北へ向かう貨物船は大阪か神戸に向かうのでしょうか。
-
何艘もの貨物船やタンカーを追い抜いていきます。船名を読もうにも陽炎が上がっているので読み取ることはできません。それくらいの温かさです。
-
室戸岬が見えてきました。岬にある白い灯台は海面から154メートルの高台に建っています。
室戸岬 自然・景勝地
-
ここで再び船内放送があり、ランチの営業時間の案内がありました。この時間を逃すとお昼を食べ損ねるのでレストランに向かいます。
-
注文はこのタブレットから行い、料理を決めた後は精算ボタンを押して、横に置かれたバーコードを持って自動精算機に向かいます。
-
さすがに朝ごはん時はお酒は飲みませんでしたがお昼からは解禁です。瓶ビールが600円くらいでした。
-
妻は「三崎港まぐろ&駿河湾産釜揚げしらす丼」を選びました。
-
静岡の富士宮生まれの妻は駿河湾のシラスやサクラエビが大好きなので、このメニューは外せなかったようです。少しいただきましたが美味しかったです。こちらは1,200円です。
-
こちらは「はかた一番どり唐揚げ定食」です。1,050円ですがご飯大盛りで100円増しです。
-
サクサクカリカリでおいしい唐揚げなのでビールが進んでしまいます。
-
ここでの支払いは残っていた福岡県のクーポンを使い残金は現金で精算します。実質朝食と昼食はクーポン券で支払いが出来ました。
-
残金700円ほどは出口にあるこの自動精算機で支払います。
-
お昼の後も後方のデッキに出てみました。さらに天気は良くなりポカポカ陽気になりました。
-
冬の海とは思えない雰囲気の中を航行していきます。
-
先ほどは並走していたRO-RO船はだいぶ後方に離れていきました。
-
部屋に戻る前に再びフォワードサロンに入ってみます。
-
進行方向には雲一つありません。この先も景色が良いであろうことが想像できます。
-
部屋に戻ってもすることがないので持ってきた茶器で台湾茶を楽しみました。台湾で購入した茶器がようやく日の目を見ました。我々はのんびり船旅を楽しんでいますが、この日に成田から台北へ向かった友人がいました。多分今頃は頭上を通り過ぎている時間でした。
-
しばらくすると足摺岬が見えてきました。船内はFree wi-fiではありますが、陸地から離れてしまうと電波状況は良くありませんでした。
-
妻のスマホはドコモなので電波をよく拾っていましたが、ワイモバイルは気が付くと切れていることが多かったです。
-
足摺岬はかなり海岸線に近いところを通過するようです。
-
午後3時頃に岬の先端を通過しました。ここから豊後水道に向かって進みます。
-
足摺岬灯台の後方にある寺院は蹉跎山補陀洛院金剛福寺で、四国八十八ヶ所霊場38番札所でもあります。院号の補陀洛は補陀落渡海の信仰から来ています。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地である補陀落の世界を感得して嵯峨天皇に奏上し、勅願により伽藍を建立して勅額「補陀洛東門」を受して開創したと伝えられます。
足摺岬 自然・景勝地
-
韓国の貨物船とすれ違いました。名古屋から苫小牧を結ぶ太平洋フェリーの航路より、西に海は大陸や朝鮮半島に近い分行きかう貨物船が多いように感じます。CK LINEはインチョンから木浦と釜山を経て関門海峡を越えて和歌山と横浜と東京を結ぶ定期航路があるようです。
-
土佐の大月半島は切り立った断崖なのに驚きました。まだまだ知らない日本がたくさんあるのだと感じます。
-
手前の小さい島は蒲葵島(びろうじま)で、奥の島が沖の島です。
-
台湾茶から持ってきたワインに変わりました。近所の教会のバザーで買ったものですがすっきりとした飲み口で美味しかったです。夕食ではワインを飲む予定なのでこの時間からスタートしておきます。サンクトペテルブルグで100円ほどで買ったワインオープナーも旅のアイテムになりました。一度新千歳空港で機内持ち込みの荷物に紛れて放棄しなければならない状況になりましたが、手続きをし直して難を逃れました。思い出はプライスレスです。
-
昨日横須賀のどぶ板で買ったジャンパーは早くも役に立ちました。
-
フェリーは大月半島の沖合で右にかじを切り、豊後水道に向かいます。豊後水道は巣案はい航路の蘇州丸が瀬戸内海に入る袋の航路でしたが、2009年に乗船したときは強烈な時化のために関門海峡を通る往路と同じルートに変わり、通過するのは今回が初めてです。
-
ワインを飲みながら小さな島々を通過する景色を眺めていると地中海の航路をフェリーで旅していた30代から40代の頃を思い出します。
-
島々は蜃気楼の上に浮かんでいるようです。中国や日本では伝説の蜃(ミズチなど竜)が気を吐いて楼閣を現すと考えられたことから蜃気楼と呼ばれるようになりました。
-
「第三十三東洋丸」という内航タンカーとしては大きい部類の船を追い抜きます。内航船とは日本国内の貨物輸送だけに使用される船のことです。
-
韓国のRORO船 「ILSHIN POLARIS ROYAL」も追い抜きます。
-
宇部興産のセメント専用船「新栄丸」です。色々調べてみると用途によって船の形も違うので面白いです。
-
御前崎開運の「博勇丸」はセメントの骨材となる砕石や砂利を運ぶ貨物船です。気になったことはネットで簡単に調べられる便利な時代になったものです。海上でも自分がどこにいるかがすぐに分かってしまいます。
-
陽が沈むころに九州の山並みが見えてきました。4月には別府をベースに国東半島と臼杵を旅しようと考えているので感慨深い風景です。
-
水ノ子島灯台は豊後水道の中央に位置する無人島である水ノ子島にある石造の灯台です。日清戦争を機に海運助成策が積極的に推進され、呉鎮守府を母港とする艦隊が豊後水道を航行する際に水ノ子島が障害となったことから建設されました。工事は灯台建設史上でも屈指の難工事で、完成までに4年という異例の長期間を要したそうです。灯台の構造は内側に煉瓦を積み、その外側に徳山産の花崗岩を装石積みにしたものです。戦艦大和も最後の航海でこの灯台の脇を通過したかと思うと感慨深いものがあります。
-
ウイリアム・ターナーの「エディストーン灯台」という版画を思い出すようなシルエットです。ヴィクトル・ユゴーも「エディストーン灯台」を描いており水木しげるはその絵を元に「妖怪城」や「日本沈没破滅滅亡教」教団本部を描いています。
-
夕日に照らされたかコンテナ船を眺めていると日本の風景とは思えません。
-
九州の山並みに陽が落ちかかってもしばらくは明るく、空気が薄紫色に染まったようです。
-
豊後水道に突出した日本一細長い佐田岬半島に差し掛かりました。伊方町の三崎港から大分市の佐賀関港に至る国道197号の海上区間を成すフェリー航路があり、国道九四フェリーが往復しています。
-
佐田岬灯台が見えてきました。
佐田岬 自然・景勝地
-
九州と四国を最短距離で最短時間で結ぶ航路は、かつては1隻体制で1日3往復を運航していたそうですが、愛媛県側の佐田岬メロディーラインが開通して以降は利用客が急増し、大分自動車道全線開通等の道路整備にともなって3隻体制で1日16往復を運航しているようです。
-
灯台にも明かりが灯りだしました。
-
フィンランドのヘルシンキからストックホルム航路、ストックホルムからリガ、タリンからヘルシンキのフェリー航路に乗ったことがありますが、ものすごい数の灯台を見ることが出来ました。それ以来海から灯台を眺めるのが好きになりました。
佐田岬灯台 名所・史跡
-
70分間のクルーズのようですが、この時間帯に乗ってみたい気もします。ただ、両方のみなとともにJRの駅からはバスに乗っての移動になるので、フット・パッセンジャーにはちょっと面倒な航路です。
-
西の空は陽が落ちきる前に再び赤く染まりました。
-
そして瞬く間に暗闇に覆われてしまいます。
-
美しい景色を満喫した後は最後の食事時間になります。船内の放送に促されてレストランに向かいます。
-
夕食は養殖にしようと考えていたので、部屋でもワインを飲んでいましたので、ここでもワインを飲むことにします。
-
ということでオリジナルビーフシチューのセットを注文しました。
-
船の上でじっくり煮込まれて、鍋とともに海に揺られたソースは絶品でした。こんなセットで1300円で食べられるのが嬉しいです。
-
お昼を軽くした妻は国産牛の佐世保レモンステーキです。
-
これも柔らかくてさっぱりして美味しい料理です。後で気が付きましたが、こちらは1800円とこのフェリーでは松花堂弁当に続く高い料理です。
-
それとは別に予約制のレストランもあります。そちらはランチコースが3500円でディナーコースが6000円でした。乗り合わせた1組のご夫婦が食事されていたようです。
-
追加でベルリン風屋台ソーセージも注文してみました。ドイツを旅するとスパイシーな風味のカレーヴルストは必ず食べるので楽しみにしていました。別添えのスパイスの入ったケチャップをつけるとかなり似た味が楽しめました。
-
4階のロビーには船長のジャケットと帽子が置かれていて記念写真を撮ることが出来ます。見ていた限りでは我々のほかには誰も写真を撮っていませんでした。
-
食後に部屋の戻り空を見上げると美しい月とオリオン座がきれいに見えました。ダメもとで写真を撮ってみたら意外にきれいに撮れていました。
-
そろそろ新門司港に近づいてきました。このまま関門海峡に入って門司港に入ってくれたら便利なのですが。
-
グーグルマップで確認した関門海峡のあたりですが、暗くてよくわかりません。
-
午後9時前に新門司港のターミナルが見えてきました。
新門司港フェリーターミナル 乗り物
-
約21時間のクルーズが終わりました。
-
索発射銃の発射の瞬間をベランダから待ち構えていたのですが、ライトのついたボールのようなものが投げられただけでがっかりしました。太平洋フェリーだとそのイベントが楽しくて毎回見にデッキまで行っていました。
-
ターミナルの横にはバスが1台停車しています。多分このバスが門司駅経由で小倉駅まで送迎してくれるのだと思います。
-
ターミナルの待合室を通過しましたが、横須賀行のお客の姿は見えませんでした。
-
バスに乗り遅れるといけないので急いでターミナルを出ます。目の前にバスが停車していて、ドライバーさんに荷物を預けます。
-
そしてフェリーの写真を撮りました。「すずらん」の全体が見えるのはここだけまもしれません。横須賀港では近くまで行けませんでした。
-
船体が巨大なので全体像を1枚では納められません。
-
ターミナルからバスに乗ったのは10人くらいでした。ほかのお客さんはバイクか自家用車に乗ったのでしょう。
-
25分ほどで門司駅前に着きました。ここでバスを降りたのは4人ほどで、それ以外の人は小倉駅に向かいます。
-
初めて来た門司駅です。ここから門司港駅まで移動します。
門司駅 駅
-
大きなトランクは門司港のホテルに送ってあるので、小さなキャリーバックで移動できてよかったです。妻のキャリーバックは母が使っていたものなので、3人で旅しているような気分になります。
-
駅の構内に貼ってあった門司港レトロのポスターはわたせせいぞうのイラストでした。わたせせいぞうのイラストや漫画が流行ったころはちょうど、20代だったので気持ちがシンクロすることが多くて好きでした。
-
21:54分発の電車で門司港駅に向かいます。遅い時間なので電車に乗る人の姿もまばらです。
-
列車が入線してきました。夜の遅い時間に門司港駅に向かうのは夢でもあったのでテンションが上がってきます。
-
車内もガラガラでした。すっかり優先席が似合う年齢になりました。
-
20分ほどで門司港駅に到着しました。少ない乗客は改札に向かいますが、我々はしばらくホームに残りました。
門司港駅 駅
-
大好きなベルギーの画家ポール・デルヴォーの作品のような風景です。16世紀のマニエリスト達が描いたような女性はいません。
-
ちょっとイメージが違いますが妻に立ってもらいました。やっぱり違います。
-
妻は先に行ってしまいましたが、しばらく感慨にふけってしまいました。
-
大阪南港から釜山航路の船上から眺めて以来、来たかった門司港に要約することが出来ました。
-
改札は現代的なマシーンでしたが、駅舎は古き良き姿が再現されています。
-
奥には手洗いがありました。子供の頃はこんな流しが駅のホームの真ん中にあって、夜行列車から降りた乗客が顔を洗っている姿を見ることが出来ました。
-
この水道(水呑処)は大正3年の1914年ころに設置されたもののようです。戦前の海外旅行から帰国者や終戦後の引揚者や復員された方がのどを潤したことから「帰り水」と呼ばれたそうです。
帰り水 (JR門司港駅) 名所・史跡
-
以前に大連を旅した際に「大連港港務局」の屋上に入れていただき、大連港を見渡したことがあります。その時に係員の方から「ここから引揚者の方が船に乗ったのですよ。」と教えてもらった行き先が門司港だったのだと思いました。
-
駅舎の表に出てみるとその美しさに驚かされます。やっぱり夜汽車でここへ到着してよかったと思います。
-
やっぱりポール・デルヴォーの絵を思い出してしまいます。もっとじっくり駅舎を見学したいところですが、妻に怒られてしまうのでホテルに向かいます。
-
駅前の広場の脇まで歩くとすぐにホテルの外観が見えてきました。ここまで近いとは思いませんでした。設計者はイタリアの建築家アルド・ロッシで、設計のテーマは門および鮫だったと聞いたことがあります。インテリアデザインは内田繁によるものです。25年も前に竣工したホテルですが、一度は泊まってみたいと思っていた憧れのホテルです。
プレミアホテル 門司港 宿・ホテル
-
道の途中には古い建物がいくつもありますが、その度に足が止まってしまいそうになります。ホテルの建物に入り、エレベーターで2階のフロントに向かいます。今回は海側のプレミア デラックス オーシャンビュー ツインルーム予約しています。
-
宅急便で送った荷物はすでに部屋に届けられていました。3泊するせいか角部屋にしてくださったようです。
-
広い部屋にしたのはバスルームが独立して、洗い場もあるからでした。
-
洗面台も広くて使いやすかったです。ドライヤーはダイソンです。
-
ベッドルームへは2段ほど段差がありました。角部屋なので大きな窓が4つもあるのが嬉しいです。奥にはソファとデスクがあり、使い勝手が良かったです。
-
ベッドも大きくてクッションも良くよく眠れました。
-
家のベッドと取り替えたいくらいです。部屋の広さは35平米とは思えない広さを感じました。これは窓の影響が大きいと思います。残念なのは窓ガラスが塩でガビガビになっていたことです。海側の部屋なのに、窓から海が良く見えないというのは納得いきません。窓は大きく開けられないので、手が届く範囲だけは自分で掃除しました。今回フェリーでも同じ掃除をしたばかりです。
-
おかげで窓ガラス越しに関門海峡を眺めることが出来ました。関門海峡大橋も手が届きそうです。
-
正面には対岸の下関の町が見えます。これから3日間の門司港と下関の旅が始まります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2023東九フェリー・門司港下関・福岡の旅
-
前の旅行記
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(1)横浜崎陽軒でランチの後は横須賀のどぶ板通りに遊び、東九フェリ...
2023/01/30~
横須賀
-
次の旅行記
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(3)プレミアムホテル門司港の朝食で、スパークリングワインを飲みな...
2023/02/01~
門司・関門海峡
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(1)横浜崎陽軒でランチの後は横須賀のどぶ板通りに遊び、東九フェリ...
2023/01/30~
横須賀
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(2)東九フェリーの「すずらん」で横須賀と新門司港を21時間のクル...
2023/01/31~
門司・関門海峡
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(3)プレミアムホテル門司港の朝食で、スパークリングワインを飲みな...
2023/02/01~
門司・関門海峡
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(4)九州鉄道記念館の古い車両から幼い頃の旅を思い出してノスタルジ...
2023/02/01~
門司・関門海峡
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(5)高台の三宣楼で古き良き門司港の栄華を感じ、小樽の海陽亭を思い...
2023/02/01~
門司・関門海峡
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(6)昭和レトロな栄町銀天街を抜け、三井倶楽部と大連友好記念館と旧...
2023/02/01~
門司・関門海峡
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(7)ふるさと納税の返礼品の「春帆楼」でふくをいただき、「日清講和...
2023/02/01~
下関
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(8)門司港から関門汽船で下関に渡り、唐戸市場から下関レトロの街を...
2023/02/02~
下関
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(9)唐戸から壇之浦と馬関戦争の戦跡を訪ね、関門トンネルを歩いて甲...
2023/02/02~
下関
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(10)中州の「河太郎」で生きイカを堪能して、櫛田神社の節分祭に参...
2023/02/03~
博多
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(11)「福岡市博物館」で小学校で習った志賀島の「漢委奴國王」の金...
2023/02/04~
博多
-
クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(12)福岡市美術館の前川國男の建築と仙と松永記念館のコレクショ...
2023/02/04~
博多
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
門司・関門海峡(福岡) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2023東九フェリー・門司港下関・福岡の旅
0
144