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「福岡市博物館」では金印と黒田家の資料以外にガッカリしながら、バスに乗って大濠公園近くにある「福岡市美術館」に向かいました。バスはかなりの大回りだったのでタクシーに乗ればよかったとちょっと後悔しました。さらにバス停からかなり歩きましたが、途中に素敵なギャラリーがあったりして力が湧いてきます。たどり着いた大濠公園の一角にある「福岡市美術館」です。ここへ来たかったのはこの建物の設計が前川國男だったからでもあります。上野公園の「東京都美術館」やル・コルビュジエの「国立西洋美術館」の建設時には門下生として監理に携わっています。「江戸東京たてもの園」の中に移築された自宅も素晴らしかったです。2階のテラスからのアプローチには「エスプラナード」と呼ばれる前川の建築を象徴する重要な要素を感じることもできました。展示されている収蔵品のコレクションの見学をしましたが、1階奥にはまず東光院の仏像が展示されていますが、その素晴らしさに魅了されます。さらに昨年末に小田原の自宅も見学してきたばかりの松永安左エ門旧蔵の茶道具(松永コレクション)、一番奥には仙厓の掛け軸がずらりと並んでいます。各コーナーで何度も確認しましたが、写真撮影が出来たのも嬉しかったです。1階の見学が終わった後でお腹も空いたのでカフェ「アクアム」に入りました。ここはホテルニューオータニ博多が運営しているので食べるものは美味しかったです。テラス席もあり、ガラス張りのテーブルから大濠公園を眺めているとこれも「エスプラナード」なのだろうかと思えてきます。2階に移りコレクション展に入りますが、ここは撮影が禁止だったのでちょっと残念です。巨大なダリの絵画の前で妻と旅したスペインのフィゲラスの旅を思い出します。ホアン・ミロとシャガールの素晴らしい絵画も見ごたえがあります。美術館の後は近くの「日本庭園」にも立ち寄りました。ここは昨年行った「足立美術館」の庭園を作庭した中根金作の築山林泉廻遊式庭園です。ここも見ごたえがありましたし、65歳以上は入園が無料だったのも嬉しいことです。ここからタクシーでホテルに戻り、荷物を持って地下鉄で福岡空港に向かいます。チェックインした後は最後の博多ご飯です。昨晩が疲れ果てて中州に行けなかったので空港内にある「玉龍」で博多ラーメンを堪能しました。もちろん替え玉も。6日間の久しぶりのツアーから解放された旅でしたが、充実してとても楽しいものでした。

クリスマスの爆弾低気圧のリベンジ北九州の旅(12)福岡市美術館の前川國男の建築と仙と松永記念館のコレクションに圧倒され、福岡空港より帰る。

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2023/02/04 - 2023/02/04

1714位(同エリア6083件中)

kojikoji

kojikojiさん

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「福岡市博物館」では金印と黒田家の資料以外にガッカリしながら、バスに乗って大濠公園近くにある「福岡市美術館」に向かいました。バスはかなりの大回りだったのでタクシーに乗ればよかったとちょっと後悔しました。さらにバス停からかなり歩きましたが、途中に素敵なギャラリーがあったりして力が湧いてきます。たどり着いた大濠公園の一角にある「福岡市美術館」です。ここへ来たかったのはこの建物の設計が前川國男だったからでもあります。上野公園の「東京都美術館」やル・コルビュジエの「国立西洋美術館」の建設時には門下生として監理に携わっています。「江戸東京たてもの園」の中に移築された自宅も素晴らしかったです。2階のテラスからのアプローチには「エスプラナード」と呼ばれる前川の建築を象徴する重要な要素を感じることもできました。展示されている収蔵品のコレクションの見学をしましたが、1階奥にはまず東光院の仏像が展示されていますが、その素晴らしさに魅了されます。さらに昨年末に小田原の自宅も見学してきたばかりの松永安左エ門旧蔵の茶道具(松永コレクション)、一番奥には仙厓の掛け軸がずらりと並んでいます。各コーナーで何度も確認しましたが、写真撮影が出来たのも嬉しかったです。1階の見学が終わった後でお腹も空いたのでカフェ「アクアム」に入りました。ここはホテルニューオータニ博多が運営しているので食べるものは美味しかったです。テラス席もあり、ガラス張りのテーブルから大濠公園を眺めているとこれも「エスプラナード」なのだろうかと思えてきます。2階に移りコレクション展に入りますが、ここは撮影が禁止だったのでちょっと残念です。巨大なダリの絵画の前で妻と旅したスペインのフィゲラスの旅を思い出します。ホアン・ミロとシャガールの素晴らしい絵画も見ごたえがあります。美術館の後は近くの「日本庭園」にも立ち寄りました。ここは昨年行った「足立美術館」の庭園を作庭した中根金作の築山林泉廻遊式庭園です。ここも見ごたえがありましたし、65歳以上は入園が無料だったのも嬉しいことです。ここからタクシーでホテルに戻り、荷物を持って地下鉄で福岡空港に向かいます。チェックインした後は最後の博多ご飯です。昨晩が疲れ果てて中州に行けなかったので空港内にある「玉龍」で博多ラーメンを堪能しました。もちろん替え玉も。6日間の久しぶりのツアーから解放された旅でしたが、充実してとても楽しいものでした。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
3.5
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
高速・路線バス タクシー ANAグループ 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 「福岡市博物館」の前からバスに乗って「福岡市美術館」に向かいますが、バスは大回りのルートの上にかなり離れた場所に停車するので、タクシーで移動すれば時間的にも短縮できたと後悔します。

    「福岡市博物館」の前からバスに乗って「福岡市美術館」に向かいますが、バスは大回りのルートの上にかなり離れた場所に停車するので、タクシーで移動すれば時間的にも短縮できたと後悔します。

    福岡市美術館 美術館・博物館

  • 前川國男の設計した建物は、公園の緑に映えるレンガ色のタイルが印象的です。これは単純にコンクリートの壁にタイルを貼っているのではなく、コンクリートと一体化して建設する打ち込みタイル工法がとられています。1階の受付でコインロッカーの位置を尋ねると親切に教えていただけました。同じ福岡市の施設でも博物館とはえらい違いです。

    前川國男の設計した建物は、公園の緑に映えるレンガ色のタイルが印象的です。これは単純にコンクリートの壁にタイルを貼っているのではなく、コンクリートと一体化して建設する打ち込みタイル工法がとられています。1階の受付でコインロッカーの位置を尋ねると親切に教えていただけました。同じ福岡市の施設でも博物館とはえらい違いです。

  • この美術館も写真撮影が可能でしたが、2階の収蔵品の多くは撮影することが出来ませんでした。まずは1階の「東光院仏教美術室」から見学します。旧福岡藩主黒田家の菩提寺のひとつであった真言宗の薬王密寺東光院より福岡市美術館に寄贈された旧蔵の仏像が一堂に並んでいます。

    この美術館も写真撮影が可能でしたが、2階の収蔵品の多くは撮影することが出来ませんでした。まずは1階の「東光院仏教美術室」から見学します。旧福岡藩主黒田家の菩提寺のひとつであった真言宗の薬王密寺東光院より福岡市美術館に寄贈された旧蔵の仏像が一堂に並んでいます。

  • 「金剛力士立像(阿形) 宗栄」<br />口を開けて外へ気を発散させるような阿形は、像内の墨書きから正平22年の1367年の制作と分かります。

    「金剛力士立像(阿形) 宗栄」
    口を開けて外へ気を発散させるような阿形は、像内の墨書きから正平22年の1367年の制作と分かります。

  • 「金剛力士立像(吽形)」<br />吽形は阿形に比べて姿勢や筋肉の表現がぎこちなく、一度失われたものを後の時代に作られたもののようです。「阿」には「物事の始まり」、「吽」には「物事の終わり」という意味があります。そのため阿形像は口を開けて「物事の始まり」を表現しており、吽形像は口を閉じて「物事の終わり」を表現しています。

    「金剛力士立像(吽形)」
    吽形は阿形に比べて姿勢や筋肉の表現がぎこちなく、一度失われたものを後の時代に作られたもののようです。「阿」には「物事の始まり」、「吽」には「物事の終わり」という意味があります。そのため阿形像は口を開けて「物事の始まり」を表現しており、吽形像は口を閉じて「物事の終わり」を表現しています。

  • 「薬師三尊」は仏教における仏像安置形式の1つで、薬師如来を中尊とし、日光菩薩を左脇侍、月光菩薩を右脇侍とする三尊形式です。薬師如来に向かって左側の脇侍は「月光菩薩立像」で、右側は「日光菩薩立像」です。ここは美術館でありながら寺院に配置されていた当時のままに並べられていることが分かります。

    「薬師三尊」は仏教における仏像安置形式の1つで、薬師如来を中尊とし、日光菩薩を左脇侍、月光菩薩を右脇侍とする三尊形式です。薬師如来に向かって左側の脇侍は「月光菩薩立像」で、右側は「日光菩薩立像」です。ここは美術館でありながら寺院に配置されていた当時のままに並べられていることが分かります。

  • 「薬師如来坐像」<br />左手にアトリビュートである薬壺を持った姿で表されています。元々は博多の住吉神社に安置されていましたが、明治の廃仏毀釈で東光院へ移されたようです。伏目が血の表情や起伏を抑えた体つきなど平安時代後期の仏像の特色を示しています。

    「薬師如来坐像」
    左手にアトリビュートである薬壺を持った姿で表されています。元々は博多の住吉神社に安置されていましたが、明治の廃仏毀釈で東光院へ移されたようです。伏目が血の表情や起伏を抑えた体つきなど平安時代後期の仏像の特色を示しています。

  • 「大日如来坐像」<br />17世紀の江戸時代の作品です。「大日如来」と「薬師如来」は経典では同体と説かれています。

    「大日如来坐像」
    17世紀の江戸時代の作品です。「大日如来」と「薬師如来」は経典では同体と説かれています。

  • 同体とはいえ大日如来は密教では救いを説く万物の慈母とされ、薬師如来は大医王とも称され、衆生の苦しみを治して世間の災禍を消すと考えられています。この像は東光院が真言宗寺院になった正保元年の1644年以降に祀られるようになったと考えられています。

    同体とはいえ大日如来は密教では救いを説く万物の慈母とされ、薬師如来は大医王とも称され、衆生の苦しみを治して世間の災禍を消すと考えられています。この像は東光院が真言宗寺院になった正保元年の1644年以降に祀られるようになったと考えられています。

  • 「十二神将立像 安底羅大将・申神」佐田亦四郎朝桜<br />安底羅大将(あんちらたいしょう)は仏教において夜叉の頭領の1人であり、薬師如来の眷属である十二神将の1人でもあります。<br />

    「十二神将立像 安底羅大将・申神」佐田亦四郎朝桜
    安底羅大将(あんちらたいしょう)は仏教において夜叉の頭領の1人であり、薬師如来の眷属である十二神将の1人でもあります。

  • 「十二神将立像 迷企羅大将・酉神」佐田亦四郎朝桜<br />十二神将は薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされます。そのため中国や日本では十二支が配当され、十二神将にはそれぞれ本地(化身前の本来の姿)の如来や菩薩や明王があります。

    「十二神将立像 迷企羅大将・酉神」佐田亦四郎朝桜
    十二神将は薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされます。そのため中国や日本では十二支が配当され、十二神将にはそれぞれ本地(化身前の本来の姿)の如来や菩薩や明王があります。

  • 「十二神将立像 宮毘羅大将・亥神」<br />各神将がそれぞれ7千、総計8万4千の眷属夜叉を率い、それは人間の持つ煩悩の数に対応しているとされます。

    「十二神将立像 宮毘羅大将・亥神」
    各神将がそれぞれ7千、総計8万4千の眷属夜叉を率い、それは人間の持つ煩悩の数に対応しているとされます。

  • 「弘法大師座像」<br />日本における真言宗の開祖である空海(弘法大師)の像は大日如来と同じくほぼすべての真言宗寺院に祀られました。なかなか仏像をじっくり撮影する機会がないので、これ以外のすべての像を撮ってしまいました。

    「弘法大師座像」
    日本における真言宗の開祖である空海(弘法大師)の像は大日如来と同じくほぼすべての真言宗寺院に祀られました。なかなか仏像をじっくり撮影する機会がないので、これ以外のすべての像を撮ってしまいました。

  • 昨年の12月にクラブツーリズムの日帰りツアーで「偉人の邸宅×庭園めぐり 紅葉に色づく大磯から御殿場」というものがありました。すぐに満席になった人気のツアーでしたが、大磯の吉田茂の邸宅や御殿場の岸邸などと一緒に小田原の「松永記念館」も見学しました。こここそこの松永コレクションを寄贈した松永耳庵の邸宅でした。偶然ではありますが、何か不思議な縁を感じました。

    昨年の12月にクラブツーリズムの日帰りツアーで「偉人の邸宅×庭園めぐり 紅葉に色づく大磯から御殿場」というものがありました。すぐに満席になった人気のツアーでしたが、大磯の吉田茂の邸宅や御殿場の岸邸などと一緒に小田原の「松永記念館」も見学しました。こここそこの松永コレクションを寄贈した松永耳庵の邸宅でした。偶然ではありますが、何か不思議な縁を感じました。

  • 「色絵吉野図茶壷 野々村仁清」<br />小田原の松永耳庵の「老欅荘(ろうきょそう)」の建物は地味で、コレクションは何も無いので年寄りの隠居所のような佇まいでした。益田鈍翁との交流についてはその時に知りましたが、すごいコレクションだと思います。

    「色絵吉野図茶壷 野々村仁清」
    小田原の松永耳庵の「老欅荘(ろうきょそう)」の建物は地味で、コレクションは何も無いので年寄りの隠居所のような佇まいでした。益田鈍翁との交流についてはその時に知りましたが、すごいコレクションだと思います。

  • この3月には久しぶりに熱海を旅するので「MOA美術館」にも行く予定にしています。ここで先に仁清の茶壷に出会えました。京都の清水で親戚が窯業を営んでいるので、絵付けをさせてもらうこともあり、これだけの絵を描くことの大変さは実感できます。

    この3月には久しぶりに熱海を旅するので「MOA美術館」にも行く予定にしています。ここで先に仁清の茶壷に出会えました。京都の清水で親戚が窯業を営んでいるので、絵付けをさせてもらうこともあり、これだけの絵を描くことの大変さは実感できます。

  • 「松永耳庵老之図 前田青邨」<br />松永安左ヱ門は現在の9電力体制を作り、日本の電力事業に貢献した電力王や電力の鬼とも呼ばれる人物です。号を耳庵(じあん)と称し、茶の湯の世界では最後の数寄茶人として有名な方でした。多くの画家や工芸家と交流があったことはここで初めて知りました。

    「松永耳庵老之図 前田青邨」
    松永安左ヱ門は現在の9電力体制を作り、日本の電力事業に貢献した電力王や電力の鬼とも呼ばれる人物です。号を耳庵(じあん)と称し、茶の湯の世界では最後の数寄茶人として有名な方でした。多くの画家や工芸家と交流があったことはここで初めて知りました。

  • 「平家公達草紙」<br />平家一門の華麗な宮廷生活を題材にした16世紀の室町時代の絵巻です。平安時代風を意識した流麗な筆使いがで描かれています。継ぎ目で紙の色が違うところがありますが、これは前田青邨による模写が挿入されているからです。

    「平家公達草紙」
    平家一門の華麗な宮廷生活を題材にした16世紀の室町時代の絵巻です。平安時代風を意識した流麗な筆使いがで描かれています。継ぎ目で紙の色が違うところがありますが、これは前田青邨による模写が挿入されているからです。

  • 博多へ来る前は門司港と下関を旅して、壇の浦古戦場や平家一門の墓のある「赤間神宮」も参拝してきたばかりなので、勝者必衰の哀れを感じます。

    博多へ来る前は門司港と下関を旅して、壇の浦古戦場や平家一門の墓のある「赤間神宮」も参拝してきたばかりなので、勝者必衰の哀れを感じます。

  • 「茄子図 尾形乾山」

    「茄子図 尾形乾山」

  • 丸々と実をつけた茄子の周りに「なれ茄子 なれなれ茄子 なれ茄子 ならずば棚の 押絵ともなれ」と歌が書かれています。

    丸々と実をつけた茄子の周りに「なれ茄子 なれなれ茄子 なれ茄子 ならずば棚の 押絵ともなれ」と歌が書かれています。

  • 「茄子図 前田青邨」

    「茄子図 前田青邨」

  • 尾形乾山の茄子図に倣って前田青邨が絵を描き、松永耳庵が賛を描いた作品です。豪快な耳庵の書と控えめな青邨の茄子の絵のギャップは2人の力関係の違いでしょうか。

    尾形乾山の茄子図に倣って前田青邨が絵を描き、松永耳庵が賛を描いた作品です。豪快な耳庵の書と控えめな青邨の茄子の絵のギャップは2人の力関係の違いでしょうか。

  • 「良寛像 安田靫彦」

    「良寛像 安田靫彦」

  • 良寛は江戸時代に活躍した禅僧です。修行の道中で子供たちと出会うと手毬を楽しんだと伝わり、この絵にも毬が描かれています。右端には良寛の和歌「やまかげの 岩間をつたふ 苔水の かすかにわれは すみ渡るかも」と記されています。安田靫彦とは中学生の頃に出会い、国立近代美術館の展覧会で感動したことは今でもよく覚えています。昨年行った小樽のニトリ美術館で見た平櫛田中の「燈下萬葉良寛上人像」も素晴らしかったです。平櫛田中とは小学生の頃に出会い、京都の美術館で見た「鏡獅子」には畏敬の念を感じました。

    良寛は江戸時代に活躍した禅僧です。修行の道中で子供たちと出会うと手毬を楽しんだと伝わり、この絵にも毬が描かれています。右端には良寛の和歌「やまかげの 岩間をつたふ 苔水の かすかにわれは すみ渡るかも」と記されています。安田靫彦とは中学生の頃に出会い、国立近代美術館の展覧会で感動したことは今でもよく覚えています。昨年行った小樽のニトリ美術館で見た平櫛田中の「燈下萬葉良寛上人像」も素晴らしかったです。平櫛田中とは小学生の頃に出会い、京都の美術館で見た「鏡獅子」には畏敬の念を感じました。

  • 「雌鶏図 伝・俵屋宗達」

    「雌鶏図 伝・俵屋宗達」

  • 宗達も好きな作家で中学生の頃は京都の「養源院」に何度も通いました。仙台の御住職の案内の説明が面白かったということもありますが、襖絵の松の力強さ、杉戸絵の八方睨みの獅子や白象などのデザインも素晴らしかったです。

    宗達も好きな作家で中学生の頃は京都の「養源院」に何度も通いました。仙台の御住職の案内の説明が面白かったということもありますが、襖絵の松の力強さ、杉戸絵の八方睨みの獅子や白象などのデザインも素晴らしかったです。

  • 「雄鶏図 伝・俵屋宗達」

    「雄鶏図 伝・俵屋宗達」

  • 料紙装飾や扇絵政策で才能を発揮した宗達の水墨画でも独自の作風を出しています。元々は別々に伝来していたものを耳庵が対幅としたようです。親戚に菊川京三という国華社で模写をしていた画家がいますが、その方の描いた扇絵は現在も宝物にしています。

    料紙装飾や扇絵政策で才能を発揮した宗達の水墨画でも独自の作風を出しています。元々は別々に伝来していたものを耳庵が対幅としたようです。親戚に菊川京三という国華社で模写をしていた画家がいますが、その方の描いた扇絵は現在も宝物にしています。

  • 展示室内には松永耳庵が昭和12年に原三渓から譲り受けた「春草蘆」が再現されていました。所沢にある「柳瀬山荘」に移築されています。家からも近いので一度行ってみたいと思っていますが、まだ実現されていません。これを機会に行ってみようと思いました。横浜の「三渓園」にも妻を連れていけていません。

    展示室内には松永耳庵が昭和12年に原三渓から譲り受けた「春草蘆」が再現されていました。所沢にある「柳瀬山荘」に移築されています。家からも近いので一度行ってみたいと思っていますが、まだ実現されていません。これを機会に行ってみようと思いました。横浜の「三渓園」にも妻を連れていけていません。

  • 「紙本著色花篭図 尾形乾山筆」

    「紙本著色花篭図 尾形乾山筆」

  • 実に兼山らしい作品です。残念ながらこの軸は複製とのことです。

    実に兼山らしい作品です。残念ながらこの軸は複製とのことです。

  • 「茶釜(政所釜)伝・西村道仁」<br />西村道仁は桃山時代の釜師で京都三条釜座に住していました。名越浄祐の門人と伝えられ、天下一の称号を持ち、千利休の釜師である辻与次郎の師として著名な人物です。

    「茶釜(政所釜)伝・西村道仁」
    西村道仁は桃山時代の釜師で京都三条釜座に住していました。名越浄祐の門人と伝えられ、天下一の称号を持ち、千利休の釜師である辻与次郎の師として著名な人物です。

  • 「志野矢筈口水差 銘「末広」」<br />志野は美濃焼の陶器で、口造りが二重になった形を「矢筈口」といいます。<br />「茶杓 銘「茶僧」共筒」<br />「黒織部筒茶碗 銘「さわらび」」<br />織部には珍しく作為が控えめで、素直に成形された茶碗です。口縁から左右対称に斜めに黒釉をかけ、前後の三角形に蕨を描いています。<br />「黒塗中棗」

    「志野矢筈口水差 銘「末広」」
    志野は美濃焼の陶器で、口造りが二重になった形を「矢筈口」といいます。
    「茶杓 銘「茶僧」共筒」
    「黒織部筒茶碗 銘「さわらび」」
    織部には珍しく作為が控えめで、素直に成形された茶碗です。口縁から左右対称に斜めに黒釉をかけ、前後の三角形に蕨を描いています。
    「黒塗中棗」

  • 「鹿文蒔絵硯箱 仰木政斎」<br />仰木魯堂(おうぎ ろどう)は昭和初期の建築家で、その弟が木工家の仰木政斎です。茶人としても有名な兄弟で、耳庵のコレクションには2人の旧蔵品が多く含まれています。

    「鹿文蒔絵硯箱 仰木政斎」
    仰木魯堂(おうぎ ろどう)は昭和初期の建築家で、その弟が木工家の仰木政斎です。茶人としても有名な兄弟で、耳庵のコレクションには2人の旧蔵品が多く含まれています。

  • 蓋の表に5頭の鹿を描き、裏と箱の内部に和歌を描いた硯箱です。絵と文字はどちらも本阿弥光悦と俵屋宗達が共作した益田鈍翁旧蔵の「鹿下絵和歌巻」を写しています。「有明の 月待宿の 袖の上の 人だにめなる よひの 稲妻」とあります。

    蓋の表に5頭の鹿を描き、裏と箱の内部に和歌を描いた硯箱です。絵と文字はどちらも本阿弥光悦と俵屋宗達が共作した益田鈍翁旧蔵の「鹿下絵和歌巻」を写しています。「有明の 月待宿の 袖の上の 人だにめなる よひの 稲妻」とあります。

  • 「古雲鶴筒茶碗」<br />14世紀の高麗時代の作品です。新春を祝うのに相応しい茶碗として耳庵に重宝されました。これも仰木魯堂の旧蔵品です。

    「古雲鶴筒茶碗」
    14世紀の高麗時代の作品です。新春を祝うのに相応しい茶碗として耳庵に重宝されました。これも仰木魯堂の旧蔵品です。

  • 昨年大坂の旅で行った中之島の「大阪市立東洋陶磁美術館」で数多くの高麗青磁に出会いました。住友グループといい昔の財界人は良いものたくさんコレクションしていたのだと改めて思います。

    昨年大坂の旅で行った中之島の「大阪市立東洋陶磁美術館」で数多くの高麗青磁に出会いました。住友グループといい昔の財界人は良いものたくさんコレクションしていたのだと改めて思います。

  • 「粉吹茶碗 銘「十石」」<br />粉吹きとは高麗茶碗の一種で、白土を一面に化粧掛けして粉をまぶしたような肌に見えることによる総称です。

    「粉吹茶碗 銘「十石」」
    粉吹きとは高麗茶碗の一種で、白土を一面に化粧掛けして粉をまぶしたような肌に見えることによる総称です。

  • 銘の「十石」は耳庵が益田鈍翁に命名と箱書を乞うたもので、耳庵が熱海に構えていた別荘の「十国庵」にちなんだといわれます。ところがこの茶碗は元々は仰木政斎の持ち物で、鈍翁に命名と箱書を乞おうしたところ、途中で耳庵に分捕られて別の志野の茶碗を貰ったと書き残されているようです。

    銘の「十石」は耳庵が益田鈍翁に命名と箱書を乞うたもので、耳庵が熱海に構えていた別荘の「十国庵」にちなんだといわれます。ところがこの茶碗は元々は仰木政斎の持ち物で、鈍翁に命名と箱書を乞おうしたところ、途中で耳庵に分捕られて別の志野の茶碗を貰ったと書き残されているようです。

  • 「備前矢筈口水差 共蓋」<br />胴の上下に箍(たが)のような段が設けられ、木桶を連想させる形をしています。胴回りには箆(へら)彫の控えめな模様が刻まれ、自然釉が窯変して灰青色になっています。<br />

    「備前矢筈口水差 共蓋」
    胴の上下に箍(たが)のような段が設けられ、木桶を連想させる形をしています。胴回りには箆(へら)彫の控えめな模様が刻まれ、自然釉が窯変して灰青色になっています。

  • 「杜子美図 伝・雪舟、賛・天隠竜沢」<br />唐時代の詩人の杜甫が驢馬にまたがる様子が描かれています。これもまた仰木魯堂の旧蔵品で、耳庵の手に渡ってからも気にかけている様子が茶会記に記されているようです。

    「杜子美図 伝・雪舟、賛・天隠竜沢」
    唐時代の詩人の杜甫が驢馬にまたがる様子が描かれています。これもまた仰木魯堂の旧蔵品で、耳庵の手に渡ってからも気にかけている様子が茶会記に記されているようです。

  • 雪舟の水墨画にも小学生の頃に魅了され、誕生日のプレゼントに講談社から当時発売されていた大判の美術書を買ってもらいました。その本は今も時々取り出して眺めています。

    雪舟の水墨画にも小学生の頃に魅了され、誕生日のプレゼントに講談社から当時発売されていた大判の美術書を買ってもらいました。その本は今も時々取り出して眺めています。

  • 「偈(七言絶句)月江正印」<br />禅僧などが悟境を韻文の体裁で述べたものを「偈(げ)」と呼びます。中国の禅僧の月江正印(げっこうしょういん)が書いた7篇のフレーズからなる長詩です。

    「偈(七言絶句)月江正印」
    禅僧などが悟境を韻文の体裁で述べたものを「偈(げ)」と呼びます。中国の禅僧の月江正印(げっこうしょういん)が書いた7篇のフレーズからなる長詩です。

  • 一番奥の別室では「仙厓展」が開かれていました。この展示も写真撮影が可能か念のために尋ねたほどです。仙厓義梵(せんがいぎぼん)は日本最初の禅寺である博多の聖福寺の住職を務めた禅僧です。書画を通して禅の教えを人々に分かりやすく伝えました。

    一番奥の別室では「仙厓展」が開かれていました。この展示も写真撮影が可能か念のために尋ねたほどです。仙厓義梵(せんがいぎぼん)は日本最初の禅寺である博多の聖福寺の住職を務めた禅僧です。書画を通して禅の教えを人々に分かりやすく伝えました。

  • 「仙厓和尚像 山崎朝雲」<br />山崎朝雲も博多の出身だったとここで知ることが出来ました。仙厓研究者であった中山森彦により制作を依頼され、愛好家たちに配られたものです。表情は親しみよりも厳しさを感じます。

    「仙厓和尚像 山崎朝雲」
    山崎朝雲も博多の出身だったとここで知ることが出来ました。仙厓研究者であった中山森彦により制作を依頼され、愛好家たちに配られたものです。表情は親しみよりも厳しさを感じます。

  • 「仙厓和尚図 斎藤秋圃」<br />

    「仙厓和尚図 斎藤秋圃」

  • 囲炉裏の前に座ってくつろいだ様子の仙厓の姿です。描いたのは友人でもあった斎藤秋圃(さいとうしゅうほ)なので、2人の仲の良さが伝わってくるようです。

    囲炉裏の前に座ってくつろいだ様子の仙厓の姿です。描いたのは友人でもあった斎藤秋圃(さいとうしゅうほ)なので、2人の仲の良さが伝わってくるようです。

  • 「円相図 仙厓義梵」<br />賛によると「この円は仏教や儒教など様々な思想を含んでおり。、それぞれの教えの違いは円の中の模様の違いに過ぎない。」で、多様性を尊重しつつ統合を目指す仙厓の考えが読み取れます。

    「円相図 仙厓義梵」
    賛によると「この円は仏教や儒教など様々な思想を含んでおり。、それぞれの教えの違いは円の中の模様の違いに過ぎない。」で、多様性を尊重しつつ統合を目指す仙厓の考えが読み取れます。

  • 「円相図 仙厓義梵」<br />大きく円を描き、「これでも食べてお茶をどうぞ」と文を添えています。こちらの方が美味しそうに見えるのは住職を隠退して書画三昧だった70代後半の作品だからだと思えます。

    「円相図 仙厓義梵」
    大きく円を描き、「これでも食べてお茶をどうぞ」と文を添えています。こちらの方が美味しそうに見えるのは住職を隠退して書画三昧だった70代後半の作品だからだと思えます。

  • 「寒山拾得図 仙厓義梵-筆 太室宗宸-賛」<br />巻物を持った寒山が上方を指さして、箒を持った拾得は視線を上に向けています。賛を読むと視線の先には月があり、悟りを意味しています。

    「寒山拾得図 仙厓義梵-筆 太室宗宸-賛」
    巻物を持った寒山が上方を指さして、箒を持った拾得は視線を上に向けています。賛を読むと視線の先には月があり、悟りを意味しています。

  • 寒山拾得(かんざん じっとく)は、中国の蘇州郊外の楓橋鎮にある臨済宗の寒山寺に伝わる風狂の僧のことです。2000年問題の年末に上海から蘇州へ向かい、駅前で借りた自転車で寒山寺まで参拝に行ったことを思い出します。その当時中国にはウインドウズ95は正規品が5つしか無く、2000年問題を避けるには中国へ行けなんて言われていました。

    寒山拾得(かんざん じっとく)は、中国の蘇州郊外の楓橋鎮にある臨済宗の寒山寺に伝わる風狂の僧のことです。2000年問題の年末に上海から蘇州へ向かい、駅前で借りた自転車で寒山寺まで参拝に行ったことを思い出します。その当時中国にはウインドウズ95は正規品が5つしか無く、2000年問題を避けるには中国へ行けなんて言われていました。

  • 「寒山拾得図 仙厓義梵」<br />「なむからたんのふ」とお経をあげる寒山の前で「そこのけそこのけ」と箒で掃く拾得が可愛らしいです。お経をあげる暇があったら掃き掃除を手伝えといったところでしょうか。

    「寒山拾得図 仙厓義梵」
    「なむからたんのふ」とお経をあげる寒山の前で「そこのけそこのけ」と箒で掃く拾得が可愛らしいです。お経をあげる暇があったら掃き掃除を手伝えといったところでしょうか。

  • 数年前に大好きな京都の陶芸家の清風与平の描いた可愛らしい寒山拾得図を手に入れたことがあります。清水の伯母によると「けったいな人やったえ。お金に困るとまとめて陶器を持ってきて。」なんて言っていました。その軸は数十年前に描かれたものですが、壁に掛けた途端に得も言われぬ墨の香りが部屋に立ち込めます。よほど良い墨を使っていたのだと思います。長年彼の陶器を収集していますが、この数年べらぼうな値段になってしまい、なかなか手が出ません。

    数年前に大好きな京都の陶芸家の清風与平の描いた可愛らしい寒山拾得図を手に入れたことがあります。清水の伯母によると「けったいな人やったえ。お金に困るとまとめて陶器を持ってきて。」なんて言っていました。その軸は数十年前に描かれたものですが、壁に掛けた途端に得も言われぬ墨の香りが部屋に立ち込めます。よほど良い墨を使っていたのだと思います。長年彼の陶器を収集していますが、この数年べらぼうな値段になってしまい、なかなか手が出ません。

  • 「布袋図 仙厓義梵」団扇を手に横たわる布袋の姿は仙厓らしさがありませんが、手本となる作品があったようです。日本では布袋ですが、中国や台湾では弥勒菩薩の姿とされます。中国の杭州の郊外にある霊隠寺の摩崖仏の姿を思い出されます。<br />

    「布袋図 仙厓義梵」団扇を手に横たわる布袋の姿は仙厓らしさがありませんが、手本となる作品があったようです。日本では布袋ですが、中国や台湾では弥勒菩薩の姿とされます。中国の杭州の郊外にある霊隠寺の摩崖仏の姿を思い出されます。

  • 「香厳撃竹図 仙厓義梵」<br />神妙な面持ちで箒で地面を掃くのは掃除の最中に悟りを得たという逸話で有名な中国の禅僧の香厳智閑(きょうげんちかん)です。

    「香厳撃竹図 仙厓義梵」
    神妙な面持ちで箒で地面を掃くのは掃除の最中に悟りを得たという逸話で有名な中国の禅僧の香厳智閑(きょうげんちかん)です。

  • このエピソードは禅僧の香厳智閑(きょうげんちかん)はなかなか悟りきれず、墓守として生活をしていた時に箒で掃いた小石が竹に当った音を聞いて、悟りを得たというものです。

    このエピソードは禅僧の香厳智閑(きょうげんちかん)はなかなか悟りきれず、墓守として生活をしていた時に箒で掃いた小石が竹に当った音を聞いて、悟りを得たというものです。

  • 「臨済裁松図 仙厓義梵」<br />臨済宗を開いた臨済義玄(りんざいぎげん)が山奥に松を植えたという逸話を描いています。賛は「臨済が松を植えた理由を答えなければ杖でぶつぞ」という内容です。

    「臨済裁松図 仙厓義梵」
    臨済宗を開いた臨済義玄(りんざいぎげん)が山奥に松を植えたという逸話を描いています。賛は「臨済が松を植えた理由を答えなければ杖でぶつぞ」という内容です。

  • 臨済義玄禅師が黄檗山の黄檗機運禅師のもとでの修行の中で断崖に松の苗を植えようとします。黄檗禅師は「なぜこんなところに植えるのか。」と尋ねると、臨済禅師は「第一には寺の境内の景観をよくするため。第二には後の修行者がこの松を見て、松を植えた私の心を感じて、自分の生き方の糧としてくれたら」と答えたそうです。

    臨済義玄禅師が黄檗山の黄檗機運禅師のもとでの修行の中で断崖に松の苗を植えようとします。黄檗禅師は「なぜこんなところに植えるのか。」と尋ねると、臨済禅師は「第一には寺の境内の景観をよくするため。第二には後の修行者がこの松を見て、松を植えた私の心を感じて、自分の生き方の糧としてくれたら」と答えたそうです。

  • 「大燈国師図 仙厓義梵」<br />大燈国師は宗峰妙超という名で、京都の大徳寺を開いたことで知られます。悟りを開いた後も貧しい身なりをして隠れて修行に励んでいました。

    「大燈国師図 仙厓義梵」
    大燈国師は宗峰妙超という名で、京都の大徳寺を開いたことで知られます。悟りを開いた後も貧しい身なりをして隠れて修行に励んでいました。

  • 宗峰妙超はまくわ瓜が好きだったようで、妙超が乞食の群れの中にいることを知った花園天皇は役人に高札を立てさせ、某日まくわ瓜を乞食にただで与える旨を布告しました。当日、役人がまくわ瓜を求める乞食の群れに向かって「脚なくして来たれ」というと、乞食の1人がすかさず「無手で渡せ」と答えたので妙超であることが判ってしまったという逸話が残っています。

    宗峰妙超はまくわ瓜が好きだったようで、妙超が乞食の群れの中にいることを知った花園天皇は役人に高札を立てさせ、某日まくわ瓜を乞食にただで与える旨を布告しました。当日、役人がまくわ瓜を求める乞食の群れに向かって「脚なくして来たれ」というと、乞食の1人がすかさず「無手で渡せ」と答えたので妙超であることが判ってしまったという逸話が残っています。

  • 「潙仰問答図 仙厓義梵」<br />先ほどの臨済裁松図と同じエピソードの続きです。松を植える臨済義玄が鍬で土を三度掘り起こすと黄檗禅師は「境内に松など植えたところで、それがどうだというのだ」と尋ねます。臨済義玄の態度は変らず、また鍬を三度振り下ろすと大きく息を吐きました。黄檗禅師は鍬をとって黙々と仕事に励む臨済義玄の姿を見て、「我が宗門は、おまえの代で大いに興隆するだろう」と言い残したそうです。<br />と言い残

    「潙仰問答図 仙厓義梵」
    先ほどの臨済裁松図と同じエピソードの続きです。松を植える臨済義玄が鍬で土を三度掘り起こすと黄檗禅師は「境内に松など植えたところで、それがどうだというのだ」と尋ねます。臨済義玄の態度は変らず、また鍬を三度振り下ろすと大きく息を吐きました。黄檗禅師は鍬をとって黙々と仕事に励む臨済義玄の姿を見て、「我が宗門は、おまえの代で大いに興隆するだろう」と言い残したそうです。
    と言い残

  • 「恵比寿図 仙厓義梵」<br />七福神の1人の恵比寿が大きな鯛を抱えて満面の笑みを浮かべています。賛には「恵比寿が鯛を釣って”めでたい”」とダジャレが記されています。

    「恵比寿図 仙厓義梵」
    七福神の1人の恵比寿が大きな鯛を抱えて満面の笑みを浮かべています。賛には「恵比寿が鯛を釣って”めでたい”」とダジャレが記されています。

  • この旅の前に国立劇場で八戸のえんぶりを観る機会がありました。この旅の後には八戸でその祭りを観に行く予定にしていて、門司港のローソンで観覧券を手に入れていました。その踊りの中に恵比寿舞というものがあり、コミカルなその舞を思い出しました。

    この旅の前に国立劇場で八戸のえんぶりを観る機会がありました。この旅の後には八戸でその祭りを観に行く予定にしていて、門司港のローソンで観覧券を手に入れていました。その踊りの中に恵比寿舞というものがあり、コミカルなその舞を思い出しました。

  • 「尾上心七早変り図 仙厓義梵」<br />早変わりを得意とした役者の尾上心七が見事な変顔を披露しています。賛には「世界は地獄や極楽など様々に姿を変えるけれど、結局は心でどうとらえるかが大事である」と述べられています。

    「尾上心七早変り図 仙厓義梵」
    早変わりを得意とした役者の尾上心七が見事な変顔を披露しています。賛には「世界は地獄や極楽など様々に姿を変えるけれど、結局は心でどうとらえるかが大事である」と述べられています。

  • 「観音菩薩図 仙厓義梵」<br />仙厓が住職を隠退してすぐの65歳の時に描いています。賛には「他人のための行いは全て観音菩薩の慈悲の心に通じる」あります。

    「観音菩薩図 仙厓義梵」
    仙厓が住職を隠退してすぐの65歳の時に描いています。賛には「他人のための行いは全て観音菩薩の慈悲の心に通じる」あります。

  • 62歳をむかえて仙厓の年齢に近くなりながら、全くその足元にも及ばないことを痛感します。

    62歳をむかえて仙厓の年齢に近くなりながら、全くその足元にも及ばないことを痛感します。

  • 「蜆子和尚図 仙厓義梵」<br />蜆子和尚は中国の伝説的な禅僧です。いつもボロ布をまとい、エビやシジミを食べ、夜は神祠の紙銭中に寝たというような暮らしていました。

    「蜆子和尚図 仙厓義梵」
    蜆子和尚は中国の伝説的な禅僧です。いつもボロ布をまとい、エビやシジミを食べ、夜は神祠の紙銭中に寝たというような暮らしていました。

  • 自分の生き方に似ているような気がしてくると、その腹回りも他人とは思えなくなってきます。そしてカールおじさんにも似ていると思います。

    自分の生き方に似ているような気がしてくると、その腹回りも他人とは思えなくなってきます。そしてカールおじさんにも似ていると思います。

  • 「絶筆に碑図 仙厓義梵」<br />83歳の仙厓は相次ぐ揮毫依頼に困り果てて、拙筆と刻んだ石碑を虚白院に建てました。この絶筆宣言は失敗に終わったようで、同じような絶筆の碑を描いた作品が数多く残っているようです。

    「絶筆に碑図 仙厓義梵」
    83歳の仙厓は相次ぐ揮毫依頼に困り果てて、拙筆と刻んだ石碑を虚白院に建てました。この絶筆宣言は失敗に終わったようで、同じような絶筆の碑を描いた作品が数多く残っているようです。

  • 「太宰府十二景 仙厓義梵」<br />太宰府の名所十二景を選んで描いています。下半分は天拝山や竈門山などを遠望して、上半分は観世音寺や都府楼址などの史跡をとらえています。太宰府は旅を愛した仙厓の好んで訪れた場所のようです。<br />

    「太宰府十二景 仙厓義梵」
    太宰府の名所十二景を選んで描いています。下半分は天拝山や竈門山などを遠望して、上半分は観世音寺や都府楼址などの史跡をとらえています。太宰府は旅を愛した仙厓の好んで訪れた場所のようです。

  • 「宝満山図 仙厓義梵」<br />宝満山は古来より山そのものがご神体とされ、江戸時代には観音霊場としても有名だったようです。仙厓は65歳の時に初めて登り、少なくとも3回は踏破しているようです。

    「宝満山図 仙厓義梵」
    宝満山は古来より山そのものがご神体とされ、江戸時代には観音霊場としても有名だったようです。仙厓は65歳の時に初めて登り、少なくとも3回は踏破しているようです。

  • 「博多湾図 仙厓義梵」<br />箱崎から博多湾を遠望した風景です。筥崎宮の鳥居や松林も見えます。賛にはかつてこの海を渡って中国へ向かった禅僧たちへのあこがれの想いが詠まれています。

    「博多湾図 仙厓義梵」
    箱崎から博多湾を遠望した風景です。筥崎宮の鳥居や松林も見えます。賛にはかつてこの海を渡って中国へ向かった禅僧たちへのあこがれの想いが詠まれています。

  • 「釈迦三尊図 仙厓義梵」<br />仏教を開いた釈迦如来を中央に、その両脇には文殊菩薩と普賢菩薩を表します。目を伏せてほほ笑むような穏やかな表情が特徴です。

    「釈迦三尊図 仙厓義梵」
    仏教を開いた釈迦如来を中央に、その両脇には文殊菩薩と普賢菩薩を表します。目を伏せてほほ笑むような穏やかな表情が特徴です。

  • 「文殊菩薩図 仙厓義梵」<br />文殊菩薩は知恵をつかさどる仏ですが、仙厓の手に掛かると幼子のような姿です。文殊菩薩像の造形はほぼ一定していて、獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つ姿で描かれます。密教では清浄な精神を表す童子形となり、髻を結った姿です。この髻の数は像によって一、五、六、八の四種類があり、それぞれ一=増益、五=敬愛、六=調伏、八=息災の修法の本尊とされます。

    「文殊菩薩図 仙厓義梵」
    文殊菩薩は知恵をつかさどる仏ですが、仙厓の手に掛かると幼子のような姿です。文殊菩薩像の造形はほぼ一定していて、獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つ姿で描かれます。密教では清浄な精神を表す童子形となり、髻を結った姿です。この髻の数は像によって一、五、六、八の四種類があり、それぞれ一=増益、五=敬愛、六=調伏、八=息災の修法の本尊とされます。

  • 「観音菩薩図 仙厓義梵」<br />眼を伏せた穏やかな表情で、一気に描き上げたようなスピード感を感じます。

    「観音菩薩図 仙厓義梵」
    眼を伏せた穏やかな表情で、一気に描き上げたようなスピード感を感じます。

  • 「三社図 仙厓義梵」<br />中央に天照皇大神宮(伊勢神宮)、八幡大菩薩(石清水八幡宮)、春日大明神(春日大社)の三社の神名とそれぞれのシンボルである太陽と鳩と鹿が描かれています。日本を代表する三社に手軽に参拝できる掛軸として、江戸時代によく描かれています。

    「三社図 仙厓義梵」
    中央に天照皇大神宮(伊勢神宮)、八幡大菩薩(石清水八幡宮)、春日大明神(春日大社)の三社の神名とそれぞれのシンボルである太陽と鳩と鹿が描かれています。日本を代表する三社に手軽に参拝できる掛軸として、江戸時代によく描かれています。

  • 「福神図 仙厓義梵」<br />乗馬した大黒天が町を練り歩く祭りである博多松囃子の情景です。大黒天が旨辛落ちるというと縁起が悪いと不安がる人々の姿がありますが、仙厓は神様が下りてきたからめでたいと説いています。

    「福神図 仙厓義梵」
    乗馬した大黒天が町を練り歩く祭りである博多松囃子の情景です。大黒天が旨辛落ちるというと縁起が悪いと不安がる人々の姿がありますが、仙厓は神様が下りてきたからめでたいと説いています。

  • 北斎漫画も連想されますが、落馬する一瞬の情景を見事に描き切っています。

    北斎漫画も連想されますが、落馬する一瞬の情景を見事に描き切っています。

  • 「玉せせり図 仙厓義梵」<br />ここへ来る前に「福岡市博物館」へ行っていなければ何だか分からない絵だったと思います。玉せせりは筥崎宮で行われる神事で、仙厓も度々訪れたようで、いくつもの作品が残っているようです。

    「玉せせり図 仙厓義梵」
    ここへ来る前に「福岡市博物館」へ行っていなければ何だか分からない絵だったと思います。玉せせりは筥崎宮で行われる神事で、仙厓も度々訪れたようで、いくつもの作品が残っているようです。

  • 球を奪い合う男たちは一筆描きのようですが、祭りの熱気が伝わってくるようです。

    球を奪い合う男たちは一筆描きのようですが、祭りの熱気が伝わってくるようです。

  • 「農耕図 仙厓義梵」<br />2人の農夫が仕事終わりなのか煙管をふかしながら談笑しています。仙厓は農家出身だったので温かいまなざしで見ていたであろうことが想像できます。

    「農耕図 仙厓義梵」
    2人の農夫が仕事終わりなのか煙管をふかしながら談笑しています。仙厓は農家出身だったので温かいまなざしで見ていたであろうことが想像できます。

  • こんな絵がさらさらと描けたらと思ってしまいます。画家で陶芸家だった母方の祖父は良く伯母にお小遣いをもらって絵を描いていたことを思い出します。叔母は出来上がった絵を隠して、もう1枚描いてもらったり。そんなことを思い出します。

    こんな絵がさらさらと描けたらと思ってしまいます。画家で陶芸家だった母方の祖父は良く伯母にお小遣いをもらって絵を描いていたことを思い出します。叔母は出来上がった絵を隠して、もう1枚描いてもらったり。そんなことを思い出します。

  • 「子孫繁昌図 仙厓義梵」<br />駄々をこねる子供と困り顔のお父さんの姿がほほえましいです。自分の子供時代を考えると駄々をこねたことが無かったことを思い出します。弟たちは平気で愚図っていましたが、長男は損だなといつも思っていました。

    「子孫繁昌図 仙厓義梵」
    駄々をこねる子供と困り顔のお父さんの姿がほほえましいです。自分の子供時代を考えると駄々をこねたことが無かったことを思い出します。弟たちは平気で愚図っていましたが、長男は損だなといつも思っていました。

  • この時代にもちゃんとリードがあったのだなと思いながら、引っ張られている犬も困ったような顔をしています。

    この時代にもちゃんとリードがあったのだなと思いながら、引っ張られている犬も困ったような顔をしています。

  • 「牛図 仙厓義梵」<br />ピカソのキュビズム絵画は仙厓の模倣ではないかと思ってしみます。賛の「此牛妙々」の妙々はとても優れているという意味で、牛の鳴き声のモーモーもかけたダジャレになっています。

    「牛図 仙厓義梵」
    ピカソのキュビズム絵画は仙厓の模倣ではないかと思ってしみます。賛の「此牛妙々」の妙々はとても優れているという意味で、牛の鳴き声のモーモーもかけたダジャレになっています。

  • 「虎図 仙厓義梵」<br />仙厓の作品では虎と猫の区別がつきにくいですが、この絵は比較的虎の姿に見えます。後から取って付けたような尾っぽがずいぶん長いです。

    「虎図 仙厓義梵」
    仙厓の作品では虎と猫の区別がつきにくいですが、この絵は比較的虎の姿に見えます。後から取って付けたような尾っぽがずいぶん長いです。

  • 「玄海一覧 仙厓義梵」<br />玄界灘の景勝地を描いた画巻の一部です。描かれているのは糸島の絶景として有名な桂島と芥屋の大門です。賛には名称にまつわる神話が書かれています。12月に行った呼子近くの七ツ釜の絶景を思い出します。

    「玄海一覧 仙厓義梵」
    玄界灘の景勝地を描いた画巻の一部です。描かれているのは糸島の絶景として有名な桂島と芥屋の大門です。賛には名称にまつわる神話が書かれています。12月に行った呼子近くの七ツ釜の絶景を思い出します。

  • 1階の見学を終えたところでお腹も空いたのでホテルニューオータニ博多の運営する「カフェ アクアム」に入ります。

    1階の見学を終えたところでお腹も空いたのでホテルニューオータニ博多の運営する「カフェ アクアム」に入ります。

    カフェ アクアム グルメ・レストラン

  • 喉が渇いたので生ビールを注文しました。妻は白ワイン。

    喉が渇いたので生ビールを注文しました。妻は白ワイン。

  • ようやく座ることが出来て笑みがこぼれます。ここ数日歩きすぎました。

    ようやく座ることが出来て笑みがこぼれます。ここ数日歩きすぎました。

  • ニューオータニ博多の経営なのでサンドイッチも美味しかったです。このあと2階の展示室に向かいましたが、こちらにはレストランもありました。

    ニューオータニ博多の経営なのでサンドイッチも美味しかったです。このあと2階の展示室に向かいましたが、こちらにはレストランもありました。

  • 福岡市美術館の建物は高さ12メートル、32メートル角の展示棟を4つ配置し、その間をロビーや「エスプラナード」と呼ばれる外部空間でつなぐ構成になっています。

    福岡市美術館の建物は高さ12メートル、32メートル角の展示棟を4つ配置し、その間をロビーや「エスプラナード」と呼ばれる外部空間でつなぐ構成になっています。

  • 「エスプラナード」とは前川建築を象徴する重要な要素の1つで、福岡市美術館の場合は北側の園路から続くゆるやかな階段が「エスプラナード」の入り口で、何度か向きを変えながら階段を上っていくと中庭を見下ろす1階屋上に出て、2階エントランスから館内に入るようになっています。2019年にリニュアルされたようですが、照明器具などは竣工当時のものだそうです。

    「エスプラナード」とは前川建築を象徴する重要な要素の1つで、福岡市美術館の場合は北側の園路から続くゆるやかな階段が「エスプラナード」の入り口で、何度か向きを変えながら階段を上っていくと中庭を見下ろす1階屋上に出て、2階エントランスから館内に入るようになっています。2019年にリニュアルされたようですが、照明器具などは竣工当時のものだそうです。

  • 2階の展示室は1階と違ってそのほとんどが写真撮影禁止になっていました。絵葉書を買ったジョアン・ミロ -の「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」という作品がありました。タイトルにある「ゴシック聖堂」はマジョルカ島の中心都市パルマに立つパルマ大聖堂を指します。ミロはスペインのバルセロナ生まれですが、母親のドロールスや妻のピラールがマジョルカ島出身でした。ミロは祖父母のいたこの島を子どもの頃からしばしば訪れており、1956年にアトリエを構えて以降は亡くなるまで暮らしました。

    2階の展示室は1階と違ってそのほとんどが写真撮影禁止になっていました。絵葉書を買ったジョアン・ミロ -の「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」という作品がありました。タイトルにある「ゴシック聖堂」はマジョルカ島の中心都市パルマに立つパルマ大聖堂を指します。ミロはスペインのバルセロナ生まれですが、母親のドロールスや妻のピラールがマジョルカ島出身でした。ミロは祖父母のいたこの島を子どもの頃からしばしば訪れており、1956年にアトリエを構えて以降は亡くなるまで暮らしました。

  • マルク・シャガール「空飛ぶアトラージュ」<br />アトラージュとは橇のことで、空高く翔ける橇に乗っているのはシャガールと亡き妻と娘のイダのようです。眼下に広がる雪景色の町並みはシャガールの故郷を思わせます。この作品を描く前に妻の亡くし、自身もユダヤ人ということからナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命しています。

    マルク・シャガール「空飛ぶアトラージュ」
    アトラージュとは橇のことで、空高く翔ける橇に乗っているのはシャガールと亡き妻と娘のイダのようです。眼下に広がる雪景色の町並みはシャガールの故郷を思わせます。この作品を描く前に妻の亡くし、自身もユダヤ人ということからナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命しています。

  • サルバドール・ダリ「ポルト・リガトの聖母」<br />妻と旅した3週間のスペイン旅行で行ったフィゲラスの「ダリ劇場美術館」のことを思い出します。長年の夢がかなった時でもありました。「ポルト・リガト」はフィゲラスの近くでダリとガラが宣冨居に移り住んだ港町です。ダリはガラを女神として宗教画を何枚も描いていますが、この作品の緻密さには驚きました。<br />

    サルバドール・ダリ「ポルト・リガトの聖母」
    妻と旅した3週間のスペイン旅行で行ったフィゲラスの「ダリ劇場美術館」のことを思い出します。長年の夢がかなった時でもありました。「ポルト・リガト」はフィゲラスの近くでダリとガラが宣冨居に移り住んだ港町です。ダリはガラを女神として宗教画を何枚も描いていますが、この作品の緻密さには驚きました。

  • 「インカ・ショニバレCBE 桜を放つ女性」<br />同じ展示室の流れで、唯一写真撮影が出来たのがこの作品でよかったと思います。アーティストネームに称号をつけている理由として、ショニバレは名前によって矛盾を表現すると語っています。CBEは大英帝国勲章三等勲位を意味します。

    「インカ・ショニバレCBE 桜を放つ女性」
    同じ展示室の流れで、唯一写真撮影が出来たのがこの作品でよかったと思います。アーティストネームに称号をつけている理由として、ショニバレは名前によって矛盾を表現すると語っています。CBEは大英帝国勲章三等勲位を意味します。

  • ショニバレの作品には、鮮やかな色彩のアフリカン・プリントと呼ばれる布がしばしば使われます。この布はインドネシアの伝統的なバティックを機械で再現したヨーロッパ製品であり、名前もヨーロッパで付けられたものでした。しかし1960年代にアフリカ独立の象徴となり、アフリカやアジアでも生産された経緯があります。ショニバレはステレオタイプのアフリカ美術を求められた学生時代にアフリカン・プリントの歴史を学び、この布を素材に選ぶようになりました。

    ショニバレの作品には、鮮やかな色彩のアフリカン・プリントと呼ばれる布がしばしば使われます。この布はインドネシアの伝統的なバティックを機械で再現したヨーロッパ製品であり、名前もヨーロッパで付けられたものでした。しかし1960年代にアフリカ独立の象徴となり、アフリカやアジアでも生産された経緯があります。ショニバレはステレオタイプのアフリカ美術を求められた学生時代にアフリカン・プリントの歴史を学び、この布を素材に選ぶようになりました。

  • 2019年には福岡市美術館で日本初個展として「インカ・ショニバレCBE: Flower Power」が開催され、個展のために日本を題材とした「桜を放つ女性」も発表されました。女性へのエールを込めたこの作品ではアフリカン・プリントで鹿鳴館様式のドレスを作り、ドレスを着た女性像がライフルを撃っています。銃口からは桜が飛び出し、桜の花びらにはさまざまな色が含まれて多様性を表しています。女性像の頭部として付けられた地球儀には、19世紀から21世紀にかけて女性の権利の獲得に貢献した著名な人物の名前が書かれていました。

    2019年には福岡市美術館で日本初個展として「インカ・ショニバレCBE: Flower Power」が開催され、個展のために日本を題材とした「桜を放つ女性」も発表されました。女性へのエールを込めたこの作品ではアフリカン・プリントで鹿鳴館様式のドレスを作り、ドレスを着た女性像がライフルを撃っています。銃口からは桜が飛び出し、桜の花びらにはさまざまな色が含まれて多様性を表しています。女性像の頭部として付けられた地球儀には、19世紀から21世紀にかけて女性の権利の獲得に貢献した著名な人物の名前が書かれていました。

  • 2階の見学を終えて前川國男の提唱する「エスプラナード」を体感します。暑かった館内から出ると気持ちの良い涼しさでした。

    2階の見学を終えて前川國男の提唱する「エスプラナード」を体感します。暑かった館内から出ると気持ちの良い涼しさでした。

  • 草間彌生「南瓜」が造作なく置かれてありました。大昔のことですが、草間彌生は西部の販売促進に出入りしていたことがあり、その当時を知る人に「あの時作品を買っておけばよかった。」と聞いたことがあります。

    草間彌生「南瓜」が造作なく置かれてありました。大昔のことですが、草間彌生は西部の販売促進に出入りしていたことがあり、その当時を知る人に「あの時作品を買っておけばよかった。」と聞いたことがあります。

  • ミュージアムショップは意外に充実していて、こんな博多人形も置かれてありました。もう東京へ帰る時間も近づいてきたので絵葉書を買うだけになりました。

    ミュージアムショップは意外に充実していて、こんな博多人形も置かれてありました。もう東京へ帰る時間も近づいてきたので絵葉書を買うだけになりました。

  • 「インカ・ショニバレCBE ウインド・スカルプチュア―(SG)Ⅱ」<br />カフェの窓から眺めていたら最初は猫の横顔かと思いました。今回初めて知った作家でしたが、東京に戻ったら少し調べてみようと思います。<br />

    「インカ・ショニバレCBE ウインド・スカルプチュア―(SG)Ⅱ」
    カフェの窓から眺めていたら最初は猫の横顔かと思いました。今回初めて知った作家でしたが、東京に戻ったら少し調べてみようと思います。

  • 最後に大濠公園の脇にある「日本庭園」に立ち寄りました。博多を訪れる際にいろいろ調べていく中でこの日本庭園を作庭したのが「足立美術館」の庭園を造った中根金作と知ったからでした。

    最後に大濠公園の脇にある「日本庭園」に立ち寄りました。博多を訪れる際にいろいろ調べていく中でこの日本庭園を作庭したのが「足立美術館」の庭園を造った中根金作と知ったからでした。

    大濠公園日本庭園 公園・植物園

  • 入場料は250円でしたが、65歳以上は無料ということで妻の保険証が役に立ちました。受付で「もう梅が咲きましたよ。」と教えていただきました。

    入場料は250円でしたが、65歳以上は無料ということで妻の保険証が役に立ちました。受付で「もう梅が咲きましたよ。」と教えていただきました。

  • この地はかつて博多湾の入り江で、慶長年間に黒田長政が福岡城を築城した際、入り江の北側を埋め立てて城の外濠としました。昭和2年にこの地で開催された東亜勧業博覧会を機に公園造成工事を行い、昭和4年に大濠公園となります。

    この地はかつて博多湾の入り江で、慶長年間に黒田長政が福岡城を築城した際、入り江の北側を埋め立てて城の外濠としました。昭和2年にこの地で開催された東亜勧業博覧会を機に公園造成工事を行い、昭和4年に大濠公園となります。

  • この日本庭園は大濠公園開園50周年を記念して築庭し、昭和59年に開園した築山林泉廻遊式の庭園です。白壁の築地塀と樹林に囲まれた園内には大池と築山の大池泉庭、曲水の流れ、枯山水庭、数寄屋造りの茶室と露地庭などが配置され、これらをつなぐ園路によって廻遊するようになっています。

    この日本庭園は大濠公園開園50周年を記念して築庭し、昭和59年に開園した築山林泉廻遊式の庭園です。白壁の築地塀と樹林に囲まれた園内には大池と築山の大池泉庭、曲水の流れ、枯山水庭、数寄屋造りの茶室と露地庭などが配置され、これらをつなぐ園路によって廻遊するようになっています。

  • 築山は厚い植栽で周囲の騒音を遮蔽するとともに建物の姿を消しています。池の中央に大滝を配し、築山の狭間に渓流の滝、東築山に布落ちの滝を設け、深山幽谷の中にいるようです。

    築山は厚い植栽で周囲の騒音を遮蔽するとともに建物の姿を消しています。池の中央に大滝を配し、築山の狭間に渓流の滝、東築山に布落ちの滝を設け、深山幽谷の中にいるようです。

  • この滝口の地割や石組の手法は日本庭園が技術的、芸術的に最も優れた時代である中世の作庭技法を用いています。大都会の中とは思えない雰囲気を楽しめます。

    この滝口の地割や石組の手法は日本庭園が技術的、芸術的に最も優れた時代である中世の作庭技法を用いています。大都会の中とは思えない雰囲気を楽しめます。

  • 庭園を散策しているとどこかの庭で見たことがあるような風景に出会います。この辺りは京都御所の「州浜」のようです。「州浜」の石は小田原藩主の大久保侯が献上した選りすぐりの綺麗な丸石で、丸石1個につき米一升と交換したことから「一升石」と呼ばれていました。個々の医師はそこまでサイズが揃っていないようです。

    庭園を散策しているとどこかの庭で見たことがあるような風景に出会います。この辺りは京都御所の「州浜」のようです。「州浜」の石は小田原藩主の大久保侯が献上した選りすぐりの綺麗な丸石で、丸石1個につき米一升と交換したことから「一升石」と呼ばれていました。個々の医師はそこまでサイズが揃っていないようです。

  • この石橋も京都御所の阿古瀬淵(あこせがふち)に架かる切石6枚が並べられた「六枚橋」のようです。

    この石橋も京都御所の阿古瀬淵(あこせがふち)に架かる切石6枚が並べられた「六枚橋」のようです。

  • 昨年行った「足立美術館」では庭園を歩くことはできませんが、ここでは存分に楽しむことが出来ます。

    昨年行った「足立美術館」では庭園を歩くことはできませんが、ここでは存分に楽しむことが出来ます。

  • 訪れる人もほとんどなく2月初旬とは思えない穏やかな午後の時間です。時たま上空を着陸に向かって飛ぶ飛行機が旅の終わりを感じさせます。

    訪れる人もほとんどなく2月初旬とは思えない穏やかな午後の時間です。時たま上空を着陸に向かって飛ぶ飛行機が旅の終わりを感じさせます。

  • 背の低い白壁の築地塀の先には借景として大濠公園の池が見えます。池で遊ぶ人の声や湖面のボートが人の気配を感じさせます。

    背の低い白壁の築地塀の先には借景として大濠公園の池が見えます。池で遊ぶ人の声や湖面のボートが人の気配を感じさせます。

  • 公演を出て通りからタクシーに乗ってホテルに戻りました。荷物をピックアップして博多駅から地下鉄で福岡空港に向かいます。コロナ禍で溜まったままになっていたマイレージがようやく使えました。ANAのカウンターで手続きで身軽になるとお腹が空いてきました。

    公演を出て通りからタクシーに乗ってホテルに戻りました。荷物をピックアップして博多駅から地下鉄で福岡空港に向かいます。コロナ禍で溜まったままになっていたマイレージがようやく使えました。ANAのカウンターで手続きで身軽になるとお腹が空いてきました。

  • 前の晩は疲れてしまって中州の屋台まで出かける元気がなかったので、「玉龍」というラーメン屋さんに入りました。

    前の晩は疲れてしまって中州の屋台まで出かける元気がなかったので、「玉龍」というラーメン屋さんに入りました。

    屋台ラーメン 玉龍 グルメ・レストラン

  • 店内に置かれたディスプレイのラーメンの麵が龍の形になっています。

    店内に置かれたディスプレイのラーメンの麵が龍の形になっています。

  • 最後の食事は博多ラーメンです。まずは生ビールで乾杯です。

    最後の食事は博多ラーメンです。まずは生ビールで乾杯です。

  • 久しぶりに食べた博多ラーメンは美味しかったです。あっという間にぺろりと食べてしまいました。

    久しぶりに食べた博多ラーメンは美味しかったです。あっという間にぺろりと食べてしまいました。

  • お昼が軽かったので、追加で明太子ご飯と替え玉を注文しました。これもぺろりと食べてしまいました。

    お昼が軽かったので、追加で明太子ご飯と替え玉を注文しました。これもぺろりと食べてしまいました。

  • 福岡から羽田に戻り、リムジンバスで池袋まで移動すると友人が迎えに来てくれていて、あっという間に家に着きました。翌日は洗濯大会が始まり、数日後に始まる秋田の旅の予定の確認と準備が始まります。

    福岡から羽田に戻り、リムジンバスで池袋まで移動すると友人が迎えに来てくれていて、あっという間に家に着きました。翌日は洗濯大会が始まり、数日後に始まる秋田の旅の予定の確認と準備が始まります。

    福岡空港 空港

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