2022/11/04 - 2022/11/04
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Decoさん
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久しぶりに植木温泉を訪れ、あわせて西南戦争の激戦地・田原坂を訪問してみました。
(2023/01/28)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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久しぶりに植木温泉を訪れてみました。
隣町に住むDeco叔母をピックアップ。植木温泉で初めて開業した(=温泉を掘り当てた)旅館松乃湯を目指します。
植木温泉、荒木観光ホテルが休業、ややの湯が大浴場を中止して部屋のお風呂のみにして、共通回数券が使えるのが四軒になりました。今回はまだ行ったことのない松乃湯を考えていましたが、残念ながら宿泊の都合で立ち寄り湯が中止に…。植木温泉観光旅館組合のサイトでは営業になっていたのですが。でも旅館は宿泊がメインだから仕方ありませんね。
(写真は合志川の対岸より撮影)植木温泉 温泉
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そこで訪れたのが、合志川を挟んですぐ近くにある旅館平山。
ここは別の旅行記で取り上げたので簡潔に紹介。
九州の温泉ファンの間では熊本北部屈指の名湯として知られています。
こちらは立ち寄り湯OK。旅館 平山 宿・ホテル
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フロントでは温泉水も販売。
九州温泉道八十八湯めぐりに指定されている施設でもあります。 -
ロビーにあった置物。
小規模で家庭的な雰囲気です。 -
ヌルトロのお湯を楽しみ、薬師如来をお参りして、植木温泉を後にします。
ちなみに、植木温泉観光旅館組合の回数券、6枚で2000円。一枚あたり333円。このインフレのご時世、激安です。 -
植木温泉から車を走らせ、田原坂へ。
麓からゆるく細い坂道を上ると一の坂公園です。駐車場と説明板のみがあります。 -
一の坂から下を見ます。
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こちらは上の方。
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一の坂公園にあった説明板です。
車で上ってみると、そこそこの勾配ではありますが、決して険しい山道というわけではありません。
しかし西南戦争当時、熊本まで大砲を引いて行ける道はここしかなかったそうです。現在の国道208(玉名から植木方面へ抜ける)や天水へ抜ける有明海沿岸道路のあたりには広い道はなかったということでしょうか。
確かにゆるめの坂ではありますが、大砲を引いて上がるとなると大変だったと思います。それに確かに周囲から攻撃を受けやすい地形でもあります。
ここが激戦の舞台だったのですね。 -
続いて二の坂へ。こちらは駐車場などはなく道路の途中です。
この写真は下の一の坂方面を撮影。 -
二の坂から上の方を撮影。
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二の坂付近には二つの慰霊碑があります。
一つは「西南の役戦没者慰霊碑」。
古い碑のようですが、お花などが供えられています。 -
もう一つは谷村計介の碑。こらもお花が供えられています。
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古くなっていますが、説明がありました。
明治5年、徴兵により熊本鎮台に入隊(20歳頃)。同7年佐賀の乱で戦功をあげ、明治10年西南の役で田原坂にて戦死。
幕末から明治初めにかけて、国内では多くの戦いがありました。谷村計介のような若い命も多く失われたのでしょうね。 -
このあたりは山の斜面に位置し、のどかなみかん畑が見えます。下の景色からどのような地形か、想像していただけるのではないかと思います。
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谷村計介の碑のすぐ先には三の坂の表示があります。二の坂からはさほど離れていません。この先、田原坂公園はもうすぐです。
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長い田原坂を上がり、田原坂公園へ。入口あたりに駐車場らしきスペースがあります。
史跡田原坂 名所・史跡
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田原坂古戦場の説明。両軍併せて四千人の死者。西南戦争は明治維新後の旧士族が蜂起が幾つか起こった中で最大の戦争でしたが、ここはその中でも最大の激戦地だったのですね。
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自然道の説明ですが…田原坂の戦いの当時、七日間を通じてみぞれ雨の連続だったそうです。
雨は降る降る 人馬は濡れる
この歌の光景がイメージされます。戦はつらく悲しいものですが、寒い雨の中、両軍ともさらにつらい戦を強いられたのでしょう。 -
その先、小高い公園になっています。
田原坂公園 公園・植物園
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美少年の碑、特にモデルはなく、戦に出た若い兵すべてを念頭にしたとされています(モデルがあるとの説もあり)。
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奥には田原坂崇烈碑があります。
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説明板が倒れていましたが…官軍側から田原坂の戦いについての見解が述べられているそうです。ここで官軍が破れていたら、薩軍は南関(現在の玉名郡南関町、福岡県との県境)まで達し、全国各地の不平士族がさらに反乱を起こしたかも知れない…ということです。
確かにまだ歴史の浅い明治政府にとって、士族の反乱が続発したら対応できなくなったのかも知れません。 -
遠景を撮影してみます。
こちらは多分、玉名方面。小岱山でしょうか? -
イチオシ
こちらは多分、熊本市中心部方面。奥に見える山は金峰山?
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公園の一画に田原坂附近之戦略図の碑がありました。
ちょっとわかりにくいのですが、右下が玉名方面、左上が熊本方面、上が南方向の地図です。右下から田原坂を上って中央の公園に来たことになります。この山の斜面に沿って両軍が陣地を築いたことがわかります。 -
美少年の碑のあたりの左手には茶屋や土産物屋があったのですが、閉鎖されているようです。十年程前に訪れたときは開いていたのですが。ちょっと寂しいですね。派手な観光地ではありませんが、人もそこそこ訪れる史跡。一休みできて食事もできるような店が復活してくれると嬉しいのですが。
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茶屋の先には高い慰霊碑があります。
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西南の役戦没者慰霊之碑。
説明文によれば、旧植木町が戦没者の名簿を編纂して碑に記してあるようです。大変な作業だったことでしょうね。
この説明が平成8年と記してあるので、この年に碑も建立されたのでしょうか。 -
その先には薩摩塚。戦国時代の戦死者を葬ったとのことですが、西南の役の戦死者も合葬されているとのこと。元は旧植木町の中心部にあったようですが、道路建設のため田原坂公園の一画に移されたそうです。
この裏手に田原坂西南戦争資料館が見えますが、いったん車に戻ります。 -
茶屋~慰霊碑の前の斜面にはツツジらしき植栽があります。
田原坂公園、桜や梅の季節が美しいそうです。ツツジ(?)も含めて訪れるなら春先が良いかも知れません。 -
続いてほんのわずかな距離ですが、資料館横の広い駐車場へ移動。
先ほどの公園入口付近で車を停めたのは旧駐車場。こちらが現在のメインになっています。
正面の坂道を上り田原坂戦争資料館へ。 -
坂の手前に説明板があります。
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説明板の年表部分。
これを見ると、田原坂の戦いが分岐点になったように思えます。
薩軍は肥後に北上、熊本城を包囲するも落とせず、官軍を迎え撃った田原坂の戦いで敗れ、官軍は熊本へ到達。以後、薩軍は後退していきます。
薩軍の挙兵が明治10年2月。田原坂の戦いが3月3~20日、西郷隆盛らの戦死と終結が9月24日。約8か月の戦いでしたが、薩軍に勢いがあったのは最初の1~2か月だったようです。
拙旅行記で度々取り上げている三池炭鉱。明治6年の官営化以来囚人労働が行われていましたが、西南戦争の薩軍北上を受けて、社員はいったん退避。囚人労働も中止されます。玉名付近を過ぎれば、次は南関や三池(大牟田)。当時は危機感も強かったと思います。
また、西南戦争などの士族の反乱で大量に囚人が出て、それがきっかけで集治監制度(国管轄の刑務所)ができました。三池集治監もその一つです(ただし、三池に収容されたのは、反乱で罪を負った士族だったという説と、そうでないという説と両方あります)。 -
西南戦争資料館です。御覧の通りまだ新しい建物。私は10年程前にも資料館を訪れたことがありますが、このときは古い建物だったような記憶が…建て替わったのでしょうか。
ご覧のように丘の頂付近にあり、公園に隣接して眺めの良い場所です。
料金は300円。展示もしっかりしたもので、良心的な入館料です。
尚、内部の展示は写真撮影可ですが、ネットでの公開は熊本市の許可が必要とのことで、今回は外観のみ留めます。
展示で印象に残ったのは、薩軍と官軍の装備の差。官軍の方が服装一つとっても近代的で、物資の補給も確実に行われています。また銃器も官軍の方が多くしかも新しい。どう見ても官軍が有利。薩軍が粘れば全国の不平士族が蜂起するという観測もあったようですが、明治政府による近代化への流れは止めることはできなかったと思います。熊本市田原坂西南戦争資料館 美術館・博物館
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内部は撮影不可ですが、入口付近は無料スペースなので一枚だけ。
簡単な休憩もできます。飲食は不可だったと思いますが、パンフレットや簡単な展示もあって、ここだけでも立ち寄っても良いかと思います。
明治初期は司法、行政、教育、経済、通信、身分制度その他、あらゆるものが大きく切り替わった時代。その時代に生きた人々は言葉では言い表せない苦労があり、不満を持った人も多かったはず。
明治初期に起こった数々の士族の反乱。最後、薩摩の西郷隆盛を頭にして西南戦争が起きます。最大にして最後の反乱。これ以降、明治政府の基盤は固まり、良くも悪くも富国強兵を掲げて日本は近代化を邁進します。
しかし、その富国強兵の中で苦しみ亡くなった人々も多かったのです。女工哀史、私が旅行記で度々取り上げている三池炭鉱の囚人労働もその一つです。 -
資料館の前はこのような展望台になっています。
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イチオシ
田原坂公園に隣接しているので眺めはほぼ同じですが、展望台は空中にせり出しているような感じなので、こころなしかさらに眺望度がアップしているように感じます。
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最後に資料館のすぐ側の「弾痕の家」を訪れます。
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西南戦争で被災した土蔵を復元してものです。
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イチオシ
復元建築物ですが、弾痕の跡はリアルです。
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説明板です。田原坂の激戦が日赤…敵味方関係なく救護し看護する…の創立のきっかけになりました。西洋での赤十字の活動が伝わってのことだったのかも知れませんが、それだけ悲惨な戦だったのでしょう。
内部は日赤についての展示になっていました。小さいスペースでしたが、良い展示でした。
これにて田原坂公園を後にします。 -
田原坂の坂を下りたところで、Deco家族とDeco叔母が一軒のお店に興味を示します。田原坂万十。Deco叔母は特に饅頭系が好きなようです。
ご覧のようにシンプルな店舗。田原坂万十 グルメ・レストラン
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野菜果物を販売する小さな直売店ですが…
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店の奥には饅頭のお値段が。
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ご覧のようにかなりのジャンボサイズ。これならお安いですね。二人して大人買い…。
田原坂万十、シンプルで小さな店舗ですが、お客さんは絶え間なく来店して皆饅頭を購入…隠れた人気店のようです。 -
最後に訪れるのは、田原坂からもほど近い、国道208号沿いのコノカフェ。ここは玉東町ですが、昔からの地名は木葉(このは)。ここから店名が採られているのだと思います。木葉も西南戦争の激戦地。史跡もいろいろあるようです。
ごはん大盛り無料…ガッツリ系カフェでしょうか?コノカフェ グルメ・レストラン
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店内はお洒落で清潔感溢れる雰囲気。お値段もお手頃です。
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店内ではオーガニックのコーヒーも販売。
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自家栽培のお米を使っているそうで…オーガニックカフェです。
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この日は日替わりランチのカツカレー(ドリンク付き)で1150円。
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スパイシートマトパスタのランチ。酸味の効いた爽やかな味わいでした。確か920円だったと思います。
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両方のランチにはサラダとスープ付き
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もう一品、単品でピザをとります。確かトマトとバジルのピザ…だったように思います(正式名称は失念…)。780円くらいだったかと。
アツアツで美味しかったです! -
日替わりはドリンク付きですが、前回利用時にもらったドリンク券を2枚使用して三人ともドリンク付きにします。
アイスコーヒーにしましたが、氷もコーヒーを凍らせたものでした。
コノCAFE、オーガニックカフェですが、ボリュームもあってお腹いっぱいに。ヘルシー系、ガッツリ系、どちらにも対応可のお洒落でリーズナブルなカフェでした。
これにて植木温泉と田原坂の日帰りの旅は終了、叔母を送り届けて帰宅しました。 -
イチオシ
ついでに…前回(10月)に利用したときの日替わりランチ(焼きカレー)です。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- mistralさん 2023/06/24 19:17:51
- 田原坂の激戦地。
- Decoさん
mistralと申します。
隠れキリシタンの旅行記にご投票いただきましてありがとうございました。
田原坂の旅行記、拝見しました。
随分前になりますが、夫のかつての実家が出水市、高尾野にありまして
そこから熊本までレンタカーで走り、田原坂まで行ってみました。
当時と現在では、幾分様子が違っているようでしたが、それでも
西郷軍が臨んだ最後の激戦地、ということで
建物に残された砲弾跡の凄まじさなど、いまだに印象に残っております。
現在はずいぶん整備されたようですね。
おしゃれなカフェもできているようですね。
最近熊本空港に降りたったんですが、市内は素通りでそのまま天草に
向かってしまいました。
機会がありましたら、また熊本を走ってみたく思いました。
mistral
- Decoさん からの返信 2023/06/25 06:36:44
- Re: 田原坂の激戦地。
- misitralさん
はじめまして。こちらこそご訪問いただき、投票もいただいて、ありがとうございます。
田原坂は、道路がすぐ近くを通っていますが、昔は周囲に道がなく、随分今とは違う風景だったのだと思います。
みぞれまじりの雨の中、激戦が行われたようです。資料館の写真などで見ても、かなり激しかったのだと実感しました。
実は、十数年前にも田原坂を訪れましたが、当時と資料館が建て替わっていたようできれいになってびっくり! 駐車場も整備されていました。
カフェは、意外にもリーズナブルなお値段で、しかも店内はきれいで料理も美味しくて…リピートしています(#^.^#)
また、機会があったら熊本に是非おいでくださいね。
mistralさんの隠れキリシタンの旅行記、昔、遠藤周作記念館に行ったことがあって、拝見して懐かしく思い出しました。
Deco
-
- フォートラベルユーザーさん 2023/01/30 08:42:29
- 田原坂…
- おはようございます!Decoさん!!
お写真を拝見するに、
大変のどかな、美しい所、
しかし、
西南戦争の
激戦地だった場所なんですね、
勝てば、官軍。
となり得たかもしれない、西郷隆盛。
両軍で4,000人もの命を散らしたなんて、
なんとか争いを止めることができなかったのか、
と、思ってしまいますよ、
今は平和を愛する国になり、良かった…
それにしても、
あのお饅頭、素晴らしい(笑)
箱ごと買って冷凍しときたいですわね(ФωФ)ムフフ
カフェのお食事も、お洒落で美味しそう!!
お邪魔したいです~
ありがとうございました!!
コトラマダム
- Decoさん からの返信 2023/01/31 15:56:52
- Re: 田原坂…
- マダム、こんにちは。
返信が遅くなり失礼致しました。
田原坂、今はごく普通の緑豊かな小山なのですが、大激戦地で当時は大変だったことでしょう。田原坂だけでなく、玉名近郊や周辺の地域でも戦闘があって、熊本から筑後地区あたりまで、当時の人々は相当動揺したと思います。
明治維新は日本の歴史の中でも一大転換点で、当然軋轢もあったと思います。戊辰戦争、西南戦争をはじめとする士族の蜂起。話し合いで済めばと思いますが、そいういう状況でもなかったのでしょうね。
田原坂の饅頭は大人気で、あのシブいお店にお客さんが絶えることがなくて、しかも皆饅頭を大人買いしていました…。
コノ・カフェは、カフェのお洒落さもありますが、価格的にはリーズナブルで来やすくて入りやすいお店を目指しているのかな、と思います。食材にもこだわっていて、多分これからもリピートすると思います。
今回の旅行記、我ながら後から見直して、きれいな写真があるわけでもなく、今一つだったかな~と思いますが、コメントをいただいきありがとうございました。田原坂は桜や梅、ツツジもあるようなので、春ごろまた再訪してみたいと思いました。
Deco
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