2022/06/05 - 2022/06/05
21位(同エリア193件中)
Decoさん
この旅行記スケジュールを元に
玉名市の天水地区、草枕温泉を訪れた際、小津安二郎監督の名画や「男はつらいよ」の御前様などに出演された笠智衆さんの生家のお寺を訪ねてみました。
あわせて、草枕温泉に飾られている笠さん出演の映画の看板も紹介したいと思います。
小さな旅行記ですが、ご覧いただければ幸いです。
(2022-07-15)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
-
旅行記の始まりは、草枕温泉てんすいからの雲仙の眺め。
何度も撮影しているポイントですが、本日は島原の町もくっきりと見えていますが、雲で普賢岳付近は隠れており、別の山のように見えます。草枕温泉てんすい 温泉
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草枕温泉入口の横に飾られている看板です。ここ玉名市の旧天水町の観光の柱はもちろん、夏目漱石の「草枕」ですが、地元出身の笠智衆さんも大切な存在です。
今の私たちには朴訥な日本のおじいちゃん、寅さん(男はつらいよ)の御前様のイメージがありますが、右端の若い頃の写真、若い頃はシュッとして、なかなかの男前です。 -
草枕温泉のホール、今は物販コーナーですが、笠智衆さんや草枕関係の展示も充実しています。
草枕温泉展示ホール 美術館・博物館
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年表などもありますが…写真に写っている山田洋二監督が若い!
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草枕温泉には、中庭やホールに何枚かの笠さん出演映画の看板が飾ってあります。
こちらは中庭の「東京物語」(1953年)。
いうまでもなく、小津安二郎監督、というより日本映画の代表的な名作です。
尾道在住の笠智衆・東山千栄子の老夫婦が東京の娘たちを訪ねますが、あまり歓待されず、かえって原節子演じる戦死した息子の嫁に優しくされる…という映画でした。 -
ホールに飾られている「麦秋」の看板。笠さんは、初老の植物学者(原節子の父親)役で出演。
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中庭に戻ります。これまた日本映画を代表する木下惠介監督の「二十四の瞳」。
この頃日本映画は専属制度があり、例外を除いて所属の映画会社の映画に出演することになっていました。笠さんは松竹の所属。それで同社の監督だった小津監督の作品が多いのですが、木下監督も松竹でした。 -
時代は下り、1969年の「男はつらいよ」。笠さんは柴又帝釈天の御前様として長きに渡りシリーズに出演しました。
「寅っ!」と怒りながらも愛情を感じさせる笠さんのセリフ、懐かしですね。
日本映画は1958年に最盛期を迎え、その後はテレビの台頭で下り坂。松竹も厳しかったそうですが、会社を救ったのがこの「男はつらいよ」シリーズだったといいます。
「男はつらいよ」は1969~1995年まで作られました。山田監督は50作まで作り、ラストのマドンナは黒柳徹子さんの予定だったとか…しかし渥美清さんが亡くなり、48作で幕を閉じます。その後特別編と後日譚の二編が作られました。
笠さんは第45作「サラダ記念日」まで出演、同作が遺作となりました。
ところで「男はつらいよ」にはテレビ版があったことを、皆さまはご存知でしょうか。1968年の放映で、最終回に寅さんは奄美でハブに噛まれて亡くなります。この最終回に「なぜ寅さんを死なせたんだ!」と非難が殺到。これを受けて映画が作られたそうです。尚、テレビ版や初期の映画版には故森崎東監督も深くかかわっており、初期のワイルドな寅さんには森崎テイストが影響しているようです。 -
笠智衆といえば、小津映画に男はつらいよのイメージがありますが、黒澤明監督の作品にも三作出演しています(「悪い奴ほどよく眠る」「赤ひげ」「夢」)。
1990年のオムニバス作品「夢」では、ラストのエピソードの老人を演じています。ブータンの民族衣装を思わせるような服をまとったのが印象的でした。
それにしても、日本映画の名作「東京物語」「二十四の瞳」「赤ひげ」に出演されて、凄い俳優さんでした。
余談ですが、この衣装、宮崎駿監督の「もののけ姫」のアシタカの服に似ているように思います。宮崎監督は照葉樹林文化論(ブータン付近から西日本にかけては照葉樹林が広がり、共通した文化があるという学説)を取り入れて「もののけ姫」を作ったらしいのですが、黒澤監督も同学説に興味があったのでしょうか…。 -
草枕温泉から国道501号に降りて玉名方面へ向かうと「笠智衆の生誕寺」という看板があります。笠さんの写真に惹かれて…行ってみましょう。
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集落の細い道を進み、坂道を上って小高い丘へ。門の側に車を停めます。海月山来照寺。浄土真宗のお寺です。
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俳優 笠智衆 生誕寺の看板が見えます。
笠智衆(1904~1993)。長い下積みの時代を経て、小津安二郎監督に見出され、東京物語など数々の名画で主要な役を務め、日本を代表する俳優の一人になります。黒沢明監督の作品にも何度か出演しています。
また、山田洋二(&森崎東)監督の「男はつらいよ」シリーズで葛飾柴又・帝釈天の御前様でも有名です。
笠さんは、ここ玉名市天水の出身、お寺を継ぐのが嫌で高校卒業後に東洋大学に進学、松竹蒲田の第一回研究生に合格。父の死で一度は天水に戻り、来照寺の住職になりますが、お兄さんに替わってもらい、俳優に復帰します。現在のご住職は、このお兄さんのお孫さんにあたるそうです。
笠さん、中学(旧制)は現在の玉名高校。私は筑後在住なので詳細は知りませんが、熊本の親戚や知人に聞くと、玉名高校は熊本北部の進学校なのだそうです。勉学もよくできたのでしょうね(ちなみに「いだてん」の金栗四三さんも玉名高校出身です)。来照寺 寺・神社・教会
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こちらが本堂。質朴ながらも骨太な建物。
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本堂の右手にある鐘楼です。
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境内の小高い場所にある真新しい立派な建物。公式サイトによると、こちらは納骨堂ということです。
なんでも、カードキーで入退堂でき、中にはソファのある休憩室(?)もあるとか。 -
お寺に隣接して神社がありました。昔は神仏習合だったのでしょうか?
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境内には何枚かの映画の看板がありました。玉名市の絵師の方が描かれたそうです。草枕温泉の看板と同じ方が描かれたように見えました。
稲垣浩監督の「無法松の一生」。何度か映画化されていますが、笠さんは1958年版に出演されています。
北九州・小倉の暴れ者の車夫、富島松五郎(通称・無法松)はふとしたことで、陸軍大尉・吉岡小太郎の息子を助け、これが縁で吉岡家に関わるようになりますが、吉岡大尉は急死、無法松は吉岡母子に献身的に尽くします。笠さん芝居小屋で暴れた松五郎を諭す結城組の親分役で出演。
無法松の一生、戦前に作られた坂東妻三郎主演のものが評価が高いのですが、こちらの三船敏郎版もベネチア映画祭サンマルコ金獅子賞=グランプリ受賞の名作です。 -
こちらは山田洋二監督の「家族」。この映画と「男はつらいよ」シリーズで、山田監督は名監督としての地位を確立したと思います。
「家族」は1970年の作品。井川比佐志・倍賞千恵子夫婦の家族は、職場の炭鉱に陰り見える長崎伊王島から新天地・北海道の開拓村を目指して旅立ちます。笠さんは、夫婦父親役で共に旅立ちます(現実の、日鉄伊王島炭鉱は1972年に閉山)。
一家は、北九州、広島県福山市、大阪の万博、東京、青函連絡船で北海道へ。高度成長期の日本を描きます。途中、一家は幼い子を亡くしたり、悲しい思いもしますがようやく到着。笠さん演じる父親は中標津で地元の人々に温かく迎えられ、上機嫌で炭坑節を歌った翌日に亡くなるというストーリーでした。
この看板、倍賞千恵子さんとの場面ですが…以前ラジオで倍償さんが笠さんについて「人間がきれい」と言われていたことを思い出します。人格がきれいなので、その佇まいや動きもきれい…だと仰っていたように記憶しています。それが映画の笠さんの姿…真面目で実直で誠実で、人としての嫌らしさがない姿と重なって、妙に納得した記憶がります。
看板を通じて笠智衆さんの出演作を振り返ると、笠さんの俳優人生は紛れもなく日本映画の歴史そのものであり、戦後復興期~高度成長記~エネルギー革命~バブルとその崩壊という日本の歴史を表していると思います。 -
イチオシ
来照寺には笠さんの記念碑があるということで探すと…門の手前にありました。車は門のすぐ先に停めたので、来た時には気が付きませんでした。
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近づいてみます。簡素で上品な碑。
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記念碑の後ろには「Actor Chishu Ryu]と記されてありました。
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イチオシ
先ほどの納骨堂の先からは、みかん畑の先に天水町の風景、遠くに有明海も見えます。
寅さんシリーズの第6作「男はつらいよ純情編」で、若尾文子さんのマドンナ夕子さんが江戸川の土手を歩きながら「寅さんはこういう風景を見て育ったのね」と寅さんに語りかけますが、私はこのシーンが大好きなのです。
名優・笠智衆さんは、朝な夕なに、この風景を見て育ったのでしょうね。
来照寺の公式サイトで見ると、笠さんは帰省するとき、実家に気を遣わせまいと、連絡せずにふらっと帰ってこられたそうです。そんな飾り気がなく優しい笠さんの人柄はこの風景の中で育まれたのかも知れません。 -
帰りに味千ラーメン天水店で食事をしました。
味仙ラーメンは全国展開、海外展開も行っているチェーンですが、熊本が本拠地。いわゆる熊本ラーメンとされます。
フランチャイズですが、メニューに関しては各店の自由度が高いと聞いたことがあります。
さて、天水店、御覧のようにシブい外観。Deco家は約20年、草枕温泉に通っていますが、当初から天水店はあって、外観も変わっていないように思います。
Deco家はうどん派で、ラーメン屋さんに行くことは、以前は殆どありませんでした。ここ数年はラーメンも楽しむようになって、こちらも初訪問です。味千ラーメン 天水店 グルメ・レストラン
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お店の中に入ります。入口から左側が厨房、中央がテーブル席、右側がフローリングの座卓の席になります。
写真はテーブル席から座卓席を撮影したもの。奥に子供用の椅子も見えます。ファミリー客も多いのでしょうか。 -
味仙ラーメンは、ラーメン以外にもいろんなメニューがあるようです。
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ガッツリ食べたい人にはセットメニューもありました。セットにはこの他アジフライ&ご飯もあって、Deco家族はこちらに興味を示して今した。
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たのんだのは、「ラーメン+海鮮チャーハンのハーフサイズ」。1040円でした。
海鮮チャーハンは天水店の人気メニューとのことです。ぷりぷりのエビやイカがはいっていて美味しかったです。
ラーメンは豚骨ですが、キツさはなくて、食べやすい感じでした。 -
ギョウザ(400円)はしっかり味がついていて、タレなしでも美味しくいただきました。
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食事後、久しぶりに尾田の丸池(尾田川公園)へ。水を汲みに立ち寄ります。ここも旧天水町エリアです。
以前訪れた時の旅行記はこちらです。
https://4travel.jp/travelogue/11698416名水の里 尾田川公園 公園・植物園
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水汲み場から少し東側に向かいます。以前の旅行記では横を通り過ぎただけで撮影しませんでしたが、こちらにも「平成の銘水百選」の碑があります。
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親水公園風に整備されています。
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尾田の丸池の説明です。一日に約600トンの水が湧き出ていて…江戸時代は殺生禁止の池だったそうです。
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金網に囲まれた一角があります。
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金網の隙間から撮影。こちらが水が湧き出る水源のようです。
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ここから尾田川が始まるようです。
この後、帰宅致しました。
今回は、名優・笠智衆さんのご実家のお寺を中心に、玉名市の旧天水町エリアを廻ってみました。
最後まで御覧いただきありがとうございました。名水の里 尾田川公園 公園・植物園
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この旅行記へのコメント (14)
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- Reiseさん 2022/07/31 12:02:18
- 笠さん、懐かしいです。そして渥美清さんの切ない思い出。
- Decoさん
こんにちは!
笠さん、とても懐かしいです。お寺の御出身だったのですね。どおりで、私の記憶にあるドラマに出てくる笠さん、僧の役どころが多くて、今も凛としたお姿が目に浮かびます。正しいことを諭す笠さんが大好きでした。
今のドラマには居ない人ですよね~。
と、同時に渥美清さんの思い出があります。学生時代、お寺でアルバイトをしていたとき渥美清さんが来られ、上司が今ならサインと握手をしてもらえるから行っておいで~と言ってくれたので、走ってお願いに行きましたら、渥美清さん「今はプライベートな時間だからしません」と冷静に言われました。当時若い私はフウテンの寅さんのイメージで渥美清さんはとてもフレンドリーでコミカルな方というイメージだったのですが、
そこでの渥美清さんは笑顔はなく、厳粛なイメージで、臆病な私は凍りついてしまい
ました。俳優の顔ではないのですよね、あたりまえですが。
今、考えると、当然ですよね、プライベートでお寺を訪ねているのに、それを若い学生のミーハーなお願いは相当うざいです。。あとから、渥美清さんは信仰の篤い方だと知りました。そんな時間を邪魔したのだなぁ~と今は反省しきり。
軽く、上司の勧めなど、聞かなければ良かった~とちょっと苦い思い出なんです。
渥美清さんって、真面目でまっすぐで、嘘のない方なんだなぁ~と今も思います。
でも、お話できただけでも、良い思い出ですよね。もう40年も前の出来事でした。
ちょっぴり、恥ずかしい思い出でもあります。笑
明日からは8月です。
どうかこの爆発的なコロナ感染の中、無事に過ごされますように!!
できるだけの感染対策をして、旅を楽しみましょう、できるだけ。
いつもありがとうございます。
- Decoさん からの返信 2022/07/31 19:16:32
- Re: 笠さん、懐かしいです。そして渥美清さんの切ない思い出。
- Reiseさん、こんばんは。
私は寅さんが大好きで、渥美さんにも興味を持って、渥美さんと親しかったライターが書いた評伝を読んだことがあります。
あの寅さんのイメージとは正反対。かなり難しい人物で、陰影に富んだ人柄だったようです。決して明るいとかフレンドリーなどとは言えず、むしろ陰があり、とっつきにく人だったようです。だから、Reiseさんのお話をうかがて、なるほど、と思いました。
渥美さんは若い頃結核になって、相当苦しい思いをしたり、また戦後間もないことは実際にテキ屋をやったこともあったそうで、その人生経験も影響しているのかも知れません。今寅さんと渥美さんの演技を考えると、単に面白いだけでなくて、人生の苦さや哀しさなども併せて表現していて、本来の複雑な性格が演技にも出ていたのかも、とも思います。
渥美さんは公私を徹底して分ける人で、自分の私生活は表に見せなかったそうです。それは寅さんのイメージを壊さないようにすることもあったかも知れません。渥美さんの息子さんは文化放送に勤めていたそうですが、渥美さんが用事があって職場を訪れて、息子さんの同僚は、彼が「渥美清の息子」であることを初めて知ったそうです。それほどまでに公私を徹底して分けていたのですね。
俳優や芸能人の人たちにもいろんなタイプがいると思います。フレンドリーな人も多いと思いますが…Reiseさんはショックだったでしょうね。でも、国民的俳優の渥美清の素顔にふれたことは、非常に貴重で、滅多にできない経験だったと思います。あの人柄こそが、彼の演技の源だったのでしょうから。
Reiseさんの思い出のお話、寅さんファンの私にもとても貴重なお話でした。ありがとうございます。
Deco
- Reiseさん からの返信 2022/08/01 07:15:59
- 渥美清さんについて深いお人柄を知りました。ありがとうございます。
- Decoさん
おはようございます。
私の若い、いや苦い思い出にお付き合いいただいてありがとうございます。
Decoさんのお話を伺ったら、やはり様々な経験をされて、あの寅さんの演技に結びついていることがわかりました。関西でも古参の吉本の芸人さんたちも、修羅場をくぐり抜け、それでも私達を笑わせてくれる、そんな芸人さんもいました。
渥美さんのお人柄が一層理解できました。
ありがとうございます。(^^)
そして、またひとつ、サイン握手というと、思い出がありました。
高校生のころ、遠足で訪れた場所に、京塚正子さん(Decoさんはご存知ないかも、、、。)中村勘九郎さん(いまの中村勘九郎さんのお父さんです)そして
大竹しのぶさん、、、この三人が撮影をされていて、ちょうど休憩中のとき、
私達高校生がもう興奮しまくり、その中でも京塚正子さんが日本史の先生にそっくりだったものですから、一緒に写真撮影させていただき、(先生はかなり遠慮がち)私達は「サインをいただけますか?」と大竹しのぶさんを囲みましたら、
あの優しく柔らかい口調で、「あなたたたちにあげると、みーんなにあげないといけなくなるから、ごめんね〜」とやんわりと、お断りになりました。
そのやりとりをみていた、中村勘九郎さんが大笑いをしていたのを覚えています。
ほんわりとした雰囲気で、取り巻きの私達高校生のうるさいこと、、、。
でも、みんな、めちゃくちゃ嬉しくて、「夢のよう、、、」と今でも話しています。
私達高校生と引率の先生の大興奮のなか、お三人もずっと笑っておられて、
休憩中なのに、なんて厚かましかったのだろう〜と今も、こちらも苦い思い出なのですが、中村勘九郎さんや京塚正子さんの笑顔は私達の脳裏に焼き付いています。
そして、大竹しのぶさんも40以上も前のことです、ものすごく若くて可愛い人で
その甘い声も今も記憶にあります。
中村勘九郎さんはその後大ファンになりました。紳士的で、どこか茶目っ気があり、立ち振る舞いが、普通の人と違う、、、と感じたのを覚えています。
引率の先生は私達を制するどころか、ちゃっかりお写真を撮ったり、挨拶を交わしていました。その先生たちも大半は亡くなりました。
こちらも思い出しては笑ってしまいます。懐かしい、思い出です。
その京塚正子さんと日本史の先生二人のショットの写真を探しましたが、見つかりませんでした。でも、今でも私の脳裏にはあります。お二人は笑っていました。
先生は今でもお持ちか、この次聞いてみようと、思います。
ついついこんな思いでも書いてしまいました。
朝から失礼しました。
今週も楽しく安全な1週間になりますように!!
Reise
- Decoさん からの返信 2022/08/01 18:51:02
- Re: 笠さん、懐かしいです。そして渥美清さんの切ない思い出。
- Reiseさん、昭和のお母さん・京塚さん、今は亡き先代勘九郎、今や大女優大竹しのぶのわかかりし頃、凄い3ショットですね。
大竹さん、その頃既に後の活躍を思わせるオーラがあったようですね。先代勘九郎、とても魅力的な役者でしたね。美男というだけでなく、なんとなく人間的な余裕、飄々とした感じがして。やっぱりそういう人としての幅みたいなものが、演技に関係してくるのでしょうね。
京塚さんにアタックした先生も、茶目っ気があって好奇心があって、良い先生だったのでしょうね。こういう先生と一緒に3ショットを経験したReiseさんが羨ましい(*^^)v
Deco
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- チーママ散歩さん 2022/07/20 12:51:22
- こんにちは
- すっかり出遅れてしまいました。
忙しい日々でございました。
お仕事も遊びも(^_-)-☆
でも 県民割も終わりましたので仕事はセーブします。
・・・・どういう事?( ´艸`)
笠智衆さん すみません..... 存じ上げず。
寅さんはバス旅ではよく帰りの時に流れるので見たはずなのですが
蛾次郎さんが強烈だったのは覚えていますが(^_-)-☆
若いころは素敵な方だったのですね。
もちろん品のあるお顔はお年をとっても上品さが漂って素敵ですね。
今 ネットで見て知りました。
味千ラーメン熊本が本拠地ですか
こちらでは見かけませんが、なぜかあのチャイナ服っぽい
女の子の絵柄に見覚えがあるような気がします。
なぜ知っているのかしら?
海外で見かけた記憶が強いのですが。
餃子が美味しそうですね。
お昼ご飯おわってお夕飯は何を?と考えていましたが
餃子に決まりです!
- Decoさん からの返信 2022/07/20 18:16:10
- Re: こんにちは
- チーママ散歩さん、こんばんは。
笠智衆さん、私の世代ではおじいさんのイメージが強いけど、俳優になろうとするくらいだから、若い頃は結構美男子だったのかなと思います。
蛾次郎さんはね、テレビ版寅さんでは、寅さんの弟役だったんですよ。だから映画でも寅さんの弟分的役回りになったのでしょうね。
味千ラーメンの女の子、創業者の方の娘さん(だったと思う)がモデルのようです。海外展開もしているので、どこか外国で御覧になったのかも知れないですね。餃子、美味しかったですよ。ラーメンも優しい豚骨スープで食べやすくて、誰でも美味しく食べられる味でした(*^^)v
Deco
-
- ポテのお散歩さん 2022/07/18 22:36:19
- 名優さん
- Decoさん こんばんは。
笠智衆さんの出演された作品は、『寅さん』しか知らないのですが
再放送か何かで観た、記念撮影の際に「バター」と言う御前様が
可愛くて大好きな俳優さんです。
セリフは少ないのに、無くてはならない存在感があり、
無言で演じられる事が凄いと感じます。
それは やはり御本人からにじみ出る「人間のきれいさ」
だったのかも知れませんね。
ポテ
- Decoさん からの返信 2022/07/19 09:23:45
- Re: 名優さん
- ポテさん、こんにちは。
バター、思い出しました! 確か第一作で御前様が「チーズ」と間違えて言っちゃうんですよね。笠さんの真面目で朴訥なキャラクターがなんとも言えない微笑ましさを感じさせました。
ポテさんが書かれたように「無くてはならない存在感があり無言で演じられる」…これが長年にわたって活躍された理由ではないかと思います。多分、ここは小津監督によって磨かれたような気もします。
その大元は、やっぱり「人間のきれいさ」。真摯で誠実で努力を惜しまない笠さんの人柄がその演技や雰囲気の根元にあるような気がします。
Deco
-
- フォートラベルユーザーさん 2022/07/16 12:02:48
- Ryu Chishu、カッコいい。
- こんにちは!Decoさん!!
正直、あまり存じ上げない、
もちろんお名前は聞いたことはあり、
珍しい名前だなぁ、と子どもの頃
思っていました。
東京物語は、大人になってから
拝見し、やはり原節子さん目当てで
見た記憶があります。
笠智衆 生誕寺、だなんて、
聖人、上人のような、感じで
地元の片方に敬愛されて、いるのですね、
お寺を継がずに大学へ進学し、
俳優になられたのですね、ご両親は複雑な心境
かもしれないけど、日本を代表する
名俳優になられたなんて、感慨深いです。
そして、熊本ラーメン、食べたい!!
ちょうどお昼時で、お腹グーグーの私です。
ありがとうございました!!
コトラマダム
- Decoさん からの返信 2022/07/16 19:08:50
- Re: Ryu Chishu、カッコいい。
- マダム、こんばんは。
生誕寺…確かに凄い表現ですね(^^ゞ
天水町、今は玉名市の一部になりましたが、かつては独立した自治体で、その歴史の中で一際輝く偉人だったと思います。日本映画全盛期の、それも小津映画の常連、寅さんの御前様、その他数々の名画やドラマに出演されていたわけですから。生前は地元の大スターだったと思います。
お寺を継がなかった件ですが、笠さんは、替わってお寺を継がれたお兄様に、生涯感謝されていたそうです。俳優になっても下積みが長かったようですが、諦めずに努力を重ねたことで、小津監督に見いだされたそうです。
味千ラーメンは、チェーン系で、あまり尖った味ではなく、マイルドで食べやすい豚骨ラーメンでした。安心して食べられるラーメンです。
Deco
-
- picotabiさん 2022/07/16 08:52:19
- まめじいさん
- Decoさん おはようございます。
笠智衆さん。北の国からに登場する、ワシは山を持ってると言い張るおじいさんを思い出し、youtubeでじいさんの「まーめー」の名演技をみてそこからさらにしばらく動画みてたら夜が明けてしまいました笑
国宝級の俳優さんですね。ご実家はお寺だったのですね。
もう少し寝ようと思います。おやすみなさい。
- Decoさん からの返信 2022/07/16 18:57:21
- Re: まめじいさん
- picotabiさん、こんばんは。
北の国から…思い出しました! 時期的には晩年の出演ですね。それに吉岡秀隆さんとも、北の国から・寅さんの両方で、共演していたのですね。息の長い俳優さんでした。
実家がお寺、今回、国道沿いに看板が出ていて、行ってみました(^^ゞ
暑い日が続きますし、どうぞご自愛くださいね。
Deco
-
- M-koku1さん 2022/07/15 21:40:32
- 笠智衆さんは味のあるいい役者さんでしたね
- Decoさん
笠智衆の東京物語は、本当に良い作品でした。
大好きでしたね。あの飄々としたたたずまいと 朴訥とした話し方。
熊本の方だったんですか。
知りませんでした。
向かい側に雲仙が見えていますね。
10月の旅行を楽しみにしています。
それまでに第7波がおさまりますように。
Mより
- Decoさん からの返信 2022/07/16 18:50:12
- Re: 笠智衆さんは味のあるいい役者さんでしたね
- M-koku1さん
東京物語、良い映画でしたね。古き良き日本人の姿、たたずまい…
笠さんは地味な役者さんでしたが、そこを突き詰めて一つの味わいを醸し出した方だったと思います。
笠さん、映画などでよく聞くと、熊本弁のイントネーションが少し残っているようにも思えます。そこもまた朴訥で誠実さを感じさせる理由の一つかも知れません。
10月の旅行、お天気に恵まれればよいですね。それにあまり暑くならないことを願っています。コロナは感染対策に気を抜かなければ、旅行も大丈夫だと思いますよ。
Deco
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