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2日め後半<br /><br />飛鳥寺から<br />ここまでほぼ順調♪<br />余裕すら感じたりしていました。が、このままで済むわけございません!?<br /><br />案の定、一番有名なはずの、天武持統天皇陵に辿り着けない(ーー;)<br />焦りました、超難関、持統さま世間的には結構厳しめの風評の中、私嫌いじゃないんだけどな~<br /><br />で、後半マキで、あわや宮内庁指定の文武天皇領を省こうか?と例によって耳元で悪魔の囁き…<br />本物(中尾山古墳)お詣りしちゃったし、いいんじゃない? しかも、ココが遠かったのです。チャリ乗り入れ出来ないはずなのに、やっと近くに行ったら、チャリ族がいっぱい(°_°) 色んなルートがあるみたい。<br /><br />最後の牽牛子塚古墳、駅の向こうなので、30分で行ってチャリ返す期限に間に合うか? 勝負の30分^o^<br /><br />後編はほぼ古代のお墓参り→古墳廻り<br />かなり写真多いですm(._.)m<br /><br />↓ 例によって、ぜひ参考に! <br />https://4travel.jp/travelogue/11710574<br />https://4travel.jp/travelogue/11709444<br />https://4travel.jp/travelogue/11672620<br /><br />↓mistralさんのブログも♪<br />https://4travel.jp/travelogue/11660214<br /><br />そいえば、不比等さまのお墓は何処?<br />

まほろばの国♪ 2日目 2

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2022/05/01 - 2022/05/01

130位(同エリア928件中)

旅行記グループ あおによし

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kumming

kummingさん

2日め後半

飛鳥寺から
ここまでほぼ順調♪
余裕すら感じたりしていました。が、このままで済むわけございません!?

案の定、一番有名なはずの、天武持統天皇陵に辿り着けない(ーー;)
焦りました、超難関、持統さま世間的には結構厳しめの風評の中、私嫌いじゃないんだけどな~

で、後半マキで、あわや宮内庁指定の文武天皇領を省こうか?と例によって耳元で悪魔の囁き…
本物(中尾山古墳)お詣りしちゃったし、いいんじゃない? しかも、ココが遠かったのです。チャリ乗り入れ出来ないはずなのに、やっと近くに行ったら、チャリ族がいっぱい(°_°) 色んなルートがあるみたい。

最後の牽牛子塚古墳、駅の向こうなので、30分で行ってチャリ返す期限に間に合うか? 勝負の30分^o^

後編はほぼ古代のお墓参り→古墳廻り
かなり写真多いですm(._.)m

↓ 例によって、ぜひ参考に! 
https://4travel.jp/travelogue/11710574
https://4travel.jp/travelogue/11709444
https://4travel.jp/travelogue/11672620

↓mistralさんのブログも♪
https://4travel.jp/travelogue/11660214

そいえば、不比等さまのお墓は何処?

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
旅行の手配内容
個別手配

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  • 飛鳥寺<br />588年蘇我馬子発願により596年創建<br />日本初の本格的寺院<br /><br />塔を中心に東西と北に金堂を配し、周囲に回廊を巡らし北側に講堂を持つ、という本格的大寺院だったが、現在は本堂を中心に観音堂、鐘楼などがある。<br /><br />門左手の<br />石柱の台石は1400年前創建時に伽藍柱下に使用されていた礎石、だそうで<br /><br />比べられると困りますが<br />https://4travel.jp/travelogue/11660214

    飛鳥寺
    588年蘇我馬子発願により596年創建
    日本初の本格的寺院

    塔を中心に東西と北に金堂を配し、周囲に回廊を巡らし北側に講堂を持つ、という本格的大寺院だったが、現在は本堂を中心に観音堂、鐘楼などがある。

    門左手の
    石柱の台石は1400年前創建時に伽藍柱下に使用されていた礎石、だそうで

    比べられると困りますが
    https://4travel.jp/travelogue/11660214

  • ちょい混んでそう? <br />なので<br />先に

    ちょい混んでそう? 
    なので
    先に

  • こちらへ

    こちらへ

  • 飛鳥寺西門跡<br /><br />飛鳥寺は588年につくり始められた日本最古の寺。塔を中心にその北と東西に三つの金堂が建っていた。北の中金堂にあった鞍作止利作といわれる飛鳥大仏地位は今もそゆるがない。西門は礎石を置いて柱を建てた瓦葺きの門。間口3間11.5m, 奥行2間5.5mの規模。門の西には塀があり、土管をつないだ上水道が埋まっていた。寺の四方に開いていた門の中では、この西門が最も大きい。寺の西に、飛鳥の檜舞台「槻(ツキ・ケヤキの古名)の木広場」があったからだ。<br />中大兄皇子と藤原鎌足はこの蹴鞠の場で出会い、645年に大化改新を成し遂げた。この時、二人は飛鳥寺に陣をかまえ、西門から甘樫丘の蘇我入鹿・蝦夷の館をにらんでいた。<br />672年の壬申の乱の時には広場を軍隊が埋め尽くした。その後は、外国使節や遠方の使者を歓迎する宴会の場となり、噴水がおかれ、歌や踊りが満ちた。<br /><br />西門はそんな飛鳥の歴史を見守ってきたのだ。

    飛鳥寺西門跡

    飛鳥寺は588年につくり始められた日本最古の寺。塔を中心にその北と東西に三つの金堂が建っていた。北の中金堂にあった鞍作止利作といわれる飛鳥大仏地位は今もそゆるがない。西門は礎石を置いて柱を建てた瓦葺きの門。間口3間11.5m, 奥行2間5.5mの規模。門の西には塀があり、土管をつないだ上水道が埋まっていた。寺の四方に開いていた門の中では、この西門が最も大きい。寺の西に、飛鳥の檜舞台「槻(ツキ・ケヤキの古名)の木広場」があったからだ。
    中大兄皇子と藤原鎌足はこの蹴鞠の場で出会い、645年に大化改新を成し遂げた。この時、二人は飛鳥寺に陣をかまえ、西門から甘樫丘の蘇我入鹿・蝦夷の館をにらんでいた。
    672年の壬申の乱の時には広場を軍隊が埋め尽くした。その後は、外国使節や遠方の使者を歓迎する宴会の場となり、噴水がおかれ、歌や踊りが満ちた。

    西門はそんな飛鳥の歴史を見守ってきたのだ。

  • 蘇我入鹿の首がココまで飛んできたとか?<br />、<br />ひとこと♪<br />定説では、蘇我氏は天皇おも凌ぐ権力を持ち権勢をほしいままにし、その専横ぶりを見かねた中大兄皇子と藤原鎌足が謀叛を起こし、誅殺した、という所謂、乙巳の変ですね。<br /><br />近年色んな発掘調査や史料研究により、蘇我氏は外交を重視し仏教による新しい政治体制を目指した、進取の気性に富んだ氏族だったという説を唱える学説もあるようです。<br /><br />後の世の藤原氏も、同じく天皇の外戚という立場をフルに活かして、皇位簒奪は目論まず、あくまでも臣下として、権勢を欲しいままにします。不比等さまがまだ史さまだった20歳の初婚のお相手は蘇我氏の女性で、当時無位無官ながらも次世代のホープとみなされていた史が、権勢衰えたとはいえ、由緒ある蘇我氏と縁者になる事は、将来を見据えた相当価値ある婚姻だったらしい。<br /><br />外交上国の正史を作る必要に迫られ、その元となった帝紀と史記は、蘇我氏所有のものが一部焼失を逃れ、渡来人の手に渡ったという説があります。そして、藤原氏は渡来人との繋がりが深く(渡来人だったという説も)、鎌足が不比等の養育を頼んだのだが渡来系の田辺史です。その道の専門家の家系。

    蘇我入鹿の首がココまで飛んできたとか?

    ひとこと♪
    定説では、蘇我氏は天皇おも凌ぐ権力を持ち権勢をほしいままにし、その専横ぶりを見かねた中大兄皇子と藤原鎌足が謀叛を起こし、誅殺した、という所謂、乙巳の変ですね。

    近年色んな発掘調査や史料研究により、蘇我氏は外交を重視し仏教による新しい政治体制を目指した、進取の気性に富んだ氏族だったという説を唱える学説もあるようです。

    後の世の藤原氏も、同じく天皇の外戚という立場をフルに活かして、皇位簒奪は目論まず、あくまでも臣下として、権勢を欲しいままにします。不比等さまがまだ史さまだった20歳の初婚のお相手は蘇我氏の女性で、当時無位無官ながらも次世代のホープとみなされていた史が、権勢衰えたとはいえ、由緒ある蘇我氏と縁者になる事は、将来を見据えた相当価値ある婚姻だったらしい。

    外交上国の正史を作る必要に迫られ、その元となった帝紀と史記は、蘇我氏所有のものが一部焼失を逃れ、渡来人の手に渡ったという説があります。そして、藤原氏は渡来人との繋がりが深く(渡来人だったという説も)、鎌足が不比等の養育を頼んだのだが渡来系の田辺史です。その道の専門家の家系。

  • ところで、日本書紀を編纂し、蘇我氏を悪者に仕立てたのはだあれ?<br />首皇子を藤原直系の天皇に育てあげるために、藤原よりの歴史的教育をするのは当然で、そのための正史が必要でした。首皇子は文武天皇と宮子の子ども、文武天皇は草壁くんの息子、草壁くんは天武天皇の息子です。草壁くんのお母さんは天智天皇の娘、持統天皇です。だから、首皇子は天智天皇と天武天皇の子孫、ですが、不比等は出来れば天武天皇の孫、ではなく、天智天皇のひ孫としての血統と、藤原家の血筋として養育したのではないか? (天武さんは蘇我系との繋がりがあった、とか)もちろん持統天皇も、夫天武ではなく、父親天智天皇の血統を引く天皇として皇統を繋げたかった。ここで不比等と持統さまの目的意識が一致して、色んな謎が解けて来ませんか?<br />不比等+持統天皇→天智天皇+藤原鎌足 最強コンビの復活、再現♪<br />さらに元明天皇(同じく父は天智天皇)+不比等→然り<br />日本書紀編纂の中で、天智天皇と鎌足の『乙巳の変』と『大化の改新』を正当化する為には、蘇我氏を悪役に仕立てる必要があったのでは?<br /><br />おことわり♪<br />このとんでも説、根拠となる書籍等の紹介はナシでm(_ _)m<br />乱脈乱読の結果行きついた我説でございます

    ところで、日本書紀を編纂し、蘇我氏を悪者に仕立てたのはだあれ?
    首皇子を藤原直系の天皇に育てあげるために、藤原よりの歴史的教育をするのは当然で、そのための正史が必要でした。首皇子は文武天皇と宮子の子ども、文武天皇は草壁くんの息子、草壁くんは天武天皇の息子です。草壁くんのお母さんは天智天皇の娘、持統天皇です。だから、首皇子は天智天皇と天武天皇の子孫、ですが、不比等は出来れば天武天皇の孫、ではなく、天智天皇のひ孫としての血統と、藤原家の血筋として養育したのではないか? (天武さんは蘇我系との繋がりがあった、とか)もちろん持統天皇も、夫天武ではなく、父親天智天皇の血統を引く天皇として皇統を繋げたかった。ここで不比等と持統さまの目的意識が一致して、色んな謎が解けて来ませんか?
    不比等+持統天皇→天智天皇+藤原鎌足 最強コンビの復活、再現♪
    さらに元明天皇(同じく父は天智天皇)+不比等→然り
    日本書紀編纂の中で、天智天皇と鎌足の『乙巳の変』と『大化の改新』を正当化する為には、蘇我氏を悪役に仕立てる必要があったのでは?

    おことわり♪
    このとんでも説、根拠となる書籍等の紹介はナシでm(_ _)m
    乱脈乱読の結果行きついた我説でございます

  • ↑<br />我流なんちゃって古代史、なので、その論拠は示せません。<br />4trの古代史スペシャリストのみなさまには眉唾モノでございましょうが、夢ゆめ鵜呑みになさる?はずもない。<br />ですが、従来「大化改新」として教わった“政治改革”と、乙巳の変は同時期になされたのか?それを同一視して語る『日本書紀』には、意図がある!?


    我流なんちゃって古代史、なので、その論拠は示せません。
    4trの古代史スペシャリストのみなさまには眉唾モノでございましょうが、夢ゆめ鵜呑みになさる?はずもない。
    ですが、従来「大化改新」として教わった“政治改革”と、乙巳の変は同時期になされたのか?それを同一視して語る『日本書紀』には、意図がある!?

  • 鐘楼<br />脇道に逸れたあとは<br /><br />世界平和のために祈りを込めて<br />一つき

    鐘楼
    脇道に逸れたあとは

    世界平和のために祈りを込めて
    一つき

  • ご本尊<br />銅造釈迦如来坐像  鞍作止利 作<br /><br />日本最高齢1400歳、ですが、国宝になれない(;o;) 重要文化財<br /><br />1196年の火災で7世紀当時の部分がほぼ残らず、ほとんどが後世の作とされていたが、近年の研究調査により見直されつつある、とか。

    ご本尊
    銅造釈迦如来坐像  鞍作止利 作

    日本最高齢1400歳、ですが、国宝になれない(;o;) 重要文化財

    1196年の火災で7世紀当時の部分がほぼ残らず、ほとんどが後世の作とされていたが、近年の研究調査により見直されつつある、とか。

  • もともとは「法興寺」<br />平城京遷都の際に「元興寺」となり、新都へ移転し、<br />主要な伽藍と本尊が残ったこの地は「元元興寺(もとがんこうじ)」と名を変えた。<br />↑<br />このあたり、梅原猛氏の著作に詳しくあります

    もともとは「法興寺」
    平城京遷都の際に「元興寺」となり、新都へ移転し、
    主要な伽藍と本尊が残ったこの地は「元元興寺(もとがんこうじ)」と名を変えた。

    このあたり、梅原猛氏の著作に詳しくあります

  • 聖徳太子<br /><br />太子16歳の時、父用明天皇の病気平癒のご祈祷をされている、尊きお姿♪<br />イケメン、いえ、眉目秀麗^o^<br /><br />親戚関係だった蘇我馬子とともに政治に仏教を取り入れ、仏教国としての道筋をつけた、他、多くの偉業、伝説に包まれた、謎多きお方。<br /><br />

    聖徳太子

    太子16歳の時、父用明天皇の病気平癒のご祈祷をされている、尊きお姿♪
    イケメン、いえ、眉目秀麗^o^

    親戚関係だった蘇我馬子とともに政治に仏教を取り入れ、仏教国としての道筋をつけた、他、多くの偉業、伝説に包まれた、謎多きお方。

  • 阿弥陀如来坐像

    阿弥陀如来坐像

  • お昼寝(-_-)zzz<br />それとも修行中、でせうか?<br /><br />中を通って出口まで

    お昼寝(-_-)zzz
    それとも修行中、でせうか?

    中を通って出口まで

  • 飛鳥宮跡 (飛鳥板蓋宮跡)<br /><br />『日本書紀』などには、推古天皇から持統天皇に至る7世紀の約100年間、歴代天皇の宮が次々と飛鳥の地に造営された事が記されている。昭和34年以来この地では主に橿原考古学研究所により外堀調査が続けられ、宮殿遺跡の様相が明らかになってきた。<br /><br />宮の中心部分は、塀で囲まれた東西約158m、南北約197mの長方形の区画(内郭)で、区画の内側では、大規模な掘立柱建物や石敷き広場などが見つかっている。ここでは内部の北東隅で見つかった建物の柱配置や井戸などを表示、復元している。<br /><br />内部を囲むようにして、建物や柱列、石組溝などの施設が営まれており、それらを外郭と呼んでいる。また、内部の東西には、エビノコ大殿と呼称される大規模な掘立柱建物を中心とする一区画がある事が明らかになっている。<br /><br />これらの遺構は、木簡や土器などの出土遺物をもとに、『日本書紀』に記された斉明天皇の「後飛鳥岡本宮」および天武・持統天皇の「飛鳥浄御原宮」であると考えられている。

    飛鳥宮跡 (飛鳥板蓋宮跡)

    『日本書紀』などには、推古天皇から持統天皇に至る7世紀の約100年間、歴代天皇の宮が次々と飛鳥の地に造営された事が記されている。昭和34年以来この地では主に橿原考古学研究所により外堀調査が続けられ、宮殿遺跡の様相が明らかになってきた。

    宮の中心部分は、塀で囲まれた東西約158m、南北約197mの長方形の区画(内郭)で、区画の内側では、大規模な掘立柱建物や石敷き広場などが見つかっている。ここでは内部の北東隅で見つかった建物の柱配置や井戸などを表示、復元している。

    内部を囲むようにして、建物や柱列、石組溝などの施設が営まれており、それらを外郭と呼んでいる。また、内部の東西には、エビノコ大殿と呼称される大規模な掘立柱建物を中心とする一区画がある事が明らかになっている。

    これらの遺構は、木簡や土器などの出土遺物をもとに、『日本書紀』に記された斉明天皇の「後飛鳥岡本宮」および天武・持統天皇の「飛鳥浄御原宮」であると考えられている。

  • 板蓋宮は、皇極天皇の宮殿で蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変の舞台。<br />皇極、斉明(皇極天皇重祚)天皇の皇居跡、伝飛鳥板蓋宮とされていたが、継続的調査により、飛鳥岡本宮(舒明天皇)、後飛鳥岡本宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統天皇)など、複数の宮が継続的に置かれていた事が判明した。

    板蓋宮は、皇極天皇の宮殿で蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変の舞台。
    皇極、斉明(皇極天皇重祚)天皇の皇居跡、伝飛鳥板蓋宮とされていたが、継続的調査により、飛鳥岡本宮(舒明天皇)、後飛鳥岡本宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統天皇)など、複数の宮が継続的に置かれていた事が判明した。

  • さて<br />町屋を通り

    さて
    町屋を通り

  • ちょっと上り↑もすす~いと^ ^<br />ママチャリ族を追い抜いてしまう、軽~いフットワーク♪<br /><br />そして<br />チャリ族大盛況♪<br />の駐輪場

    ちょっと上り↑もすす~いと^ ^
    ママチャリ族を追い抜いてしまう、軽~いフットワーク♪

    そして
    チャリ族大盛況♪
    の駐輪場

  • 絶好のチャリ日和<br />駐車場→駐車場に代替するほど?<br /><br />原っぱでは和やかなひととき

    絶好のチャリ日和
    駐車場→駐車場に代替するほど?

    原っぱでは和やかなひととき

  • 石舞台古墳

    石舞台古墳

  • 蘇我馬子の墓、ほぼ定説

    蘇我馬子の墓、ほぼ定説

  • 先日、NHK BS番組(再放送)で、どうやってこの巨大な石をこの地まで運び、組み上げたか?<br />実証実験の様子が放映されていました。いにしえ人の知恵と技術、地と汗の結晶♪<br /><br />それはまた、強大な権力を掌握していた蘇我氏のなせる技、だった、とも。

    先日、NHK BS番組(再放送)で、どうやってこの巨大な石をこの地まで運び、組み上げたか?
    実証実験の様子が放映されていました。いにしえ人の知恵と技術、地と汗の結晶♪

    それはまた、強大な権力を掌握していた蘇我氏のなせる技、だった、とも。

  • 石室内に入ってみましょ♪

    石室内に入ってみましょ♪

  • この石の組み合わせ方にもコツがあるらし(°_°)<br />大きいのが下?だったっけ

    この石の組み合わせ方にもコツがあるらし(°_°)
    大きいのが下?だったっけ

  • う~ん

    う~ん

  • 飛鳥の地に一歩足を踏み入れたら、<br />右も左も、上も下も、そこは蘇我氏所縁の地、でございました!!

    飛鳥の地に一歩足を踏み入れたら、
    右も左も、上も下も、そこは蘇我氏所縁の地、でございました!!

  • 石舞台を後に、坂道を下り<br /><br />蘇我馬子邸、たぶんこの辺だった劇場♪<br /><br />そして、後の草壁くんのお住まいだった処?<br />動画を撮ってみましたが…<br /><br />古代史スペシャリストのしにあさん説では、石舞台駐車場あたりが嶋の庄だそうです。<br />https://4travel.jp/travelogue/11709444<br /><br />https://youtu.be/uZioKvdwnL8

    石舞台を後に、坂道を下り

    蘇我馬子邸、たぶんこの辺だった劇場♪

    そして、後の草壁くんのお住まいだった処?
    動画を撮ってみましたが…

    古代史スペシャリストのしにあさん説では、石舞台駐車場あたりが嶋の庄だそうです。
    https://4travel.jp/travelogue/11709444

    https://youtu.be/uZioKvdwnL8

  • 橘寺<br /><br />↓ぜひご参考に<br />https://4travel.jp/travelogue/11697472

    橘寺

    ↓ぜひご参考に
    https://4travel.jp/travelogue/11697472

  • 当寺は聖徳太子のお生まれになった所で、当時ここには、橘の宮という欽明天皇の別宮があった。太子はその第四皇子の橘豊日命(たちばなのとよひのみこと・後の用明天皇)と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)を父母とされて、572年この地にお生まれになり、幼名を厩戸皇子(うまやどのみこ)、豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)などと申し上げた。太子は大変深く仏法をご信仰になり、自ら仏典の講義をされて、注釈を加えられたのが、三経義疏で、現在も保存されている。<br /><br />推古天皇14年に、天皇の仰せにより、勝鬘経を三日間にわたりご講讃された。その時、大きな蓮の花が庭に1mも降り積り(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるように太子に命ぜられた。

    当寺は聖徳太子のお生まれになった所で、当時ここには、橘の宮という欽明天皇の別宮があった。太子はその第四皇子の橘豊日命(たちばなのとよひのみこと・後の用明天皇)と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)を父母とされて、572年この地にお生まれになり、幼名を厩戸皇子(うまやどのみこ)、豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)などと申し上げた。太子は大変深く仏法をご信仰になり、自ら仏典の講義をされて、注釈を加えられたのが、三経義疏で、現在も保存されている。

    推古天皇14年に、天皇の仰せにより、勝鬘経を三日間にわたりご講讃された。その時、大きな蓮の花が庭に1mも降り積り(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるように太子に命ぜられた。

  • ゆかしい雰囲気<br />橘寺、名前の由来は別にあるそう<br /><br />垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えた事に由来。

    ゆかしい雰囲気
    橘寺、名前の由来は別にあるそう

    垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えた事に由来。

  • 観音堂

    観音堂

  • 如意輪観音菩薩像<br />

    如意輪観音菩薩像

  • 本堂

    本堂

  • からの

    からの

  • 黒の駒<br /><br />太子の愛馬で、空を駆け、達磨大師の化身といわれる。仏頭山麓の地蔵菩薩の傍らにその姿をとどめ、災難厄除けのお守りになっている

    黒の駒

    太子の愛馬で、空を駆け、達磨大師の化身といわれる。仏頭山麓の地蔵菩薩の傍らにその姿をとどめ、災難厄除けのお守りになっている

  • 方丈池

    方丈池

  • 新緑の季節♪

    新緑の季節♪

  • 正倉殿<br /><br />期間限定、中を拝謁できました<br />

    正倉殿

    期間限定、中を拝謁できました

  • 往生院   本尊 阿弥陀三尊<br /><br />太子の念仏精神を今日に生かさんと、念仏写経道場として、平成9年に再建、多目的道場として活用されている。<br /><br />道場内の格天井には、華の天井画が260点奉納され、華の浄土の様相を呈している。

    往生院   本尊 阿弥陀三尊

    太子の念仏精神を今日に生かさんと、念仏写経道場として、平成9年に再建、多目的道場として活用されている。

    道場内の格天井には、華の天井画が260点奉納され、華の浄土の様相を呈している。

  • 聖徳太子の生涯が描かれて

    聖徳太子の生涯が描かれて

  • 木彫りの聖徳太子さま

    木彫りの聖徳太子さま

  • 格天井には華の天井画が260点<br /><br />畳に寝そべり撮<br />さすがに出来ない

    格天井には華の天井画が260点

    畳に寝そべり撮
    さすがに出来ない

  • 五重塔跡?<br /><br />本坊の門の前に土壇がある。五重塔跡で中心には大きい珍しい形をした心礎があり、直径約90cm、深さ10cmの柱の入る孔、その円孔の三方に半円形の孔(そえ柱孔)が掘ってあり、現存すれば約38m余りの五重塔が建っていた事になる。<br /><br /><br />二面石

    五重塔跡?

    本坊の門の前に土壇がある。五重塔跡で中心には大きい珍しい形をした心礎があり、直径約90cm、深さ10cmの柱の入る孔、その円孔の三方に半円形の孔(そえ柱孔)が掘ってあり、現存すれば約38m余りの五重塔が建っていた事になる。


    二面石

  • この間、20~30分彷徨う<br />の途中で通った<br />鬼の雪隠

    この間、20~30分彷徨う
    の途中で通った
    鬼の雪隠

  • 目的地はココではありませんが<br />来ちゃった!<br /><br />欽明天皇陵

    目的地はココではありませんが
    来ちゃった!

    欽明天皇陵

  • 緑豊か、堀に囲まれた、素敵な処♪<br /><br />お墓ですが…

    緑豊か、堀に囲まれた、素敵な処♪

    お墓ですが…

  • そのすぐそば<br />傍らには<br /><br />吉備姫王陵

    そのすぐそば
    傍らには

    吉備姫王陵

  • 柵の間撮<br /><br />人面石

    柵の間撮

    人面石

  • 道行く人と相談しました。<br />どうしましょ?<br />結構皆さん、難儀されている模様<br />私だけではなかった♪<br /><br />みんなで迷えば怖くない^ ^

    道行く人と相談しました。
    どうしましょ?
    結構皆さん、難儀されている模様
    私だけではなかった♪

    みんなで迷えば怖くない^ ^

  • で、迷いに迷ってようやく着いた<br /><br />天武持統天皇陵<br />お二方についての定説は周知、なので省略<br /><br />ひとこと♪<br />天武さんって、天智天皇の娘をことごとく後宮入りさせてません?動機は兄天智への恨みとかやり返し?英雄色を好む!とは申しますが、晩年まで鎌足の娘姉妹を入境させたり(ーー;)<br />壬申の乱まで苦楽を共にしてきた持統さんとしては、娘みたいな年端も行かないぴちぴちギャルにうろうろされて、たまったもんじゃなかったでしょう(;o;)ただでさえ、加齢に伴う自らの容色の衰え、天武は最近寄り付きもしない、きい~っ(怒)

    で、迷いに迷ってようやく着いた

    天武持統天皇陵
    お二方についての定説は周知、なので省略

    ひとこと♪
    天武さんって、天智天皇の娘をことごとく後宮入りさせてません?動機は兄天智への恨みとかやり返し?英雄色を好む!とは申しますが、晩年まで鎌足の娘姉妹を入境させたり(ーー;)
    壬申の乱まで苦楽を共にしてきた持統さんとしては、娘みたいな年端も行かないぴちぴちギャルにうろうろされて、たまったもんじゃなかったでしょう(;o;)ただでさえ、加齢に伴う自らの容色の衰え、天武は最近寄り付きもしない、きい~っ(怒)

  • 『日本書紀』は天武持統天皇のお互いを慈しみ合う愛、を高らかに歌い上げていますが、真相はそんなもんじゃなかったはず。この事が後々、持統&不比等の最強コンビを生み出すきっかけの一つだったのでは?そして、天武系皇統より天智系皇統を優先する結果へと至る。もちろん草壁くんは直の息子だから別格です。<br /><br />お墓の前で、何をか言わんや(笑笑)<br /><br />口直しにぜひ↓<br />https://4travel.jp/travelogue/11710574<br />https://4travel.jp/travelogue/11709444

    『日本書紀』は天武持統天皇のお互いを慈しみ合う愛、を高らかに歌い上げていますが、真相はそんなもんじゃなかったはず。この事が後々、持統&不比等の最強コンビを生み出すきっかけの一つだったのでは?そして、天武系皇統より天智系皇統を優先する結果へと至る。もちろん草壁くんは直の息子だから別格です。

    お墓の前で、何をか言わんや(笑笑)

    口直しにぜひ↓
    https://4travel.jp/travelogue/11710574
    https://4travel.jp/travelogue/11709444

  • 持統天皇、日本初の火葬<br /><br />詳細、考察はしにあさん任せでm(_ _)m

    持統天皇、日本初の火葬

    詳細、考察はしにあさん任せでm(_ _)m

  • 周りをぐるっと廻れそう?<br />でしたが、<br />その後の予定がオシているのでm(._.)m

    周りをぐるっと廻れそう?
    でしたが、
    その後の予定がオシているのでm(._.)m

  • 国営歴史公園館、とな?<br />ちょうどキトラ古墳入口の道路隔てた位置にある。<br />キトラ古墳の駐車場おじちゃんが嘘ついた!ので遠回り(-。-;<br /><br />このような道案内が随所に♪<br />にも関わらず、行ったり来たり、迷い道(-。-;

    国営歴史公園館、とな?
    ちょうどキトラ古墳入口の道路隔てた位置にある。
    キトラ古墳の駐車場おじちゃんが嘘ついた!ので遠回り(-。-;

    このような道案内が随所に♪
    にも関わらず、行ったり来たり、迷い道(-。-;

  • チャリ侵入禁止の区域多し!<br />なので歩く

    チャリ侵入禁止の区域多し!
    なので歩く

  • 中尾山古墳  文武天皇陵<br />学者さん方のオシはここ<br /><br />ひとこと♪<br />幸薄い御方だったかも<br />藤原宮の東宮御所にも、不比等邸へ通じる裏木戸があった?!説あり<br />幼少時から不比等の娘宮子をあてがわれ~の幼児教育。<br />そして<br />あまりにも急な早逝、この危機に際して持統&不比等の繰り出した次の女帝「元明天皇」擁立に持ち出した『不改常典』 はあっぱれ♪なんたって、 かわるまじきつねののり、あらたむまじきつねののり、でございますよ~<br /><br />厳かにお詣りされたい方は↓コチラへ<br />https://4travel.jp/travelogue/11710574

    中尾山古墳  文武天皇陵
    学者さん方のオシはここ

    ひとこと♪
    幸薄い御方だったかも
    藤原宮の東宮御所にも、不比等邸へ通じる裏木戸があった?!説あり
    幼少時から不比等の娘宮子をあてがわれ~の幼児教育。
    そして
    あまりにも急な早逝、この危機に際して持統&不比等の繰り出した次の女帝「元明天皇」擁立に持ち出した『不改常典』 はあっぱれ♪なんたって、 かわるまじきつねののり、あらたむまじきつねののり、でございますよ~

    厳かにお詣りされたい方は↓コチラへ
    https://4travel.jp/travelogue/11710574

  • 見えない写真でm(._.)m

    見えない写真でm(._.)m

  • 古墳あるトコ<br />緑豊か、神さまに近い、静謐さ、必須条件<br /><br />権力の誇示、という意味合いもあったらしい

    古墳あるトコ
    緑豊か、神さまに近い、静謐さ、必須条件

    権力の誇示、という意味合いもあったらしい

  • と、案内されても辿りつけない<br /><br />遠い駐輪場にチャリ置いて<br />山の中、丘の上目指して、上ったり下ったり

    と、案内されても辿りつけない

    遠い駐輪場にチャリ置いて
    山の中、丘の上目指して、上ったり下ったり

  • やっと着いた<br />こっちは宮内庁指定<br /><br />↓ぜひご参考に<br />https://4travel.jp/travelogue/11710574

    やっと着いた
    こっちは宮内庁指定

    ↓ぜひご参考に
    https://4travel.jp/travelogue/11710574

  • さあ、残り30分で完走なるか<br /><br />ここからマキがはいり、超スピードアップしなきゃな中、<br />飛鳥駅に向かう途中、<br />動画を撮ってみる?チャリ乗りながら?(←動画の師匠の真似しんぼ)<br />と、誘惑されそな素晴らしい景色♪

    さあ、残り30分で完走なるか

    ここからマキがはいり、超スピードアップしなきゃな中、
    飛鳥駅に向かう途中、
    動画を撮ってみる?チャリ乗りながら?(←動画の師匠の真似しんぼ)
    と、誘惑されそな素晴らしい景色♪

  • 牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)<br /><br />飛鳥駅駐車場のおじちゃんが、道順を分かりやすく、親切に教えてくれて、<br />5分で到着<br /><br />古墳って大体山の上、高い所にあるので、電動チャリ大活躍(^^♪<br /><br />↓この頃はまだ非公開、絶賛復元工事中だったらし<br />https://4travel.jp/travelogue/11672620

    牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)

    飛鳥駅駐車場のおじちゃんが、道順を分かりやすく、親切に教えてくれて、
    5分で到着

    古墳って大体山の上、高い所にあるので、電動チャリ大活躍(^^♪

    ↓この頃はまだ非公開、絶賛復元工事中だったらし
    https://4travel.jp/travelogue/11672620

  • 越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)<br /><br />埋葬施設の構造や、牽牛子塚古墳との関連性から、小市岡上陵の前にある太田皇女の墓の蓋然性が高いとされる。<br /><br />天智天皇の娘、で、持統天皇のお姉さん、で、天武天皇の妃で、大津大来のお母さん、なのに?の待遇、格差処遇(*_*)<br /><br />版築を用いた一辺約10m程度の方墳<br />埋葬施設は石英閃緑岩(飛鳥石)の巨石を使用<br /><br />係の方が、ライトアップして中を見せてくださいました♪

    越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)

    埋葬施設の構造や、牽牛子塚古墳との関連性から、小市岡上陵の前にある太田皇女の墓の蓋然性が高いとされる。

    天智天皇の娘、で、持統天皇のお姉さん、で、天武天皇の妃で、大津大来のお母さん、なのに?の待遇、格差処遇(*_*)

    版築を用いた一辺約10m程度の方墳
    埋葬施設は石英閃緑岩(飛鳥石)の巨石を使用

    係の方が、ライトアップして中を見せてくださいました♪

  • 斉明天皇と間人皇女が合葬された小市岡本上陵(おちのおかのえのみささぎ)の可能性高いとされる。<br /><br />某古代史のスペシャリストのブログ拝見で知りました。<br />行ってみたい<br />白いピラミッド? はたまた、宇宙との交信の為の建造物<br /><br /><br />↓この頃はまだ工事中<br />https://4travel.jp/travelogue/11672620

    斉明天皇と間人皇女が合葬された小市岡本上陵(おちのおかのえのみささぎ)の可能性高いとされる。

    某古代史のスペシャリストのブログ拝見で知りました。
    行ってみたい
    白いピラミッド? はたまた、宇宙との交信の為の建造物


    ↓この頃はまだ工事中
    https://4travel.jp/travelogue/11672620

  • 説明してくださる方に質問です!<br />「ほんとにこんなに白かったんですか?」<br />答えて曰く<br />「………さあ~………」<br />煮え切らないお返事<br /><br />墳丘は<br />版築を用いた大辺22mの八角墳、斜面には二上山産の凝灰岩が施された

    説明してくださる方に質問です!
    「ほんとにこんなに白かったんですか?」
    答えて曰く
    「………さあ~………」
    煮え切らないお返事

    墳丘は
    版築を用いた大辺22mの八角墳、斜面には二上山産の凝灰岩が施された

  • 埋葬施設<br /><br />二上山産の凝灰岩の巨石(約80t)を用いた南口に開口する剥り抜き式横口式石槨<br />石室内には二つの墓室が設けられ、<br />当時としては最上級の棺である夾紵棺片をはじめ、七宝製亀甲形飾金具やガラス玉、歯牙などが出土した。

    埋葬施設

    二上山産の凝灰岩の巨石(約80t)を用いた南口に開口する剥り抜き式横口式石槨
    石室内には二つの墓室が設けられ、
    当時としては最上級の棺である夾紵棺片をはじめ、七宝製亀甲形飾金具やガラス玉、歯牙などが出土した。

  • パンフより<br /><br />飛鳥駅に置いてありました。ご当地オシ古墳、のかほり

    パンフより

    飛鳥駅に置いてありました。ご当地オシ古墳、のかほり

  • 飛鳥資料館<br />で頂いた、ペーパークラフト

    飛鳥資料館
    で頂いた、ペーパークラフト

  • さあ<br />今日のmission completed<br />あとは<br />レンタサイクル屋さんまでまっしぐら

    さあ
    今日のmission completed
    あとは
    レンタサイクル屋さんまでまっしぐら

  • 9寺~17寺の約8時間、電動チャリの旅、完♪<br /><br />あらあら<br />やっぱり大事なものを見逃した<br />万葉博物館、行っていない(;o;)<br /><br />それと、今回電動チャリでもちょい遠い? で諦めた<br />草壁くん詣でに、<br /><br />https://4travel.jp/travelogue/11707416<br /><br />いつかまたきっと<br />と、心に刻む<br /><br />長丁場、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました♪

    9寺~17寺の約8時間、電動チャリの旅、完♪

    あらあら
    やっぱり大事なものを見逃した
    万葉博物館、行っていない(;o;)

    それと、今回電動チャリでもちょい遠い? で諦めた
    草壁くん詣でに、

    https://4travel.jp/travelogue/11707416

    いつかまたきっと
    と、心に刻む

    長丁場、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました♪

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この旅行記へのコメント (11)

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  • mistralさん 2022/05/28 11:35:14
    飛鳥は不思議なところ。
    kummingさん

    こんにちは。
    1日に8時間もの長い時間を電動チャリで駆け抜けた力作の旅行記に
    kummingさんの熱き想いを感じ、コメントをお送りしようと思いつつ
    遅くなってしまいました。
    Michikoでも走りましたが、距離を稼ぐには小さいながらもmichimo,
    でも素通りしてしまうこともあって、やはりチャリに軍配が上がります。

    飛鳥寺、あの寺院には何やら不思議な気配が漂っているように想いました。
    入口近くに立つ、お寺の謂れを記された前住職さんの文面を私は書き起こしましたが
    kummingさんは西門にあった説明板を書き起こしされてました。
    それらの文面を読むと、まさにタイムスリップして、その現場に立って
    起こっていることがらを見守っているかのように思えてしまいます。

    石舞台内部に入り、積み重ねられた巨石を見上げて唸っておられるのが楽しい~

    橘寺、ここは夕方近くだったのか、私は本堂には上がらずじまいでした。
    こうなっているのね、ご本尊にもお会いしたかった、などなど思いました。
    この辺りはkummingさんもまだまだ時間にも余裕があったのでしょうね。

    その後欽明天皇陵へと辿りつかれてしまった。
    私は逆コースだったのでスタートはここからでした。

    そして天武・持統天皇陵へ (残念ながら私は未訪問です)
    持統天皇についての一考察、興味深く拝読しました。
    私も正史と言われるものは時折覗きはしますが、むしろ周辺にちらばる解説、小説
    などを読み散らかすタイプでして。
    kummingさんが書かれたように、持統さんは父親の系統に意図して戻したかったか、
    は???を抱いています。結果的にはやがて天武さんの系統は途絶えて天智さんに
    戻っていくのですが。
    持統さんの母方の祖父、蘇我倉山田石川麻呂は天智さんに攻められ自殺、やがて
    その娘で天智の妻だった持統の母は病死する、という経過を辿ると
    むしろ父に対しては良い感情は持っていなかったように想像しています。

    歴史上、いまに残るのは結果となった史実のみ。
    そこに至る道筋をああでもない、こうでもないなど考える作業はとっても
    楽しいことですね。
    その先のコメントまで進むと膨大なものになってしまいますので、この辺で。

    mistral

    kumming

    kummingさん からの返信 2022/05/28 14:36:14
    Re: 飛鳥は不思議なところ。
    mistral さん、なんちゃって古代史へのご訪問&コメント、ありがとうございます♪

    mistral さんは既に飛鳥廻り、michimo でも電動チャリでもなさっていますね。亀石の近くのおじさんのお店、私もおにぎり買いたかった~、斉明天皇の亀形石造物にも辿り着けず。川原寺の塼仏もご覧になったのですね。

    飛鳥寺の入り口の住職さんのお話はmistral さんのブログで拝見していたので、thorough (笑)私の時は、飛鳥寺は人が多くて、住職さんも説明にお忙しそうでした。

    橘寺は本堂はNo photoでした。観光客も少なめで、ゆったりと時が流れる雰囲気、(飛鳥寺と比べてみて)訪れたタイミングでそこから受け取る印象がずいぶん変わる気がします。

    なんちゃって、とんでも説へのご考察、嬉しゅうございます♪
    持統さんの両親が天智天皇にそんな目にあっていたとは!
    確かに、結果的に天智皇統になったのであって、意図したものではない、と思います。なんたって、長屋王一族(藤原家の嫁、孫除く)を滅ぼしたり、孝謙天皇に継がせるのに邪魔な皇族を殲滅したり、それで「誰もいなくなった」わけですよね。

    持統さんの女性としての部分に焦点を当てているフィクション、黒岩重吾、馳浩著の藤原不比等、とか、コミック本の影響で、持統さんは天武天皇に、晩年相当嫌な思いをさせられ、煮湯を飲まされる様な嫉妬心、に悩んだのではないか?
    というところから、想像逞しくした結果でございますm(._.)m
    父を恨む気持ちより、女性としてのプライドを優先させるとこうなる、みたいな?

    あ、私がファザコンだから?かもしれません(笑笑)

    長くなりました。かなり偏った視点からみていると思います。
    このブログと、法華寺のところで、mistral さんのブログURLも貼り付けても宜しいでしょうか?
    シリーズもう少し続きますので、「膨大になるかもしれないこの先のコメント」、お待ちしています♪
    ありがとうございました^o^

    kumming

    kummingさん からの返信 2022/05/28 14:45:07
    訂正ですm(._.)m
    持統さんのおじいさまが父である天智天皇に殺され、その影響で母が亡くなった、ですね。両親が、だと天智天皇が自分を殺した事に(*_*)

    mistral

    mistralさん からの返信 2022/05/28 23:56:20
    RE: 訂正ですm(._.)m
    kummingさん

    こんばんは。
    返信が遅くなりました。
    私の法華寺の旅行記、大した内容はないような。
    どうぞ張り付けていかようにもお使いくださいませ。

    天武さん、持統さんご夫婦の関係は、私も同感に思います。
    吉野に向かった頃から壬申の乱あたり、ご夫婦で力を合わせたように
    思いますが、あとはどうだったんでしょう。

    mistral
  • しにあの旅人さん 2022/05/25 14:53:46
    純白の牽牛子塚古墳
    牽牛子塚古墳、これが?
    真っ白!
    私たちが行ったときも白いと思ったけれど、こんなに白かったかなあ・・・
    順光だからでしょうか。修復工事完成で、お披露目を前に磨いたとか。
    この時代の天皇陵は八角形で葺石だったのは確実だそうです。こんなに真っ白とは。
    説明係さんが煮え切らないのは、わかる。
    明日香村と学者さんが総力を上げての復元でしょうから、こうだったんでしょうね。

    越塚御門古墳をちゃんと見るのは初めてです。前2回は近づけませんでした。やはり石室の石は古墳内に置いたままだったのですね。
    入り口にコンクリートの擁壁らしいものが遠くからでも見えましたが、あのままか。入り口の扉も現代ぽいし。うーん、これは復元ですかね。ちーと残念。
    牽牛子塚古墳のついでにやった感じで、今になっても太田皇女さん、差別されていますね~、かわいそうに。

    中尾山古墳から宮内庁文武天皇陵まで歩いたってことですね。私たちは暑くてヘロヘロ、車でした。相当の上り下りのはず。ご苦労様。

    最後からコメントしてしまいました。
    コメント分割して、最初から出直します。
    とりあえずこんなところで。またお邪魔します。

    kumming

    kummingさん からの返信 2022/05/25 19:37:21
    Re: 純白の牽牛子塚古墳
    ですよね~、真っ白過ぎて、マジ??と猜疑心が鎌首をもたげました。当時は二上山から採石していたのを、今はできないので石川県小松市から似たような石を運んできたとか。何だか、飛鳥の観光客にアピールハンパない感(笑)

    しにあさんby妻さんが行かれた時は、確か道なき道を「立ち入り禁止」のお札もなかった事にして、遠くから眺められたのでしたよね。あの時の写真が脳裏に焼き付いて、絶対見たいと念じていました。

    牽牛子塚古墳の石室、事前予約で¥500入れる⁈ と、ついさっき、4trブログでみました♪ 知らなかったわ~(;_;)

    初歩的飛鳥廻り、かつ駆け足でしたが、とりあえず1日の予定をクリア^o^

    万葉博物館と、草壁くんのお墓、入鹿神社詣で、次回の宿題
    です♪

    了承済みとはいえ、URL貼り付けまくってますm(._.)m

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2022/05/26 11:07:48
    Re: 純白の牽牛子塚古墳
    牽牛子塚古墳、石室有料なんですか!?
    明日香村アコギな。

    飛鳥寺西門跡の説明板、見逃していた。近江軍がこのへんに集結していたのか。私もネットにない現場説明板情報は書き起こすようにしています。後からくる4トラトラベラーや見逃しさんには、貴重です。
    これ、結構かったるい作業なんですよね。でも縦の旅トラベラーにはありがたい。
    8月ごろ、「天武チルドレン惠尺の旅」UPの予定です。出発点はここにしよう。書き起こし使わせていただきます。

    とんでも古代史、楽しく読んでいます。
    史書と考古学的事実にあっていれば、何をどう想像しようと、こっちの勝手です。大いに想像の羽を広げましょう。
    By妻の古墳の上で歌って踊ってお祭りするという説みたいに、本当だったんだ!ということもあります。

    チャリ族大繁茂。飛鳥はやはりチャリですね。みんな電チャリですか。

    橘寺も詳しい。見逃しばっかりです。

    橘寺から中尾山古墳は、実は自転車で回る予定でした。くたびれてやめた記憶があります。やめてよかった。しかも車で持って行った全人力チャリ。できっこなかったです。

    kumming

    kummingさん からの返信 2022/05/26 16:13:58
    説明書き♪
    飛鳥寺西門の説明書き、お役に立てて良かったです♪
    私は旅の途上では先を急いでいて、読んでも理解せず、流してしまいます。後で書き起こすと、そういう事だったんだ!という作業を、今回はブログ上でやってしまうというお粗末(ーー;)

    図書館で借りた本の気になる内容も、ただ読むだけでは残らない(ただの記憶力不足)のが、パソコンに打ち込むと理解が深まる感じ?そういう無駄な作業を自分の為にやるのと似ています。

    今回は、「大化改新」について考えさせられました。実はそう名付けられたのが明治らしい。ほんとは開明的で唐との外交で国造りを目指していたのは蘇我氏で、中大兄皇子はむしろ旧主派で従来の百済メイン外交路線を目指していた。百済救援の白村江の戦いで唐・新羅連合に大負けしてから、九州~近畿に防衛体制築いたり、唐に倣って都や法整備を始めたのであり、負けてから政治改革を始めた、ではカッコつかない→蘇我氏を悪役に仕立て上げ、天智、鎌足を褒め称える。中大兄皇子がたったのは、蘇我氏が推す天皇が皇位を継いでしまうと、自分に皇位がめぐってくる芽がなくなるからだった。

    外敵に敵わない、と認識してから(戦いに敗れる)、負けた相手の真似をして改革する、というのが、明治維新(西欧列強に敵わなかった)や第二次世界大戦の後の日本を想起させ、そういう点で、明治政府は大化改新を美化する事と自ら勧めた王政復古を重ねたのではないか?

    なんか、高校時代から更新されていなかった古代史、発掘調査や史料研究で色々変わってるみたい。

    しにあさんがどこかで書いていらしたと思うのですが、漢文をよく知らない官吏が書き換えたところが明らかに分かるのだそうですね。渡来人の本物に間違って書き換えたり書き足しているとか。その多くは元正天皇&不比等の時代らしい♪

    わ、長いっ(*_*)
    眼の調子はいかがですか?ご自愛下さいねm(._.)m

    kumming

    kummingさん からの返信 2022/05/28 14:54:10
    訂正m(._.)m
    元正天皇&不比等→元明天皇&不比等、でした。
    どうも紛らわしいこのお二方(元明、元正)、でございます(ーー;)
  • 前日光さん 2022/05/24 23:41:05
    電動チャリ!
    こんばんは、kummingさん。
    あの飛鳥の、けっこうアップダウンの多い坂道を、電動チャリとは言え、よく頑張りましたね!
    私も同じく電動チャリを借りたのですが、かなりキツカったという思い出があります。

    私は借りてすぐに欽明天皇陵に行き、吉備姫王陵に行き、田んぼで仕事中のオジサンに遺跡の側に住んでいて羨ましいと言ったら、「なに、お墓の近くに住んでるだけや」と返されました。日常がこういう場所だったら、そう思いますよね?
    電動なのに、天武・持統陵は細いたんぼ道を走るので、反対側からやって来た中学生とすれ違えなくて、こちらが自転車を降りたり。。。と大変でした(>_<)

    飛鳥寺だの石舞台、橘寺等々、kummingさんはほぼ私と反対のコースを辿ったようですね。
    あんな長閑なところに、1400年前には都がおかれていたのよね。
    なんだか不思議で仕方がない気分。
    私は草壁くんのお墓はもちろん、文武天皇陵も行けていません。
    ただし「伝小野妹子のお墓」には行きましたが。
    推古天皇陵も行ったなぁ、とても清々しい場所にあって、いいなぁと思いました。
    牽牛子塚古墳って、ホント!宇宙ステーションみたいね。
    今度飛鳥行くときには、ぜひ見てみたいです。

    それにしてもkummingさん、日本古代史にハマッたみたいね!
    しにあさんご夫妻の影響は大ですね!(^^)!

    あのね、電動チャリの他に、飛鳥には「michimo」っていう二人乗りの小形電気自動車があるのよ。日産だったかな?
    最近私は自転車乗りも怪しいので、これからはこのmichimoくんのお世話になろうかと思っています。
    飛鳥ってレンタカーで行っても、細い道を歩かなくちゃならないところが多いので、このmichimoくんだったら、なんとかなりそうな気がしてるの。
    ちゃんと歩けるうちに、飛鳥の遺跡は巡りたいです。
    草壁くんのお墓、私も行きたいです。

    しばらく体調が悪くて、コメントがなかなかできずにごめんなさい!
    しにあさんにコメントすると、3日分くらいのエネルギーを使うので、ますます皆さんへのコメントが滞っております(~_~;)
    まぁ、やっと体力・気力が少しずつ復活してきたような?
    またこの後も波瀾万丈ですか?
    楽しみにしています(^_^)v


    前日光

    kumming

    kummingさん からの返信 2022/05/25 17:22:58
    Re: 電動チャリ!
    前日光さん、お久~でございます♪ カキコ、嬉しい^o^

    チャリ移動はめちゃ快調、迷わなければもっと! 丘を越えるたり降りたりで脚にきました(TT)国営飛鳥歴史公園、とかっていう山の中、古墳廻りで、チャリ入れない区域がございます。

    恐らく、前日光さんがとられたルートが正規で、私はその逆パターンだったみたい、こっちの方が上りが少ないかも!?
    私の橿原神宮前→飛鳥、ってみなさんとは反対廻り。

    古代史にハメられた!?その原因の一端を担う前日光さん♪ そもそも、しにあさんちの掲示板でのやり取り、私には理解不能な事ばかり(ーー;) そこから始まる古代史沼へずぶズブと~
    六国史は手が出ないので、周辺部の解説本、フィクション、なんちゃって本、とんでも本、ありとあらゆる眉唾物に手をのばし、なんとな~く、少しわかったような気になっています(笑笑)もちろん、前日光さんオススメのコミック、イメージ膨らませるのに大いに貢献してくれました♪

    五百重娘と不比等の恋バナ、良いですよね~^o^

    Michimoは私も考えました。確かmistral さんが利用されていますよ♪

    このシリーズの最後、か、最後から2つ目のブログに、前日光さんのお名前、拝借の予定ですm(._.)m

    確かに、体調が良くないと、コメント書くの大変ですね。そうでなくても、しにあさんのブログ読んだり理解するのに費やす時間とエネルギー、私は自分のブログ書くより、かかります(-。-; 楽しみながら、汗かいてる感じ⁈

    みなさまあってのまほろばの国廻り、でございます♪

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