
2022/05/01 - 2022/05/01
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kummingさん
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2日め後半
飛鳥寺から
ここまでほぼ順調♪
余裕すら感じたりしていました。が、このままで済むわけございません!?
案の定、一番有名なはずの、天武持統天皇陵に辿り着けない(ーー;)
焦りました、超難関、持統さま世間的には結構厳しめの風評の中、私嫌いじゃないんだけどな~
で、後半マキで、あわや宮内庁指定の文武天皇領を省こうか?と例によって耳元で悪魔の囁き…
本物(中尾山古墳)お詣りしちゃったし、いいんじゃない? しかも、ココが遠かったのです。チャリ乗り入れ出来ないはずなのに、やっと近くに行ったら、チャリ族がいっぱい(°_°) 色んなルートがあるみたい。
最後の牽牛子塚古墳、駅の向こうなので、30分で行ってチャリ返す期限に間に合うか? 勝負の30分^o^
後編はほぼ古代のお墓参り→古墳廻り
かなり写真多いですm(._.)m
↓ 例によって、ぜひ参考に!
https://4travel.jp/travelogue/11710574
https://4travel.jp/travelogue/11709444
https://4travel.jp/travelogue/11672620
↓mistralさんのブログも♪
https://4travel.jp/travelogue/11660214
そいえば、不比等さまのお墓は何処?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
飛鳥寺
588年蘇我馬子発願により596年創建
日本初の本格的寺院
塔を中心に東西と北に金堂を配し、周囲に回廊を巡らし北側に講堂を持つ、という本格的大寺院だったが、現在は本堂を中心に観音堂、鐘楼などがある。
門左手の
石柱の台石は1400年前創建時に伽藍柱下に使用されていた礎石、だそうで
比べられると困りますが
https://4travel.jp/travelogue/11660214 -
ちょい混んでそう?
なので
先に -
こちらへ
-
飛鳥寺西門跡
飛鳥寺は588年につくり始められた日本最古の寺。塔を中心にその北と東西に三つの金堂が建っていた。北の中金堂にあった鞍作止利作といわれる飛鳥大仏地位は今もそゆるがない。西門は礎石を置いて柱を建てた瓦葺きの門。間口3間11.5m, 奥行2間5.5mの規模。門の西には塀があり、土管をつないだ上水道が埋まっていた。寺の四方に開いていた門の中では、この西門が最も大きい。寺の西に、飛鳥の檜舞台「槻(ツキ・ケヤキの古名)の木広場」があったからだ。
中大兄皇子と藤原鎌足はこの蹴鞠の場で出会い、645年に大化改新を成し遂げた。この時、二人は飛鳥寺に陣をかまえ、西門から甘樫丘の蘇我入鹿・蝦夷の館をにらんでいた。
672年の壬申の乱の時には広場を軍隊が埋め尽くした。その後は、外国使節や遠方の使者を歓迎する宴会の場となり、噴水がおかれ、歌や踊りが満ちた。
西門はそんな飛鳥の歴史を見守ってきたのだ。 -
蘇我入鹿の首がココまで飛んできたとか?
、
ひとこと♪
定説では、蘇我氏は天皇おも凌ぐ権力を持ち権勢をほしいままにし、その専横ぶりを見かねた中大兄皇子と藤原鎌足が謀叛を起こし、誅殺した、という所謂、乙巳の変ですね。
近年色んな発掘調査や史料研究により、蘇我氏は外交を重視し仏教による新しい政治体制を目指した、進取の気性に富んだ氏族だったという説を唱える学説もあるようです。
後の世の藤原氏も、同じく天皇の外戚という立場をフルに活かして、皇位簒奪は目論まず、あくまでも臣下として、権勢を欲しいままにします。不比等さまがまだ史さまだった20歳の初婚のお相手は蘇我氏の女性で、当時無位無官ながらも次世代のホープとみなされていた史が、権勢衰えたとはいえ、由緒ある蘇我氏と縁者になる事は、将来を見据えた相当価値ある婚姻だったらしい。
外交上国の正史を作る必要に迫られ、その元となった帝紀と史記は、蘇我氏所有のものが一部焼失を逃れ、渡来人の手に渡ったという説があります。そして、藤原氏は渡来人との繋がりが深く(渡来人だったという説も)、鎌足が不比等の養育を頼んだのだが渡来系の田辺史です。その道の専門家の家系。 -
ところで、日本書紀を編纂し、蘇我氏を悪者に仕立てたのはだあれ?
首皇子を藤原直系の天皇に育てあげるために、藤原よりの歴史的教育をするのは当然で、そのための正史が必要でした。首皇子は文武天皇と宮子の子ども、文武天皇は草壁くんの息子、草壁くんは天武天皇の息子です。草壁くんのお母さんは天智天皇の娘、持統天皇です。だから、首皇子は天智天皇と天武天皇の子孫、ですが、不比等は出来れば天武天皇の孫、ではなく、天智天皇のひ孫としての血統と、藤原家の血筋として養育したのではないか? (天武さんは蘇我系との繋がりがあった、とか)もちろん持統天皇も、夫天武ではなく、父親天智天皇の血統を引く天皇として皇統を繋げたかった。ここで不比等と持統さまの目的意識が一致して、色んな謎が解けて来ませんか?
不比等+持統天皇→天智天皇+藤原鎌足 最強コンビの復活、再現♪
さらに元明天皇(同じく父は天智天皇)+不比等→然り
日本書紀編纂の中で、天智天皇と鎌足の『乙巳の変』と『大化の改新』を正当化する為には、蘇我氏を悪役に仕立てる必要があったのでは?
おことわり♪
このとんでも説、根拠となる書籍等の紹介はナシでm(_ _)m
乱脈乱読の結果行きついた我説でございます -
↑
我流なんちゃって古代史、なので、その論拠は示せません。
4trの古代史スペシャリストのみなさまには眉唾モノでございましょうが、夢ゆめ鵜呑みになさる?はずもない。
ですが、従来「大化改新」として教わった“政治改革”と、乙巳の変は同時期になされたのか?それを同一視して語る『日本書紀』には、意図がある!? -
鐘楼
脇道に逸れたあとは
世界平和のために祈りを込めて
一つき -
ご本尊
銅造釈迦如来坐像 鞍作止利 作
日本最高齢1400歳、ですが、国宝になれない(;o;) 重要文化財
1196年の火災で7世紀当時の部分がほぼ残らず、ほとんどが後世の作とされていたが、近年の研究調査により見直されつつある、とか。 -
もともとは「法興寺」
平城京遷都の際に「元興寺」となり、新都へ移転し、
主要な伽藍と本尊が残ったこの地は「元元興寺(もとがんこうじ)」と名を変えた。
↑
このあたり、梅原猛氏の著作に詳しくあります -
聖徳太子
太子16歳の時、父用明天皇の病気平癒のご祈祷をされている、尊きお姿♪
イケメン、いえ、眉目秀麗^o^
親戚関係だった蘇我馬子とともに政治に仏教を取り入れ、仏教国としての道筋をつけた、他、多くの偉業、伝説に包まれた、謎多きお方。 -
阿弥陀如来坐像
-
お昼寝(-_-)zzz
それとも修行中、でせうか?
中を通って出口まで -
飛鳥宮跡 (飛鳥板蓋宮跡)
『日本書紀』などには、推古天皇から持統天皇に至る7世紀の約100年間、歴代天皇の宮が次々と飛鳥の地に造営された事が記されている。昭和34年以来この地では主に橿原考古学研究所により外堀調査が続けられ、宮殿遺跡の様相が明らかになってきた。
宮の中心部分は、塀で囲まれた東西約158m、南北約197mの長方形の区画(内郭)で、区画の内側では、大規模な掘立柱建物や石敷き広場などが見つかっている。ここでは内部の北東隅で見つかった建物の柱配置や井戸などを表示、復元している。
内部を囲むようにして、建物や柱列、石組溝などの施設が営まれており、それらを外郭と呼んでいる。また、内部の東西には、エビノコ大殿と呼称される大規模な掘立柱建物を中心とする一区画がある事が明らかになっている。
これらの遺構は、木簡や土器などの出土遺物をもとに、『日本書紀』に記された斉明天皇の「後飛鳥岡本宮」および天武・持統天皇の「飛鳥浄御原宮」であると考えられている。 -
板蓋宮は、皇極天皇の宮殿で蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変の舞台。
皇極、斉明(皇極天皇重祚)天皇の皇居跡、伝飛鳥板蓋宮とされていたが、継続的調査により、飛鳥岡本宮(舒明天皇)、後飛鳥岡本宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統天皇)など、複数の宮が継続的に置かれていた事が判明した。 -
さて
町屋を通り -
ちょっと上り↑もすす~いと^ ^
ママチャリ族を追い抜いてしまう、軽~いフットワーク♪
そして
チャリ族大盛況♪
の駐輪場 -
絶好のチャリ日和
駐車場→駐車場に代替するほど?
原っぱでは和やかなひととき -
石舞台古墳
-
蘇我馬子の墓、ほぼ定説
-
先日、NHK BS番組(再放送)で、どうやってこの巨大な石をこの地まで運び、組み上げたか?
実証実験の様子が放映されていました。いにしえ人の知恵と技術、地と汗の結晶♪
それはまた、強大な権力を掌握していた蘇我氏のなせる技、だった、とも。 -
石室内に入ってみましょ♪
-
この石の組み合わせ方にもコツがあるらし(°_°)
大きいのが下?だったっけ -
う~ん
-
飛鳥の地に一歩足を踏み入れたら、
右も左も、上も下も、そこは蘇我氏所縁の地、でございました!! -
石舞台を後に、坂道を下り
蘇我馬子邸、たぶんこの辺だった劇場♪
そして、後の草壁くんのお住まいだった処?
動画を撮ってみましたが…
古代史スペシャリストのしにあさん説では、石舞台駐車場あたりが嶋の庄だそうです。
https://4travel.jp/travelogue/11709444
https://youtu.be/uZioKvdwnL8 -
-
当寺は聖徳太子のお生まれになった所で、当時ここには、橘の宮という欽明天皇の別宮があった。太子はその第四皇子の橘豊日命(たちばなのとよひのみこと・後の用明天皇)と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)を父母とされて、572年この地にお生まれになり、幼名を厩戸皇子(うまやどのみこ)、豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)などと申し上げた。太子は大変深く仏法をご信仰になり、自ら仏典の講義をされて、注釈を加えられたのが、三経義疏で、現在も保存されている。
推古天皇14年に、天皇の仰せにより、勝鬘経を三日間にわたりご講讃された。その時、大きな蓮の花が庭に1mも降り積り(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるように太子に命ぜられた。 -
ゆかしい雰囲気
橘寺、名前の由来は別にあるそう
垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えた事に由来。 -
観音堂
-
如意輪観音菩薩像
-
本堂
-
からの
-
黒の駒
太子の愛馬で、空を駆け、達磨大師の化身といわれる。仏頭山麓の地蔵菩薩の傍らにその姿をとどめ、災難厄除けのお守りになっている -
方丈池
-
新緑の季節♪
-
正倉殿
期間限定、中を拝謁できました -
往生院 本尊 阿弥陀三尊
太子の念仏精神を今日に生かさんと、念仏写経道場として、平成9年に再建、多目的道場として活用されている。
道場内の格天井には、華の天井画が260点奉納され、華の浄土の様相を呈している。 -
聖徳太子の生涯が描かれて
-
木彫りの聖徳太子さま
-
格天井には華の天井画が260点
畳に寝そべり撮
さすがに出来ない -
五重塔跡?
本坊の門の前に土壇がある。五重塔跡で中心には大きい珍しい形をした心礎があり、直径約90cm、深さ10cmの柱の入る孔、その円孔の三方に半円形の孔(そえ柱孔)が掘ってあり、現存すれば約38m余りの五重塔が建っていた事になる。
二面石 -
この間、20~30分彷徨う
の途中で通った
鬼の雪隠 -
目的地はココではありませんが
来ちゃった!
欽明天皇陵 -
緑豊か、堀に囲まれた、素敵な処♪
お墓ですが… -
そのすぐそば
傍らには
吉備姫王陵 -
柵の間撮
人面石 -
道行く人と相談しました。
どうしましょ?
結構皆さん、難儀されている模様
私だけではなかった♪
みんなで迷えば怖くない^ ^ -
で、迷いに迷ってようやく着いた
天武持統天皇陵
お二方についての定説は周知、なので省略
ひとこと♪
天武さんって、天智天皇の娘をことごとく後宮入りさせてません?動機は兄天智への恨みとかやり返し?英雄色を好む!とは申しますが、晩年まで鎌足の娘姉妹を入境させたり(ーー;)
壬申の乱まで苦楽を共にしてきた持統さんとしては、娘みたいな年端も行かないぴちぴちギャルにうろうろされて、たまったもんじゃなかったでしょう(;o;)ただでさえ、加齢に伴う自らの容色の衰え、天武は最近寄り付きもしない、きい~っ(怒) -
『日本書紀』は天武持統天皇のお互いを慈しみ合う愛、を高らかに歌い上げていますが、真相はそんなもんじゃなかったはず。この事が後々、持統&不比等の最強コンビを生み出すきっかけの一つだったのでは?そして、天武系皇統より天智系皇統を優先する結果へと至る。もちろん草壁くんは直の息子だから別格です。
お墓の前で、何をか言わんや(笑笑)
口直しにぜひ↓
https://4travel.jp/travelogue/11710574
https://4travel.jp/travelogue/11709444 -
持統天皇、日本初の火葬
詳細、考察はしにあさん任せでm(_ _)m -
周りをぐるっと廻れそう?
でしたが、
その後の予定がオシているのでm(._.)m -
国営歴史公園館、とな?
ちょうどキトラ古墳入口の道路隔てた位置にある。
キトラ古墳の駐車場おじちゃんが嘘ついた!ので遠回り(-。-;
このような道案内が随所に♪
にも関わらず、行ったり来たり、迷い道(-。-; -
チャリ侵入禁止の区域多し!
なので歩く -
中尾山古墳 文武天皇陵
学者さん方のオシはここ
ひとこと♪
幸薄い御方だったかも
藤原宮の東宮御所にも、不比等邸へ通じる裏木戸があった?!説あり
幼少時から不比等の娘宮子をあてがわれ~の幼児教育。
そして
あまりにも急な早逝、この危機に際して持統&不比等の繰り出した次の女帝「元明天皇」擁立に持ち出した『不改常典』 はあっぱれ♪なんたって、 かわるまじきつねののり、あらたむまじきつねののり、でございますよ~
厳かにお詣りされたい方は↓コチラへ
https://4travel.jp/travelogue/11710574 -
見えない写真でm(._.)m
-
古墳あるトコ
緑豊か、神さまに近い、静謐さ、必須条件
権力の誇示、という意味合いもあったらしい -
と、案内されても辿りつけない
遠い駐輪場にチャリ置いて
山の中、丘の上目指して、上ったり下ったり -
やっと着いた
こっちは宮内庁指定
↓ぜひご参考に
https://4travel.jp/travelogue/11710574 -
さあ、残り30分で完走なるか
ここからマキがはいり、超スピードアップしなきゃな中、
飛鳥駅に向かう途中、
動画を撮ってみる?チャリ乗りながら?(←動画の師匠の真似しんぼ)
と、誘惑されそな素晴らしい景色♪ -
牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)
飛鳥駅駐車場のおじちゃんが、道順を分かりやすく、親切に教えてくれて、
5分で到着
古墳って大体山の上、高い所にあるので、電動チャリ大活躍(^^♪
↓この頃はまだ非公開、絶賛復元工事中だったらし
https://4travel.jp/travelogue/11672620 -
越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)
埋葬施設の構造や、牽牛子塚古墳との関連性から、小市岡上陵の前にある太田皇女の墓の蓋然性が高いとされる。
天智天皇の娘、で、持統天皇のお姉さん、で、天武天皇の妃で、大津大来のお母さん、なのに?の待遇、格差処遇(*_*)
版築を用いた一辺約10m程度の方墳
埋葬施設は石英閃緑岩(飛鳥石)の巨石を使用
係の方が、ライトアップして中を見せてくださいました♪ -
斉明天皇と間人皇女が合葬された小市岡本上陵(おちのおかのえのみささぎ)の可能性高いとされる。
某古代史のスペシャリストのブログ拝見で知りました。
行ってみたい
白いピラミッド? はたまた、宇宙との交信の為の建造物
↓この頃はまだ工事中
https://4travel.jp/travelogue/11672620 -
説明してくださる方に質問です!
「ほんとにこんなに白かったんですか?」
答えて曰く
「………さあ~………」
煮え切らないお返事
墳丘は
版築を用いた大辺22mの八角墳、斜面には二上山産の凝灰岩が施された -
埋葬施設
二上山産の凝灰岩の巨石(約80t)を用いた南口に開口する剥り抜き式横口式石槨
石室内には二つの墓室が設けられ、
当時としては最上級の棺である夾紵棺片をはじめ、七宝製亀甲形飾金具やガラス玉、歯牙などが出土した。 -
パンフより
飛鳥駅に置いてありました。ご当地オシ古墳、のかほり -
飛鳥資料館
で頂いた、ペーパークラフト -
さあ
今日のmission completed
あとは
レンタサイクル屋さんまでまっしぐら -
9寺~17寺の約8時間、電動チャリの旅、完♪
あらあら
やっぱり大事なものを見逃した
万葉博物館、行っていない(;o;)
それと、今回電動チャリでもちょい遠い? で諦めた
草壁くん詣でに、
https://4travel.jp/travelogue/11707416
いつかまたきっと
と、心に刻む
長丁場、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました♪
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