2022/05/03 - 2022/05/03
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kummingさん
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資料館で一緒だったお子らと連れだって
電動チャリで一足跳び♪
と思いきや、途中ではぐれて何とやら(-。-;
どこから見てもNo problem なので、適当にぐるっと廻りましょ
初めは、本数少ないバスを乗り継ぎ、資料館~藤原京跡~本薬師寺(順番は決めず)、を模索しましたが、相当苦しい時間ぐり(;o;) 目的地に辿り着けても、見学時間が短か過ぎる!
結局、レンタサイクル屋さんのおじちゃんのアドバイスを信じる事にして、良かった♪ この広大な原っぱを、歩いて見て廻る? には相当の気概が求められる。電動チャリさまさま~
毎回どんどん、写真枚数が増えている!けど、今回は少なめです♪
文字は多い?
ぜひご参考に↓
https://4travel.jp/travelogue/11710574
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
藤原宮跡
藤原京は、持統天皇8年(694)から和銅3年(710年まで、持統、文武、元明天皇三代にわたる都だった。藤原宮はその中心部にあり、現在の皇居、国会議事堂、および霞ヶ関の官庁街を一ヶ所に集めたようなところ。 -
広っ!
中に入る時は歩いて、次の固まり(赤い柱が立っている所)への移動はぐるっと外に出て、チャリで移動
持統天皇によって造営された宮居がなぜ藤原宮と称されるに至ったか?
大和の藤原の地とは、天武天皇が藤原夫人(五百重娘いおのいらつめ、不比等の異母妹で夫人)に贈った「我が里に大雪降れり大原の古りにし里に落らまくは後」の高市郡明日香村大原の地で、藤原夫人(五百重娘)の居宅も大原にあった。『家伝』が鎌足の生地を高市郡の「藤原第」とし、定慧の歿した地を「大原殿」と伝えているのも、かなり早くから高市郡大原(藤原)の地が鎌足らの居所となっていた事を物語る。不比等の長男武智麻呂誕生も大原の邸だった。
669年鎌足死の前日、藤原氏が与えられたそのいわれも藤原(大原)の縁に因む。
藤原宮の「御井の歌」に「藤井が原には大御門始め給ひて」と歌われている事から、藤原宮の名は新都の藤井が原という地名に由来する、との説がある。
持統称制3年(689)の段階で、すでに不比等は草壁皇子から愛用の 黒作懸佩刀(くろづくりかけはぎのたち)を与えられ、鎌足の後継者としての地位を名実共に築きつつある、注目すべき人物となっていた。
『日本書紀』には、持統天皇の即位した場所が明記されておらず、即位の年は藤原宮遷都前であるから、当然先帝の飛鳥浄御原宮と考えられる。ところで、『扶桑略記』に「皇后臨朝制丁亥歳を元年となす。第四年に至って即位、大和国高市郡明日香浄御原宮藤原宅に都す」と記されている。飛鳥浄御原宮の一部であった大原の地の「藤原宅」に都した、という。(中略)
藤原宮の「藤井」は飛鳥の地のそれを移したものとする見解は魅力的である。
草壁皇子から直接か、または逝去の際の遺言によってか、黒作懸佩刀を与えられた不比等、その背後には持統女帝の意志や草壁皇太子妃阿陪皇女の願いも込められていたであろう。
『扶桑略記』の伝えが信頼しうるか疑問は残るが、少なくとも藤原宮の宮名は、天皇家が不比等に「後事」を託していた形跡濃厚と考えられるいま、藤原氏とのつながりと、後の不比等の政界における活躍の伏線がひめられていたのではないか?
『藤原不比等』 上田正昭著 より抜粋 -
-
朝堂院東門
朝堂院東門は、朝堂院と東方官衙(役所地区)を結ぶ門。2003年に奈良文化財研究所が初めて発掘調査を行い、雨落遺構(屋根から落ちる雨水の排水溝)や9個の礎石据付穴、7個の礎石が出土した。
東門は、南北21.3m、東西14.5mの基壇の上に南北約15.3m(3間)、東西約10.2m(2間)の八脚門が建っていたと推定される。
なお、この復元列柱は、宮跡内園路の通行確保のため、実際の位置より北へ20mずらして設置している。 -
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朝堂院西門
朝堂院西門は朝堂院と西方官衙(役所)地区を結ぶ門。これまで発掘調査は実施されていないが、藤原宮の中心である大極殿院、朝堂院、朝集殿院の建物は一定の規格を持ち、左右対称に整然と配置されている事から、西門も朝堂院東門と同様の、南北約15.3m、(3間)、東西約10.2m(2間)の八脚門が建っていたと推定される。 -
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大極殿院南門
藤原宮の中心に位置する大極院南門は、発掘調査により、東西約35m(7間)、南北約10m(2間) の切妻階層で、南北に階段がついた基壇の上に建っていたと推定される。
「続日本紀」によれば、701年(大宝元年)元日、この門の正面には四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)と太陽、月、鳥が描かれた2本の旗が掲げられ、その南の朝堂には貴族や新羅などの使節が整列して祝賀を述べる儀式が行われた。文武天皇はこの時「文物 の儀、ここに備われり」と都や法律など国家のすべてが完成したことを藤原宮で宣言した。 -
-
先生
「みんなの住んでいるココは、昔は日本の中心だったのです!」
と、
その誇らしげな声が
青空の下、高らかに響き渡り♪ -
友だちに、奈良旅の写真を見せたら
「で??」とか
「何の跡?」とか
「ただの石やん!」とか
反応芳しからず(ーー;)
神社の長~い階段の写真を見た友だち曰く
「○○ちゃん(←私の名前)、その脚力テニスに活かせるといいね!?」
いつもご迷惑おかけしてしておりますm(._.)m -
-
藤原京は、持統天皇8年(694)から和銅3年(710)まで、持統・文武・元明天皇三代にわたる都だった。藤原宮はその中心部にあり、現在の皇居と国会議事堂及び霞ヶ関の官庁街とを一ヶ所に集めたようなところ。大きさはおよそ900m四方、まわりを大垣(高い塀)と濠で囲み、各面に3ヶ所ずつ門が開く。中には天皇が住む内裏、政治や儀式を行う大極殿と朝堂院、そして役所の建物などが建ち並んでいた。
大極殿南に位置する朝堂院は、周囲に回廊がめぐる空間に中央広場を囲んで12の朝堂が配置されていた。昭和9年(1934)から10年間、日本古文化研究所はこの遺跡をはじめて発掘調査し、中心施設である大極殿・朝堂院の位置と規模を明らかにした。その後、昭和41年(1966)からは奈良県教育委員会が、昭和44年からは奈良国立文化財研究所(現奈良文化財研究所)が発掘調査を引き継いだ。
今後調査が進めば、さらに多くの事実が明らかになるものと期待される。 -
天武の葬礼も終わり、浄御原令施行も迫った持統3年(689)2月、「藤原朝臣史」と「中臣朝臣臣麻呂」が判事に任じられた(「日本書紀」)。この判事は大宝律令の刑部省所属の判事と同じ性格の官、というより、さらに広範な法令全般に関わる職掌を持つ官であった可能性も考えられる。史(不比等)は31歳で正式な官に就いたという事になる(それ以前は大舎人として官に就くのを待っていた)。
史はそれまで、草壁皇子の舎人であった、という論考は、草壁が死去時に「黒作懸佩刀(くろつくりかけはきのたち)」を史に下賜したという「東大寺献物帳」の記載が根拠となっているが、この話が事実であったという確証はなく、それが舎人であったことの証とは言いがたい。
『藤原氏 権力中枢の一族』 倉本一宏著 より抜粋
天平勝宝8年(756)の「東大寺献物帳」には黒作懸佩刀一口に関する重要な記載がある。この黒作懸佩刀は、日並皇子(草壁皇子)が日頃佩侍していたもので、太政大臣(藤原不比等)に賜わり、大行天皇(文武天皇)即位の折に、藤原不比等が文武天皇に献じ、文武天皇が薨じた時に再び大臣(不比等)に賜り、彼が薨じた日に、さらに後太上天皇(聖武天皇)に献じたものである、と記述する。
極めて複雑な伝世の道、草壁皇子→不比等→文武天皇→不比等→首皇子という伝世のコースを辿った佩刀であった。
草壁皇子→軽皇太子→首皇子という直系男子の皇位継承に関する「後事」を不比等に託しての黒作懸佩刀の伝世であったと思われる。
「藤原不比等」 上田正昭著 より抜粋 -
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この木なんの木?
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持統天皇文武天皇藤原宮跡
この碑と
あの樹木との関係は? -
お子ちゃまたち、学びの時間の後
いっせいに走り回る、 の図。待ちに待ったこの時♪
私も、この何もないところで
妄想の羽を羽ばたかせた
至福のひととき♪
「藤原氏家伝」の中で「不比等」編だけが遺っていません。
NHK BSの番組「英雄たちの選択」の磯田先生が
「残っていない史書、資料、から読み解く歴史」について話しておられたのですが、あえて抹消した史書、資料であるのなら、なぜ遺さなかったのか? ここから紐解く歴史もまた、興味深い♪ -
ラジコン航空機の飛行、
に
ドローンも含まれる?としたら
腕前ふるえず、残念(;o;) -
朝堂院南門
朝堂院南門は朝集殿院を隔てて朱雀門の北側170mにあり、朝堂院の正門にあたる。藤原宮で働く役人は日の出とともに開く朱雀門をくぐり、南北東西に建つ朝集院に入る。その後、この朝堂院南門を通り、朝堂院に建ち並ぶ朝堂や官衙(役所)で午前に執務を行った。 -
-
-
改めて並べて見ると、どれがどれだか??
違いがわかる大人になりたい -
サクッと元来た道を帰り、と行かないのが私。
電動チャリにナヴィ付き、とか、とりあえず来た道記憶、とかってAI搭載希望^o^
迷子になりつつ、無事電動チャリを返却♪
お世話になりました。
気分を変えて
心霊写真 -
橿原市役所
-
michimo ってコレ?
-
畝傍駅
とってものどか~な駅 -
誰もいない駅
-
その壁に
こんなものが!
大和ぼけ封じ 霊場・長寿道案内マップ
「長寿道 歩いて元気に ぼけ知らず」
冗談かと思いきや、JR、近鉄に負けられない!って企画? -
♪
-
ありがたいスロープも
-
長閑~
唯一の難点は
トイレが男女混合(-。-;
今どき、珍しいシステム -
なぜココ畝傍駅に来たのか?
というと
飛鳥や橿原神宮前からは
このルートがお気に入り♪
JR 奈良駅着はホテルに近くて嬉しい
ただ、本数少ないのがちょっとな~ -
そういえば
まだ
鹿さんに会っていない?
奈良なのに… -
AB Hotel
似たような名前ですが
エービー、と読みます♪
本日、もう少しお付き合いくださいm(._.)m
4日目おまけ、に続く
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この旅行記へのコメント (4)
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- 前日光さん 2022/06/19 22:37:06
- この赤い柱の林立!
- 行きたぁーい!って、毎回思うのに。
限りなく近づいたこともあったのに(×_×)
なぜか未だに行けてない!
こんばんは、kummingさん!
コメント、時々でゴメンネ!
どの旅行記も、とても面白く拝読させていただいてます(^_^)v
でもコメントが追いつかないのよ。
藤原宮跡、何もないのは知ってますが、行ってみたーい!
ボーッと誇大(古代)妄想に浸りたい願望がマックス(^0^;)
これは別行動が望ましいね!
でも腰痛症及び方向オンチの私、ええーっ、どうして?と思われるようなミスを度々犯す(主として方向に関して)ので、やっぱり地理専門家の相棒殿と一緒だと合理的かつ正確に目的地に辿り着けるので、別行動する勇気が湧かない!
でもkummingさんの旅行記を見てると、一人で好きなように行動してるよねぇ。
偉いな!自立した女(^_^)v
「みんなの住んでいるココは、昔は日本の中心だったのです!」
と、
その誇らしげな声が
青空の下、高らかに響き渡り♪
この先生も小学生も、なんて羨ましいんだろう!
タイムトラベルが出来るなら、絶対奈良時代に行ってみたい!
クーデター軍に、敢えなく踏み倒されてしまうかもですが、天智のクールな横顔とか、酷薄な決断を下す様を観察したい!
父のような優しさで氷高を包み込む不比等の様子(もちろん長岡先生のあの絵です!)等々、あの時代の妄想をするには、藤原宮跡は最適ですね!
動画も見せてくれて、ありがとう(^^)/
michimoくんも、ちらっと紹介してくれて。
一人で巡るときは、きっとこれ、使うと思う(^_^)v
前日光
- kummingさん からの返信 2022/06/20 19:01:52
- Re: この赤い柱の林立!
- 前日光さん、カキコありがとうございます♪
いつでもどこでもたまにでも、忘れた頃でも、もらって嬉しいはないちもんめ、いえ、コメント^o^これからも、時々で充分です、お待ちしておりますよ~
腰痛持ち&音痴? それって私の事じゃあありませんか? 歩きでもチャリでも、いつも相当遠回りしたり、ぐるぐるっていますよ! 海外では乗り物の乗り間違いも、多発しています♪ 失敗も数重ねると、それなりに対応力が付くようです⁈転んでもタダでは起きないスピリット、失敗はいつの日か成功への道(-。-;
↑というのは言い訳こ訳、どうせ逃れられない運命(間違いを呼び込む己の性)なら、潔く受け入れるっきゃない(笑) そうやって日々心臓の毛が強く逞しく成長している気がする。
前日光さんちのダーリンは、頼りになる相棒殿でいらっしゃるので、それは利用(失礼!)、活用しない手はないのでは?
うちのは、飲む!が目的なので、運転は任せられないし、ナヴィで初めての土地、も苦手っぽい、あてに出来ない人でござる。
長岡先生の一連の古代史モノ、図書館が他所の図書館から借りて、貸出ししてくれて、全部読みました♪ そういえば氷高さまの像が、平城宮跡いざない館にありました。次のブログにてupしますが、前日光さんが気絶されやしまいか?と、心配しています。
-
- しにあの旅人さん 2022/06/17 19:58:54
- 藤原京跡
- 藤原京跡。
平城宮跡と違って何もないので、途方にくれる広さですよね。よく回りました、ご苦労さま。
★友だちに、奈良旅の写真を見せたら 「で??」とか 「何の跡?」とか 「ただの石やん!」とか 反応芳しからず(ーー;)★
これがフツーの反応です。
石をひっくり返して、ダンゴムシと共に楽しむのが縦の旅の醍醐味です。
テニス、奮闘を期待します。
★「藤原氏家伝」の中で「不比等」編だけが遺っていません。★
そうなのです。現代語訳を持っていますが、本当にない!
前後を読んでも、とくに隠す理由がないのです。
やはり私の妄想通り、大来皇女宮がお隣で、糟糠の妻まさ子と大来皇女が仲良くなって、楽しーく大根を一緒に育てていた、と書いてあった。あまりに体裁が悪りぃので隠した。
「この木なんの木」の向こうの発掘現場は終わったみたいです。
美人、と思える若い学者さんが指揮していました。発掘現場も女性が仕切る時代になったのですね。
きっと、何年かしたら、大発見が発表される、のではないかな~
- kummingさん からの返信 2022/06/17 23:36:38
- Re: 藤原京跡
- しにあさん、律儀にカキコ頂き、ありがとうございます♪
電動チャリで外側を廻り、赤い柱(遺跡)の近くに止めて見て回ったので、移動は楽ちんでした。
ほんとうだ! しにあさんby妻さんが行かれた時は、大極殿発掘調査の真っ最中だったのですね? 羨ましい♪ 私は遺跡の説明と地図を見ても、目の前の景色と地図を脳内でリンクできないのです(;o;) しにあさんのブログの説明を見ては、ど~してこういう位置関係が分かるの? といつも不思議(°_°)
不比等さま、自分の痕跡を消そうとした?または、子孫が「これ、ちょっとヤバくね?」と忖度して処分した、とか。まあ、自分で唐の律令制を日本的に変えたり(藤原氏に有利な様に⁈)、律令制つくっちゃったような人だから、色々法律スレスレ、どころかかなりやばい事してたみたいだし。
木簡の発掘で史実が確認されるって、すごいですね♪ 女性活躍新世代、今後の発掘調査が期待されます^o^
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