リスボン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流しポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。<br />この第7回目の旅行記は再度リスボンを散策した記録です。<br /><br />全体の旅程の概略です。<br />★ 4月 2~3日    ミュンヘン泊 <br />★       4日      ハイデルベルク泊<br />★       5日          フランクフルト泊<br />★       6~10日    リスボン泊<br />★     10~12泊     ポルト泊<br />★     13~17日     マドリッド泊<br />★     18~19日     コルドヴァ泊<br />★     20~21日     セヴィリャ泊<br />★     22~23日     バルセロナ伯<br />★     24~26日     フランクフルト泊<br />★     27日           フランクフルトから羽田へ<br />

シニア夫婦のドイツ、ポルトガル、スペインゆっくり旅行27日 (7)今日もリスボンの街歩きです(4月8日)

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2017/04/02 - 2017/04/27

536位(同エリア2850件中)

さわ子さん

2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流しポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。
この第7回目の旅行記は再度リスボンを散策した記録です。

全体の旅程の概略です。
★ 4月 2~3日   ミュンヘン泊 
★ 4日   ハイデルベルク泊
★ 5日 フランクフルト泊
★ 6~10日 リスボン泊
★ 10~12泊 ポルト泊
★ 13~17日 マドリッド泊
★ 18~19日 コルドヴァ泊
★ 20~21日 セヴィリャ泊
★ 22~23日 バルセロナ伯
★ 24~26日 フランクフルト泊
★ 27日 フランクフルトから羽田へ

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • サンタ.ジュスタのエレベーターが、せっかくホテルから直ぐの所にあるので混雑が少ない朝一番に乗る事にします。9時の運転開始まで少し待つ事になりました。<br />このエレベーターは、錬鉄が単に構造材としてばかりでなく、芸術作品としての材料であった20世紀初頭に建造されました。建物の外観はネオ.ゴシック様式のアーチや幾何学模様で装飾されています。設計者のラウル.メスニア.ド.ポサード(Raoul Mesnier du Ponsard:1848 - 1914)はポルトガルで多くのエレベーターやフニクラの設計に携わっています。

    サンタ.ジュスタのエレベーターが、せっかくホテルから直ぐの所にあるので混雑が少ない朝一番に乗る事にします。9時の運転開始まで少し待つ事になりました。
    このエレベーターは、錬鉄が単に構造材としてばかりでなく、芸術作品としての材料であった20世紀初頭に建造されました。建物の外観はネオ.ゴシック様式のアーチや幾何学模様で装飾されています。設計者のラウル.メスニア.ド.ポサード(Raoul Mesnier du Ponsard:1848 - 1914)はポルトガルで多くのエレベーターやフニクラの設計に携わっています。

  • この従業員一人で、並んでいる乗客の整理や切符の販売、運転まで担当し忙しそうに働いていました。しかしこれが非効率で、待ち時間が長くなる原因です。ゴンドラの内部は良い雰囲気の木製ニス塗りで、長椅子も備えています。このエレベーターは、45mの高さをバイシャからバイロ.アルトのカルモ広場に上げてくれます。<br />

    この従業員一人で、並んでいる乗客の整理や切符の販売、運転まで担当し忙しそうに働いていました。しかしこれが非効率で、待ち時間が長くなる原因です。ゴンドラの内部は良い雰囲気の木製ニス塗りで、長椅子も備えています。このエレベーターは、45mの高さをバイシャからバイロ.アルトのカルモ広場に上げてくれます。

  • エレベーターを上で降りると、バイロ.アルト東端にあるカルモ教会の裏側に通ずる陸橋があります。これはその陸橋から眺めた南東の街並みです。左隅にリスボン大聖堂、中央少し右寄り遠くにコメルシオ広場の北側に建つアルコ.ダ.ルア.アウグスタ門の頂部が見えています。海のようなテージョ川も更に奥に見えています。

    エレベーターを上で降りると、バイロ.アルト東端にあるカルモ教会の裏側に通ずる陸橋があります。これはその陸橋から眺めた南東の街並みです。左隅にリスボン大聖堂、中央少し右寄り遠くにコメルシオ広場の北側に建つアルコ.ダ.ルア.アウグスタ門の頂部が見えています。海のようなテージョ川も更に奥に見えています。

  • コメルシオ広場前のアルコ.ダ.ルア.アウグスタ門を拡大しました。

    コメルシオ広場前のアルコ.ダ.ルア.アウグスタ門を拡大しました。

  • こちらは北西の方角です。左隅にカルモ修道院の内陣、中央遠くの豊かな緑は幅90mのリベルダーレ通りの並木です。そして右端にマリア2世国立劇場のファサードも見えています。

    こちらは北西の方角です。左隅にカルモ修道院の内陣、中央遠くの豊かな緑は幅90mのリベルダーレ通りの並木です。そして右端にマリア2世国立劇場のファサードも見えています。

  • ここは陸橋と繋がるエレベーター頂上階の回廊です。1.50ユーロを払えば、この奥に見える螺旋階段で、ここから2層上にある展望台に上がれます。

    ここは陸橋と繋がるエレベーター頂上階の回廊です。1.50ユーロを払えば、この奥に見える螺旋階段で、ここから2層上にある展望台に上がれます。

  • エレベーター内部を見下ろしました。ゴンドラは横に並んで2台あり、それぞれ定員が29人となっています。

    エレベーター内部を見下ろしました。ゴンドラは横に並んで2台あり、それぞれ定員が29人となっています。

  • 展望台に上がりました。北北西の方向を望んでいます。前景の陸橋からの写真より確かに眺めが良くなっています。右手にロシオ広場が見えます。紺色の矢印の先は、ロシオ駅のホームを覆う屋根です。

    展望台に上がりました。北北西の方向を望んでいます。前景の陸橋からの写真より確かに眺めが良くなっています。右手にロシオ広場が見えます。紺色の矢印の先は、ロシオ駅のホームを覆う屋根です。

  • 波模様の床が綺麗なロシオ広場を拡大しました。広場の北側にマリア2世国立劇場、中央にペドロ4世の立像、そしてその前後にパリから持ち込まれた噴水がある円形の池です。更に写真の右上端に西に向いたサン.ドミンゴス教会のファサードも見えます。

    波模様の床が綺麗なロシオ広場を拡大しました。広場の北側にマリア2世国立劇場、中央にペドロ4世の立像、そしてその前後にパリから持ち込まれた噴水がある円形の池です。更に写真の右上端に西に向いたサン.ドミンゴス教会のファサードも見えます。

  • 東北東の方向を望むと、右側の丘の上にサン.ジョルジェ城が見えます。その左で少し下がった所にノッサ.セニョーラ.ダ.グラサ修道院が見えています。

    東北東の方向を望むと、右側の丘の上にサン.ジョルジェ城が見えます。その左で少し下がった所にノッサ.セニョーラ.ダ.グラサ修道院が見えています。

  • ノッサ.セニョーラ.ダ.グラサ修道院を拡大しました。この建物はアズレージョの装飾で有名ですが、市電の28番でグラサ停留所で降りて直ぐの所にあります。

    ノッサ.セニョーラ.ダ.グラサ修道院を拡大しました。この建物はアズレージョの装飾で有名ですが、市電の28番でグラサ停留所で降りて直ぐの所にあります。

  • サン.ジョルジェ城を拡大しました。

    サン.ジョルジェ城を拡大しました。

  • 東南東の方向にはリスボン大聖堂、その手前で下方にはバイシャ地区のサン.ニコラウ教会が見えます。

    東南東の方向にはリスボン大聖堂、その手前で下方にはバイシャ地区のサン.ニコラウ教会が見えます。

  • 展望台の真下を見下ろします。左右に走る道路はバイシャのアウレラ通りです。

    展望台の真下を見下ろします。左右に走る道路はバイシャのアウレラ通りです。

  • 北東の方向です。遠くを見ると右端の丘の上にノッサ.セニョーラ.ダ.グラサ修道院、中央右寄りに木々に覆われたセニョーラ.ド.モンテ展望台が見えています。手前は碁盤の目ように区画されたバイシャ地区の街並みです。

    北東の方向です。遠くを見ると右端の丘の上にノッサ.セニョーラ.ダ.グラサ修道院、中央右寄りに木々に覆われたセニョーラ.ド.モンテ展望台が見えています。手前は碁盤の目ように区画されたバイシャ地区の街並みです。

  • 南東隅の螺旋階段の頂上です。

    南東隅の螺旋階段の頂上です。

  • この展望台の東にある地震で破壊され廃墟となったカルモ教会です。

    この展望台の東にある地震で破壊され廃墟となったカルモ教会です。

  • 北北西の方向で、写真の左隅にロシオ駅のホームの屋根が見えています。その右の緑りはリベルダーレ通りの並木です。

    北北西の方向で、写真の左隅にロシオ駅のホームの屋根が見えています。その右の緑りはリベルダーレ通りの並木です。

  • カルモ教会側の出口からエレベーター乗り場を望んでいます。

    カルモ教会側の出口からエレベーター乗り場を望んでいます。

  • 陸橋を出てエレベーター頂上とその上の展望台を望んでいます。背景はサン.ジョルジェ城です。

    陸橋を出てエレベーター頂上とその上の展望台を望んでいます。背景はサン.ジョルジェ城です。

  • 1755年の地震で破壊され廃墟になったカルモ教会です。これは右翼廊端の外壁です。教会は内陣を除いて屋根が完全に無くなっています。

    1755年の地震で破壊され廃墟になったカルモ教会です。これは右翼廊端の外壁です。教会は内陣を除いて屋根が完全に無くなっています。

  • 市電の単線の線路が残るラルゴ.ダ.カルモ通り、トラヴェッサ.カルモ通りと西の方向に歩き、突き当たりで右に曲がりました。

    市電の単線の線路が残るラルゴ.ダ.カルモ通り、トラヴェッサ.カルモ通りと西の方向に歩き、突き当たりで右に曲がりました。

  • これは右に曲がった通りの突き当たりのトリンダーレ通りで、その北側にあったファサードに絵が描かれた建物です。

    これは右に曲がった通りの突き当たりのトリンダーレ通りで、その北側にあったファサードに絵が描かれた建物です。

  • トリンダーデ通りの突き当たりにあった同じ名前の劇場です。

    トリンダーデ通りの突き当たりにあった同じ名前の劇場です。

  • トリンダーデ劇場を左に見てノーヴァ.ダ.トリンダーデ通りを北へ、サン.ロッケ教会の方向へ歩きます。この通りにも市電の線路が残っています。

    トリンダーデ劇場を左に見てノーヴァ.ダ.トリンダーデ通りを北へ、サン.ロッケ教会の方向へ歩きます。この通りにも市電の線路が残っています。

  • ノーヴァ.ダ.トリンダーデ通りの途中で、道路の折れ曲りに合わせた建物と出会いました。

    ノーヴァ.ダ.トリンダーデ通りの途中で、道路の折れ曲りに合わせた建物と出会いました。

  • サン.ロッケ教会前の広場にあったオブジェです。

    サン.ロッケ教会前の広場にあったオブジェです。

  • サン.ロッケ教会前の広場の西側の建物です。両方とも外壁がアズレージョで覆われています。

    サン.ロッケ教会前の広場の西側の建物です。両方とも外壁がアズレージョで覆われています。

  • サン.ペドロ.デ.アルカンタラ展望台近くで、グロリア線のケーブルカー乗り場に着きました。今日はこの&quot;ケーブルカー式電車&quot;に乗ります。落書きだらけの車体です。

    サン.ペドロ.デ.アルカンタラ展望台近くで、グロリア線のケーブルカー乗り場に着きました。今日はこの"ケーブルカー式電車"に乗ります。落書きだらけの車体です。

  • 電車は、この坂を下ってレスタウラ.ドーレス広場に下ります。

    電車は、この坂を下ってレスタウラ.ドーレス広場に下ります。

  • 電車の運転台です。普通の古い路面電車のものと変わりません。左から右へモーターのコントローラー、空気ブレーキ、手動ブレーキが並んでいます。

    電車の運転台です。普通の古い路面電車のものと変わりません。左から右へモーターのコントローラー、空気ブレーキ、手動ブレーキが並んでいます。

  • 車内です。電車は車体が水平になるように加工された台車に載っています。<br />

    車内です。電車は車体が水平になるように加工された台車に載っています。

  • 車内に掲げてあった運行100年記念の銘板のようです。

    車内に掲げてあった運行100年記念の銘板のようです。

  • 電車が発車しました。ゆっくりと坂を下っていきます。

    電車が発車しました。ゆっくりと坂を下っていきます。

  • 後ろを振り返っています。

    後ろを振り返っています。

  • ケーブルカーには付きものの、昇り、下りの電車のすれ違いです。ここでは電車は左に避けています。

    ケーブルカーには付きものの、昇り、下りの電車のすれ違いです。ここでは電車は左に避けています。

  • もうすぐレスタウラ.ドーレス広場に着きます。

    もうすぐレスタウラ.ドーレス広場に着きます。

  • レスタウラ.ドーレス広場終点から今下りてきた坂を見上げています。スイスの山岳鉄道のようなラック.レールは無く、ケーブルだけで吊り下げられた2台の電車がバランスを取りながら走ります。もしもケーブルが切れたら停止できるのでしょうか?

    レスタウラ.ドーレス広場終点から今下りてきた坂を見上げています。スイスの山岳鉄道のようなラック.レールは無く、ケーブルだけで吊り下げられた2台の電車がバランスを取りながら走ります。もしもケーブルが切れたら停止できるのでしょうか?

  • 電車への乗降は当然ながら山側の出入り口のみです。電車には2個のパンタグラフが付いています。三相交流の電気を使っているのでしょうか。

    電車への乗降は当然ながら山側の出入り口のみです。電車には2個のパンタグラフが付いています。三相交流の電気を使っているのでしょうか。

  • 車体の谷側は、これだけ高くなっています。

    車体の谷側は、これだけ高くなっています。

  • 市北部にあるグルベンキアン美術館に行くため、レスタウラ.ドーレス広場地下にある地下鉄ブルー.ラインの駅から北へ5駅、プラーサ.デ.エスパーニャ駅まで乗車します。地下鉄は左通行です。

    市北部にあるグルベンキアン美術館に行くため、レスタウラ.ドーレス広場地下にある地下鉄ブルー.ラインの駅から北へ5駅、プラーサ.デ.エスパーニャ駅まで乗車します。地下鉄は左通行です。

  • 駅構内にあったスリに&quot;注意!&quot;の看板です。

    駅構内にあったスリに"注意!"の看板です。

  • 車内の様子です。日本より少ない吊革が高い所にぶら下がっています。

    車内の様子です。日本より少ない吊革が高い所にぶら下がっています。

  • 地下鉄をスペイン広場(プラーサ.デ.エスパーニャ)駅で降りました。

    地下鉄をスペイン広場(プラーサ.デ.エスパーニャ)駅で降りました。

  • &quot;このプラットホームで Wi-Fi は無料&quot;の案内です。使った事はありませんが。

    "このプラットホームで Wi-Fi は無料"の案内です。使った事はありませんが。

  • プラットホームにあった駅周辺の地図です。&quot;B&quot;が地下鉄駅、&quot;A&quot;がグルベンキアン美術館です。地上に出ると周りは緑地帯や交差する幅広い道路で方向感覚がなくなり、美術館がどこにあるのか分からなくなりました。数少ない歩行者に尋ねてようやく見つける事ができました。

    プラットホームにあった駅周辺の地図です。"B"が地下鉄駅、"A"がグルベンキアン美術館です。地上に出ると周りは緑地帯や交差する幅広い道路で方向感覚がなくなり、美術館がどこにあるのか分からなくなりました。数少ない歩行者に尋ねてようやく見つける事ができました。

  • グルベンキアン美術館に辿り着きました。ここはアルメニアの貴族として生まれた石油王カルースト.グルベンキアンの個人コレクションを収める美術館です。カルーストの1955年の死後に彼の名の財団が設立され、現在のスペイン広場の南東に財団の建物、二つの美術館、庭園が造られました。美術館は、今回訪れた&quot;創立者の収集作品&quot;と付記された建物です。もう一つは広大な財団敷地の南にある&quot;モダン芸術の収集作品&quot;と付記されています。建物は1階建ての近代的なデザインになっています。

    グルベンキアン美術館に辿り着きました。ここはアルメニアの貴族として生まれた石油王カルースト.グルベンキアンの個人コレクションを収める美術館です。カルーストの1955年の死後に彼の名の財団が設立され、現在のスペイン広場の南東に財団の建物、二つの美術館、庭園が造られました。美術館は、今回訪れた"創立者の収集作品"と付記された建物です。もう一つは広大な財団敷地の南にある"モダン芸術の収集作品"と付記されています。建物は1階建ての近代的なデザインになっています。

  • 館内に入りました。広い玄関ホールに展示してあった作品で、フランスのアールデコ様式の彫刻家アルフレッド.ジャニオ(Alfred Janniot:1889 - 1969)の1924年頃の作品「三美神」です。三美神とは、ギリシア神話とローマ神話に登場する美と優雅を象徴する三人の女神です。

    館内に入りました。広い玄関ホールに展示してあった作品で、フランスのアールデコ様式の彫刻家アルフレッド.ジャニオ(Alfred Janniot:1889 - 1969)の1924年頃の作品「三美神」です。三美神とは、ギリシア神話とローマ神話に登場する美と優雅を象徴する三人の女神です。

  • この1573年頃の作品は、イスタンブールのピヤレ.パシャ.モスクからの12枚のパネルのシリーズに属しています。 地震で建物が損傷した後、建物は修復されましたが、塗装された壁画に置き換えられました。オリジナルのパネルは解体されヨーロッパの多くの美術館に購入されました。

    この1573年頃の作品は、イスタンブールのピヤレ.パシャ.モスクからの12枚のパネルのシリーズに属しています。 地震で建物が損傷した後、建物は修復されましたが、塗装された壁画に置き換えられました。オリジナルのパネルは解体されヨーロッパの多くの美術館に購入されました。

  • オスマン帝国時代の16世紀後半に製作されたタイルです。

    オスマン帝国時代の16世紀後半に製作されたタイルです。

  • ほとんどが中国製の陶器と思われる製品の展示室の片隅にあった日本の作品です。

    ほとんどが中国製の陶器と思われる製品の展示室の片隅にあった日本の作品です。

  • これは、19世紀の日本の漆塗り硯箱と説明されています。

    これは、19世紀の日本の漆塗り硯箱と説明されています。

  • 小物入れ2点です。

    小物入れ2点です。

  • こちらは、どういう構造になったいるのか、不思議な形の箱です。

    こちらは、どういう構造になったいるのか、不思議な形の箱です。

  • 初期フランドル派の画家ロヒール.ファン.デル.ウェイデン(Rogier van der Weyden:1399/1400 - 1464)の「サンタ.カテリーナ」の胸像と言われている1435/37年頃の作品です。この画家の作品として、キリスト教的主題が描かれた祭壇画と肖像画が多く残されています。この絵と次の絵の聖ヨセフの胸像は、もともとブリュッセルのある教会のために描かれた「聖母子と聖人達」の大きな祭壇画から切り取られたものだとされています。この女性は、その服が聖人の伝統的な豪華さを表現しているので、アレクサンドリアの聖カタリナであると示唆されています。

    初期フランドル派の画家ロヒール.ファン.デル.ウェイデン(Rogier van der Weyden:1399/1400 - 1464)の「サンタ.カテリーナ」の胸像と言われている1435/37年頃の作品です。この画家の作品として、キリスト教的主題が描かれた祭壇画と肖像画が多く残されています。この絵と次の絵の聖ヨセフの胸像は、もともとブリュッセルのある教会のために描かれた「聖母子と聖人達」の大きな祭壇画から切り取られたものだとされています。この女性は、その服が聖人の伝統的な豪華さを表現しているので、アレクサンドリアの聖カタリナであると示唆されています。

  • こちらは聖ヨセフと判断されていいます。上掲とこの2枚のパネルに正確に描かれた背景は、初期フランドル派の巨匠の革新的な芸術的概念に従って、空間の深さを発展させ、現実の環境の感覚を作り出しています。

    こちらは聖ヨセフと判断されていいます。上掲とこの2枚のパネルに正確に描かれた背景は、初期フランドル派の巨匠の革新的な芸術的概念に従って、空間の深さを発展させ、現実の環境の感覚を作り出しています。

  • このロンドンのナショナル.ギャラリー所蔵の「読書するマグダラのマリア」のパネルも同じ祭壇画から切り取られたものだそうです。贅沢な緑のドレスを着た若い女性が床に座って読書をしています。彼女は15世紀の服を着て中世の部屋にいますが、聖書の人物である聖マグダラのマリアです。キリストの足に油を注いだ油の壺が右下隅に描かれています。

    このロンドンのナショナル.ギャラリー所蔵の「読書するマグダラのマリア」のパネルも同じ祭壇画から切り取られたものだそうです。贅沢な緑のドレスを着た若い女性が床に座って読書をしています。彼女は15世紀の服を着て中世の部屋にいますが、聖書の人物である聖マグダラのマリアです。キリストの足に油を注いだ油の壺が右下隅に描かれています。

  • ゴシック後期のドイツの画家シュテファン.ロッホナー(Stefan Lochner:1410頃 - 1451)の1447年の作品「キリストの神殿奉献」です。この画家の作風は、ゴシックの鮮やかな色彩を伴う流れるような線と、フランドル派の影響を受けた写実描写ならびにディテールへの繊細なこだわりを融合させたものです。この絵は、もともと折り畳みできる祭壇画の1枚でした。片方はミュンヘンのアルテ.ピナコテク美術館にあります。

    ゴシック後期のドイツの画家シュテファン.ロッホナー(Stefan Lochner:1410頃 - 1451)の1447年の作品「キリストの神殿奉献」です。この画家の作風は、ゴシックの鮮やかな色彩を伴う流れるような線と、フランドル派の影響を受けた写実描写ならびにディテールへの繊細なこだわりを融合させたものです。この絵は、もともと折り畳みできる祭壇画の1枚でした。片方はミュンヘンのアルテ.ピナコテク美術館にあります。

  • これがその片方の絵で、アルテ.ピナコテク美術館からの借画で、「キリスト降誕」です。

    これがその片方の絵で、アルテ.ピナコテク美術館からの借画で、「キリスト降誕」です。

  • 初期フランドル派の画家ディルク.ボウツ(Dierick Bouts:1410頃 - 1475)の仲間であった不明の画家の作品といわれている「受胎告知」です。目に見える世界は、鑑賞者を霊性の領域に導き、救い主を告げる光、聖霊の存在を示す鳩、情熱を告げる十字架を指し示します。

    初期フランドル派の画家ディルク.ボウツ(Dierick Bouts:1410頃 - 1475)の仲間であった不明の画家の作品といわれている「受胎告知」です。目に見える世界は、鑑賞者を霊性の領域に導き、救い主を告げる光、聖霊の存在を示す鳩、情熱を告げる十字架を指し示します。

  • ヴェネツィア派のイタリア人画家ヴィットーレ.カルパッチョ(Vittore Carpaccio:1465頃 - 1525/26)の1505年の作品で「聖家族と寄進者」です。ベネチア社会で著名な人物である右側に描かれた寄進者は、神聖な人物達と同じ大きさでリアルに表現されています。聖母マリアの後方には、馬に乗った賢者が一列に並んでいますが、人物の縮尺を変えることで遠近感が強調されています。

    ヴェネツィア派のイタリア人画家ヴィットーレ.カルパッチョ(Vittore Carpaccio:1465頃 - 1525/26)の1505年の作品で「聖家族と寄進者」です。ベネチア社会で著名な人物である右側に描かれた寄進者は、神聖な人物達と同じ大きさでリアルに表現されています。聖母マリアの後方には、馬に乗った賢者が一列に並んでいますが、人物の縮尺を変えることで遠近感が強調されています。

  • イタリアのルネサンス期の画家フランチェスコ.フランチャ(Francesco Francia:1450頃 - 1517)の1505年の作品「キリストの洗礼」です。中央のキリストと洗礼者ヨハネ、左に天使、そして右に中東風の装束の男達が見守っています。フランチャは、マントヴァの宮廷画家になり、その後、ペルジーノとラファエロの影響を受けました。

    イタリアのルネサンス期の画家フランチェスコ.フランチャ(Francesco Francia:1450頃 - 1517)の1505年の作品「キリストの洗礼」です。中央のキリストと洗礼者ヨハネ、左に天使、そして右に中東風の装束の男達が見守っています。フランチャは、マントヴァの宮廷画家になり、その後、ペルジーノとラファエロの影響を受けました。

  • フィレンツェに生まれたルネサンス期のイタリアの画家ドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio:1449 - 1494)の1490年頃の作品「若い女性の肖像」です。彼女はその時代のフィレンツェのファッションに身を包み、ぴったりとした服と珊瑚のネックレスで飾られたネック.ラインを備えています。

    フィレンツェに生まれたルネサンス期のイタリアの画家ドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio:1449 - 1494)の1490年頃の作品「若い女性の肖像」です。彼女はその時代のフィレンツェのファッションに身を包み、ぴったりとした服と珊瑚のネックレスで飾られたネック.ラインを備えています。

  • 上掲の肖像画と似ている作品をロンドンのナショナル.ギャラリーで見つけました。こちらも1490年頃の作品ですがギルランダイオの工房が製作しています。写真はナショナル.ギャラリーのウェブ.サイトから借画です。

    上掲の肖像画と似ている作品をロンドンのナショナル.ギャラリーで見つけました。こちらも1490年頃の作品ですがギルランダイオの工房が製作しています。写真はナショナル.ギャラリーのウェブ.サイトから借画です。

  • イタリア、ルネサンス期のヴェネツィア派の画家のチーマ.ダ.コネリアーノ(Cima da Conegliano:1459頃 - 1517頃)の1496/98年頃の作品「エジプトへの逃避の途中の休息」です。別名で「聖会話」とも呼ばれています。登場人物は左から洗礼者ヨハネ、聖母子、聖ヨセフ、ランプを持っている聖ルチア、そして二人の天使です。対称性とバランスに満ちた構図の中央背景に、キリスト教の生命の象徴である木が立っています。右端には聖母子を乗せていたロバも描かれています。

    イタリア、ルネサンス期のヴェネツィア派の画家のチーマ.ダ.コネリアーノ(Cima da Conegliano:1459頃 - 1517頃)の1496/98年頃の作品「エジプトへの逃避の途中の休息」です。別名で「聖会話」とも呼ばれています。登場人物は左から洗礼者ヨハネ、聖母子、聖ヨセフ、ランプを持っている聖ルチア、そして二人の天使です。対称性とバランスに満ちた構図の中央背景に、キリスト教の生命の象徴である木が立っています。右端には聖母子を乗せていたロバも描かれています。

  • 聖母子と聖ヨセフの聖家族とキリストに礼拝する天使を拡大しました。

    聖母子と聖ヨセフの聖家族とキリストに礼拝する天使を拡大しました。

  • これはヴェネツィアのアッカデミア美術館に展示してある同じ画家の同じと思われる時期に制作された「オレンジのマドンナ」です。聖母子は、木製または大理石の玉座の代わりに、玉座の形をした岩の上に座っており、その後ろにオレンジの木があり、作品にその名前が付けられています。聖母子の左に聖ジェローム(サンタ.ジロラーモ)、右にトゥールーズのルイ司教が立っています。

    これはヴェネツィアのアッカデミア美術館に展示してある同じ画家の同じと思われる時期に制作された「オレンジのマドンナ」です。聖母子は、木製または大理石の玉座の代わりに、玉座の形をした岩の上に座っており、その後ろにオレンジの木があり、作品にその名前が付けられています。聖母子の左に聖ジェローム(サンタ.ジロラーモ)、右にトゥールーズのルイ司教が立っています。

  • ネーデルランドの画家レンブラント.ファン.レイン(Rembrandt Van Rijn:1606 - 1669)の1645年の作品「ある老人の肖像」です。絵の中の人物の正体は不明です。彼が着ている豊かな衣装は、老人の職業や社会的地位を示すものではありません。むしろ、効果的な装飾要素として使用したのは、画家のアトリエにあった衣装のようです。

    ネーデルランドの画家レンブラント.ファン.レイン(Rembrandt Van Rijn:1606 - 1669)の1645年の作品「ある老人の肖像」です。絵の中の人物の正体は不明です。彼が着ている豊かな衣装は、老人の職業や社会的地位を示すものではありません。むしろ、効果的な装飾要素として使用したのは、画家のアトリエにあった衣装のようです。

  • バロック期のフランドルの画家ピーテル.パウル.ルーベン(Peter Paul Rubens:1577 - 1640)の1630/22年頃の作品「ヘレナ.フォーメントの肖像」です。ルーベンスはアントワープ市の裕福な絹と敷物の商人の娘であるヘレナ.フォーメントと1630年に結婚し、画家の2番目の妻としました。彼女はルーベンスより36才若い17才でした。この頃から、神話や個人および家族の肖像画の両方の作品で頻繁に登場し始めました。当時の裕福なブルジョアジーの間で流行していたファッションに従って、黒いサテンのドレスとダチョウの羽をかぶったつばの広い帽子を被っています。

    バロック期のフランドルの画家ピーテル.パウル.ルーベン(Peter Paul Rubens:1577 - 1640)の1630/22年頃の作品「ヘレナ.フォーメントの肖像」です。ルーベンスはアントワープ市の裕福な絹と敷物の商人の娘であるヘレナ.フォーメントと1630年に結婚し、画家の2番目の妻としました。彼女はルーベンスより36才若い17才でした。この頃から、神話や個人および家族の肖像画の両方の作品で頻繁に登場し始めました。当時の裕福なブルジョアジーの間で流行していたファッションに従って、黒いサテンのドレスとダチョウの羽をかぶったつばの広い帽子を被っています。

  • イタリアで絵画を学んだフランスの画家ユベール.ロベール(Hubert Robert(1733-1808)の作品2点です。ロベールは、都市景観画や奇想画と呼ばれる、実在の建物、古代遺跡、それに架空の遺跡などを描く風景画の作者として知られています。これは1775/77年頃の連作の作品の一つで「緑のカーペット」と題名が付けられています。もう一つは次に掲載した「アポロ浴場の植え込み」です。どちらの絵画も、ヴェルサイユ宮殿付属の庭園での樹木の伐採と植え替えを描いています。この「緑のカーペット」では、左側にギリシャ神話やローマ神話に出てくるキャスターとポルックスの兄弟の像、右側に紀元前6世紀頃に活躍したレスリング選手クロトンのミロンの像が見えます。中央にはアポロンの車駕の泉水があります。

    イタリアで絵画を学んだフランスの画家ユベール.ロベール(Hubert Robert(1733-1808)の作品2点です。ロベールは、都市景観画や奇想画と呼ばれる、実在の建物、古代遺跡、それに架空の遺跡などを描く風景画の作者として知られています。これは1775/77年頃の連作の作品の一つで「緑のカーペット」と題名が付けられています。もう一つは次に掲載した「アポロ浴場の植え込み」です。どちらの絵画も、ヴェルサイユ宮殿付属の庭園での樹木の伐採と植え替えを描いています。この「緑のカーペット」では、左側にギリシャ神話やローマ神話に出てくるキャスターとポルックスの兄弟の像、右側に紀元前6世紀頃に活躍したレスリング選手クロトンのミロンの像が見えます。中央にはアポロンの車駕の泉水があります。

  • 画面の登場人物を拡大しました。これは右側に集まる上流社会の人々のようです。

    画面の登場人物を拡大しました。これは右側に集まる上流社会の人々のようです。

  • これは画面の中央でシーソーを楽しむ人々です。

    これは画面の中央でシーソーを楽しむ人々です。

  • こちらは画面の左側で、作業に従事している人々が休息しているようです。食事をしている人もいます。

    こちらは画面の左側で、作業に従事している人々が休息しているようです。食事をしている人もいます。

  • これが対になったもう一つの絵画「アポロ浴場のボスケ(植え込み)」です。左隅には「太陽の馬」と呼ばれる彫刻が見えています。この彫刻は、庭園の改装でユベール.ロベールが設計した人口洞窟に移転しています。

    これが対になったもう一つの絵画「アポロ浴場のボスケ(植え込み)」です。左隅には「太陽の馬」と呼ばれる彫刻が見えています。この彫刻は、庭園の改装でユベール.ロベールが設計した人口洞窟に移転しています。

  • 18世紀、ルイ14世のスタイルを象徴するフランス製の戸棚です。オウィディウスの変身物語に基づいた神話のシーンを示す高浮き彫りのブロンズで飾られた2つのドアのある大きな戸棚です。製作者のアンドレ=シャルル.ブール(André-Charles Boulle:1642頃 - 1732)は、最も有名なフランスの家具職人で、「インレー」としても知られる寄木細工の分野で卓越した芸術家でした。

    18世紀、ルイ14世のスタイルを象徴するフランス製の戸棚です。オウィディウスの変身物語に基づいた神話のシーンを示す高浮き彫りのブロンズで飾られた2つのドアのある大きな戸棚です。製作者のアンドレ=シャルル.ブール(André-Charles Boulle:1642頃 - 1732)は、最も有名なフランスの家具職人で、「インレー」としても知られる寄木細工の分野で卓越した芸術家でした。

  • もう一つの戸棚の前に置かれた1712年頃に製作された天文時計です。この天文時計もアンドレ=シャルル.ブールの作品です。4つの柱形で構成された時計の基部に、クロノスが小さなキューピッドの隣に横たわっているのを見ることができます。これは時間の寓話を表しています。ブールの作品の品質と技術により、彼はルイ15世によって王のマスター家具職人に任命されました。天文時計は、時・分・秒のほか、日付、月の満ち欠け、太陽の位置などの情報を提供する、精度の高い機構を採用しています。

    もう一つの戸棚の前に置かれた1712年頃に製作された天文時計です。この天文時計もアンドレ=シャルル.ブールの作品です。4つの柱形で構成された時計の基部に、クロノスが小さなキューピッドの隣に横たわっているのを見ることができます。これは時間の寓話を表しています。ブールの作品の品質と技術により、彼はルイ15世によって王のマスター家具職人に任命されました。天文時計は、時・分・秒のほか、日付、月の満ち欠け、太陽の位置などの情報を提供する、精度の高い機構を採用しています。

  • 当時食べ物の保存のためにクロウシャ.ラ.マテロート(cloche à la matelote)と呼ばれていた「皿カバー」です。これは、アントワーヌ-セバスチャンデュラン(Antoine-Sébastien Durand:1751頃 - 52)が製作した銀製の1745/50年頃の作品です。カバーされる食べ物によってカバーの上の装飾が異なっていたそうです。従ってこのカバーは、魚料理に使われていたのでしょう。

    当時食べ物の保存のためにクロウシャ.ラ.マテロート(cloche à la matelote)と呼ばれていた「皿カバー」です。これは、アントワーヌ-セバスチャンデュラン(Antoine-Sébastien Durand:1751頃 - 52)が製作した銀製の1745/50年頃の作品です。カバーされる食べ物によってカバーの上の装飾が異なっていたそうです。従ってこのカバーは、魚料理に使われていたのでしょう。

  • 樽を積んだ手押し車を押す小さな男の子の形をしたこの一対のマスタード.ポットは、おそらくルイ15世の公妾であったポンパドゥール侯爵夫人のために1751/52年頃に製作されました。鷲に支えられた樽はマスタードを入れるように設計されており、それぞれにスプーンが付いています。腰布を着けた2人の子供は、愛の神であるキューピッドをはっきりと示す、肩に矢を持った矢筒を持っています。この作品が入っていたオリジナルのレザー.ケースが側に置いてあります。

    樽を積んだ手押し車を押す小さな男の子の形をしたこの一対のマスタード.ポットは、おそらくルイ15世の公妾であったポンパドゥール侯爵夫人のために1751/52年頃に製作されました。鷲に支えられた樽はマスタードを入れるように設計されており、それぞれにスプーンが付いています。腰布を着けた2人の子供は、愛の神であるキューピッドをはっきりと示す、肩に矢を持った矢筒を持っています。この作品が入っていたオリジナルのレザー.ケースが側に置いてあります。

  • この方がポンパドゥール侯爵夫人です。フランスのロココを代表する画家フランソワ.ブーシェ(Francois Boucher:1703 - 1770)の作品でミュンヘンのアルテ.ピナコテク美術館に展示してあります。以前&quot;シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (29)最終日はミュンヘンの美術館です(3月27日)&quot;で紹介しています。

    この方がポンパドゥール侯爵夫人です。フランスのロココを代表する画家フランソワ.ブーシェ(Francois Boucher:1703 - 1770)の作品でミュンヘンのアルテ.ピナコテク美術館に展示してあります。以前"シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (29)最終日はミュンヘンの美術館です(3月27日)"で紹介しています。

  • 主に肖像画を描いたフランスの画家ニコラ.ド.ラルジリエール(Nicolas de Largillière:1656 - 1746)の1736年の作品で、ルーヴル美術館の工房の金細工職人のトーマス.ジェルマン(1673 - 1748)と妻のアン.デニス.ゴーシュレの肖像画です。絵の中に描かれている品物のいくつかは、トーマス.ジェルマンの製作作品に関連しているようです。彼は軸にサテュロスが付いた燭台を誇らしげに指しています。

    主に肖像画を描いたフランスの画家ニコラ.ド.ラルジリエール(Nicolas de Largillière:1656 - 1746)の1736年の作品で、ルーヴル美術館の工房の金細工職人のトーマス.ジェルマン(1673 - 1748)と妻のアン.デニス.ゴーシュレの肖像画です。絵の中に描かれている品物のいくつかは、トーマス.ジェルマンの製作作品に関連しているようです。彼は軸にサテュロスが付いた燭台を誇らしげに指しています。

  • イギリスの肖像画家トーマス.ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727 - 1788)の1775年頃の作品で「ローンデス.ストーン夫人になったエリザベス.ガースの肖像」です。この洗練された全身肖像画のスタイルは、1630年代にバロック期のフランドル出身の画家ヴァン.ダイクによってイギリスに導入されました。ゲインズバラは風景や自然をこよなく愛し、彼が真に描きたかったのは風景であり、「肖像画は金のために、風景画は楽しみのために描く」と言っていたそうです。

    イギリスの肖像画家トーマス.ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727 - 1788)の1775年頃の作品で「ローンデス.ストーン夫人になったエリザベス.ガースの肖像」です。この洗練された全身肖像画のスタイルは、1630年代にバロック期のフランドル出身の画家ヴァン.ダイクによってイギリスに導入されました。ゲインズバラは風景や自然をこよなく愛し、彼が真に描きたかったのは風景であり、「肖像画は金のために、風景画は楽しみのために描く」と言っていたそうです。

  • イギリスのロマン主義の画家ジョゼフ.マロード.ウィリアム.ターナー(J.M.W.Turner:1775 - 1851)の1810年頃の作品で「軍艦マイノーターの難破」です。ターナーは当初普通の商船の難破を描くつもりで下絵を完成させましたが、当時大事件となっていて関心を集めていた軍艦マイノーターの難破に題名を変えました。軍艦マイノーターは1793年の進水後、三大海戦であるナイル、トラファルガー、コペンハーゲンに参加し1811年にオランダの海岸で難破し、その場所での最大の死者を出しました。<br />

    イギリスのロマン主義の画家ジョゼフ.マロード.ウィリアム.ターナー(J.M.W.Turner:1775 - 1851)の1810年頃の作品で「軍艦マイノーターの難破」です。ターナーは当初普通の商船の難破を描くつもりで下絵を完成させましたが、当時大事件となっていて関心を集めていた軍艦マイノーターの難破に題名を変えました。軍艦マイノーターは1793年の進水後、三大海戦であるナイル、トラファルガー、コペンハーゲンに参加し1811年にオランダの海岸で難破し、その場所での最大の死者を出しました。

  • ボートに救助される人々を拡大しました。赤い服は兵士のようです。

    ボートに救助される人々を拡大しました。赤い服は兵士のようです。

  • こちらもターナーの1833年の作品で「セーヌ川口のキユバッフ」です。キユバッフは、フランス北部のノルマンディー地方でセーヌ川左岸にある古い港町です。暖色系の色を多用したターナーらしさが良くでている作品の一つになっています。画面では大きな波を背景にノートルダム.ド.ボンポート教会と灯台が描かれています。

    こちらもターナーの1833年の作品で「セーヌ川口のキユバッフ」です。キユバッフは、フランス北部のノルマンディー地方でセーヌ川左岸にある古い港町です。暖色系の色を多用したターナーらしさが良くでている作品の一つになっています。画面では大きな波を背景にノートルダム.ド.ボンポート教会と灯台が描かれています。

  • 同じ「セーヌ川口のキユバッフ」を描いた別のパネルがロンドンのテート.ブリテン.ギャラリーにありました。この写真は、そのギャラリーの下記のサイトからの借画です。<br />https://www.tate.org.uk/art/artworks/turner-quillebeuf-d24668<br />こちらは同じ頃の作品ですが、水色の紙に描かれた水彩画で一味違ったターナーの作品になっています。

    同じ「セーヌ川口のキユバッフ」を描いた別のパネルがロンドンのテート.ブリテン.ギャラリーにありました。この写真は、そのギャラリーの下記のサイトからの借画です。
    https://www.tate.org.uk/art/artworks/turner-quillebeuf-d24668
    こちらは同じ頃の作品ですが、水色の紙に描かれた水彩画で一味違ったターナーの作品になっています。

  • 国王ジョージ3世のお抱えのイギリス人肖像画家トーマス.ローレンス(Thomas Lawrence:1769 - 1830)の1821/24年頃の作品「エリザベス.ヘンリエッタ.カニンガム卿夫人(1770 - 1861)の肖像画」です。 彼女は1830年に亡くなったジョージ4世の最後の愛人でした。

    国王ジョージ3世のお抱えのイギリス人肖像画家トーマス.ローレンス(Thomas Lawrence:1769 - 1830)の1821/24年頃の作品「エリザベス.ヘンリエッタ.カニンガム卿夫人(1770 - 1861)の肖像画」です。 彼女は1830年に亡くなったジョージ4世の最後の愛人でした。

  • イタリアの都市景観画や奇想画、風俗画を描いたイタリアの画家フランチェスコ.グアルディ(Francesco Guardi:1712 - 1793)のヴェネツィアを描いた作品9点です。景観画で同じく有名なカナレット(Canaletto:1697 - 1768)とは一味違った絵を描いています。<br />このパネルは「ジュデッカ運河沿いのサンタ.マルタ教会」です。この教会は14世紀にジュデッカ運河の北岸で最西端に建てられれました。20世紀になり、教会の周りがヴェネツィア本島の再開発で近代的な港やバスターミナル、駐車場が造られ教会の機能は停止しました。鐘楼は残っていませんが、教会本体の建物は、会議や文化イベントの開催などに使われているそうです。

    イタリアの都市景観画や奇想画、風俗画を描いたイタリアの画家フランチェスコ.グアルディ(Francesco Guardi:1712 - 1793)のヴェネツィアを描いた作品9点です。景観画で同じく有名なカナレット(Canaletto:1697 - 1768)とは一味違った絵を描いています。
    このパネルは「ジュデッカ運河沿いのサンタ.マルタ教会」です。この教会は14世紀にジュデッカ運河の北岸で最西端に建てられれました。20世紀になり、教会の周りがヴェネツィア本島の再開発で近代的な港やバスターミナル、駐車場が造られ教会の機能は停止しました。鐘楼は残っていませんが、教会本体の建物は、会議や文化イベントの開催などに使われているそうです。

  • これは「ドロのロック.ゲート」です。ドロは、パドヴァとヴェネツィアを結ぶブレンタ運河の中程にある町です。運河沿いの離宮、別荘を運河から鑑賞するボート.ツアーがあります。同じ構図でカナレットも「ブレンタのドロの製粉所の眺め」の題名でドロのロック.ゲートを描いています。

    これは「ドロのロック.ゲート」です。ドロは、パドヴァとヴェネツィアを結ぶブレンタ運河の中程にある町です。運河沿いの離宮、別荘を運河から鑑賞するボート.ツアーがあります。同じ構図でカナレットも「ブレンタのドロの製粉所の眺め」の題名でドロのロック.ゲートを描いています。

  • これは1775年頃の作品で「大運河でのレガッタ」です。こちらの絵は、下に掲載する作品より西の奥から眺めた光景になっています。多分大運河を右に大きく廻ってリアルト橋に向かい直線になった所で描いているようです。リアルト橋は遠くにその右半分が微かに見えています。左端にはパラッツォ.バルビが描かれています。レガッタはこちらが出発点でリアルト橋の方向に漕いで行くようです。

    これは1775年頃の作品で「大運河でのレガッタ」です。こちらの絵は、下に掲載する作品より西の奥から眺めた光景になっています。多分大運河を右に大きく廻ってリアルト橋に向かい直線になった所で描いているようです。リアルト橋は遠くにその右半分が微かに見えています。左端にはパラッツォ.バルビが描かれています。レガッタはこちらが出発点でリアルト橋の方向に漕いで行くようです。

  • これは「リアルト橋近くの大運河のレガッタ」です。リアルト橋を西の方向から眺めています。右側が南岸で、黒い色の建物はパラッツォ.ドルフィン.マニンです。建物は16世紀前半に建設が始まっています。

    これは「リアルト橋近くの大運河のレガッタ」です。リアルト橋を西の方向から眺めています。右側が南岸で、黒い色の建物はパラッツォ.ドルフィン.マニンです。建物は16世紀前半に建設が始まっています。

  • 左側に描かれている最も豪華な船を拡大しました。漕ぎ手が4人で、船尾にはラッパを吹く天使、船首には弓を引く子供の人形の装飾がなされています。

    左側に描かれている最も豪華な船を拡大しました。漕ぎ手が4人で、船尾にはラッパを吹く天使、船首には弓を引く子供の人形の装飾がなされています。

  • こちらは1762/63年の作品「リアルト橋と大運河」です。この絵は大運河の南岸で西の方向からリアルト橋を描いています。右側に前掲の絵画と同じパラッツォ.ドルフィン.マニンが描かれています。

    こちらは1762/63年の作品「リアルト橋と大運河」です。この絵は大運河の南岸で西の方向からリアルト橋を描いています。右側に前掲の絵画と同じパラッツォ.ドルフィン.マニンが描かれています。

  • 画面の左側を拡大しました。景観は、祭りや特別な行事ではなく日常の光景のようで、北岸では多数の船から荷物の積み下ろしが行われています。

    画面の左側を拡大しました。景観は、祭りや特別な行事ではなく日常の光景のようで、北岸では多数の船から荷物の積み下ろしが行われています。

  • こちらは1775年の作品で「キリストの昇天の饗宴中のサン.マルコ広場」です。キリストの昇天は、伝統的にイースターの40日目である木曜日に祝われるそうです。広場の両側の構造物は仮設の建物のようです。

    こちらは1775年の作品で「キリストの昇天の饗宴中のサン.マルコ広場」です。キリストの昇天は、伝統的にイースターの40日目である木曜日に祝われるそうです。広場の両側の構造物は仮設の建物のようです。

  • サン.マルコ聖堂を拡大しました。

    サン.マルコ聖堂を拡大しました。

  • こちらは1777年の作品の上掲の絵と同じ題材、構図の絵画です。ヴェネツィアの景観画は大変人気があったので、何枚も同じような作品が制作されています。

    こちらは1777年の作品の上掲の絵と同じ題材、構図の絵画です。ヴェネツィアの景観画は大変人気があったので、何枚も同じような作品が制作されています。

  • これは1780年の作品で「ブチントロの出発」です。ブチントロは、ヴェネツィア共和国の総督、ドージェが乗るガレー船(主として人力で櫂を漕いで進む船)です。1798年にナポレオンに滅ぼされるまで、毎年復活祭に行われる&quot;海との結婚&quot;という行事で総督がこの船でアドリア海に出港しました。<br />グルベンキアン美術館は近代的な美術館ですが、展示作品にこのような電灯が映り込みます。

    これは1780年の作品で「ブチントロの出発」です。ブチントロは、ヴェネツィア共和国の総督、ドージェが乗るガレー船(主として人力で櫂を漕いで進む船)です。1798年にナポレオンに滅ぼされるまで、毎年復活祭に行われる"海との結婚"という行事で総督がこの船でアドリア海に出港しました。
    グルベンキアン美術館は近代的な美術館ですが、展示作品にこのような電灯が映り込みます。

  • ブチントロを拡大しました。この船は、1729年に処女航海を行った4隻目の船で、その豪華さはまるで海に浮かぶ宮殿のようでした。長さ35m、高さ8m以上の大きさで、この船を動かすのに168人の漕ぎ手のほか40人以上の乗組員が必要であったとされています。

    ブチントロを拡大しました。この船は、1729年に処女航海を行った4隻目の船で、その豪華さはまるで海に浮かぶ宮殿のようでした。長さ35m、高さ8m以上の大きさで、この船を動かすのに168人の漕ぎ手のほか40人以上の乗組員が必要であったとされています。

  • これは「ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿」です。上掲の絵と同じようにガレー船が描かれていますが、少し小さいようです。

    これは「ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿」です。上掲の絵と同じようにガレー船が描かれていますが、少し小さいようです。

  • 宮殿を中心に拡大しました。ガレー船は停泊しているだけのようで、周りの船も特に何かを祝っているようには見えません。右端には大きな貨物船が描かれています。

    宮殿を中心に拡大しました。ガレー船は停泊しているだけのようで、周りの船も特に何かを祝っているようには見えません。右端には大きな貨物船が描かれています。

  • 印象派の指導者あるいは先駆者であったフランスの画家エドゥアール.マネ(Edouard Manet:1832 - 1883)の1867年の作品「シャボン玉を吹く少年」です。モデルの少年はマネの連れ子だそうで、マネの絵画に何度か出演しています。

    印象派の指導者あるいは先駆者であったフランスの画家エドゥアール.マネ(Edouard Manet:1832 - 1883)の1867年の作品「シャボン玉を吹く少年」です。モデルの少年はマネの連れ子だそうで、マネの絵画に何度か出演しています。

  • この絵はエドワード.バーン=ジョーンズ卿(Sir Edward Burne-Jones:1833 - 1898)の1877年の作品で「ヴィーナスの鏡」です。1848年にイギリスで結成されたラファエル前派運動の一員であるバーン=ジョーンズ卿は、1860年代に出現した耽美主義として知られる新しいトレンドの主要人物の1人になりました。この絵の構図は、理想的な美しさの高揚と見なすことができ、絵画の雰囲気を後期ビクトリア朝の芸術が共有する視点と一致させます。画家は最小限の物語要素を採用し、ギリシャ風のフリーズのように、疑似古典的な服を着た詩的で一風変わった女性の直線的な配置を作成しました。

    この絵はエドワード.バーン=ジョーンズ卿(Sir Edward Burne-Jones:1833 - 1898)の1877年の作品で「ヴィーナスの鏡」です。1848年にイギリスで結成されたラファエル前派運動の一員であるバーン=ジョーンズ卿は、1860年代に出現した耽美主義として知られる新しいトレンドの主要人物の1人になりました。この絵の構図は、理想的な美しさの高揚と見なすことができ、絵画の雰囲気を後期ビクトリア朝の芸術が共有する視点と一致させます。画家は最小限の物語要素を採用し、ギリシャ風のフリーズのように、疑似古典的な服を着た詩的で一風変わった女性の直線的な配置を作成しました。

  • こちらは1888年頃の作品「ヴィーナスの水浴」です。ヴィーナスの背後には楽器を持った女性達が囲んでいます。こちらのパネルにも光が縦に写り込んでいます。

    こちらは1888年頃の作品「ヴィーナスの水浴」です。ヴィーナスの背後には楽器を持った女性達が囲んでいます。こちらのパネルにも光が縦に写り込んでいます。

  • これは、アール.ヌーヴォーやアール.デコの両時代に活躍したフランスのガラス工芸家、金細工師、宝飾デザイナーであったルネ.ラリック(René Lalique:1860 - 1945)の1897/98年頃の作品でコサージュ.オーナメントの「ドラゴンフライ.ウーマン」です。グリフィンの爪が付いた昆虫のぽっかりと開いた口から、エナメルで塗られ金のカブトムシで飾られたヘルメットを被った緑玉髄の女性の胸像が現れます。

    これは、アール.ヌーヴォーやアール.デコの両時代に活躍したフランスのガラス工芸家、金細工師、宝飾デザイナーであったルネ.ラリック(René Lalique:1860 - 1945)の1897/98年頃の作品でコサージュ.オーナメントの「ドラゴンフライ.ウーマン」です。グリフィンの爪が付いた昆虫のぽっかりと開いた口から、エナメルで塗られ金のカブトムシで飾られたヘルメットを被った緑玉髄の女性の胸像が現れます。

  • グルベンキアン美術館を出て、カルースト.グルベンキアン.ファンデーション庭園の南端近くにあるサン.セバスティアン駅から地下鉄に乗り、2駅目のマルケス.デ.ボンバルまで乗車しました。地上に出ると、そこはボンバル侯爵広場です。広場の北西方向は上り坂で、エドゥアルド7世公園になっています。

    グルベンキアン美術館を出て、カルースト.グルベンキアン.ファンデーション庭園の南端近くにあるサン.セバスティアン駅から地下鉄に乗り、2駅目のマルケス.デ.ボンバルまで乗車しました。地上に出ると、そこはボンバル侯爵広場です。広場の北西方向は上り坂で、エドゥアルド7世公園になっています。

  • 広場の南東方向は、下り坂でリベルダーデ通りに繋がっています。円形のボンバル侯爵広場を一周しました。

    広場の南東方向は、下り坂でリベルダーデ通りに繋がっています。円形のボンバル侯爵広場を一周しました。

  • 広場の中央には1934年に完成した、彫刻が施された基台の上に立つ高さ40メートルの柱に、ライオンの背に手を置いたボンバル侯爵の銅像がリベルダーデ通りに沿ってテージョ川の方向を向いて立っています。

    広場の中央には1934年に完成した、彫刻が施された基台の上に立つ高さ40メートルの柱に、ライオンの背に手を置いたボンバル侯爵の銅像がリベルダーデ通りに沿ってテージョ川の方向を向いて立っています。

  • 基台には寓意的な像が見られます。例えばリスボンの再建を象徴する女性の像です。

    基台には寓意的な像が見られます。例えばリスボンの再建を象徴する女性の像です。

  • また地下鉄でレスタウラドーレス駅に戻って行きます。駅の通路の壁に貼られたアズレージョです。

    また地下鉄でレスタウラドーレス駅に戻って行きます。駅の通路の壁に貼られたアズレージョです。

  • 地下鉄レスタウラドーレス駅では滞在ホテルの反対側に出ました。写真の左側の建物がホテル.アベニーダ.パレスです。

    地下鉄レスタウラドーレス駅では滞在ホテルの反対側に出ました。写真の左側の建物がホテル.アベニーダ.パレスです。

  • レスタウラドーレス広場でグロリア線と反対側にあったラウラ線のケーブルカーの線路です。今日は運行していないようです。線路上には複数の車が駐車しています。その向こうに微かに電車が見えていますが。

    レスタウラドーレス広場でグロリア線と反対側にあったラウラ線のケーブルカーの線路です。今日は運行していないようです。線路上には複数の車が駐車しています。その向こうに微かに電車が見えていますが。

  • 午後1時半になりました。ラウラ線の&quot;ケーブルカー式電車&quot;に乗るのは諦めて昼食にします。観光客への客引きが盛んなポルタス.デ.サント.アンタオン通りです。その北の端で芸術劇場(Coliseu dos Recreios)前の店リスボア.ハ.メサ(Lisboa Há Mesa)に入りました。トリップ.アドバイザー評価は、5,757中370位でした。ここは客引きもなく気持ちの良い店でした。

    午後1時半になりました。ラウラ線の"ケーブルカー式電車"に乗るのは諦めて昼食にします。観光客への客引きが盛んなポルタス.デ.サント.アンタオン通りです。その北の端で芸術劇場(Coliseu dos Recreios)前の店リスボア.ハ.メサ(Lisboa Há Mesa)に入りました。トリップ.アドバイザー評価は、5,757中370位でした。ここは客引きもなく気持ちの良い店でした。

  • 今日の昼食は魚にしました。ジジはこれにしました。

    今日の昼食は魚にしました。ジジはこれにしました。

  • ババはこちらです。

    ババはこちらです。

  • お店の外観です。

    お店の外観です。

  • 窓際に、雄鶏伝説に基づく幸運の象徴「ガロ」の置物が飾ってありました。

    窓際に、雄鶏伝説に基づく幸運の象徴「ガロ」の置物が飾ってありました。

  • 通りには、今では珍しい靴磨きの人がいました。昼食を済ました3時少し前です。アルファマを市電で散策する事にしました。フィゲイラ広場から電車に乗ります。

    通りには、今では珍しい靴磨きの人がいました。昼食を済ました3時少し前です。アルファマを市電で散策する事にしました。フィゲイラ広場から電車に乗ります。

  • フィゲイラ広場では食品マーケット開かれていました。

    フィゲイラ広場では食品マーケット開かれていました。

  • 市電の停留所から眺めたフィゲイラ広場です。白いテントの下でマーケットが開かれています。

    市電の停留所から眺めたフィゲイラ広場です。白いテントの下でマーケットが開かれています。

  • フィゲイラ広場の市電のターミナルです。ターミナルと言っても単線で、15番と28番と循環線の12番の終着始発点となっているだけです。12番の電車2両が停車しています。

    フィゲイラ広場の市電のターミナルです。ターミナルと言っても単線で、15番と28番と循環線の12番の終着始発点となっているだけです。12番の電車2両が停車しています。

  • 循環線の12番の市電に乗りました。運転手さんは女性です。この12番線は単線で、一方通行のみです。昔は両方向の電車を走らせていたのでしょうか、途中に何箇所かの複線区間があって線路が残っています。

    循環線の12番の市電に乗りました。運転手さんは女性です。この12番線は単線で、一方通行のみです。昔は両方向の電車を走らせていたのでしょうか、途中に何箇所かの複線区間があって線路が残っています。

  • フィゲイラ広場から28番の電車も使う線路を北に走ります。プラーサ.マルティム.モニスの北端で28番と別れて右に曲がり、12番の電車はアルファマに入っていきます。突然道路が狭くなり線路を塞いで車が駐停車しています。この通りの反対側にも歩道がありますが、石の杭が並んで立っているので、車はこのようには入れません。

    フィゲイラ広場から28番の電車も使う線路を北に走ります。プラーサ.マルティム.モニスの北端で28番と別れて右に曲がり、12番の電車はアルファマに入っていきます。突然道路が狭くなり線路を塞いで車が駐停車しています。この通りの反対側にも歩道がありますが、石の杭が並んで立っているので、車はこのようには入れません。

  • この旧型単車の車両が一番危ない、&quot;スリに注意&quot;の表示です。座って入れば安心ですが、立っていると危ないです。

    この旧型単車の車両が一番危ない、"スリに注意"の表示です。座って入れば安心ですが、立っていると危ないです。

  • また、駐車した車です。この車は歩道に乗り上げて過ごそうと努力しましたが無理でした。すごすごと後ずさりしました。

    また、駐車した車です。この車は歩道に乗り上げて過ごそうと努力しましたが無理でした。すごすごと後ずさりしました。

  • ポルタス.ド,ソル広場に着いて、観光客が降りて車内が空きました。ここは又後でくる事にして電車での街散歩を続けます。

    ポルタス.ド,ソル広場に着いて、観光客が降りて車内が空きました。ここは又後でくる事にして電車での街散歩を続けます。

  • ポルタス.ド.ソル広場から線路は下りになります。リスボン大聖堂の手前です。まだまだ狭い道は続きます。

    ポルタス.ド.ソル広場から線路は下りになります。リスボン大聖堂の手前です。まだまだ狭い道は続きます。

  • バイシャのプラタ通りに戻ってきました。終点のフィゲイラ広場はもう直ぐです。通りの商店のガラスに映った電車です。

    バイシャのプラタ通りに戻ってきました。終点のフィゲイラ広場はもう直ぐです。通りの商店のガラスに映った電車です。

  • 今度はフィゲイラ広場から28番の電車に乗って北側に大廻りをしアルファマの丘に行きます。比較的広い道路に敷かれた線路を走ってきた電車は、ノッサ.セニョーラ.ダ.グラサ修道院の近くにあるグラサ停留所まで緩やかな坂を電車が上がってきました。このグラサからヴォス.ド.オペラーリオ通りの坂を下ります。道路もこのように狭くなりました。この辺りは歩道の通行を確保のために棒が立っていて車は歩道に避けられません。

    今度はフィゲイラ広場から28番の電車に乗って北側に大廻りをしアルファマの丘に行きます。比較的広い道路に敷かれた線路を走ってきた電車は、ノッサ.セニョーラ.ダ.グラサ修道院の近くにあるグラサ停留所まで緩やかな坂を電車が上がってきました。このグラサからヴォス.ド.オペラーリオ通りの坂を下ります。道路もこのように狭くなりました。この辺りは歩道の通行を確保のために棒が立っていて車は歩道に避けられません。

  • サン.ヴィセンテ.デ.フォーラ教会の左側を通って行きます。残念ながら車窓の反対側に座っているので見えません。28番の電車が団子で走って行きます。この少し先から単線の狭い道路になります。そして電車は右に曲がっていきます。

    サン.ヴィセンテ.デ.フォーラ教会の左側を通って行きます。残念ながら車窓の反対側に座っているので見えません。28番の電車が団子で走って行きます。この少し先から単線の狭い道路になります。そして電車は右に曲がっていきます。

  • 更に右に曲がりました。単線はここで複線に戻り、その後電車は左に曲がって単線の12番の循環線に合流します。

    更に右に曲がりました。単線はここで複線に戻り、その後電車は左に曲がって単線の12番の循環線に合流します。

  • 今度はポルタス.ド.ソル広場で電車を降りて展望台に行きました。南東方向の眺めです。写真の左から右へ、&quot;A&quot; は「サント.エステヴァーオ教会」、&quot;B&quot; は「ファド博物館」、&quot;C&quot;は「リスボン.クルーズ.ポート」の建物、&quot;D&quot;は「旧税関」の建物です。

    今度はポルタス.ド.ソル広場で電車を降りて展望台に行きました。南東方向の眺めです。写真の左から右へ、"A" は「サント.エステヴァーオ教会」、"B" は「ファド博物館」、"C"は「リスボン.クルーズ.ポート」の建物、"D"は「旧税関」の建物です。

  • こちらは北東の方向の眺めです。左から右へ、&quot;A&quot;は「サン.ヴィセンテ.デ.フォーラ教会」、&quot;B&quot;は「サンタ.エングラシア教会」、&quot;C&quot;は「サント.エステヴァーオ教会」です。

    こちらは北東の方向の眺めです。左から右へ、"A"は「サン.ヴィセンテ.デ.フォーラ教会」、"B"は「サンタ.エングラシア教会」、"C"は「サント.エステヴァーオ教会」です。

  • ポルタス.ド.ソル広場に立つリスボンの守護聖人サン.ヴィセンテの彫像です。展望台での眺望を楽しんだ後、28番の電車に乗って西の方向へ終点のカンポ.オウリケに向かいます。

    ポルタス.ド.ソル広場に立つリスボンの守護聖人サン.ヴィセンテの彫像です。展望台での眺望を楽しんだ後、28番の電車に乗って西の方向へ終点のカンポ.オウリケに向かいます。

  • 残念がら我々が乗車した28番の電車は、一昨日訪れたカモンイス広場が終点でした。既に夕方の5時近くなので歩いてホテルに戻ります。ここはカモンイス広場の東で地下鉄のバイシャ.シアード駅の側です。カモンイス広場止まりの28番の電車が角を曲がってきました。

    残念がら我々が乗車した28番の電車は、一昨日訪れたカモンイス広場が終点でした。既に夕方の5時近くなので歩いてホテルに戻ります。ここはカモンイス広場の東で地下鉄のバイシャ.シアード駅の側です。カモンイス広場止まりの28番の電車が角を曲がってきました。

  • 右側のサンタ.ジュスタのエレベーターから左側のカルモ教会に繋がる陸橋の下のカルモ通りを歩いていきます。

    右側のサンタ.ジュスタのエレベーターから左側のカルモ教会に繋がる陸橋の下のカルモ通りを歩いていきます。

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