2017/04/02 - 2017/04/27
41位(同エリア220件中)
さわ子さん
2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流しポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。
第6回目の旅行記はポルトガルのリスボン街歩き二日目の記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 4月 2~3日 ミュンヘン泊
★ 4日 ハイデルベルク泊
★ 5日 フランクフルト泊
★ 6~10日 リスボン泊
★ 10~12泊 ポルト泊
★ 13~17日 マドリッド泊
★ 18~19日 コルドヴァ泊
★ 20~21日 セヴィリャ泊
★ 22~23日 バルセロナ伯
★ 24~26日 フランクフルト泊
★ 27日 フランクフルトから羽田へ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝食を済ませ8時半になりました。街歩きに出発します。階段側のソファーでエレベーターを待ちます。
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ホテル.アヴェニーダ.パレスの北側面です。手前に地下鉄レスタウラドーレス駅の入り口が見えています。我々の部屋は矢印の先の二つの窓がある所です。
ホテル前のロシオ地下鉄駅で交通券としてヴィヴァ.ヴィアジェンを買いました。発行手数料を含め4日乗り放題で一人25.10ユーロでした。 -
ロシオ駅の前からロシオ広場の北側の噴水が見えています。後方の丘にはサン.ジョルジェ城があります。静かな朝の広場です。
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これはネオ.マヌエル様式で1890年に完成した国鉄ロシオ駅のファサードです。この駅は、ポルトガル鉄道リスボン近郊鉄道のターミナルで、シントラ線もここから出発します。最も特徴的なものは、二つの蹄鉄をかたどった入り口で、時計がある小塔や壁面の豊富な彫刻、駅構内の装飾も特徴になっています。駅構内は2008年に改装されています。この馬蹄形の入り口を入った4階にプラット.ホームがあります。
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ムデハル様式の馬蹄状の二つの入り口の間の隙間にある碧眼が空になっていますが、そこに設置してあったポルトガル王セバスチャンの石像が2016年に誤って壊されてしまいました。
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ロシオ広場の北側あるドナ.マリア2世国立劇場です。イタリア人建築家によるネオ.クラシック様式の劇場が1846年に完成しました。劇場の建物は、リスボンに影響をもたらしたイタリアの建築家アンドレーア.パッラーディオ(Andrea Palladio:1508 - 1580)が設計した建物の好例です。ファサードの姿は、6本のイオニア式円柱のあるポルチコ(屋根付き柱廊玄関)です。破風のティンパヌムは、アポロンとミューズの彫刻レリーフで装飾されています。イタリアの北部ヴェネト州の都市ヴィチェンツァを中心にパッラーディオが設計した多くの建物が残っています。
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19世紀に、ロシオ広場は典型的なポルトガル風モザイクの石畳にされ、フランスから輸入されたブロンズ製の二つの噴水で飾られました。これはロシオ広場の中央にある、1874年に建てられた初代ブラジル国王ドン.ペドロ4世のブロンズ像が頂上にある塔の基壇です。
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ロシオ広場から南西方向を望んでいます。写真の左にサンタ.ジュスタのエレベーターの最上階、中央にカルモ修道院の遺跡が見えています。
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ロシオ広場の東にあるフィゲイラ広場です。広場の南側は市電12番と15番のターミナルになっています。
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フィゲイラ広場の南側にある市電の始発.終着停留所から広場の北西方向を望んでいます。広場の中央にドン.ジョアン1世の騎馬像が見えます。広場では朝市が開かれています。ここから15番線の市電に乗りベレンの塔に向かいます。
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1995年に導入された超低床3車体連接の新型車両が15番線のみ走っています。これはその市電の内部です。
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車内に表示してあった「スリに注意」の標識です。実際にそれらしき人物を見かけたのは、旧型の車両でした。座っていれば危険は少なくなりますが、立っている時は充分な注意が必要です。
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フィゲイラ広場を出発した電車は南に走り、右に曲がってコメルシオ広場の北側を西の方向に走ります。コメルシオ広場中央に建つドン.ジョゼ1世の騎馬像が見えました。
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15番の市電はカイス.ド.ソドレ駅の地下鉄入り口前を走っています。カイス.ド.ソドレ駅はリスボンの近郊路線のターミナルで、ポルトガル西端の町カスカイスに行く電車も発着しています。
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後で見学するジェロニモス修道院前を市電は走っていきます。
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ベレンの塔近くで市電を降りるつもりでしたが、1駅手前で降りてしまって550mも余計に歩く事になりました。これは建物の壁をキャンバスにして描かれた絵です。
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ポルトガル鉄道近郊線を陸橋で渡ります。東の方向を望んでいます。左から右の遠くに発見のモニュメント、4月25日橋、テージョ川南岸にあるクリスト.レイ像が見えています。
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ベレンの塔が見えてきました。10時の会館20分前ですが、周りはもう観光客でいっぱいです。ベレンの塔の庭園と呼ばれる周りを散策します。
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愛犬連れの人への注意喚起の標識です。赤色の"proibido"は「禁止」の意味で、リード無しで愛犬との散歩は禁止で、違反は 3,740ユーロと警告しているようです。下の青い色の"OBRIGATÓRIO"は「必須」の意味で、愛犬の排泄物の始末を注意喚起しています。こちらの違反の罰金は 727.50ユーロと書いてあります。
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先ほど渡った国鉄近郊線を電車が走っていきます。
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開場の10時まで15分ほどですが、待ち行列はまだできていません。ベレンの塔は16世紀の要塞の一部でポルトガルの探検家達はここで出入国し、またその式典もここで行われました。建物は典型的なポルトガルのマヌエル様式で建てられ、堡塁の上の塔は4層になっています。ベレンの塔はテージョ川の川中に建てられたものが、地震で川の流れが変わり今や川岸に建っていると誤って伝えられましたが、元々川岸近くの島に建てられたものです。
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テージョ川の河口を望んでいます。要塞の機能の重要な役割りを持つ堡塁に大砲が並ぶ窓が見えています。
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ベレンの塔の入り口に通ずる橋の手前にあったブロンズ製の模型です。
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10時になりベレンの塔に入りました。ここは堡塁2層目になります。四方に向かって17台の砲車が設置してあります。
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塔の西側で南寄りにある狭い螺旋階段を伝って塔に上がっていきます。
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塔の屋上テラスから西の方向、テージョ川の河口を望みます。
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北北東の方向の眺めです。塔の庭園前からトーレ.デ.ベレン通りが真っ直ぐに伸びています。屋上テラスの胸壁には、ピラミッド形の頭部を持つマーロンと呼ばれる突き出しが櫛状に並んでいるので、写真の両側にこの様な二つのマーロン頭部のピラミッドが写り込みます。
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塔の頂上から東の方向を望みます。遠くに4月25日橋が見えます。その右側には高さ110mのクリスト.レイ像も確認できます。
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ほぼ正方形の屋上テラスの四隅には円筒状の監視塔が設置してありました。
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これが監視塔の大きさです。この塔は、銃で応戦する防御塔にもなります。
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これは塔の西側で南寄りある螺旋階段の出口になっている塔です。
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川面を見下ろしました。これは大砲が置かれた、南側が張り出した様な6角形の保塁屋上のテラスの角に造られた監視塔を上から眺めています。この塔は最上階の監視塔より少し大きくなっています。このテラスのマーロンの頂部は、ピラミッド形ではなく平面です。
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西の方向を望んでいます。手前眼下に見える建物は海外戦闘員の記念碑で、その奥はシャンパリモー財団の建物です。遠くには弓形に延びるテージョ川の北岸が見えています。
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ここベレンの塔の北東にはジェロニモス修道院が見えました。写真の左端遠くの丘にメモーリア教会とアジュダ宮殿も見えています。
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東北東の方向です。テージョ川に架かる4月25日橋と左側に発見のモニュメントが逆光で黒く見えています。
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4層目の礼拝堂の初期マヌエル様式の天井ヴォールトです。ヴォールト.リブが交わる中央にはポルトガル王家の紋章が見えます。
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2層目の国王の間の南側に張り出したロッジア風のベランダです。その南東の角にババが座っています。
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砲台がある堡塁屋上のテラスから4層の塔の南面を見上げています。今下りてきた2層目のベランダの外観が下に見えます。塔の3層目は謁見の間で、その外壁の南面には大き王家の紋章が浮き彫りになっています。礼拝堂がある4層目は少し小さくなっていて、4周にマーロンの頂部が平らな胸壁がある回廊が設置されています。
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こちらはベレンの塔の南東角です。
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ベレンの塔の堡塁の屋上テラスの様子です。テラスの中央には砲台になっている1層下と繋がった長方形の吹き抜けがあります。これはその吹き抜けを囲む手すりです。
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ベレンの塔から東に600m離れている発見のモニュメントに移動しました。先ずエレベーターで52mの高さの展望台に上りました。西の方向に今見学してきたベレンの塔が見えています。ベレンの塔の手前の白い建物はアルティス.ベレン.ホテル&スパ、その手前は民衆博物館、そしてさらに手前には複数のレストランが入っている水に浮かんだ様に造られた建物です。これは1940年のリスボン国際博覧会のために造られた建物でしょうか。
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ベレンの塔を拡大しました。
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こちらは反対の東の方向です。
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ここからほぼ真北にあるジェロニモス修道院です。次にこの修道院に向かいます。大きな修道院の建物ですが、付属するサンタ.マリア.デ.ベレン教会は右側の1/3だけです。普通のラテン十字の教会らしい外観をしていません。右端が内陣ですが、交差部の頂部にはドームがありません。
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北北東の方向を拡大しました。写真の左にメモーリア教会、中央遠くにアジュダ宮殿が見えています。
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これは発見のモニュメントの北西近くにあるベレン文化センターで、その左側に近現代の芸術品を展示したベラルド美術館があります。
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発見のモニュメントの北側にある広場です。周りの波の様な模様はロシオ広場と同じです。広場の中央には、直径50mの羅針図(コンパス.ローズ)、その中心に世界地図が描かれています。
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羅針図の中心にある幅15mの世界地図です。大航海時代にポルトガル人が初めて訪れた年号が地図上に表示してあります。
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日本には"1541"と表示してあります。
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地図の右下隅に描かれたイラストです。
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こちらは地図の下方に描かれていたものです。
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南東の方向に見える4月25日橋の南側の橋脚とクリスト.レイの塔です。これはリスボンの南岸にあるイエスの聖心に捧げられた聖域に建つ宗教的な記念碑です。ポルトガルの植民地であったブラジルのリオ.デ.ジャネイロにあるコルコバードのキリスト像に触発されて1959年に造られました。海抜133mの高台に高さ82mの台座を設置し、その上に高さ28mのキリスト像が立っています。救い主のキリストは両手を広げリスボン市街を見下ろしています。
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展望台から降りました。発見のモニュメントの東面です。この記念碑は当初、ポルトガル建国800年とスペイン統治からの独立300年を記念する1940年の国際博覧会の象徴として一時的に建てられた建造物でしたが、1960年にエンリケ航海王子インファンテの没500周年を祝う記念の一環として、そのサイズを大きくし永久的な建造物として再建されました。デザインはキャラベル船(初期のポルトガルの海洋探検で使用された船)の船首と帆の形をしています。船体を模した先頭にエンリケ航海王子が立ち、その後ろの両側に16人づつの偉大な人物が立っています。この人物群には君主、探検家、地図製作者、芸術家、科学者、宣教師などが含まれていました。
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先頭に立ち右手にキャラベル船の模型を持ったエンリケ航海王子です。自らの航海経験はありませんでしたが、パトロンとして海洋探検家らを援助し大航海時代初期を牽引した人物です。
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この記念碑の上部にはポルトガルの国章らしき浮き彫りがあります。
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日陰になっている発見のモニュメントの西面です。
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発見のモニュメントを北側の広場から眺めました。
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後ろから見た東側に並ぶ海洋探検の偉人達です。
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発見のモニュメント前のテージョ川を航送する水陸両用バスを見つけました。
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発見のモニュメントの西側からベレンの塔の方向を望んでいます。中央右寄りにベレン灯台と左より遠くにベレンの塔が見えています。ベレン灯台は国際博覧会のために設置された偽の灯台ですが、照明システムを除けば、一応灯台らしく造られているそうです。
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発見のモニュメントの広場の端で営業していた冷凍ヨーグルトの販売車です。
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プラサ.ド.インペーリオ庭園を通ってジェロニモス修道院に向かいます。庭園は正方形で中央に噴水があります。
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ジェロニモス修道院として知られているサンタ.マリア.デ.ベレン修道院は、15世紀中頃にエンリケ航海王子によりサンタ.マリア.デ.ベレン小教会としてテージョ川の川岸に建てられました。15世紀末にマヌエル1世はこの小教会をサン.ジェロニモ騎士団に引き渡し、同時に大規模きな修道院に立て直す工事が始まり約100年を掛けて完成しました。マヌエル様式の建築の集大成であるこの修道院は、当時のポルトガルの最も注目に値する修道院の複合体でした。その後様々な改造が加えられ今日の華麗な姿になりました。特に現在国立考古学博物館の入り口になっている元修道院への入り口の新設、再建は19世紀の変更です。
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ところでサン.ジェロニモは、キリスト教の聖職者・神学者であり、イタリア語でサン.ジローラモ、一般に聖ヒエロニムスとして知られています。この写真は、フィレンツェのオンニサンティ教会に掲げてあった、ドメニコ.ギルランダイオ作の「書斎でのサン.ジローラモ」です。絵画でサン.ジローラモは、荒野で棘を抜いてあげたライオンの側での荒修行や、ドクロの側で仕事をする情景などが多く描かれています。
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修道院に付属するサンタ.マリア.デ.ベレン教会の西門からから入り教会の中庭を眺めています。中庭は、その平面が角が切り取られた正方形になっています。中庭を囲む回廊は2階建です。キリストの受難を含む宗教的なシンボル、王室の盾、渾天儀、キリスト騎士団の十字架などの威厳のある飾り、自然主義的な要素である想像上の幻想的な動物や植物、そしてロープなどのモチーフの装飾的な要素の図像的な豊かさは注目に値します。
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回廊の1階を拡大しました。
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こちらは2階の拡大写真です。回廊は、1階と2階が別々の時期に建設されています。
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1階の回廊を回っていきます。
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1階の回廊ヴォールト天井です。リブが交差する中央にはマヌエル1世の紋章が見えます。
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中庭の回廊2階の南西角から教会の後部にある2階のギャラリーに移り、内陣方向に教会内部を眺めます。内陣と反対側になるこの2階のギャラリーの後ろに聖歌隊席があります。教会の平面形はラテン十字で左右の翼廊と左右の側廊を持っています。
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ヴォールト天井を入れて縦長に撮影しました。
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主祭壇には、キリストの受難と東方の三博士の礼拝の場面を描いた画家ロウレンソ.デ.サルゼドの祭壇画があります。小さなパイプオルガンが内陣の右側に置いてあります。
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内陣の祭壇画を拡大しました。
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繊細な浮き彫りが全面に施された柱の写真2枚です。これは交差部の天井を支える柱です。
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こちらは身廊と側廊を隔てる柱です。
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教会の2階から中庭の回廊の2階に戻ってきました。
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回廊2階の装飾をじっくり眺めてみました。これと次の写真は、回廊の角から写したものです。増設された2階の屋根を支える下が4角、上が円柱状の柱は回廊の手摺りの内側に立っています。
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回廊の手摺りにもこの様な装飾が立っています。
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この写真の中央が正方形の回廊の角になります。
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回廊のアーチの上の装飾を拡大しました。
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回廊の内側から外側のアーチ状の装飾を写しました。回廊の奥には教会の塔が見えています。
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1階に下りました。中庭の回廊の西側に隣接した建物の中にある文書庫の天井です。この建物には他に食堂、聖具室、告白室がありました。
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1階の西側の入り口から再度教会に入りました。入口を入って右側の2番目の小部屋に、ポルトガル最大の詩人として讃えられたルイス.デ.カモンイス(1525-1580)の柩が置いてあります。柩の中央に羽根筆と楽器の浮き彫りがあります。昨日この詩人の名前が付けられたバイル.アルト地区の広場を訪れています。
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こちらはカモンイスの柩がある小部屋の対面にある、インド航路の開拓に成功したバスコ.ダ.ガマ(1469-1524)の柩です。柩の中央には帆船の浮き彫りがなされています。
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教会の右翼廊にあるセバスチャン王とジョアン3世の子孫の墓です。左翼廊奥の礼拝堂には、エンリケ枢機卿とD.マヌエル1世の息子達が埋葬されています。
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教会の交差部の天井です。このヴォールト天井のリブが集束する点に設置された紋章は、材質が石ではなく青銅製の様な感じです。写真の右側が内陣で、その側にあるパイプオルガンが見えています。
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こちらは身廊のヴォールト天井です。
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内陣から教会の後部を眺めています。再奥上段に聖歌隊席があるギャラリーがバラ窓の下に見えています。
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内陣の主祭壇画を拡大しました。キリストの受難の光景が描かれています。
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内陣の手前で左側にある二つの礼拝堂です。
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ステンドグラスの3枚の写真です。このステンドグラスの下部にはポルトガル王家の紋章があり、国王の礼拝を描いているのでしょうか。
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こちらにも王家の紋章が下方に見え、王妃の礼拝の様です。
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こちらはリスボンを出港する帆船の安全を祈る聖母子でしょうか。
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サンタ.マリア.デ.ベレン教会を最後にジェロニモス修道院を去ります。
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サンタ.マリア.デ.ベレン教会の南門です。この教会の本来のファサードが修道院の建物との接続部分で隠れてしまっているので、この南門の装飾を普通の教会より華麗にしたのでしょうか。
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南門の双子扉の中央に、王子を象徴する紋章が入った鎧に身を包んだエンリケ航海王子の像が見えます。扉の上のルネッタは聖ジェロニモス(イタリア語でサン.ジローラモ)の生涯が描かれた浮き彫りです。
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南門の入り口上部には聖母子の像が立っています。
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聖母子像の両側の人物を主体にした繊細な装飾を拡大しました。これは左半分です。
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こちらは右半分です。
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ジェロニモス修道院の見学を終え、次の訪問先の国立古美術館に向かいます。チェントロ方向に走る15番の市電に乗りました。最後部の座席に座って後方を眺めています。電車は、1509年から1515年にかけてインドの知事であったアフォンソ.デ.アルブケルクの名が付く庭園を左に見て走っています。ジェロニモス修道院前のプラサ.ド.インペーリオ庭園と同じ正方形ですが、少し小さな規模の庭園です。庭園の中央にはアルブケルク知事の像が中央の塔の上に立っています。
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今度は1駅乗り過ぎてしまい、市電の線路に沿って歩いて戻ります。途中で場所を尋ねながら歩きました。ようやく見えた美術館は右側の丘の上にありました。建物の南面には、この様に展示する絵画が描かれています。この美術館は、インドの総督アルヴォル伯爵により17世紀末に建てられたアルヴォル-ポンバル宮殿を利用しています。そして1884年に国立美術.考古学博物館として開館し、1911年に国立古美術館になりました。
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市電が走る通りから階段を登って美術館前の広場に着きました。美術館のファサードは、教会の様に西の方向に向いています。こちらの建物は、元々アルヴォル-ポンバル宮殿の西側にあった女子アルベルタス修道院の建物を取り壊し、新たに美術館の別館を建て1940年に開館したものです。
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見ての通りの禁止行為の表示板です。
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美術館の玄関です。別館(新館)に入り口がある美術館は珍しいです。
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大きな吹き抜けの玄関ホールにはゆったりとした階段が上階に続いています。この別館は3階建で、1階は左側に再現された聖アルベルト礼拝堂、右側に家具類の展示があります。聖アルベルト礼拝堂は、1892年に取り壊されたアルベルタス修道院の遺物として保存されていた部材を使い復元したものです。2階は東洋美術や陶器、金銀器の展示室です。3階はポルトガル絵画や彫刻の展示室がありますす。いつもの様に最上階の3階から見学を始めます。
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2階の階段ホールに展示してあった2点の横長の大きな絵画の右側のパネルです。ホセ.ピンハオ.デ.マトス(José Pinhão de Matos:1650頃-1734)の1730年ごろの作品で「リスボンの概観と1541年のサン.フランシスコ.ザビエルの出帆」です。パネル上部中央には、ザビエルからD.ジョアン3世への別れのシーンが描かれており、2人の天使に支えられた花輪に囲まれています。左上角の天使が持つ羊皮紙には「D.ジョアン3世から教皇宛ての手紙を受け取った後、教皇使節聖フランシスコ.ザビエルはインドに向けて出発しました」と書かれてあるそうです。
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リスボンの概観は大地震前の17世紀後半の様子を描いてあるそうです。
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2階から3階に上がります。3階はポルトガルの美術品の展示です。
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これは16世紀のポルトガルの不明の画家が描いた「最後の審判」です。左下が地獄の様で、上の左右が選ばれて天国に導かれていった人々の様です。
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これはポルトガルのルネサンス芸術家によって1520年から1525年頃に描かれた「サンタ.アウタの三翼祭壇画」です。この祭壇画は、サンタ.アポローニャ駅の北東にあり現在アズレージョ国立博物館になっているマドレ.デ.デウス修道院の礼拝堂を飾る祭壇画として制作されました。この中央パネルにはサンタ.ウルスラと1万1000人の処女の殉教が描かれています。
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ルネッタ形の中央パネルの左側にはバーゼルでの処女達の乗船、中央では航海中の情景、右側では彼女らがケルンに到着し殉教した場面が描かれています。左側のバーゼルからの乗船の場面では、教皇と司教が見送っています。小舟にはコナン王子、サンタ.ウルスラ、サンタ.アウタが乗船しています。
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この三翼祭壇画の左右のパネルは、その両面に絵が描かれています。こちらは開いた右側のパネルで、教皇キリアックがサンタ.ウルスラとその仲間の処女達を祝福しています。このパネルの裏側には「マドレ.デ.デウス教会にサンタ.アウタの遺物が到着」の情景が描かれているそうですが見られません。
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こちらは開いた左側のパネルで、サンタ.ウルスラとコナン王子の結婚の情景が描かれています。左側のパネルの裏側には、「ケルンのサンタ.アウタの遺物の出発」だそうです。これも見られません。
伝説によると、サンタ.ウルスラは4世紀半ばにイングランド南部の王国の王女として生まれ、11,000人の処女をお伴にローマへの巡礼の帰りにケルンでフン族により虐殺されます。 -
サンタ.ウルスラの伝説についてジジババが先ず思い出すのは、次の3作です。
ベルギー.ブルージュのメムリンク美術館に展示してあった彫刻と金メッキが施された縁取りの木製聖骨箱の壁4面に描かれているサンタ.ウルスラの物語です。その1枚で「矢で射たれるサンタ.ウルスラ」です。ハンス.メムリンク(Hans Memling:1430/40-1494)は、15世紀フランドルの画家で、ヤン.ファン.エイクやロヒール.ファン.デル.ウェイデンに続く世代の北方絵画を代表する画家です。 -
これはヴェネツィアのアッカデミア美術館に展示されているヴィットーレ.カルパチョ(Vittore Carpaccio:1465-1520)の大作である9枚のパネルの「サンタ.ウルスラの物語」です。これはその中の1枚のパネルで「矢で射たれるサンタ.ウルスラ」です。
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こちらはナポリの"イタリアのギャラリー"に展示してあるカラヴァッジョ(Caravaggio:1571-1610)の「矢で射抜かれたサンタ.ウルスラ」です。この絵は、ジジババの旅行記"シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日 (19)ナポリ"に一度掲載しました。
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マヌエル様式の全盛時代にコインブラで活躍したポルトガルの王室画家ヴィチェンテ.ギル(Vicente gil:活動期が1491-1525)の1501~25年頃の作品で「3賢王の礼拝」です。縦長のパネルの中央部を切り取っています。
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ポルトガルで著名な宗教画家のグレゴリオ.ロペス(Gregório Lopes:1490-1550)とホルヘ.レアル(Jorge Leal:16世紀)の共作で1520-25年頃の作品「ご訪問」です。やや縦長のパネルの中央部を切り取っています。この絵はカペラ.ド.サルバドールの多翼祭壇画中央パネルです。
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ジョアン6世(在位1816‐1826)の宮廷画家ドミンゴス.アントニオ.デ.セケイラ(Domingos Antonio de Sequeira:1768-1837)の作品3点です。セケイラは、リスボンの美術学校で学んだ後ローマで修行して1795年まで7年間ローマで暮らしました。
この作品は「1822年の憲法への寓話」です。絵画の対角線で支配された構図では、人物が記念碑的な建築物に取り入れられ、最上段で王冠をかぶった女性の姿が際立っており、解放された事に感謝するルシタニアを体現しています。その両側に立つ二人の人物は、力と理由を表しています。パネル中央で白いローブを着た人物は、男性と女性が求める自由を象徴しているそうです。ルシタニアは、古代ローマの属州。現在のポルトガルおよびスペイン西部に該当します。 -
これは1830年頃の作品で「聖母戴冠」です。聖母戴冠のテーマは、聖典には記載されておらず、ずっと後に登場し中世後期以降ますます人気が高まりました。セケイラは、この主題を来世のまばゆいばかりの輝かしい幻影に変え、私たちの想像力に非現実的で崇高な世界を考える機会を提供しました。
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中央部を拡大しました。中央に聖母マリア、その上に三位一体の父と子と聖霊が描かれています。
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こちらは1828年の作品で「東方三博士の礼拝」です。彼の人生の終わりに、セケイラはローマに戻り、そこで彼はこの東方の三博士が含まれる4点の注目に値する宗教画のシリーズに専念しました。礼拝は、レンブラント、ティエポロ、おそらくターナーのスタイルを彷彿させるベツレヘムの星により幻想的かつ劇的に照らされています。星は空に光る明るい白い円として描かれ、そこから人物を照らす微かな発光が浸透します。より明確な斜めの光線が、構図の中央にあるイエスとマリアを直接照らします。ヨセフは、マリアほど明るく照らされていませんが、彼女のそばに立って、青いマントを持っています。
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中央部を拡大しました。三博士は聖家族の前にいます。二人、メルキオールとバルタザールは、宝石で飾られた華やかな箱に入れた金と没薬の贈り物を持って跪き、もう一人のカスパールは、乳香の贈り物を持った稚児を立たせ平伏しています。三博士だけでなく、彼らを取り巻く群衆は、エキゾチックなローブ、ターバン、帽子を身に着けています。
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2階に下りました。東洋美術の展示室に日本の屏風を見つけました。ポルトガルと日本の関係に関するこれらの重要な歴史的および芸術作品は、長崎港へのポルトガル船の到着を描いています。1543年にポルトガル人が日本に到着したことで、商業的および文化的な交流が生まれ、この2組の屏風に記録されました。
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展示室では、障子で日本のムードを高めています。
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更に1階に下り、本館のヨーロッパ絵画の展示室を回ります。
これは、イタリア初期ルネサンスを代表する画家ピエロ.デッラ.フランチェスカ(Piero della Francesca:1415頃 -1492)の1465年頃の作品「サンタゴスティーノ」です。この絵は、イタリアのトスカーナ州ボルゴ.サンセポルクロにあるサンタゴスティーノ教会のために描かれた多翼祭壇画の一部です。この多翼祭壇画は、中央に「聖母戴冠」があり、左右二つづつのサイド.パネルがありました。この「サンタゴスティーノ」のパネルは左端に付属していたとされています。 -
こちらは2015年春の旅でロンドンのナショナル.ギャラリーで撮影した「大天使ミカエル」で上掲の「サンタゴスティノ」の右に位置していたそうです。
古代の戦士の姿をした大天使は、ヘビとして描かれているドラゴンの斬首した頭を左手に、血が付いた刀を右手に持って描かれています。 -
これは2011年の春の旅でミラノのポルディ.ペッツォーリ美術館で撮影した「トレンティーノのサン.ニコラ」で、多翼祭壇画の右端に位置していました。このサン.ニコラの丸い顔の控えめで落ち着いた特徴は、多翼祭壇画の他の人物よりも肖像画的に描かれています。
もう一つのサイドパネルの「福音記者聖ヨハネ」は、ニューヨークのフリック.コレクションが所有し、中央パネルは見つかっていないそうです。 -
ラファエル.サンツィオ(Rafael Sanzio:1483-1520)の1502/03年頃の作品「クレモナのサンテウセビオの奇跡」です。イタリア.ウンブリア州の街チッタ.ディ.カステッロのサント.ドメニコ教会の礼拝堂のために描かれました。15世紀にイタリアで非常に人気が出た題材です。蘇生された3人の人物がそれぞれ、彼らの生への復帰の瞬間を描いています。右側のまだひれ伏している人物から、すでに祈りの最中の左側の若い男まで、さまざまな人々が描かれています。この絵画は、師のペルジーノの影響を未だに強く残していますが、ラファエルの驚くべき能力を既に明らかにしています。
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アントワープで活躍したフランドルのルネッサンス期の画家ゴスウィン.ファン.デル.ウェイデン(Goswijn van der Weyden:1465頃-1540頃)の作品「キリストの神殿奉献の3翼祭壇画」の中央パネルです。ゴスウィンは、祖父のロヒール.ファン.デル.ウェイデンによって設立されたブリュッセルの美術学校の伝統をアントワープに伝える手伝いをしました。ゴスウィンは革新者ではなく、彼のスタイルは古風であり、祖父のロヒールによって確立され、ブリュッセルで父親によって続けられていたスタイルを継承しています。
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これは画家の一族に生まれた、ルネサンス期のネーデルランドの画家ヒエロニムス.ボス(Hieronymus Bosch:1450頃 - 1516)の作品「聖アントニウスの誘惑」です。画家のボスと同時代にはレオナルド.ダ.ヴィンチ(1452-1519)がいますが、アルプスを隔てた両者の絵画世界は全く異なっています。ダ.ヴィンチが盛期ルネサンスを代表する古典主義の画家の一人だとすれば、ボスは中世から近世への過渡期の時代に活躍した奇想の画家と言えるでしょう。
この絵の題材は、エジプトの砂漠での修行中に聖アントニオスが直面したと伝えられている超自然の誘惑に関するもので、芸術と文学の分野で頻繁に取り上げられています。最も一般的なのは、魅惑的な女性や悪魔による誘惑です。地を這い空を飛ぶ魚、堕落した眼鏡を掛けた聖職者、裸体の女を見せつける蟇蛙など、悪魔の誘惑を退け聖人となったアントニウスは、様々な現世の欲望にさらされていた人々が見習うべき手本でした。
このリスボンの古美術館所蔵の真筆の作品とブリュッセルの王立美術館が所蔵する模作である工房の作品を、"シニア夫婦の欧州5カ国ゆっくり旅行30日(11)ブリュッセルへ日帰りです(3月9日)"で比較しています。 -
これは中央パネルです。
火と水に囲まれ廃墟と化した墓所、又は要塞が舞台です。画面の中央では悪魔達が宴を繰り広げる中、一人聖アントニウスが顔を背け、右手を上げて祝福のポーズをとっています。左手背後の町に拡がる火の手は"聖アントニウスの火"と呼ばれる病を意味しているのでしょうか。聖アントニウスは火事の際にその名を呼ぶと助けてくれるとされる救難聖人でもありました。 -
聖アントニウスの周りを拡大しました。聖人は跪き右手を挙げて我々に祝福を贈っています。聖人の背後には、ピンク服の魔女が前に座る尼僧に媚薬の入った皿を差し出します。それを受けようとする尼僧の手と祝福を贈る聖人の手が対照的です。円卓の側には、この"悪魔の宴会"を開いている着飾った男女が、リュートを脇に挟んだ豚顔の悪魔と、手回し琴を腰に挟んだ不具の老人を宴に誘っています。写真の右上には、磔刑像の前にいるキリストが聖人の方に顔を向けている礼拝堂が見えます。
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パネルの右下を拡大しました。写真の中央では、豚の顔をした偽司祭が怪しげな書を拡げ悪魔を讃える"黒ミサ"を催し、逆さにした漏斗を被った偽助祭が唱和しています。右端に描かれた大きなネズミに乗り、赤子を抱く枯れ木人間とその脇の老人は、"聖家族"のパロディで、その周りの馬上の人物達も"三博士"のパロディだそうです。
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左右のパネルを並べました。
左のパネルでは、聖アントニウスが奇怪な悪魔達によって魚や船が浮かぶ空へ運ばれています。中央の橋の上では意識を失なった聖人が運ばれています。その橋の下では2匹の怪物と太った僧がヒソヒソ話をしています。
右のパネルでは、ここでも聖アントニウスが化け物に誘惑されています。赤い垂れ幕の下には裸身を晒す女性がいます。聖書を手に目を逸らしますが、なんとも情けない表情をしています。 -
左のパネルの下半分を拡大しました。悪魔達の攻撃を受けて仮死状態になった聖人がアントニウス修道会の服を着た二人の修道士と赤服の平信徒によって橋の上を運ばれています。橋の下では二匹の怪物と太った僧がひそひそ話をし、そこへスケート靴を履き、逆さにした漏斗を頭に乗せた鳥が紙を咥えて近ずいてきます。側には卵から孵化したばかりの雛を食べる邪悪な鳥がいます。
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右のパネルの中央部です。水辺の枯れ木の空洞から、美しい魔女が裸身を見せて聖アントニウスを誘惑しています。聖書と杖を手にした聖人は、黒いマントで身を包み魔女から目を背けています。
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右のパネルの下を拡大しました。目を背けた聖アントニウスの視線の先には円卓があり、そこにパンと豚の足が入ったぶどう酒の壺が置いてあります。円卓は本来ミサ用の筈ですが、聖体が冒涜され悪魔が忍び寄っています。円卓は、壺の中に片足を入れた裸の男が上半身を傾けながら支えています。円卓の下では、剣を持つ男が突き殺され、側にはソーセージが下がった奇妙な喇叭を吹く男もいます。三様の男達は、罪深い連中であり、大食の罪なり典礼の冒涜なりを暗示しているのでしょう。
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この三翼祭壇画の左右のパネルは畳み込めて両面に絵が描かれています。これは両翼を閉じた表面で、キリストの受難のグリザイユ画が描かれています。
こちらは「キリストの捕縛」です。月明かりの下で、ローマ兵が棒や武器を持って地面に跪くキリストを捕まえています。前景では、聖ペトロが剣を振り上げマルクスの耳を切り落とそうとし、ユダが銀貨30枚を得てその場を足早に立ち去ろうとしています。 -
捕縛されるキリストの周りを拡大しました。
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こちらは「十字架を担うキリスト」で、群衆に囲まれ十字架の重みで中腰になったキリストがいます。前景では、キリストと共に処刑される盗賊達がいます。一人は悔悛し修道士に罪を告白しています。もう一人は悔悛せず修道士の話を拒んでいます。
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キリストの周りを拡大しました。クレネ人シモネがキリストを助け十字架を支え、ヴェロニカが聖顔布となる布切れを差し出しています。その脇では、子供を肩車した太った男が興味本位にこの光景を見物しています。
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不明のオランダの画家の1520/25年頃の作品です。高さ45cm、幅80cm程の小さな三翼祭壇画の左側のパネルで「サンタ.カテリーナ」です。アレクサンドリアのカタリナは、中世後期に最も人気のある女性の聖人の1人でした。彼女は彼女の拷問の道具によって認識されます。即ち剣と足下の壊れた車輪です。
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三翼祭壇画の右側のパネルで「サンタ.バルバラ」です。バルバラは、彼女がキリスト教に改宗した後、彼女の父親が彼女を閉じ込めた塔によって認識されます。
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これが中央パネルですが、撮影していなかったので、下記のサイトからの借画です。
https://humidfruit.wordpress.com/2012/06/10/unknown-netherlandish-flemish-master-triptych-of-the-holy-family-with-angels-saint-barbara-and-saint-cathrine-museu-de-arte-antiga-lisbon/
聖家族が奏楽の天使によって祝福されています。 -
思い出しましたが、オランダのデン.ハーグにあるマウリッツ.ハイス美術館にも非常に良く似た絵画がありました。こちらも三翼祭壇画の左右のパネルで、フランクフルトのマスターと呼ばれる画家の1510/20年頃の作品だと説明されていました。パネルのサイズも高さがほぼ1.6mと大きなものです。三翼祭壇画の中央パネルの展示はありませんでした。
ここでカテリーナは細心の注意を払って描かれた壮大なガウンを着ています。同様に詳細なのは、周辺の田園地帯の描写です。 -
バルバラは、金の刺繡と宝石で飾られた色彩豊かな服を着ています。彼女は右手に、夢の中で幼子キリストから与えられたダチョウの羽を持っています。
これらのサンタ.カテリーナとサンタ.バルバラの肖像が描かれた左右のパネルは、現在リバプールのウォーカー美術館にある祭壇画のサイド.パネルを形成していました。この三翼祭壇画の画家は、かなり誤解を招くようなフランクフルトのマスターとして知られていますがアントワープの芸術家だそうです。 -
これがリヴァプールのウォーカー美術館に展示してある中央パネルです。2019年3月に訪れた際に撮影していなかったので、この美術館のウェブ.サイトからの借画です。
https://www.liverpoolmuseums.org.uk/stories/mysterious-master-of-frankfurt
上掲のポルトガルの美術館の三翼祭壇画の中央パネルの絵とは大きく異なっています。しかし、奏楽の天使が、聖母が幼子に授乳する聖家族を祝福している構図は同じです。 -
南ドイツで活躍したハンス.ホルバイン (父)(Hans Holbein, the Elder(1460/65頃-1524)の1519年の作品「玉座の聖母と幼子キリストと女性の聖人達」です。縦長のパネルの下半分を切り取りました。ホルバインは色鮮やかな宗教作品を多く描いています。彼の後の絵画は、彼がどのようにドイツの芸術を後期国際ゴシックからルネサンス様式に変換し、他の画家を導いたことを示しています。
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ドイツのルネサンス期の画家ルーカス.クラナッハ(父)(Lucas Cranach, the Elder:1472頃-1553)の1510年頃の作品「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」です。この絵は、女性の力と女性の悪巧みをテーマにした画家による一連の作品の始まりを示しました。 サロメ、ユーディット、デリラ、ルクレチア、その他の人物やシーンは、モデルの美しさと黒または暗い背景によって強調され、エロティシズム、画家の特徴的な世界、そして彼の名声と勝利の成功を醸し出しています。
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イタリアの景観画家のカナレット(Canaletto:1697頃 - 1768)の作品と額縁に表記がありますが、同じ様な絵画の作品がドレズデンのアルテ.マイスター絵画館にあります。よく比べて見ると細部に違いがあります。 景観は、アッカデミア橋から東の方向を眺めています。左側の3階建ての建物はパラッツォ.コルネル.デッラ.カ.グランデで右側奥にサンタ.マリア.デッラ.サルーテ聖堂のドームが見えます。
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バロック期のスペインの画家フランシスコ.デ.スルバラン(Francisco de Zurbaran:1598-1664)の1633年の作品です。スルバランは、スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れた作品を残しています。
ここに展示されている十二使徒は、リスボンのサン.ヴィセンテ.デ.フォラ総主教宮殿のためにフェリペ3世から依頼されたと考えられています。スルバランと彼の工房が1633年に制作しました。ズルバランは更に、ペルーのリマにあるサン.フランシスコ修道院と、グアテマラにあるロザリオの聖母大聖堂に、12人の使徒の2つのシリーズを製作しました。
この写真は、その内の3枚のパネルです。左から右へ「小ヤコブ(Saint James the Less)」、「サン.ピエトロ(Saint Peter)」、「サンタンドレア(Saint Andrew)」です。中央のサン.ピエトロの絵は唯一スルバラン本人の署名があります。 -
さらに両端の二人を加えました。左端は「サン.ジウダ.アポストロ(Saint Jude the Apostle)」、右端は「サン.ジョヴァン.ニエヴァンゲリスタ(福音記者ヨハネ:Saint John the Evangelist)」です。
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これは聖ヤコブ(Saint James the Great)です。
スルバランは、光の絵画上の価値を宗教的テーマでさえ応用する事ができました。この一連の絵画では、サン.ピエトロのパネルを除いて、各人物を照らす光源は見えません。光は常に構図の左上隅からほぼ斜めに落ちています。 -
フランドルの風景画家ヨース.デ.モンペル(Joos de Momper:1564-1635)の1595/1504年頃の作品で「バベルの塔」です。モンペルは、ピーテル.ブリューゲルとピーテル.パウル.ルーベンスを繋ぐ重要な画家であり、ブリューゲルの影響を強く受けています。
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バロック期のスペインの画家バルトロメ.エステバン.ムリーリョ(Bartolomeo Esteban Murillo:1618-1682)の1660年頃の作品「サンタ.カテリーナの神秘的な結婚」です。ムリーリョは、17世紀のスペイン黄金時代の美術を代表する画家の一人であり、甘美な聖母像や、愛らしい子供の絵を数多く手がけました。
サンタ.カテリーナの神秘的な結婚は、アレクサンドリアのカテリーナまたはシエナのカテリーナのいずれかが受けた幻影から生じるキリスト教芸術の主題です。 -
ネーデルランドの画家ピーテル.ブリューゲル (子)(Pieter Brueghel, the Younger:1564/65以降 - 1637/38)の作品で「慈善事業」です。この画家は、16世紀の有名な画家の長男として生まれ、ヤン.ブリューゲルは弟です。七つの慈善とも呼ばれるこの絵は、何枚も制作されているようです。
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バロック後期のイタリア人画家でナポリ派の巨匠のルカ.ジョルダーノ(Luca Giordano:1634 - 1705)の作品「サン.フランスチェスコの法悦」です。スペインで10年間過ごす前に、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアで活躍し成功を収めました。このパネルの中央に描かれているのはキリストが十字架から降ろされている情景です。この場にいなかったサン.フランスチェスコは、右端にエクスタシーの状態で画面に入っています。この絵は、聖人の頭の中に幻影で現れた十字架からのキリストの降下のシーンを描いたのでしょう。サン.フランスチェスコは、手に受けた聖痕で識別されます。
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十字架から降ろされるキリストの足にすがるマグダラのマリアを拡大しました。
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マグダラのマリアで思い出すのは非常に印象的な姿態で十字架のキリストを悼む彼女です。ルネサンス期のイタリアの画家ルカ.シニョレッリ(Luca Signorelli:1450頃 - 1523)の作品で、フィレンツェのウフィッツィー美術館にあります。
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バロック最後期のイタリアの画家ジョヴァンニ.バッティスタ.ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo:1696-1770)の作品3点です。
この絵は、17世紀に建てられたミラノのパラッツォ.アルチントに描いたフレスコ画「芸術と科学の勝利」の残された3枚の下絵の内の1枚です。宮殿は第2次大戦中の空爆で破壊され、このフレスコ画は他の重要な作品と共に失われました。 -
パネルの右側を拡大しました。絵の中の女性像の夫々は、芸術または科学に関連付けられています。絵画の中央の女性は、右手に筆と左手にパレット持っています。彼女の右側には、ビオラを持った音楽の女性がいます。左側で閉じた本を持った女性と、ペンと開いた本を持った女性は、それぞれ歴史または文学と詩である可能性があります。更にその左には、大理石の胸像に寄りかかってノミを持った彫刻の女性がいます。右上には、色彩豊かな翼を持ち、レンズ、虫眼鏡、または鏡の様な物を持っている男性は、色と視覚を指す寓話である可能性があります。
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これは1969/70年頃の作品「エジプトへの逃避」です。天使が漕ぐ小舟に乗った聖家族が描かれています。エジプトへの逃避は、マタイによる福音書と外典福音書で語られている物語です。東方の三博士の訪問の直後、ヘロデ王が自分を殺す様になる子供を探していたので、天使がヨセフの夢の中に現れ、アリアと幼子イエスと一緒にエジプトに逃げるように告げました。
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こちらは1767/70年頃の作品で「墓に埋葬されるキリスト」です。1762年にスペインのカルロス3世によってマドリッドとアランフェスの王宮で働くよう招待されたベネチアの巨匠ティエポロは、キリストの受難の場面を含む宗教をテーマにした油絵の一連の研究を行いました。この絵は、その中の一つです。大規模な絵画でよく知られているティエポロは、この小さな作品でもエピソードの悲劇的な場面を完璧に描いています。
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美術館に1時間半ほど滞在して外に出ました。ちょうど近くにレストランがあったので入りました。名前は"Le Chat"、フランス語で"猫"です。トリップ.アドバイザー評価で、3,645中439位です。
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三つ並んだパラソルの下のテーブルを選びました。この様に見晴らしは抜群です。
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南西の方向です。ここからも4月25日橋とクリスト.レイの塔が綺麗に見えています。港の手前にはカイス.ド.ソドレ駅から西に向かう郊外線の線路が見えます。
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クリスト.レイの塔を拡大しました。両手を広げたキリストがこちらを向いています。
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南東の方向です。テージョ川対岸の端にカシーリャスが見えます。後でここにフェリーで渡ります。
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ジジが選んだパンケーキです。
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ババはサラダにしました。
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食事を済ませ、美術館前の広場から階段で市電通りまで下ります。前方に"ル.シャ"レストランと美術館が見えます。
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これは西の方向に走る18番の市電です。我々はここから東に走る市電に乗ります。
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まだ時間が充分あるのでテージョ川を渡って対岸に行く事にしました。このポルトガル鉄道のターミナル駅カイス.ド.ソドレ構内ホールを通ってその南にあるフェリー.ターミナルに向かいます。
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駅構内から地下鉄のカイス.ド.ソドレ駅へ下りる階段がホールの反対側にあります。。
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このフェリーにはヴィヴァ.ヴィアジェンの交通券が使えないとの事で、改めて乗船券を買ってカシーリャスに行く3番乗り場へ行きます。一人往復で3ユーロでした。
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10分ほど待ってフェリーは出航しました。西の方向にテージョ川北岸を眺めます。左端に4月25日橋が写っています。
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写真の中央を拡大すると、先ほど訪れた国立古美術館を見つけました。右の矢印しは本館(旧館)を指し、右の矢印しは別館(新館)をさしています。
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テージョ川の河口方向を望みます、右に4月25日橋と左にクリスト.レイの塔が見えています。
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右の橋柱付近を拡大しました。橋柱の遠方右に発見のモニュメント、左にベレンの塔が見えます。
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テージョ川対岸に近づきました。そろそろ廃船になっても良さそうな1954年建造で460総トンの旅客も運ぶRO-RO船のエボレンセ号と行き交いました。RO-RO船は、フェリーのようにランプを備え、トレーラーなどの車両を収納する車両甲板を持つ貨物船です。
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カシーリャスに到着しました。ここから対岸の市街地を遠望します。
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拡大しました。右側(東)から左(西)へ3枚です。
Aはサンタ.エングラシア教会、Bはサン.ヴィセンテ.デ.フォーラ教会、Cはリスボン大聖堂、Dはコメルシオ広場、Eはサン.ジョルジェ城です。 -
Fはセニョーラ.ド.モンテ展望台、Gは欧州海上保安機構、Hはカイス.ド.ソドレのフェリー.ターミナルです。
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I はカイス.ド.ソドレのフェリー.ターミナルの東端で、Jは慈悲の聖母教会です。
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またこの船に乗ってカイス.ド.ソドレに戻ります。こちらは先ほど見かけたエボレンセ号より少し新しい船で1984年建造で270総トンの旅客船のダフンド号です。
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同じ航路の船がカシーリャスに向かっています。どうやら今乗船しているダフンド号の姉妹船のようです。右側の丘に国立古美術館の別館も見えています。
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テージョ川北岸に近ずいています。航路の東側に、コメルシオ広場にあるクリーム色の建物とその左に赤煉瓦の裁判所が見えています。
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カイス.ド.ソドレの船乗り場に戻ってきて、近くの大型スーパー.マーケットの"Pingo Doce"を覗いてみました。これは冷凍の海老の量り売りのようです。
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結構詰め込んだ陳列台です。
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大量の野菜の陳列です。
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カイス.ド.ソドレから、また15番の市電に乗りフィゲイラ広場まで帰ります。
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ホテルに戻り、7時からロビーで催されるミニ.ピアノ.コンチェルトを楽しみに下りてきました。
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今夕のピアノ.ソナタ演目です。
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舞台はこんな風です。こんなサービスも楽しいものです。
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