2017/04/02 - 2017/04/27
115位(同エリア842件中)
さわ子さん
2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流しポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。
第4回目の旅行記はジジがハイデルベルク近くにあるジンスハイム博物館を見学した記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 4月 2~3日 ミュンヘン泊
★ 4日 ハイデルベルク泊
★ 5日 フランクフルト泊
★ 6~10日 リスボン泊
★ 10~12泊 ポルト泊
★ 13~17日 マドリッド泊
★ 18~19日 コルドヴァ泊
★ 20~21日 セヴィリャ泊
★ 22~23日 バルセロナ伯
★ 24~26日 フランクフルト泊
★ 27日 フランクフルトから羽田へ
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝7時20分です。ホテルの部屋から南の方向でハイデルベルク中央駅構内を望んでいます。今日のハイデルベルクの天気は良さそうです。
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朝食を済ませ荷物をフロントに預けて外出です。今日はハイデルベルクからSバーンの電車で40分の所にあるジンスハイム自動車.技術博物館に行きます。その後フランクフルトに移動しババと合流します。
イビス.ホテルの前から眺めたハイデルベルク中央駅前です。広場対面にある壁面がガラスのビルが幽霊のように写っています。ガラスに空が映ってこのように見えるのです。 -
こちらはホテルと同じ並びにあるハイデルベルク中央駅舎です。
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駅舎内はこのように明るく広々としています。正面の壁画は、ローマ時代の3頭立ての戦車を模しているようです。いつものように駅の自動販売機で往復切符を購入しました。
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次の電車の発車まで少し時間があったので、駅前の市電やバス.ターミナルを見て回りました。これは市電で、車体の広告は家具や台所用品等の店"Wohnland Breitwieser"のようです。
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この市電にはハイデルベルクの街の景色が描かれています。
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これは長い連節バスです。広告は"BAUHAUS"で、住宅改修、ガーデニング、ワークショップ向けの製品を提供するドイツの汎ヨーロッパ小売チェーンだそうです。
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8時31分発の電車に乗りました。駅を出てしばらくすると左手にネッカー川が見えてきます。
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40分ほどで電車は"ジンスハイム.ムゼウム/アレーナ"駅に着きました。この駅は、ジンスハイム中央駅の次駅になります。
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駅のホームから目的地のジンスハイム自動車.技術博物館の所在が遠くに見える空中に展示された航空機で確認できます。
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だいぶ博物館に近づいてきました。2機の超音速旅客機の展示がホール2の上に見えます。前方がソ連が開発したツポレフ144(Tu-144)機で後方が英仏共同開発のコンコルド機です。博物館の入り口は、ここから左にホール2を回って先にあるホール1にあります。
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このジンスハイム自動車.技術博物館は1981年に開設され、1991年には分館としてジンスハイムの西北西33Kmにシュパイアー技術博物館も開館されました。施設は、公益法人が運営する私立博物館です。
ようやく博物館の入り口に辿り着きました。ジジは、2000年春の訪問に次いで2回目になります。 -
この博物館の案内図です。敷地の左側に5棟の展示場を繋げたホール1が、その対面の右側に2機の超音速旅客機が屋根上高くに展示してあるホール2があります。両機共機内に入る事ができます。
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先ずホール1で入場料を払い入館します。目の前は"アメリカン.ドリームカーズ"の展示区域です。
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まず現れたのが第2次大戦後に世界で最も輝いていたアメリカの代表的な高級車、キャディラックです。このモデルは、ジェネラル.モーターズ(GM)が1956年に製造した4ドア.セダンのキャディラック.フリートウッドの"60 スペシャル"です。この展示車両は、エルヴィス.プレスリーが1955年購入しピンク色に塗り直した車と同じモデル風に仕立てた車のようです。エンジンは、V型8気筒、排気量5,980ccで285馬力を発揮できました。
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こちらは1959年製造の"キャディラック.クーペ.ドゥヴィル"の2ドア.カブリオレです。当時の「アメ車」の特徴である大柄な車体、「尾びれ」のように高く上げた後部左右の張出し、後輪のカバー等が見られます。この「尾びれ」は後方左右の視界を遮っているようです。
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これは1937年製造の"コード812"の4ドア.セダンです。コード810、(後のコード812)は、1936年と1937年にアメリカのオーバーン社のコード自動車部門によって生産された高級車でした。このモデルは、アメリカで最初に設計および製造された前輪駆動車で、独立したフロント.サスペンションを備えていました。
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コード810と812は、ポップアップ.ヘッドライトを備えた最初の量産車でした。さらに、ノーズの根本的に新しくなったスタイリングは、従来のラジエーター.グリルに完全に取って代わり、ノーズの側面全体に湾曲した水平ルーバーを採用し、車のスタイリングに「コフィン(棺).ノーズ」のニックネームを付けました。
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ホール1のアメリカ製乗用車の展示区画を振り返っています。
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同じアメリカ乗用車の展示区画を2階の回廊から見下ろしています。地上には車、空中にはグライダーや小型飛行機が吊り下げられています。右奥遠くにメルセデス.ベンツの車両の展示も見えます。
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ここがそのメルセデス.ベンツの車両の展示区画です。4台の車が見えます。
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横から同じ区画を望んでいます。
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このモデルは、合併前のダイムラー社が設計生産したメルセデス.ベンツ "タイプ 630" です。生産は1926年から1929年で、この展示車両は1928年製造の4ドア.プルマン-カブリオレです。エンジンは、スーパー.チャージャー付きの直列6気筒、排気量6,240ccで、自然吸気で100馬力、スーパー.チャージャー稼働で140馬力を発揮しました。
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この博物館では、車の近くに当時の姿をしたマネキン人形が飾られています。この展示車の後方は、鏡になっています。
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この写真は、鏡に写ったメルセデス "タイプ 630" と右端に赤い色のメルセデス.ベンツ "モデル 540 K" です。
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こちらは1938年製造のメルセデス.ベンツ "540 K(W29)" の2ドア.スペツィアル.ロードスターです。エンジンは、スーパー.チャージャー付き直列8気筒、排気量6,300ccで、自然吸気で115馬力、過給で180馬力を発揮しました。
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"モデル 540K"は、"モデル 380K"、"モデル 500K"を経て、高級で豪華なスポーツ.タイプ車の戦前における集大成になっています。このモデルは8気筒の排気管をクローム.メッキされた2本に纏めてボンネット右側から出しているのが特色です。
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この写真は、左端に僅かに見えている実車が鏡に映っているものです。
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フロント.グラス周りを拡大しました。
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これは合併前のダイムラー社が1927年に製造したメルセデス.ベンツ "タイプ 400" の2ドア.カブリオレです。このモデルは1926年から1929年にかけて生産されました。エンジンはスーパー.チャージャー付き直列6気筒、排気量3,920ccで、自然吸気で70馬力、スーパー.チャージャーの過給で100馬力を発揮しました。
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前方から眺めた "タイプ 400" です。上掲の "540 K(W29)" と同じように2本のエア.フォーンを備えています。
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これも左にある実車を鏡に映したものです。
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これも右にある実車の後部が鏡に映ったものです。
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これは1939年に製造されたメルセデス.ベンツ "540 K(W29)" の2ドア.カブリオレです。上掲の赤い色の "540 K" と同じモデルですが1年後のモデルなのでバンパーの形が異なっています。
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この車にはエア.フォーンは付いていません。
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この車両の細部を拡大した3枚です。
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ホール2に移動しました。こちらには更に多くのヴィンテージ.カーが展示してあります。
これは1930年製造の マイバッハ "ツェッペリンDS7"リムジンの4ドア車です。このモデルは、V型12気筒、排気量6,992cc/150馬力で、最高速度140-150Km/Hr.を発揮し、1930年から1933年の間に200台生産されたマイバッハの最高級モデルです。車の後部に車体内のトランクの代わりに2個の素敵なデザインの箱形トランクが載っています。マイバッハは、現在もメルセデス.ベンツの超高級ブランドになっています。 -
企業としてのマイバッハは、ダイムラー社の主任技術者であったヴィルヘルム.マイバッハが1909年に息子のカール.マイバッハと飛行船ツェッペリン号に搭載されたV型12気筒エンジンを製作するために設立しました。1920年代から1930年台にかけて2,300台程の高級乗用車を設計.販売していました。更に鉄道車両用や殆どの戦車に搭載するエンジンやトランスミッションの製造する会社に発展しています。1966年にダイムラー.ベンツ社の傘下になり、1969年に社名がMTUに改名され、鉄道車両、船舶、軍用車両、産業用などに向けたディーゼル.エンジンの製造を行っています。そしてMTUは今でも戦車用でパッケージになったエンジンとトランスミッション製造の有名企業です。
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これは1934年製のマイバッハ "DSH" リムジンです。このモデルは、直列6気筒、排気量5,184cc/130馬力で最高速度125-140Km/Hr.を発揮し、1934年から1937年の間に40台生産されています。ホイール.ベースは上掲のツェッペリンDS7と同じの3,735mmでした。前掲のツェッペリンの廉価版として開発された車です。
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このモデル "DSH" も "ツェッペリンDS7" もメルセデス.ベンツの最高級モデルの "770(07)" とほぼ同じのホイール.ベースを持つ大型高級車です。
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こちらは1935年製のマイバッハ モデル "SW 35" の4ドア.セダンです。エンジンは、直列6気筒、排気量3,434ccで140馬力を発揮しました。このモデルは、最先端のエンジンとシャーシ技術を取り入れたスイング.アクスル車(独立懸架)が「小さなマイバッハ」として1935年に発表されました。
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前方から眺めたモデル "SW 35" です。結構おとなしいで材です。
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エンジンの排気量を上げ1936年から生産が開始されたマイバッハ モデル "SW 38" です。エンジンの排気量が3,815ccに拡大されていますが、予想されたガソリンの質の低下でも馬力を維持するための対策でした。この展示車両は1937年製の4ドア.カブリオレです。
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前方から眺めたモデル "SW 38" です。
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こちらは1939年製のマイバッハ "SW 38" の4ドア.カブリオレです。前掲の1937年製の4ドア.カブリオレと比べると、車体横の窓の数が二つから三つに増えています。
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これは1938年製のマイバッハ モデル "SW 38" の2ドア.カブリオレです。
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前方から眺めたモデル "SW 38" の2ドア.カブリオレです。メルセデス.ベンツのツアラーのように2本のエア.フォーンを付けています。
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「ドクター.マイバッハ」と呼ばれるこの特別なレーシング.カーでは、1907年のメルセデス45馬力のシャーシと巨大なマイバッハ航空機エンジンが組み合わされました。1気筒あたり5つのバルブを備えた6気筒エンジンは、排気量が19.5リットルで、わずか1200rpmで300馬力を発揮できました。
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エンジン,ルームが一杯になる程大きな航空機用のエンジンが収まっています。
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これは1939年製のホルヒ "830 BL" の4ドア.カブリオレです。このモデルは、1934年から1940年の間に生産されています。エンジンは、V型8気筒、排気量3,823ccで92馬力を発揮しました。
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当時ベンツ社の工場長を務めていたアウグスト.ホルヒがベンツ社から独立し、自らの名前の付いた自動車製造工場を1898年に設立しました。その後経営陣との対立から退社し、新たにアウディ社を立ち上げます。更にアウディ・ホルヒ・DKW・ヴァンダラーの4社が1932年に合併しアウトウニオン社が設立され、ブランドのホルヒはアウトウニオン.グループの最高級車レンジをカバーするモデルとなり、高品質・高性能で名を馳せました。
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これは1938年製のホルヒ "853" の2ドア.スポーツ.カブリオレです。初期のホルヒ "853" が1935年から生産を開始し、1937年からモデル "853 A" が1940年まで生産されました。エンジンは直列8気筒、排気量4,911ccで120馬力を発揮しました。
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前方から眺めたモデル "853 A" の2ドア.カブリオレです。エアフォーンでは無い警笛が付いています。
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これはアメリカのデューセンバーグ.モーター社が1934年に製造したデューセンバーグのモデル "J" です。このモデルは1928年から生産が開始され、1932年にはスーパー.チャージャーを付けたモデル "SJ" が追加されます。エンジンは直列8気筒、排気量6,900ccで265馬力、スーパー.チャージャー付きでな320馬力を発揮しました。
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ドイツからの移民の息子として生まれたフレッドとオーガストのデューセンバーグ兄弟は、スポーツ.カーの製造を目的に1913年デューセンバーグ.モーター社を設立しました。会社は倒産しましたが1937年まで高性能の高級車を生産しました。
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デューセンバーグのモデル "J"のサイド.ヴューです。
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こちらは後ろから眺めています。こちらもマイバッハと同じように車外後部に取り付けた箱形のトランクです。
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これはベントレー.モーターズ社の1923年製の"レッド.ラベル"の2ドア.ロード.スターです。エンジンは直列4気筒、排気量2,996ccで85馬力を発揮しました。ベントレーの3リッター.モデルはエンジンのチューニングの違いにより、スタンダードの"ブルーラベル"、スピードの"レッド.ラベル"、スーパー.スピードの"グリーン.ラベル"の3種がありました。
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ベントレー.モーターズ社は航空機や自動車のエンジンの設計者であったイギリス人W.O.ベントレーにより1919年に設立されました。1924年から1930年にかけてル.マーン24時間レースで5回の優勝を飾るなどモーター.スポーツで名を上げ、高性能スポーツカー.メーカーとして世界の富裕層に好まれました。しかし1931年にロールス.ロイスに買収され、レース活動が封印されてしまいます。
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こちらは1924年製のベントレーの3リッター.モデルの2ドア.クーペです。
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これはベントレー社初の4.5リッター.モデルとなった1927年に製造されたレーシング.カーの"オールド.マザー.ガン"です。磨き上げられたアルミの車体で、1928年のル.マーンのレースで優勝を果たしています。
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これはイギリスのスタンダード.モーター社が1949年に製造した"トライアンフ 1800"ロードスターです。エンジンは直列4気筒、排気量1,776ccで66馬力を発揮しました。モデル1800は1946年から1948年まで2,501台が生産されています。その後エンジンが2,088ccに拡大されモデル2000となりました。このモデルは通常の2席の後ろにランブル.シートと呼ばれる折り畳み式無蓋のトランク部座席が装備してありました。
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これは1938年製イギリスのジャグアー社のモデル "SS 100" ロードスターです。エンジンは直列6気筒、排気量2,664ccで90馬力を発揮しました。このモデルは1936年から生産が始まり、途中排気量が3,485ccに拡大され1940年まで生産が続きました。
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これはイギリスのロールスロイス社の1933年製の "ファントム II" の4ドア.セダンです。エンジンは直列6気筒、排気量が7,661ccで140馬力を発揮しました。この "ファントム II" モデルは1929年から1935年まで生産されています。
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こちらは同じく1933年製の "ファントム II" で、2ドアのボート.テール.ツアラーです。
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これはドイツのオペル社の1912年製モデル "24/50" の4ドア.フェートン(幌付オープンカー)です。エンジンは直列4気筒、排気量が6,250ccで50馬力を発揮しました。
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こちらはオペル社の1914年製モデル "25/55" の4ドア.フェートンです。エンジンは直列4気筒、排気量が6,250ccで62.5馬力を発揮しました。オペル社の自動車部門は1899年に設立され、第1次大戦前から、小型車を始めメルセデスを意識した高級車まで生産していました。
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これはブガッティ社が1926年に製造した "タイプ 30" の2座.グランド.ツアラーです。直列8気筒、排気量1,991ccのエンジンで75馬力を発揮しました。
ブガッティ社は、1909年にイタリア出身の工業デザイナーが当時ドイツ帝国領であったアルザスの都市に設立した高性能自動車メーカーでした。第1次大戦後フランス領になり企業もフランスの会社になりました。 -
こちらは1927年から5年間、レースやスポーツ分野を席巻したブガッティの1926年製の "タイプ 37" です。エンジンは直列4気筒、排気量1,496ccで100馬力を発揮しました。
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これは1935年に製造されたブガッティの "タイプ 57" の2ドア.4座のヴァントー.サルーンです。このタイプ 57は、ブガッティ創立者の長男によって設計され、630台が1934年から1940年の間に生産されています。エンジンはDOHC直列8気筒3,257ccで135馬力を発揮しました。
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こちらはブガッティの1938年製の "タイプ 57 C" です。エンジンは直列8気筒、排気量3,257ccで160馬力を発揮しました。このモデルは1934年から生産が始まり1940年まで続きました。その間、エンジンは1934年製の "タイプ 57" の135馬力からスーパーチャージャー付きの "タイプ 57SC" の200馬力までその性能が上がっています。
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同じ "タイプ 57 C" を横から写しています。この展示車両は冬のレースの装備をしていて、車体の両側にチェーン付きのスペア.タイヤを装備しています。
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これは1929年に製造されたブガッティの "タイプ 41" で、クーペ.ナポレオンの名称で知られている4ドアのレプリカです。このモデルは、1927年から1933年まで生産された大型高級車です。ホイール.ベースは4.3m、全長は6.4mで、車重が3,175kgでした。搭載された排気量12,763ccの直列8気筒のエンジンは、これまでに製造された自動車用エンジンの中で最大級の物です。
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これは1924年製造のメルセデス.ベンツ "タイプ400K" の4ドア.カブリオレです。エンジンは、直列6気筒、排気量3,920cc、自然吸気で70馬力、スーパー.チャージャー駆動で100馬力を発揮しました。
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これは1933年製造のメルセデス.ベンツ "マンハイム370(W10)" の4ドア.カブリオレです。エンジンは、直列6気筒、排気量3,883ccで73馬力を発揮しました。この車は世界恐慌の経済不況の中、豪華ではない車として価格を抑えたものになっていました。
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これは1938年製造のメルセデス.ベンツ "320(W142)" の2ドア.カブリオレです。エンジンは、直列6気筒、排気量3,207ccで78馬力を発揮しました。
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これは1948年製造のメルセデス.ベンツ "170V(W136)"、4ドア.セダンです。エンジンは、直列4気筒、排気量1,767ccで38馬力を発揮しました。このモデルは、戦前の豊かになりつつある中産階級の人々に向けたモデルとして設計され、1936年から戦後の1955年まで、戦中、戦後の中断はありましたが、生産が続けられました。
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少し2階の回廊に上がりました。手前にドイツの車、遠くに蒸気機関車、右側にオートバイの展示区画が見えます。
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これは1938年に製造された不整地走行用3軸の特殊車両メルセデス.ベンツ "G4(W31)"の 4ドア.7座のカブリオレです。このモデルはドイツ国防軍の指揮官や参謀のために1933年から1939年の間に57台が製造されましが、戦場で使うには高価すぎたので、ナチスの高官による軍隊の査察やパレードに使われました。ヒットラーはこの車で占領したチェコスロヴァキアのズデーデン地方やウィーンへ入城しています。エンジンは初期の5,018ccから中期の5,252ccを経て、展示車両の最終モデルは5,401ccに拡大され馬力も110馬力になりました。
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生産された57台の内現在3台が残されていて、この博物館の他にスペイン王室の自動車コレクションとハリウッドに保存されているそうです。
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この車は不整地走行用でしたが、3軸の車輪の内、後輪の2軸のみがエンジンに直結し駆動できました。
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車両の中央部分です。
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フロントガラスと前席部分を拡大しました。
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エンジン,ボンネットと前輪、スペ.アタイヤです。
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この特別な車の側にも旅行者風の男女のマネキンがいます。
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これは1932年に製造されたメルセデス.ベンツ "ニュルブルク 460(W08)" のアップ.グレードされた後期モデルである4ドア.カブリオレです。エンジンは直列8気筒で、排気量4,918ccで110馬力でした。この "ニュルブルク 460" は、1928年秋に発売されたメルセデス.ベンツ初の8気筒乗用車です。1920年代と1930年代の最も長寿命のメルセデス.ベンツのモデルであり、1939年の夏の終わり迄さまざまな変更とアップ.グレードを加えて生産され続けました。
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このニュルブルクをベースとして、初のローマ教皇庁の車として1930年に教皇ピウス11世のために特別車が製造されています。"ニュルブルク"は次のグロッサー.メルセデスまでメルセデス.ベンツの最上級車の地位にありました。
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このグロッサー.メルセデスと言われる メルセデス.ベンツ "770K(W150)"の4ドア.カブリオレは1938年に製造され、ヒットラーも使用した重装甲のパレード用の車でした。暗殺の試みから乗員を保護するために、車は地雷に強い装甲で覆われた床を持っていました。さらに、数センチの防弾ガラス装甲ドアと、後部座席の後ろに格納式の装甲板で構成された窓ガラスが装備されていました。
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この1938年製のモデルは、1938年から1943年の間に生産された後期のモデルです。エンジンはスーパー.チャージャー付きの直列8気筒、排気量7,655ccで、自然吸気で155馬力、過給で230馬力を発揮しました。
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グロッサー.メルセデスの前期モデル "770 K(W07)" は1930年から1938年までの間に生産されていて、日本でも戦前に皇室用として7台が購入されています。前期モデルは後期モデルに比べ少し小さく、エンジンも排気量は同じですが、自然吸気で150馬力、過給で200馬力でした。
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この88台生産された後期モデルの殆どは、ナチス.ドイツの公用車として設計された重量5トン近くの重装甲車両でした。例えば18mmの装甲板、40mmの防弾ガラスです。
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ガラスの青味がかった色がガラスの厚さを想像させます。
以下4枚の部分拡大写真です。 -
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こちらは厚い装甲が施されたメルセデス.ベンツ "770 K(W07)" リムジンで1938年から1943年まで僅か10台が製造され、現在3台が実存しています。この展示されている車両は1943年に総統官邸に引き渡され、ヒットラーの高官スタッフが使用していました。その意図された目的により、その広範な装甲の結果として4.5トンの重量になり、また多くの特別な機能を備えていました。その中には、ドアが外部から開かれるのを防ぐための緊急パワー.ロックがあります。厚い防弾フロント.ウィンドウが曇らないように、マニフォールド.パイプに新鮮な空気を送り、外側からウィンドウに吹き込みました。強力なスーパー.チャージャー付きエンジンにより、重量が重いにもかかわらず、最高速度140 km / hに達することができました。 しかし、タイヤに大きな負担がかかったため、速度は時速80kmに制限されていました。
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前方から眺めると、上掲の4ドア.カブリオレに比べて、エアフォーンが無い事とラジエーターグリルの横線が無いくらいで、両者は良く似ています。
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前輪フェンダーにはスペアタイヤは無くスッキリしています。
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このメルセデス.ベンツ "770 K(W07)" のホイール.ベースは3,880mmでした。
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2台並んだメルセデス.ベンツ "770 K(W07)" です。
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これは1926年に製造されたメルセデス.ベンツ の"タイプ 630K"の2座ロードスターです。このモデル 630 は、合併前のダイムラー社が開発し1924年から1929年まで生産されています。ショート.ホイール.ベースのモデル 630K の生産は、1926年から始まっています。エンジンは、直列6気筒、排気量6,240cc、スーパー.チャージャー付きで自然吸気で110馬力、スーパー.チャージャーによる過給で160馬力が出ました。そして次のスポーツ.タイプのモデル "Sシリーズ" に続きます。
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これは1929年製のメルセデス.ベンツの "モデル S(W06)" の2ドア.4座カブリオレです。”モデル S(W06)" シリーズは、上掲の "モデル 630K" の後継として更に性能を上げレースへの参加を考慮した車になっています。エンジンはスーパー.チャージャー付きの直列6気筒、排気量6,789ccで自然吸気で170馬力、スーパー.チャージャーによる過給で225馬力が出ました。
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前方から眺めたメルセデス.ベンツの "モデル S(W06)" です。メルセデス.ベンツのスポーツ.タイプのモデルのラジエーター.グリルは、中央が折れ曲がった形になっています。
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後ろから眺めた写真です。4座なので幌の後部が角ばっていて、あまり格好が良いとは言えません。
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こちらは1930年製のメルセデス.ベンツの"モデル SS(W06)" の2ドア.カブリオレです。排気量が "モデル S(W06)" から拡大され7,020ccになり、馬力は自然吸気で180馬力、過給で250馬力を発揮しました。
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前掲の "タイプ 630K" から始まり、"モデル SSK" に至るメルセデス.ベンツのスポーツ.タイプのモデルは、直列6気筒のエンジンを搭載していますが、その排気ガスは2気筒づつ纏められて車体の右側のボンネットから突き出たクローム.メッキの3本の排気管を経て1本に纏められ後部から排出されます。これがメルセデス.ベンツのスポーツ.タイプの特徴になっています。
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後ろから眺めた"モデル SSK"です。スペアタイヤを2重にして車体後部に積載しています。
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展示された"モデル SSK"の運転席のメーター.パネルやハンドルを拡大しました。
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ラジエーター.グリルの拡大です。ヘッド.ライトに挟まれて設置されたスポット.ライトが下を向いています。可動なのでしょうか。
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これは1929年製のメルセデス.ベンツ "モデル SSK(W06)" の2ドア.ロードスターです。エンジンは直列6気筒、7,065ccで自然吸気で225馬力、過給で300馬力を発揮しました。このモデルは ”モデル SS" から更にレース向きにホイール.ベースを2,950mmに450mm短くしました。
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前から見た "モデル SSK(W06)" です。このモデルは更に軽量化した最終モデルの "SSKL" に行き着き、レーサーのみに販売されました。
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手前に"メルセデス.ベンツ "モデル SSK(W06)" の2ドア.ロードスター、後方にベントレーの"オールド.マザー.ガン"の展示です。
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これはメルセデス.ベンツの"S-シリーズ"に続くスポーツ.タイプのモデルですが、レース用というより、豪華さを狙ったモデルです。ダイムラー.ベンツ社は1933年にメルセデス.ベンツ "モデル 380" を市場に発表しましたが、翌年には大型化した "モデル 500K(W29)" を導入し、これが "モデル 380" に置き換わりました。"モデル 500K" のエンジンは、直列8気筒、排気量5,018ccで、自然吸気で100馬力、過給で160馬力を発揮しました。
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この展示車両は1923年製の2ドア.カブリオレです。
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更に1936年からはエンジンの排気量を5,363ccに拡大した "モデル "540K" に置き換わります。排気量の拡大に伴い馬力も自然吸気で115馬力、過給で180馬力に向上しています。この展示車両は、1936年製の2ドア.クーペです。
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この展示車両の天井は蛇腹の布製で、折り畳める形式です。この "モデル 380" から始まった直列8気筒のエンジンを積んだ豪華スポーツ.タイプの車は、車体の右側から4気筒の排気を1本に纏め2本になったクローム.メッキされた排気管がボンネットから出ていました。
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こちらは1937年製で、同じ "モデル 540K" の2ドア.クーペです。こちらの天井も上掲の車両と同じ形です。
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上掲の車両の左側の前部です。この車はスペアタイヤを前部のフェンダーに積んでいます。
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こちらは1953年製造のメルセデス.ベンツの "モデル 220(W187)" の2ドア.2座のカブリオレです。このモデルは戦後初めて高級車として1951年から1955年まで生産されました。エンジンは、直列6気筒、排気量2,195ccで80馬力を発揮しました。
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上掲のモデル 220(W187) の運転席を拡大しました。
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こちらは1957年製メルセデス.ベンツの "モデル 220 S(W180 II)" の2ドア.カブリオレです。このモデルは1954年から1959年の間に生産され、4ドアセダン、2ドア.クーペ、2ドア.カブリオレの3種のボディ.タイプがありました。エンジンは直列6気筒、排気量2,195ccで、最高馬力は初期の85から後期の106まで性能が向上しています。
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ラジエーター.グリルのデザインを含め車体全部のスタイルは戦前のモデルから大幅に変わっています。
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こちらは上掲の "モデル 220(W187)" の更に上級車種として1951年から導入された "モデル 300c (W186)" です。このモデルは全車4ドアで、セダン、リムジン、カブリオレ等の車体でした。エンジンは直列6気筒、排気量2,996ccで最高馬力は初期の115から125へ向上しています。この展示車両は1952年製で4ドア.4座のカブリオレです。
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真横から眺めて見ました。
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全部のガラス窓を拡大しました。
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これは戦前の "モデル 540K" の後継として1951年から生産が開始された豪華スポーツ.タイプの "モデル 300 S(W188)" の2ドア.カブリオレです。エンジンの排気量は、"モデル 300c (W186)" と同じ2,995ccですが、馬力が150馬力に向上しています。
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モデル"300S"に続いて1955年から燃料噴射装置を組み込み馬力を175馬力に向上させたエンジンを持つモデル"300 SC"に更新され、1958年迄生産されました。
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この写真は車の前方にある鏡に映ったモデル"300 SC"です。
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観覧の最後に2階の回廊に上がり展示車両を眺めます。
中央の車はメルセデス.ベンツの1934年製の "モデル 500K(W29)" の2ドア.カブリオレです。 -
手前の黒い色の車はオペルの1939年製のモデルの "アドミラル"、4ドア.カブリオレ です。
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こちらは同じオペルの1938年製モデルの "スーパー 6" 、2ドア.カブリオレです。
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これはメルセデス.ベンツ G4(W31) 4ドア.7座の2ドア.カブリオレです。
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これは1948年製のメルセデス.ベンツ 170V(W136)、4ドア.セダンです。
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これは1953年製のメルセデス.ベンツ "モデル 220(W187)" の2ドア.2座のカブリオレです。
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こちらは1937年製のメルセデス.ベンツ "モデル 540K" の2ドア.4座のクーペです。
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これは1936年製のメルセデス.ベンツの"モデル "540K"2ドア.4座のクーペです。
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これは1939年製のホルヒ "830 BL" の4ドア.カブリオレです。
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こちらは1930年製のメルセデス.ベンツの"モデル SS(W06)" の2ドア.4座のカブリオレです。
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これは1929年製のメルセデス.ベンツのモデル "S(W06)" の2ドア.4座カブリオレです。
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左は1926年に製造されたメルセデス.ベンツ の"タイプ 630K"の2ドアのロード.スターで、右は前掲の1929年製のメルセデス.ベンツのモデル "S(W06)" の2ドア.4座カブリオレです。
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これは1929年製のメルセデス.ベンツ "モデル SSK(W06)" の2ドア.ロードスターです。
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これは1938年製のマイバッハ モデル "SW 38" の2ドア.カブリオレです。
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これはアメリカのデューセンバーグ.モーター社が1934年に製造したデューセンバーグのモデル "J" です。
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これは1938年製のホルヒ "853 A" の2ドア.スポーツ.カブリオレです。
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こちらは1933年製の "ファントム II" で、2ドア.2座のボート.テール.ツアラーです。広角レンズの撮影になり、車体が曲がったように写っています。
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レースに参加した日本ブランドのオートバイの展示もありますが、これは面白いオートバイです。飛行機エンジンを載せたオートバイ、"レッド.バロン.モーターサイクル"です。これは、エンジンを取り外してローテック星形空冷 R3600 エンジンに交換したものです。この150馬力.9気筒エンジンは、第一次世界大戦中に飛行機のエンジンとして使用されていました。
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蒸気機関車の展示もあります。これはドイツ国鉄のBR41型113号機です。BR41型は貨物列車牽引の機関車として1937年に試作車が完成し、総計366両が製造されました。日本式に言えば、D型の機関車です。
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この車両は、維持管理を容易にするために、本来塗装せずに鉄の肌のままの部分も白色や赤い色に塗られていて少し興醒めです。
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博物館のホール1には軍事部門の兵器、車両、航空機などがジオラマ風に展示してあります。これはドイツ空軍の戦闘機、メッサーシュミット Bf 109G の空中展示です。エンジンカバーや排気管が外され、ダイムラー.ベンツの液冷エンジンが剥き出しになっています。
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この博物館訪問の最後は超音速旅客機内の観覧です。2機の飛行機は、機首が上がった状態で固定されているので、中に入ると坂を登るように機種に向かって歩きます。
まずエール.フランスの"コンコルド F-BVFB" に入ります。コンコルドは、フランスとイギリスの企業が共同で開発しプロート.タイプの機を含め20機が生産されました。1969年に初飛行し1976年から2003年まで就航していました。最高飛行速度は音速の2.04倍でした。最大乗客数が128人で燃料の大量消費で経済性が悪く早期の退役となりました。
ホール2の屋根から階段を上がって機内に入りました。機首の方向を望んでいます。 -
コンコルドのコクピットです。
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コクピットから後方を望んでいます。
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旅客席です。リクライニングさせた位置になっているようです。
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機内から下りています。前方に旧ソ連製の超音速旅客機が見えています。
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旧ソ連機は、機首付近にカナードと呼ばれる先尾翼がついています。
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コンコルドをしたから見上げました。
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こちらは旧ソ連が開発した超音速旅客機のツポレフ Tu-144(Tupolev Tu-144)機です。こちらはコンコルドより2ヶ月早い1968年に初飛行しました。これもコンコルドより1ヶ月早い1975年末に営業運行を開始しますが、2年半後には運行は停止しました。もともと需要がコンコルドに比べ殆どなく、機体の大きさや形は似ていても、燃費がコンコルドより大幅に悪かったのが運行停止の理由だったそうです。西欧と技術を張り合っただけの事に終わりました。
これは機種にあるコクピットです。 -
機体の中程から後部を望んでいます。座席が無い所もありますが、展示のために取り払ったのでしょうか。乗客定員は120人だったそうです。
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旅客席です。コンコルドに比べ、大きさが小さく、クッションも少ない簡易な構造になっているようです。
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ホール1の2階回廊からホール2の東南端を望んでいます。手前のホール2の屋根の上に小型機のD-CAKE Pembroke C54、奥には旅客機のHA-LBH Tupolev Tu-134A-3 Ex- Malevが空中に展示してあります。旅客機の機体下遠くに赤い色のSバーンの電車が写っています。
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9時半から4時間ほど博物館に滞在しハイデルベルクに戻ります。このジンスハイム博物館で展示されている自動車は輝くほど磨き上げられています。メルセデス.ベンツのヴィンテージ.カーが比較的多いのですが、くしくもこの場所は、合併前のベンツ社があったマンハイムとダイムラー社があったシュトゥットガルトの中程に位置しています。
最後に展示航空機の写真3枚です。これは旧ソ連の超音速旅客機、ツポレフ Tu-144 です。 -
こちらは コンコルド F-BVFB です。こちらは機首を下げた状態にせずに展示しています。
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博物館を退出します。ホール2の近くにプロペラ.エンジンの旅客機が4機と黄色に塗られたジェット.エンジン機が展示してあります。右手前にエアーフランスのヴァイカウント F-BGNU、一番奥にダグラス DC-3で、左側には3発機のユンカース Ju-52 も見えています。
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予定より1時間ほど早くハイデルベルクに戻りました。それで駅で、ネットで買った切符の変更ができないかを尋ねましたが、前売りの割安券なので不可との事で買い替えとなりなりました。フランクフルト空港駅着を17:06(ICE516)から16:37(ICE1094)に早くしました。フランクフルト空港へは途中のマンハイムで乗り換えになります。
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買い換えた切符は、マンハイム発16:06、フランクフルト空港駅着16:37(ICE1094)でしたが、早くマンハイムに着いたので15:36発、16:06着(ICE106)の列車に乗り換えました。今度は当日購入の普通切符だったので変更可でした。
定時にフランクフルト空港に着きました。結局予定より1時間ほど早くフランクフルト空港に着き、空港でのババ迎えに充分な時間が取れました。 -
プラットホームからその上に造られた駅の広場に上がります。この広場から空港への通路が伸びています。広場から更に1階上がるとヒルトン.ホテルの入り口があります。ここには三つ星のヒルトン.ガーデン.イン.フランクフルト.エアポートと四つ星のヒルトン.フランクフルト.エアポートの二つが隣り合わせにあります。我々はガーデン.インに泊まります。入り口はこの写真の右側です。
チェック.インを済ませ、壁面がガラス張りの通路の前から、これも一ドアがガラス張りのエレベーターで上がります。この写真の前方に駅の広場からのエスカレーターと階段があります。このホテルを利用するのは3回目になり、今回の旅の最終日にも1泊する予定です。 -
同じ通路から反対側を望みます。こちらはホテルの中庭になります。
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北棟の8階の部屋に入ります。入り口から部屋を望んでいます。
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ダブル.ベッドです。
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ベッド横の窓側から入り口を望んでいます。バス.ルームは入り口の右側です。
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ベッドの反対側に造り付けのテーブルがあります。コンセントの数に不足はありませんでした。
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バス.ルームです。
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洗面台横の窪みにトイレです。
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5時半になり、ババを迎えに空港に向かいます。これは2013年2月の旅で写したエレベーターです。ガラスの扉が閉まった状態です。扉の反対側は鏡になっています。エレベーターの外から写真を撮っているババが鏡に映っています。
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エレベーターで降りてきました。3台ならぶエレベーターを写しています。
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ホテルの入り口がある階から駅の広場にエスカレーターで下りている途中です。
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駅の広場です。天井が複雑な構造の枠にガラス(?)を張った屋根です。空港への連絡通路の入り口は左側にあります。ここは長距離列車が発着する駅で、この連絡通路で空港までの途中にS-バーンや短距離列車が発着する駅の入り口があります。
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この2枚は過去旅での写真です。いずれも早朝なので暗い情景になっています。
こちらは2013年2月の写真です。この時はローマに飛び立ちました。 -
こちらは2016年1月の写真です。この時はフィレンツェに飛び立ちました。
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これが空港への連絡通路の入り口です。
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こちらは2016年1月の写真です。
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空港に着いて2分遅れの18時07分到着予定になっているLH909便を待ちます。
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着陸の表示が出ていますが、まだババは出てきません。少し待った後ババと無事再開できました。
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