2017/04/02 - 2017/04/27
86位(同エリア466件中)
さわ子さん
2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流しポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。
この第8回目の旅行記はリスボンから電車でシントラへデイ.トリップした記録です。
全体の旅程の概略です。
★ 4月 2~3日 ミュンヘン泊
★ 4日 ハイデルベルク泊
★ 5日 フランクフルト泊
★ 6~10日 リスボン泊
★ 10~12泊 ポルト泊
★ 13~17日 マドリッド泊
★ 18~19日 コルドヴァ泊
★ 20~21日 セヴィリャ泊
★ 22~23日 バルセロナ伯
★ 24~26日 フランクフルト泊
★ 27日 フランクフルトから羽田へ
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日はシントラへ遠足です。ホテルの隣りにあるロシオ駅から電車に乗ります。4階のプラットホームにエスカレーターで上がります。
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エスカレーターを降りて、今通ってきた自動改札口の方向に振り返っています。プラットホームにもタイルで模様がつけられています。
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こちらはホームの反対側で電車の進行方向です。電車は発車すると直ぐトンネルに入り、次の駅のカンポリデまで市街の下の地下トンネルの中を走ります。
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8時31分発の電車に乗り遅れて、次の9時10分発の電車に乗りました。シントラへは9時41に着きます。車内に掲示された路線図です。中程にある赤い四角内に示されたロシオから、左端の赤い四角内のシントラへ行きます。
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車内の様子です。4席対面の座席が並んでいます。吊革はありません。
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時刻表通りにシントラ駅につきました。駅前でバスを待ちます。今日も快晴です。
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バスで行くシントラの見所案内図です。我々は黄色の線で表示された循環線の434番のバスで、ペーナ宮殿、ムーアの城趾、シントラ王宮の3箇所を巡ります。料金は一人5.50ユーロで、今日1日乗り降り自由です。
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シントラのパンフレットで見る434番線のルートの見所です。
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434番のバスが来ました。車体にペーナ宮殿のイラストが描かれています。
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車内はまあまあの混み具合です。
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ムーアの城址は後から見学するとして下車せず、ペーナ宮殿前まで乗りました。ここが宮殿があるペーナ公園の入り口です。
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パンフレットで見る広いペーナ公園です。時間がある人には良いハイキング.コースになるでしょう。
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宮殿の入り口から往復3ユーロを払って、このミニバスで宮殿に向かいます。坂道なのでバスが楽です。バスの車体にはシントラ王宮が描かれています。
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バスは天井を開いて走ります。天気が良いので快適です。
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パンフレット掲載の宮殿案内図です。この宮殿は、19世紀の異国情緒豊かなロマンティシズムの代表的な建造物です。宮殿の起源は、12世紀に遡るペーナの聖母礼拝所で、15世紀末にマヌエル1世が礼拝所を拡大し王立修道院を建てる事を指示しました。修道院の建物は1755年の地震で大きな被害を受けましたが修道院の活動は続きました。その後1834年に修道院は廃止され、王婿のフェルディナント2世が修道院の遺跡を核に新たな宮殿の建設を始めました。時計塔がある北側(右の)が元々の修道院があった部分が発展した建物です。
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ミニバスを降りて宮殿に向かいます。ジグザグの道を上がって行きます。写真中央に1番目の門が見えています。
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1回目のUターンをして、凱旋門と呼ばれる1番目の門の手前に出ました。門の円形の壁面に3個の花の飾りが付いています。
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1番目の門を潜り振り返りました。正面の建物は宮殿の南端に隣接する元厩舎で、その左に葱坊主状の頂部を持つミナレットが見えます。この元厩舎の屋上テラスは、現在カフェテリアが開いています。
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1番目の門の内側です。門の円形の壁面に付いた花の飾りは、外側が3個で、この内側は1個だけです。
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その円形の壁を拡大しました。アズレージョが貼られています。下の方のタイルは、盾を持ち鎧兜を纏った戦士のようです。
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宮殿の建物を見上げています。左端が元厩舎です。
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1番目の門を潜って真っ直ぐに歩いて行くとテラスに出ます。ここから南西の方向に大西洋を望んでいます。
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前掲のテラスでUターンしました。記念碑の門、また鉄の門と名付けられた2番目の門の手前です。この門には跳ね橋が設置されていたそうです。
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門の上の6角形の塔の前面に紋章が見えています。左側はポルトガル王国の紋章で、右側はザクセン.コーブルク.ゴータ公国の紋章です。ドイツのザクセン.コーブルク.ゴータ家一族から、ポルトガル女王マリア2世の王婿としてフェルナンド2世が入り、現在のベルギー王家、イギリス女王ヴィクトリアの夫アルバート、およびブルガリアの君主も出ています。
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こちらの門の壁面は、門の周りが球形の突起、その外の壁面はピラミッド状の突起で装飾されています。
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2番目の門を潜った後、この先更に左へUターンすると"トリトンのテラス"と呼ばれる宮殿の前に出ます。
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2番目の門を潜り後方を振り返っています。後方の建物は元厩舎です。
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2番目の門の近くから宮殿を見上げています。
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"トリトンのテラス"に着きました。これは"新宮殿"とも呼ばれる宮殿南翼を貫く"トリトンのトンネル"です。名前は、宮殿のこのトンネルの上部を飾るトリトンの彫刻に由来しています。トリトンは、半人半魚の神話上の怪物です。この怪物と同じように、入り口も水生世界と陸生世界に分かれています。水生世界は下の部分にあります。ネオゴシック様式のアーチは、サンゴで飾られており、3つの貝殻を支えています。中央の貝殻にトリトンが座っています。上方では、トリトンの頭から生えた木が示すように、地上の世界に入ります。この木は、怪物が支えているように見える"弓の窓"と呼ばれる3階の出窓を覆うブドウの木に続いていきます。この入り口のトンネルは宮殿の反対側、西側にあるテラスに通じています。
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"トリトンのトンネル"を通ります。これはトンネルの天井の装飾です。
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トンネルを抜けて西側のテラスである"アーチの中庭"に出ました。これは、トンネルの反対側の宮殿の壁面です。こちら側は、壁面にアズレージョが全面に貼られています。窓の装飾は、トマールのキリスト教修道院にある有名なマヌエル様式の窓の簡略版で、フェルディナンド2世がポルトガルで卓越したマヌエル様式のリバイバル版のネオ.マヌエル様式を取り入れさせました。トマールはこの修道院が有名な町で、リスボンとポルトの中程にあリます。
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この西側のテラスから、ほぼ真西にあるロカ岬が見えるかと探しましたが、途中にあるシントラ.カスカイス自然公園の山の影になっているようで、見えませんでした。
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西側のテラスの北にある階段を上がって真っ直ぐに宮殿内に入りました。玄関ホールの左側にある、この聖具室を通り、その右奥から隣接する教会内部に入ります。
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先ず修道院の建物が元になっている教会です。ここは聖歌隊席で写真の左手に内陣があります。
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聖歌隊席の後方にあるステンドグラスです。エマオの食事の場面を描いているようです。ルカの福音書によると、復活したイエスがエマオに向かう二人の弟子と出会い、エマオで食事の招待を受けました。イエスが感謝してパンを裂いた時にイエスだとわかったのですが、その時イエスは見えなくなりました。
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ここは内陣です。この彫刻作品は、フランスの彫刻家ニコラ.シャントレーヌ(1470 - 1551頃)が1529年から1534年の間に製作した教会の主祭壇です。ローマの凱旋門風の構図の中に、キリスト降誕、受胎告知、神殿での奉献、東方三博士の礼拝、エジプトへの逃避などを描いています。 中央のニッチはキリストの復活を描いています。
この教会の平面形は少し変わっていて、この内陣の右横に前掲の聖歌隊席がある"L"字形をしています。 -
凱旋門の入り口のような祭壇中央部の頂部に鎮座する玉座の聖母と幼子のキリストです。
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玉座の聖母の下のニッチには復活するキリストが彫られています。
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主祭壇の左側の画卓に置かれていた絵画です。この教会の主祭壇を礼拝者が説教を受ける身廊から眺めた光景を描いていると思われますが、祭壇の細部が少し違っています。この元修道院の礼拝所は1534年に完成し1755年の地震から僅かな被害だけで生き延びています。絵画の制作年が不明ですが、震災前の作品ならこの違いも発生するでしょう。
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主祭壇がある内陣の天井です。
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主祭壇の前は礼拝者が集う身廊です。その身廊で主祭壇と反対側にあるステンドグラスです。上部には、記念碑の門の上部にあったポルトガル王国の紋章とザクセン.コーブルク.ゴータ公国の紋章が見えます。その下の4枚の絵の上段は、聖母子とキリスト騎士団の戦士でしょうか。下段は、左手に彼の命令によって建てらたノッサ.セニョーラ.ダ.ペナ修道院の模型を持ち、首からキリスト騎士団の十字架をぶら下げたマニュエル1世と右のヴィディゲイラ伯爵のヴァスコダガマです。
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宮殿北翼の西側テラスに戻ってきました。赤い色の建物は、宮殿の古い部分で、元あった修道院を改増築したものです。時計塔の左下手前は教会で、とんがり帽子のロッジアは教会の入り口になっています。
これからこの宮殿北側の周りに設置された回廊を時計回りに歩きます。 -
回廊の北端に来ました。ペーナ宮殿のほぼ真北にムーアの城址が見え、その先にシントラ市街が見えています。
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回廊の東側に廻って来ました。
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この東側の回廊には3基の監視塔が設置してあります。
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宮殿正面の南側に廻ってきました。宮殿の南翼が見えています。
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カメラを左下の方向に振りました。左に記念碑の門が見えています。
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宮殿の東側には屋根が無い監視塔が4基並んでいます。左端の葱坊主状の頂部を持つ円筒は、宮殿の南端に隣接した元厩舎のミナレットです。
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再度宮殿内を見学します。ここは宮殿の北翼にあるマヌエル様式のパティオです。
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フェルディナント2世は、修道院のかつての食堂とその16世紀のマヌエル様式のアーチ型のリブ天井を王室の私的なダイニング.ルームに活用しました。
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食堂の天井です。
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テーブルの中央に置かれた銀製の帆船の模型です。
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3階に上がります。
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3階の壁に掛かっていた非常時避難経路の図を利用して、見学した部屋をまとめてみました。赤字は3階で、青字は2階の部屋です。
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パティオの北側の並びの部屋に入っていきます。1番目の部屋の天井です。天井も壁も板張りになっています。シンブル.ベッドと机が置いてありました。
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1番目の部屋に似たシンブルベッドと机が置かれた2番目の部屋は、姿見の鏡と箪笥が追加で置いてありました。2番目の部屋を通り過ぎると、3番目の部屋のフェルディナント2世の寝室になります。ここはペーナ宮殿の主寝室でした。
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宮殿の外側に面した窓の近くに設置された暖炉です。
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暖炉の上の鏡の前で記念撮影です。ベッドは暖炉の前に設置してあります。
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寝室の天井です。
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パティオの東側の並びの部屋に進みます。ここは、ほぼ正方形の平面のフェルディナンド2世の書斎です。上掲の寝室に隣接しています。
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書斎の暖炉です。
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書斎の隣りの喫茶室の天井です。この部屋はアメリア女王の私室に通じていて、女王がお茶を楽しんだ部屋でした。ここで女王は最も近い親友の個人的な訪問を受けていました。
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喫茶室に掲げてあった絵画です。これは下に掲載した、フランスの画家ピエール.オーギュスト.コット(Pierre Auguste Cot, 1837 - 1883)の作品で、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある作品「嵐」の模作のようです。
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この写真は、メトロポリタン美術館のウェブ.サイトからの借画です。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/435997
このサイトの説明によると、場面は10代の主人公が暴風雨の中で避難所を目指し、ヒロインのオーバー.スカートを即席の傘として使用しています。 -
ここはパティオの南側の並びにあるアラブ風に仕上げた居間です。主寝室の次に広い長方形の部屋です。この部屋の壁面は、ムデハル様式の建物の騙し絵が全面に描かれています。天井の模様も同じ騙し絵のように見えます。これは部屋の出入り口の上部と天井です。
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居間の二つの窓の上の装飾画です。これは西の方向から眺めたペーナ宮殿のようです。この装飾画は、宮殿が完全に完成する前に描かれているそうです。
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こちらは東の方向から見た宮殿のようです。
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こちらは部屋のもう一方の出入り口の上部と天井です。出入り口の上部には、ポルトガル王国とザクセン.コーブルク.ゴータ公国の紋章が見えます。
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宮殿の北翼の見学を終え南翼に向かいます。南翼に入って2部屋を素通りして喫煙室に入りました。この部屋は、19世紀に流行した懐古趣味を反映し、ムデハル様式の装飾になっています。この天井は、14世紀に建てられたシントラ宮殿の天井をモデルにしています。この部屋は音楽室にも使われました。
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喫煙室の壁面です。次の小部屋の奥に大広間が続いています。この喫茶室の東側は半円形の出っ張りがあり、その窓はトリトン門の3階にある"弓の窓"になっています。
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ペーナ宮殿で最大の区画である大広間です。ビリヤード.ルームとしても知られるこの部屋は、宮殿のレジャーと社交の場でした。1940年に撤去されたビリヤード台と、大きな鏡が背面についたソファやテーブルの両方が、リラックスした雰囲気を提供していました。ゴシック.スタイルのキャンドル.シャンデリアと石油ランプ、そしてトーチ.ホルダーの燭台はすべて金メッキの真ちゅう製です。広間の西側の3つの窓に、君主は中央ヨーロッパのステンドグラスのコレクションを配置しました。
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ここには多くの見学者が集まっていて写真を撮るのが大変です。広間の中央に下がっている大きなシャンデリアです。壁面はムデハル様式の幾何学模様や植物の模様の装飾で覆われています。
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大広間には、ここに映る後ろに大きな鏡がついたソファが8台置いてあります。長方形の広間の短辺に2台づつ、長辺の壁沿いに2台づつ置いてあります。その鏡を使って記念撮影です。短辺に置かれたソファの前にはテーブルと2基づつの椅子も置いてあります。
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広間の四隅に置かれた燭台を支えるアラブ風の容姿の人形です。
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広間の西側の窓に埋め込まれたステンドグラス3枚の内、中央の作品です。
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ペーナ宮殿の見学を終えました。このミニ.バスで宮殿入り口まで戻ります。車体には、18 世紀に建てられた王室の壮麗な夏の離宮、ケルス宮殿が描かれています。ケルス宮殿はリスボンのベレンの塔の北西にあります。
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帰りも屋根空きバスです。
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空いた屋根から、ペーナ宮殿北翼の東側を見上げています。
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ペーナ宮殿から緩い下り坂を550m歩いてムーアの城址まで戻ります。これはムーア城址の案内図です。案内図の中で、右下隅の"A"はペーナ宮殿の入り口で、中程下部の"B"はムーア城址の入り口です。ここから歩いて案内図の"C"の本丸に行き、ここから障壁を歩いて"D"のロイヤル.タワーまで行きます。
この城は8世紀から9世紀にかけて、イベリア半島がイスラム教徒に支配されていた時代に建設されました。 -
入り口から15分程歩いて城の本丸である"Castle Keep"に辿り着きました。正面は本丸の塔です。塔には1910年からのポルトガル共和国国旗がはためいています。
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これが本丸全体の空撮写真が載っている看板です。写真の左上角が本丸の塔です。
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本丸から北の方向を望んでいます。左端に王宮、右にシントラ駅が見えています。
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上掲写真の中央を拡大すると塔が付属したシントラ市庁舎の建物が写っていました。古い礼拝堂の敷地に1906年から1909年の間に新マヌエル様式で建てられました。
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カメラを左に振りました。城址の北北西の方向です。中央にある大きな建物が最後に訪れるシントラ王宮です。
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王宮を拡大しました。建物の中程に見える白く細長い円錐形の2本の塔は、33mの高さの厨房の煙突です。この厨房は、狩猟宴会に対応するように設計されているそうです。
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西北西の方向です。中央の建物は、今回は訪れなかったレガレイラ宮殿です。
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このムーアの城趾のパンフレットの上には、ポルトガルの国旗の歴史が左から右へ説明してあります。そしてその旗が城壁の監視塔に立てられています。本丸には右端の旗、1910年からの共和国旗が立っています。我々は城壁を旗の歴史と逆方向に歩いて行きます。
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これから東端の本丸から南西に向かって造られた城壁を歩いて行きます。差し当たり下り坂ですが中程から上り坂になり、この本丸より高い左上隅みに見える王家の塔(Torre Real)が終点になります。
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左側の広場は、城の中で最も広い区画で、兵士が集合する場所になっていました。
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この監視塔には、城がアラブの起源である事を示すためにアラビア語の旗が立てられています。本丸からここまで下ってきましたが、ここから先は曲りくねった上り坂になります。
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だいぶ暖かくなってきました。そして城壁から北西の方向に太平洋が見え出しました。
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南の方向の視界が開けてきました。ほぼ真南の方向にペーナ宮殿が見えます。
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ペーナ宮殿を拡大しました。宮殿の北面です。北翼の時計塔、その右側には南翼端の塔のドームが見えています。
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城壁沿いにある五つの塔の中で最も高い王家の塔に到着しました。ここに翻る旗は、1143年からアフォンソ1世が掲げたものです。フィンランド国旗に似ていますが、こちらは正方形のギリシャ十字形です。
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王家の塔から今通ってきた城壁を振り返っています。画面の右上の本丸から上がってきました。右側にも城壁があるはずですがはっきり見えません。
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上掲の写真の右端を拡大すると微かに木々の間に城壁が見えています。背が高い城壁ですが、壁面が日陰になっています。しかし稜線は日が当たっているので分かります。城趾に入る門も大きな木の近くに見えています。
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本丸を拡大しました。右端には本丸の核になる天守の塔にポルトガル国旗が閃いています。
この王家の塔を最後にムーアの城趾の見学を終えます。天気が良かったので充分に見晴らしを楽しむ事ができました。 -
古い厩舎と呼ばれる場所を右下に見ながら坂を下って行きます。ここには、中世のキリスト教時代に建てられた厩舎があった場所です。現在はここに入場券発売所を含む事務所やカフェなどのサービス施設が設けられています。写真の中央奥で、木々に隠れた城壁の門から城外に出ます。
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ムーアの城址前からバスに乗り、最後の訪問先のシントラ王宮に向かいます。
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これはムーアの城址前停留所の看板です。
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すぐ近くにある次のペーナ宮殿前で大勢の人が降りたので、直ぐに座る事ができました。
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シントラ旧市街でバスを降り、少し歩いて適当な食事処としてレストラン.アルコバサ(Restaurante Alcobaça)に入りました。トリップ.アドバイザー評価は240中201位です。これはお店の窓に掲げてあった料理の写真です。
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昔ポーランドのヴロツワフで同じ料理を食べた事を思い出し、二人ともこのパンの中に入れたスープを選びました。
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シントラ国立宮殿は、ポルトガルで唯一無傷で残る中世の王宮です。この宮殿は、おそらく古代のイスラム教徒の城壁の住居に14世紀に建てられ、君主制が始まって以来、ポルトガルの君主はここに宮殿を持っていました。
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宮殿の南側の階段を上がり、四つの開口部がある正面ロッジアから王宮に入りました。ここはロッジア内の長い階段を上がった2階です。ババの後ろに"白鳥の間"の入り口があります。この"白鳥の間"の前にある区画は、1段と高くなっていて、大きな四角の柱で区切られています。写真の右側の低い区画は、"宮殿警備室"と呼ばれ、儀式用の鉾を持った警備兵が立っていました。
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"白鳥の間"に入る前に宮殿の北側の景色を眺めてみました。遠くの山の上にはムーアの城址の城壁や監視塔が見えています。
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ムーアの城址を拡大しました。左側の三つの塔は天守の塔です。王家の塔は後方に隠れていて見えません。
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最初に"白鳥の間"に入りました。27羽の白鳥がそれぞれ違ったポーズをとる絵が天井に描かれています。この部屋は正面玄関のロッジアの真上にあり、その右側は"中央パティオ"です。
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天井隅の6羽を拡大しました。
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さらにその1羽です。王冠を首に掛けています。
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白鳥の間の南西角の出入り口から"中央パティオ"を眺めています。背景の細長い円錐形の2本の塔は、高さ33mの厨房の煙突です。
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パティオの真ん中にある噴水の噴き出し口を拡大しました。捻れ棒を纏めた柱の上の両側に、王家の紋章を支えた裸の人形が載っています。写真後方には"水浴の洞窟"が見えています。
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パティオに降りました。"水浴の洞窟"の前から白鳥の間から降りてきた階段を写しています。
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2本の細い柱で分けられ、三つのアーチが並んだ入り口から覗いた"水浴の洞窟"の内部です。
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水浴の洞窟の一番奥のアズレージョの壁画です。中央の孔雀の羽は、青ではなく黄色に近い色に着色されたタイルのようです。両側の花の絵も着色タイルです。
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ここは、"中央パティオ"の西南側で"白鳥の間"と接する"カササギの間"です。天井1面にカササギの絵が描かれています。
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このように、木製の天井パネルに136羽のカササギが描かれています。
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カササギの4羽を拡大しました。それぞれがクチバシに王のモットーである"Por Bem"、"永久に"と書かれたフレーズと足にバラの花を持っています。
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"カササギの間"の北西に隣接する"セバスティアン1世(Sebastião I de Portugal:1554 - 1578)の寝室" です。王はシントラでの滞在中にこの部屋を使って眠りました。
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タイルの拡大写真です。壁の装飾は16世紀のもので、浮き彫りのタイルの上にカット.タイルの境界線があり、フルール.ド.リス(アヤメの花を様式化した意匠)の形をしたブドウの木やヤグルマ.ギクをモチーフにしたタイルが貼られています。
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宮殿の北西端にある"紋章の間"に行く途中にある半円筒形の船底天井のギャラリー.ルームです。17世紀から18世紀にかけて海軍力を誇ったオスマントルコ、オランダ、ポルトガルの旗を掲げる帆船や海の景色が天井に描かれています。部屋には陶器の展示や肖像画が掲げられています。
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ギャラリー.ルームに展示の作品です。酔っぱらいだそうです。
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突き当たりの"紋章の間"へ通じる廊下です。右側の壁面に横長の大きなタペストリーと肖像画が架けられています。
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宮殿の建物の北西角で、ピラミッド型の屋根を持つ紋章の間にはいりました。部屋は正方形ですが、その天井は八角形で、マヌエル1世、彼の子供たち、そして貴族の最も重要な72の家族の紋章が描かれています。
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中央を拡大しました。翼のある蛇で覆われたポルトガルの王室の紋章は、アヴィス王朝の支配の印です。ポルトガル最初の王朝であるブルゴーニュ王朝に次いで、1385年から1580年までポルトガルを支配しました。
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中央の王室の紋章の周りには、幸運王と呼ばれるマヌエル1世(1469 - 1521)と彼の2番目の妻であるスペインのカトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世)の娘であるドナ.マリアとの間に生まれた8人の子供の紋章が囲んでいます。6人の息子は盾の紋章、2人の娘は菱形の紋章が描かれています。この写真で、左端とその上が娘の神聖ローマ皇帝カール5世妃とサヴォイア公カルロ3世妃の紋章です。
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エマヌエル1世の8人の子供の紋章の外側には、8角形の枠に白い布切れを角に絡ませた大きな雄鹿が描かれています。その下で長方形に入った48の紋章と4隅の半球内にある24の紋章を合わせた72は、最も影響力を持つ貴族の紋章を示しています。
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壁面のアズレージョは18世紀にさかのぼり、当時のリスボンのタイル作品の偉大な巨匠の作品です。牧歌的な情景や狩猟の場面が描かれています。
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こちらの部屋の角には、狩猟の場面を背景に、男女がダンスに興じています。
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宮殿の北側で厨房の2本の煙突の西にある"パラティン礼拝堂です。この礼拝堂は、13世紀のディニス王とアラゴンのイザベル女王の治世からの建造物で、15世紀のアフォンソ5世の治世中に変更され、拡張されました。ムデハル様式の天井や床のタイルは、ポルトガルで最も保存状態の良いものの1つです。壁の装飾は、発見された生き残った破片に基づいて20世紀に復元されました。
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壁面の色々な姿態の鳩が、口にオリーヴの枝を咥え、精霊の呼びかけを表しています。
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内陣のアーチの装飾です。中央は、帝国宝珠(Globus cruciger)を手に持つポルトガル王でしょうか。帝国宝珠は、中世を通して、そして今日でも、キリスト教の権威の象徴を表し、王権の象徴にも使われます。
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"パラティン礼拝堂の南で"中央パティオ"と北側で接する"アラブの間"です。この部屋は、ジョアン1世(1357 - 1433)の寝室であったと推定されています。マヌエル様式の時代からの現在の装飾は、3次元の幾何学的構成が際立っているいくつかのタイル技術を統合しています。中央の噴水にある彫刻は、空間の異国情緒を際立たせています。
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宮殿警備室の東隣りにある"マヌエル様式の間"です。この部屋の壁面タイルの上部には、前掲の"セバスティアン1世の寝室"と同じフルール.ド.リス(アヤメの花を様式化した意匠)の形をしたブドウの木やヤグルマ.ギクをモチーフにしたタイルが貼られています。
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45分ほど宮殿に滞在して外へ出ました。この訪問を最後にリスボンに帰ります。宮殿前の広場の南西側の建物列です。この中に"セントラル.パレス.ホテル"があるようです。
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宮殿前の広場から少し歩いて、写真の白い壁の建物の"ニュース博物館"と同じ名前のバス停からシントラ駅までバスに乗ります。
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ニュース博物館の2、3階の10箇所の窓には、世界の有名人があたかも窓際から外を見ているような写真が貼ってあります。これはイギリスのエリザベス女王夫妻です。
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こちらはローマ上皇のようです。
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シントラ駅から16時6分発のオリエンテ駅行き電車に乗りました。途中、ロシオ駅の二つ手前のベンフィカ(Benfica)駅でロシオ行きに乗り換える必要があります。
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ベンフィカ駅のホームににあった路線図です。"A"のベンフィカで下車し、乗り換えた後"B"のロシオ駅まで乗ります。
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しばらくベンフィカ駅で待ちます。
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午後5時、ロシオ駅に戻ってきました。
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ロシオ駅の改札口の前です。
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自動改札口は接触式です。
明日は最後のリスボンになります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
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この旅行記へのコメント (1)
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- mom Kさん 2022/02/11 18:44:17
- 恋しやポルトガル
- タンナサマとフランクフルトで待ち合わせですって!
素敵な始まり旅。 私は、住む街が遠く離れている友人たちと何度か。ワクワクでした。 つぶさに堪能され、アップのお写真多く、再訪気分で拝見させていただくつもりが見逃していたものばかり。当地の様子も変わっているような。 遠い昔を引き寄せています。 彼の地は、シニアが相応しいですね。
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