2017/04/02 - 2017/04/27
62位(同エリア300件中)
さわ子さん
2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流しポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。
この第14回目の旅行記は4月14日の前半で、マドリッドの美術館、3箇所を訪問した記録です。この日はもう1箇所、ティッセン.ボルネミッサ美術館を訪れていますが、後篇として次回15回の旅行記に回しました。
全体の旅程の概略です。
★ 4月 2~3日 ミュンヘン泊
★ 4日 ハイデルベルク泊
★ 5日 フランクフルト泊
★ 6~10日 リスボン泊
★ 10~12泊 ポルト泊
★ 13~17日 マドリッド泊
★ 18~19日 コルドヴァ泊
★ 20~21日 セヴィリャ泊
★ 22~23日 バルセロナ伯
★ 24~26日 フランクフルト泊
★ 27日 フランクフルトから羽田へ
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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スペインには2004年にマドリッド、トレド、コルドバ、セヴィーリャ、マラガ、グラナダ、ヴァレンシア、そしてバルセロナを訪れています。今回は13年ぶりのスペイン訪問になります。
朝9時10分です。朝食を済ませ街歩きに出発します。この写真の左側にあるホテルの前からプラド通りの西の方向を望んでいます。この近くのプラド通りでは、車は西の方向への一方通行です。 -
先ずホテルから北に1.5Kmの距離にある国立ロマンチシズム美術館、略してロマン派美術館に歩いて向かいます。ホテルからプリンシペス通り、カナレヤス広場、セヴィーリャ通りを通ってアルカラ通りに出ました。アルカラ通りの東の方向を望んでいます。この交差点には地下鉄セヴィーリャ駅があります。アルカラ通りを西に歩くとプエルタ.デル.ソルに行き当たります。中央で少し左寄り遠くに見えるドームは、カラトラヴァス教会です。
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同じ交差点から、今歩いて来たセヴィーリャ通りを振り返ります。静かな繁華街の朝です。
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セヴィーリャ通りとアルカラ通りの交差点の南側にある建物屋上の装飾です。同じ装飾が、曲線になったファサードの両側の二箇所にあります。
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セヴィーリャ通りからビルヘン.デ.ロス.ペリグロス通りに入り北の方向に歩いて行きます。そして歩いて来た方向に振り返りました。ここはビルヘン.デ.ロス.ペリグロス通りの名前が変わりクラベル通りになる交差点です。今日はゴミ収集の日でしょうか、収集車が近ずいてきています。右端には大きなビニール袋に入ったゴミが置いてあります。
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その交差点の北角にある建物の上部装飾です。
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こちらは北西角の建物の装飾です。
クラベル通りに入り1ブロック先で突き当たるグラン.ヴィア通りを左に曲がります。 -
グラン.ヴィア通りを西の方向に歩いています。この先の地下鉄駅グラン.ヴィアで右に曲がり商店街のフエンカラル通りを歩きます。
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フエンカラル通りの商店で見かけたショー.ウィンドウです。
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フエンカラル通りをマドリッド歴史博物館前まで歩いてきました。目標のロマン派美術館はこの近くです。
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フエンカラル通りでマドリッド歴史博物館の対面にあったキオスクの小屋の広告板です。
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ロマン派美術館を探してマドリッド歴史博物館の南側のベネフィセンシア通りを歩いて行きます。通りの北側にあるカニノ公園近くに、美術館の"らしき"入り口を見つけました。ここがロマン派美術館の入り口だと思い込み、この近くで開館の10時まで待ちます。
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突然歩いてきた婦人が「入り口は反対側ですよ」と教えてくれたので反対側のサン.マテオ通りに歩いて行きます。ベネフィセンシア通りを振り返っています。こちら側の入り口は、車椅子の入館者のためだったようです。
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こちらがサン.マテオ通りに面したロマン派美術館の入り口でした。この美術館の建物の起源は、1779年に新古典主義のデザインで完成したマタラナ侯爵の宮殿です。そしてベニグノ.デ.ラ.ベガ.インクラン侯爵から寄付された資金を基に1924年にロマンティック美術館として開館しています。この美術館では、19世紀の裕福なマドリードのブルジョアジーの建物、各部屋、生活様式が再現されています。
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左側の入り口から入りました。入館券売り場前から玄関ホールを見渡しています。正面にはショップがあり、右側に2階への階段があります。
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2階に上がりました。最初の部屋はロビー.ルームです。部屋は肖像画で満たされています。左の壁面中央に掛かる大きなパネルは、ルイ14世の肘掛け椅子に座る子供の頃のイサベル2世(1830-1904)の肖像です。
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こちらはイサベル2世の宮廷画家カルロス.ルイス.デ.リベラ.イ.フィーブ(Carlos Luis de Ribera y Fieve:1815-1891)の1835年頃の作品「子供の頃のイサベル2世の肖像」です。上掲の肖像画の2年程後のイサベル2世になります。イサベル2世は3才で王位を継いでいます。この5才の頃のイサベル2世の肖像画では、ネックレス、イヤリング、髪飾りが際立っています。この髪型は、1830年代に流行したそうです。
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フェルディナンド7世の宮廷画家フアン.ガルベス(Juan Gálvez:1774-1846)による天井画です。
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イザベル2世とその2才違いの妹ルイサ.フェルナンダは、1846年に一緒に結婚式をあげましました。その結婚式を記念して1846年頃に制作されたイギリス製の磁器です。
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上掲の磁器の絵を拡大しました。中央で高く持ち上げられた布の下に二組のカップルが見えます。
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新古典主義様式のスペインの画家ホセ.アパリシオ.エイングラダ(José Aparicio Inglada:1773-1838)が1827年に描いた「サンタ.マリヤ港に上陸したフェルナンド7世」です。この絵では、アングレーム公爵ルイス.アントニオ.デ.ボルボンがフェルナンド7世(1784-1833)を迎えています。公爵は、神聖同盟の支援の下、スペインにやってきたフランスの軍隊を率いて、王を自由主義者から守り、自由主義がヨーロッパに広がるのを防ぎました。サンタ.マリヤ港は、スペイン南部のアンダルシアにあります。
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肖像画や宗教画を描いた画家ザカリアス.ゴンサレス.ベラスケス(Zacarías González Velázquez:1763-1834)の1818年の作品「夜の寓話」です。この作品は、月の女神ディアナが夜をマントで覆い、その魔神がポピーを手に居眠りしているモルフェウスに矢を放つ様子を表しています。 夜のシンボルであるフクロウを持って、イブニング.スターの魔神がその上を飛び、ニンフが露を地面に注ぎます。
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第III室から次のボール.ルームを覗いています。
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ここは、宮殿の中で最も公共的な場であり、さまざまな社交行事が催されるボール.ルームです。部屋の壁面は、大きな肖像画や鏡で埋められています。
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ボール.ルームで上掲写真の反対側です。この部屋は舞踏室と言うには少し狭いようです。部屋の中央には大きな円形のソファが置かれています。
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長方形のボール.ルームの長辺の壁面中央です。大きな鏡にも肖像画が掛けられています。
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鏡の下のテーブル付近を拡大しました。テーブルの下には中国製らしい大きな壺、テーブルの上には陶磁器の人形が飾られています。
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こちらは上掲写真の反対側の壁面中央です。テーブルではなく暖炉の上に飾り台が作られています。
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ボール.ルームの天井の装飾画です。こちらもザカリアス.ゴンサレス.ベラスケスの作品で「オーロラの寓話」です。この作品は、地面に花を投げる翼のあるニンフを表しており、別のニンフは左隅で朝露を注いでいます。
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第V室の展示絵画です。
これは歴史的テーマ、寓話的なシーンの絵画を専門としたパウリーノ.デ.ラ.リンデ(Paulino de la Linde:1837-1862)の1860年頃の作品で「イサベル2世とその家族とインディーズ総主教」です。この絵画は、19世紀中頃のアフリカ戦争の勝利を記念しています。無原罪の御宿りの聖母マリアの前に女王とその家族が跪いて勝利の感謝を表しています。前景にイサベル2世女王が後ろから見られ、幼い子供で将来のアルフォンソ12世になる小さな男の子に左手を置いています。彼女の右側には、夫のフランシスコ.デ.アシスが小さな女の子を手に立っており、その後ろには赤ちゃんを抱いた女性がいます。女王の左側には、総主教を代表する男性の人物がいます -
イサベル2世の宮廷画家ホアキン.シグエンサ.イ.チャバリエタ(Joaquín Sigüenza y Chavarrieta:1825-1902)の1860年の作品「プエタ.デル.ソルで凱旋したスペイン軍を迎える群衆」です。
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同じ画家ホアキン.シグエンサが1868/72年頃に描いた「グロリオサの勝利後のスペイン下院前の軍事パレード」です。このパレードは、1868年の栄光、名誉と呼ばれる革命の勝利を記念して開催され、その結果イサベル2世が王位を失い、その後彼女はパリに亡命しました。パネルの右側は、凱旋門の形をした仮設の建築物で、ポスターとスペインの旗で飾られています。背景には、別の観客グループが集まる下院の建物があります。
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郷土の日常生活、習慣、活動を描いた画家ヴァレリアーノ.ドミンゲス.ベクケル(Valeriano Domínguez Bécquer:1833-1870)の1867年の作品で「庵の泉」です。アビラのアンブレス渓谷にある庵の巡礼を舞台にしたシーンです。画家はこの作品について次のようにコメントしています。「これは、巡礼を終える聖域にある奇跡の泉に立ち寄る地元の人々のグループを表しています。」
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同じベクケルの1856年の作品で「ナース.メイド(乳母)」です。幼児を見つめる乳母は、赤いスカーフで髪を覆い、細線細工のイヤリング、真珠のネックレス、黒い胴着の下に白いシャツ、スカート、エプロンを着ています。乳母は典型的なスペイン北部カンタブリアの服装をしています。カンタブリア出身の乳母は、その優れた体調と健康的な習慣のために王室の乳母に選ばれていました。
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こちらもベクレルの1864年の作品で「ソリア州の人気の習慣、農民の踊り」です。イサベル2世はベクレルに年金を与える条件でソリア州の特徴的な装束や習慣を思い起こさせる絵画の制作を依頼しました。ソリア州はマドリッドの北東にあります。画面では、仕事が終わり休息のために2組の農民ともう1人の子供が馬車の前で踊り、絵の左端に座っている村人が演奏するタンボリルのビートに合わせて踊っています。
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アンダルシアに生まれたホセ.エルボ.ペニュエラス(José Elbo Peñuelas
:1804-1844)の1840年頃の作品「2輪馬車」です。構図の中心に、白いバスキーナ(スカート)とマンティラ(ショール)を身に着けた女性が人気のある2輪馬車に乗っています。大きな車輪の側には、アンダルシア地方の典型的なカタイトの帽子をかぶった2人の男性がいます。そのうちの1人は彼女に果物を差し出しています。シーンの右側では、背中を向けた4番目の人物が、美しく飾られた馬の手綱を握っています。 -
同じホセ.エルボの1843年の作品「田舎の旅籠」です。グラデーションの強い明るい空の下で、旅籠の建物が構図の枠組みとして際立っている風俗絵画です。伝統的な服を着た多数の人物が、画面の下部を占めています。これらの人物の多くは、その役割が自然に表されており、それは、農民、鍛冶屋、宿屋の主人、または単に休んでいる旅行者です。
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郷土の風俗画家でイサベル2世の室内画家マヌエル.カブラル.イ.アグアド.ベジャラーノ(Manuel Cabral y Aguado Bejarano:1827-1891)の1852年の作品「馬場」です。馬に乗ったヴァリラルゲロ(闘牛士)が闘牛の準備をしているように見え、白と金の服を着て腕に赤いマントを着た別の闘牛士と会話しています。その横には、ショール、フリル、コームなどの服装で、閉じた扇子を手に持った、軽薄な態度のマハが現れます。後方には、青と銀の衣装の闘牛士、暗いマンティラで背中を覆った男性、そして2人の単純にスケッチされた闘牛士がいます。マハとは、小粋な女(小粋なマドリード娘)だそうです。
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同じマヌエル.カブラルの作品「山の上の二人」です。男性は馬に乗り盗賊のような衣装に身を包んでいます。カラノスの帽子、短いジャケット、サッシュ、トリミングとレギンスで飾られたズボンを履いています。ショールで頭を覆い、花飾りで髪を飾っているマハは、刺繍されたブラウス、フリルのスカート、チョピンを身に着けています。彼女は右手に閉じた扇子を持ち、左手を優雅に腰に当てがっています。
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アンリ.ピエール.レオン.ファラモンド.ブランシャル(Henri Pierre Léon Pharamond Blanchard:1805-1873)作の「密輸業者」です。山を背景に旅籠の前でさまざまな人物が主演するシーンを描いています。画面の左側では、カラノスの帽子を被った男性の肩に手を置くマハ、男性は黒いスーツを着てサッシュを腰に巻き、地面に着いた銃を右手で支えています。右側では、闘牛士のレイピアをサドルバッグに入れて運ぶ白い馬に寄りかかっている、典型的なアンダルシアの衣装を着た若い男性と、馬に乗った従者がいます。この画家はフランスの石版画家であり、風景画や歴史主題の画家でした。1826年に招待されてスペインを訪れ、王立石版画家団体を設立しました。
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建物を主体にした風景画を描いた画家ヘナロ.ペレス.ビジャミル(Jenaro Pérez Villaamill:1807-1854)の1836年の作品「マラガ、ガウシンのアギラ城のロマンチックな風景」です。マラガはアンダルシア地方で地中海に面した都市です。この絵画は、画家が新しい技法で描いた風景画の一例です。他の風景と同様に、独自の要素、この場合はガウシンのアギラ城の記念碑的な城壁の門の前で日常的な活動をしている典型的な人物を組み合わせています。
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スペインのロマン主義に属する画家エウヘニオ.ルーカス.ヴェラスケス(Eugenio Lucas Velazquez:1817-1870)の1850年頃の作品「仮面舞踏会」です。求愛の態度でカップルが前景に現れます。背景のカーテンによってかろうじて室内である事が仄めかされています。女性は、マンティラに身を包み、マスクで覆われた19世紀のマハのタイプに対応します。黒いバスキーナと幅の広い白いネック.ラインで仕上げられた青いジャケットを着て、手袋、更にイチゴの木のネットと彼女の胸の花で補完します。赤いマントをかぶり、羽のついた帽子をかぶった男は、壁に掛かっている楕円形の鏡に写っています。それらの後ろに、わずかに輪郭が描かれた数人の人物が見えます。
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上掲のパネルが展示してある部屋です。
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ここは、家族が集まって食事をするダイニング。ルームです。
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壁面には珍しい装飾画が掛けられています。
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並べられている食器も豪華です。
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当時の生活を再現している展示室です。
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日付も表示できる円盤が下方に追加されている置時計です。
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これは展示されていた扇子です。
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こちらは中国の扇子のようです。
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郷土の日常生活や風俗、宗教シーン、肖像画を描いた画家アントニオ.カブラル.ベハラノ(Antonio Cabral Bejarano:1798-1861)の作品「ヴィラノヴァの聖トーマス」です。この絵は、セヴィーリャのカプチン修道院の礼拝堂のために描かれたバルトロメ.エステバン.ムリーリョ(1617-1682)の作品の模作です。聖人が左手で杖を握り、右手で前に跪いた裸の男性にコインを差し出し、他の物乞いの人々が順番を待っている宗教的なシーンです。左下隅では、聖人が与えた施しを母親に見せている息子を見ます。背景には、古典的な建築要素を垣間見ることができます。
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1週間後に訪れるセヴィーリャの市立美術館に展示してあるムリーリョのオリジナル作品です。上掲のベハラノの模作は、ムリーリョの作品の忠実なコピーであり、独創性は欠けています。
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第XIII室から礼拝堂を覗いています。
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礼拝堂内の絵画パネル3枚です。
これはフランシスコ.デ.ゴヤ.イ.ルシエンテス(Francisco de Goya:1746-1828)の1796/1799年の作品で「聖グレゴリー大王」です。18世紀の終わりに、アラゴンの華麗な画家、ゴヤは、4人の教会の父、この場合は聖グレゴリー大王に捧げられたシリーズを描きました。 ゴヤ特有の光のゲーム、絵の背景の暗さ、主人公の明るさを見ることができます。 聖グレゴリー大王は教会の偉大な改革教皇でした。ここで彼は、彼の偉大な論文や著作の1つである大きな本に手を置いて現れ、右手でそれを書いています。 詳細に見ると、教皇の真面目で集中的な身振りが理解できます。 -
肖像画に特化したスペインのロマン派の画家アントニオ.マリア.エスキベル(Antonio María Esquivel:1806-1857)の1844年の作品「サンタ.ユスタとサンタ.ルフィナ」です。両聖人は、4世紀のセビリアで陶器を販売していた謙虚な姉妹でした。伝説によると、14世紀の地震で街が壊滅的な打撃を受けたとき、殉教した姉妹たちは、ヒラルダの塔(セビリア大聖堂の鐘楼)の崩壊を防ぐために天から降りてきました。この絵画で、殉教ではなく劇的な緊張の瞬間、つまり聖人の苦しみと死に焦点を当てることで、19世紀後半に宗教画に起こった微妙な変化を垣間見ることができます。
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主に宗教画や肖像画を手がけたホセ.マリア.ロメロ.イ.ロペス(José María Romero y López:1815-1880)の1860年の作品「サマリアの女」です。イエスが井戸から水を汲もうとしているサマリア人の女性に近づく、福音の一節が描かれている宗教的な場面です。ロメロ.イ.ロペスがセヴィーリャのバロック画家のスタイルとモデルを巧みに取り入れているので、この作品はバルトロメ.エステバン.ムリーリョの絵画の影響を強く受けていると判断されています。彼は彼の時代の多くの作家のように、ムリーリョの作品をしばしばコピーしました。
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こちらは第XVI室です。子供のためのおもちゃの馬車が部屋の中央に展示してあります。
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第XVII室の天井画です。
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これは女性の部屋のようです。
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こちらの部屋の奥にはピアノが置いてあります。
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主に肖像画や歴史的なシーンで知られた画家ホアキン.エスパルター.イ.ラル(Joaquín Espalter y Rull:1809-1880)の1872年の作品「メフィストフェレス」です。この絵は、ゲーテの作品「ファウスト」の1シーンで、マルガリータを誘拐したメフィストフェレスを表しています。暗い背景は、メフィストフェレスと女性の衣装の色とは対照的です。この本の中で、メフィストフェレスはファウストスを助け、美しく無垢なマルガリータを誘惑するための巧妙な策略と贈り物を提供します。悪魔のような存在のマスクと衣装は、この事実を際立たせています。
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幅広いジャンルのテーマを描いたスペインの画家アレハンドロ.フェラン.イ.フィッシャーマンス(Alejandro Ferrant y Fischermans:1843-1917)の1869年の作品「死にいく人」です。室内では、やせ衰えた死にゆく男性が、妻と娘の面前で医者に助けられました。肘掛け椅子に座っている死にかけている男性は、真っ白な服を着た娘を慰めようとしています。彼女は、手を絡み合わせて床にひざまずいて助けを求めます。彼女の側に立ってハンカチで顔を覆っているのは、涙を抑えることができない母親です。背景のサイド.ボードの中には、死の象徴としての数冊の本と頭蓋骨があります。
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主に歴史画を描いたスペインの画家エドゥアルド.カノ.デ.ラ.ペーニャ(Eduardo Cano de la Pena:1823-1897)の1868年の作品「幽閉される花嫁」です。結婚式の日に修道院の独房に閉じ込められた花嫁を描いています。乱れた長い髪を肩から落し、白いスーツを着た女性が、劇的なジェスチャーで独房の鉄の柵にしがみついています。左側の床には祭服の入った箱があり、その隣には結婚式の冠があります。このようなか弱い女性のテーマは、ロマン主義全体でお気に入りのトピックの1つでした。
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ベルギー人の両親を持ち、9歳の時スペインに移住し、風景画で高い評価を得た画家カルロス.デ.アエス(Carlos de Haes:1826-1898)の1883年の作品「エジプトの風景」です。この写真は、縦長のパネルの下半分を切り取っています。川のほとりにある神殿の建築が支配するオリエントの風景です。手前には、チュニックやターバンを着た数人の人物が岩の周りに配置されています。構図の中心を占める背景には、ヤシの木に囲まれたエジプトの神殿の印象的な遺跡が際立っています。夕焼けの金色の光が霧の背景を強調しています。ところで、この画家は一度もエジプトを訪れた事はないそうです。
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建物のあるスペインの風景を主に描いたヘナロ.ペレス.ビジャミル(Jenaro Pérez Villaamil:1807-1854)の1842年の作品「古代の遺跡があるオリエントの風景」です。アカシアの木の下には、遊牧民の服を着た人々のグループで構成されたキャラバンがいます。風景は完全に乾燥していて、突然隣りに巨大な峡谷があります。背景の中央には、廃墟となった古典寺院とオベリスクがあります。この神殿とその周辺は瞑想と思考を象徴し、風景は自然界の人間の孤独感を象徴しています。これはロマン主義の間に広く使われたテーマです。
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オリエントの風俗画を多く手がけたフランシスコ.ラメイヤー(Francisco Lameyer:1825-1877)の1863年の作品で「砂漠のシーン」です。フランシスコ・ラメイヤーは1863年にモロッコを訪れ、そこで住民の生活様式と習慣を学びました。 この絵で彼は、砂漠の砂の黄土色の雰囲気も良く捉えています。ラクダの2人のライダーは男性で、女性と子供は徒歩で移動します。 それらのすべての人々は、砂漠の典型的な服を着ています。黄色がかった土色は、人々の色と対照的です。
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同じフランシスコ.ラメイヤーの1863年頃の作品「ハーレム」です。この絵は、チュニック(丈が長めの上着)に身を包み、ベールで覆われた女性が登場するオリエンタリズムのシーンです。画面は、隠され禁じられた世界のハーレムとその中の女性達を表しています。イスラム教徒の女性が不滅に見えるこのタイプの画像は、オリエンタリストの画家がハーレムの世界と接触することを許可されないため、想像力によった神秘的なものになります。光と影の遊びが作品の主流であり、キャンバスに素晴らしい表現力を与え、ハーレムの世界の隠された性質を強調しています。
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マヌエル.バロン.イ.カリージョ(Manuel Barrón y Carrillo:1814-1884) の1846年の作品「アルカサルのパヴォネス(孔雀)のアーチ」です。この画家は、都会、田舎、そして絵のように美しい環境での日常生活を描いたロマンチックな風景画家として際立っていました。これはセヴィーリャのアルカサルのフェリペ2世の天井のホールです。画面中央には、装飾的な鳥が描かれた大きな馬蹄形のアーチがあり、一般にパヴォネスのアーチとして知られています。チェッカー.レイアウトの床と、右側の数人の人物の中で、1人は豊かなアラブの服を着ています。背景には、ある種の遠近感を醸し出しているパティオ・デ・ラス・ドンセラス(乙女の中庭)がこもったように見え、その中央には噴水が見えます。
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画面の人物を拡大しました。ほとんどの教会内の絵画のように、人物の大きさが建物に比べて極端に小さく描かれています。
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こちらは、今回の旅で1週間後に訪れたセヴィーリャにあるアルカサール内のパヴォネス(孔雀)のアーチの写真です。
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アーチの上部を拡大しました。前掲の絵画に比べ、最近の修復なのか大変綺麗です。アーチ左右の上隅に孔雀が見えます。
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こちらも肖像画で埋められた展示室です。
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これは1837年に制作された「コルドバのモスクとセヴィーリャのヒラルダの塔とアルカサル」と題する書籍の1ページです。左の塔はセヴィーリャ大聖堂の鐘楼ヒラルダの塔で、右側の塔はイスラム時代のモスクのミナレットの塔です。ミナレットの塔の頂部には、四つの球体からなるジャムール(塔や屋根の飾り)が載っています。画面の上の建物は、アルカサールの大パティオです。
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最後にミニチュア.ハウスとスライド映像とのコラボの展示品です。
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せっかく近くにあったのでマドリッド歴史博物館にも入りました。この建物は、18世紀にレアル.ホスピシオ.デ.サン.フェルナンドとしてバロック様式で建てられた建物を使っています。この建物のメイン.ポータル(正面玄関)周りの装飾は、ホスピス時代の名残を良く表しています。ポータル上部の中程には、サン.フェルナンドの像が立っています。この建物は1929年に市立博物館として開館しました。
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景観画を多く描いたマルティン.リコ(Martín Rico:1833-1908)の1822年の作品で「マンサナレス川に架かるトレド橋の上」です。この橋は、マドリッドの南の地区にあります。
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風景画家のトマス.カンプサーノ(Tomás Campuzano:1857-1934)の1876年の作品 「雪の日のシベレスの噴水とレコレトス通り」です。レコレトス通りは、プラド通りの北に繋がる大通りで、その接点に画面中央に見えるシベレスの噴水があります。
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景観画、風景画や歴史主題の絵を描いたフランスの画家ファラモンド.ブランシャル(Pharamond Blanchard:1805-1873)の作品「マドリッドのサン.ベルナルディーノ.ホスピスで、太陽の下で暖をとる貧しい人々」です。
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フランス印象派の影響を受けた絵を多く手がけたホアキン.ソローリャ.イ.バスティダ(Joaquin Sorolla y Bastida:1863-1923)の1883年の作品「ララティーナ病院のポータル(玄関)」です。病院は現在は存在しませんが、このポータルはマドリッド建築学校に保存されています。このパネルは、病院が閉鎖される頃の様子を描いているようです。
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同じソローリャの1883年の作品で「マドリッドのスラム街」です。マドリッドでソローリャの住宅兼アトリエだった邸宅が現在ソローリャ美術館になっています。
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風景画家ホセ.フランコ.コルデロ(José Franco Cordero:1851-1892)の1890年頃の作品「レアル.ホスピシオ.デ.サン.フェルナンドの建物の正面」です。この建物が現在の歴史博物館です。
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風景画に特化した画家ホセ.ルピアネス.イ.カラスコ(Jose Lupianez Y Carrasco:1864-1933)の1900年の作品「セゴヴィア橋近くの洗濯場」です。画面の右端に見えるのはマドリッド王宮です。画面中央で左寄り、橋の向こうにビルヘン.デル.プエルト教会の尖塔が見えています。
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景観画に特化したヴェローナ生まれのイタリアの画家ジュゼッペ.カネーリャ(Giuseppe Canella:1788-1847)の1820/25年頃の作品「セゴヴィア橋の袂からのマドリッドの眺め」です。画面の中程で左右に流れるマンサナレス川に架かるセゴヴィア橋が中央で左寄りに見えます。対岸の大きな建物は、左端に王宮、右端にサン.フランシスコ.エル.グランデ王室大聖堂でしょうか。カネーリャは研究目的でスペイン、オランダ、フランスに長い旅をしています。
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宗教画、歴史画、風景画、風俗画など幅広いジャンルのテーマを描いたアレハンドロ.フェラント.イ.フィシャマンス(Alejandro Ferrant y Fischermans:1843-1917)の1879年の作品「パリ万国博覧会のスペイン館」です。この絵は荒い筆使いですが、多くの彼の絵画では繊細な優しい筆遣いで描かれています。
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女性の肖像画を多く描いた画家ライムンド.デ.マドラーソ(Raimundo de Madrazo:1841-1920)の1905年の作品「マリア.ハーン」です。彼女はフランスに移住したヴェネズエラの大家族の出身であり、作曲家レイナルド.ハーンの姉妹でした。そしてマリアは画家のライムンド.マドラゾの2番目の妻でした。1901年に描かれた彼女の肖像画がプラド美術館にあります。
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歴史画や風俗画を描いた画家マヌエル.フェルナンデス.カルピオ(Manuel Fernández Carpio:1853-1931)の1893年の作品「マドリードの聖アントニオの日(1月17日)の行列」です。17世紀以来毎年1月17日に、すべてのマドリッド市民と訪問者は、動物の祝福を求め聖アントニオに敬意を表します。これが聖アンソニーの饗宴です。夕方の7時のようですが、照明に照らされた聖アントニオの山車が行進しています。その直ぐ後ろには聖職者が進んでいます。
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多くの歴史画を描いた画家フランシスコ.プラディーリャ.イ.オルティス(Francisco Pradilla y Ortiz:1848-1921)の1914年の作品「マドリッドの聖金曜日にマンティラを着けて歩く女性」です。マンティラは、伝統的なスペインのレースまたはシルクのベールまたはショールです。
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フランシスコ.ドミンゴ.マルケス(Francisco Domingo Marqués:1842-1920)の1870年頃の作品「プラド美術館から眺めた王立植物園の門」です。150年以上も経った現在の姿は少し変わっています。門の左右の壁龕と彫像は無くなっています。画面の左側にある立像も、1867年に完成した画家のバルトロメ.エステバン.ムリーリョの立像とは異なって見えます。
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建物のあるスペインの風景を主に描いたヘナロ.ペレス.ビジャミル(Jenaro Pérez Villaamil:1807-1854)の1854年の作品「マドリード王宮の眺め」です。この画家の作品は、ロマン派美術館でも鑑賞しました。
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漁村に焦点を当て、村の生活のジャンル.シーンを得意とした画家エンリケ.マルティネス.キュベルス(Enrique Martínez Cubells:1874-1947)の1900年頃の作品「プエルタ.デル.ソル」です。
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フランシスコ.ホセ.デ.ゴヤ.イ.ルシエンテス(Francisco José de Goya y Lucientes:1746-1828)、略してフランシスコ・デ・ゴヤは、ディエゴ.ベラスケスと共にスペイン最大の画家と謳われています。このパネルは、ゴヤの1810年の作品「マドリッドの寓話」です。 ピンクがかったマントルの白いチュニックを着た女性が、王冠が上に載るマドリッドの紋章の盾を右手に支え、二人の天使が抱える「5月2日」と書かれた楕円板を左手で指しています。上空にはラッパと月桂樹の輪を持つ二人の天使もいます。更に、女性の足下には忠実さの象徴である犬がいます。楕円板には当初ナポレオン.ボナパルトの兄のホセ1世が描かれていたそうですが、途中の政治情勢により何回か塗り替えられ、現在はマドリッド市民がフランス軍に蜂起した1808年5月2日を記念する文字になっています。
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これはプエルタ.デ.アルカラ闘牛場のミニチュア.モデルの一部を拡大しています。この闘牛場は、1749年から1874年までの125年間、マドリード市の闘牛場でした。画面の右端では、騎馬闘牛士の馬が牛に突き上げられています。
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更に右側の拡大写真です。騎馬闘牛士が出番を待っています。
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この美術館にも団扇が展示してありました。描かれている絵は、外国人の作品のようです。
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歴史博物館を出て、近くの地下鉄1号線トリブナル駅から2駅、ソル駅まで乗車する事にしました。綺麗なトリブナル駅のホームです。
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「駅でも車内でもマナーを守りましょう」の注意喚起の看板でしょうか。
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電車が来ました。この地下鉄は左側通行になっています。
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新しい車両なのか、車内も綺麗です。
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ソル駅に着きました。繁華街の駅にしては閑散としています。
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「適当なところで食べよう」という事になりプエルタ.デル.ソルのファースト.フード店「ロディーリャ(Rodilla)」に入りました。マドリードのレストランで 9,030 軒中 1,018 位です。
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結構お年寄りが利用しています。
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サンド.ウィッチと飲み物です。
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食事を終えました。プエルタ.デル.ソル広場の東側にあるクマとヤマモモの像の前で記念写真です。以前この広場で信号待ちをしていた時に背中に背負ったリュックを荒らされました。リュックの上に新聞を広げて手を突っ込んでいました。幸いにも気づいて手を払い、被害はありませんでした。
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ティッセン.ポルネミッサ美術館の特別展に3時の入館予約があるので、プエルタ.デル.ソル広場から東の方向のアルカラ通りにあるサン.フェルナンド王立芸術アカデミーに急いで入りました。サン.フェルナンド王立芸術アカデミーは1752年に設立され、1774年に18世紀に建てられたゴイェネーチェ宮殿が改築されてこのアカデミーが移転してきました。アカデミーにある美術館は、プラド美術館やティッセン.ボルネミッサ美術館ほど有名ではありませんが、保存されている作品の豊富さ、豊かさ、重要性から、国内で2番目に大きいアート.ギャラリーと見なされています。
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入り口を入って2階に上がる階段を上がっています。階段の踊り場の壁龕にミロのヴィーナスの模作がおかれています。
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2階の階段ホールに上がってきました。太陽光が入っている左側には中庭があります。階段は対称的に写真の左側の前と奥にあります。この階段ホールは4階までの吹き抜けになっています。
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階段の手摺がホールに至った所の柱に2基の彫像がのっています。西暦100年から200年の間のローマ時代に制作された彫刻の模作と言われる作品で、これは「鳥を抱えた少年」です。両方の彫像共、上掲の写真で見つけられます。
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上掲の彫刻と対になった「鳥の巣を持った少女」です。
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階段ホールの中央にはこの「メディチ家の壺」が展示してあります。この美術館の展示室は2、3、4階に分かれています。
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2階からは別の階段で3、4階に上がります。この3階の階段ホールは4階とその丸天井まで吹き抜けになっています。いつものように最上階の4階から展示室を廻ります。
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女性の肖像画で最もよく知られているスペインの画家エドゥアルド.チチャロイ.アグエラ(Eduardo Chicharro Agüera(1873-1949)作の「ペルセポネ」です。ギリシャ神話では、ペルセポネはゼウスとデメテルの娘です。ローマ神話ではプロセルピナとしても知られている若い乙女は、ハデスと結婚し、女神であることに加えて、冥界の女王になります。
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スペインの歴史、肖像、風景、風俗など幅広い絵を描いたホセ.モレノ.カルボネロ(José Moreno Carbonero:1860-1942)の1936年の作品「カマチョの結婚」です。この作品は、富豪のカマチョとキテリオの結婚式のエピソード(ドン.キホーテ.デ.ラ.マンチャ、パートII)に触発されており、画家が文学のテーマに取り組み、それを習得した優れた例です。画面の左側に新郎新婦にお辞儀するドンキ.ホーテ、その右にロバを引くサンチョ.パンサが見えます。
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肖像画、風景画を含む幅広いジャンルで活躍したスペインの画家ホアキン.ソローリャ.イ.バスティダ(Joaquin Sorolla y Bastida:1863-1923)の1898年の作品 「船上での食事」です。帆布の下では、年齢の異なる数人の漁師が食事をする準備をしています。
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漁村に焦点を当て、村の生活のジャンル.シーンを得意としたスペインの画家エンリケ.マルティネス.キュベルス(Enrique Martínez Cubells
:1874-1947)の1909年頃の作品「カンタブリアの漁師」です。このシーンは港の中を描いており、桟橋から見た漁船を表しています。前景では、3人の船員が忙しく漁獲物を集めています。背景で、油性の反射がある海で他の船を見ることができます。カンタブリアの港の雰囲気を思い起こさせる、光の霧がシーンを取り囲んでいます。 -
同じエンリケ.マルティネス.キュベルスの1910年の作品「年老いた女性の漁師」です。この画家は、景観画や肖像画の他に、光や水への影の効果を研究し、日常のシーンを捉え、好んで海の景色やビーチや港の風俗の側面を描きました。この画面は、おそらくバスク地方にある港の内部を表しており、その水からは、湿った石段自体の光とは対照的に、漁船の暗い色調、建築物、そして特に強力な光が発せられます。
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肖像画や風俗画を得意としたスペインの北西端ガリシア出身の画家フェルナンド.アルバレス.デ.ソトマジョ(Fernando Álvarez de Sotomayor
:1875-1960)の1916/1917年頃の作品「ベルガンティニョスの結婚式の食べ物」です。ベルガンティニョスはガリシアの北岸にある地区です。ソトマヨールは、生活情況を深く観察しながら、ゲストの位置からテーブル.クロスや食器の配置に至るまで、その地域の慣習や儀式に従って、すべての動きが良く研究されているダイニング.ルームを描いています。前景に描かれている静物の優れた描写も注目に値します。 -
同じ画家の1922年の作品「ブルトナの母」です。この作品は、作者によって示された芸術性の優れた例です。座っている若い母親は、眠っている子供を膝に抱き、生命に満ちた視線で鑑賞者とつながります。幼児の白い服は母親の黒いスーツと対照的で、絵に素晴らしい明るさを与えます。ブルトナは同じガリシアで上掲の絵画のベルガンティニョスの東の町です。
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スペインの画家兼彫刻家のフェルナンド.ラブラダ.マーティン(Fernando Labrada Martín:1888-1977)の1912/13年の作品「ソナタ第14番」です。子供の頃からピアニスト兼オルガニストとして活躍した彼の妻がベートーベンのソナタ第14番(月光)を演奏しています。人物の優雅さと静けさ、輪郭の完璧さ、そして光の微妙な扱いは、並外れたものになっています。
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風景画や肖像画を描いたイグナシオ.スロアガ.ザバレタ(Ignacio Zuloaga Zabaleta:1870-1945)の1910年代の作品「トレドの風景」です。この画家は、長らくパリで過ごした後トレドに移り、エル.グレコの雰囲気を彼のスタイル、特に街の風景に取り入れました。このパネルは、トレド旧市街をテージョ川の南の丘から眺めた風景のようです。画面右端にトレド大聖堂、その左奥にサン.イルデフォンソ教会が識別できます。
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この写真は2004年にトレドを訪れた際に、観光トレーラーで行ったテージョ川の南の展望所から見た旧市街です。中央右寄りにアルカサール、左側にトレド大聖堂が写っています。
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こちらはトレド大聖堂を中心に少し拡大しました。大聖堂鐘楼の左奥にサン.イルデフォンソ教会が写っています。ところでテージョ川は、トレドを通ってリスボンで大西洋に繋がっています。
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彫刻家、画家であるマヌエル.アルコロ.バレロ(Manuel Alcorlo Barrero
:1935- )の1998年の作品「金持ちの船」です。この画家は、個性豊かなスタイルで力強い社会風刺画を描いています。この絵画は、皮肉に満ちた悪夢の見事な想像です。不法移民が海を渡ろうとする通常の手段である壊れやすいボートに乗って、豪華な服を着て、激怒し、怯えた人物が波に逆らって漕ぎ出しています。 -
挿絵を描くスペインの画家のマヌエル.ドミンゲス.サンチェス(Manuel Dominguez Sanchez:1840-1906)の「芸術の寓話」です。これは公共教育美術大臣の事務所の天井を飾る絵画のためのスケッチ作品です。
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風景画や景観画を多く描いたスペインの画家マルティン.リコ(Martín Rico y Ortega:1833-1908)の1861年の作品「カサ.デ.カンポの風景」です。この画家は1874年からフランスに定住しました。画題のカサ.デ.カンポは、スペイン最大の都市公園であり以前は王室の狩場でした。画家の若々しい作風が発揮されたこの秋の風景は、優れた光の研究と、植生の多種多様な色調の完璧な再現を示しています。前景の羊飼いの牧歌的な配置は更に絵を引き立てています。
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宗教活動やオリエンタリズムの絵画を手がけたホセ.ガジェゴス.イ.アルノサ(José Gallegos y Arnosa:1857-1917)の1889年の作品「セヴィーリャの児童合唱団」です。画家は、少しづつオリエンタリズムから離れ、このキャンバスに表されている教会内の活動にテーマを移しました。ガジェゴスは、柱や扉からレリーフまで、建築空間と装飾要素の両方を創作し、細心の注意を払って表現しています。そのため、彼の教会の内部は実際の場所を反映することはほとんどありません。
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ロココ期のイタリアの画家ポンペオ.ジロラモ.バトーニ(Pompeo Girolamo Batoni:1708-1787)の1759年の作品「サンタ.ルチアの殉教」です。彼は、肖像画や数多くの寓話的および神話的な作品に確かな技術的知識を示しました。13世紀からの黄金伝説は、ディオクレティアヌス皇帝の時代に、ローマ執政官の命令によってシチリアのシラクーサで殉教した若い女性ルチアの物語を広めます。燃えている火葬場に跪き、死刑執行人によって喉に剣を突き刺された彼女は、彼女の最も有名な属性である2つの目玉が載ったお皿を持っており、小さな天使は殉教の王冠と棕櫚を持っています。
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イタリアのロココ期の画家コッラード.ジアキント(Corrado Giaquinto
:1703-1766)の1753/54年の作品「正義と平和の寓話」です。ローマ風の服を着て正義と平和を表す雲の上に座っている2人の女性がお互いを抱きしめ顔を近づけます。これは、政治的平和を表現する事も、この絵が描かれたフェルディナンド6世の治世を特徴付ける平和的な政治を仄めかす事もできます。同じ主題で同じ様な容姿の女性で描かれた他の2枚のパネルがプラド美術館とアメリカのインディアナポリス美術館に展示されています。 -
バロック期のイタリアの画家アンドレア.ヴァッカロ(Andrea Vaccaro
:1604-1670)の1635-45年頃の作品「サン.ペテロとサンタ.アガタ」です。ヴァッカロは、当時スペインの支配下にあったナポリで最も成功した画家の1人でした。当初カラヴァッジョの芸術に興味を持っていたヴァッカロは、後にドメニキーノとグイド.レーニとの接触で自身のスタイルを和らげました。彼は、ルカ.ジョルダーノの前の、ナポリで最も優れたマスターの1人と見なされていました。ヴァッカロのこのパネルは、ローマ帝国の修辞学者クインティリアヌスの命令によって胸を切断された3世紀のシチリア島カターニャ生まれの処女を描いています。 -
2階にあるサン.フェルナンド王立芸術アカデミーの大ホールです。
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バロック期のスペイン黄金時代美術を代表する画家ホセ.デ.リベーラ(José de Ribera:1591-1652)の1636年の作品「マグダラのマリアの昇天」です。絵画のテーマの起源は、中世の資料であるサンティアゴ.デ.ラ.ボラジーヌの黄金伝説にあります。毎日、キリスト教の時課に対応する7つの瞬間に、天使たちは彼女を天国に運び、神聖な奉仕に出席できるようにしました。このシーンは聖母被昇天と重ねられますが、マグダラのマリアの場合は、何度も天国に運ばれました。
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バロック期のフランドルの画家で外交官でもあったピーテル.パウル.ルーベンス(Pedro Pablo Rubens:1577-1640)の1615年頃の作品「キリストと聖母マリアの間に跪くサンタゴスティーノ」です。この絵のモチーフは対抗宗教改革の芸術に由来し、彼のすべての教義の源であるキリストとマリアへの彼の愛を表現する聖アウグスティヌスの書物の一節から取られています。それは、「ふたりの間に居て、どちらを向いたらいいのか分からない。こちらでは血が、こちらでは乳が与えられます」。
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フランシスコ.ホセ.デ.ゴヤ.イ.ルシエンテス(Francisco José de Goya y Lucientes:1746-1828)の1808-12年頃の作品「闘牛」です。闘牛シーンはフランシスコ.デ.ゴヤのお気に入りの主題の1つです。町の郊外、柵のある即興のアリーナで、2人のピカドール(騎馬闘牛士)と数人の男性が戦いに参加しているのが見られます。
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同じフランシスコ.デ.ゴヤの1808-12年頃の作品「懲戒処分」です。カルロス3世は、1777年以来、厳しい公の罰を禁じていましたが、鋭い観察と鮮やかさで捉えられたこのシーンで見られるように、多くの場所で鞭打ち苦行が続いていました。懲戒処分とは、キリスト教の中で、自分の背中を罰として鞭打ちする事です。これは15世紀以来のスペインの特定の地域での伝統であり、キリスト教の信仰で想定された行為として、人々のグループによって行列しながら実行されました。
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これもフランシスコ.デ.ゴヤの1808-12年の作品「異端審問」です。アーチ型の天井を持つ部屋は群衆で埋め尽くされています。そこは裁判所で、判事、囚人、書記官、修道士がいます。被告は、コロザやサンベニートと呼ばれる円錐形の帽子を被らされています。有罪を宣告された異教徒と背教者には、アウト.デ.フェと呼ばれる懺悔の儀式が行われます。
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こちらもゴヤの1808-12年の作品「クレイジー.ハウス」です。背の高い、鉄格子の窓から、暗い石畳の空間に光が降り注いでいます。ゴヤの視線は人道的で、疎外された虐げられた人々に対して思いやりがあります。この部屋の人々は現実と接触することなく生き、謎めいた儀式や訳もなく争いに引き込まれます。この酷い情況の精神病院では、さまざまな患者が殆ど裸で哀れに動き回っています。この絵でゴヤはいつもの社会風刺をしています。
結局1時間程サン.フェルナンド王立芸術アカデミーに滞在し、これから3時に入館予約をしたティッセン.ボルネミッサ美術館に向かいます。
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