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2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流してポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。<br />2004年5月に3週間ほどスペインを旅行して以来の旅です。その時はマドリッドでの鉄道に対する破壊活動の直後で、少し緊張しました。南部のマラガ、ロハ、グラナダ、コルドヴァ、セヴィーリャ、マドリッド、トレド、ヴァレンシャ、バルセロナを訪れています。<br />この第18回目の旅行記は4月16日にマドリッドからバスでセゴヴィアへデイ.トリップした記録です。<br /><br />全体の旅程の概略です。<br />★ 4月 2~3日    ミュンヘン泊 <br />★       4日      ハイデルベルク泊<br />★       5日          フランクフルト泊<br />★       6~10日    リスボン泊<br />★     10~12泊     ポルト泊<br />★     13~17日     マドリッド泊<br />★     18~19日     コルドヴァ泊<br />★     20~21日     セヴィリャ泊<br />★     22~23日     バルセロナ伯<br />★     24~26日     フランクフルト泊<br />★     27日           フランクフルトから羽田へ<br />

シニア夫婦のドイツ、ポルトガル、スペインゆっくり旅行27日 (18)今日は1日セゴヴィアです(4月16日)

2いいね!

2017/04/02 - 2017/04/27

290位(同エリア350件中)

さわ子さん

2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流してポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。
2004年5月に3週間ほどスペインを旅行して以来の旅です。その時はマドリッドでの鉄道に対する破壊活動の直後で、少し緊張しました。南部のマラガ、ロハ、グラナダ、コルドヴァ、セヴィーリャ、マドリッド、トレド、ヴァレンシャ、バルセロナを訪れています。
この第18回目の旅行記は4月16日にマドリッドからバスでセゴヴィアへデイ.トリップした記録です。

全体の旅程の概略です。
★ 4月 2~3日   ミュンヘン泊 
★ 4日   ハイデルベルク泊
★ 5日 フランクフルト泊
★ 6~10日 リスボン泊
★ 10~12泊 ポルト泊
★ 13~17日 マドリッド泊
★ 18~19日 コルドヴァ泊
★ 20~21日 セヴィリャ泊
★ 22~23日 バルセロナ伯
★ 24~26日 フランクフルト泊
★ 27日 フランクフルトから羽田へ

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 今日はマドリッドから北西へ約95Km、グアダラマ山脈の北側にあるセゴヴィアへデイ.トリップです。セゴヴィアへは、高速列車&quot;AVE&quot;を含む鉄道かバスを選べますが、セゴヴィアの鉄道駅が旧市街から離れている事を勘案し直通バスにしました。地下鉄プエルタ.デル.ソル駅から3号線の電車に5駅乗り、終点のモンクロア駅で降ります。その地下鉄駅の1階上の地下1階はバス.ターミナルで、ここから直行バスでセゴヴィアへ行きます。

    今日はマドリッドから北西へ約95Km、グアダラマ山脈の北側にあるセゴヴィアへデイ.トリップです。セゴヴィアへは、高速列車"AVE"を含む鉄道かバスを選べますが、セゴヴィアの鉄道駅が旧市街から離れている事を勘案し直通バスにしました。地下鉄プエルタ.デル.ソル駅から3号線の電車に5駅乗り、終点のモンクロア駅で降ります。その地下鉄駅の1階上の地下1階はバス.ターミナルで、ここから直行バスでセゴヴィアへ行きます。

  • バス.ターミナルの乗り場案内図です。黄緑色の表示は都市間路線で、濃い紫色の表示は長距離路線です。セゴヴィア行きのバス乗り場は、8番、9番になっています。分かり易い表示で問題なく乗り場を見つけました。

    バス.ターミナルの乗り場案内図です。黄緑色の表示は都市間路線で、濃い紫色の表示は長距離路線です。セゴヴィア行きのバス乗り場は、8番、9番になっています。分かり易い表示で問題なく乗り場を見つけました。

  • バス.ターミナルの出発案内板です。9時発直行のセゴヴィア行きのバスに乗ります。この案内板の1番上のバスで、21分後の発車と表示されています。乗車券は往復ともウェブで購入しました。このバス.ターミナルからセゴヴィア旧市街南にあるバス.ターミナルまで1時間位で到着します。

    バス.ターミナルの出発案内板です。9時発直行のセゴヴィア行きのバスに乗ります。この案内板の1番上のバスで、21分後の発車と表示されています。乗車券は往復ともウェブで購入しました。このバス.ターミナルからセゴヴィア旧市街南にあるバス.ターミナルまで1時間位で到着します。

  • 9番の乗り場前から反対側の3番の乗り場方向を望んでいます。3番乗り場の前には、地下鉄に下りていくエスカレーターが見えています。

    9番の乗り場前から反対側の3番の乗り場方向を望んでいます。3番乗り場の前には、地下鉄に下りていくエスカレーターが見えています。

  • バスは9時丁度に地下のバス.ターミナルを発車し、自動車専用道路のルートA-6を走って行きます。出発して14分、道路の左側にマドリッド郊外にある「ザ.スタイル.アウトレット」が見えてきました。

    バスは9時丁度に地下のバス.ターミナルを発車し、自動車専用道路のルートA-6を走って行きます。出発して14分、道路の左側にマドリッド郊外にある「ザ.スタイル.アウトレット」が見えてきました。

  • 大型のオフ.ロード用自転車を車体後部に2台抱えた車が前方を追い抜いていきます。特別な装備として、大きな赤白の標識板と尾灯、ブレーキ灯、方向指示灯、登録番号を付けたキャリヤーが自動車の車体後部に取り付けてあるようです。日本にもこのような合法的な後付け装備品があれば、ドライブ.アンド.サイクリングが楽しくなると思うのですが。

    大型のオフ.ロード用自転車を車体後部に2台抱えた車が前方を追い抜いていきます。特別な装備として、大きな赤白の標識板と尾灯、ブレーキ灯、方向指示灯、登録番号を付けたキャリヤーが自動車の車体後部に取り付けてあるようです。日本にもこのような合法的な後付け装備品があれば、ドライブ.アンド.サイクリングが楽しくなると思うのですが。

  • セゴヴィア迄の行程の半ばを過ぎた所で、高速道路の西側にこの大きな十字架を見つけました。これはスペイン内戦で戦死した兵士を讃えるため、39年の長期に亘りスペインの独裁者であったフランシスコ.フランコ総統(1892-1975)がグアダラマ山脈の谷に1940年から1958年にかけて建設した「戦没者の谷」の十字架とバシリカでした。<br />バスはその後ルートA-6からA-61に乗り継いでセゴヴィアに走っていきます。

    セゴヴィア迄の行程の半ばを過ぎた所で、高速道路の西側にこの大きな十字架を見つけました。これはスペイン内戦で戦死した兵士を讃えるため、39年の長期に亘りスペインの独裁者であったフランシスコ.フランコ総統(1892-1975)がグアダラマ山脈の谷に1940年から1958年にかけて建設した「戦没者の谷」の十字架とバシリカでした。
    バスはその後ルートA-6からA-61に乗り継いでセゴヴィアに走っていきます。

  • セゴヴィアの南側でルートA-61自動車専用道路を出ます。出口ゲートでの精算は、日本と同じように現金、カード、テレ.パス等が利用できるようです。

    セゴヴィアの南側でルートA-61自動車専用道路を出ます。出口ゲートでの精算は、日本と同じように現金、カード、テレ.パス等が利用できるようです。

  • サン.ラファエル自動車専用道路が、「移牧の記念碑」(Monumento a la Trashumancia)が中央に立つラウンダバウトに来ました。移牧とは、季節ごとに決まった放牧地の間を移動する放牧の一形態だそうです。<br />ここでA-61から続くサン.ラファエル自動車専用道路は左に曲がります。

    サン.ラファエル自動車専用道路が、「移牧の記念碑」(Monumento a la Trashumancia)が中央に立つラウンダバウトに来ました。移牧とは、季節ごとに決まった放牧地の間を移動する放牧の一形態だそうです。
    ここでA-61から続くサン.ラファエル自動車専用道路は左に曲がります。

  • サン.ラファエル自動車専用道路は、前方のラウンダバウトを回って真っ直ぐ続き、バスは中央遠方に見える「マドリッド門」(Arco de Madrid)の側を通ります。

    サン.ラファエル自動車専用道路は、前方のラウンダバウトを回って真っ直ぐ続き、バスは中央遠方に見える「マドリッド門」(Arco de Madrid)の側を通ります。

  • ようやくセゴヴィアのバス.ターミナルに到着しました。マドリッドのバス.ターミナルから1時間ちょっと掛かりました。水道橋へは歩いて10分弱だそうです。

    ようやくセゴヴィアのバス.ターミナルに到着しました。マドリッドのバス.ターミナルから1時間ちょっと掛かりました。水道橋へは歩いて10分弱だそうです。

  • バス.ターミナルからエクアドゥクト通りを北東に歩いて行きます。これはバス.ターミナルの近くで通りの西側にあるサン.ミリャン教会(Iglesia de San Millán)です。<br />

    バス.ターミナルからエクアドゥクト通りを北東に歩いて行きます。これはバス.ターミナルの近くで通りの西側にあるサン.ミリャン教会(Iglesia de San Millán)です。

  • 北北東の方向で高台にあるセゴヴィア教区神学校教会(Iglesia Seminario Diocesano de Segovia)が見えています。

    北北東の方向で高台にあるセゴヴィア教区神学校教会(Iglesia Seminario Diocesano de Segovia)が見えています。

  • バス.ターミナルから歩いて5分、水道橋が前方に見えてきました。

    バス.ターミナルから歩いて5分、水道橋が前方に見えてきました。

  • エクアドゥクト通りの東側にあるサン.クレメンテ教会(Iglesia de S. Clemente)です。

    エクアドゥクト通りの東側にあるサン.クレメンテ教会(Iglesia de S. Clemente)です。

  • 特別な服装でバーナーを持つ人々に出会いました。これからイースターのパレードに参加する人々でしょうか?

    特別な服装でバーナーを持つ人々に出会いました。これからイースターのパレードに参加する人々でしょうか?

  • 水道橋前(西側)のアソグエホ広場に達しました。この先で広場の左側に観光案内所があります。

    水道橋前(西側)のアソグエホ広場に達しました。この先で広場の左側に観光案内所があります。

  • 観光案内所の中にセゴヴィア旧市街の模型が展示してありました。このカットには右側に水道橋、左上にアルカサルが写っています。

    観光案内所の中にセゴヴィア旧市街の模型が展示してありました。このカットには右側に水道橋、左上にアルカサルが写っています。

  • こちらは反対側から眺めた写真です。右にアルカサル、左に(模型では)鐘塔が少し傾いた大聖堂が見分けられます。<br />この観光案内所で地図を貰いました。

    こちらは反対側から眺めた写真です。右にアルカサル、左に(模型では)鐘塔が少し傾いた大聖堂が見分けられます。
    この観光案内所で地図を貰いました。

  • これはセゴヴィア旧市街の案内図に示したジジババが歩いた経路をです。右側の下にあるバス.ターミナルからオレンジ色の線に沿ってアルカサルまで歩いて行きました。黄色の線はアルカサルからの帰りに、往路から外れて歩いた経路になります。

    これはセゴヴィア旧市街の案内図に示したジジババが歩いた経路をです。右側の下にあるバス.ターミナルからオレンジ色の線に沿ってアルカサルまで歩いて行きました。黄色の線はアルカサルからの帰りに、往路から外れて歩いた経路になります。

  • 観光案内所の左からセルバンテス通りに入っていきます。通りの右側にあり、ファウスティーノ.プリエト(Faustino Prieto)の看板を掲げるハム専門店の入り口で見つけた広告物の豚ちゃんです。モデルはイベリコ豚でしょうか。

    観光案内所の左からセルバンテス通りに入っていきます。通りの右側にあり、ファウスティーノ.プリエト(Faustino Prieto)の看板を掲げるハム専門店の入り口で見つけた広告物の豚ちゃんです。モデルはイベリコ豚でしょうか。

  • 通りの北側にあった外観が素敵な建物です。道路が細いので見上げた写真しか撮れません。

    通りの北側にあった外観が素敵な建物です。道路が細いので見上げた写真しか撮れません。

  • セルバンテス通りは、この辺りからフアン.ブラボ通りになります。この建物の左側にはカナレハ展望台(Mirador de la Canaleja)があります。この白い建物も外観が素敵です。

    セルバンテス通りは、この辺りからフアン.ブラボ通りになります。この建物の左側にはカナレハ展望台(Mirador de la Canaleja)があります。この白い建物も外観が素敵です。

  • そのカナレハ展望台から南の方向を眺めています。<br />右側に、バス.ターミナルの近くにあったサン.ミリャン教会(Iglesia de San Millán)の鐘塔が写っています。

    そのカナレハ展望台から南の方向を眺めています。
    右側に、バス.ターミナルの近くにあったサン.ミリャン教会(Iglesia de San Millán)の鐘塔が写っています。

  • フアン.ブラボ通りを先に進むと、その左側に小さなプラテロ.オケンド広場(Plaza Platero Oquendo)があります。

    フアン.ブラボ通りを先に進むと、その左側に小さなプラテロ.オケンド広場(Plaza Platero Oquendo)があります。

  • そのプラテロ.オケンド広場の南側には、カーサ.デ.アスピロスまたはパラシオ.デ.カスカルスとしても知られるアルペンテ伯爵の宮殿(Palacio del Conde Alpuente)があります。この建物は15世紀に建てられたムデハル様式の宮殿です。この建物のファサードは、街の建物のファサードによく見られるセゴヴィアのズグラッフィート装飾で覆われています。ズグラッフィート装飾は、イスラム教徒が残したムデハル様式の遺産の一部で、セゴヴィアの新築住宅のファサードで今でも使用されているスタイルであり、街のアイデンティティ.シンボルの1つになっています。ズグラッフィートとは、 2層の対象的な色からなる漆喰の、表面の湿った層を掻き落として線画を描く壁の装飾技法です。

    そのプラテロ.オケンド広場の南側には、カーサ.デ.アスピロスまたはパラシオ.デ.カスカルスとしても知られるアルペンテ伯爵の宮殿(Palacio del Conde Alpuente)があります。この建物は15世紀に建てられたムデハル様式の宮殿です。この建物のファサードは、街の建物のファサードによく見られるセゴヴィアのズグラッフィート装飾で覆われています。ズグラッフィート装飾は、イスラム教徒が残したムデハル様式の遺産の一部で、セゴヴィアの新築住宅のファサードで今でも使用されているスタイルであり、街のアイデンティティ.シンボルの1つになっています。ズグラッフィートとは、 2層の対象的な色からなる漆喰の、表面の湿った層を掻き落として線画を描く壁の装飾技法です。

  • 目に留まったフアン.ブラボ通りの右側にあったタパス.バー(Diablo Cojuelo - Espacio Gastronómico)です。

    目に留まったフアン.ブラボ通りの右側にあったタパス.バー(Diablo Cojuelo - Espacio Gastronómico)です。

  • サン.マルティン教会が通りの右側奥に見えてきました。この教会は帰りに見学しようと思い今は素通りします。

    サン.マルティン教会が通りの右側奥に見えてきました。この教会は帰りに見学しようと思い今は素通りします。

  • フアン.ブラボ通りでジジババの後方からパレードに参加する人々が追い越して行きます。水道橋の手前で見かけたグループとは装束やバーナーが異なっています。

    フアン.ブラボ通りでジジババの後方からパレードに参加する人々が追い越して行きます。水道橋の手前で見かけたグループとは装束やバーナーが異なっています。

  • サン.マルティン教会の南側はメディナ.デル.カンポ広場(Plaza de Medina del Campo)になっています。これはその広場の入り口にあり、フアン.ブラボの記念碑を守るようにその両側に臥せる、対になったセゴヴィアの人魚(Sirenas de Segovia)の一つです。

    サン.マルティン教会の南側はメディナ.デル.カンポ広場(Plaza de Medina del Campo)になっています。これはその広場の入り口にあり、フアン.ブラボの記念碑を守るようにその両側に臥せる、対になったセゴヴィアの人魚(Sirenas de Segovia)の一つです。

  • メディナ.デル.カンポ広場の東側を望んでいます。写真の右端には、広場の入り口近くに建つフアン.ブラボの記念碑(Monumento a Juan Bravo)が見えます。<br />フアン.ブラボ(1483頃-1521)は、コムネーロスのカスティーリャでの反乱における指導者でした。コムネーロスの反乱は、16世紀初頭、スペイン王カルロス1世の絶対主義支配に対するスペイン都市の反乱でした。 スペインでは、都市が中世的自治を主張するとき、コムニダと呼び、コムニダの構成市民をコムネーロスと言いました。

    メディナ.デル.カンポ広場の東側を望んでいます。写真の右端には、広場の入り口近くに建つフアン.ブラボの記念碑(Monumento a Juan Bravo)が見えます。
    フアン.ブラボ(1483頃-1521)は、コムネーロスのカスティーリャでの反乱における指導者でした。コムネーロスの反乱は、16世紀初頭、スペイン王カルロス1世の絶対主義支配に対するスペイン都市の反乱でした。 スペインでは、都市が中世的自治を主張するとき、コムニダと呼び、コムニダの構成市民をコムネーロスと言いました。

  • サン.マルティン教会前から更にフアン.ブラボ通りを歩いて行きます。通りの奥で建物の上方に大聖堂の鐘塔が見えてきました。

    サン.マルティン教会前から更にフアン.ブラボ通りを歩いて行きます。通りの奥で建物の上方に大聖堂の鐘塔が見えてきました。

  • フアン.ブラボ通りは、このあたりからラ.フデリア.ヴィエハ通りとイサベル.ラ.カトリカ通りに別れます。ジジババは、北側のイサベル.ラ.カトリカ通りを歩いて行きます。

    フアン.ブラボ通りは、このあたりからラ.フデリア.ヴィエハ通りとイサベル.ラ.カトリカ通りに別れます。ジジババは、北側のイサベル.ラ.カトリカ通りを歩いて行きます。

  • 大聖堂の東側にあるマヨール広場に来ました。正面はセゴヴィアの市庁舎の建物です。

    大聖堂の東側にあるマヨール広場に来ました。正面はセゴヴィアの市庁舎の建物です。

  • マヨール広場の西側にある大聖堂です。写真は大聖堂の半円形になった後陣を写しています。大聖堂は、アルカサルからの復路で見学する事にしました。

    マヨール広場の西側にある大聖堂です。写真は大聖堂の半円形になった後陣を写しています。大聖堂は、アルカサルからの復路で見学する事にしました。

  • 大聖堂から道はマルケス.デル.アルコ通りになります。これは大聖堂の北側にあるギフト.ショップのラ.カシータ.デル.セゴヴィアーノ(La Casita del Segoviano)です。

    大聖堂から道はマルケス.デル.アルコ通りになります。これは大聖堂の北側にあるギフト.ショップのラ.カシータ.デル.セゴヴィアーノ(La Casita del Segoviano)です。

  • 近づいてみると、帽子や雑貨品を売っています。ほとんど全ては手作り製品のようです。

    近づいてみると、帽子や雑貨品を売っています。ほとんど全ては手作り製品のようです。

  • 通り南側の建物です。セゴヴィアの公立建築家大学だそうです。

    通り南側の建物です。セゴヴィアの公立建築家大学だそうです。

  • 前方にサン.アンドレス教会(Iglesia de San Andres)が見えてきました。教会の東側は、ラ.メルセー広場になっています。

    前方にサン.アンドレス教会(Iglesia de San Andres)が見えてきました。教会の東側は、ラ.メルセー広場になっています。

  • サン.アンドレス教会の南側には、イースター.パレードに参加する人々が集まっていました。マドリッドではパレードの開始は夕方でしたが、セゴヴィアでは朝なのでしょうか。<br />これは緑色のマントを着たグループです。

    サン.アンドレス教会の南側には、イースター.パレードに参加する人々が集まっていました。マドリッドではパレードの開始は夕方でしたが、セゴヴィアでは朝なのでしょうか。
    これは緑色のマントを着たグループです。

  • こちらは黄色のマントを着たグループです。

    こちらは黄色のマントを着たグループです。

  • このグループは、紫色の服に赤い色のマントを着用しています。

    このグループは、紫色の服に赤い色のマントを着用しています。

  • 途中サン.マルティン教会の手前で見かけた黒い服に赤色のマントを着用したグループも後方に見えます。

    途中サン.マルティン教会の手前で見かけた黒い服に赤色のマントを着用したグループも後方に見えます。

  • この白いマントのグループは、我々がバス.ターミナルから水道橋に歩いていた途中で出会ったグループです。

    この白いマントのグループは、我々がバス.ターミナルから水道橋に歩いていた途中で出会ったグループです。

  • パレードは見学せず、ダオイス通りをひたすらアルカサルを目指して歩きます。

    パレードは見学せず、ダオイス通りをひたすらアルカサルを目指して歩きます。

  • アルカサルに着ました。入場券売り場は、アルカサル正面に向かって左手の建物内にあります。<br />ここで見つけたタイル画2点です。これはスペインの帆船時代の古図です。

    アルカサルに着ました。入場券売り場は、アルカサル正面に向かって左手の建物内にあります。
    ここで見つけたタイル画2点です。これはスペインの帆船時代の古図です。

  • こちらはアルカサルへの攻撃でしょうか、城塞の後方、北西から眺めたアルカサルのようです。<br />説明によると、このアルカサルの地で水道橋の材料に類似した花崗岩のブロックが発見されているので、ローマの支配時代にすでに要塞として存在していた可能性があります。その後の 1124 年から 1139 年にかけて、「セゴヴィア城」と「アルカサル」という言葉が文書に記録されているので、城が要塞および王の邸宅であったことを暗示しています。

    こちらはアルカサルへの攻撃でしょうか、城塞の後方、北西から眺めたアルカサルのようです。
    説明によると、このアルカサルの地で水道橋の材料に類似した花崗岩のブロックが発見されているので、ローマの支配時代にすでに要塞として存在していた可能性があります。その後の 1124 年から 1139 年にかけて、「セゴヴィア城」と「アルカサル」という言葉が文書に記録されているので、城が要塞および王の邸宅であったことを暗示しています。

  • これから深い空堀の上に架けられた橋を渡って城塞内に入ります。正面で大きな中央の塔は、フアン2世の塔で15世紀に追加されました。ここにも最後に上がります。<br />アルカサルは、カスティーリャ君主の王宮と要塞の両方として機能し、その建築は壮大さを反映しており、侵入できない城壁、深い堀、オマージュやフアン2世の塔など、「権力建築」の注目に値する例です。そして戦略的な場所は権力と権威を象徴しています。

    これから深い空堀の上に架けられた橋を渡って城塞内に入ります。正面で大きな中央の塔は、フアン2世の塔で15世紀に追加されました。ここにも最後に上がります。
    アルカサルは、カスティーリャ君主の王宮と要塞の両方として機能し、その建築は壮大さを反映しており、侵入できない城壁、深い堀、オマージュやフアン2世の塔など、「権力建築」の注目に値する例です。そして戦略的な場所は権力と権威を象徴しています。

  • アルカサル1階の平面図です。左端中央の橋が入り口です。城塞内には、この番号の順に歩いて行きます。<br />豪華な装飾が施された部屋や格天井を備えた内部の贅沢さと豪華さは、訪問者に畏怖の念を抱かせるように設計されており、カスティーリャ王の権威を強化しました。同様に、セゴヴィアのアルカサルにまつわる伝説や噂も、その歴史の中で重要な役割を果たしてきました。

    アルカサル1階の平面図です。左端中央の橋が入り口です。城塞内には、この番号の順に歩いて行きます。
    豪華な装飾が施された部屋や格天井を備えた内部の贅沢さと豪華さは、訪問者に畏怖の念を抱かせるように設計されており、カスティーリャ王の権威を強化しました。同様に、セゴヴィアのアルカサルにまつわる伝説や噂も、その歴史の中で重要な役割を果たしてきました。

  • ここは①の「旧王宮の間」です。アーチ型の二連の窓の広間としても知られています。この写真の右側の厚い壁は、④の「ガレー船の広間」が増築されるまでは、城塞の外壁としてアーチ型の二連の窓から外光を宮殿内に取り込んでいました。この広間は、アルフォンソ1世(1073-1134)の統治下のもので、ムデハル様式の装飾が施されています。<br />

    ここは①の「旧王宮の間」です。アーチ型の二連の窓の広間としても知られています。この写真の右側の厚い壁は、④の「ガレー船の広間」が増築されるまでは、城塞の外壁としてアーチ型の二連の窓から外光を宮殿内に取り込んでいました。この広間は、アルフォンソ1世(1073-1134)の統治下のもので、ムデハル様式の装飾が施されています。

  • ここは②の「暖炉の間」です。この部屋は、フェリッペ2世(1527-1598)統治時代に増築されました。家具や調度品は16世紀当時の作品です。壁には、フェリペ2世とフェリペ3世の肖像画や聖母の婚約をテーマにした16世紀のフランダース製のタペストリー等が見られます。

    ここは②の「暖炉の間」です。この部屋は、フェリッペ2世(1527-1598)統治時代に増築されました。家具や調度品は16世紀当時の作品です。壁には、フェリペ2世とフェリペ3世の肖像画や聖母の婚約をテーマにした16世紀のフランダース製のタペストリー等が見られます。

  • ここは、ほぼ正方形になった③の「玉座の間」です。カトリック両王の紋章と彼らのモットーである「タント.モンタ」をあしらった天蓋の下の玉座は、20 世紀初頭の作品です。<br />

    ここは、ほぼ正方形になった③の「玉座の間」です。カトリック両王の紋章と彼らのモットーである「タント.モンタ」をあしらった天蓋の下の玉座は、20 世紀初頭の作品です。

  • 玉座を拡大しました。<br />「タント.モンタ」とは、スペインのカトリック君主であるカスティーリャのイサベル1世女王とアラゴンのフェルディナンド2世王が婚前に交わしたモットーだと言われています。共同治世中、両王は実際、平等をモットーに効果的にお互いを支え合っていたそうです。

    玉座を拡大しました。
    「タント.モンタ」とは、スペインのカトリック君主であるカスティーリャのイサベル1世女王とアラゴンのフェルディナンド2世王が婚前に交わしたモットーだと言われています。共同治世中、両王は実際、平等をモットーに効果的にお互いを支え合っていたそうです。

  • 「玉座の間」のフリーズ(天井と壁面を繋ぐ湾曲部分)装飾です。

    「玉座の間」のフリーズ(天井と壁面を繋ぐ湾曲部分)装飾です。

  • こちらは天井の装飾です。ムデハル様式の典型的な幾何学模様になっています。

    こちらは天井の装飾です。ムデハル様式の典型的な幾何学模様になっています。

  • 「玉座の間」の外部に面した窓には、カスティーリャのエンリケ4世を表すステンド.グラスが嵌められています。頭にザクロが載っているのは『国を統治するのは甘くて苦いザクロのようだ』と言った事を示しているそうです。

    「玉座の間」の外部に面した窓には、カスティーリャのエンリケ4世を表すステンド.グラスが嵌められています。頭にザクロが載っているのは『国を統治するのは甘くて苦いザクロのようだ』と言った事を示しているそうです。

  • ②の「暖炉の間」に繋がる出入り口です。元来のムデハル様式の装飾をそのまま残しています。こちらの壁面も増設前の厚い壁になっています。

    ②の「暖炉の間」に繋がる出入り口です。元来のムデハル様式の装飾をそのまま残しています。こちらの壁面も増設前の厚い壁になっています。

  • 次の④の「ガレー船の広間」に繋がる出入り口の右壁面にあったカスティーリャのイサベル1世女王(1451-1504)の肖像画です。この肖像画は、肖像画や宗教画、歴史画を多く描いたスペインの画家ルイス.デ.マドラーソ(Luis de Madrazo:1825-1897)が1848年頃に描いたものです。従って、実人物を描いた肖像画でなく、古い肖像画(例えば1490年頃に描かれたとされる肖像画)を参考にしたり、想像で描かれた絵画になります。

    次の④の「ガレー船の広間」に繋がる出入り口の右壁面にあったカスティーリャのイサベル1世女王(1451-1504)の肖像画です。この肖像画は、肖像画や宗教画、歴史画を多く描いたスペインの画家ルイス.デ.マドラーソ(Luis de Madrazo:1825-1897)が1848年頃に描いたものです。従って、実人物を描いた肖像画でなく、古い肖像画(例えば1490年頃に描かれたとされる肖像画)を参考にしたり、想像で描かれた絵画になります。

  • こちらは通路の左壁面に飾ってあったアラゴンのフェルナンド2世(1452-1516)の肖像画です。同じルイス.デ.マドラーソが同時期に描いています。

    こちらは通路の左壁面に飾ってあったアラゴンのフェルナンド2世(1452-1516)の肖像画です。同じルイス.デ.マドラーソが同時期に描いています。

  • ここも増設された④の「ガレー船の広間」です。この名前は、船体を逆さにした形をした古い格間天井に由来しています。 この部屋は、1412 年にカタリナ.デ.ランカスター女王によって、息子であるカスティーリャのフアン2世が未成年だった頃に建てられました。フリーズは二重の碑文を持つムデハル石膏細工で、上部には聖体の祈りが、下部には部屋に関する情報が記載されているそうです。<br />窓には、カスティーリャのエンリケ3世とその家族を表す2つのステンド.グラスの窓と、ペドロ1世とフアン2世の死の場面を描いたエンリケ2世のもう1つのステンド.グラスがあります。

    ここも増設された④の「ガレー船の広間」です。この名前は、船体を逆さにした形をした古い格間天井に由来しています。 この部屋は、1412 年にカタリナ.デ.ランカスター女王によって、息子であるカスティーリャのフアン2世が未成年だった頃に建てられました。フリーズは二重の碑文を持つムデハル石膏細工で、上部には聖体の祈りが、下部には部屋に関する情報が記載されているそうです。
    窓には、カスティーリャのエンリケ3世とその家族を表す2つのステンド.グラスの窓と、ペドロ1世とフアン2世の死の場面を描いたエンリケ2世のもう1つのステンド.グラスがあります。

  • これは1938年にセゴヴィアに生まれた現役の画家カルロス.ムニョス.デ.パブロス(Carlos Muñoz de Pablos)が描いたフレスコ画です。セゴビアのカスティーリャとレオンのカトリック女王としてのイサベルがセゴヴィアのサン.ミゲル教会(Iglesia de San Miguel)で戴冠式あげる場面を描いています。この教会は、マヨール広場の南東側で、普通の建物群に囲まれ、その中に埋れたように建っています。ガレー船の広間の北西の壁面に描かれています。右端の出入り口は次の⑤の「松かさの間」に繋がっています。

    これは1938年にセゴヴィアに生まれた現役の画家カルロス.ムニョス.デ.パブロス(Carlos Muñoz de Pablos)が描いたフレスコ画です。セゴビアのカスティーリャとレオンのカトリック女王としてのイサベルがセゴヴィアのサン.ミゲル教会(Iglesia de San Miguel)で戴冠式あげる場面を描いています。この教会は、マヨール広場の南東側で、普通の建物群に囲まれ、その中に埋れたように建っています。ガレー船の広間の北西の壁面に描かれています。右端の出入り口は次の⑤の「松かさの間」に繋がっています。

  • 中央部を拡大しました。近世の絵画とは少し趣が異なっている表現に見えます。

    中央部を拡大しました。近世の絵画とは少し趣が異なっている表現に見えます。

  • こちらもカルロス.ムニョス.デ.パブロスの作品で、エンリケ3世の王妃カタリーナを描くステンド.グラスです。王妃カタリーナは「ガレー船の間」の建築を命じた人物でもあります。

    こちらもカルロス.ムニョス.デ.パブロスの作品で、エンリケ3世の王妃カタリーナを描くステンド.グラスです。王妃カタリーナは「ガレー船の間」の建築を命じた人物でもあります。

  • 「ガレー船の広間」の天井装飾です。

    「ガレー船の広間」の天井装飾です。

  • 拡大した「ガレー船の広間」のフリーズの装飾です。

    拡大した「ガレー船の広間」のフリーズの装飾です。

  • 戴冠式のフレスコ画で装飾された壁面の反対側は中央に③の「玉座の間」への出入り口が開いています。

    戴冠式のフレスコ画で装飾された壁面の反対側は中央に③の「玉座の間」への出入り口が開いています。

  • 「ガレー船の広間」の北東側の中央には、二連になった砲弾型の掃き出し窓があります。ここから北方を眺めました。中央に見えるのはラ.ヴェラ.クルス教会で左端はサン.ファン.デ.ラ.クルスの教会と墓地です。

    「ガレー船の広間」の北東側の中央には、二連になった砲弾型の掃き出し窓があります。ここから北方を眺めました。中央に見えるのはラ.ヴェラ.クルス教会で左端はサン.ファン.デ.ラ.クルスの教会と墓地です。

  • 次の⑤の「松かさの間」に移動します。この部屋は、『松かさ』のような天井の装飾に因んで名前が付けられています。

    次の⑤の「松かさの間」に移動します。この部屋は、『松かさ』のような天井の装飾に因んで名前が付けられています。

  • その天井の『松かさ』を拡大しました。

    その天井の『松かさ』を拡大しました。

  • 「松かさの間」の壁面上部の明かり窓周りの装飾です。ステンド.グラスは、ムニョス. デ.パブロスの作品で、アルフォンソ8世が描かれています。おそらくこの部屋は王の私的な執務室であったと考えられています。<br />

    「松かさの間」の壁面上部の明かり窓周りの装飾です。ステンド.グラスは、ムニョス. デ.パブロスの作品で、アルフォンソ8世が描かれています。おそらくこの部屋は王の私的な執務室であったと考えられています。

  • ここは⑦の「諸王の広間」です。歴代国王の彫像の下には国王の功績がそれぞれ記されているそうです。<br />アルフォンソ10世によって建設を命じられたこの印象的な広間では、最も重要な会議やパーティーが開催されました。1574年にフェリペ2世とオーストリアのアナとの結婚式が隣接する礼拝堂で行われた後、ここで祝宴が催されました。

    ここは⑦の「諸王の広間」です。歴代国王の彫像の下には国王の功績がそれぞれ記されているそうです。
    アルフォンソ10世によって建設を命じられたこの印象的な広間では、最も重要な会議やパーティーが開催されました。1574年にフェリペ2世とオーストリアのアナとの結婚式が隣接する礼拝堂で行われた後、ここで祝宴が催されました。

  • 「諸王の広間」の壁面上部と天井の装飾を拡大しました。

    「諸王の広間」の壁面上部と天井の装飾を拡大しました。

  • ⑤の「松かさの間」から隣りの⑥の「王の寝室」をのぞいています。両広間は、元来の厚い外壁を穿ったこの出入り口を通して繋がっています。

    ⑤の「松かさの間」から隣りの⑥の「王の寝室」をのぞいています。両広間は、元来の厚い外壁を穿ったこの出入り口を通して繋がっています。

  • 「王の寝室」に入って振り返り、⑤の「松かさの間」を見通しています。こちら側は、立派な門のような装飾です。この部屋は、その4方の壁がタペストリーで覆われています。<br />

    「王の寝室」に入って振り返り、⑤の「松かさの間」を見通しています。こちら側は、立派な門のような装飾です。この部屋は、その4方の壁がタペストリーで覆われています。

  • 「王の寝室」の天井の装飾です。<br />この部屋は君主が夏に寝る場所で、寒くなると上の階に移動しました。内装は良くできており、薄暗い照明とベルベットの天蓋が付いたマホガニーのベッドが備わっています。残りの家具やフランドル絵画も当時のものです。

    「王の寝室」の天井の装飾です。
    この部屋は君主が夏に寝る場所で、寒くなると上の階に移動しました。内装は良くできており、薄暗い照明とベルベットの天蓋が付いたマホガニーのベッドが備わっています。残りの家具やフランドル絵画も当時のものです。

  • 「王の寝室」でベッドの右手に飾られていた絵画で、18世紀にアントワープで活躍した画家の作品で「聖家族」です。

    「王の寝室」でベッドの右手に飾られていた絵画で、18世紀にアントワープで活躍した画家の作品で「聖家族」です。

  • 次は北東に面した⑦の「諸王の広間」の隣りの⑧の「縄の間」です。この写真は広間の名の由来を示す天井の装飾です。格子状になった黄金色の線は、清貧を重んじたサン.フランチェスコの腰帯をモチーフにしているそうです。伝説によると賢王アルフォンソ10世(1221-1284)が自ら慢心の悔いを改めるために、この装飾を指示したそうです。

    次は北東に面した⑦の「諸王の広間」の隣りの⑧の「縄の間」です。この写真は広間の名の由来を示す天井の装飾です。格子状になった黄金色の線は、清貧を重んじたサン.フランチェスコの腰帯をモチーフにしているそうです。伝説によると賢王アルフォンソ10世(1221-1284)が自ら慢心の悔いを改めるために、この装飾を指示したそうです。

  • 「縄の間」の壁面に飾られていた、18世紀にマドリッドで織られた『クレイの戦い』を描いたタペストリーです。これは、15世紀にフランドルで製作された作品の一部をコピーしたタペストリーだそうです。

    「縄の間」の壁面に飾られていた、18世紀にマドリッドで織られた『クレイの戦い』を描いたタペストリーです。これは、15世紀にフランドルで製作された作品の一部をコピーしたタペストリーだそうです。

  • 「縄の間」の出入り口上部の可愛い飾りです。

    「縄の間」の出入り口上部の可愛い飾りです。

  • こちらは「縄の間」にある大きな4つの窓の一つから眺めたアルカサル北方の眺めです。写真の左側にラ.ヴェラ.クルス教会とサン.ファン.デ.ラ.クルス教会が見えます。右下には旧市街の北方を流れるエレスマ川が見えています。

    こちらは「縄の間」にある大きな4つの窓の一つから眺めたアルカサル北方の眺めです。写真の左側にラ.ヴェラ.クルス教会とサン.ファン.デ.ラ.クルス教会が見えます。右下には旧市街の北方を流れるエレスマ川が見えています。

  • 次に⑨番の「礼拝堂」に入りました。これは「礼拝堂」の主祭壇です。アルカサルで最も有名なイベントの1つは、この礼拝堂で1570 年に行われたスペイン王フェリペ2世(1527-1598) と姪であるオーストリアのアナ(1549-1580) との婚礼のミサでした。この結婚によりハプスブルク家とヒスパニック君主国の間の同盟が強化されました。

    次に⑨番の「礼拝堂」に入りました。これは「礼拝堂」の主祭壇です。アルカサルで最も有名なイベントの1つは、この礼拝堂で1570 年に行われたスペイン王フェリペ2世(1527-1598) と姪であるオーストリアのアナ(1549-1580) との婚礼のミサでした。この結婚によりハプスブルク家とヒスパニック君主国の間の同盟が強化されました。

  • 「礼拝堂」の天井です。

    「礼拝堂」の天井です。

  • 主祭壇の右壁面を飾る絵画「東方三賢者の礼拝」です。<br />フィレンツェに生まれ、人生の後半をスペインで活躍したバルトロメオ.カルドゥッチョ(Bartolomeo Carducci:1560頃 - 1608)によって1600年に描かれました。

    主祭壇の右壁面を飾る絵画「東方三賢者の礼拝」です。
    フィレンツェに生まれ、人生の後半をスペインで活躍したバルトロメオ.カルドゥッチョ(Bartolomeo Carducci:1560頃 - 1608)によって1600年に描かれました。

  • こちらは主祭壇の左壁面を飾る聖ヤコブをモチーフにしたゴシック様式の祭壇画です。聖ヤコブは、キリスト教徒がイスラム教徒のムーア人を征服する伝説的なクラビホの戦いに登場した人物だそうです。

    こちらは主祭壇の左壁面を飾る聖ヤコブをモチーフにしたゴシック様式の祭壇画です。聖ヤコブは、キリスト教徒がイスラム教徒のムーア人を征服する伝説的なクラビホの戦いに登場した人物だそうです。

  • ここはアルカサル北東端にある、ほぼ三角形の「王家のテラス」です。その中央には井戸があります。この場所がセゴビア水道の終着点となります。

    ここはアルカサル北東端にある、ほぼ三角形の「王家のテラス」です。その中央には井戸があります。この場所がセゴビア水道の終着点となります。

  • 「王家のテラス」から見上げた城塞の北東面です。中央には大きな主塔が建っています。

    「王家のテラス」から見上げた城塞の北東面です。中央には大きな主塔が建っています。

  • 「王家のテラス」の北西隅にある見張り塔です。

    「王家のテラス」の北西隅にある見張り塔です。

  • 「王家のテラス」の西側にある階段側から南の方向を望んでいます。

    「王家のテラス」の西側にある階段側から南の方向を望んでいます。

  • 「王家のテラス」の西側にある階段を降りて左の回廊を歩き隅の見張塔へ行きます。

    「王家のテラス」の西側にある階段を降りて左の回廊を歩き隅の見張塔へ行きます。

  • 張り出した見張塔への回廊から見下ろした小さな城内の庭園です。

    張り出した見張塔への回廊から見下ろした小さな城内の庭園です。

  • 張り出した見張塔と回廊です。

    張り出した見張塔と回廊です。

  • 張り出した見張塔への回廊から見たアルカサルの西面です。

    張り出した見張塔への回廊から見たアルカサルの西面です。

  • 北西の方向にフエンシス門が見えます。説明によると、1700年頃に建てられた記念碑的なアーチです。外側には聖フェルナンドの像があり、内側には若いユダヤ人女性の改宗を記したマリア.デル.サルトの奇跡のレリーフが施されているそうです。<br />アルカサルを出て、この辺りまで歩いて行きたかったのですが、シニアの二人で疲れそうなので諦めました。

    北西の方向にフエンシス門が見えます。説明によると、1700年頃に建てられた記念碑的なアーチです。外側には聖フェルナンドの像があり、内側には若いユダヤ人女性の改宗を記したマリア.デル.サルトの奇跡のレリーフが施されているそうです。
    アルカサルを出て、この辺りまで歩いて行きたかったのですが、シニアの二人で疲れそうなので諦めました。

  • 「王家のテラス」から建物内に入ると最後の展示室である⑩の「武器の間」があります。

    「王家のテラス」から建物内に入ると最後の展示室である⑩の「武器の間」があります。

  • 城塞の北東にある「武器の間」から「時計のパティオ」と呼ばれる中庭を通って戻って行きます。「武器の間」は写真中央の建物の中です。その建物上部に時計が付いていて、パティオの名前の由来になっています。

    城塞の北東にある「武器の間」から「時計のパティオ」と呼ばれる中庭を通って戻って行きます。「武器の間」は写真中央の建物の中です。その建物上部に時計が付いていて、パティオの名前の由来になっています。

  • 「時計のパティオ」で上掲写真の右壁面にあった植栽です。綺麗に剪定されています。

    「時計のパティオ」で上掲写真の右壁面にあった植栽です。綺麗に剪定されています。

  • 「時計のパティオ」からもう一つの中庭である「武器のパティオ」を通って①の「旧王宮の間」に戻ってきました。

    「時計のパティオ」からもう一つの中庭である「武器のパティオ」を通って①の「旧王宮の間」に戻ってきました。

  • これは①の「旧王宮の間」と「武器のパティオ」の反対側にある(11)番の「王立砲兵博物館」です。ここには、中世以降の各種の大砲が実物や模型、図面などで展示してあります。<br />これは、平時には塔内に格納し、非常時には砲身が窓から突き出して砲座に設置できるような大砲のようです。

    これは①の「旧王宮の間」と「武器のパティオ」の反対側にある(11)番の「王立砲兵博物館」です。ここには、中世以降の各種の大砲が実物や模型、図面などで展示してあります。
    これは、平時には塔内に格納し、非常時には砲身が窓から突き出して砲座に設置できるような大砲のようです。

  • 城塞の入り口近くに戻り、これから最後の見学先の「ファン2世の塔」に152段の階段を上がっていきます。

    城塞の入り口近くに戻り、これから最後の見学先の「ファン2世の塔」に152段の階段を上がっていきます。

  • ファン2世の塔に上がり、アルカサル城塞の後方を見下ろしています。奥に主塔が附属し、時計が付いた北端の建物が見えます。

    ファン2世の塔に上がり、アルカサル城塞の後方を見下ろしています。奥に主塔が附属し、時計が付いた北端の建物が見えます。

  • ファン2世の塔からの眺めです。これは南東の方向で、写真の中央に大聖堂、その左手前にサン.アンドレア教会の鐘塔、更に左隅にサン.エステバン教会の鐘塔が見えています。

    ファン2世の塔からの眺めです。これは南東の方向で、写真の中央に大聖堂、その左手前にサン.アンドレア教会の鐘塔、更に左隅にサン.エステバン教会の鐘塔が見えています。

  • 大聖堂を拡大しました。

    大聖堂を拡大しました。

  • 大聖堂の左側も拡大しました。

    大聖堂の左側も拡大しました。

  • これは東北東の方向です。遠くにはセゴビア水道橋の水源であるフエンフリア山脈まで望めます。

    これは東北東の方向です。遠くにはセゴビア水道橋の水源であるフエンフリア山脈まで望めます。

  • こちらはアルカサルの北側にあるラ.ヴェラ.クルス教会(Iglesia de la Vera Cruz)で、左端にサン.ファン.デ.ラ.クルス修道院(Convento de San Juan de la Cruz)も見えます。

    こちらはアルカサルの北側にあるラ.ヴェラ.クルス教会(Iglesia de la Vera Cruz)で、左端にサン.ファン.デ.ラ.クルス修道院(Convento de San Juan de la Cruz)も見えます。

  • 北東の方向にはサンタ.マリア.デル.パラル - モンヘス.ヘロニモス修道院(Monasterio Santa Maria del Parral - Monjes Jeronimos OSH)、その手前にセゴビア王立造幣博物館(Museo Real Casa de Moneda de Segovia)が見えます。

    北東の方向にはサンタ.マリア.デル.パラル - モンヘス.ヘロニモス修道院(Monasterio Santa Maria del Parral - Monjes Jeronimos OSH)、その手前にセゴビア王立造幣博物館(Museo Real Casa de Moneda de Segovia)が見えます。

  • 北北東の方向です。セゴビア市街の周りは、このような自然の平野が広がっています。

    北北東の方向です。セゴビア市街の周りは、このような自然の平野が広がっています。

  • ファン2世の塔の頂上から2階にある南北に長いテラスに下りてきました。テラスには4基の見張り塔があり、これは北端にある見張り塔です。

    ファン2世の塔の頂上から2階にある南北に長いテラスに下りてきました。テラスには4基の見張り塔があり、これは北端にある見張り塔です。

  • こちらはテラスの北側端の見張り塔の前から南の方向を望んでいます。テラスの中央にはさきほど上がってきたファン2世の塔が聳えています。

    こちらはテラスの北側端の見張り塔の前から南の方向を望んでいます。テラスの中央にはさきほど上がってきたファン2世の塔が聳えています。

  • 城門を出て橋の上から西側の方向を望みます。橋の下は深い空堀です。

    城門を出て橋の上から西側の方向を望みます。橋の下は深い空堀です。

  • 橋を渡り終えて城門を振り返ります。

    橋を渡り終えて城門を振り返ります。

  • アルカサル前のビクトリア女王ユージニア広場から東の方向を望みます。右に大聖堂の鐘塔、左に大聖堂の手前にあるサン.アンドレス教会の鐘塔が見えます。<br />

    アルカサル前のビクトリア女王ユージニア広場から東の方向を望みます。右に大聖堂の鐘塔、左に大聖堂の手前にあるサン.アンドレス教会の鐘塔が見えます。

  • 前方ビクトリア女王ユージニア広場を歩いてアルカサルの鉄柵門を振り返ります。ここ鉄柵門の外は、ファン.フアス広場になります。

    前方ビクトリア女王ユージニア広場を歩いてアルカサルの鉄柵門を振り返ります。ここ鉄柵門の外は、ファン.フアス広場になります。

  • ファン.フアス広場からベラルデ通り(C.Velarde)を歩いて行きます。往きのダオイス通りの北側の通りで、このように静かな景色です。

    ファン.フアス広場からベラルデ通り(C.Velarde)を歩いて行きます。往きのダオイス通りの北側の通りで、このように静かな景色です。

  • ベラルデ通りから右に曲がりラス.デスカルラス通り(Calle de Las Descalzas)に入ります。その道路標識です。

    ベラルデ通りから右に曲がりラス.デスカルラス通り(Calle de Las Descalzas)に入ります。その道路標識です。

  • マルケス.デル.アルコ通り(C.Marques del Arco)に入って振り返るとサン.アンドレス教会の鐘塔が見えます。

    マルケス.デル.アルコ通り(C.Marques del Arco)に入って振り返るとサン.アンドレス教会の鐘塔が見えます。

  • マルケス.デル.アルコ通りを少し歩いて大聖堂に入りました。この大聖堂の正式な名称はサンタ.マリア.ラ.アスンシオン(聖母の被昇天)とサン.フルトス教会です。<br />ここは大聖堂の左側廊でファサード方向を望んでいます。次掲の平面図で、ミティング.ポイントの表示の場所から青色の矢印の方向です。この写真で、側廊の右側には礼拝堂が並んでいて、左側は聖歌隊席でパイプ.オルガンが見えています。

    マルケス.デル.アルコ通りを少し歩いて大聖堂に入りました。この大聖堂の正式な名称はサンタ.マリア.ラ.アスンシオン(聖母の被昇天)とサン.フルトス教会です。
    ここは大聖堂の左側廊でファサード方向を望んでいます。次掲の平面図で、ミティング.ポイントの表示の場所から青色の矢印の方向です。この写真で、側廊の右側には礼拝堂が並んでいて、左側は聖歌隊席でパイプ.オルガンが見えています。

  • 大聖堂の鐘塔に上がる階段の入り口が赤色の矢印で表示されていますが、大聖堂の平面が良くわかる図です。上方が内陣で下方がファサードになります。<br />現在の大聖堂は、16世紀から18世紀にかけて建てられ、ルネサンス様式の特徴を取り入れたゴシック後期の大聖堂です。

    大聖堂の鐘塔に上がる階段の入り口が赤色の矢印で表示されていますが、大聖堂の平面が良くわかる図です。上方が内陣で下方がファサードになります。
    現在の大聖堂は、16世紀から18世紀にかけて建てられ、ルネサンス様式の特徴を取り入れたゴシック後期の大聖堂です。

  • 青色の矢印の方向と反対に、ファサードから左側廊を内陣方向に望んでいます。写真の右側に主礼拝堂が見えています。左奥にはイースターのパレードで使われる山車が見えます。

    青色の矢印の方向と反対に、ファサードから左側廊を内陣方向に望んでいます。写真の右側に主礼拝堂が見えています。左奥にはイースターのパレードで使われる山車が見えます。

  • 身廊の中央に設置された聖歌隊席にはその壁面の左右対象に2台のパイプ.オルガンが設置されています。これは左側廊に面して1769年に設置されたオルガンの側廊側の写真です。右側廊に面したオルガンは少し早い1702年の設置だそうです。

    身廊の中央に設置された聖歌隊席にはその壁面の左右対象に2台のパイプ.オルガンが設置されています。これは左側廊に面して1769年に設置されたオルガンの側廊側の写真です。右側廊に面したオルガンは少し早い1702年の設置だそうです。

  • 左側廊の1番ベイにある「無原罪の御宿りの礼拝堂」の祭壇です。<br />セヴィリャに住んでいたフランドルの画家、イグナシオ.デ.リース(Ignacio de Ries:1612-1661)による1653年作の絵画が並んでいます。この写真で、中央の『聖母マリア像』の左に『聖母戴冠』、右に『羊飼いの礼拝』の絵画が写っています。『聖母マリア像』が据えられている台は絢爛豪華で注目に値します。

    左側廊の1番ベイにある「無原罪の御宿りの礼拝堂」の祭壇です。
    セヴィリャに住んでいたフランドルの画家、イグナシオ.デ.リース(Ignacio de Ries:1612-1661)による1653年作の絵画が並んでいます。この写真で、中央の『聖母マリア像』の左に『聖母戴冠』、右に『羊飼いの礼拝』の絵画が写っています。『聖母マリア像』が据えられている台は絢爛豪華で注目に値します。

  • これは同じ礼拝堂の左側面にあった同じイグナシオ.デ.リース作品でヴァニタス(Vanitas)と言われる人生の空しさの寓意を表す静物画の『生命の木』です。人生を楽しんでいる人々が枝葉が茂った1本の木の上にいます。コウノトリの巣のような枝葉の中です。その木の根元でキリストが人生の終焉の鐘を鳴らし、先に人生を終えた骸骨が斧で木を切り倒しかけています。

    これは同じ礼拝堂の左側面にあった同じイグナシオ.デ.リース作品でヴァニタス(Vanitas)と言われる人生の空しさの寓意を表す静物画の『生命の木』です。人生を楽しんでいる人々が枝葉が茂った1本の木の上にいます。コウノトリの巣のような枝葉の中です。その木の根元でキリストが人生の終焉の鐘を鳴らし、先に人生を終えた骸骨が斧で木を切り倒しかけています。

  • 左側廊で4番ベイのサント.アンドレア礼拝堂の祭壇画で、16世紀の北イタリアの画家アンブロシウス・ベンソン(Ambrosius Benson)作の「キリスト降架」の三連祭壇画です。

    左側廊で4番ベイのサント.アンドレア礼拝堂の祭壇画で、16世紀の北イタリアの画家アンブロシウス・ベンソン(Ambrosius Benson)作の「キリスト降架」の三連祭壇画です。

  • 身廊の中央に配置された聖歌隊席の後部にあり、ファサードに面した祭壇です。これはフランス生まれの彫刻家ウンベルト.ドゥマンドレ(Humberto Dumandré:1701-1781)の作品です。

    身廊の中央に配置された聖歌隊席の後部にあり、ファサードに面した祭壇です。これはフランス生まれの彫刻家ウンベルト.ドゥマンドレ(Humberto Dumandré:1701-1781)の作品です。

  • 祭壇を拡大しました。中央には聖フルトスの遺物が納められている銀の骨壷があり、その上部には聖ペテロ、聖パウロ、聖三位一体の彫刻があります。後に追加された左側には聖フェリペ5世の像、右側には聖イサベルの像が飾られています。両者はスペインの啓蒙専制君主と言われカルロス3世(1716-1788)の両親です。

    祭壇を拡大しました。中央には聖フルトスの遺物が納められている銀の骨壷があり、その上部には聖ペテロ、聖パウロ、聖三位一体の彫刻があります。後に追加された左側には聖フェリペ5世の像、右側には聖イサベルの像が飾られています。両者はスペインの啓蒙専制君主と言われカルロス3世(1716-1788)の両親です。

  • 身廊の聖歌隊席前からファサード方向にヴォルト天井を見上げています。

    身廊の聖歌隊席前からファサード方向にヴォルト天井を見上げています。

  • 身廊の中央にある聖歌隊席の横から内陣方向に見通した右側廊です。この側廊の右側にも礼拝堂が並んでいますが、何かしらの工事中でした。

    身廊の中央にある聖歌隊席の横から内陣方向に見通した右側廊です。この側廊の右側にも礼拝堂が並んでいますが、何かしらの工事中でした。

  • 右側廊を更に内陣方向に歩いていくと主礼拝堂が左奥に見えてきました。更に左の奥には小さく山車が見えます。

    右側廊を更に内陣方向に歩いていくと主礼拝堂が左奥に見えてきました。更に左の奥には小さく山車が見えます。

  • 左側廊の内陣近くに展示してあるイースターのパレードで使われる山車です。この山車で担ぎ手は、外部から見え無いように幕が垂れた中に入ります。中から外が見えるように窓がついています。この写真で、青い服を着た男性が中を覗いています。

    左側廊の内陣近くに展示してあるイースターのパレードで使われる山車です。この山車で担ぎ手は、外部から見え無いように幕が垂れた中に入ります。中から外が見えるように窓がついています。この写真で、青い服を着た男性が中を覗いています。

  • 山車の正面です。像はマリア様でしょうか。山車がここにあると言う事は、パレードが終了したのでしょうか?

    山車の正面です。像はマリア様でしょうか。山車がここにあると言う事は、パレードが終了したのでしょうか?

  • 身廊で主礼拝堂の前から聖楽隊席を望んでいます。

    身廊で主礼拝堂の前から聖楽隊席を望んでいます。

  • 身廊の左側にある説教壇を拡大しました。

    身廊の左側にある説教壇を拡大しました。

  • 身廊内陣にある主礼拝堂の正面です。<br />

    身廊内陣にある主礼拝堂の正面です。

  • 大聖堂には半時間ほど滞在し外に出ました。次は昼食のためのレストラン探しです。下調べなしで適当に入ったレストランのラ.タスクイーナ(La tasquina)です。後で調べるとトリップアドバイザーでセゴヴィアのレストラン 208 軒中 21 位でした。

    大聖堂には半時間ほど滞在し外に出ました。次は昼食のためのレストラン探しです。下調べなしで適当に入ったレストランのラ.タスクイーナ(La tasquina)です。後で調べるとトリップアドバイザーでセゴヴィアのレストラン 208 軒中 21 位でした。

  • レストランの外壁面に表示してあった写真付きメニューです。<br />

    レストランの外壁面に表示してあった写真付きメニューです。

  • 我々は白アスパラガスのサラダ(もしかしたら、缶詰だったかな~~?)、オニオン.スープ、そしてパスタと鶏肉料理を食べました。

    我々は白アスパラガスのサラダ(もしかしたら、缶詰だったかな~~?)、オニオン.スープ、そしてパスタと鶏肉料理を食べました。

  • レストランのラ.タスクイーナがあったヴァル.デル. グイラ通りの表示板と近くの観光地案内板です。

    レストランのラ.タスクイーナがあったヴァル.デル. グイラ通りの表示板と近くの観光地案内板です。

  • バル.デラ.グイラ通りを西北西の方向に歩きサン.エステバン教会の南側にある広場に出ました。この教会は、ロマネスク様式で12 世紀に建てられました。当初の高さが56mの鐘楼は、イベリア半島で最も高いロマネスク様式の鐘楼でしが、数十年前にバロック様式に改築された現在の高さは約50mです 。

    バル.デラ.グイラ通りを西北西の方向に歩きサン.エステバン教会の南側にある広場に出ました。この教会は、ロマネスク様式で12 世紀に建てられました。当初の高さが56mの鐘楼は、イベリア半島で最も高いロマネスク様式の鐘楼でしが、数十年前にバロック様式に改築された現在の高さは約50mです 。

  • セゴヴィアで数例見かけましたが、ロマネスク様式で建てられた教会の建物の側面とファサード側に柱で支えられた屋根が張り出しています。柱の上部はアーチ状になった壁で屋根と繋がっています。屋根の下は吹き曝しの空間です。この教会では、西のファサード側に3個、南側に10個のアーチが残っています。<br />

    セゴヴィアで数例見かけましたが、ロマネスク様式で建てられた教会の建物の側面とファサード側に柱で支えられた屋根が張り出しています。柱の上部はアーチ状になった壁で屋根と繋がっています。屋根の下は吹き曝しの空間です。この教会では、西のファサード側に3個、南側に10個のアーチが残っています。

  • マヨール広場に戻ると、ゴシック様式で建てられた大聖堂の後陣とドームが見えます。広場の右側に立つ市庁舎は17世紀に建てられました。

    マヨール広場に戻ると、ゴシック様式で建てられた大聖堂の後陣とドームが見えます。広場の右側に立つ市庁舎は17世紀に建てられました。

  • マヨール広場の中央にあるキオスクです。セゴヴィアのいろいろな祭りや行事でこの舞台は広く便利に使われているそうです。

    マヨール広場の中央にあるキオスクです。セゴヴィアのいろいろな祭りや行事でこの舞台は広く便利に使われているそうです。

  • マヨール広場を出て行きます。これは広場の北側にある市庁舎の正面です。

    マヨール広場を出て行きます。これは広場の北側にある市庁舎の正面です。

  • マヨール広場を去りイサベル.ラ.カトリカ通りを歩いていきます。広場でこの通りの入り口右側に立つ建物の壁にあった道路名表示板です。建物の1階にはお菓子屋さんの&quot;Limon y menta&quot;がありました。

    マヨール広場を去りイサベル.ラ.カトリカ通りを歩いていきます。広場でこの通りの入り口右側に立つ建物の壁にあった道路名表示板です。建物の1階にはお菓子屋さんの"Limon y menta"がありました。

  • 帰り道に入るつもりで朝パスしたファン.ブラボ通り面するサン.マルティン教会は、残念ながら閉まっていました。<br />これは教会のファサードに突き出たちょっと変わった構造物で、正面の出入り口になります。

    帰り道に入るつもりで朝パスしたファン.ブラボ通り面するサン.マルティン教会は、残念ながら閉まっていました。
    これは教会のファサードに突き出たちょっと変わった構造物で、正面の出入り口になります。

  • 入り口左側の彫刻を拡大しました。

    入り口左側の彫刻を拡大しました。

  • ファサード右側のポーチ状のの突き出し部分です。<br />サン.エステバン教会とは異なり、ファサード左側にも突き出し部分がちゃんと残っています。

    ファサード右側のポーチ状のの突き出し部分です。
    サン.エステバン教会とは異なり、ファサード左側にも突き出し部分がちゃんと残っています。

  • ファサード右側の突き出し部分を東側から覗いてみました。

    ファサード右側の突き出し部分を東側から覗いてみました。

  • サン.マルティン教会の東側にあるサン.マルティン広場の噴水です。小さな子供が大きな魚を抱いています。上を向いた魚の口から噴水がでています。

    サン.マルティン教会の東側にあるサン.マルティン広場の噴水です。小さな子供が大きな魚を抱いています。上を向いた魚の口から噴水がでています。

  • フアン.ブラボ通りを水道橋に向かって歩いて行きます。そしてサン.マルティン教会を振り返ります。

    フアン.ブラボ通りを水道橋に向かって歩いて行きます。そしてサン.マルティン教会を振り返ります。

  • 往路でも立ち寄ったカナレハ展望台です。<br />南南東の方向に見える雪山は、ボラ.デル.ムンド山(La Bola del Mundo:2257m)です。<br />

    往路でも立ち寄ったカナレハ展望台です。
    南南東の方向に見える雪山は、ボラ.デル.ムンド山(La Bola del Mundo:2257m)です。

  • カメラを右に振って南西の方向を眺めると山は見えず、平坦な草地が見えます。

    カメラを右に振って南西の方向を眺めると山は見えず、平坦な草地が見えます。

  • 水道橋の南西側のアソグエホ広場に戻ってきました。

    水道橋の南西側のアソグエホ広場に戻ってきました。

  • 水道橋を真正面から眺めます。水道橋のほぼ中央に何か白い物が見えています。

    水道橋を真正面から眺めます。水道橋のほぼ中央に何か白い物が見えています。

  • 拡大しました。幼子のキリストを抱く聖母マリアの像でした。

    拡大しました。幼子のキリストを抱く聖母マリアの像でした。

  • 一つのアーチを下から見上げました。この建造物には漆喰などのセメント類は一切使わずに、ただ石材を組み合わせただけだそうです。

    一つのアーチを下から見上げました。この建造物には漆喰などのセメント類は一切使わずに、ただ石材を組み合わせただけだそうです。

  • 水道橋の北東側でオリエンタル広場の北側に延びるサンファン通りの北東の方向を望んでいます。左側の建物群の後ろは城壁になっています。

    水道橋の北東側でオリエンタル広場の北側に延びるサンファン通りの北東の方向を望んでいます。左側の建物群の後ろは城壁になっています。

  • 水道橋の南東端に来ました。水道橋の北東側から旧市街を眺めます。

    水道橋の南東端に来ました。水道橋の北東側から旧市街を眺めます。

  • こちらは橋を潜って南西側から旧市街を眺めた写真です。写真の左側の背が高い建物はセゴヴィア教区神学校教会とその鐘塔です。城壁の手前に水道橋展望台への階段が見えます。これからこの展望台に向かいます。

    こちらは橋を潜って南西側から旧市街を眺めた写真です。写真の左側の背が高い建物はセゴヴィア教区神学校教会とその鐘塔です。城壁の手前に水道橋展望台への階段が見えます。これからこの展望台に向かいます。

  • 水道橋の北西端に戻り、疲れていましたが頑張って水道橋の上の展望台に上がっていきます。

    水道橋の北西端に戻り、疲れていましたが頑張って水道橋の上の展望台に上がっていきます。

  • やっと展望台まで上がってきました。水道橋の先遠くに見える雪山はボラ.デル.ムンド(2257m)です。<br />

    やっと展望台まで上がってきました。水道橋の先遠くに見える雪山はボラ.デル.ムンド(2257m)です。

  • 水道橋を潜って東側に出ます。セゴビアの南東に聳え雪を被ったペニャララ山(2428m)が左側遠方に見えます。写真中央遠方で、同じく雪を頂くカベサス.デ.イエロ(2381m)とボラ.デル.ムンド(2257m)です。水道橋の右手には、南南東から南にかけて、シエテ.ピコス(2138m)、モントン.デ.トリーゴ(2161m)、ラ.ムヘール.ムエルタ(2197m)が見えています。<br />

    水道橋を潜って東側に出ます。セゴビアの南東に聳え雪を被ったペニャララ山(2428m)が左側遠方に見えます。写真中央遠方で、同じく雪を頂くカベサス.デ.イエロ(2381m)とボラ.デル.ムンド(2257m)です。水道橋の右手には、南南東から南にかけて、シエテ.ピコス(2138m)、モントン.デ.トリーゴ(2161m)、ラ.ムヘール.ムエルタ(2197m)が見えています。

  • これは城塞を囲む城壁に開けられた通用門が19世紀に破壊され、20世紀になって解体された建物のファサードを利用して再建された門だそうです。<br />ここを最後にセゴヴィアの1日観光を終了します。

    これは城塞を囲む城壁に開けられた通用門が19世紀に破壊され、20世紀になって解体された建物のファサードを利用して再建された門だそうです。
    ここを最後にセゴヴィアの1日観光を終了します。

  • 予約していた17時15分発のバスに乗ってマドリッドに戻ります。いま放牧地の横を走っています。

    予約していた17時15分発のバスに乗ってマドリッドに戻ります。いま放牧地の横を走っています。

  • 自動車専用道路の入り口はこのような混雑です。

    自動車専用道路の入り口はこのような混雑です。

  • 帰りのバスは1時間10分位かかりました。地下鉄3号線モンクロア駅から、往きと同じルートでソル駅に戻ります。<br />

    帰りのバスは1時間10分位かかりました。地下鉄3号線モンクロア駅から、往きと同じルートでソル駅に戻ります。

  • プエルタ.デル.ソルで、スペインの道路基準0Km地点の標識を見つけました。

    プエルタ.デル.ソルで、スペインの道路基準0Km地点の標識を見つけました。

  • 今夜からホテルを変えます。少し旅計画を変更して2泊の延長を考えたのですが、3泊したカタロニア.ラス.コルテス.ホテルは料金が高くなっていたので、近くのNH.コレクション.マドリード.パラシオ.デ.テパを予約しました。既に今朝チェック.アウトしていたので、これから荷物を引き取って250m位離れたNH.ホテルに移動します。

    今夜からホテルを変えます。少し旅計画を変更して2泊の延長を考えたのですが、3泊したカタロニア.ラス.コルテス.ホテルは料金が高くなっていたので、近くのNH.コレクション.マドリード.パラシオ.デ.テパを予約しました。既に今朝チェック.アウトしていたので、これから荷物を引き取って250m位離れたNH.ホテルに移動します。

  • このNH.ホテルの部屋は5階です。長方形の内庭に面していて静かですが、外が見えずちょっと残念ですが。<br />

    このNH.ホテルの部屋は5階です。長方形の内庭に面していて静かですが、外が見えずちょっと残念ですが。

  • この中庭の対面は廊下になっていて、その廊下から反対側を眺めると我々の部屋が直接見えます。だから常にカーテンを閉める必要がありました。

    この中庭の対面は廊下になっていて、その廊下から反対側を眺めると我々の部屋が直接見えます。だから常にカーテンを閉める必要がありました。

  • 窓側からの写真です。

    窓側からの写真です。

  • 少し窮屈な広さのバスルームです。全体的には結構利用するNH.ホテルの基準に合致しています。<br />明日は1日中プラド美術館で絵画の鑑賞です。写真撮影禁止がとても残念な事です。

    少し窮屈な広さのバスルームです。全体的には結構利用するNH.ホテルの基準に合致しています。
    明日は1日中プラド美術館で絵画の鑑賞です。写真撮影禁止がとても残念な事です。

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