ポルトと北部地方旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流しポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。<br />この第10回目の旅行記はリスボンからポルトに移動し早速街歩きし美術館を訪れた記録です。<br /><br />全体の旅程の概略です。<br />★ 4月 2~3日    ミュンヘン泊 <br />★       4日      ハイデルベルク泊<br />★       5日          フランクフルト泊<br />★       6~10日    リスボン泊<br />★     11~12泊     ポルト泊<br />★     13~17日     マドリッド泊<br />★     18~19日     コルドヴァ泊<br />★     20~21日     セヴィリャ泊<br />★     22~23日     バルセロナ伯<br />★     24~26日     フランクフルト泊<br />★     27日           フランクフルトから羽田へ<br />

シニア夫婦のドイツ、ポルトガル、スペインゆっくり旅行27日 (10)リスボンからポルトに移動し早速街歩きです(4月11日)

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2017/04/02 - 2017/04/27

6位(同エリア80件中)

さわ子さん

2017年春、羽田から全日本空輸でババはロンドンへ、ジジはミュンヘンへ別々に出発し、3日後にフランクフルトで合流しポルトガル、スペイン、ドイツと周り、フランクフルトから羽田に帰国しました。
この第10回目の旅行記はリスボンからポルトに移動し早速街歩きし美術館を訪れた記録です。

全体の旅程の概略です。
★ 4月 2~3日   ミュンヘン泊 
★ 4日   ハイデルベルク泊
★ 5日 フランクフルト泊
★ 6~10日 リスボン泊
★ 11~12泊 ポルト泊
★ 13~17日 マドリッド泊
★ 18~19日 コルドヴァ泊
★ 20~21日 セヴィリャ泊
★ 22~23日 バルセロナ伯
★ 24~26日 フランクフルト泊
★ 27日 フランクフルトから羽田へ

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 朝8時です。朝食を済ませ、スーツ.ケースへの詰め込みも終え、出発準備完了です。天気も良く楽しい5泊のリスボン観光でした。ホテル前のレスタウラ.ドーレス広場から759番の市内バスでサンタ.アポローニャ駅にいきます。このホテル.アヴェニーダ.パレスは、交通の便がとても良い場所にあり、建物も、少し内装の古さを感じますが、歴史的な建物らしさが残り、サービスも満足でした。

    朝8時です。朝食を済ませ、スーツ.ケースへの詰め込みも終え、出発準備完了です。天気も良く楽しい5泊のリスボン観光でした。ホテル前のレスタウラ.ドーレス広場から759番の市内バスでサンタ.アポローニャ駅にいきます。このホテル.アヴェニーダ.パレスは、交通の便がとても良い場所にあり、建物も、少し内装の古さを感じますが、歴史的な建物らしさが残り、サービスも満足でした。

  • バスの運転手さんにサンタ.アポローニャ駅を教えてくれるように頼んでいましたので間違いなく駅前で下車できました。右側の建物が駅舎です。

    バスの運転手さんにサンタ.アポローニャ駅を教えてくれるように頼んでいましたので間違いなく駅前で下車できました。右側の建物が駅舎です。

  • 駅はテージョ川沿いにあり、近くの岸壁はクルーズ船の停泊場所になっています。接岸しているのは、昨日も見かけたクルーズ船で、2003年竣工のコスタ.メディテッラネア号(85,619総トン)です。コスタはクルーズ専門の船会社で、14隻のクルーズ船を運航し、最近では極東地方でもクルーズを催行しています。不幸にも2012年にイタリアの沿海で操船ミスによる座礁事故を起こしています。

    駅はテージョ川沿いにあり、近くの岸壁はクルーズ船の停泊場所になっています。接岸しているのは、昨日も見かけたクルーズ船で、2003年竣工のコスタ.メディテッラネア号(85,619総トン)です。コスタはクルーズ専門の船会社で、14隻のクルーズ船を運航し、最近では極東地方でもクルーズを催行しています。不幸にも2012年にイタリアの沿海で操船ミスによる座礁事故を起こしています。

  • 駅舎正面の対面にある建物は、リスボン軍事博物館です。

    駅舎正面の対面にある建物は、リスボン軍事博物館です。

  • 今日乗車する9時30分発のインター.シティ(IC)列車はポルトの先、ブラガが終点です。2番線に入線するとの表示です。ポルトはリスボンから332Kmだそうです。

    今日乗車する9時30分発のインター.シティ(IC)列車はポルトの先、ブラガが終点です。2番線に入線するとの表示です。ポルトはリスボンから332Kmだそうです。

  • スペインからの寝台列車が3番線に到着していました。

    スペインからの寝台列車が3番線に到着していました。

  • この寝台列車は、その車両の背が低く、1軸車輪で全長が短い車両を連接するスペインが開発した有名なタルゴ車です。この写真の車両には、スペイン鉄道の&quot;renfe&quot;、ポルトガル鉄道の&quot;CP&quot;のマークが描かれています。列車表示では上から&quot;MADRID&quot;、&quot;LISBOA&quot;、&quot;HENDAYA&quot;と文字の両側に矢印です。リスボンへの寝台列車はスペインのマドリッドとリスボン間、スペインとフランス国境にあるヘンダヤとリスボン間にマドリッドを経由せずに走っているようです。

    この寝台列車は、その車両の背が低く、1軸車輪で全長が短い車両を連接するスペインが開発した有名なタルゴ車です。この写真の車両には、スペイン鉄道の"renfe"、ポルトガル鉄道の"CP"のマークが描かれています。列車表示では上から"MADRID"、"LISBOA"、"HENDAYA"と文字の両側に矢印です。リスボンへの寝台列車はスペインのマドリッドとリスボン間、スペインとフランス国境にあるヘンダヤとリスボン間にマドリッドを経由せずに走っているようです。

  • 2番線のホームから西の方向に1番線のホームを望んでいます。ホームの後ろは、アルファーマ地区の丘の麓になります。ここから左奥にギリシャ十字形のサンタ.エングラシア教会のドームが見えるかなと思いましたが、手前の建物が高過ぎて見えません。写真の中央で、ピンク色の建物の上方に見える空色の建物はハロー.リスボン.サンタ.アポロニア.アパートメンツです。

    2番線のホームから西の方向に1番線のホームを望んでいます。ホームの後ろは、アルファーマ地区の丘の麓になります。ここから左奥にギリシャ十字形のサンタ.エングラシア教会のドームが見えるかなと思いましたが、手前の建物が高過ぎて見えません。写真の中央で、ピンク色の建物の上方に見える空色の建物はハロー.リスボン.サンタ.アポロニア.アパートメンツです。

  • 9時前ですが、2番線にIC列車が入ってきたので直ぐ乗車しました。車内の様子です。

    9時前ですが、2番線にIC列車が入ってきたので直ぐ乗車しました。車内の様子です。

  • これはウェブ.サイトで購入したシニア割引の乗車券です。名前とパスポート番号は伏せています。乗車中にシニアの証明のため、パスポートの提示を求められました。この乗車券、良く見ると出発駅がリスボア.オリエントになっています。駅で確認してサンタ.アポローニャ駅から追加料金無しで乗車できました。

    これはウェブ.サイトで購入したシニア割引の乗車券です。名前とパスポート番号は伏せています。乗車中にシニアの証明のため、パスポートの提示を求められました。この乗車券、良く見ると出発駅がリスボア.オリエントになっています。駅で確認してサンタ.アポローニャ駅から追加料金無しで乗車できました。

  • 駅舎方向を望んでいます。3番線に留まっていた寝台列車がいなくなっています。

    駅舎方向を望んでいます。3番線に留まっていた寝台列車がいなくなっています。

  • 駅舎と反対側です。4番線はホームに接しない待避線になっているようです。

    駅舎と反対側です。4番線はホームに接しない待避線になっているようです。

  • 乗車する列車の連結部分です。ステンレス材を使った客車になっています。

    乗車する列車の連結部分です。ステンレス材を使った客車になっています。

  • 客車の入り口のステップです。老人にはきつい段差と隙間です。

    客車の入り口のステップです。老人にはきつい段差と隙間です。

  • 9時30分、定時に発車しました。向こうにもステンレス製の2240型のローカル電車が留まっています。

    9時30分、定時に発車しました。向こうにもステンレス製の2240型のローカル電車が留まっています。

  • 7分足らずでリスボン.オリエンテ駅に着きました。この駅は、「海:未来の遺産」をテーマで開催された万国博覧会に合わせ、輸送複合施設の中心として1998年に完成しました。駅ホームの屋根も、このように斬新なデザインになっています。

    7分足らずでリスボン.オリエンテ駅に着きました。この駅は、「海:未来の遺産」をテーマで開催された万国博覧会に合わせ、輸送複合施設の中心として1998年に完成しました。駅ホームの屋根も、このように斬新なデザインになっています。

  • 9時39分にオリエンテ駅を発車しました。向こうに停車している電車は、2300/2400型の3ドア通勤用の車両です。

    9時39分にオリエンテ駅を発車しました。向こうに停車している電車は、2300/2400型の3ドア通勤用の車両です。

  • ポルトに行く客車はこのようにゆったりしています。1985年製という事ですが、少しくたびれています。

    ポルトに行く客車はこのようにゆったりしています。1985年製という事ですが、少しくたびれています。

  • オリエンテ駅から50分、5分ほど遅れてサンタレムに着きました。駅舎のアズレージョが綺麗な駅です。描かれている題材は、このサンタレン市のハイライトのようです。<br />左にサン.ジョアン.デ.アルポラン教会、扉の右に牧草地とオウレーン城趾が描かれています。

    オリエンテ駅から50分、5分ほど遅れてサンタレムに着きました。駅舎のアズレージョが綺麗な駅です。描かれている題材は、このサンタレン市のハイライトのようです。
    左にサン.ジョアン.デ.アルポラン教会、扉の右に牧草地とオウレーン城趾が描かれています。

  • サンタレム駅を発車しました。動きながら駅舎の壁面にあるアズレージョの壁画を写していきます。左にオウレーン城趾、右にマルヴィーラ教会の柱廊玄関です。

    サンタレム駅を発車しました。動きながら駅舎の壁面にあるアズレージョの壁画を写していきます。左にオウレーン城趾、右にマルヴィーラ教会の柱廊玄関です。

  • 開いている扉の左はアセカ橋、右は、サンテレンの東側にあるテージョ川に架かる橋です。

    開いている扉の左はアセカ橋、右は、サンテレンの東側にあるテージョ川に架かる橋です。

  • 最後の絵は、サン.フランシースコ修道院の回廊です。

    最後の絵は、サン.フランシースコ修道院の回廊です。

  • 最後尾の客車から後方を眺めています。単調な風景の中を列車は走って行きます。

    最後尾の客車から後方を眺めています。単調な風景の中を列車は走って行きます。

  • 時々見かける民家です。

    時々見かける民家です。

  • 葡萄畑のようです。

    葡萄畑のようです。

  • リスボンから2時間ほど、コインブラB駅に到着しました。この駅は市街地から少し北に離れていて、市街地の入り口にあるコインブラ駅までは別のシャトル列車に乗り換えていかなければなりません。

    リスボンから2時間ほど、コインブラB駅に到着しました。この駅は市街地から少し北に離れていて、市街地の入り口にあるコインブラ駅までは別のシャトル列車に乗り換えていかなければなりません。

  • ポルトに近くなり太平洋が見えてきました。

    ポルトに近くなり太平洋が見えてきました。

  • ポルトの市街が見えてきました。列車を乗り換えるカンパニャン駅の1駅前のビラ.ノバ.デ.ガイアです。このポルトの街区はドゥエロ川の南岸にあり、ポルト歴史地区として登録されている世界遺産にも含まれています。

    ポルトの市街が見えてきました。列車を乗り換えるカンパニャン駅の1駅前のビラ.ノバ.デ.ガイアです。このポルトの街区はドゥエロ川の南岸にあり、ポルト歴史地区として登録されている世界遺産にも含まれています。

  • ビラ.ノバ.デ.ガイア駅から眺めると、北北東遠くに飛び抜けた76mの高さのクレリゴス教会の鐘塔が見えています。

    ビラ.ノバ.デ.ガイア駅から眺めると、北北東遠くに飛び抜けた76mの高さのクレリゴス教会の鐘塔が見えています。

  • もう直ぐカンパーニャン駅に着きます。列車はドゥエロ川に架かるサン.ジョアン鉄道橋を渡っています。向こうの鉄橋は、保存されているギュスターヴ.エッフェル(Gustave Eiffel:1832 - 1923)設計のマリア.ピア橋で旧鉄道橋です。更に奥に自動車道のインファンテ橋も見えています。

    もう直ぐカンパーニャン駅に着きます。列車はドゥエロ川に架かるサン.ジョアン鉄道橋を渡っています。向こうの鉄橋は、保存されているギュスターヴ.エッフェル(Gustave Eiffel:1832 - 1923)設計のマリア.ピア橋で旧鉄道橋です。更に奥に自動車道のインファンテ橋も見えています。

  • カンパーニャン駅で列車を乗り換えて1駅、シャトル列車でサン.ベント駅に向かいドゥエロ川の北岸を走っています。前方にインファンテ橋、その奥には有名なドン.ルイス1世橋が見えています。これから市街地の地下に掘られたトンネルに入り、トンネルを出ると直ぐにサン.ベント駅です。

    カンパーニャン駅で列車を乗り換えて1駅、シャトル列車でサン.ベント駅に向かいドゥエロ川の北岸を走っています。前方にインファンテ橋、その奥には有名なドン.ルイス1世橋が見えています。これから市街地の地下に掘られたトンネルに入り、トンネルを出ると直ぐにサン.ベント駅です。

  • 定時の午後1時5分にサン.ベント駅に着き、そこから2分、交差点を渡って今夜から2泊するインターコンチネンタル.ホテル.ポルト.パラシオ.ダス.カルドサスに着きました。ホテルのレセプションでは座ってチェック.インを済ませます。まだ部屋の準備が完了していないという事で、荷物を預けて街歩きを始めます。<br />

    定時の午後1時5分にサン.ベント駅に着き、そこから2分、交差点を渡って今夜から2泊するインターコンチネンタル.ホテル.ポルト.パラシオ.ダス.カルドサスに着きました。ホテルのレセプションでは座ってチェック.インを済ませます。まだ部屋の準備が完了していないという事で、荷物を預けて街歩きを始めます。

  • ポルトの中心街の地図です。中央で少し上に宿泊するパラシオ.ダス.カルドサスとその右にサンベント駅です。そして今日訪れる左上隅にソアーレス.ドス.レイス国立美術館と、その右のカルモ教会です。

    ポルトの中心街の地図です。中央で少し上に宿泊するパラシオ.ダス.カルドサスとその右にサンベント駅です。そして今日訪れる左上隅にソアーレス.ドス.レイス国立美術館と、その右のカルモ教会です。

  • ホテルの正面は、南北に長いリベルダーレ広場になっています。広場の奥の北端には市庁舎が建っています。

    ホテルの正面は、南北に長いリベルダーレ広場になっています。広場の奥の北端には市庁舎が建っています。

  • このホテル前の建物は、外壁だけ残して内部は完全に解体されています。

    このホテル前の建物は、外壁だけ残して内部は完全に解体されています。

  • ホテル前から西へクレリゴス通りを歩いて行きます。目標はソアーレス.ドス.レイス国立美術館です。ちょっと左側のラルゴ.ドス.ローヨス通りを覗きました。

    ホテル前から西へクレリゴス通りを歩いて行きます。目標はソアーレス.ドス.レイス国立美術館です。ちょっと左側のラルゴ.ドス.ローヨス通りを覗きました。

  • クレリゴス通りの正面にクレリゴス教会のファサードが見えます。

    クレリゴス通りの正面にクレリゴス教会のファサードが見えます。

  • 今通ってきたクレリゴス通りを振り返ります。赤信号の後ろの建物が内部が解体されて空洞になっているビルです。

    今通ってきたクレリゴス通りを振り返ります。赤信号の後ろの建物が内部が解体されて空洞になっているビルです。

  • 2時になりました。クレリゴス通りから北西に曲がったカルメリッタス通りにあるパステラリア.ベラ.トーレ.レストランに入ります。トリップアドバイザー評価は、1,509中579位です。

    2時になりました。クレリゴス通りから北西に曲がったカルメリッタス通りにあるパステラリア.ベラ.トーレ.レストランに入ります。トリップアドバイザー評価は、1,509中579位です。

  • お店は結構繁盛しています。

    お店は結構繁盛しています。

  • サラダ風の料理を選びました。これはジジが食べました。

    サラダ風の料理を選びました。これはジジが食べました。

  • こちらはババです。

    こちらはババです。

  • レストランを出てポルト大学北側の広場に来ました。アズレージョの壁面を持つカルモ教会と、その左に隣接する跣足カルメル会教会が見えます。

    レストランを出てポルト大学北側の広場に来ました。アズレージョの壁面を持つカルモ教会と、その左に隣接する跣足カルメル会教会が見えます。

  • ポルト大学の西側で、市電の18番と22番が出会う停留所です。ポルトの市電はリスボンの市電より少し大型です。

    ポルト大学の西側で、市電の18番と22番が出会う停留所です。ポルトの市電はリスボンの市電より少し大型です。

  • 聖アンソニー総合病院の北側にあるカレガル庭園のツツジです。

    聖アンソニー総合病院の北側にあるカレガル庭園のツツジです。

  • ソアーレス.ドス.レイス国立美術館に着きました。この美術館は、金銀のモールを生産する工場を持つマヌエル.メンデス.デ.モライスとカストロ兄弟が注文し、1795年に建設が始まったカランカス宮殿の建物を利用して1942年から美術館となりました。そしてポルト出身の彫刻家ソアーレス.ドス.レイスに敬意を表して名付けられました。

    ソアーレス.ドス.レイス国立美術館に着きました。この美術館は、金銀のモールを生産する工場を持つマヌエル.メンデス.デ.モライスとカストロ兄弟が注文し、1795年に建設が始まったカランカス宮殿の建物を利用して1942年から美術館となりました。そしてポルト出身の彫刻家ソアーレス.ドス.レイスに敬意を表して名付けられました。

  • 館内に入りました。これは館内の案内図です。ポルトガル語だけの説明なので、建物内の様子を理解するだけです。地上の1階部分を見ると、南側の宮殿本館、中庭とその両側の平屋、そして北側に競技場のような形の工場跡が示されています。

    館内に入りました。これは館内の案内図です。ポルトガル語だけの説明なので、建物内の様子を理解するだけです。地上の1階部分を見ると、南側の宮殿本館、中庭とその両側の平屋、そして北側に競技場のような形の工場跡が示されています。

  • 本館の2階に上がって行きます。階段踊り場から北に宮殿の中庭を望んでいます。

    本館の2階に上がって行きます。階段踊り場から北に宮殿の中庭を望んでいます。

  • 2階の階段ホールを見上げています。中央に金属製の彫刻が鎮座しています。

    2階の階段ホールを見上げています。中央に金属製の彫刻が鎮座しています。

  • 拡大しました。馬に色々な物を乗せた彫刻です。金属製の板を用いているようです。現代芸術の作品でしょうか。

    拡大しました。馬に色々な物を乗せた彫刻です。金属製の板を用いているようです。現代芸術の作品でしょうか。

  • 2階には主に装飾芸術の作品が展示してあります。東洋文化の作品もあります。<br />これは南蛮屏風です。1601-1610年頃の作品だと説明がありました。画面中央では、黒いマントをまとったイエズス会と茶色の僧衣を着たフランシスコ会の修道士が通りを歩き、新しく到着したポルトガル人を迎えています。

    2階には主に装飾芸術の作品が展示してあります。東洋文化の作品もあります。
    これは南蛮屏風です。1601-1610年頃の作品だと説明がありました。画面中央では、黒いマントをまとったイエズス会と茶色の僧衣を着たフランシスコ会の修道士が通りを歩き、新しく到着したポルトガル人を迎えています。

  • いつもの素敵な色合いの有田焼の茶碗も展示してありました。1701-1750年頃の作品だそうです。

    いつもの素敵な色合いの有田焼の茶碗も展示してありました。1701-1750年頃の作品だそうです。

  • 美術館は元の宮殿を利用しているので、展示室になっていない部屋も見学する事ができます。この部屋の内部装飾は綺麗です。この天井画はコンサートの場面を描いているのでしょうか。

    美術館は元の宮殿を利用しているので、展示室になっていない部屋も見学する事ができます。この部屋の内部装飾は綺麗です。この天井画はコンサートの場面を描いているのでしょうか。

  • 天井の隅の装飾です。

    天井の隅の装飾です。

  • 部屋の扉の上の装飾です。

    部屋の扉の上の装飾です。

  • 壁面の装飾です。

    壁面の装飾です。

  • 1階に下りました。この階の多くは絵画の展示室になっています。<br />ポルトガルの医学研究者、作家、画家であったアベル.サラザール(Abel Salazar:1889-1946)の1937年の作品で「夕焼けの市場」です。サラザールは、1935年に研究活動を行っていた大学から追放され芸術分野での活動に専念しました。肖像画、風景画、生活シーンなど幅広いジャンルの絵を描いています。

    1階に下りました。この階の多くは絵画の展示室になっています。
    ポルトガルの医学研究者、作家、画家であったアベル.サラザール(Abel Salazar:1889-1946)の1937年の作品で「夕焼けの市場」です。サラザールは、1935年に研究活動を行っていた大学から追放され芸術分野での活動に専念しました。肖像画、風景画、生活シーンなど幅広いジャンルの絵を描いています。

  • ポルトに生まれたジョアキン.ロペス(Joaquim Lopes:1886-1956)の1927年の作品で「ドウロ川での荷降ろし」又は「カイス.デ.ガイアの朝」です。ポルトのドウロ川のほとりでの日常生活のシーンを描いた作者による何点かの絵画の1つです。ロペスは、ポルト美術学校を修了しパリで印象派絵画を勉強しました。その後奨学金を得てスペイン、イタリア、フランス、オランダ、ベルギーを旅行しています。この絵はドゥエロ川の南岸、カイス.デ.ガイアから北岸を眺めています。左側にクレリゴス教会の鐘楼、中央少し右寄りの丘の上にグリロス修道院、右端にポルト大聖堂を描いています。

    ポルトに生まれたジョアキン.ロペス(Joaquim Lopes:1886-1956)の1927年の作品で「ドウロ川での荷降ろし」又は「カイス.デ.ガイアの朝」です。ポルトのドウロ川のほとりでの日常生活のシーンを描いた作者による何点かの絵画の1つです。ロペスは、ポルト美術学校を修了しパリで印象派絵画を勉強しました。その後奨学金を得てスペイン、イタリア、フランス、オランダ、ベルギーを旅行しています。この絵はドゥエロ川の南岸、カイス.デ.ガイアから北岸を眺めています。左側にクレリゴス教会の鐘楼、中央少し右寄りの丘の上にグリロス修道院、右端にポルト大聖堂を描いています。

  • アルトゥール.ホセ.デ.スーザ.ルーレイロ(Artur José de Sousa Loureiro:1853 - 1932)の1882年の作品「画家の妻の肖像」です。彼はポルト美術アカデミーで学んだ後ローマやパリで修行しました。1884年にオーストラリアに移住し1901年にポルトガルに戻っています。<br />このパネルでは、庭の一角で、背景にレンガの壁と地面に花壇がある近くで、女性が座って左にパレットを持っています。ロレイロはこの絵の中で、若い絵画の学生で彼のオーストラリア人の花嫁を描いています。

    アルトゥール.ホセ.デ.スーザ.ルーレイロ(Artur José de Sousa Loureiro:1853 - 1932)の1882年の作品「画家の妻の肖像」です。彼はポルト美術アカデミーで学んだ後ローマやパリで修行しました。1884年にオーストラリアに移住し1901年にポルトガルに戻っています。
    このパネルでは、庭の一角で、背景にレンガの壁と地面に花壇がある近くで、女性が座って左にパレットを持っています。ロレイロはこの絵の中で、若い絵画の学生で彼のオーストラリア人の花嫁を描いています。

  • 同じアルトゥール.ホセ.デ.スーザ.ルーレイロの1929年の作品「ネロ」です。ネロはこの犬の名前のようです。

    同じアルトゥール.ホセ.デ.スーザ.ルーレイロの1929年の作品「ネロ」です。ネロはこの犬の名前のようです。

  • スペインのガリシアに生まれたポルトガルの画家ルイス.ヴァレラ.アルデミラ(Luis Varela Aldemira:1895-1975)の1928年の作品「陰気」です。腕をテーブルに置き、交差させた手に顎を置いている若い女性の姿です。彼女の顔と視線は、物思いにふける態度で、右下に向けられています。左側の前景では、テーブルに置かれた食器、右の背景にはランプとボトルが描かれています。

    スペインのガリシアに生まれたポルトガルの画家ルイス.ヴァレラ.アルデミラ(Luis Varela Aldemira:1895-1975)の1928年の作品「陰気」です。腕をテーブルに置き、交差させた手に顎を置いている若い女性の姿です。彼女の顔と視線は、物思いにふける態度で、右下に向けられています。左側の前景では、テーブルに置かれた食器、右の背景にはランプとボトルが描かれています。

  • ポルトに生まれた女性画家ソフィア.マルティンス.デ.ソウザ(Sofia Martins de Souza:1870-1960)の作品「刺繡する女の子」です。ソウザは、ポルトとパリの美術アカデミーで絵画を学んだ後、ヨーロッパを旅し1901年にポルトガルに戻りました。彼女の主題は、肖像、風景、日常生活のシーンが含まれていました。

    ポルトに生まれた女性画家ソフィア.マルティンス.デ.ソウザ(Sofia Martins de Souza:1870-1960)の作品「刺繡する女の子」です。ソウザは、ポルトとパリの美術アカデミーで絵画を学んだ後、ヨーロッパを旅し1901年にポルトガルに戻りました。彼女の主題は、肖像、風景、日常生活のシーンが含まれていました。

  • 同じソフィア.マルティンス.デ.ソウザの作品「隅に座る少女」です。左の壁にあるのは、この絵画の唯一の人物です。椅子に座った赤いドレスの若い女の子が顔を右に向け、こちらを向いて、ほぼ横顔で描かれています。部屋の真ん中右側には、ベッドと椅子を備えたテーブルが配置されています。右側の部屋の隅と鉢植えの後ろには、女性の胸像が柱の上に立っています。右側の壁には、風景を描いた額入りの絵が飾られています。部屋の左半分を支配している大きな半開きのドアは、日光を内部に取り入れ、空間を外部に開き、赤い花が植えられた植木鉢と豊富な植生を備えた庭を見せています。

    同じソフィア.マルティンス.デ.ソウザの作品「隅に座る少女」です。左の壁にあるのは、この絵画の唯一の人物です。椅子に座った赤いドレスの若い女の子が顔を右に向け、こちらを向いて、ほぼ横顔で描かれています。部屋の真ん中右側には、ベッドと椅子を備えたテーブルが配置されています。右側の部屋の隅と鉢植えの後ろには、女性の胸像が柱の上に立っています。右側の壁には、風景を描いた額入りの絵が飾られています。部屋の左半分を支配している大きな半開きのドアは、日光を内部に取り入れ、空間を外部に開き、赤い花が植えられた植木鉢と豊富な植生を備えた庭を見せています。

  • パリで活躍した自然主義の画家ジョゼ.ジュリオ.デ.ソウザ.ピント(José Júlio de Souza Pinto:1856 - 1939)の1883年の作品「倒れたリンゴの木」です。

    パリで活躍した自然主義の画家ジョゼ.ジュリオ.デ.ソウザ.ピント(José Júlio de Souza Pinto:1856 - 1939)の1883年の作品「倒れたリンゴの木」です。

  • こちらも同じジョゼ.ジュリオ.デ.ソウザ.ピントの1906年の作品「不機嫌な女性」です。

    こちらも同じジョゼ.ジュリオ.デ.ソウザ.ピントの1906年の作品「不機嫌な女性」です。

  • ヘンリケ.セーザ.デ.アラウージョ.ポーゾン(Henrique César de Araújo Pousão:1859 - 1884)の1882年の作品「ナポリの少女」です。この画家もポルト美術アカデミーを修了した後奨学金を得てパリで学び、ローマ、ナポリ、カプリなどイタリア各地を旅しながら作品を製作しました。その後健康が悪化し25才の若さで他界しています。<br />彼女は壁にもたれ掛かり、右手を腰に左手を体の横に置いてタンバリンを持っています。人物はローマ周辺の典型的な衣装を着ています。その特徴は、頭の上に白いスカーフを折りたたんだ頭飾り、肩にプリントされたスカーフ、胸に交差した白いブラウス、袖を締めた白いブラウス、前腕と色付きのバンドが付いた刺繍入り黒いエプロンです。黒髪は目と額を完全に覆い、顔の下部だけが見えるように垂れ下がっています。

    ヘンリケ.セーザ.デ.アラウージョ.ポーゾン(Henrique César de Araújo Pousão:1859 - 1884)の1882年の作品「ナポリの少女」です。この画家もポルト美術アカデミーを修了した後奨学金を得てパリで学び、ローマ、ナポリ、カプリなどイタリア各地を旅しながら作品を製作しました。その後健康が悪化し25才の若さで他界しています。
    彼女は壁にもたれ掛かり、右手を腰に左手を体の横に置いてタンバリンを持っています。人物はローマ周辺の典型的な衣装を着ています。その特徴は、頭の上に白いスカーフを折りたたんだ頭飾り、肩にプリントされたスカーフ、胸に交差した白いブラウス、袖を締めた白いブラウス、前腕と色付きのバンドが付いた刺繍入り黒いエプロンです。黒髪は目と額を完全に覆い、顔の下部だけが見えるように垂れ下がっています。

  • こちらも同じヘンリケ.セーザ.デ.アラウージョ.ポーゾンの作品で「カプリの白い家」です。

    こちらも同じヘンリケ.セーザ.デ.アラウージョ.ポーゾンの作品で「カプリの白い家」です。

  • ジョアン.マルケス.デ.オリベイラ (João Marques de Oliveira:1853 - 1927)の1884年の作品で「働くお針子さん」です。この画家はポルト美術アカデミーを修了後1873年から6年間フランスに住み、ベルギー、オランダ、イングランド、イタリアにも旅をしています。彼の作風にはコローの影響が見られます。

    ジョアン.マルケス.デ.オリベイラ (João Marques de Oliveira:1853 - 1927)の1884年の作品で「働くお針子さん」です。この画家はポルト美術アカデミーを修了後1873年から6年間フランスに住み、ベルギー、オランダ、イングランド、イタリアにも旅をしています。彼の作風にはコローの影響が見られます。

  • 19世紀で最も偉大なポルトガルの彫刻家の1人と見なされているアントニオ.ソアレス.ドス.レイス(António Soares dos Reis:1847- 1889)の作品3点です。<br />この像は1872年にローマ滞在中に製作された作品で「郷愁の像」と名が付けられています。裸体の男性が波にさらされた岩の上に座っています。

    19世紀で最も偉大なポルトガルの彫刻家の1人と見なされているアントニオ.ソアレス.ドス.レイス(António Soares dos Reis:1847- 1889)の作品3点です。
    この像は1872年にローマ滞在中に製作された作品で「郷愁の像」と名が付けられています。裸体の男性が波にさらされた岩の上に座っています。

  • これは1881年の作品で「短い髪の少女の胸像」です。頭を少し前に傾け、ブラウスが少し乱れ、胸元が開いています。

    これは1881年の作品で「短い髪の少女の胸像」です。頭を少し前に傾け、ブラウスが少し乱れ、胸元が開いています。

  • これは1882年の作品で「少女」です。薔薇の花が入った籠を持っています。モデルは、アルメディナ伯爵夫人の娘だそうです。

    これは1882年の作品で「少女」です。薔薇の花が入った籠を持っています。モデルは、アルメディナ伯爵夫人の娘だそうです。

  • 海景画で特によく知られたジョアン.ヴァス(João Vaz:1859 - 1931)の1887年の作品「川に浮かぶ船」です。

    海景画で特によく知られたジョアン.ヴァス(João Vaz:1859 - 1931)の1887年の作品「川に浮かぶ船」です。

  • ポルトガルの自然主義の画家アントニオ.デ.カルヴァリョ.ダ.シルバ.ポルト(António de Carvalho da Silva Porto:1850 - 1893)の作品6点です。この画家はポルトで絵を学んだ後パリとローマで更に勉強を続けました。<br />これはビーチを描いた風景です。前景を埋め尽くす砂の上には、2人の漁師が広げた長い網を手入れしており、一人は海に面し、もう一人は鑑賞者に面しています。 その右側には、2隻の手漕ぎボートが陸に上げられています。 左側では、白い家が丘の上に建っています。濃い青の海は、地平線上に雲が立ち込める空に接しています。

    ポルトガルの自然主義の画家アントニオ.デ.カルヴァリョ.ダ.シルバ.ポルト(António de Carvalho da Silva Porto:1850 - 1893)の作品6点です。この画家はポルトで絵を学んだ後パリとローマで更に勉強を続けました。
    これはビーチを描いた風景です。前景を埋め尽くす砂の上には、2人の漁師が広げた長い網を手入れしており、一人は海に面し、もう一人は鑑賞者に面しています。 その右側には、2隻の手漕ぎボートが陸に上げられています。 左側では、白い家が丘の上に建っています。濃い青の海は、地平線上に雲が立ち込める空に接しています。

  • 1880年の作品の「漁師の浜」です。前景では船の船首が際立っており、大きさと色彩により砂浜と広大な空と対照的になっています。構図に割り込む船首が刻まれている中央の横帯には、他の船や地平線上に見える空間を占める家並みがより離れた場所に表現されており、ビーチと空を分けています。海は左側の小さな部分にまとめて表されています。右側に刻まれた船の部分に加えて、横顔で頭を鑑賞者に向けて砂の上に横たわっている少年の姿、そして近くに配置された砂の上の錨が目につきます。空は、フレームの半分以上を青のグラデーションで占め、上限に近づくにつれて強まります。

    1880年の作品の「漁師の浜」です。前景では船の船首が際立っており、大きさと色彩により砂浜と広大な空と対照的になっています。構図に割り込む船首が刻まれている中央の横帯には、他の船や地平線上に見える空間を占める家並みがより離れた場所に表現されており、ビーチと空を分けています。海は左側の小さな部分にまとめて表されています。右側に刻まれた船の部分に加えて、横顔で頭を鑑賞者に向けて砂の上に横たわっている少年の姿、そして近くに配置された砂の上の錨が目につきます。空は、フレームの半分以上を青のグラデーションで占め、上限に近づくにつれて強まります。

  • これは1877-1878年頃の作品「壊れた壺」です。壁を背景にした、女性の幼い姿です。少女の右腕は体に沿って伸び、手は赤い布を持っています。彼女は左腕を上げ、手を耳に当てています。彼女は典型的なイタリアの服を着ており、白いブラウス、黒い胴着、肩に色のついたスカーフ、幅の広いバンドが付き腰と裾に刺繍が施された黒いエプロンを着けてます。首の周りのビーズのネックレスもこの典型的なイタリアの衣装を完成させます。

    これは1877-1878年頃の作品「壊れた壺」です。壁を背景にした、女性の幼い姿です。少女の右腕は体に沿って伸び、手は赤い布を持っています。彼女は左腕を上げ、手を耳に当てています。彼女は典型的なイタリアの服を着ており、白いブラウス、黒い胴着、肩に色のついたスカーフ、幅の広いバンドが付き腰と裾に刺繍が施された黒いエプロンを着けてます。首の周りのビーズのネックレスもこの典型的なイタリアの衣装を完成させます。

  • こちらも同じ頃の作品で伝統的なイタリアの服装の若い女性の胸像です。彼女は頭にベージュのスカーフを被り、それは肩から落ちる黒髪を部分的に覆っています。彼女は丸いネック.ラインの白いシャツを着ており、肩には明るい色のスカーフを着ています。彼女はまた、イタリアの衣装、イヤリング、ビーズのネックレスの伝統的なアクセサリーを身に着けています。

    こちらも同じ頃の作品で伝統的なイタリアの服装の若い女性の胸像です。彼女は頭にベージュのスカーフを被り、それは肩から落ちる黒髪を部分的に覆っています。彼女は丸いネック.ラインの白いシャツを着ており、肩には明るい色のスカーフを着ています。彼女はまた、イタリアの衣装、イヤリング、ビーズのネックレスの伝統的なアクセサリーを身に着けています。

  • これは1893年の作品「収穫」です。地平線まで伸びる黄金色の色合いで、絵画の面積の3分の2を占める広大な刈り取られた畑が表現されています。前景には、2人の女性が働いています。1人は左側に立っており、正面から見て頭を右に向け小穂の束を腕に抱え、長い丸いスカート、プリント.ブラウス、ヘッド.スカーフをつけています。同じような服を着て、エプロンが追加された2人目の女性は前屈みになり、地面にある束を拾います。空は構図の3分の1を占め、均一な青いトーンで構成され、小さく、あまり密集していない、集中した雲によってアニメーション化されます。

    これは1893年の作品「収穫」です。地平線まで伸びる黄金色の色合いで、絵画の面積の3分の2を占める広大な刈り取られた畑が表現されています。前景には、2人の女性が働いています。1人は左側に立っており、正面から見て頭を右に向け小穂の束を腕に抱え、長い丸いスカート、プリント.ブラウス、ヘッド.スカーフをつけています。同じような服を着て、エプロンが追加された2人目の女性は前屈みになり、地面にある束を拾います。空は構図の3分の1を占め、均一な青いトーンで構成され、小さく、あまり密集していない、集中した雲によってアニメーション化されます。

  • これは1877年の作品で「カプリのコスチューム」です。伝統的なイタリアの服装の若い女性の胸像です。 ピンクがかった白の背景に、浅黒い肌の女性が描かれています。彼女は襟を下に向けたベージュのブラウスを着て、暗赤色のスカーフが頭を包み、髪を覆っています。背景や衣服の色調と明るさ、そして人物の肌の色との間に顕著なコントラストがあります。

    これは1877年の作品で「カプリのコスチューム」です。伝統的なイタリアの服装の若い女性の胸像です。 ピンクがかった白の背景に、浅黒い肌の女性が描かれています。彼女は襟を下に向けたベージュのブラウスを着て、暗赤色のスカーフが頭を包み、髪を覆っています。背景や衣服の色調と明るさ、そして人物の肌の色との間に顕著なコントラストがあります。

  • ロマン主義時代のポルトガルとスイスの画家オーギュスト.ロケモン(Augusto Roquemont:1804 - 1852)の1838-1842年頃の作品「宗教行列」です。この画家はスイスに生まれ、パリに留学し1818年から9年間イタリアのローマ、ボローニャ、フィレンツェ、ヴェネツィアで芸術的な修行をしました。そして1828年にポルトガルに移住しポルトで亡くなりました。<br />この絵は、ギマランイスのノッサ.セニョーラ.ダ.マドレ.デ.デウスの丘の上の礼拝堂から曲がりくねった小道を下る行列を表現しています。行列の先頭に立つのはドラマーのグループで、その後に行列の十字架を持った赤いガウンを着た男の子が続きます。ギマランイスは、ポルトの北西にある町です。ポルトガル王国初代国王アフォンソ1世が当地で誕生していることから、ポルトガル発祥の地、ポルトガル王国の発祥地と呼ばれています。

    ロマン主義時代のポルトガルとスイスの画家オーギュスト.ロケモン(Augusto Roquemont:1804 - 1852)の1838-1842年頃の作品「宗教行列」です。この画家はスイスに生まれ、パリに留学し1818年から9年間イタリアのローマ、ボローニャ、フィレンツェ、ヴェネツィアで芸術的な修行をしました。そして1828年にポルトガルに移住しポルトで亡くなりました。
    この絵は、ギマランイスのノッサ.セニョーラ.ダ.マドレ.デ.デウスの丘の上の礼拝堂から曲がりくねった小道を下る行列を表現しています。行列の先頭に立つのはドラマーのグループで、その後に行列の十字架を持った赤いガウンを着た男の子が続きます。ギマランイスは、ポルトの北西にある町です。ポルトガル王国初代国王アフォンソ1世が当地で誕生していることから、ポルトガル発祥の地、ポルトガル王国の発祥地と呼ばれています。

  • 絵画の鑑賞を終え、宮殿の中庭を少し歩いてみる事にしました。中庭への入り口がある赤いの壁の下部に描かれたアズレージョの壁画の一部です。

    絵画の鑑賞を終え、宮殿の中庭を少し歩いてみる事にしました。中庭への入り口がある赤いの壁の下部に描かれたアズレージョの壁画の一部です。

  • 美術館を出てカルモ教会に入りました。カルモ教会は別名カルモの聖母教会で、17世紀前半に建てられた跣足カルメル会教会の東隣りに18世紀後半にバロック/ロココ様式で建てられました。

    美術館を出てカルモ教会に入りました。カルモ教会は別名カルモの聖母教会で、17世紀前半に建てられた跣足カルメル会教会の東隣りに18世紀後半にバロック/ロココ様式で建てられました。

  • 主祭壇を少し拡大しました。祭壇の中央に神の子羊が明るく照らされています。

    主祭壇を少し拡大しました。祭壇の中央に神の子羊が明るく照らされています。

  • 主祭壇手前の天井画です。キリストの復活の場面です。墓を守る兵士は眠りこけています。天使が見守る中、キリストは墓から昇天して行きます。

    主祭壇手前の天井画です。キリストの復活の場面です。墓を守る兵士は眠りこけています。天使が見守る中、キリストは墓から昇天して行きます。

  • キリストの復活で思い出したのがピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca:1412 - 1492)のこの作品です。堂々としたキリストが墓から立ち上がって復活しています。この絵画はトスカーナ州の東の端にある町サンセポルクロ市立美術館にあるフレスコ画です。

    キリストの復活で思い出したのがピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca:1412 - 1492)のこの作品です。堂々としたキリストが墓から立ち上がって復活しています。この絵画はトスカーナ州の東の端にある町サンセポルクロ市立美術館にあるフレスコ画です。

  • 西隣りにある跣足カルメル会教会にも入りました。こちらもバロック/ロココ様式で建てられています。

    西隣りにある跣足カルメル会教会にも入りました。こちらもバロック/ロココ様式で建てられています。

  • 教会の主祭壇です。

    教会の主祭壇です。

  • カルメリッタス通りの北側にある書店レロ.エ.イルマオンです。今日は場所の確認だけにしました。

    カルメリッタス通りの北側にある書店レロ.エ.イルマオンです。今日は場所の確認だけにしました。

  • もう一度カルモ教会に戻り壁面のアズレージョをよく見る事にしました。

    もう一度カルモ教会に戻り壁面のアズレージョをよく見る事にしました。

  • 中央の大きなスペースには、11世紀末に創設されたカルメル会の物語を描いています。カルメル会は、現在のイスラエルにあるカルメル山で出現したカトリックの修道会です。もともとはカルメル山の聖母マリアの兄弟の会と呼ばれていました。

    中央の大きなスペースには、11世紀末に創設されたカルメル会の物語を描いています。カルメル会は、現在のイスラエルにあるカルメル山で出現したカトリックの修道会です。もともとはカルメル山の聖母マリアの兄弟の会と呼ばれていました。

  • 大勢の人が集まる左側を拡大しました。

    大勢の人が集まる左側を拡大しました。

  • 窓の右側には、雲上で幼子を抱く聖母マリアが描かれ、その近くに「私の兄弟愛のしるし」とラテン語で付記してあります。<br />

    窓の右側には、雲上で幼子を抱く聖母マリアが描かれ、その近くに「私の兄弟愛のしるし」とラテン語で付記してあります。

  • カルモ教会と左に隣接する跣足カルメル会教会のファサードです。右側のカルモ教会の玄関扉の両側にある2つの壁龕には、最も代表的な2つの騎士団のモデルである預言者エリヤとエリシャの像が収められています。ファサードの上部屋根には、4人の福音書記者の像が立っています。左側の跣足カルメル会教会のファサードは、丸いアーチのある3つの入り口があり、その上の同数のニッチには、中央にサン.ホセ、両側にサンタ.テレサ.デ.イエス、ノッサ.セニョーラ.ド.カルモの像があります。ファサードの左側に鐘楼があり、単色の青いタイルで覆われ、球根形のドームを被っています。

    カルモ教会と左に隣接する跣足カルメル会教会のファサードです。右側のカルモ教会の玄関扉の両側にある2つの壁龕には、最も代表的な2つの騎士団のモデルである預言者エリヤとエリシャの像が収められています。ファサードの上部屋根には、4人の福音書記者の像が立っています。左側の跣足カルメル会教会のファサードは、丸いアーチのある3つの入り口があり、その上の同数のニッチには、中央にサン.ホセ、両側にサンタ.テレサ.デ.イエス、ノッサ.セニョーラ.ド.カルモの像があります。ファサードの左側に鐘楼があり、単色の青いタイルで覆われ、球根形のドームを被っています。

  • カルモ教会の東側から北の方向にカルロス.アルベルト広場を望みます。広場の中央には、エンリケ.モレイラ(Henrique Moreira:1890-1979)による彫刻作品である第一次世界大戦の死者の追悼碑が立っています。

    カルモ教会の東側から北の方向にカルロス.アルベルト広場を望みます。広場の中央には、エンリケ.モレイラ(Henrique Moreira:1890-1979)による彫刻作品である第一次世界大戦の死者の追悼碑が立っています。

  • カルモ教会から道路を渡ったポルト大学の北側を歩いています。これは大学の前の広場にあるライオンの噴水です。

    カルモ教会から道路を渡ったポルト大学の北側を歩いています。これは大学の前の広場にあるライオンの噴水です。

  • ポルト大学の東側にある三角形のリスボア広場の中を通ってグレリゴス教会の西端の近くにやってきました。写真の左端にあるのは教会の鐘塔の下部です。

    ポルト大学の東側にある三角形のリスボア広場の中を通ってグレリゴス教会の西端の近くにやってきました。写真の左端にあるのは教会の鐘塔の下部です。

  • クレリゴス教会に入りました。教会内部は、珍しく縦方向に長い楕円形になっていて、奥行きがあるが幅が狭い内陣が付いていて、その両側に聖歌隊席、その上方にパイプ.オルガンが設置してあります。これは内陣の正面にある主祭壇です。

    クレリゴス教会に入りました。教会内部は、珍しく縦方向に長い楕円形になっていて、奥行きがあるが幅が狭い内陣が付いていて、その両側に聖歌隊席、その上方にパイプ.オルガンが設置してあります。これは内陣の正面にある主祭壇です。

  • クレリゴス教会ファサード前からクレリゴス通りを東に望みます。

    クレリゴス教会ファサード前からクレリゴス通りを東に望みます。

  • 通りの南側を拡大しました。赤い矢印の先は宿泊するホテルの我々の部屋です。

    通りの南側を拡大しました。赤い矢印の先は宿泊するホテルの我々の部屋です。

  • 午後5時、ホテルに帰って着ました。我々の部屋は4階の北西の角部屋です。部屋に入って西側のベランダ側から室内を眺めています。部屋の北側、写真の左側には二つのベランダが付いています。

    午後5時、ホテルに帰って着ました。我々の部屋は4階の北西の角部屋です。部屋に入って西側のベランダ側から室内を眺めています。部屋の北側、写真の左側には二つのベランダが付いています。

  • 北側隅のベランダ側からベッドを望んでいます。ベッドのヘッド.ボードの上は大きな鏡があり、その鏡に部屋の北側が写っています。

    北側隅のベランダ側からベッドを望んでいます。ベッドのヘッド.ボードの上は大きな鏡があり、その鏡に部屋の北側が写っています。

  • 机の上の電気スタンドと部屋の北側です。この部屋で残念なのは、寛ぐソファーとテーブルのセットがなかった事です。

    机の上の電気スタンドと部屋の北側です。この部屋で残念なのは、寛ぐソファーとテーブルのセットがなかった事です。

  • 部屋の入り口です。

    部屋の入り口です。

  • バスルームから右に部屋の入り口、左の奥にトイレが見えています。

    バスルームから右に部屋の入り口、左の奥にトイレが見えています。

  • 洗面台は一人分です。

    洗面台は一人分です。

  • バス.タブです。カーテンではなく大きなガラスなので使い勝手が良かったです。

    バス.タブです。カーテンではなく大きなガラスなので使い勝手が良かったです。

  • トイレにはビデも付いています。

    トイレにはビデも付いています。

  • 部屋から日が落ちた街並みを眺めます。我々の部屋は最上階の4階にあります。北側のベランダからクレリゴス通りの西の方向を望んでいます。この通りは、右の方向への一方通行で、市電も走っています。通りの西の奥にクレリゴス教会が見えます。

    部屋から日が落ちた街並みを眺めます。我々の部屋は最上階の4階にあります。北側のベランダからクレリゴス通りの西の方向を望んでいます。この通りは、右の方向への一方通行で、市電も走っています。通りの西の奥にクレリゴス教会が見えます。

  • クレリゴス通りの東の方向を眺めます。通りの北側に、南北に長いリベルダーテ広場の南端が見え、その広場の東端には照明に浮き上がったサント.アントーニオ.ドス.コングレガードス教会が写真の右側に見えています。

    クレリゴス通りの東の方向を眺めます。通りの北側に、南北に長いリベルダーテ広場の南端が見え、その広場の東端には照明に浮き上がったサント.アントーニオ.ドス.コングレガードス教会が写真の右側に見えています。

  • 拡大してみました。右はサント.アントーニオ.ドス.コングレガードス教会で、左の青白い照明の建物はBBVA銀行のビルです。

    拡大してみました。右はサント.アントーニオ.ドス.コングレガードス教会で、左の青白い照明の建物はBBVA銀行のビルです。

  • 西側のベランダから南西の方向にラルゴ.ドス.ローヨス通りを望んでいます。この通りの西側は、写真のように緑地帯が設けられています。

    西側のベランダから南西の方向にラルゴ.ドス.ローヨス通りを望んでいます。この通りの西側は、写真のように緑地帯が設けられています。

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