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2019/09/19
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タリン市トラム1系統(Baltijaam→Linnahall)
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エストニア旅行記パート32!旅行7日目、快晴のタリン旧市街観光編の続きです。
トームキリクの見学後トームペアのトイレがどこも大混雑な為一回ホテルに戻りトイレと荷物整理をしたあと再度スールランナ門からタリン旧市街へ。KGB博物館、タリンロシア博物館、大ギルド会館を見学してラエコヤ広場に向かいます。
快晴のタリンは景色も良く何より建物が映えて美しかったです。
それではパート32!始まります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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トームキリクを出てみると教会の脇に屋台が出ていました。地元の伝統的なお菓子を売っている、ということの様です。
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9月中旬ですがもう日本では晩秋というような気温ではありましたがミツバチが試食用のナッツに何匹が来ていました。ナッツにハチミツを絡めたお菓子ですが、ハチミツ味以外にも果物のエキスを入れて味を付けている物もあるそうです。
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ここでナッツを売っていた店員さんです。民族衣装・・・ではないと思いますが、まだそこまで寒くないのにずいぶんと厚着でしたね。
ミツバチが来ると手で追っ払っていました。
ちなみに翌日にセーターの壁周囲でもこの人が売っていたのでタリン旧市街を廻って販売しているのだと思います。 -
オレンジ味のナッツと水を購入しました。ある意味水のほうが欲しかったのかな。結局ナッツはお土産として持って帰り自宅で食べました。甘くて美味しかったですよ!
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トイレに行こうとしてもトームペアのトイレは行列と化していたのでホテルに戻ることにしました。途中初日に訪れたコフトウッツァ展望台を通るとすごい人だかり・・・。やっぱり旧市街の中心部は人気ありますね。
コフトウッツァ展望台 建造物
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大勢の観光客の間から撮影したのがこの風景。やっぱ美しいです。
中国人観光客が多く何か中国語で話しかけられましたが英語で中国語はわからないと返したら去っていきました・・・。コフトウッツァ展望台 建造物
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人だかりになっていたのはこのグループが記念撮影をしていたのもあるみたいです。
何のグループなんだろう?調べても不明でした。コフトウッツァ展望台 建造物
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イチオシ
初日にも撮影しましたがせっかくなのでこの日も撮影。本当に絵になる展望台です。
コフトウッツァ展望台 建造物
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この立派なレンガ造りの建物は1868年に完成したもので現在はエストニア科学学会の本部として利用されています。利用している団体の性質上中の見学はされていませんが、門の中に入り建物を見ることは出来ました。
エストニア科学学会 建造物
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パットクリ階段を降りてホテルへと戻ってきました。ホテルが近いのでこういうときは楽です。シュネリ公園にあるトイレは開いていましたがここまで戻ってきたのでホテルのトイレを使います(笑
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買ってきたものなどをホテルに置き再度出発。裏口があるのですぐに外に出れるので助かります。ちょうど2階のホテル入口にはGoRailの切符窓口がありその待合室として使われているのかベンチが置いてありました。
このベンチ、たぶんですがソビエト製の列車の椅子だと思います。ソビエトの車両のボックスシートはこんな感じでした。Go Hotel Shnelli ホテル
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ホテルの別館入り口、というよりGoRailの国際線切符購入窓口横にあった写真。
モスクワ行き列車を特殊撮影したんですかね。面白い写真でした。Go Hotel Shnelli ホテル
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バルト駅とトーム公園、そして旧市街方面は横断歩道もあるのですが地下道もありこちらなら信号を気にせず渡ることが出来ます。そしてこの通路、駅構内にも出口があるのでそういう点では使いやすいのだと思います。そんなに高さがなく狭いですが夜でも怖さを感じることはなかったです。
中の写真は最終日のパート39で登場予定です。 -
バルト駅ではおばあさんがハトにえさをあげていました。群がる数がすごかったです・・・。
タリン駅 駅
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どうやって旧市街に向かうか考えたのですが、スールランナ門付近のKGB監獄博物館を見学してから旧市街メインストリートのピック通りを北上しようと思い再度リンナハール停留所へ向かうことにしました。
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リンナハール停留所で降りて再びふとっちょマルガレータの横のスールランナ門から旧市街へと入っていきます。
ふとっちょマルガレータ (海洋博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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先ほどは城壁近くの道を見学しましたが今度はメインストリートのピック通りを進みます。
2日目のパート14で紹介した三人姉妹の建物です。今日は天気も良いので綺麗に撮れました。三人姉妹 史跡・遺跡
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聖オレフ教会の裏手を通り南に進んでいきます。
路上駐車も多いですが、この木々とタリンの街並みはすごく良い感じです。 -
最初の目的地にたどり着きました。中央に写っている入口は目立たないですが、KGB博物館になっています。
建物は独立回復後リノベーションされていますが、1940年からNKVD、KGBがエストニアにおける資本主義・民族運動を弾圧するために利用していたビルです。KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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渡り廊下で繋がっている右手の建物は現在エストニア共和国内務省のビルとなっています。その為かEU旗が掲げられています。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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一見すると博物館が入っているとはわからないこのドア。元々ここでKGBが活動していると知られてはいけないので、タルトゥのKGB監獄博物館同様わかりにくい出入り口に成っています。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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入って一番最初の部屋ではサンドアートで間接的にここでどれだけの事が行われいたのか暗示する映像が流れていました。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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ビルはロシア帝国領だった1912年にオフィスビルとして建てられ、エストニア共和国独立後は政府のビルとして使われていたこともあるそうです。タリン旧市街に位置するため独立時代は華やかな役回りを演じてきたそうです。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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ビルとエストニア共和国の歴史が写真入りプレートで解説されています。言語はエストニア語、ロシア語、英語で表記されていて、ロシア語と英語はほぼ同じ内容で書かれていました。
元々KGBの為に造られたビルではありませんが、地下室は監獄の雰囲気が非常に強く出ていました。 -
殺風景な取調室。ソビエト占領下でここで多くの人が取り調べられシベリアへと送られていったそうです。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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元々独房として造られた物ではないからか、もしくはここで当初取り調べられたのは閣僚級の人物だからか、NKVD・KGBの収容所にしては広い造りと感じました。もっともここに一人を収容していたわけではないと思いますが・・・。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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トイレのマークがありましたが、ここは博物館としてのトイレなのか、KGBの収容所としてのトイレなのか・・・。引っ張ってみましたがドアは開くことなかったです。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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KGBがどのようなことをおこなったのかを表す絵が展示されていました。非常に痛ましい物も多いのですが、まだ見ることが出来る1枚をアップしました。この写真でも「まだ見ることが出来た」1枚です。壮絶な絵もありました。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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「平和にとってあなたは何が最も大切だと思いますか?」という問いかけとそれに対するここを訪れた人の回答が貼られていました。英語と日本語で回答している人もいて、日本人もここに来る人結構居るんだなと思いました。
私も私なりの回答を書かさせてもらいましたが、平和な日本で暮らしている私がこんな事を書いて良いのかと思ったり・・・。
とはいえエストニアでも私の年代の人はソビエト占領下の時代を知らないですし、ヨーロッパの多くの人もそれを知らないので、まあこういうところで書くことで意見を表明するのも大事なのかなと思いました。KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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入口に置いてあった看板です。KGBがエストニアでどのような存在だったかがわかると思います。
KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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リノベーションされたこともあってここで凄惨な拷問が行われたことなどまったく感じさせない建物になっています。
それでも1940年代から60年代にかけてここで行われてきた事は事実で、未来へと残していかないと行けないと感じます。KGB強制収容所 博物館・美術館・ギャラリー
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スウェーデン統治下の1670年代にアクセル・フォンローゼンの邸宅として建築された建物を現在は在タリン・スウェーデン大使館として利用されています。
この建物はスウェーデン統治下で建築された数少ないタリン旧市街の建物とのこと。それを聞いたとき「もうそのころの建物はあまり残っていないんだな」と思いましたが、実際は「スウェーデンの支配下に入った頃にはタリン旧市街はほぼ完成していて新しい建物を建てる必要がなかった」ということだそうです。今のタリン旧市街がいかに古い町かがわかります。 -
祠と木々とベンチが少しあるこの広場、フォートラベルではグリーンマーケットとなっていますが謂われが未だにわからず・・・。数ヶ月前にパート13でも登場しその時から調べているんですが・・・。
グリーンマーケット 広場・公園
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次の目的地はこのタリンロシア博物館です。フォートラベルに登録申請したのは自分なんですがエストニア語名のTallina Vene Muuseumに成ってしまいましたが日本語表記だとタリンロシア博物館になります。
ロシア帝国時代のタリンにおける文化や教育などについての展示がメインでした。当時の教育がロシア語だったからというのもあるんですが、タリンとロシアというより教育関係中心でしたね。Tallinna Vene Muuseum 博物館・美術館・ギャラリー
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解説はエストニア語・ロシア語メインで場所によっては英語もあるという感じです。19世紀末から20世紀初頭のタリンの学校で制服が導入されたことに関する賛否を説いています。
当時のエストランド州(現在のエストニア北部)、リーフラント州(現在のエストニア南部・ラトビア北・中部)では識字率は75%程あり、首都サンクトペテルブルク55%程度、最大都市モスクワの40%程度に比べ極めて高い水準でロシア帝国でもっとも教育が進んだ地域でした。Tallinna Vene Muuseum 博物館・美術館・ギャラリー
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「権力と学校」ということで1940-41年の占領者が変わる時代にどのようにタリンでの教育が行われたかが書かれています。
国として小さいのでどうしても動乱の時代には主体的な動きは難しかったようです。Tallinna Vene Muuseum 博物館・美術館・ギャラリー
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タリンロシア博物館を出て次に向かう博物館は同じくピック通りにある大ギルド会館です。1410年に建築された建物で1920年までギルドという商人による組合の会館として使われたあと、現在はエストニア歴史博物館として使われています。
大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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タリンはハンザ同盟の商業都市として栄えた時期も長いですが、その一方どこかの国の首都や中心都市になることはなく、異民族に支配された歴史を非常に長く持ちます。とは言え中央集権が進んだのは近代に入ってからなので、長い間商人が非常に大きな力を持って統治していました。ギルドがもっとも古くに記載された文献は1363年だそうです。
今で言うところの商人組合のようなギルドですが、それ以上の力を持っていた集団でした。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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展示物の中にはタッチパネル式のものもありエストニアの世界地図もありました。これは世界地図をアップして撮影した。エストニア語で書かれた日本付近の地図です。エストニアはヨーロッパの国では珍しく北朝鮮を国家承認していない=朝鮮半島全域を大韓民国が統治するが反乱組織がその北半分を占拠しているという国ですが地図の上ではPOHJAKOREAと表記されています。
大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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過去にエストニアで使われた紙幣(ロシア帝国ルーブル、エストニア共和国クローン、ソビエトルーブル、エストニアクローン)が雑多に展示されていました。
支配国が頻繁にかわったり、独立回復後もユーロ導入したりと紙幣はかなりの種類になっていました。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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古代のエストニアで造られていたものだそうです。パルヌ川沿岸で発掘されたとあったかな・・・。
他にもソビエト占領下の日用生活品なども展示されていました。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ピアノと椅子がありコンサートホールとしても利用することがあるような感じでした。会場広いし音響とか使いにくそうですけど・・・。
大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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大ギルド会館は地下にも展示室がありむしろ地下の方が展示が多くなっています。
タリンの歴史や民俗についていろいろな展示がありました。
この地下室は元々商人達が輸入などで購入したワインなどの保管庫だったそうです。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ギルドの歴史や当時の街並みの復元や、この写真の左奥に見えるように当時のワインを入れる容器なども展示されていました。
アップする枚数考えてあまり紹介できないですが、地下室は広さはあまりないもののかなりの分野の展示品があり見応えありました。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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中世の3インチ砲です。
ちっちゃいですね。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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左から1300年の鎖帷子、1550年の甲冑、1700年の軍服、1915年の鉄製ヘルメット、ガスマスク、楯だそうです。
戦闘時の格好の進化を表していますが、どこの国とは表記されていませんでした。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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中世から近代にかけて利用された銃が展示されていました。
違いがよくわかりません(´・ω・`)。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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武器のコーナーだけでもこの展示量・・・。銃だけでなくサーベルなどもおいてありました。
この時期のエストニアは独立国でなくスウェーデンやロシアに支配されていたわけですが、それも含めてエストニアの歴史!という気概を感じます。大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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地下の体験工房みたいなところでは地元の小学生の社会科見学でしょうか、学芸員に指導されながら何かを作っている途中でした。
大ギルドの会館 (エストニア歴史博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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次の訪問場所はここ、精霊教会です。とは言え大ギルド会館から出てすぐなんですけどね。1300年頃には既に存在していた記録があり、1370年には尖塔が出来おおむね今の形になったという教会です。
暗くて少しわかりにくいですが側面の壁に円の中に矢印が見えるものがありますが、これはタリン最古の公衆時計でいまでも時間を刻み時計として使われています。聖霊教会 寺院・教会
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トームキリクがトームペアにあり貴族階級の人への教えを中心としていたのに対し、こちらは庶民の救済を行っていた庶民の教会でした。中の雰囲気もニグリステ教会やトームキリクに比べおとなしい雰囲気があります。
聖霊教会 寺院・教会
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イチオシ
精霊教会の主祭壇はニグリステ教会に展示されている「死のダンス」と同じくリューベックの画家ベルント・ノトケにより制作されたものだそうです。
こちらは戦中に疎開していたのかは不明ですが、当時のままの教会に今でも主祭壇として祀られています。
エストニア最古の教会、庶民の教会というのがわかる佇まいでした。聖霊教会 寺院・教会
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柱や側面に絵が多く展示されていますが、この教会が建築された頃は聖書はラテン語で書かれており庶民はそれを読めません。その為聖書に出てくる場面場面を絵に描きそれを神父様が説明することでキリスト教の教えを布教していったと言われています。
聖霊教会 寺院・教会
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エストニアに当初入ってきたキリスト教はカトリック、その後宗教改革でルーテル教会が多数派になりました。聖ビルギッタ女子修道院やタルトゥトームキリクなど宗教改革で廃墟となった教会は多いのですが、この精霊教会は昔の姿のままに当時にの資料なども残っています。
ちなみにこの精霊教会はドイツ語でのミサが基本だったエストニアのルーテル教会で初めてエストニア語でミサを行った教会でもあります。聖霊教会 寺院・教会
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実は現在のエストニアの宗教で一番多いのは「無宗教」とされています。これはヨーロッパでは非常に珍しいですが、別に教会そのものに敵意を持っているとかではなく神を信じていないだけです。その為これからもこの教会は維持されてエストニアでの教会設立の歴史を残していくのでしょう・・・。
無宗教に関してだけではなくエストニア人と日本人は文化的に非常に似ています。本音と建て前とか屋外で大声で話さないとか・・・。あまりエストニア人ってハグもしませんし。聖霊教会 寺院・教会
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お土産屋&両替所です。旧市街内に何カ所かこの2がセットになっているところがありました。ただ今はクレジットカードやキャッシングでユーロが手にはいるので両替はあまり利用されている雰囲気はなく、旧通貨のエストニアクローンやソビエトルーブルをお土産として売っている以外普通のお土産屋と変わりありませんでした。
ちなみにヴィルケスクスの両替所ではスコットランドポンドが両替出来るようになっていましたが、ここでは出来ない感じでした。 -
両替所の横の狭い通路を抜けてくるとラエコヤ広場に出てきました。2日目に来たときは大雨の中で閑散としていましたが、平日でもタリン観光の中心地なので賑わっていました。
ラエコヤ広場 広場・公園
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ラエコヤ広場に並ぶ様々な建物達。1500年代の物が多いのでたくさんの時代を眺めて来たことになります。
ラエコヤ広場 広場・公園
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イチオシ
晴れ渡っているとこんなに美しい姿と賑わう人々を見ることが出来ます。
Tere Eesti 2019年9月エストニア7泊10日の旅-13
https://4travel.jp/travelogue/11572168
の土砂降りの様相とはまったく違うラエコヤ広場の景色を見れました。
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旅行記グループ Tere Eesti 2019年9月エストニア7泊10日の旅(7日目~10日目)
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