2019/09/13 - 2019/09/22
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エストニア旅行記パート33!7日目の旧市街散策の午後から夕方編になります。
前のパートでラエコヤ広場に到着したあとラエコヤ広場に隣接する現存するヨーロッパ最古の薬局、市議会薬局で中世の薬の原材料や道具を見学し、旧市庁舎の尖塔へ。115段の螺旋階段を上り下りするのは相当にきつかったけど、古来からのタリンの中心から見渡す景色は絶景でした。
その後エストニア料理の代表的なお店、オルデハンザへ向かいかなり遅い昼食を食べようとしますが、まさかの店員さんが日本語を話せるという嬉しいハプニング(扉写真の方です)。料理について詳しい説明を聞きながら注文できたので、どんなものがエストニアの料理かということを知ることが出来ました。
その後は旧市街から徒歩で新市街へ行き、無料のエストニア銀行博物館でエストニアの貨幣経済について学びました。この博物館、無料だけど本当に展示が充実していました。
初日のトラブルでSDカードを利用できる量が減っていたためSDの残量が気になってきていましたが、ついに撮影可能枚数が足りなくなり現地調達でSDカードを購入したのもこのパートになります(笑
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ラエコヤ広場に来た後はこのお店に寄ってみました。ラエコヤ広場に面した市議会薬局は記録に登場した1422年には既に三代目の店主になっていた薬局で、全ヨーロッパで一番古い薬局として現在も営業しています。
薬局として営業しているので市販薬やハンドクリームなども扱っていて、観光客がいろいろと買い求めていました。市議会薬局 史跡・遺跡
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観光目的で購入するわけではなくてもお店に入ることが出来ます。奥の棚には様々な薬の材料が置かれていました。
効果は確かだったようでロシア帝国時代にはロシア皇帝がここの薬を求めに使者をサンクトペテルブルクから派遣した記録もあるそうです。市議会薬局 史跡・遺跡
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中世にはこのようなものを調合して薬として使っていたのでしょう。薬の他にも火薬や日用品、そして今ではエストニア名物になっているマジパンもここで売られていたそうです。
マジパンは今でも過去も失恋の薬と言われていたそうで、出発前その話を友人にLINEでしたら「食べてこーい」と言われてしまいました(´・ω・`)市議会薬局 史跡・遺跡
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これで材料を碾いて粉末して薬にしていたのでしょうね。現役の薬局に中世の道具が展示されている、やはりヨーロッパ最古の薬局というだけありますね。
市議会薬局 史跡・遺跡
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市議会薬局を出て次はタリン旧市庁舎の塔に登っていきます。入口は非常にわかりにくいですが、一番東側のファザードのところにあります。
この塔は夏季のみ解放されています。ラエコヤ広場 広場・公園
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下の方に帰るときの写真を載せますが、タリン旧市庁舎の塔も螺旋階段で昇降するため結構な体力を使います。最初は一人で登っていったんですが途中で高齢で大柄のドイツ人に追いついてしまいそこからはゆっくりと話しながら登っていきました。
聖オレフ教会と精霊教会の尖塔、眼下にはラエコヤ広場が広がっていました。タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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この日は初日と並ぶ天気の良さで、この快晴の日に塔に登れたのは良かったです。
この時期のタリンは雨の日が多く実際こちらに来てから雨にはかなり悩まされたのですが、この景色を最高の天気で見られたのは幸せでした。タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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タリン旧市庁舎から西側のニグリステ教会やトームペアを見てみました。比較的低地の旧市庁舎からトームペア方面に向かって丘陵になっているのがよくわかります。
エストニア自体は非常に人口密度が低い国ですが、タリン旧市街は相当人口密度が高そうですね。タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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この塔の高さは64mで、いま居る展望台は高さ34mです。
こちらはタリン旧市街南部と新市街が見えます。旧市街の南部は旧市街の中では遅い時期に街が形成されていて、スウェーデン時代末期からロシア帝国時代のものが多いです。1800年代半ばに城壁が撤去されている場所も多く、城塞都市というよりはドイツ北部の都市に似た雰囲気になっています。タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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鐘を観光客がならすことが出来るので結構みんな付いていました。
鐘の大きさはそんなに大きくないですが、いい音が鳴っていました。タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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塔の上の展望台は非常に狭いです。広角で撮ってもこんな感じでこのとき5人居たはずですがほとんど身動き取れない状態でした。そして下からもどんどん上がってくると言う・・・。
タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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そんなわけで滞在時間短めで下っていきます。見晴らしは良かったんですけどね。
他の塔と同じく螺旋階段での昇降です。タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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ただひたすら回転しながら下っていきます。行き違いになる場所はあまりないのでロープを持ちながら器用に行き違いをする必要がありました・・・。
タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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ここが入口です。右側の入口はエストニア料理店のドラーコンへの入口でした。
入口横の人が受付です。タリンカードを出そうと思ったらタルトゥのバスカード出しちゃって、これはタリンカードじゃありませんと言われて気付きました。もう結構疲れていたんだなあ(笑タリン旧市庁舎 史跡・遺跡
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降りた後にタリン旧市庁舎の尖塔を撮影してみました。この頂上まで螺旋階段で上ったって考えると割とすごいなあと。
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既に3時を過ぎていたのでかなり空腹でしたが、ちょうど中心部に居ることですし時間的にも空いている時間なのでせっかくなら有名料理店言ってみようかな、と思いエストニア料理の代表的なお店「オルデ・ハンザ」に入ることにします。
オルデ ハンザ 地元の料理
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観光地タリン旧市街で一番有名なエストニア料理のお店。ってことで各国の言語でのメニューが置いてあります。
オルデ ハンザ 地元の料理
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日本語のメニューもあります。エストニア語や英語表記がないので元々どんな書かれ方をしていたのかはわかりませんが、なかなかユニークな料理名もあります。
オルデ ハンザ 地元の料理
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外でこの写真を撮った直後でした。「もし何かわからないことがありましたら質問してください。」と流ちょうな日本語で言われて、一瞬頭の中であれ?いま日本語?誰?と振り返ったら民族衣装を着たエストニア人の方がいました。たぶん顔に「?????????」という文字が出ていたのでしょう、「驚かしてしまってごめんなさい。中の席も空いていますので案内しましょうか?」と言われてそのまま案内されました。
まあ元からエストニア来たら一回はオルデハンザに行こうと決めていたので全然構わないんですがまさかここまで日本語流ちょうな店員さんがいるとは思いませんでした。オルデ ハンザ 地元の料理
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照明はろうそく~。こういうところも中世らしい雰囲気出しています。
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注文した水と食器が運ばれてきました。
ちなみに注文も日本語で質問しながらで炭酸抜きの水を頼んだときも「日本と違って水も有料なんです」と説明してくれました。日本語だけでなく風習もわかっているようで質問すると2年ほど日本に滞在していたそうですがまったく問題なく意思疎通出来ました。
正直日本で働いている外国人の店員さんの一般的な日本語力より遙かに高かった・・・。多少イントネーションは妙な所ありましたけど正直すごいなあと。オルデ ハンザ 地元の料理
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店員さんが日本語を話せる為メニューについていろいろ詳しく聞けました。そんななかで注文したのが「伯爵キノコのスープ」と「リンゴと蜂蜜パイ アーモンドミルク添え」でした。
スープにもパンが付くことや、今の時間にメインディッシュを食べてしまうと夜食べるのが大変になるよ、などといろいろアドバイスをしてくれて助かりました。
スープにパンを浸して食べても良いんですが、バターも美味しかったのでバターで食べる方が多かったです。オルデ ハンザ 地元の料理
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こっちが「リンゴと蜂蜜パイ アーモンドミルク添え」です。アップルパイも甘くて美味しいんですがアーモンドミルクが本当に甘くて美味しかったです。スープも美味しかったけどこっちのが美味しかったかな。アーモンドミルクを残さず食べました。
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2階にも座席がある様子でした。暗いのと一番手前の席に案内され奥に行くことがなかったので細かい構造はわからず。
でもかなり凝った内装でした。 -
描かれている絵もデンマーク国旗をモチーフにした楯が描かれていたり中世タリンをイメージしたものになっています。
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店内は中世のハンザ都市をイメージした造りになっています。壁紙や内装だけでなく、テーブル、椅子なども雰囲気を合わせ統一されています。
オルデ ハンザ 地元の料理
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レジの機械も中世っぽい雰囲気を出していますが、普通にクレジットカード決裁も使えるお店です。他のお店同様自分で端末にカードを差し、PINコード打ち込んで承認します。
オルデ ハンザ 地元の料理
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この方が日本語を話す店員さんです。写真撮らさせて欲しいとお願いしたときも「日本人の方によく頼まれるので大丈夫ですよ、わかりました」と返してくれました。日本語で会話は通じるのですがお礼は「Tänan teid väga」と返しました。精一杯のエストニア語ですし、発音もあっているかわかりませんでしたが、「どういたしまして、また来てくださいね」と返してくれたので通じた様でよかったです。
こんな遠い国でもこうやって日本の文化に興味を持って話してくださる人がいるというのは嬉しいことです。
旅行記を書いていてふといまどうしているのか気になってしまいました。エストニアも現在厳戒態勢で観光地は完全封鎖の状態です。店員さんもお店も無事でいてくれると良いんですが・・・。オルデ ハンザ 地元の料理
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ちなみにオルデハンザは店外でこうやって屋台でもお土産を売っていたり、店舗の横で店舗で使っている食器を販売したりと店内の料理以外でもいろいろやっていますのでエストニアらしさを体感するにはすごく良いお店だと思います。
観光地なのにエストニア料理の店はほとんど無い時点で、エストニア料理とはどんなものか推測できてしまうわけですが、オルデハンザはなかなか美味しかったです。オルデ ハンザ 地元の料理
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午前中に買った物とほぼ同じ物を買ってしまいました。けどこっちの方が「エストニアの本来の伝統料理の味」だそうです。
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1912年にリガ商業銀行のタリン支店のビルとして建てられた建物で独立後もエストニアの銀行として利用された建物です。独立回復後にホテルとして改装され利用されています。
なかなか好きな形の建物でした。なんとなく雰囲気が違うのはリガの銀行が建築したからでしょうか。 -
パート13でもこの建物の前を歩いているのですが、土砂降りで良い写真があまり無かったのもあり掲載していませんでした。
旧市街の中では異質のソビエトを感じるこの建物は1955年竣工のKinoSõprusという映画館で現在でも映画館として現役で使われているそうです。
タリン旧市街南部はソビエトの空襲で燃えてしまったところもあり、この時期の建築と言うことはその跡地に建てられたのでしょう。Kino Soprus 劇場・ホール・ショー
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土砂降りの2日目に写真を撮った煙突掃除夫の像です。
前回と違い雨の無い中でみることが出来ました。
二日目に見たときの旅行記はこちら↓
Tere Eesti 2019年9月エストニア7泊10日の旅-13
https://4travel.jp/travelogue/11572168煙突掃除夫の像 モニュメント・記念碑
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パルヌ通りに面したこの家?ビル?は見たとき正直驚きました。
地震がない国とは言えこんなものが出来るとは・・・。なかなか面白い建物ではありますけどね。 -
旧市街と新市街の境のパルヌ通りを通るTondi行きのトラム。このトラムは在来型のタトラ社のKT4を更新して延命を図った車両で、この更新工事を請けた車両はKT4TMという形式になり塗装もレトロ調のものになっています。ちなみに車両毎にエストニアの政治家の名前が付けられていて、こちらはコンスタンティン・パッツ元大統領の名前が付いています。
車内もロングシート化や床材の張り替えなどほぼ新車同様の更新になっています。
残念ながら私は旅行中乗る機会はありませんでした。 -
新市街のエストニア劇場とソラリスの間のエストニア通りにやってきました。
次の目的地はこの写真の右手にあるのでそちらに向かっていきます。
エストニア広場はバスターミナルになっているということもありいつも混んでいました。 -
そして目的地に到着。オルデハンザから旧市街を抜けてこの建物へやってきました。
ただいま16:30、時間的にも本日最後の観光になります。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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EESTI PANGA MUUSEUM(エストニア銀行博物館)です。
無料で見学ができ特に受け付け等があるわけではなく、自分で展示室のある2階まで上がっていく形でした。
閉館が17:00だったので入れるか不安でしたが、入場も閉館まで出来るようです。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ちょっと上手く撮れませんでしたがドアを開けて入場するとすばらしい天井のあるホールの中を螺旋階段を上り博物館に向かいます。
ロシア帝国末期の1904年建築の建物だそうです。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館に入ると二人の像が並んでいました。右の人物はヤコプ・フルトでロシア帝国時代のリヴォニア、今のポルヴァ県に産まれた民族運動家で10クローン紙幣に肖像画として利用されました。
左はルドルフ・トビアスでロシア帝国時代のヒーウマー島で産まれの音楽家でエストニア人初のプロ作曲家です。トビアスは50クローン紙幣に肖像画が利用されています。
この博物館に展示されている人形は全てクローン紙幣に肖像画が使われた人物のようです。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1992年にソビエトルーブルから変更され2010年末まで使用されたエストニアクローン(EEK)紙幣です。1クローンから2、5、10、25、50、100、500クローンが発行されましたが、1クローンは早期に発行停止になっていました。
地球の歩き方2003年版をみると1EEK=8.16JPYだそうです。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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こちらは1992年発行の1クローン札のデザインです。表面はクリスチャン・ラウトという画家の肖像画が、裏面はトームペア城が描かれています。クリスチャン・ラウトはロシア帝国時代に今のレーネヴィル県で産まれ、ミュンヘンで学んだ画家でした。ナチスドイツ占領時代の1943年にタリンで亡くなっています。
エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ソビエト占領下で使用されたソビエト・ルーブルです。今でも所定の場所で交換が出来るエストニアクローンと違い現在はソビエトルーブルは交換出来ません。ただ逆にプレミアの付くお土産にはなっているようですが・・・。
この写真ではわからないですが、ロシア語で書かれている一方通貨単位は各構成共和国の言語でも書かれていました。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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戦中の1941年から1945年にかけて使われた、エストニアソビエト社会主義共和国内でのみ利用できた地域通貨のルーブル紙幣です。ただナチスドイツに占領されていた時期もあるのでルーブルが使えた時期、地域は少ないと思います。
1946年にソビエト連邦で通貨が変わりそれ以降は上の写真の物が使われました。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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エストニア銀行は1989年に事実上ゴズバンク(ソビエト中央銀行)から独立し、ソビエトからの独立回復後1992年にソビエトルーブルを廃止しエストニアクローンをエストニアで唯一の通貨としました。その際にソビエトルーブルをエストニアクローンに両替するように呼びかけるポスターです。
エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ユーロ紙幣は各国共通の物が使われていますが、硬貨に関しては裏面は発行国によって異なっていて、全てのユーロ発行国の裏面が並べてありました。エストニア銀行発行のものはエストニアの国土とEESTIという文字が刻まれています。
旅行中クレジットカード利用が中心でそんなに硬貨に触れる機会はなかったのですが、エストニア発行のものだけでなくドイツ・イタリアなどの硬貨もお釣りとしてよく出てきました。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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タリン証券取引所をもして造られたコーナーの様でした。TALLINNとTOKYOの時計があります。
世界中にタリン・東京の時間が並んでいる場所ってほとんどないと思います(笑)。ひょっとしたらここだけかも。 -
市況ニュースが流れていました。出ている情報をみるとかなり前のものの様ですが・・・。
2011年3月頃なのかな・・・。日経がかなり低いですが東日本大震災の直後ですね。 -
小学生などへの教育施設も兼ねていて、社会科見学などで児童が訪れて体験することも多いそうです。そのためかこういう子供向けのものも数が多くありました。
エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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世界共通の顔出しパネルなどもありました。
展示室手前が資料展示などになっていて、奥はこういうスペースが多くある形です。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1904年建築なので元々エストニア銀行の建物として建築されたものではないですが、天井の高さもある立派な展示室でした。
現在のエストニア銀行はこの建物の横にある新館で業務を行っています。
この博物館は無料ですが非常に展示が充実していた他、無料のリーフレットも内容が豊富で勉強になりました。全然日本では知られていないスポットですが、エストニアの貨幣の歴史を知るには非常に良いスポットです。
ただ英語表記が無い場所もあるのがちょっと難点かなあ。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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一瞬カウンターの奥に誰かいるのかと思いました(笑
どうやら人形の様です。
このエストニア銀行博物館に滞在中観光客とは一人も会うことなく、閉館間際に職員の人が片付け作業に来ただけでした。アジア人がこの博物館に来ることはほとんどないそうで相当に驚かれました。英語表記あまり無くてごめんなさいと謝られましたが、少しエストニア語の単語を知っているから大丈夫と答えたらすごく喜ばれました。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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誰の人形かと思いましたがナルヴァ出身の世界的チェスプレイヤーであるパウリ・ケレスの人形でした。亡くなられた後にエストニアが独立を回復し、1992年発行の5クローンの表面に肖像画が描かれていました。ちなみに5クローンの裏面はナルヴァ川を挟んだナルヴァ城、ヤーニリン(ロシア名・イヴァンゴロド)城が描かれていて、当時エストニアはヤーニリン地区はエストニア領として返還を求めていた為ヤーニリン城も描かれたのだと思います。
ケレス・パウリについてと彼の若い頃の像はナルヴァ観光編のパート22でも記載しています。
Tere Eesti 2019年9月エストニア7泊10日の旅-22
https://4travel.jp/travelogue/11579182エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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展示室の見学を一通り終え最後に案内にそって下っていくと過去にこの建物がエストニア銀行の本館として扱われていた時代に金庫として機能していた部屋に入ることが出来ました。
階段を下って向かっていきます。エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これがその金庫です。金庫の中にも小さい金庫があるような状態でしたがそこは開いていませんでした。当時はエストニアではユーロが導入されて折らずクローンという通貨が流通していましたが、この部屋には高額のクローンが大量に置かれていたのだと思います。
エストニア銀行博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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エストニア銀行博物館見学後は隣接するソラリスにやってきました。ここは2階でLidoの入口のあたりです。本屋だけではなく雑貨も売っているAPOLLOでSDカード売っているかと思ったら売っていなかった・・・。
奥の階段を上っていくと日本料理店Tokumaruに入れます。初日は地下の持ち帰り店で食べましたが、こちらの方がしっかりとしたテーブルで食べれそうです。ソラリス ショッピングセンター
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ソラリスの地下一階でもエストニアの通貨に関する展示をしていました。2日目にTokumaruTakeAwayに来たときにはなかったのでその後設置されたのだと思います。。
1919-2019でどのように通貨や生活は変わったかというエストニア中央銀行の展示の様ですが、たまたま銀行博物館に来た後に見ることが出来てすごく良かったです。ただしここは完全にエストニア語オンリー。なんとか知っている単語で読んでいましたが時間がかかりすぎるので撮影して帰国後に辞書引いたり検索したりして解読しました(笑 -
1919年と2019年の通貨の価値やその補償方法に書かれていました。
タイトルは「中央銀行の資産は金の価値で保証されている」だと思います。1919年の通貨単位はエストニアマルクでした。 -
この100年で生活が変わったか・・・ということの様ですが、このパネルが一番解読難しかったです。
製品の材質や作っている場所が書いてあるようです。 -
1919年から1941年までの通貨の移り変わりです。当初エストニア共和国ではエストニアマルクを利用していましたが、1928年にエストニアクローンと名称を変え新通貨を導入しています。クローンは現在でも使われているスウェーデンクローネやチェココルナと同じくラテン語の「コロナ」を語源としています。
このご時世非常に縁起の悪い言葉ですが、本来コロナは王冠を意味するラテン語です。 -
SDカードはヴィルケスクスのショップで買うことが出来ました。12.90ユーロなので約1570円。日本でも購入できるサンディスクだしこの値段ならOKかな。ちなみにサンディスク、パナソニックの2社の物が置いてありました。日本人?それならパナソニックもおいてあるよと店員さんに言われましたが、いやサンディスクで良いですってやりとりがありました(笑
初日にヘルシンキでSDが一枚使えなくなっていこう綱渡りだったんですがこれで大丈夫そうな感じになりました。
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