2019/09/13 - 2019/09/22
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かるあみるくさん
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この旅行記のスケジュール
2019/09/20
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電車での移動
タリン市トラム1系統(Baltijaam→Kadriorg)
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エストニア大統領公邸
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カドリオルグ公園日本庭園
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この旅行記スケジュールを元に
エストニア旅行記パート35です。
ついに7日目、この日で朝から晩までタリンで過ごせるのは最後の日です。計画段階ではエストニアで7日は長いかな、とか思っていましたが全然そんな事無くむしろもう1週間くらい居たかったなと思っていた7日目です。
この旅行記では二日目に土砂降りでしっかり見れなかったカドリオルク公園と遠くから見ただけのルサルカ像を見学します。
カドリオルク公園にあるエストニア大統領公邸での衛兵交代式やラスナマエにあるパエ公園、カドリオルク公園に戻ってピョートル大帝のコテージ、日本庭園なども見学しました。
途中トイレのドアが閉まらない・・・というハプニングもありましたが、現地の人の温かさに助けられたりもしました。
この旅行記は2日目のパート09・10と重なるところも結構ありますのでもしよろしければそちらもごらんになってください。
Tere Eesti 2019年9月エストニア7泊10日の旅-09 +ホテルの朝食について
https://4travel.jp/travelogue/11566966
Tere Eesti 2019年9月エストニア7泊10日の旅-10
https://4travel.jp/travelogue/11567240
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅行7日目、郊外のカドリオルク公園に向かうために既にトラムの中です。バルト駅停留所で直通のトラムが最初に来たのでラッキーでした。
中央の建物はエストニアメソジスト教会です。
だいぶ疲れなのか起床や準備が遅くなってホテル出発は9時20分頃でした。 -
トラムの中はHobujaama停留所あたりまではかなりの混雑でしたが、それ以降徐々に降りていきカドリオルク公園に着く頃には座れるくらいになっていました。車内にはカドリオルク公園に向かう高校生がたくさんいました。彼らも案内を受けながらカドリオルク公園で見学をしていたので社会科見学的な何かかもしれないです。
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本日ここまで連れてきてくれたのはタトラ社の中間車挿入なしで未更新のKT4でした。近いうちに退役になるとは思いますが、塗装は綺麗ですし内装も古さは感じない良い車両でした。
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トラムはこのカドリオルク停留所が終点ですが、折り返すわけではなくループ線になっていて途中に駅があるため引き続き乗車することも出来ます。2日目にカドリオルク公園に来たときは左側の道から来ていましたが、トラムはその道に入り大回りしてループしていきます。
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カドリオルク公園の入口に直角に通る道はJポスカ通り。この道の先の方に帝国末期から独立初期にかけての政治家、ヤーン・ポスカの家が一般非公開の博物館になっています(パート9にほぼ同じ事書いてます・・・)
手前の道にはレールがあり、現在こちらはトラムは通っていないのですが、ループ線の一角とポイントで接続しているので以前はこちらへもトラムが通っていたのかもしれません。 -
今日は穏やかな天気の中カドリオルク公園に来れて良かったです。ロシア帝国下で造られた公園ですがヨーロッパ風の庭園になっています。
この右側にヤーン・ポスカの像があったようなんですが気付かずに素通りしてしまって残念・・・。郊外の自然あふれる公園。 by かるあみるくさんカドリオルク公園 広場・公園
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この池は白鳥の池と言われ季節によっては白鳥が飛来するそうです。池は1723年の時点で既に造られていて、それから長い間タリン市民の憩いの場として使われていたそうです。凍結する冬場にはここでスケートが行われたとか。
池の中央の建物は1930年代半ばに池の周囲がリニューアルされた時に造られたものだそうです。ちなみにこの小島は1741年に造られた相当古い物です。郊外の自然あふれる公園。 by かるあみるくさんカドリオルク公園 広場・公園
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2日目に土砂降りの中を歩いたこの道も朝陽の中だと雰囲気はまったく異なります。そういえば2日目は道路の反対側を歩いていましたね。
郊外の自然あふれる公園。 by かるあみるくさんカドリオルク公園 広場・公園
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カドリオルク宮殿もあの土砂降りよりやっぱり晴天が美しいですね。ただ晴れると早朝は逆光になってしまうので、この向きを美しく撮るのには夕方でしょうか。
前日夜にイベントを行っていたようで、なにやら撤収の為の車や作業員がたくさん居ました。カドリオルグ美術館 (カドリオルク宮殿) 博物館・美術館・ギャラリー
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朝陽を浴びるポセイドン像。ポセイドン様は雨の天気の方が調子が良いのかな??
カドリオルグ美術館 (カドリオルク宮殿) 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
やっぱり晴れているとすごく可愛らしくて綺麗です。
この光景を見れたので晴れている日に再訪して良かったなと・・・。
ちなみにこちらは朝が順光ですごくいい光線で撮ることが出来ました。カドリオルグ美術館 (カドリオルク宮殿) 博物館・美術館・ギャラリー
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カドリオルク宮殿のすぐ北東側、2枚上で掲載したポセイドン像の後ろにある壁の向こうにはエストニア大統領公邸があります。1937年にアラール・コトリの設計によってコンスタンティン・パッツ初代大統領の公邸として建築されました。その後のソビエト占領時代にカドリオルク宮殿同様荒廃しましたが独立回復後に元の輝きを取り戻しました。エストニアは議院内閣制を採用していて実権は首相が持っており大統領は儀礼的な役割のみの役職ですが当然ながらエストニアの元首になります。ケルスティ・カリユライド大統領はこの後約1ヶ月後の即位礼正殿の儀に来日し参列、安倍首相と首脳会談を行っています。
ツイッターで地下鉄での移動をアップして話題になっていました。 -
ちょうど衛兵の交替の時間でした。どうやら1時間おきに行われているようで見学者も10人ほどいました。
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イチオシ
2~3分で交替の式典は終了。ビデオを撮影していたので写真として載せられるのはこれくらいです。
衛兵の交替というとイギリスや台湾が有名ですが、そのあたりの様な素晴らしいというものではないですが、まったく情報無くたまたま出くわした形だったので満足でしたし良い物がみられました。 -
この建物はクム美術館。2006年にオープンした新しい美術館で、建物自体もタリンに多い石灰岩と銅を混合して造ったものを外壁に使い変わった形をした美術品だそうです。
エストニア美術を多く展示しているわけではないのと時間かかってしまうので見学せずになりました。クム美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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クム美術館の脇にある階段を上り高台にやってきました。階段の段数割とあってしんどかったです。エストニアは平らな国なんですけど、ラスナマエ地区は少し高台になっていてその端になるところです。大昔はこの崖までタリン湾が広がっていたとか。
ちなみにこの階段はカタリーナ(Katariina)階段と呼ばれていて、これはエカテリーナのエストニア語読みになります。 -
そして階段を上った所にもクム美術館の入口がありました。石灰岩の断層にそって建てられた美術館なのでこういう構造なんだと思います。新しい建物なのでバリアフリーは進んでいるんでしょうが、中の移動も大変なのかもしれません。
クム美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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クム美術館横を登った所から少し歩いていくとラーグナ通りを渡る陸橋があります。この通りは4日目にナルヴァへバスで向かった際に通った道なのですが、エストニアでは珍しく片側3車線(手前4車線に見える場所はバス停です)の高規格道路です。
クム美術館のところでも記載しましたしこの後訪れる公園も石灰岩の採石場あとなのですが、タリンは石灰岩の土地になっていてこのラスナマエ地区も石灰岩の土地になっています。そこを堀割で通した道路なので断面はずいぶんと迫力があります。 -
アップして撮影をしてみました。ヴィルホテル周辺からトラムで10程、そこから10分程度の距離を歩いただけですがタリン新市街のビルが随分遠くに感じます。
手前の森はカドリオルク公園の南側で、このあたりにはサッカーなどで利用されるカドリオルク競技場があったりします。 -
道路の反対側にはソビエト占領下で造られたフルシチョフカが現存しています。
この道路は1970年代後半、モスクワオリンピックの直前に造られた道路ですが崖の処理は日本の様にしっかりと法面強化はしていない様子です。 -
この筋交いの様な独特の塗装をされている建物はラスナマエ区役所です。タリンは日本で言うところの政令市の様な8つの地区にわかれていてそれぞれに役所が置かれています。
ラスナマエ地区の中心はさらに東側ですが、ラスナマエの中でも西よりの場所に区役所が設置されていました。 -
ラスナマエ区役所を過ぎるとパエ公園という池と原っぱが広がる公園にやってくることが出来ました。パエというのはこの地域の名称です。
この湖は採石場のあとに出来た人造湖で2011年にパエ湖と名付けられました。同じ時期に上記のラスナマエ区役所やパエ公園も整備されています。
ちなみに森と湖の国のエストニアですがパエ湖はタリン市ではウレミステ湖と西部のハリュ湖に次ぐ大きさの湖です。採石場あとに出来た新しい公園 by かるあみるくさんPae park 広場・公園
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こちらがパエ公園の案内です。
元々採石場だった場所を再開発して造られた公園でまだ出来て9年ほどなので木々も高さが低くこれから綺麗な公園になるのかなと思います。広さはかなり広く、反対側に抜けるとウレミステ地区のすぐ側に出ることが出来る広場です。採石場あとに出来た新しい公園 by かるあみるくさんPae park 広場・公園
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公園として整備された時にかけられたと思われる斜張橋が架かっていました。公園内の施設ではありますが、池を渡り南北に公園を抜ける大事な通路の様です。
平日昼間なのであまり人出はなかったですが、ランニングをしている人が時々ここを通っていました。採石場あとに出来た新しい公園 by かるあみるくさんPae park 広場・公園
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遠くにラスナマエの団地群が見えます。ラスナマエは1970年代後半、モスクワオリンピックの直前に大規模開発を行われた地区でフルシチョフカより高層の団地が多く建ち並んでいます。元々ソビエトの意向で開発された地区で、モスクワオリンピックに伴う開発でロシアから移住してきた人々が多く住むロシア人居住区域で地区内はロシア語話者が多数を占める場所になっていて、日本外務省の情報でもエストニアの中では危険区域と言うことになっています。EU加盟あたりでいくらか緩和されましたが、独立当初は1940年以前にエストニアに居なかった人とその子孫には相当厳しい条件をクリアしない事にはエストニア国籍を取得出来ない政策を取っていたので無国籍者で所得の低い人が多く治安が悪いと言われていました。
採石場あとに出来た新しい公園 by かるあみるくさんPae park 広場・公園
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ソビエト占領下で建てられたこの様な団地も現在はリノベーションされ新しくなっています。治安に関してはパート20で訪れているコプリは大きく改善されていますが、ラスナマエは今でもあまり良くないらしいです。それでも他のエストニアに比べるとと言うことで諸外国の様な状況ではないですが・・・。
ちなみにラスナマエには開発されるまえには飛行場がありました。ソビエト占領下では軍用基地として利用されていたそうですが、既に利用していなくなったこともありモスクワオリンピック前の開発で跡形もなくなっています。区画整理なども行われたので日本の鹿児島や熊本の様に地図からたどるのは不可能です。採石場あとに出来た新しい公園 by かるあみるくさんPae park 広場・公園
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逆光でちょっとわかりにくいですが向こうに見える灯台はタリン灯台でフィンランド湾からタリンへ入港する船に向けての案内を行っている灯台です。元々は木製で1835年に造られ、現在の石造りのものは1896年に造られたもので現役の灯台として今も活躍しています。
ちなみに灯台の東側に見えている小型機はタリンウレミステ空港から離陸したもので、機影と時間からトランスアビアバルティカのカルデラ行きだと思います。採石場あとに出来た新しい公園 by かるあみるくさんPae park 広場・公園
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タリン中心部からそう距離もなく、タリンの中でも人口の多いラスナマエ地区に位置する公園ですが人も少なく閑散としていました。平日だからっていうのもあるのかもしれないですが、歴史有る公園というわけでもなく観光客が来ることはあまり無いはずなので土休日に地元の人たちで賑わうのかもしれません。
ラスナマエ地区の公園と言うことでエストニア語・ロシア語の並列表記も多く、そういう点でも観光地という雰囲気ではありませんでした。採石場あとに出来た新しい公園 by かるあみるくさんPae park 広場・公園
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再びラーグナ通りの陸橋を渡りカドリオルク公園へと戻ります。今回は行きと反対側の歩道を通っています。
高規格道路の奥に見える巨大な団地群。なんとここから奥行き6kmほども団地が建ち並んでいます(南北はだいたい2km程)。この道路はタリン市内のナルヴァ街道のバイパス道路でラスナマエ地区の開発時に造られたものです。エストニアは車社会なので人口の多いタリンでは車通りはかなり多いです。 -
以前は中央分離帯に降りられたようですね。今は花壇として整備されていて一般人は入れない雰囲気でしたが、整備する際にはここから降りていくのでしょうね。
ソビエトの道路の構造として中央分離帯部分にガソリンスタンドやパーキングエリアを設置する事がありますが、以前はここに何かが施設がありそこへの出入りに塚wれたのかもしれません。 -
クム美術館の上まで戻ってきました。秋の空がいい感じに広がっています。ただこの日は日差しこそ出ていましたが日本では晩秋の感覚ですね。
奥のオブジェもなんらかの美術品だと思います・・・。クム美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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カタリーナ階段を降りてクム美術館の前まで戻り、その反対側にあるこの建物に向かいます。まあ先に行っても良かったんだけど、ラスナマエ地区をこの目で見ておきたかったのでパエ公園に先に行ってきました。
この建物はピョートル大帝がカドリオルク宮殿が出来る前に利用していたタリンでの離宮で中ではピョートル大帝と妻のエカテリーナ1世に関する物が展示されていました。ピョートル大帝夫妻がタリンで過ごしたコテージ by かるあみるくさんピョートル大帝の小屋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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玄関を開けると階段を数段下り部屋に入ります。左端にちょこっと写っているのはとても親切にいろいろと解説してくれた受付の女性です。
ピョートル大帝は2mを超える大男でしたが、この天井だと常にかがんでないと頭をぶつけてしまいそうです。というかぶつけます。明らかに設計間違ってない?って思いましたが、受付の方の説明では元々ピョートル大帝の物ではなく、タリン市(当時はレファル市)で保有していたコテージだったそうです。ピョートル大帝夫妻がタリンで過ごしたコテージ by かるあみるくさんピョートル大帝の小屋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ピョートル大帝とその妻でピョートル大帝の崩御後女帝となるエカテリーナ1世の肖像画が飾られています。ピョートル大帝は交戦国のスウェーデンとの距離的な事もありタリンに離宮を建築しましたが、エカテリーナがリヴォニアの使用人とも妾とも奴隷とも言われる出自の為出身地に近いタリンを好んだのではとも言われています。
エカテリーナの出身地は今でもはっきりされず、リヴォニアという事はほぼ確定していますが現在のラトビア東部とかタルトゥ近郊とかいくつかの説があります。ピョートル大帝夫妻がタリンで過ごしたコテージ by かるあみるくさんピョートル大帝の小屋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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寝室にある二人のベッドの前にそれぞれの肖像画が飾られていました。
ピョートル大帝夫妻がタリンで過ごしたコテージ by かるあみるくさんピョートル大帝の小屋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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内装や家具なども出来る限り当時を再現しているそうです。当時のロシア帝国はヨーロッパの国の中では後進国で大北方戦争後やっと列強諸国が領事を置くようになったばかりという状況の国力だったからかは不明ですが、ピョートル大帝がこんな質素なコテージに宿泊していたというイメージがあまりわかないですよね。
ピョートル大帝夫妻がタリンで過ごしたコテージ by かるあみるくさんピョートル大帝の小屋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ここは執務室であり会食の場だったそうです。1年のうち1~2ヶ月は建設されたばかりの新都サンクトペテルブルクではなくここで過ごしたとのことです。
ピョートル大帝夫妻がタリンで過ごしたコテージ by かるあみるくさんピョートル大帝の小屋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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正面から見てもずいぶん小さなコテージです。短い時間とはいえここをロシアの皇帝が離宮としていたのはイメージしにくいですね。1600年代後半に造られピョートル大帝が購入して使用しましたが、ピョートル大帝の死後はあまり使われることなく荒廃したそうです。1804年ロシア皇帝のアレクサンドル1世がタリンを訪問した際にその状況に心を痛め保護するように伝え保存が始まり、1806年からは博物館として利用されているそうです。
ピョートル大帝夫妻がタリンで過ごしたコテージ by かるあみるくさんピョートル大帝の小屋博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ピョートル大帝の博物館からカドリオルク公園を北側へと向かっていきます。
歴史ある公園ですがカドリオルク美術館やその周辺以外の場所、特に北側は郊外の自然公園の様な佇まいが広がっていました。 -
このあたりはピラパル広場と案内図には記載されていました。ヒラパルで検索するとハリュ県東部の村が出てきますがあまり関係はなさそう・・・。
普通の自然公園に見えて実は1700年代に造成されたものが原型を留めている場所もあるそうです。 -
突然ですがカドリオルク公園日本庭園のそばにある有料トイレです。20セントを入れるとドアが開き使えるんですが・・・、お金を入れてドアは開いたんですが閉まらず。??と思ってドアを手で締めれば鍵閉まるのかなと思って閉めようとしたんですが重い(電動だからね)。もう20セント入れれば良いのかなと思いつつ、壊れていたら無意味だな、どうしようと途方に暮れていると公園管理の男性が通って調べてくれました。
それで、壊れているから使えないね、ドアを外から閉めておくよと言ってくれたのでお礼を言って中に入り、用を足して出ようとするとずっと外で抑えてくれたことがわかりました。僕は最初閉めればそのまま閉まるものだと思っていて、まさかずっと締めていてくれているとは思っていなかったので・・・。
お礼を伝えてチップを渡そうとしたんですが固辞されました。しっかり管理できていない私たちがむしろ謝罪をしなければいけない、と言われてしまいました。
繰り返しお礼をお伝えしてお別れをしました。
その後下の日本庭園を見学している際に工具を持った人たちが来て配電盤を開けて修理をしてしばらくするとトイレはドアが閉まっていました。あのおじさんが手配したんだと思います。あまりエストニアのトイレで困ることはないと言われるくらい管理されているので迅速な対応をしているんだと思います。
正直私は運が悪かったのだと思いますが、何回も有料トイレ使ってもトラブルはありませんでしたし、綺麗なトイレも多くしっかり管理されていました。
ちょっとあれな話ですが、エストニアに来て2日目よりお腹の調子はあまりよくありませんでした。水道水は使っていなかったのですが、水の問題か食事の問題か他の問題かはわかりません。ただ帰国してすぐに収まったのでエストニアの何かが影響していたのだとは思います。 -
カドリオルク公園にはなんと「Jaapaniaed」日本庭園があります。京都にある曽根造園という会社の代表の曽根将郎さんという方がデザインした庭園です。2011年にオープンし2018年まで整備を続けられたそう。
調べてみると京都にあるお寺の庭園の管理なども行っている、その世界では有名な方の監修の様です。 -
当たり前ではありますが日本庭園とは言え基本的にある木々はエストニアに元々生えている木々です。いくらか日本から持ち込まれたものもありますが、どんな感じに調和しているのか期待してしまいます。
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日本庭園の脇の苔むす岩に観音像の様なものが埋め込まれていました。
気になって近づいて見てみると・・・。 -
これは「広島の被爆敷石」で案内によると1945年8月6日、爆心地の北側200mほどの地点にある相生橋付近の市内電車に使われていた敷石で、平和を願う婦人像を敷石に彫り世界に贈ったものの一つだそうです。
これが贈られたのは1991年8月6日と記されていたので既に事実上エストニアは独立を回復していた時期でこの2週間後にモスクワでクーデターが起き完全独立、1ヶ月後の9月6日に日本はエストニアを国家承認しました。 -
日本庭園を制作するときに使われた図面、というよりイメージ図でしょうか。
庭園の一角に展示されていました。日本で作ったものをそのまま展示したらしく、漢字で曽根造園と書かれたものでした。 -
松などはまだ小さい木なので目立たないです。まだ出来て数年の庭園なので、もう少し時間が経ってくるとさらに見応えが出てくるのかもしれません。
10年くらい経ってからまた来たいなあ(笑 -
庭園には何カ所かにイメージ図のデッサンが展示されていました。京都にありそうな日本庭園を思い起こす様な絵でした。
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なんとなくだけど北海道とかだとこんな感じの日本庭園になるんですかね。植生が京都などと違うからかそういうイメージで見るからなのか少し雰囲気が違う気がします。
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まあ贅沢を言ってしまうと背景の木々はやっぱり日本と違うなあと。まあそれは気候も風土も違うので当然ですし、エストニアにこれだけの日本庭園を造った、造らしてくれたというのはすごいことだと思います。
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日本でもよく見かける光景。日本庭園の池の畔で親子が池の魚を観察していました。
脅かしちゃうといけないので遠くから眺めていましたが鯉でもいたのかなあ。 -
このカットが一番日本っぽいかな。季節には桜やシャクナゲも咲くそうです。タリンは庭にとって日本よりよほど過酷な環境だと思いますが、その環境でも美しく完成された庭を見ることが出来ました。曽根造園さんの技術に感動をしました。
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二日目にこの位置から見るだけだったルサルカ像へと向かっていきたいと思います。1年ほど前まで横断歩道がここにあったのですが道路の増設と交差点付け替え工事の関係でものすごい遠回りをすることになります。どうやっていけばいいんだこれは・・・。
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大回りして道路を渡り工事中の道路を横切り一回海岸線に出てから回り込む必要があるようです。たぶん500mくらい余計に歩きました。まあデブにはいい運動ですね(´・ω・`)。
この写真で言うと左手の道路を渡ろうと、中央やや左の交差点で待っていたのですが待てども待てども青にならない。横に自転車の少女が来たのですがこの子もイライラ。ふと後ろを見ると工事現場に少し入っている信号の支柱(写真で言うところの中央やや左の柱)にセンサーらしきものがあるので必死に手を伸ばしそれに手をかざすとすぐに青になりました。日本と違いボタンではなくセンサーなのでなんとかかざせましたがまさか工事現場の中にそのセンサーがあるとは・・・。
てか少女は荷物を何も持って折らず地元という感じの子でしたが、何で知らないんだろ・・・。地元じゃないのかもしれないけど。
写真のタイムスタンプ見ると僕は4分くらい待ってた見たいですね。 -
フェリーターミナルを経由してMere通りまで通じる道を建設中でした。前日にロッテルマン地区から帰る場面で紹介したエストニア建築博物館の前の道に繋がる道路です。帰国後の2019年11月に無事開通してナルヴァ通りの混雑の解消に役立っているようです。
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もう少しという所までやっと近づいてきました。上でアップした以前横断歩道があった場所、という所からここまで12分程かかってます。横断歩道がまだ有ったら1~2分で着けたのに・・・。
たぶん工事が終われば横断歩道は出来ると思います。不便すぎるので・・・。ルサルカ像 モニュメント・記念碑
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陸側に階段があり像の下まで上り献花などが出来るようになっていますが、像そのものは海側を向いています。
街路灯なども慰霊碑設置の時に整備された歴史ある物なのでしょうが、近辺のものとは違ったデザインになっています。ルサルカ像 モニュメント・記念碑
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亡くなられた方の名前が刻まれています。
ここに刻まれているのはロシア系の名前ですね。サンクトペテルブルクからヘルシンキに向かっていた最中の事故であり、たまたま遭難現場がタリンというだけなので犠牲者の多くはロシア系の様です。ルサルカ像 モニュメント・記念碑
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ルサルカ像が手に持っている十字架はフィンランド湾の事故現場を示しています。その為ルサルカ像は北側を向いていて終日逆光になってしまいます。
ロシア帝国の象徴ではあります海軍の海難事故碑という性質の為か1920年代も1990年代以降も特に撤去運動は起こらずいまでも平穏に残っています。ポケモンGOのジムになっていてちょうどギアルのレイドだったこともあり結構な人が集まっていました。今ではちょっとした公園広場としても親しまれているようです。ルサルカ像 モニュメント・記念碑
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道路工事はかなり広範囲にわたっていてナルヴァ街道から分岐したピリタ通りでも行われていました。前々から書いている通りエストニアでは中国資本などでかなりの開発をここ数年行ってきていてソビエト占領下のインフラが大分更新されてきています。
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道路と海岸の間には公園の様な広い緑地帯が広がっていてすごく気持ちが良いです。
さすがにタリン近郊はあまり土地がないようですが、郊外に来ると人口密度の低いエストニアらしく長閑な風景がどこにでもあります。 -
少し海岸に降りてみました。そういえばタリンで良い条件で砂浜に立つのは初めてでした。3日目のストローミは散々な天気でしたので。
あまり水質が良いとは言われないフィンランド湾、色を見る限りやっぱりなあと思ってしまうところがあります。湘南で育ったのでそれと比べるとなあってところですかね。もっとも湘南も綺麗と言えるかは微妙ですが・・・。
タリンはピリタやストローミなどの海岸はありますが、やはり高緯度の地域なので海水浴はあまり盛んではないそうです。 -
歌の原の入口に立っているこの建物、2日目・3日目にこのピリタ通りをバスで通った時に可愛い建物だなと気になっていました。
調べてみても由来とかはわかりませんが、ガラスの面がそれなりにあったり、構造をみても古い建物に見せかけた割と新しい建物かもしれません。
ちなみに旅行中にグーグルマップで見た際にはは手芸屋が入っていた様ですが、現在は貸テナント状態でした。 -
タリン港の方に目をやるとエケロラインがヘルシンキへの出航をしていくところでした。よく見ると力強く相当な排煙を上げていますね。36000トンのフェリーですが、この航路にはもっと大きな船もタリンクが投入しています。
この船はFinlandia号で元々はイタリアの会社が韓国の大宇造船へ発注、2012年にエケロラインに中古で売却されそれ以降タリンとヘルシンキを結んでいます。 -
リニューアル後の姿をイメージした看板?こんな姿になるのかな。
下の方にPirita teeと書かれているのでこのピリタ通りのイメージ図だと思います。
下のコンクリートの路盤もずいぶん傷んできていて、この先にピリタのオリンピック会場があるのでモスクワオリンピックの前に整備された場所だとは思いますがそろそろリニューアルの時期なんだと思います。
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