2011/04/28 - 2011/09/03
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DavePerthさん
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2011年にオーストラリアの永住権取得記念として、夢だったシルクロードを中心とした旅の記録。
4か月以上に渡る旅で、シンガポールからスタートし、ベトナムから陸路で中国に渡り、中国の南部から広東省・北京を経て中国横断を開始し、そのまま中央アジアのカザフスタン・キルギスタン・ウズベキスタンと続いて行った旅だった。
この旅がスマホや翻訳・地図アプリなどに一切頼らない、最後の時だったと思うので、自分にとっても本当に貴重な体験が多かった、最後の聖戦でした。
《ちょうど2011年はスマホへの移り変わりが加速していく変換期だったと思いますが(自分は2012年からスマホを使用)、この旅ではスマホを使用していなかったので、最後のネット情報にも一切頼らない、その場で切り開いていくスタイルの旅だったのでかなり行き当たりばったりで、それが故に色んなハプニングやローカルの人達・他の色々な国の旅人達との濃~~いエピソードに溢れまくってます。》
出会った人達との、楽しかったり迷惑だったり恥ずかしかったりした色々なハプニングやエピソードのことなども折角なので隠さず赤裸々に書いて行きたいと思います。(最近あまりそういう旅行記無いと思うので。。。)
今となっては自分のスマホにも地図アプリの他にも宿予約サイト・翻訳アプリなどが詰まっている。。。
今は安宿まで予約を入れてしまう時代となり、どんどん自分達で旅の可能性を狭めていってしまっているのかも知れない。。。ネットが発達したからって便利になれど、希少な体験が増えたり行動範囲が特に広がっているとも思えないし。。
なので、この旅行記はそういう旅を心底楽しんでいた自分へのレクイエムと、これからの時代には中々味わえない先の分からないワクワク感の強い旅を、読んでくれた人がヴァーチャル・リアリティ的に楽しんでもらえれば幸いです。
旅の内容は一人旅で非常に濃く、前半の中国入国から西安まではおとなし目の普通の個人旅行といった感じですが、敦煌辺りの中国の後半から中央アジアに入ると旅はドンドン波乱に満ちてきて、ヒッチハイクからの縁を中心に名も知らぬ村でのローカル民家滞在や山奥でのキャンプ、荒野で食べ物・飲み物なくなり遊牧民に助けられたり、どこかの結婚式にいきなり合流、などの出来事の連続でローカル文化との濃~~~い触れ合いの連続で延々と終わらないジェットコースターに乗ってしまったような非現実感の強い空間をフワフワしてました。
旅中に出会い一緒に行動し、色んなハプニングや漫画のような体験を沢山共にした、濃~~いキャラクターの色んな国の旅人達も多々登場?
そんな人生の大きな思い出の旅の軌跡を少しずつアップして行きたいと思います。
旅の始めはウォーミングアップとしてシンガポールに3泊して、ベトナムに渡り日本からの友人と数日過ごした後中国に渡りそこから本格的な一人旅が始まったので、今回はシンガポールとベトナムは省きます。
第25弾は、ウズベキスタン西部のヒバをついに離れ、西に向かっていたシルクロードの旅から折り返しブハラを再訪した後、首都タシュケントに戻ってウズベキスタン最後の時を楽しんだ。
中国からずっと陸路でカザフスタン→キルギスタン→ウズベキスタンと長きにわたったシルクロードの旅も今回はここで終わり。
この後実際にはタイに飛んでタイ&マレーシアで1か月半あまりブラブラとしたけど、中央アジアで散々味わった興奮は戻って来ず、ダラダラとしていたので、このシルクロードの旅行記はここで最終回となります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<ヒバ~ブハラ~寝台列車>~砂ぼこり舞う大地を一気に駆け抜け再びあの聖地へ~
今回ずっと西へ西へと来たシルクロードの旅も終わりが見えてきた。。
ついにヒバから折り返しで東へ戻る事になる。
《車での砂漠の移動!あの夢の町ブハラに舞い戻る》
滞在したヒバの宿をチェックアウトして9:00前に出発した。
今回は電車でもなくバスでもなくチャーターした車だ、イェ~イ!?
4人いるのでブハラまでそんなにチャーター代は高くない。
何故ブハラに戻るのかというと、俺を覗く3人はブハラから国境を越えてタジキスタンに行くらしい。俺もいつか行ってみたい国だ。
俺は数日後のタシュケントからタイ・バンコクに向けてのフライトを取っていて、まだ時間があるので是非好きなブハラにもう一度寄って行きたかったので都合が良かった。
*写真:今回は地獄電車じゃないぞ!車だぞ!!
今日は車で快適かと思ったが、エアコンが効かないので必然的に窓を開ける事になる。するとすごい砂ぼこりで思わず窓を半分くらい閉めてしまう。そうなると今度は暑さで苦しくなるという展開。。
結論 ⇒ ウズベキスタンのこの季節(真夏)は旅には向かないらしい。。。 -
途中何もない砂漠だが、たまにおばちゃんが道端に大きな冷水ポットと共にポツンと座っているのを見かける。なんと水や炭酸水を打っているみたいで、値段は10円くらい。
それでどれだけの売り上げになるかは分からないが、こんな過酷な暑さの下で本当に大変そうだ。
*写真:こういう何もない途中の路上で突如水を売るおばちゃんが腰かけていたりする。。
そんな中2人組の欧米人がチャリで奔走していた。思えばこのシルクロードでチャリダーにはたくさんあったが、実際この暑さの中砂漠を走っているチャリダーを目にすると見てるだけでどっと汗が出てくる。?
いや、単純に尊敬してしまう。
俺も絶対いつかチャリの旅はしようと思っているのだが、こんな過酷な条件ですることが出来るのだろうか?
車は途中頑張っていたが、この道中は道がガタガタで、ついにバンクをしてしまった。
暑さの中ドライバーがタイヤを交換しているが、何か出来る事はないかと思うがここは彼に任すしかない。そんなこんなで中々進まなかったが、夕方4:30頃ようやく懐かしのブハラに到着した。 -
疲れていたがブハラに帰ってきたという懐かしさと嬉しさで少し元気が出て、前に泊まった宿・Suffran B&Bに向かっていると偶然その宿主・アブドゥールとバッタリあったので、そのまま彼と一緒に宿に向かった。
*写真:懐かしのブハラ。すごく時間がたったように感じる。。 -
ここに帰って来ると、何故か自然と落ち着く。。
《期待を打ち砕かれた強烈なイタリア料理》
ピーター達は2人部屋を確保し、俺とクムは俺達が前に泊まった3ベッドのドミトリーになったが、そこに先客のイギリス人ジョンがいた。そこで彼も合流し、念願のイタリアンレストランに行ってみた。
この気候でパッサパサのパンとウズベク飯の攻撃に心から参っていた我々は、ずっとイタリアンなどの料理を恋枯れていた。
そんな中久々の慣れた食べ物を食べに行く事に、俺達は興奮しきっていた。
が、、
楽しみにしていたのとは裏腹に、頼んだスパゲティーボロネーゼはパスタではなくラグマンに似ていて、うどん風の奇妙な味だった。もう一つ頼んだマルガリータのピザはまだ食えたのだが、横をみるとジョンが自分のカルボナーラに殆ど手を付けずにボーゼンとしていた。。
そんなにひどいのかと少しもらってみると、この世の物とは思えないまずさだった。。?
まず麺がパスタではなくうどんである。そしてホワイトソースにはヨーグルトらしき酸味が加わっており、一体これの何がイタリアンなのか1%も理解出来ない代物だった。。。
これには2,3口食べただけで、目に涙を浮かべ固まってしまったジョンの行動にも納得がいく。
皆ウズベキスタンの食事に食傷気味でこの機会を楽しみにしていた中、満を持して行ったイタリアンに大きく裏切られショックが隠し切れない様子だ。
そしてトボトボと皆元気なく宿に戻り、この悪夢を忘れようと皆で喋って寝た。。。 -
*綺麗にライトアップされたブハラの路地裏だが、そこを謎のイタリアン料理に裏切られた期待と大きなショックを抱えトボトボと歩いて帰った2011年・ブハラの夏。
-
《ついに見つけた!絵画の中の風景はこの路地裏だった??》
翌朝は久々にこの宿で朝食を食べたが、相変わらずアブドゥールママの料理は上手で量も充実だった。
そして俺は明日の夕方タシュケントに戻るのでチケットを買いに行ったら安いのがなく高い席のしか残っていなかった。ただしかしこれであの窓際の恐怖の砂まみれベッドを再び経験することはないであろう。。
*写真:あまりの暑さにラビハウスの神聖な泉をプール代わりに地元の若者達。 -
そして午前中はのんびりとして午後に出かけた。
もう一通りブハラの見どころは前回の滞在で行っているのだが、改めて歩いてみるとやはりここの町並みは何というか特別な感じである。しかし前に散々この辺は歩き回ったのだが、細かい路地裏など同じ建物でも違った角度からの眺めなど見落としていた部分の写真を撮りまくってしまった。
今までにこんなにも写真を撮った旅行は無いと言うほど撮りまくっている。
唯一ここでやり残したことといえば、前回滞在した時に行ったアートギャラリーの中で気に入った、路地裏の奥から半分顔を見せるモスクの絵の実際の景色を発見することだった。 -
*写真:この前回の滞在で何故か心を打たれた一枚のブハラの町中の絵の景色どこかに存在しているはずだと思い、路地を探していたのだ。
色々歩いていたら奥に路地からモスクの頭が見える道があってこれか?と思ったがちょっと違う感じだった。
そして更に歩き続けて留置所跡の方に行く途中何か勘が働いて手前の路地を入って行くと、目の前に白い建物が見えいい雰囲気だったので右に曲がってみると、まさにあの絵まんまの景色が目に飛び込んで来た! -
*写真:これが探していた絵の風景。今にも絵の中のおじいさんが、向こうから歩いてきそう。。
あの絵のように綺麗に隙間からモスクが見えた瞬間は、探していたものを見つけた喜びと生活感溢れる雰囲気に感動した。窓から子供達が覗きこんで来て写真を撮ってくれと言われたり話しかけられたりして楽しい場所でもあった。
そのままブラブラして色んな物を胸に刻み込み、改めてブハラの町の良さを感じだ一日だった。そしてもうやる事はやり尽した感じなので抜け殻のように宿でのんびりして夕食も宿で食べたらまたすごい量が出て来た。チキンも満足の味だった。 -
窓から写真をせがむ子供たち。路地裏の、ほんの心地よいひと時。
-
《と派手なハーレム世界の王宮でブハラ最後の観光》
翌朝も宿で朝食を食べて洗濯をしたりしてチェックアウトした。
そしてクムとイギリス人のジョンと郊外の王宮跡に向かうバスを探している途中、珍しいトサカのウッドペッカーを見つけた。奴は変な動きで珍しかった。この渇いた大地にもこんな鳥とかが街中にいるのは意外だった。
*写真:変なトサカのウッドペッカー。以外にこんな所にも鳥はしっかり生きている。 -
そしてバスを捕まえて王宮跡にいった。
建物の中に入ると信じられないような煌びやかな装飾を施した内装で彩られた部屋が沢山あり、見ごたえがあった。
それにしてもイスラムの当時の王朝はどこもど派手な装飾が好きだったんだな。青、赤、黄色、緑、紫などをこれでもかと散りばめたデザインは中々日本や他のアジアの歴史的建造物では見る事が煌びやかさだ。 -
*中に入ると、キンキラキンの内装が眩しい王宮跡。
-
どの部屋も本当にゴージャスで、金・銀・銅も贅沢に使われていて色んなものが展示され、日本や中国から贈られた壺などもあった。ここから予測するに当時このティムール王朝はかなりの栄華を誇っていたようだ。
-
日本も絡んでいたとは知らなかった。当時から意外とこの辺りまで交流があったとは驚きだ。普段あまり博物館とか印象に残らないが、ここは今まで行った中で一番良かったかも。
*写真:日本から送られた壺もあった。当時も結構この辺と交流があったとは、驚き! -
そしてここには宮殿の一部のハーレム跡もある。
支配者は上からプールに入っている女たちを見下ろしそこから気に入った女を選ぶらしいのだが、何という贅沢な空間なんだろう。
女子が毎日選びたい放題なんて何とも羨ましい限りだ。。。
*写真:ここからハーレムプールを見下ろしていた、当時の支配者の気分になって想像してみる。。
《ついに訪れた別れ・中国以来の一人の時間がやって来た》
そして一通り回ったのでバスで宿に戻り、夕方6時頃皆とお別れをした。
旅人同士の別れは今までも何度と経験してるのでもう慣れっこなのだが、ピーターは少ししょんぼりとしていたので寂しく思ってくれていたのだろうか?
ずっとカップルの彼らと共に行動してプライバシーを侵害していたのではないか、本当はもう二人で行動したいんじゃないかと途中思っていたが、実際はそんなことは杞憂だったのかも知れない。
本当3週間近くも一緒にいたのだ。
こんなにも長く旅を一緒に現地で出会った旅人としたことがないので、この前のキルギスで一緒だったマタンやカザフスタンを共にした、ヘイドリアン・ビクトールも含め今回は本当に色々な経験をさせてもらった。
本当お国違えば旅も違うで、彼らの危なっかしいくらいの行動力や楽しむ姿勢は見習う所も多くあったし、アウトドア、特に山への興味に導いてくれた彼らには感謝もしている。
色々と彼らのわがままな部分などもあったけど、それも含めて掛け替えのない面白い時間を過ごせ、また彼らと一緒でなかったらここまで深いというかハチャメチャな濃い冒険はこの中央アジアで出来なかったんじゃないかと思う。
思えばあのウルムチの宿が始まりで、あそこでその後色々と絡むことになる多くの旅人にあったと思うと、あの宿にたまたま滞在して本当にラッキーだったな。 -
旅なんて本当に偶然の出会いや流れで大きく方向性が変わって行くので、退屈な時もあれば一方何かのきっかけで一気にエキサイティングになったりで、先が読めないから面白い。
なので俺はどんなにネット環境が発達してツーリズムに影響を及ぼしても、このスタイルはやめられないと思う。
予定通りに行動しそれを楽しむ旅も状況によってはそれはそれで楽しいかもしれないけど、やっぱりこういった勢いやその時の勘や縁で動くスタイルは、はまればプランきっちりのスタイルの旅の何十倍ものエキサイティングな旅が経験出来る。
なのでこのスタイルは、年を重ねても貫いて行こうと思う。
*写真:別れの前に一枚。特にピーター達カップルとはずっと一緒にいたので、何か離れる実感が湧かない。。 -
宿を出てマルシュートカに乗り電車の駅に向かって出発し、町を離れるとようやく本当に久々に一人になったと気づいた。
思えば完全に一人になるのはウルムチの宿に着く前以来だ。
2か月近くひたすら他の旅人や現地の人々と常に一緒にいたことになる。
いや~、それまで一人が多かったのに急にまた一人になると、ほっとしたような寂しいような複雑などう処理していいか分からない感情が湧いてきてフワフワとしてしまう。
誰かが常に横にいたから誰もいないと不思議というか妙に不安定な気分である。
着くと電車は既に駅にいて、すぐに乗り込むと高い4人部屋席なので快適そうだ。
*写真:車窓からの夕日。ウズベキスタンから最後の贈り物か。思えばこの旅は、夕日が節目に必ずポイントになっていた気がする。。 -
2人のおばさんが同室だったのだが、英語が全く通じないが構わずバンバン質問してくるので一人になったと思いきやまた賑やかになった。
おまけにこの人たちはやたらと食べ物を進めてきて、果物とかは良いのだが食欲も無くこのうだる様な暑さの車内で何とベイクドポテトとベーコンの料理を勧められ、ほぼ無理やり食わされた。
この組み合わせは砂漠気候では敦煌の時のゆで卵と同様に、一番食ってはいけない組み合わせである。
案の定口に運ぶと凄まじい即効性の胸焼けを引き起こす始末。それでもやたら進めてくるので無理やりほぼ全部食ったらコミュニケーションの行き違いか、おばちゃん達が“あっ、この人全部食っちまったよ!”みたいな感じで顔を見合わせていた。。
なんだよ、ちょっと食えば良かったのかよ。。あ~、胸がムカムカする。キンキンに冷えたコーラが飲みたい。。
そうこうしてふと外を見てみるとちょうど地平線に夕日が降りる時で空が真っ赤に染まりすごく綺麗だった。これはまさに旅の終わりにふさわしい贈り物をもらったようだ。 -
《タシュケントで久々の日本語での会話》
翌朝電車はタシュケントに着き、すぐメトロに乗り換えると一本でチョスルーマーケット駅に行くので便利だ。
もうここのメトロも慣れたものだ。タシュケントは一国の首都にしては小さいけれど、それでも今まで砂漠のオアシスのような所を転々としていたのでここでも立派な騒々しい都会に映る。
*写真:タシュケントのシンボル・チョスルーマーケットのドーム。既に懐かしい。
少し迷ったが無事に前に泊まっていた宿、Gluna Guest Houseを見つけ主人も覚えていてくれて4人部屋ドミトリーにチェックインした。
すると宿にはサマルカンドで一緒だったあのスイス女性2人組もいた。一人はあの折り紙狂いのおばさんで、もう一人は弁護士をやっている、他の旅人達曰く"押せば行けそうな女の子"だ。
部屋にいると一人の武者のような長髪のアジア人が入ってきた。
彼は一瞥で俺を日本人と判断出来たらしく日本語で挨拶してきた。彼はH君といって何やら色々自由に旅している人らしい。本当に久しぶりにまともな日本語を喋った気がする。
そしてブラブラとバザールに行き露店で食べたりするとやはり安かった。思えばウズベキスタンはここから始まったのかと思うと、数週間前の事がやたら昔の事に感じて少し旅の終わりに感傷的になってきた。。
その後宿に戻り例のスイスの子と色々話していて、これはもう少し押せばば行けるんじゃないかと期待が膨らんできたが、情勢を大きく読み違えたH君が割って入ってきてしまい、急に日本語で話し始めた俺達に興ざめししてしまった様子の、"押せば行けそうな子”はもはや、"押しても引いても動かぬ能面の女"に変化してしまい、またもや俺の企みはこの中央アジア最後においても空振り三振に終わったのであった。。。
仕方ないので、そのまま泣く泣く彼と夜飯を食いに出かけた。? -
チョスルーバザールの更に奥の方に歩くと、知らなかったが色々と食べ物屋などがあり地元民で賑わっていた。折角なので初めてのラクダのスープを頼んでみると油で温度が上がっていて口をやけどしてしまったが、味は思いのほか美味かった。
他にシャシュリックやチキンを頼んで久しぶりに充実したディナーになった。
H君は色々と旅や世界平和について熱く語っていたが、俺はやけどで口の中が燃えるように熱く悶えていたので、折角の久々の日本語トークだが話は半分くらいしか入ってこなかった。。。
*写真:ラクダのスープ。味は悪くなかったが、、、熱い!!💦 -
《中央アジア最後の観光と日本人墓地探しに奮闘》
翌日は早めに起きて朝食を食べて7:00頃出かけた。
次の日の朝に空港に向けて出発するのでこの日が最後に動ける日だ。
取りあえずまだタシュケントをまだ良く観光してないので心残りがないように見ておこうと思った。
まずメトロで隣の駅でおりてタシュケントを代表するメドレセを目指す。途中迷い掛けたが英語を話す一人の女性が親切に教えてくれ、その方向に向かうとでんとそびえ立つミナレットが見えたので無事に辿り着いた。
*高くそびえ立つミナレットとモスクのコンビ。これがこの旅最後かな。。 -
首都にもちゃんと人々の心の拠り所が存在している。
-
ここのミナレットはかなり高く、雲一つない真っ青な空とのコントラストがいい感じだ。もうこの空とミナレットの対比をウズベキスタンに来て何枚写真を撮った事か。それでもここでも撮ってしまう。これが最後のミナレットか。。
ここはモスクとメドレセが連立しておりタシュケントの人々の宗教的な心の拠り所の中心地になるのだろうか。
どの町にも必ずシンボル的なモスクやメドレセが有り、そこには観光客の有無に関わらず皆とても大事にしていた。
日本人は世界でも宗教色が薄い国民性と言われているが、こういった生まれた時からある絶対的な心の拠り所があるのもいい物なのかもしれないと、この旅で少し羨ましく思ったりした。 -
ここの雰囲気はとてもよく、建物の間にある広い空間も心をほっこりさせる空気感がある。地元の人が多くのんびりと眺めたり、家族で写真を撮ったりまたお祈りしたりそれぞれのやり方でここを楽しんでいる。
裏の方にある14世紀以降の著名な学者などのお墓が入っている建物に行くと、ここは願いがかなう祈りの場所と言われているので、親子や女性達が来て、すごく真剣に祈りをささげ何か唱えていたのが印象的だった。
*写真:偉人にお祈りを捧げに行く、親子の後ろ姿。 -
その後メトロで日本人墓地にアクセスの良い駅で降りたが、地図が無いので場所が分からず人に聞いて回っても分からない人が多い。
とにかく日本人の意味の"ヤポンスキー“を連呼しながら祈るジェスチャーをしながら人に聞いて行く。そしてかなり歩いてようやく38番のバスが墓地方面に行くと分かったので、それに乗りドライバーに例の”ヤポンスキー“と祈りのジェスチャーをすると俺がどこに向かっているのか分かったらしく降りる所を教えてくれた。
そして歩いていても同じ方法で通りすがりの人に聞くとさすが近所だからか日本人墓地の在り処をしっていて指差して教えてくれ、何とか墓地に辿り着いた。ただ墓地は日本人の物だけでなく、例の、墓に大きな顔写真をプリントした地元民の墓や他の物などもありかなり広いので迷って掃除している職人さんなどに聞きようやくお目当ての日本人墓地の場所に着いた。 -
ここは第2次大戦の敗戦後にロシア(ソ連)に強制労働をさせられた元軍人の、日本に帰れぬままこの地で亡くなった日本人達の共同墓地である。
なんでわざわざ知らない人達の墓地にこんなに苦労して探して来たかと言うと実際そんなに意味はなかったのだが、せっかくこういう機会に自分達の歴史を作った人達をお参りして行こうとふと思ったりしてみたからだ。
ようするに気まぐれなのだが、少し調べると実は世界の色んな所にこういった日本人墓地は存在するらしい。ここの墓地には79名、他のウズベキスタン国内の墓地も合わせると合計数百名が埋められている事を知った。
ここまで来たのだからと水をあげてからこの場を去った。
*写真:世界の平和を願う記念碑。こういった日本人墓地が世界各地にあるんだな。。 -
*ここには約70名の、日本に帰れなかった人が眠っている。何を思っていたんだろうか。。
-
《恐怖のエナジードリンクと残念なTVタワー》
一旦宿に戻り昨日のH君とNさんと言う日本で和菓子屋で働いている、一人旅の人と合流しメトロでアライバザールという所に行った。ここで図々しくフルーツを試食しまくっているとすごい飲み物を発見。
それは一見エナジードリンクなのだが、中身は強度のエナジードリンクとウォッカが混ざっている。これは試そうという事になり買ってみてシェアをしたが少し飲んだだけで喉が焼けるような感じがした。
全部飲んだら一体どういう事になるのだろう?非常に体に悪そうな組み合わせである。
*写真:殺人ドリンク・エナジー&ウォッカ。全部飲んだらどうなる?? -
そして次はTVタワーに行ってみた。
中に入ったが6階の展望台しか行けず、上までは開放されていなかったので低い所からの眺めで見える町並みも味気ない新市街で、サマルカンドやヒバのミナレットの上からの眺めとは違い微妙であった。
中途半端な観光スポットの割にやたらセキュリティーが厳しくて何もかも微妙だった。
*写真:タシュケントのTVタワー -
*写真:TVタワーの内部。無駄にセキュリティが厳しいが、特に何もない。。もう最後の観光はもはやただの消化試合になってきたな。。
《シルクロード最後の夜にまさかの地震に遭遇》
暑いので宿に帰りまったりしていると日本人チャリダーのT君という若めの男の子がいた。
彼はキルギスタンであの韓国人のジュンミンと知り合ったみたいだ。本当に旅人の世界は偶然な繋がりが多く、国を越えてのこういった変な繋がりに遭遇する。
そして今日帰るN氏(最後の最後で急に日本人祭りになった)を見送りシャワーやパッキングを済ませ下に降りると例のスイス人の女の子が一人でポツンといたので、これはチャンスと思いテーブルの向かいに座りしっとりと話していた。
結構盛り上がりこのまま飯でも誘ってその後はムフフ、と企んでいたらH君の暑苦しい顔が横にやって来て、"アニキ、今日は最後なんだから一緒に飲みに行って語り合いましょう!!”と言われ手を引っ張られてしまった。。。!
いや、これから口説くところだったのに!あ”~~~~、、、遠ざかってゆく俺の魚が。。
結局H君とT君と俺の野郎3人でまず昨日のラクダスープの所で飯を食い、そこからタクシーでH君が知っているという、マナスというおしゃれなライブバーで飲む事にした。
ここは外人やちょっと金持ってそうな地元の若い人達が来ていたが、全体的に閑散としており前のスペースでは確かにちょっとバンドとかも入ってウズベキスタンぽくないおしゃれな感じだったが、あまり盛り上がってはいない。。
ここでも野郎3人熱く旅の事や男気の事や世界平和の事などを語り、深夜12:30頃タクシーを捕まえ帰路に着いたのだが、宿に着くと夜中だというのに宿泊者達が下の中庭集まっていたので、”何?何かパーティーでもやってるの?“と酔っぱらいながら聞くと、ちょっと憮然とした様子の欧米系の女性が、
”あんたたちあんなに大きく揺れたのに気づかなかったの?呑気なもんね。あんたたち日本人は地震とか慣れてるかもしれないけど、私達は怖くって怖くって仕方なく眠れそうもないから皆でこうやって中庭に避難してきたんじゃない!“
とのたまった。。
!!!??
一気に酔いがさめる俺達。。😵
地震なんていつあった?😱
聞くとちょうど俺達がタクシーで帰って来てた途中で、おそらく一回H君が店で何か買うために、タクシーを停車させていた時のタイミングに地震が起きていたと思われる。
何故なら一人下車したH君は道路で大きな揺れを感じたらしいが、それは自分が酔っぱらっているからと思ったらしい。更に俺は酔っぱらって車中爆睡中だったので気付かずという失態。。。
何ともウズベキスタンの最後の夜で結構な地震に出くわすとは。。(実際タシュケントの数十キロ東の盆地が震源地であり、この地震で十数名の死者が出ていたことを翌日のネットニュースで知った)
あきれ顔の他の宿泊者達やH君達と別れの挨拶をし、翌朝が早い俺は床に着くことにした。。 -
<タシュケント~空港>
~夢の時間の終わり、様々な思いを残して現実の世界へのカムバック飛行~
翌朝は早く起きて宿で朝食を食べチェックアウトをした。
今朝のフライトで俺はタイのバンコクに向かうので、陸路でずっと来たシルクロードの旅もここで今回は終わりを告げる。
空港にはちょどう例のスイス人の折り紙おばちゃんが俺と同じようなタイミングのフライトで帰るので、タクシーをシェアすることにした。
空港にはかなり早く着きおばちゃんと別れ一人になった。。
今回のこのシルクロードの旅では、今まで行った色んな過去の旅には無かった経験を沢山し、史上最もインパクトの強いエキサイティングな旅となった。
色んな人に出会い、別れ色んな価値観を知ることになった。
《旅人にやたら親切な現地の人々、タダでホテルに泊めてしまう人、とにかくどこに行ってもクラブに行きたがり常に女子を狙っている若い旅行者、軍隊経験を経てベジタリアンになり一日置きに悪夢に魘されるユダヤ人、中国語が話せない俺に一生懸命通訳してくれた新聞記者と砂漠でカラッカラのゆで卵を渡して来る写真狂いのおっさん、そしてこんな俺に恋をする中国人女性、など他にも色々と様々な印象深い出会いが多かった旅でもある。》
色々な場面で人に親切にされたので自分も色々と考えさせられ、また親切を返して行こうと思う。いつかこのシルクロードにはチャリと共に帰って来たい。ありがとう、全ての経験に!!
~~エピローグ~~
ウズベキスタンからタイ・バンコクに飛んだのだが、一旦旅は一段落したのだけれど、まだしばらくダラダラとタイ&マレーシアを旅して最終的にオーストラリアに帰国したのはウズベキスタンを出発してから約1か月半後だった。
それなりに色々な事もあり、また現地の人達との交流もあったりしたが、中央アジアまでの旅があまりにも強烈で自分でもタイ&マレーシアはそれ程印象に残っていなく、特筆すべきことはあの広州の鬼女・クレアーと再びマレーシアで合流してしまった事だろうか。。
とにかくこれでこのシルクロードの旅はおしまい
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